山口県は岩国にある浄土真宗寺院のWebサイト

 

門徒の耳に念仏

【念仏が出る人、出せない人】

 

Tさんは1人暮らしのお婆さん。
お取り越し参りへ行くと、
ゴーグルのような眼鏡をかけていました。

 

「もしかして白内障手術ですか?」
「はい、数日前にしました。今日は一緒にお経が読めません。
 申し訳ないのですが、お念仏だけさせていただきます。」

 

小さな仏間で『正信偈』のおつとめ。
合間でお念仏が聞こえます。
一緒におつとめはできませんでしたが、
なんだか気持ちよい時間でした。
自然にお念仏が出るご門徒。
昨今は少なくなりました。
有り難いです。

 

なお、その日の最後の“お取り越し”参りのNさん。
今度はマスクをしていました。

 

「もしかして風邪ですか?」
「(かすれる声で…)四日前からです。
だいぶ治ったのですが、声が枯れててお経が読めません。
 もうしわけないのですが、後ろで聞かせていただきます。」

 

土間のそばの仏壇には、綺麗な仏華が生けられてありました。
体調悪いのに大変だったことでしょう。
おつとめ中、たまに咳が。
Nさん、風邪が治ったらお念仏申してください。

 

【馬と念仏】

 

「豚に真珠」(Don`t throw pearls before swine. )という諺があります。
語源はキリスト教の聖書。
値打ちのわからない者に、
どんなに貴重なものを与えても無駄という意味です。
豚は真珠の値打ちがわかりません。
ゴミの方が好きです。

 

同様の語が、「馬の耳に念仏」。
馬は念仏の値打ちがわからない。

 

馬を救わない阿弥陀さまではありません。
しかし、馬は「南無阿弥陀仏」のお念仏を聞いても、
はたして喜んでいるのか、いないのか。

 

浄土真宗の門徒は念仏者です。
それは仏さまの値打ち、
お慈悲の温もりに出遇ったからです。

 

別にいちいち説明しません。
「ナマンダブ ナマンダブ」
これで充分です。
ただ少し言えば、
「ここにお慈悲の方がおられる。
はかなく散りゆくいのちの私を、
決して離さず、
煩悩にさいなまれて終わる私を、
決して裁かず、
『そのまま浄土へ参れよ』と、
私の側で喚びかけてくださっておられる。」
お念仏申す中で味わいます。

 

「有り難うございます。」
お礼の念仏です。

 

【有り難し】

 

ドイツ人、フランス人、日本人。
それぞれの国にはそれぞれの言葉があります。
ドイツ語、フランス語、日本語。
それらの言葉を使ってこそ、
それぞれの国民です。

 

仏教徒は仏教用語を使うので仏教徒です。
「仏教用語なんて使っていません!」
いえもう使っています。
「有り難うございます」。
もともとは「有り難し」。
「めったにない」という事。
語源は、経典にあります。

 

「人間の身を受けることは難しい。
 死すべき人々に寿命があるのも難しい。
 正しい教えを聞くのも難しい。
 もろもろのみ仏の出現したもうことも難しい。」
  (ダンマパダ182番(『真理のことば 感興のことば』岩波文庫、36頁)(※1)

 

人間に生まれ事はめったにない事です。
今、今こうして死なずに生命がある、
生かされている事も、勿体ないことです。
そしてさらに、
正しいみ教えを聞く身になれた事、
阿弥陀さまをはじめ、諸仏に出遇えた事ほど、
有り難いことはありません。

 

「有り難う」でも結構です。
ただあと少し、
「有り難い」という言葉を使えるようになれば、
立派な仏教徒かもしれません。

 

浄土真宗の門徒。
その中身は念仏者です。
念仏者は、念仏を使って念仏者になります。
「ナモアミダブツ」とお念仏申し、
馬でも豚でもなく、人間に生まれた有り難さ、
今、生かされた勿体なさを味わいます。
そしてさらに、
今までも、これからも、
阿弥陀さまが寄り添ってくださる事、
お釈迦さま等、
たくさんの仏さまが、
一様に阿弥陀さまのお浄土を指し示してくださっている事を、
いただきます。

 

(※1)
対応する漢訳では、
「得生人道難 生寿亦難得 
 世間有佛難 佛法難得聞 
  (人道に生ずるを得るは難く
  寿(いのち)を生ずるも亦得難く
  世間に仏有ること難く
  仏法を聞くこと得難し(『法句経』)」
(大正蔵4巻、567頁上段17・18行目)

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

おつとめの余情

【お取り越し】

 

12月です。
“お取り越し参り”で忙しい時期になりました。

 

Hさんからの質問。
「お取り越しって……何ですか?」

 

お取り越し……取り越し……取り越す。
「取り越す」とは何か。
期日を繰り上げることです。
そしてここでは、
忌日を繰り上げて法事を行う事です。

 

本山の西本願寺では、
来月9〜16日、報恩講の法要が勤められます。
それよりも期日を繰り上げて勤める自宅での報恩講参りなので「お取り越し」です。

 

報恩講は、親鸞聖人のご法事です。
1月16日が、親鸞聖人の祥月命日。
聖人のご苦労、
浄土真宗のみ教えを伝えてくださったご恩を報じるご法事です。

 

お取り越しのお参りでは、
仏壇を最大限に綺麗にお荘厳します。
松を中心とした仏華、
餅を中心とした供物、

 

お飾りの前の掃除も忘れません。
お札、宝くじ、○○寺への観光記念など、
浄土真宗以外の物は、この際、整理しましょう。

 

【日本人になった人】

 

五年前の東北大震災。
津波が原発を襲い爆発する映像を見て、
「日本はダメだ」と多くの外国人が脱出しました。

 

ところが、その恐ろしい映像を見て、
日本国籍取得を決心した人がいます。
ドナルド・キーンさん。
現在94歳。
アメリカ合衆国出身の日本文学者です。
日本文化研究の第一人者であり、
文芸評論家としても多くの著作があります。
長年、驚くほど親切に接してくれた日本人への「せめてもの恩返し」でした。

 

キーンさんが日本に興味を持ったのは、
学生の頃、何気なく手にした英訳の『源氏物語』でした。
1000年近く前の本なのに、自然の本質を見事に表現しています。
こんなに素晴らしい本があるのかと感動。
元々、漢字には興味があり、
その延長で日本語の勉強を始めました。

 

戦後、日本へ留学してから、
数多くの文学作品を読破。
「日本文学は世界文学である」ということを証明するため、
三島由紀夫、谷崎潤一郎、川端康成など、
数々の純文学を英訳して、海外に紹介。
世界に日本文学の価値を弘めました。

 

昭和43年、川端康成がノーベル文学賞を受賞しますが、
その選考にも影響力がありました。
選考委員会は彼に助言を求め、
キーンさんは、谷崎潤一郎を第一推薦しました。

 

「(『金閣寺』を書いた)三島由紀夫はおそらく現在最高の作家だが、
この作家が支持され谷崎と川端が見送られたとすれば、
日本の一般市民はとても奇妙に感じるだろう。」

 

年功序列を大事にする日本人への配慮でした。
しかしまもなく谷崎氏は死去。
その3年後、川端康成がノーベル賞を受賞します。

 

また昭和46年、交流のあった司馬遼太郎の推薦で、
新聞連載を始めます。

 

『百代の過客 日記にみる日本人』

 

平安時代の『土佐日記』、『蜻蛉(かげろう)日記』、『和泉式部日記』、『更級日記』、
鎌倉時代の阿仏の『うたたね』、二条の『とはずがたり』。
さらに室町、徳川時代の『奥の細道』等、計80編、
日本人の書いた日記についての評論です(※1)。

 

メモ書き風な外国人の日記と異なり、
心の内面までも綴る日本人の日記。
文学に優るとも劣らない力を持っています。
数々の日本人の日記を読み、紹介し、
日本人の美しい感性を伝えました。

 

【曖昧】

 

昨年、あるテレビ番組で、渡辺謙さんとキーンさんが対談をしました。
そこでキーンさんは、日本人の特徴を5つ並べました。

 

曖昧(余情)、はかなさへの共感、
礼儀正しい、清潔、よく働く。

 

日本人が曖昧である事について興味深い再現ドラマがありました。

 

ある日、キーンさんは、
日本文学を翻訳する上でいつも悩む事を川端康成に相談します。

 

「『雪国』を英語に翻訳するとなると、なかなか苦労します。
例えば冒頭の“国境の長いトンネルを抜けると雪国であった”という書き出し。
いきなり主語がなく難関です。」
「さらに夜、旅館で男と芸者が一組の布団を傍らに言葉を交わす場面。

 「どうしたんだ」
 「帰るの」
 「馬鹿言え」
 「いいから、あんたお休みなさい。私はこうしてたいから」
 「どうして帰るんだ」
 「帰らないわ。夜が明けるまでここにいるわ」
    (川端康成『雪国』角川文庫, pp. 78-79. )

曖昧です。」
すると川端は、
「そうだね。でもそこが日本的かもしれない。
「曖昧さ……それは、余情とでも言うのかな…。
曖昧であるからこそ、逆に表情豊かに受け止められる力。
その可能性は私は信じたのだ。」

 

曖昧とは悪い意味ではなく余情があるという事。
それはなごり。あとになって湧いてくるもの。
風情。
言葉の外にこめられた趣。

 

キーンさんは言います。
「たとえば日本の絵画のことを考えると、日本的な絵は昔から全部は描かない。
山だったら線が1つあるだけで、あとは自分の想像力に任せる。
それは日本的だ。ぼけることは、なんとなく魅力的だ。」(※2)

 

世界と比較した日本人の特徴。
それは曖昧(余情)で、はかなさへの共感を持ち、
礼儀正しく、清潔で、よく働くこと。

 

悲しみを受け入れる日本人。
敬語を大切にする日本人。
きれい好き、真面目な日本人。

 

ドナルドキーン氏。
日本人である私について改めて気づかせてくれる、
94歳の日本人です。

 

【おつとめの余情】

 

お取り越しの季節。

 

お仏壇を綺麗にして、
身なりを整え、できるだけきちんとした姿勢で、
一緒におつとめします。

 

おつとめは全て漢文です。
意味は『せいてん』の下段にあるとはいえ、
即座には分かりづらいでしょう。

 

けれども仏縁に遇い、
お聴聞をしているならば、
おつとめの中から、
阿弥陀さまの声、
お釈迦様の声が湧いてくるはずです。
先ほどの「余情」ではありませんが、
おつとめはどこを切っても、
「われにまかせよ、必ず救う」の
お慈悲の心があふれ出ます。

 

私の人生の苦悩を受け入れる仏さまです。
生きる事がままならず、
老病死がままなりません。
煩しい事に出会い、
欲しい物が手に入らず、
さらに、愛しい人と別れていかねばなりません。
そして何よりも、
あっという間の月日。
あの桜に自らの心情を託す日本人です。

 

そんな私を見捨てず、
私の過去のふるまいを問わず、
「われにまかせよ」と喚び続ける仏さま。
「南無阿弥陀仏」、それはそのまま仏さまの活動の姿、
仏さまの姿といただきます。

 

「願以此功徳〜往生安楽国(願わくは、この功徳をもって〜安楽国に往生せん)」

 

おつとめの最後の文句です。
願いは私の願いです。
けれども同時に、いやそれ以上に、
阿弥陀さまが私を願い誓っています。
「たのむから救われてくれ。」
「はい、有り難うございます。」
おつとめは、どこまでも「お礼」であり、
決して祈願ではありません。

 

お取り越し参り。
日本人の特徴にかなった、
数百年の伝統ある行事。
大切にしたいものです。

 

「私はだいだいにおいて、日本は良い方に来たと思います。
しかし自分たちの伝統に興味がないということは、ひとつの弱点だと思う。
一番良いことは、
過去のものの良さを勉強して、
知るようになって、
自分のものにして、
自分がそういうものから特別な愉しみを得ること。
……伝統は時々隠れている、見えなくなる。
しかし流れている、続いている。
それは日本の一番の魅力です。」
(NHKドラマ『私の愛する日本人へ〜ドナルド・キーン 文豪との70年』の最後)

 

※1 さらに『続 百代の過客』で幕末・明治時代の34編を加えています。

 

※2 曖昧さについて、司馬氏もこう言います。
「日本語はもともと明晰よりも、どこかぼかしたあいまさを加えるほうが、
話し手にも聞き手にも安定感を感じさせる。
だから(昨今の)「〜カンジ」や「〜ミタイナ」の多用は、
ひとつには、そういう伝統回帰の要素があるのかもしれない
(動詞で言い切ると切り口上になるという感覚が伝統としてある、という意味である)」
(司馬遼太郎『風塵抄』(中公文庫, 1994), p.51)

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

聴聞相撲

【田浦相撲】

 

今月5日、
小学校の相撲大会「田浦相撲」に娘が出場するというので、
法務の合間、観に行きました。
一生懸命、相手を押していました。
周りも応援。
スポーツの秋らしい時間でした。

 

また先日の夕方、
テレビをつけると相撲をやっていました。
横綱白鵬が魁聖を上手投げ。
なんと1000勝を達成しました。
魁皇、千代の富士に次ぐ史上3人目の快挙です。
良いものを観せてもらいました。

 

【負けて覚える】

 

約20年前、外国人初の横綱曙(あけぼの)が、
ある野球選手とたまたま出会った時の事。

 

曙が「初めまして」というと、
「実は僕、横綱とは初めてではありません。
数年前、温泉旅館の玄関先で、野球少年を励ました事ありませんでしたか?
実は、あれ僕なんです。
おかげさまでプロになれました。」

 

1991年、高校3年生だったある少年が、
自分のスクイズ失敗で試合に負けた為、
宿舎の玄関先でうなだれていました。
そこへ横綱が通りかかり、少年を励ましました。

 

「相撲にはね、
『負けて覚える相撲かな』という言葉がある。
僕だって負けた日はがっかりするけど、
勝ちっぱなしの人生なんて存在しないよ。」
「ありがとうございます。元気が出ました。」

 

その年、少年はオリックス・ブルーウェーブに入団してプロになります。
現在もメジャーリーグで活躍中。
ご存じ、イチローです。

 

【土俵に上がらないと】

 

浄土真宗というみ教えは、
阿弥陀さまと私の関係です。
それは時折、相撲に譬えられます。

 

ある奥さんが、桐渓順忍という和上に相談されたそうです。

 

「どれだけお聴聞しても浄土真宗の事が分かりません、こんなことで助かりましょうか。」
和上は言いました。
「奥さん、あなたは横綱と相撲取って勝てるんかい?」
「私、60になりますもの。横綱どころか入門したばかりの人とやっても負けますわ。」
「横綱どころか、入門者とやっても勝てない者が、
阿弥陀さんと相撲を取って勝とうなんて、
そんな生意気なこと思わんこと。
あなた阿弥陀さんより偉いのかい?
あんまり天狗さんになりなさんなよ。」
「……そんな、私、阿弥陀さんより偉いなんて思うとりませんわ。」
「あんたはね、心の表では思とりゃせんけれども、心の内では、
私の煩悩は阿弥陀さんでもどうにもならんと思うとるんでないかのぉ。」

 

後日、和上は、おそらく説教の時でしょうか、
その時のやりとりを思い出し、
こう言われました。

 

「でもね、これはよ〜く考えてほしい。
横綱がなんぼ強うても、
私が90の老いぼれでも、
土俵に上がっただけでは勝負はついとらんのやないかのぉ。
やっぱり私を倒すか押すかせんと、勝負はついとらんのやないかいのぉ。

 

阿弥陀さまのご本願と私の煩悩とでは〈明かり〉と〈暗がり〉みたいなもんで、
相撲にならんと書いてあります。
阿弥陀さまのご本願は私の煩悩を問題にしないように、
出来上がってくださったんでないかいのぉ……。
そこのところをよく味わいいただきたいと思います。」
(参照:『一味』742号より)

 

桐渓和上、来年33回忌です。

 

【負けて目覚める救いかな】

 

相撲は「相(あい)撲つ」と書きます。
お互いがぶつかり合って、初めて相撲が成立します。
土俵に上がっただけでは勝敗はつきません。
相手と触れて、ものの数秒で勝敗がつくスポーツ。
決して引き分けはありません。

 

信心をいただくとは、
阿弥陀さまと相撲をとって負けることです。
それも勝負は一瞬です。
阿弥陀さまの智慧は光。
対する私の煩悩は闇。
どんな深い闇も、光は一瞬で破ります。

 

負けて、救いに出遇います。
「如来の願いの光は、他ではない、私のためでした」と。

 

逆にいえば、
お聴聞はテレビ観戦ではないのです。

 

「ほう、今夜は仏教、浄土真宗の番組か。」
テレビに足を投げ出して眺め始めます。
「何々? 仏の名前は〈南無阿弥陀仏〉? 声が仏? おもしろいこと言うなぁ。」
傍観している私。
「何々? 煩悩まみれの凡夫? やっぱり仏教といえば煩悩の話になるよね。知ってる、知ってる。」
批評している私。
「どんな者も救う? じゃああれだけの犯罪をした▲○◆▽なんかを救うなんて言うの?
 世界のモラル(道徳)がなくなるぞ。」
自分のことはそっちのけです。

 

負けて目覚める救いかな

 

この度も、お聴聞しながら、
自分が土俵に上がります。
阿弥陀さまと対峙します。

 

負けるのは最初から分かっています。
それが喜びなのです。
煩悩まみれのまま、悪人のまま、愚者のまま、離さない阿弥陀さま。
それは他力の仏さまだから。
私の心の清濁、煩悩の多少など、
問題にならないのが他力です。

 

聞いてたすかるじゃない
たすけてあるを いただくばかり
このさいちもな おお おありがとうあります
なむあみだぶつ なむあみだぶつ(浅原才市)

 

お聴聞は、
報恩感謝のお念仏で始まり、
報恩感謝のお念仏でおわります。
他に用事はありません。

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

仏壇の前で

【お世辞】

 

先日、ある家でお参りをした後、
「ご住職は、おつとめの声がとてもきれいですね。」
「ありがとうございます!」
「いつも、練習されるのですか?」
「いえ、特には(照)」

 

お世辞に弱い住職。
するとその方がもう一言。
「本当に、浮かばれます。」
「………浮かばれます?」

 

この最後の言葉が引っかかりました。
浮かばれる。
誰かが沈んでいるのでしょうか?

 

「○○さん、ご先祖は、浮かんでもいなければ沈んでもいません。
 お浄土で仏と成られているんですよ。」
と口には出さず、帰宅しました(※1)。

 

【健康が一番】

 

「言葉の乱れは精神の荒廃を意味する」(亀井勝一郎)

 

「浮かばれる」以外、
こんな言葉も聞きます。

 

「おつとめの声がとてもきれいですね。本当に、癒やされます。」

 

決して悪い表現ではありませんが、
引っかかります。
おつとめの後に出てくる言葉として相応しくないのです。

 

ストレス社会に超高齢社会の現代。
肉体的にも精神的にも疲労は蓄積されます。

 

しかし読経は、ヒーリングミュージックではありません。
疲れを癒やす事が主目的ではないのです。

 

またこんな言葉も。

 

「やっぱり健康が一番ですね。」

 

そうですね、とは相づちを打ちますが、
これも、おつとめの後、あまりピンときません。

 

仏さまの願いは、私のお浄土への往生です。
それに対して、私たちの願いは、
通常、「健康・家族・金運」の三つ。
人間の願いの話は、おつとめの後、あまりしたくありません。
深刻な打ち明け話は、別ですが。

 

【とらわれの解決】

 

「やっぱり健康が一番ですね。」
そう言いながら、
七福神と招き猫の前に「8億円」の宝くじがご安置してあったり、
「家内安全」のお札が貼ってあります。

 

健康・家族・財産、どれが一番なんて言えないのです。
この三つに関心のない人なんていません。

 

しかし同時に人間は、
いつまでも健康ではいられない事、
愛しい家族と別れなければならない事、
お金だけでは解決できない問題がある事を知っています。

 

「だからこそ、悔いなく努力するのだ。」
もちろんそれも一理あります。
しかしもう一つの道が仏教です。

 

病気になる、お金がなくなるのが辛いのか。
それとも、
「病気になる事、お金がなくなる事が辛い」と思ってしまう心が辛いのか。

 

そんな辛い心を仏教では煩悩といいます。
「健康でないことはダメなこと」と思ってしまう、
煩悩によるとらわれ心を解決する道が仏教です。

 

【如来の声】

 

煩悩と向き合う道は2つあります。
1つは、煩悩を払拭して、聖(ひじり)となる出家の道。
2つは、煩悩を持ったまま、仏(ほとけ)と歩む在家の道。

 

浄土真宗は後の部類です。
健康であろうとなかろうと、
「苦悩絶えない人生です。でも心配ありませんでした」という道です。

 

お仏壇の前で今日もご門徒とおつとめし、お礼します。
わが仕事、わが願い、わが心ぶりに用事はないのです。
先祖の安否も、健康・家族・財産の心配も違います。

 

仏さまの仕事に耳をすませます。
「お慈悲の仏はこのようにおられます」と、
お経のお釈迦様の声を聞き、
「お慈悲の仏はここにおるぞ」と、
南無阿弥陀仏の阿弥陀様の声を聞きます。

 

如来の声を聞き受けた境地。
聴聞し、信心獲得した境地。
相変わらず煩悩だらけのままですが、
自ずから、逆の方向性があった事に気づかされます。

 

私が先祖の安否を思うはるか前に、
先祖の方が「迷いの存在」の私の安否を憂い、
私に向けてお慈悲の話を伝えてくださっていました。

 

先祖だけではありません。
親子・連れ合い、先生や、
犬・猫・牛・馬などの動物も、
みな阿弥陀様の救いのはたらきに照らされています。
食卓の一輪の花も、路傍の石も、
病人・老人、そして悪人といわれる人も、
みな阿弥陀様の救う心に具されているといわねばなりません。

 

たとえ不治の病気・怪我であっても、
それは常に、
私を阿弥陀様の救いのはたらきに導いています。
単なる苦悩の種ではありませんでした。

 

「ご住職は、おつとめの声がとてもきれいですね。
 でも、阿弥陀さまの声はもっとありがたいです。」
「その通りです。私のプロポリスでごまかした肉声なんかどうでも良いのです。」
そんな会話を夢見て、今日もおつとめの日々です。

 

(おわり)

 

(※1)「浮かばれます」……
この言葉から「生(ふしょう)なる相」という言葉を思い出しました。
葬儀で最後に拝読する「白骨の御文章」冒頭です。

 

この世は浮き世です。
私たちの境界は浮かんでいるのです。
別名、根無し草。
迷いを抜け出る根拠なき境界を生き、
この世の縁がつきれば、沈んでいきます。

 

そんな私がこのたびお念仏によって如来様に出遇えました。
この念仏の徳を、親鸞聖人は、
「しかれば、大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば……」(行巻、『註釈版』189頁)
と述べられました。

 

お慈悲の船に乗せられた私。
海も、単なる苦悩の荒海から、
弥陀の光に照らされた本願の海へと景色が変わりました。

 

同じく「浮」かんだ状態ですが、
決して沈みません。
同じ「浮き世」でも意味が全く異なるのです。
浮ついた人生から、確かに浮かんだ人生へ。

 

「“浮かばれた”のは、私だったな。」
○○さんに教えられました。

 

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

ア行の念仏

【仏になる】

 

ある小学校で先生が生徒へ質問しました。

 

「氷がとけたら何になる?」

 

すると一人の子が、一瞬考えた後、
「春になる。」
と答えたそうです。

 

氷がとけたら水になるのは社会の常識です。
では春は間違いか。
そんなことはありません。
眼差しの違いに気づかされます。
「春になる」という世界は、
人間の知恵・常識の世界を打ち破る、
大きな意味を持っています。

 

人は死んだら何になる?
科学的常識からいえば、
骨・灰という答えが出てきそうです。
また消えてなくなる。
分かり易い答えです。
しかし私たちの先祖は、
「仏になる」
と答えていかれました。
科学が発達していなかったからではありません。
み教えに導かれた答えです。
仏の智慧、
如来様の慈悲を基準にした答えです。

 

【往生された】

 

仏になる根拠。
それがお浄土、阿弥陀さまの世界です。
お浄土へ生まれることを往生と言います。
ですからお念仏を喜ぶ者は、
「故人は往生された。」
しかし昨今、
「人は天国へ生まれる」
と答える人が多いです。

 

何も知らなければ、
「両方ともあの世でしょ?天国でも浄土でもどっちでも良いじゃない。」
「俺たちは、単に安心したいんだ。」
と思われるのも仕方ありません。
しかし全く別物です。
天国は人間の願う楽しい世界です。
浄土は仏が願った安楽(極楽)、法悦の世界です。
楽しみの中身が全く違います。
言い方をかえると、
天国は人間の欲望で充満した世界、
浄土は如来の慈悲で充満した世界です。

 

たとえるなら、
ビールとノンアルコールビールの違いです。
見た目はよく似ていますが、
製造方法も中身も全くことなります。
ノンアルコールビールには、
アルコールが入っていません。
どんなに飲んでも酔うことはありません。
ビールはどこを飲んでもアルコールが含まれています。
どんなに似せても、ノンアルはノンアル。
本物ビールとは旨さが違います。

 

お浄土はビールです。
アルコールならぬ、仏さまの智慧が充満した世界です。
必ず仏になる世界。
全てをありのままに見て、
平等にもらさず救っていく境地です。

 

なお天国へ生まれていく場合、
往生ではなくショウテン(生天、昇天)といいます。
「天にも昇るような気持ち」、の昇天です。
しかし「故人はショウテンされた。」
あまりしっくりきません。
ショウテンは日曜日の夕方だけで充分です。

 

今年1000回忌の源信和尚。
『往生要集』の中で、
天の最後にやってくる五つの苦しみ(五衰)は、
地獄の苦しみの16倍以上と述べられます。
六道輪廻の一つの世界。
「天国はやめておけ。仏の道からそれてしまうぞ!」
というのが源信和尚でした。

 

【ア行のお念仏】

 

仏になる道、
浄土への往生の道。
それは難しい特別な道ではありません。
お念仏一つの道です。
それは報恩の道です。

 

 「あ」りがとうございます。
 「お」かげさまです。
 「え」がたいものを、
 「い」ただきました。
 「う」れしいことです。

 

真宗のお念仏は、
ア行のお念仏です。
お礼以外の何ものでもありません。

 

お礼を言う。
なぜか。
お聴聞を通して、
南無阿弥陀仏という、
名の声の仏さまの心をいただいたからです。

 

一般的に、
キリスト教等では、
信心とは神への無条件の信順を意味します。
その純粋性が条件となって結果が。
しかし、
浄土真宗は、全く逆になります。
信心とは仏さま側の無条件の救い、
「われにまかせよ。必ず救う」という仏の喚び声を、
そのまま聞き受けることを意味します。

 

私の側に条件とか無条件とか、用事はありません。
喜びの心持ちでも、不安の心持ちのままでも関係ありません。
揺れ動く私の心の表面とは別次元の、
決してぶれない安堵心、
それが他力の信心、仏の側からのいただきもの、まことの心(信心)です。

 

聞き受けた不安なき心境には、
もうお礼しか残されていません。
他に「たのみます」「お願いします」という
私の方からの心を差し挟む余裕はありませんでした。

 

法座がない当山の10月。
今日も日々、お念仏を通してお聴聞します。
仏から私への、
一方通行の救いのはたらきを、
お念仏を通して味わいます。

 

「ありがとうございます。
生かされた命、嬉しく存じます。
得がたいご縁、お育てに預かります。」

 

堂々と死んでいける教えです。
「浄土へ往生し仏にする」と喚ぶ、
西方浄土の阿弥陀仏。
たとえ今日が「SEKAI NO OWARI」、「いのちの終わり」だとしても、
間に合う、お念仏の日暮らしです。

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

本物と共に

【生身】

 

スポーツの秋。
お寺の裏の幼稚園ももうすぐ運動会です。

 

さて以前こんな話をラジオで聞きました。
町内会の運動会で借り物競走に出場した方。
「ヨーイ、スタート!」
走って、しばらく行くと札が落ちています。
そこに「眼鏡」や「赤いタオル」とか、人から借りるものが書いてあるのです。

 

その人がとると札には、「サンフレッチェ広島」と書いてありました。
サッカーチームの名前です。
すぐに観客席へ行き、
「『サンフレッチェ広島』関連のグッズ、どなたかお持ちでないですか?」
「サンフレッチェのグッズ、貸してください!」と叫んでいました。
しかしなかなか見つかりません。
誰も出てこず、諦めかけたとき一人の方が手を挙げられました。
「あの〜、グッズじゃなくて、私、元サンフレッチェの選手なのですが、宜しいでしょうか!」
本物と一緒に走ったそうです。
勿論、誰も文句を言う人はいません。
本物に勝るものはありません。

 

…ちなみにこの元選手、RCC「おひるーな」の月曜日に出ています。

 

【念仏往生】

 

桜散る 梅こぼれる 菊は舞う
牡丹くずれる 椿は落ちる

 

これはそれぞれの花の最後の呼び名です。
どれも「枯れる」で良いのかもしれません。
しかし花はどれも違うのです。

 

葬儀で故人を「亡くなった」、また優しい口調で「天国へ行った」という方がおられます。
しかし浄土真宗の人にはちゃんとした言い方があります。
「お浄土へ往生した。」
なぜなら浄土真宗の人とは念仏者でした。
往生とは、念仏という花を咲かせた人の最後です。
決して「大往生」など、本来、誰にでも使えることばではありません。

 

お聴聞を通して、
念仏のおいわれを聞かれた故人でした。
法蔵菩薩が本願を誓い、修行の末、阿弥陀仏となられた話。
阿弥陀さまの話を聞かれました。

 

この仏さまは光の仏さまでした。
ですから、南無不可思議光佛ともいわれます。
私たちが決して思い計ることのできない光の仏です。
また無量寿仏、
決して量ることのできないいのちの仏です。
しかし単に私の分からない仏さまのままではありません。
かといって、人間の形をした仏さまにもなられませんでした。
名号、名前の仏様。
名前となり喚び声の仏さまになられました。

 

お念仏は弥陀の本願で誓われました。
「念仏するものを必ず救う。」
それは衆生に条件を定めたのではなく、
念仏に、仏の功徳全体、智慧の全てを現し出すことを示します。
すなわち念仏一つに、私の往生するための用意が万端なることを誓われたのでした。
「どのようなものも念仏もうさせて必ず救う。」
仏さまが念仏となって、
私の喉を震わせ、舌を濡らし、
口元からこぼれ出てくださいます。

 

お念仏は、
仮物ではなく、
本物の仏さまが私と共に一つになってくださる相です。
人生を最後まで一緒に走りきってくださり、
「かならず生まれさせる」とお育てくださり、
今、死ぬのではなく、浄土へ往生していきます。
会えるはずのなかった懐かしい人々と再び会います。

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

他力の悲願

【やばい】

 

先日息子が、
「お父さん、この音楽やばいよ!」
というので、何が危ないのかと尋ねると、
心が震えるほど良い曲で感動したのだとか。
息子の言葉にあきれながら、
「とうとう息子も使い始めたか。やばいなぁ」
と思う私がいました。

 

「やばい」は、もとは落語の符丁(隠語)で、危険を意味しました。
しかし現在、世間では真逆です。
「これ、やばいよ!」
といったら素晴らしいという意味です。

 

「やばい」に限らず、
時代によって言葉の意味は、
都合よく変わっていくのかもしれません。

 

私も、いつかベートーヴェンの第九を聞いて、
「やっぱり第九はやばいな!」と言っているのかも。

 

【因業と果報】

 

お釈迦さまのお話の基本は「因果」です。
原因と結果。
すべての物事には、原因があり結果があります。
よい行い(善業)を積めば、良い結果が、
悪い行い(悪業)をすれば、悪い結果がおこります。
仏教は因果の道理を決して無視しません。

 

この因果を分けると、
因は因行とか、因業といったりします。
果は果徳とか、果報といったりします。

 

本来、因業も果報も善悪両面の意味がありました。
しかし世間では、
因業は悪い意味に、
果報は良い意味に用いています。

 

「因業者」というと、頑固者、無慈悲の人です。
「果報者」というと、幸せ者、幸運な人の事です。

 

「あれは自業自得だよ」というと、悪い結果を指します。
「果報は寝て待て」の果報とは、良い結果です。
交通事故をおこしてしまった人に、
警官が「まあ、あせるな。果報は寝て待て」とは言いません。

 

善悪両面ある因業と果報なのに、
世間は使い分けています。

 

【メダルと優勝】

 

こういった症例が、
浄土真宗にもあります。
「他力の悲願」という言葉です。

 

先日オリンピックが終わりました。
日本選手の活躍が連日報道され、
メダルをとると、
「○○選手、悲願の○メダル!」

 

また一週間前、カープがセリーグ優勝を果たしました。
すると東京ドームに大きく、
「四半世紀の時をへて、悲願達成」という横断幕が掲げられました。

 

「悲願」という言葉をよく耳にした一ヶ月でした。
同様に、耳にしたのが「他力本願」。

 

「他力[本願]ではなく、自力[本願]で優勝します!」
という某カープ選手。
「決勝トーナメントへの自力進出の可能性は消えました。」
「ナイジェリアがコロンビアに勝ってくれないと決勝へはいけません。」
「他力本願ですね。」
という雰囲気だったオリンピックのサッカー。

 

悲願と他力本願。
共に実現困難な事をやりとげたい人間の願いですが、
一方は良い結果を得た時に使い、
他方はあまり良い時に出てきません。
コロンビアが負けても、
「日本、他力本願の決勝進出!」では、
横断幕になりません。

 

【悲願と他力】

 

浄土真宗は阿弥陀さまの話です。
阿弥陀さまの話のテーマは、「願い」です。
私たちの願いではありません。
阿弥陀という仏さまが、
仏になる以前、法蔵菩薩であった頃の誓いです。

 

これを「本願」といいます。
罪障の私を、
浄土へ間違いなく往生させる誓い、
凡夫の私を、
必ず仏にするという誓いです。

 

私たちではなく、
仏さまの願いですから「他力本願」とか「他力」といいます。
またお慈悲の願いですから「悲願」ともいいます。
親鸞聖人はこの語をよく用いられました。
有名な『歎異鈔』第九条には「他力の悲願」(※1)とあります。

 

しかし世間ではこれが人間の願いとなります。
他力本願は、「無責任」の意味に、
悲願は「大きな目標」になっています。

 

もともとは同じ源流なのに、
違った使用例になっています。

 

【他力の悲願】

 

お釈迦さまは、因果応報を説かれました。
良い行いが良い結果に、
悪い行いが悪い結果に。
すなわち今日という一日、
無駄にするなよ、油断するなよ、
精一杯生きなさいよと励まします。
正しく生きる道、
お念仏の道を説かれます。

 

阿弥陀さまは、他力の悲願をたてられました。
お慈悲の願いを完成させ、
南無阿弥陀仏という名の声の仏に。
すなわち、今この一瞬、
われにまかせよ、心配するなよ、
功徳のありったけを念仏に込めたぞと喚ばれます。

 

「なぜこんなに辛いのか」
「なぜこんなに悲しいのか」と、
煩悩はこの身を煩わせ、心を悩まします。
一秒たりとも休みなく煩悩がある故、
一瞬たりとも休みのないお慈悲の行があります。
仏さまの他力の行、
お念仏の心です。

 

お念仏を通して、
これ以上ない阿弥陀さまのお慈悲の願いを聞きます。
「悲願とは、他ならぬ阿弥陀さまの願いでした。」
阿弥陀さまの心をいただきます。
その他力の信心が因となり、
浄土往生という、
これ以上ない果報となるのです。

 

(※1)
「よくよく案じみれば、
天にをどり地にをどるほどによろこぶべきことをよろこばぬにて、
いよいよ往生は一定とおもひたまふなり。
よろこぶべきこころをおさへてよろこばざるは、
煩悩の所為なり。
しかるに仏かねてしろしめして、
煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、
他力の悲願はかくのごとし、
われらがためなりけりとしられて、
いよいよたのもしくおぼゆるなり。」
(『歎異抄』第九章)
(現代文:
よくよく考えてみますと、
おどりあがるほど大喜びするはずのこと[浄土往生]が喜べないから、
ますます往生は間違いないと思うのです。
喜ぶはずの心が抑えられて喜べないのは、
煩悩のしわざなのです。
そうしたわたしどもであることを、
阿弥陀仏ははじめから知っておられて、
あらゆる煩悩を身にそなえた凡夫であると仰せになっているのですから、
本願はこのようなわたしどものために、
大いなる慈悲の心でおこされたのだなあと気づかされ、
ますますたのもしく思われるのです。)
(『現代語訳 歎異抄』より)

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

摂取の響き

【千鳥ヶ淵】

 

9月18日。
今年も近付いてきました。
第36回 千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要」。

 

東京・国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑において行われます。
12:45から14:15まで。
東京メトロ・東西線で、「九段下駅」下車です。

 

最初に作文の朗読・表彰式、
次に仏教讃歌の斉唱と献華があります。
そして13時15分から「平和の鐘」。
平和宣言があり、
最後は正信偈をお勤めします。
非戦・平和の大切さを次世代に語り伝えてゆく行事です。

 

恥ずかしながら遠方のため、一度も参列したことはありません。
昨今、岩国から東京まで飛行機が飛ぶようになりました。
今年こそは参列!……といいながらなかなか実現しません。

 

【平和の鐘】

 

今年の春頃、知人から電話で、
「平和の鐘」の会場依頼をうけました。

 

岩国ユネスコが5年前からはじめた年一度のイベントです。
集まった人々が、一人ずつ鐘を鳴らし、
平和への思いを馳せる時間を持つのだそうです。

 

夏休みの8月7日、10時に行いました。
お寺で一泊合宿していた30数人の子供達、保護者、
さらにガールスカウトやユネスコ協会員、
さらには外国人の方々、100人以上が集まりました。

 

会長の挨拶、住職の挨拶、平和宣言等の後、
鐘撞き堂へ移り、鐘撞きが始まりました。
ヤーンボンビングでかざられた鐘撞き堂と境内の庭。
いつもと違う専徳寺の風景。

 

フィナーレは、平和への思いを短冊に書き、風船で飛ばしました。
晴天の空に吸い込まれていくたくさんの風船は、とても美しいものでした。

風船

ヤーンボンビング

 

ヤーンボンビング

 

【鐘の声】

 

鐘撞きで思い出す言葉があります。

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」。

『平家物語』冠頭の名句です。

 

恩師のO先生はおっしゃっていました。
「鐘の音ではありません。声です。
子どもや外国人など縁なき人にとって、
お寺の鐘は「ゴーン」という音声にしか聞こえないかもしれません。
しかし、お寺にご縁があり、
お寺に聴聞する人にとって、
鐘の音は、単なる音声から、お釈迦さまの生の説法にかわるのです。」

 

鐘の音に、お釈迦様の生き生きとした声を聞きます。
「『諸行無常』である。
あらゆるものは移り変わって行く。
今ゆるやかに、着実に変わっている自分がいる。
今日の一日、この一瞬、油断するなかれ。」
暑い、辛いと愚痴に煮えたぎる私の心を冷ます音。
実際の音を超えた仏さまの声が、
私の心に響いてきます。

 

【六字の声】

 

『無量寿経』「讃仏偈」には、
「正覚大音 響流十方(しょうがくだいおん こうるじっぽう)」
とのお示しです。
「正覚の大音、響き十方に流る。」(註釈版聖典11頁)
仏さまの覚り、教えは十方に響き渡っているというのです。

 

木も草も 鳥も巌も声あげて 南無阿弥陀仏と喚び渡るかも

 

8月7日の平和の鐘もそうでした。
9月18日の平和の鐘もそうでしょう。
鐘だけではありません。
この私の鼓膜を震わせるものは勿論、
眼に飛び込んでくるもの、
脳裏を直接震わせるもの…、
一様に、仏さまの説法です。

 

縁あればどこででも触れられ、
心を震わせる仏の大音声。
しかし最も大音声として相応しいもの。
私の口から出る南無阿弥陀仏です。

 

南無阿弥陀仏のお念仏。
それは阿弥陀さまの願いの念仏です。
私の本音を聞き、
抜き難い煩悩の根性を知り抜き、
長い思惟の末
私に提示された行です。

 

「行」ですから、勿論、私が行うものです。
しかし一片たりとも、
「こんな心で励め」「こうするとダメだ」という自力の条件はありません。
そうではなく、
それはどこまでも摂取不捨(せっしゅふしゃ。摂め取って捨てない)という、
仏心のあらわれ出た、他力一辺倒の行です。

 

南無阿弥陀仏の六字の声
摂取不捨の響きあり

 

縁なき人には単なる記号、呪文にしか聞こえません。
しかし聴聞し、お念仏のおいわれをしかと聞き受けた者は、
もう「一種の修行みたいなもの」とは思いません。
他人事にはせず、
どこまでも「この私」を捨てない親の喚び声であり、
お慈悲充満のわが境界と知らされるのがお念仏です。

 

【心配もせず】

 

最初に、千鳥ヶ淵での法要の話をしました。
9月18日、13時15分。
「平和の鐘」がつかれます。
同じく同時刻、
全国の多くの浄土真宗のお寺で、
梵鐘(または喚鐘など)が5分間、撞かれます。

 

…もしかしたらその時間、
お寺の鐘の音が聞こえてくるかもしれません。
近くに浄土真宗のお寺がある証拠です。
どうぞお念仏してみてください。

 

鐘の音から、お釈迦様の生の声を聞きます。
それはたとえば諸行無常の説法、
“油断するなよ”とのお諭しなのです。

 

お念仏から、阿弥陀様の喚び声を聞きます。
それはひとえに摂取不捨の本願、
“必ず救う、心配するなよ”との弥陀の直説です。

 

「油断いたしません。されど心配もいたしません。有り難うございます。」
そんな仏さまとのやりとりを、
鐘の音・お念仏の中にいただきつつ、
平和への思い、
「世の中安穏なれ」(親鸞聖人)に思いを馳せることです。

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

星の光

【一つではなく】

 

夜、子どもと一緒に温泉へ行った時のことです。

 

露天風呂へ入って、息子が言いました。
「お父さん、見て、星が出てる。」
「…そうだね。綺麗だね。」
星には星座というのが、と言いかけた時、
「四つあるね。」
「……四つ?」

 

私には一つしか見えていませんでした。
眼鏡をかけていない私。
よーく、目を凝らしてみると、小さな星がもう一つ見えました。
けれど残り2つ、どうやっても見えません。

 

子どもより自分はいろんな物を見て知っていると思っていた私。
案外、見えてないものが多いのかなと、
教えられました。

 

【真砂の仏】

 

考えてみると、4つだけではありません。
私にも子どもにも見えませんが、
空にはたくさんの星の光があるはずです。
そしてそれと同じくらい、
仏さまもおられます。

 

九条武子さん作詞の仏教讃歌、
「聖夜」にはこうあります。

 

1 .星の夜空の うつくしさ
たれかは知るや 天のなぞ
無数のひとみ 輝けば
歓喜になごむ わがこころ

 

2. ガンジス河の 真砂より
あまたおわする ほとけたち
よるひるつねに 守らすと
聞くになごめる わがこころ

 

夜空には、ガンジス河の砂の数ほどの、
星があります。
同様に、たくさんの仏さまが、
私を見つめてくださっています。
そして守ってくださいます。

 

守っておられる対象は、
阿弥陀さまの経、み教えです。

 

「恒河沙数の諸仏ましまして、
おのおのその国において、広長の舌相を出し、
あまねく三千大千世界に覆ひて、
誠実の言を説きたまはく、
〈なんぢら衆生、
まさにこの不可思議の功徳を称讃したまふ
一切諸仏に護念せらるる経を信ずべし〉と。」
(『阿弥陀経』(六方段))

 

私たちの身近な先祖も、
遠い先祖も、
私たちの身近な人々も、
会ったことのない遠い歴史の人々も、
今、守っているものがあります。
それは、他でもない、
私にもっとも相応しい教え、
他力のお慈悲の法義です。

 

どんなに病気で辛い身になろうと、
どんなに家族が辛い境遇だろうと、
どんなに将来が辛い状況だろうと、
どんなに社会が辛い現実だろうと、
今、小さく、けれども確かなお慈悲の光が届いています。

 

【ささやかな幸せ】

 

今年7月7日、永六輔さんが往生されました。
七夕の日、覚えやすい。
放送作家であり、タレント。
ラジオ等のパーソナリティであり随筆家という多才な方でした。
そして作詞家でした。

 

有名なのは「上を向いて歩こう」
「こんにちは赤ちゃん」
「帰ろかな」、「いい湯だな」、「遠くへ行きたい」、
そして、「見上げてごらん夜の星を」

 

 見上げてごらん夜の星を
 小さな星の 小さな光りが
 ささやかな幸せを うたってる

 

 見上げてごらん 夜の星を
 ぼくらのように 名もない星が
 ささやかな幸せを 祈ってる

 

50年以上前の歌です。
悲しいけれども、力溢れる素敵な歌です。
…ちなみに歌手の坂本九さんの命日は、8月12日。
亡くなって31年です。

 

見えない程ちいさくて大きな星の光があります。
そこから、
今、数限りない、多くのいのちの存在を教えられます。
そして、覚えきれませんが、
これまで数え切れない、たくさんのいのちとご縁あった私を知らされます。
そして、
いのちが皆、一様に、ある「幸せ」を歌っていのっています。

 

聖人は「後世をいのる」と言われたそうです(恵信尼文書)。
俗世間の尺度をこえた、
人間の知恵の世界をこえた、
出世間の尺度、
仏の智慧、仏智をあおぐ生き方です。
決して崩れない仏智の心をいただくとき、
幸せの本質ともいうべき、
確かな安堵心が生じます。

 

大概、「幸せ」といえば、お金・健康に目が向く私です。
そんな私の目を覚まさせるのが星の光です。
あらゆる物事は、全て、
私に「本当の幸せ」に眼をむけさせようと、
導き、教えも守り伝えてくださいます。
単なる環境・知恵ではありません。
私が仏の道を歩むご縁をくださった方ですから、
当然、仏さまと呼ぶに相応しい方なのです。

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

お仕舞い

【没後20年】

 

「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、
人呼んでフーテンの寅と発します。」

 

8月4日は、『男はつらいよ』の寅さんでおなじみ、渥美清さんの命日です。
今年は没後20年。
ついこないだ亡くなられたと思っていたのに…驚きです。

 

山田洋次監督、映画『男はつらいよ』は、
1969年(昭和44年)8月27日に第1作が公開され、
1995年(平成7年)までに全48作が上映されました。

 

話の流れは、毎回ほぼ同じでした。
旅先で出遇ったマドンナに惚れる寅さん。
何かと世話を焼くうちに相手も寅さんに好意をもちます。
その後、舞台は柴又の「とらや」へ。
賑やかな人情喜劇が展開されます。

 

映画の最後、マドンナの恋人が現れます。
失恋した寅さんは、
再びテキ屋稼業の旅に出るのです。

 

「信州信濃の新そばよりも、あたしゃあなたのそばがよい。」
「どう、ひとこえ千円といきたいが、ダメか、八百、六百、
よし、腹切ったつもりで五百両、もってけ、オイ!」

 

傷心のまま、
けれども決して落ち込んだ雰囲気を見せず、
元気に啖呵売する寅さんです。

 

【それをいっちゃあ】

 

寅さんには、何度も出てくる有名なセリフがあります。

 

「それを言っちゃあ、お仕舞いよ!」

 

このセリフ、もともと脚本にないアドリブだったそうです。
第一作で、家族と口論した時、
とっさに寅さん(渥美清さん)が言い放ちました。

 

「出てってくれ!」
「それを言っちゃあお仕舞いよ!」

 

その後、監督の意向で何度も映画で出てくるようになりました。

 

余談ですが、このセリフ、ドラエモンもよく言います。

 

「どうせ僕にできるわけないんだ!」
「のび太くん、それをいっちゃあおしまいだよ。」

 

こんな具合でしょうか、
ドラエモンがのび太くんと喧嘩する時に、よく出てきました。

 

「それをいっちゃあ、おしまいよ。」

 

相手の言うことは一理あり、本当のことです。
けれどもそれは言ったら何も始まりません。
言ってはいけない言葉、禁句なのです。
寅さんの台詞から始まったこの言葉は、
相手の発言を優しく諭す粋な言葉になりました。

 

……

 

「温暖化抑制…、資源節約…、ゴミ削減…、
自分一人が努力したところで、どうにもらならないよね。」
それを言っちゃあ、おしまいです。

 

「どう?美味しい?まずい?」
「大丈夫。腹の中に入れば一緒だから。」
それをいっちゃあ、夫婦の仲はおしまいです。

 

親「お前の学費も食費も全部俺が払ってるんだぞ」
お父さん、それをいっちゃあおしまいです。

 

「ウルトラマンって、
初めからスペシューム光線を使えば、ボコボコにされなくて済むと思うのに」
それをいっちゃあ、ウルトラマンに限らず、ヒーロー世界は全て、おしまいです。
 (参照:http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2347258.html)

 

【お聴聞】

 

葬儀は悲しみから、大切な事を学ぶ場です。
しかし時々、間違って学ぶ方がおられます。

 

「結局、最後は棺の中に入っていくのだ。」

 

「人間、いつか、みんな死ぬんだから。
今のうちに楽しみたいだけ楽しんどかないと。」

 

「どんな人間も死ぬ時は平等、同じ白骨だ。」

 

それを言っちゃあ、おしまいです。

 

お釈迦さまは「諸行無常」を説かれました。
決してとどまらず、移り変わる世の中。
その代表が老・病・死です。

 

さけがたい死です。
人間の死亡率は100%。
しかしそれは決して「運命だ。諦めろ」と言っているのではないのです。
「空しくおしまいとはならない道理にであってくれ」と言いたいのです。

 

死という、ままにならない苦しみを真正面からみつめる時、
仏教という世界の入り口にたちます。

 

苦しみの原因である煩悩をみつめ、
苦しみのない覚りの世界があることを知り、
そこに到るための道を求めます。

 

浄土真宗は、
その道を、“お聴聞”と定めます。
日々殺生し、愚痴をこぼし、心が散り乱れた、
罪悪深重の私には他にないのです。

 

如来さまの大悲のはたらきを聴聞します。
法蔵菩薩の物語にはじまり、
名号という、名の声の仏にであいます。
仏の願いの心にふれ、
仏による、あの手この手の救いの活動に気づかされます。

 

聴聞に始まり、聴聞に終わる。
何も特別な瞑想だの、言霊・呪文だの、
家にお札をはるだの、何度も願かけする必要はありません。
祈祷も、祈りも、黙祷も、迎え火も送り火もです。
聴聞し、「南無阿弥陀仏」と、
お念仏というお礼をする以外、用事がないのです。
あとは必至に自らの生活・人生をありのままに生きます。
如来様から賜ったいのち、
煩悩だらけ、愚痴だらけですが、
大切にせずにはいられません。

 

…煩悩まみれの私です。
何が出てくるか分からない私。
生活の苦しさ、病気のつらさ等、
最後は自分で自分の首をしめるかもしれません。
けれどもそんな私を阿弥陀さまは「許さない」とはおっしゃいません。
「あなたを救えなかったら、私は仏にはならない」と、
仏の願い心は微塵も揺るぎません。

 

「たしかに人生は邂逅と別離のくりかえし。
でも、別れが別れのまま終わらない、
仏の世界にであえました。
亡きあなたのお陰、数限りない皆さんのお陰です。」

 

「結局、最後は人間、棺の中かもしれない。
しかし人間、いつか、みんな死ぬんだからと、
今のうちに楽しみたいだけ楽しんでおくだけでは勿体ない。
「一切群生蒙光照(いっさいぐんじょうむこうしょう ※正信偈の親鸞聖人のことば)」。
死ぬからこそ、今、この一瞬、仏のお慈悲の光が私を照らしていること。
かけがえのない貴重な時間をいただきます。」

 

死の見つめ方を見直します。
法事を通して、み教えをいただく人間に。
「南無阿弥陀仏」
お念仏申す時、決しておしまいにさせない生き方が、
そこにはあります。

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

寝ずの番

【白蓮華のこよみ】

 

先日、第4連区布教使研修会が、
島根県の松江市で開かれました。

 

その際、記念品でいただいたのが、
『ー山陰妙好人のことば36選ー 白蓮華のこよみ』という冊子です。

 

白蓮華のこよみ

 

妙好人とは、念仏者をほめたたえていう語で、
浄土真宗の篤信者をいいます。

 

山陰地方(島根県・鳥取県)には、
浄土真宗のみ教えに遇い念仏の人生を歩まれた数多くの方がおられます。

 

代表的なのは、

  • 因幡の源左
  • 浅原才市(島根県大田(おおだ)市)
  • 小川仲造(島根県江津市嘉久志(かくし)町)
  • 有福の善太郎(島根県浜田市有福町)

 

その4名の「ことば」を36に選んだ冊子です。

 

  • 「こっちは忘れても 親さんは 忘れんだけのう」(源左)
  • 「耳の穴から 心の底へ 入れて下さる 六字のいわれ」(仲造)
  • 「聞いて たすかるじゃない たすけてあるのを 聞くばかり」(才市)
  • 「むこうから 思われて 思いとられる この善太郎」(善太郎)

 

絵や揮毫(きごう)も素敵な冊子です。
500円で山陰教区にて販売しています。

 

【心の火の中に】

 

そんな冊子の「7月」より一つ紹介させていただきます。

 

  才市の心の火の中に
  大悲の親は 寝ずのばん

 

私の中で、
いつも煩悩の火種がくすぶっており、
消えることがありません。
それが、
ある時突然に大きな炎となって燃え上がります。
そのことに気がつかず眠りこけている私に、
如来さまは一睡もせず、
南無阿弥陀仏の喚び声となって、
警鐘を鳴らし続けてくださいます。
白蓮華のこよみ-7月-3-

 

 

【筆の所作】

 

さて、そんな研修会に行く途中、
インターで昼食をとっていました。
するとテレビである番組が。
女性が書道を習っていました。
どうやら「女性の色気」を学ぶ番組のようでした。

 

指導の先生が言います。

 

「書道に大切なことは「粗密(そみつ)」です。」

 

粗いことと細かいこと、要するにメリハリなのだそうです。
線の使い方や余白の使い方、
そこにメリハリをもたせると良いのだとか。

 

「色気は、心のメリハリから生まれるのよ」と、
タレントのIKKOさんが話していました。
…わかるような、わからないような。

 

ところで、その書道の先生がもう一つ言われた事が印象的でした。

 

「書道は、次の一画にうつる時の筆遣いが大切です。」

 

一画から次の一画へ、
その時の筆の所作が美しくないと、
その書は色あせてきます。
半紙に墨をつける前から、
字の良さは決まってくるのです。

 

表面にはみえない部分。
そういう所が大切なのです。
大人の色気、人間の魅力も、
そういった他人の目に見えない所、
日常生活の美しさから、
自然とあらわれるのかもしれません。

 

【六字の流れ】

 

南無阿弥陀仏が 目に見えぬ
大きなご恩で 目に見えぬ(才市)

 

現在、盆参りの毎日です。
綺麗に荘厳されたお仏壇。
その隣はたいてい床の間で、たいてい「南無阿弥陀仏」の掛け軸です。

 

美しい六字の名号。
しかし問題はその字の裏に、
神経をとぎらせない美しい筆遣いの所作がありました。

 

そのことを通して、
如来様のはるかなる所作・はたらきをいただきます。

 

過去現在未来、
十方微塵世界に充ち満ちてくださる如来のお慈悲です。
あまりにも広大無辺なはたらきですから、
私たちには分かりようもありません。

 

そこで私たちの心に届くべく、
如来さまの方から形となってあらわれてくださいました。
法蔵菩薩という物語に始まり、
はるかな日数の後、
南無阿弥陀仏という名号が仕上がりました。

 

読経の後は「短念仏」です。
経本を見ながら六回、お念仏します。

 

目に見え、耳に聞こえる南無阿弥陀仏です。
しかし目に見えるまでの、
耳に聞こえるまでの、
南無阿弥陀仏の裏側の世界、
阿弥陀さまの汚れなき所作があります。
消えることなき私の煩悩の火を、
たえず注視せんがための所作です。

 

お勤めが終わればすっかり阿弥陀さまのことを忘れていました。
「こっちは忘れても 親さんは 忘れんだけのう」
たえず見てくださいます。

 

「むこうから 思われて 思いとられる この善太郎」
たえず思ってくださいます。

 

「耳の穴から 心の底へ 入れて下さる 六字のいわれ」
はなれずいてくださいます。

 

「聞いて たすかるじゃない たすけてあるのを 聞くばかり」
私の小賢しい知恵の
入る余地のない、
はるかなご恩です。

 

「仏さまなんて……目に見えないものなんて……」ではありません。
目に見えないほどの心、
さらに
目に見えるほどまでのはたらき、
この心と行(はたらき)のお慈悲に浸らされていたことを思う、
お盆参りです。

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

アミダ記念日

【命日】

 

「さくらさくらさくら咲き初め咲き終り なにもなかったような公園」(俵万智)

 

「開花宣言が出ました!」
「今は五分咲きです。」
「もう八分咲きです。」
春先、頻繁にニュースで流れる桜の開花。
しかし花見も終わると、
誰も桜について語りません。
目の前に桜の木があっても通り過ぎるだけです。
数週間前の賑わいは何だったのか。

 

「がんで入院されました。」
「交通事故で、入院中です。」
「○○さんが闘病の末、亡くなりました。」
時々、芸能人や有名人の病気やケガのニュースが流れます。
亡くなられると誰もが別れを惜しみます。
が、葬儀が終わり一週間、語る人は減ってきます。
49日、ましてや100ヶ日にもなれば、
その人の事はすっかり忘れたかのような世間。
故人はまるでこの世に存在しなかったかのような、
淡々とした日常風景です。

 

しかし世間は忘れても、
忘れられないのが身内です。

 

亡くなった日を「命日」といいます。
それは故人の面影が偲ばれ、
数々の思い出がよみがえる日です。

 

【願いのこころ】

 

同時に命日は、「み教え」を聞く日でもあります。
故人が命をかけて私たちに、
大切な事を伝えようとしてくださった日です
それは人生の中心となるものです。
避けがたい苦難を、私が受け止めていける揺るぎないものです。
喜びも悲しみも、幸せな時も辛い時も、
変わらず私に寄り添いつづける、まことの法(道理)です。

 

仏教では、ウソいつわりのない真実の法を、
仏の智慧ともいい、慈悲ともいいます。
『阿弥陀経』では、
それを阿弥陀さまのお浄土の世界をもって示されます。

 

お経にはお浄土の成り立ちについて説かれてあります。
「どうやってお浄土はできたのか。」
きっかけは法蔵菩薩がおこした本願です。
親鸞聖人は、
その本願のこころを丁寧にお説き下さいました。

 

【短歌のこころ】

 

短歌は事実と違っても良いのだそうです。
事実よりも作者が表現したい内容の方が大事だからです。

 

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日(俵万智)

 

ご存じ『サラダ記念日』の中の一首です。

 

しかし当初、この歌は唐揚げ記念日だったそうです。

 

カレー味のからあげ君がおいしいと言った記念日六月七日

 

しかしこれでは日記です。
そこで推考の末、からあげをサラダに、六月七日は七月七日になりました。

 

サラダ、七月……サ行はさわやかです。
また七月は夏の初め……若者が青春を謳歌する季節。
作者の描きたい世界がきれいに表現されています(※1)。

 

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日(俵万智)

 

サラダを食べよう、と宣伝している歌ではありません。
七月六日でなければいけないこともありません。
この歌のこころ、
本質は初々しい二人がつくりあげる空気感です。

 

【アミダ記念日】

 

阿弥陀さまの願い。
それはどこまでも私を救わんとするやるせないお慈悲の思いです。

 

罪深き悪人の私をやさしく見つめ、
だからこそ「お浄土へ生まれさせたい」と願われました。
どこまでも仏心から離れていく私と知り抜き、
故に「南無阿弥陀仏という名の声の仏になって離さない」と誓われました。
死ぬまで不安を乗り越えられない私のために、
死ぬまで「私がいるよ」と喚び続けられる仏になる事を宣言されました。

 

お念仏は阿弥陀さまの願いのこころを聞くものです。

 

いつでもどこでも、
お念仏申す時、
「あなたを落とすようなことがあるなら、私は仏にはならない」と、
阿弥陀さまの生の声を聞きます。
闇を破る智慧、
決して離さず私にしみこむ仏さまのはたらきに触れます。
かめばかむほど味わい深いお慈悲の味です。

 

この味がいいよと君が言ったから○月○日はアミダ記念日

 

故人の命日は、
み教えを私にバトンタッチしてくださった日、
み教えのかけがえのなさを教えてくださった日です。

 

命の日。
単に今生の命がつきた日ではありません。
故人の命がお浄土の世界で仏となった日でもあります。

 

そして私に命じている日です。
「このお念仏のお慈悲の味わいを、あなたも聞き受けとってほしい。」
故人が仏となって、いつでも私に教え願っていてくださることを、
「そうでした」と、念仏を通してお聴聞する日です。

 

「○月○日はアミダ記念日。」
故人の命日は、
今までそっぽを向いていた私が、
阿弥陀さまに出遇った日です。
普段通りですが、
少しお荘厳に気を遣い、
あらためてお仏壇に手を合わせ、
お念仏申させていただきます。

 

(おわり)

 

(※1)
ちなみに、
この話を講演会でしてくださった東直子さんにも、
次の一首があります。

 

そうですかきれいでしたかわたくしは小鳥を売ってくらしています。

 

自分のエピソードではありません。
前半はテレビで流れていた郷ひろみさんの台詞なのだそうです。
ですから「わたくし」は架空の人です。
しかしそれによって物語性が生まれ、広がりができます。

 

単なる別の人に嫁いだ元恋人を思う歌から、
様々な過去の末、
今、静かでつつましやかな生活を送る歌に変わりました。

 

誰もが様々な過去を持っています。
各々、目には見えませんが、多くの人と交わってきた私たちです。
過去をもち、過去と別れ、今まさに一人生きています。
普遍的な人間像が、ここに表現されています。

 

  ※冒頭へ

 

 

 

真宗病院

【病気】

 

今年ももうすぐ半年が終わります。
それにしても病気の多い半年です。

 

40肩に始まり、
二ヶ月連続のギックリ腰。
その間、風邪を引いてしまいました。
クシャミするたびに治りかけた腰に痛みが。
これには参りました。

 

五月の夏風邪は、なかなか咳・タンがとまらず、
読経に苦しみました。

 

そして現在は歯痛です。
病院にいかなければとは思うのですが…。

 

【歯科医】

 

テレビ番組「笑点」の新しい司会者Sさんが、昔、こんな話をしていました。

 

歯の痛みに耐えかね、
観念して病院へ行ったSさん。
治療する為のイスに座って「嫌だなぁ」と待っていると、
隣のお婆ちゃんの診察が始まりました。

 

先生がたずねます。

 

 「それで、どこが痛いのですか?」

 

するとお婆ちゃん、「右肩です。」

 

隣で聞いていたSさん、
「そんな馬鹿な。歯が痛いのでしょ!」
しかし歯医者さんは平然と、

 

「……そうですか。じゃ、口を開けて。」

 

淡々と治療が始まったそうです。
その様子がおかしく、
けれども平然とした態度にある種の安心感もおきたそうです。

 

さて後日、この事を笑点の友人Tさんに言いました。
するとTさんも似たような話をしてくれました。

 

治療をしていたTさん。
その隣の席に先生が来られました。

 

「はい、それでお婆ちゃん、今日はどこが痛いのですか?」

 

するとお婆ちゃん、「はい、ココです。」

 

少し静かなので、Tさんは何気なく薄目で隣を見たそうです。
するとお婆さんは、おもむろに入れ歯を外し、
その入れ歯の一点を指さしていました。
歯のない抜けた声で、
「キョキョです。キョの辺り。」

 

“入れ歯なんだから痛いわけないだろう!”と、
突っ込みたいのを必死でこらえたTさん。

 

「……そうですか。じゃ、口を開けて。」

 

歯医者さんはやっぱり淡々と治療が始めたそうです。

 

【病院】

 

お寺はたとえるなら心の病院です。

 

医者はお釈迦さまです。
お経を著されました。
お経はある意味、
私を診断したお釈迦さまのカルテ(診察記録簿(しんさつきろくぼ))です。

 

患者は他ならぬ私、凡夫です。

 

そして一番大切な薬は、
本堂内陣(ないじん)のご本尊、阿弥陀如来です。
「南無阿弥陀仏」という、声の仏になられた仏さまです。

 

お寺の本堂は法話を聞く所です。
法話を通して、阿弥陀さまの話、
「南無阿弥陀仏」という名号(みょうごう)(お名前)のおいわれを聞きます。
これを、「お聴聞(ちょうもん)」といいます。

 

【治療】

 

 「病気で、気分が落ち込みます。」
 「人間(家族)関係がうまくいきません。」
 「大切な人を失いました。」

 

お寺にはいろんな方が来寺されます。

 

「別に、どこも悪くありません。」
「付き添いです。」

 

結構です。どなたもようこそご来寺です。

 

共に本堂で読経し、共にお聴聞します。

 

「私は健康です。読経も聴聞も関係ない」という方にも、
医師であるお釈迦さまは淡々と治療(説法)されます。
私たちの気づかない“歯痛”を知っているからです。

 

【薬】

 

お寺が治そうとする病。
それは人間苦(にんげんく)。
誰もが抱える「人生そのものの苦悩」です。

 

「生老病死」(しょうろうびょうし)です。
私たちは必ず、老い、病み、死んでいかねばなりません。

 

この苦悩、凡夫の私にはピンときません。
先程の二人のお婆ちゃんと同様、忘れがち、勘違いしがちです。
しかし、私たち全員に共通の大問題です。

 

阿弥陀さまという薬は、
「人生そのものの苦悩」を解決します。

 

私の苦悩を己が痛みとして受け止め、
「痛いなぁ、つらいなあ」と呻いてくださる心がありました。
その痛みを解決すべく、
はるかな時間をかけて悩み、本願を誓われました。
そして本願成就、誓いを果たし遂げるべく修行され、
結果、名号“南無阿弥陀仏”の仏となられました。

 

本願が因、名号が果(みのり)です。

 

「南無阿弥陀仏」という念仏。
それは如来の「このままではダメだよ」といった叱咤激励ではありません。
「私にまかせよ」、
「ここにいるぞ、一人にはさせぬよ」と、
大声で語りかけてくださる仏さまの慈悲の心です。

 

お聴聞は、その阿弥陀さまの心に触れる、出遇いの場です。

 

「きっと大丈夫だ」、「なんとかなる」「自分を信じて」…自問自答が一番の壁です。

 

【服用後】

 

今、各々がじっと抱える様々な悩みがあります。
阿弥陀さまと出遇った時、
新たな一歩が開けます。
「阿弥陀さまは何と言われるか」と相談し、
「我にまかせよ。必ず救う」の声を聞きながら歩む道です。

 

【緊急病棟】

 

真宗の病院は、
救急病院です。

 

「明日ありと思う心のあだ桜……」と親鸞聖人は歌われましたが、
明日を待っていられない事態の私です。
「人間は出づる息は入るをまたぬ」と蓮如上人は言われましたが、
緊急手術を要する私なのです。

 

そういう相手と見抜いた仏さま故の、
他力の救い、名号による救いのはたらきです。

 

時間がありません。
急ぎ念仏申す日暮らしです。
しかし如来さまの心をいただいた時、
それはそのまま、
「間に合いました」と、
余韻の響き果てしない念仏としらされます。

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

法雨をそそぐ

【雨と水】

 

先日から少し早い梅雨入りになりました。

 

日曜日、朝食後に子供達と本堂の掃除をしていると、
掃除に飽きた二歳の娘が、
欄干にもたれて外を見ていました。

 

「何を見ているの?」
「水。」

 

境内にしとしとと降る雨。
降っているのは「雨」ですが、たしかに「水」です。
言われてみると、どこもかしこも「水」だらけです。
見上げた一面の雲も……水です。

 

雲、雨、地面の水たまり、
みな中身は全て同じ水です。

 

同様に、
私の今申す念仏も、信心も、
阿弥陀さまも何もかも、
みな中身は一つです。
それを名号、「南無阿弥陀仏」といいます。

 

確かに信心や念仏は、
私が開き発し起すものです。
しかし中身はみな恵まれた名号。
恵まれた信心・念仏であり、
他力の信心・念仏です。

 

【法の雨】

 

阿弥陀さまは「あらゆる者を救いたい」と願い、
「南無阿弥陀仏の名号となって救う」と誓われました。
苦労の末、誓い通りの仏となった阿弥陀さまは、
名号にすべての功徳を具えた仏、
名の声の仏となられました。

 

限りない功徳を具えた仏さまは、
今、他でもない私の所に、
たとえば光明となり、
時には仏・菩薩の姿となってはたらき続けます。
しかし何と言っても、中身は南無阿弥陀仏の名号です。
「必ず救うぞ」という喚び声となって到り届きます。

 

その功徳が届いた私の心を信心といいます。
この信心が最も大切な因(たね)です。
結果、必ず浄土で仏になる果報となります。
因が間違いなので、果も間違いないのです。

 

たとえるなら阿弥陀さまは雲、
光明といった法のはたらきは雨、
信心は水たまりでしょうか。
その水たまりにできる波紋が念仏かもしれません。
すべて同じ、名号という水です。

 

他力の法義です。
私の出る幕は全くありませんでした。
その身そのままおまかせできる世界があります。
阿弥陀さまの一人働きです。

 

【傘をささずに】

 

傘をささない事です。
傘を差したら濡れません。
水たまりはできません。
自分勝手に宗教を考えたり、阿弥陀さまを捉えたりせず、
ただ聞法、お聴聞いたします。

 

なお、この水たまりですが、
「泥の水たまり」です。
信心が濁っている、
如来様の功徳が汚れているのではありません。
ここでいう「泥」は、煩悩にたとえられます。
欲望・怒り・愚痴でみちあふれた私。
極重の悪人は私であったと知らされます。

 

それだけなら、正直知りたくなかった事実です。
「だから宗教なんて聞きたくないのだ」と言われるかもしれません。

 

そうではないのです。
水たまりができるのは、雨が届き、充分に溜まった後です。
如来様の救いが届いた後に見る泥水は、
「罪を反省しなければならない」という泥水ではありません。
それも自分勝手な心、自力心です。
傘を差しています。

 

泥水には、慚愧(ざんぎ)と歓喜が混じり合っています。
「如来様が救うといわれた私はこんな姿だったのですか」、
「お恥ずかしい事です」という慚愧(ざんぎ)と同時に、
「こんな私を救うと喚ばれるのですか」、
「勿体なく存じます」という歓喜、
そんな二つの心模様が一緒になって、水たまりに映っています。

 

やわらかな慈悲の雨を思う、
今年も梅雨の時期です。

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

幸せの帰順

【子ども川柳】

 

祖父母が入所しているケアハウスの「献立表」には、
川柳が掲載されています。

 

 妻の声 昔ときめき 今動悸(おとうさん川柳)
 きれいだと ほめてもらった 胃の写真(おくさま川柳)
 懐かしい 母校の便り 寄付の依頼

 

いつも祖母と笑って読みます。

 

そんな中、こんな「こども川柳」がありました。

 

 幸せは 逆さにしても 幸せだ

 

確かに「幸」の漢字は、ひっくり返しても「幸」です。
子どもは面白いつもりで詠んだのかもしれません。
しかし単に面白いだけでなく、有り難い歌です。

 

「幸」に限らず、反対にしても同じ漢字はいくらでもあります。
ならば違う漢字でも良いのでしょうか?

 

「丼は 逆さにしても 丼だ」

 

川柳として面白いですが、有り難くありません。

 

幸せとは、どんなにひっくり返っても変わらないもの、
普段の生活、突然の災難がやってきても、
それを乗り越えていけるもの、
それが本当の幸せですよ……、
そんな答えがこの歌から聞こえてきます。

 

【幸せの基準】

 

幸福度調査というものがあります。
国連の支援を受けてコロンビア大学地球研究所が2013年9月に発表しました。
幸せについて基準を設けた幸福度。
評価基準は、以下の6つでした。

 

  1.  富裕度(経済的豊かさ)
  2.  健康度(健康寿命)
  3.  自由度(人生において自らの選択権)
  4.  依頼度(頼ることができる人の有無)
  5.  クリーン度(汚職の有無)
  6.  寛容度(同じ国の人々の寛大さ)

 

日本は156国中、43位でした。
上位は欧米諸国が独占。
それはそうでしょう、向こうの指標ですから。

 

さて、この幸福度というのは便利です。

 

「あなた幸せですか?」
「はい。」
「どのくらい幸せですか?」
「ええっと……?」

 

幸福度があれば答えられます。
「自分は世界の基準からすれば、このくらい幸福です」と。
しかし気をつけないと、
おかしな方向に幸福を考えてしまいがちです。
たとえば「富裕」であればあるほど幸せなのですから、
どこまでも富裕さを求める考えを否定できなくなります。
また富裕でなければ必然的に「不幸」ということになります。

 

 『幸せ』は 逆さにしても 幸せだ

 

たとえ全ての幸福度の基準が低くても、
幸せといえる世界があります。
決して変らないものをいただいた世界です。

 

【足を知る】

 

「山のあなた(彼方)の空遠く 
「幸(さいわい)」住むと人のいう。
噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになお遠く 
「幸(さいわい)」住むとひとの言う」
(カール・ブッセ作 上田 敏訳)

 

あの山の向こうに「幸せ」があると聞いて、
友と共に行きましたが、何一つ得られませんでした。
がっかりしていると、人は言います。
「幸せはあの山の、向こうの向こうにあるのです。」

 

切なくも美しいブッセの詩・上田氏の訳は、
けれども何か大切な事を教えてくれます。
それは幸せの所在です。
幸せは遠くではなく、探し求めている今、
この何気ない日常の中に既にあるのかもしれません。

 

「幸」という漢字の語原は、
一説には「手かせの象形文字」といわれます(漢字源)。
しかしまた諸橋氏の説明などは逆で、
「夭」(災害)と
「■」(逆のシンニョウがないもの)(不順の意。避けてついて行かない)の会意文字だそうです。
つまり語原の意味は、「災害を避け逃げる」。
「死すべくして生きるを幸と曰ふ」(『論語』)とあるように、
長生きではなく、
今、まさに無事に生きている、生かされている、そのことが「幸」なのです。
普通の平凡な生活、しかし見方によっては事なき特別な日々ともいえます。

 

生まれがたき身に生まれた幸せ。
今日まで無事で生きてきた幸せ。
様々な思い出が蘇る幸せ。
水が飲める幸せ。
呼吸ができる幸せ。
会話ができる幸せ。
仕事ができる幸せ。
雨宿りできる場所がある幸せ。

 

「吾(われ)、只(ただ)足(たる)を知る」という禅語があります。
「まだまだ足りない」と、隣の家の赤い花を見て、
不満を言いがちな私たちですが、
「これもある。あれもある」と気づくことが大切です。
幸せの極意です。

 

【幸せの帰順】

 

ところで『歎異抄』序分には、こうあります。

 

幸ひに有縁の知識によらずんば、いかでか易行の一門に入ることを 得んや。
まつたく自見の覚悟をもつて他力の宗旨を乱ることなかれ。
(【現代語訳】 幸いにも縁あって、まことの教えを示してくださる方に出会うことがなかったなら、
どうしてこの易行の道に入ることができるでしょうか。
決して、自分勝手な考えにとらわれて、本願他力の教えのかなめを思い誤ることがあってはなりません。)

 

この『歎異抄』の「幸い」とは予期せぬ出遇い、不思議なご縁の事です。
元々「しあわせ」は、「仕合」と書きます。
仕と合う。
仕えるべき相手と出合うという意味合いでしょうか。
辞書には「めぐりあわせ。機会」とあります。

 

如来の救いを教授くださる人に出遇えました。
煩悩まみれの自分です。
それを「我」といいます。
そんな「我」の勝手な思い込み(我執)から自由になることのできた境地です。
正しい宗教をもつという事は、
決して「独りよがり」になりません。

 

『歎異抄』の作者は唯円という親鸞聖人の弟子といわれます。
唯円も、そして親鸞聖人も、
人間の打ち立てる「富・名声」といった願望を幸せの基準にしませんでした。
また「どの程度、仏の心に近づいたか」という、
所謂“自力度”も採用しませんでした。
そうではなく、
「あらゆるものを必ず私と同じ仏の心にする」という、
仏さまの願われた幸せ、
所謂“他力度”を基準とされました。

 

他力度は、ゼロか100かのどちらかです。
仏の願いを聞いたか、聞き損じているか。
故に親鸞聖人は、
「帰命無量寿如来(無量寿如来に帰命します)」と、
その如来さまの「われにまかせよ」という勅命に帰依・信順されました。

 

基準(きじゅん)と帰順(きじゅん))は同音異義語です。

 

聴聞を通して、
仏さまの幸せの基準を聞き、
仏さまへの帰順(帰依信順)をいただきます。
何をよりどころにするのか。
何を信じ順うのか。

 

決して崩れないよりどころがあります。
どんなに波瀾万丈の人生、ひっくり返る人生であっても、
変わらないものがあります。
正しいよりどころ、帰順をもつ。
それくらい幸せなことはありません。

 

余計な事は忘れてしまいたくなるような、
忙しい世の中です。
便利になった分、
乾いた世間、心の荒廃が叫ばれます。

 

便利さで得る幸せもあります。
しかし本当の幸せは、
便利・不便の尺度にはないのです。

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

(※1)
なお、OECD経済協力開発機構(本部はパリ)では、
各国の暮らしの豊かさ・幸福度について、
11の項目を指標としています。
F住居
G収入
H雇用
I社会のつながり、
J教育
K環境
L政治の信頼、
M健康
N生活の満足度
O安全、
Pワーク・ライフバランス
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000138078

 

 

 

マナーとしての聴聞

【名著】

 

「100de名著」というテレビ番組があります。
25分の番組で、
4回にわたって一冊の本の要点を知る番組です。

 

先月とりあげられた名著は『歎異抄』でした。
親鸞聖人の弟子の唯円が書き著したとされる書物で、
短い文書の中に、浄土真宗の中身が凝縮されています。

 

番組の一回目、解説のS先生が言われました。
「(この書物は)大変誤解を生じやすい書です。」
通常の仏教のイメージ、
「高僧が修行して、得た功徳によって人々を教化する」とは全く違うのです。
「丁寧に読んでいきましょう。」

 

久しぶりに親鸞聖人がテレビで取り上げられ、
楽しく観させてもらいました。

 

【誤解】

 

『歎異抄』に限らず、
浄土真宗はとかく誤解を生みやすい教えです。
「なぜ念仏一つで救われるのか?」
「念仏一つなんて、偏っていないか?」
「他の行をしては、駄目なんですか?」

 

だからこそ「お聴聞」が大切です。
真宗の寺院で年に数度、法座が開かれるのは、
伝統行事だからでも、ご利益を得るためでもなく、
お聴聞のご縁にあうためです。
お念仏の成り立ちを聞き、
念仏の真意にふれるご縁です。

 

しかし聴聞していても、なかなか誤解はとけません。
「他力本願? 他人をたよってばかりでいいのか?」
「なぜ自力がいけないの? ボランティアは駄目なの?」
さらには、
「悪人正機……悪人が救われる?あんな悪い人が?」
「往生浄土……死んだ後、お浄土へ行く?本当にあるのか?」
ピンときません。
悪人は他人の話、浄土は死んだ後の話で、
今の自分には無関係と、敬遠しがちです。

 

【マナー】

 

最近知った英語のことわざがあります。

 

「Manners make the man(マナーが人をつくる)」

 

東洋西洋に関わらず、マナーは大事です。
国によって違いますが、
食事のマナー、社会のマナーがあります。
マナーがその人を大きく育てます。

 

戒律を特に言わない真宗ですが、
真宗にもマナー(礼儀作法)があります。

 

まず第1に、お勤めの際は念珠が必要です。

 

勿論、念珠もたなければ救わない阿弥陀さまではありません。
だからといって、念珠を持たずに、
仏さまを手づかみにするような行為は、失礼です。

 

きちんとした念珠の持ち方(左手に持ちます)から始まり、
合掌・礼拝の仕方、
焼香の手順、、
読経……。
そして仏壇の飾り方やお給仕の仕方を覚えます。
また香典や手紙の書き方、普段の言葉づかいにも正しいものと間違いがあります。

 

肉食妻帯の浄土真宗ですが、
マナーは大切にします。

 

そしてお聴聞は、ある意味、真宗門徒の最大のマナーです。
何故なら、聴聞こそが、私たちを真実の念仏者に育てるからです。

 

【聴聞】

 

浄土真宗はお念仏一つの教えです。
故に誤解の多い教えです。
だからこそ、マナーとして仏法聴聞を心がけます。

 

世間は私を、大げさに言えば「恐怖」と「私欲」の二点であおります。
「○○しないと大変なことに……。」
「○○すればとても素晴らしい幸運が……。」
それに振り回されやすいのが私です。

 

仏法聴聞より、世間の話になれている私たち。
「法蔵菩薩が五劫兆載の苦労の末に阿弥陀仏に……」と言われても、
最初はピンとこないかもしれません。
けれど、徐々にその話しぶりに慣れていきます。
逆に、世間の話がいかに虚飾されてるか見えてきます。

 

聴聞を重ねていくうちに、
「これは宗教の話だ。
他人ではない、私の死の問題、私の罪の問題、
私の人生そのものの問題の話なのだ。」
「決して、世間やテレビ番組でとりあげる所の、
 “よりよく生きるためのヒント”といった類の話ではないのだ。」
という意味がみえてきます。

 

普通の人も、いや他ならぬ私自身、聞き間違えてしまいがちです。
逆に聴聞によって勘違いに気づいた時、ひそかに驚き感激します。
楽しいだけでない、お聴聞のもう一つの魅力です。

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

当たり前ではなく

 

こちらは本願寺山口別院テレフォン法話(083−973−0111)です。
本日は、岩国組 専徳寺 弘中 満雄がお取り次ぎいたします。

 

ここはお慈悲の光満ちあふれた世界ですが、
煩悩のある私には決して見るができないので、
お釈迦様、そして親鸞様がこの世にお出ましくださり、
「お慈悲の方がおられます。
「南無阿弥陀仏」と声の仏となってあなたに至り届いてくださっています」
とお示しくださいました。
いつも通りの生活が、
これ以上ない特別なものがあることをお念仏は知らせてくださいます。

 

先日、小学生の息子が新聞に載っている俳句を見ながら笑っていました。

 

  「両方に髭があるなり猫の恋」

 

息子は言いました。
「猫なんだから髭があるのは当たり前じゃないか。」

 

猫に髭があるのは当たり前です。
しかしこれはそういう意味で可笑しいのではないのです。

 

猫の恋は春の季語です。
花が咲き、心が浮き立ってくる季節。
そんな中、二匹の猫がじゃれあっています。
雄と雌、お互い髭をもった者同士が誰に構うことなく恋を楽しんでいます。

 

「両方に髭があるなり猫の恋」……ありきたりなようで、
何とも言えない情景、春の季節、恋の喜びを実に軽やかに詠いこんでいます。

 

五七五の短い言葉の中に、
季節や情景をそのまま表現する俳句。
ですから最初は、
息子のように「何でこんな当たり前のことを」と思うのが当然でしょう。
しかし説明を受け、
何度も自分が噛み味わうことによって徐々に、
その言葉の向こうに広がった世界があらわれてきます。

 

「南無阿弥陀仏」。
音に出せばたった七音の短い言葉ですが、
そこには広大なお浄土の世界、
仏さまの揺るぎないはたらきが響いています。
「われにまかせよ、安心せよ」と、
ひたすら私を救いつづけんとする如来さまの切なる願いの声が、お念仏なのです。

 

何気ない日常の中でも、
お念仏申す時、
「あなたを一人にはさせない」とする仏さまの存在に出遇います。
共に呼吸をしてくださる仏さま。
日々の平凡な日暮らしを、
決して当たり前で終わらせない大悲のお方が常に一緒です。

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

無上なる一瞬

【10年目の経験】

 

お陰様で結婚して10年がたちました。
いろいろありましたが、あっという間でした。

 

そのお祝いをした夜の事です。
寝る前から少し息苦しく、
布団にはいるのですが、なかなか寝付けません。
とうとう布団から這い出し、座り込みました。
となりで妻も「救急車呼びましょうか?」と心配してくれます。
「大丈夫……眠いので寝ます。」
胸が苦しいまま、もう一度横になります。
「これが噂に聞いた心筋梗塞か。」
「とうとう人生の最後がきたか。心づもりしていない事は無かったが、でも厳しいなぁ。」
そんな事を思いながら、いつのまにか寝て、気づけば朝になっていました。

 

結論からいえば、原因はどうやら胸焼けでした。
「お祝いだから」と結構な量を食していました。
当然、妻はあまり機嫌が良くありません。
いつ救急車を呼ぼうか悩んだり、
設置してあるAED(心肺蘇生の道具)の使用方法を調べたり、
「一晩中ほとんど眠れなかった」とか。
申しわけない。

 

お陰様で今はすっかり元気です。
しかしその時経験した「これが最後の晩か」という不安は、今でも残っています。

 

【ああ無常】

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。
奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。

 

『平家物語』冠頭の名句。
小学生でも覚えるそうです。
意味は知らなくても原文になじむことは、とても良いことです(お経も同じです)。

 

お釈迦さまはその生涯にわたって、「諸行無常」を説き続けられました。
「諸行」は梵語「サンスカーラ」(有為)の意訳です。
「つくりあげられたもの、形成力」を意味します。

 

この世にあるもの、作られたものは、すべて刻々と移り変わっていきます。
物も、自然も、
常に同じ状態を維持できません。
この度のわが人生も必ず、
老い、病み、死んでいきます。

 

散っていく花、滅んでいくいのち……、
そういう意味で「諸行無常」という言葉には、悲観的な響きがあります。
……奇しくも「無常」と「無情」は同じ音です。
子供時代、恥ずかしながら「レ・ミゼラブル」の日本語訳は、「ああ無常」だと思っていました。

 

そのせいなのか、
世間では「諸行無常」はあまり好まれません。
敬遠・無視する傾向にあるようです。

 

「『老いて死んでしまう道理』ねぇ。
 まあ、仕方のないことですね。
 でも今の私たち若くて忙しい世代には関係ないですね。」

 

「諸行無常? そんな事お坊さんならともかく、言うべきじゃないよ。
 口にしてたら本当に老いて死んでしまいそうだ。
 言うべきでないし、聞きたくない。」

 

確かに諸行無常には、
「人生のはかなさ、むなしさ」があります。
しかし同時に、
「だからこそ、この一瞬一瞬は二度と存在しない貴重なもの」を意味しています。
何気なく一呼吸する私には、尋常でない今という時間が流れているのです。

 

【今】

 

お釈迦さまは次のように言われました。

 

「過去に従い、行ってはならない。
未来を願い、求めてもならない。

 

過去なるものはすでに捨てている。
また、未来はまだ至らない。

 

そこで、現在のことがらを、それぞれのところで観察し、
動ずることなく、ゆらぐことなく、そのことを知って、学ぶべきである。

 

いま、まさになすべきことを熱心になせ。」

 

   (「一夜賢者経」『中部経典』(132))(『原始仏典5 ブッダのことばV』より)

 

「過去を追わず、未来を願わず、今日なすべきことをなす」のが仏教です。
過去を後悔しても仕方ありません。
また未来を切望するあまり、
現実から逃避しても何の解決にもなりません。
徹底的に今という現実を問題にします。

 

お金でも、健康でもなく、
今この一瞬が、私にとってかけがえのない“いのち”、無上の宝物なのです。

 

【成長】

 

その“いのち”をどのように使うか。
お釈迦さまは、やはり「諸行無常」と説かれました。
それは変わりゆく人生だからこそ、正しく変っていける人生がある事を教えています。

 

「人生において『成功』は約束されていない。しかし人生において『成長』は約束されている」
  (田坂広志)

 

刻々と移り変わるからこそ、
自らを成長させていける道があるのです。

 

【お育て】

 

しかし、生涯消えない煩悩まみれの我が身です。
どう成長させていくのか。
お釈迦さまは「諸行無常」と説かれました。
変わりゆく虚仮(こけ)・虚妄(こもう)の世の中に、
決して変らない不変の世界、真実の世界がある事を教えています。

 

お釈迦さまは仏さまです。
仏さまを「如来」さまと言います。
「真如より来た方」だからです。
「真実如常なる悟りの世界から、虚仮不実の迷いの世界に来られたもの」を意味します。
何故やって来られたか。
親鸞聖人の「正信偈」には以下の言葉があります。

 

如来所以興出世(如来、世に興出したふゆうゑは、)
唯説弥陀本願海(ただ弥陀の本願海を説かんとなり。)

 

親鸞聖人は「弥陀の本願を説くため」と、お示しくださいます。

 

阿弥陀さまという方は、その本願を聞いてみると、
一心に、私を救うためにかかりきりの方でありました。
ひたすら私を浄土に生まれさせ、仏にさせるために、
南無阿弥陀仏の名号となって、
私に寄り添い、私に入り満ちてくださいます。

 

そしてそのような弥陀の本願の成り立ち、
名号のおいわれを、
聴聞を通して聞き受ける身になった者を、
他力の信心をえた人と言います。

 

母のお腹の中、子は誕生する日まで人間として大きくなっていきます。
同様に、他力の信心をいただいた時、
仏の慈悲の中、私は往生する日までお育てにあずかります。

 

煩悩まみれの凡夫、罪悪深重の私が、
「最後まで成長できる」という理屈はあっても、
老い病んでいく中、「その通り」とは言いがたいものがあります。
しかし、どのような身であっても、お育てに遇うご縁は、仏さま側が約束してくださっています。

 

諸行無常の厳しい道理の中の人生です。
しかしそれは単にむなしい、やるせないのではありません。
老いていく、病んでいく、別れていく、傷つけていく、
その悲しみを通して、
仏の説法のご縁に遇います。
それは、
 @この一瞬が、これ以上ない出来事を内包している事。
 Aこの一瞬に、正しい方向へ成長していける事。
 Bこの一瞬に、仏の無上なるお育てがある事。
「お釈迦さまがこの世に生まれられて、
ひたすら諸行無常と言われたが、
本当におっしゃいたかったのはこれなのか。」

 

凡夫が凡夫のまま、
頭が下がる身になります。

 

4月8日、お釈迦さまのお誕生日“花まつり”です。

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

私一人のための本

【トークコンサート】

 

4年前、岩国で海援隊のコンサートがあり、両親が行きました。
「海援隊の曲なんて知らないのに行っても」と言っていた父親でしたが、上機嫌で帰宅。
とても楽しいコンサートだったそうです。
何でも最初に「贈る言葉」を歌って、あとはほとんど武田鉄矢さんの一人舞台。
実にそのトークの内容が面白かったのだそうです。

 

こんな事を言って会場を湧かせていたそうです。
中学校時代、武田さんたちのクラスは本当に頭が悪かったのだとか。
@英語の時間、「"This is a pen." これを疑問形にしてみなさい。」
答えは「Is this a pen?」です。
しかし友人は、「……This is a penですか?」

 

A「"I live in Tokyo."、私は東京に住んでいます。これを過去形にしてみなさい。」
答えは「I lived in Tokyo.」です。
しかし友人は、「……拙者は江戸に住んでいます。」
ウソのようなホントのような……半分冗談でしょうが。

 

【オレの事が書いてある】

 

そんな武田鉄矢さんが昔、自分の人生について、
あるラジオ番組で、およそこんなお話をされていました。

 

高校は専ら柔道に専念していた武田さん。
しかし体格が大きくならず、結局、柔道の道を挫折しました。
高校3年生、進学を目指しますが、いまいち自分の進路がはっきりせず悶々とした日々を過ごしていました。
そんな時、年末だったそうですが、たまたま本屋で一冊の本をみかけます。
ページを開くと実に面白い。
すぐに買って家でずっと読み続けました。
年明け、ついに読了。
その後、川辺か海辺で叫んだそうです。
「おれも龍馬のようになりたい!」
その本は司馬遼太郎の『龍馬がゆく』でした。

 

夢中で読んだ理由、
それは「この本にはオレのことが書いてある」と思ったからでした。

 

きっかけは単純でした。
兄弟構成が似ていたのだそうです。
5人兄弟。
龍馬と同じく厳しい姉を持つ武田さんでした。
龍馬の人生がそのまま自分の人生に重なったのだそうです。

 

司馬さんのあの本にとことん魅了された武田青年。
「けれど、そのおかげで今日の僕があります。」
武田さんのグループ名「海援隊」、
それは坂本龍馬が結成した組織です。
日本初の株式会社であり、また軍隊でもあり、学校でもありました。
時代の荒波を力強く泳ぎ、新しい時代を切り開いた龍馬。
その生き方に強く触発された武田さんでした。

 

「この本にはオレのことが書いてある」。
単なる「影響をうけた」以上の大きな感動がそこにはありました。
勿論、龍馬と武田さんは全く違います。
そういう意味で、これは勘違いであり誤解です。
しかしもう一つ、誤解を恐れずに言えば、
「これは私の事が書いてある」と思える本に出遇えた人は仕合わせです。

 

【親鸞一人】

 

「これは私の事が書いてある」、
それがお経です。

 

『歎異抄』には、親鸞聖人が常々おっしゃっていた言葉が伝えられてあります。

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。」

お念仏の中に真実の仏の心をみた親鸞聖人。
阿弥陀仏が長い間思案し続けられた理由は、
他でもなく私自身のためと受け止められました。

 

無量寿・無量光となった阿弥陀さまは、
どのような世界・境界のものに対しても、
限りなき智慧の光を放っておられます。

 

「海の底の魚にも、土の中にいるモグラにも阿弥陀さまは見ておられるのか。」

 

けれども、聴聞重ねるうちに、
いつしかその阿弥陀さまのお慈悲のの世界、
他人事ではなく、私事へとかわっていきます。

 

「ミジンコどころじゃない、あの新聞で事件にでてくる人どころじゃない、
条件揃えば、我が親さえ、心の中とはいえ、踏みにじってしまう私を、
条件揃えば、我が子さえ、心の中とはいえ、殺しかねない私を、
あなたは救うとおっしゃるのですか。」

 

私に一直線で届いた光を聞く身になった時、
「私のために阿弥陀さまが、阿弥陀さまになってくださった。
ご苦労くださった。ありがとうございます。南無阿弥陀仏」と、
お念仏を申す、お礼を申す私の姿がそこにはあります。

 

「弥陀五劫思惟の願をよく案ずれば、
ひとえに私一人のためでした。」

 

お経をいただく時の大切なキーワードです。
私事です。
お正信偈も同様です。
日々読経する時、
「お正信偈には私の事が書いてある」といただきます。

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

参れない者が参る

【残念な名前】

 

動きがスローモーでほとんど動かないから「ナマケモノ」。
歩くのが遅く警戒心がないため、すぐに人間に捕獲されてしまうから「アホウドリ」。
世の中には、人間によって残念な名前をつけられた生き物がいます。

 

赤い毛並みの「レッサーパンダ」。
この「レッサー」というのは、「小型の(パンダ)」という意味の他に、
「劣った(パンダ)」「かわいそうな(パンダ)」という意味合いがあります。

 

かつて、彼らこそ「パンダ」でした。
しかし1869年、同じ竹を食す「白と黒のクマ」が発見され、
彼らは「ジャイアントパンダ」、所謂「パンダ」と命名。
赤い毛並みパンダは「レッサーパンダ」と名づけられたのでした。

 

またテレビである虫が紹介されていました。
名前は「トゲアリトゲナシトゲトゲ」。
棘(トゲ)があって、棘がない?……ずいぶんややこしい名前です。
何故こんな名前になったのか。

 

元々、カブトムシの仲間でコガネムシよりも小さな虫が発見されます。
葉っぱを食べるから「葉虫(ハムシ)」。
その後、ハムシの一種でトゲがある虫が発見され、
彼らは「トゲハムシ」、通称「トゲトゲ」と命名されました。
ところがその後、
トゲトゲの仲間なのに、トゲがない新種が見つかりました。
普通のハムシとも微妙に違います。
そこで、なんと彼らは「トゲナシトゲトゲ」と名づけられました(※1)。
ところが更にその後、
これらの仲間で、トゲがある新種がみつかりました。
とうとう彼らは「トゲアリトゲナシトゲトゲ」と、正式ではありませんが命名されました。

 

……更に更に、噂によると、
ニューギニアの方に「トゲアリトゲナシトゲトゲ」の仲間で、トゲのないものがみつかったとか。
……すると「トゲナシトゲアリトゲナシ……」(参照、『不思議な生き物』(2013), 24頁)。
コメンテーターが一言、「ちゃんと、つけろよ!」(※2)

 

【アミダブツ】

 

阿弥陀如来という名前の仏さまがおられます。

 

阿弥陀は本来、インドの言葉の音写語です。
アミターバ、アミターユスという二つの言葉があります。
前者は「光明無量」、ひかり限りない仏という意味、
後者は「寿命無量」、いのち限りない仏という意味です。

 

仏さまの名前は「看板に偽りなし」、名実一体(めいじついったい)です。
私たちのように「有名無実」な存在ではありません。
阿弥陀さまは、
どこどこまでも光を照らし、
いついつまでも命続く方です。

 

なぜそのような名前の仏となられたのか。
理由は私にあります。

 

【2つの迷い】

 

私の名前は「凡夫」です。
「何の取り柄もない平凡な夫」ではありません。
「煩悩にとらわれて迷いから抜け出られないもの」という意味です。
常に迷いの渦中にあるもの、それを凡夫と呼ぶのです。

 

迷いの存在である理由は2つあります。

 

一つは「不明了」です。
お経にはこうあります。

愚痴矇昧にしてみづから智慧ありと以うて、
生の従来するところ、死の趣向するところを知らず。
  (『大経』(註釈版聖典, pp. 69-70.))

 

インターネット片手に、
調べれば何でも分かっているような私ですが、
私自身の事、
肝心の生まれる前、死ぬ後の事が決してハッキリしません。

 

もう一つは「不充分」です。
お経にはこうあります。

田あれば田に憂へ、宅あれば宅に憂ふ。……
田なければ、また憂へて田あらんことを欲ふ。
宅なければまた憂へて宅あらんことを欲ふ。
  (『大経』, pp. 54-55. )

 

物がなければ欲しいと悩み、
けれども物があればあったで、
しばらくすると悩みます。
無くなりはしないかと悩み、
そのためにまたもっと欲しいと悩むのです。

 

一生涯、周りのあらゆるものを望みつつ、
けれども当然、満たされません。
そしてこの一生涯はあっという間です。
そしてそれ以前、それ以降の事は全く不明瞭です。
どんなにその事に気づき、憂い悩んでも、決して解決しません。
それが迷いの存在、凡夫の生涯です。

 

【参れぬものが参る】

 

仏さまの願いは、そのような私の現実を変えるために建てられました。
いつまでも、どこまでも不安を持ち続ける私と見越して、
いつまでも、どこまでも私を離さない仏になると誓われました
具体的には名号、名の声の仏となって私と共に歩み、必ず往生させると。
その誓い通りの徳をそなえたので、名実一体、「阿弥陀仏」と命名されました。

 

  参れると 思うて参れぬお浄土へ 参れぬものが 参る不可思議

 

「トゲアリトネナシトゲトゲ」のように少々ややこしい歌ですが、
阿弥陀さまに出遇えたものの心中の喜びです。

 

「行けばわかるさ」と人生に高を括っていた私でした。
しかし教えに出遇う時、
決してそんな悠然と構えられる状態でない自分、
そんな自分を決して離さないとおっしゃる如来、
この二面が見えてきます。
それは迷いの終着点、迷いの終わりがある事を意味します。

 

「南無阿弥陀仏」。
そこには、
真実の名の仏と、現実の迷いの私が、一体となった姿が映し出されています。
迷いの世界にいながら、浄土の光の中にいる身を聞く、
それがお念仏の生活です。
お礼ばかりの日暮らしです。

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

(※1)
近年、「トゲナシトゲトゲ(トゲナシトゲハムシ)」では、何を言っているか分からない、
形容矛盾ということで、この頃は「ホソヒラタハムシ」という和名が使われているそうです。

 

(※2)
「もし、最初に見つかったのがトゲナシトゲトゲの方だったら、
トゲナシトゲトゲの名前は「ツルツルハムシ」になっていたかもしれない。
そして現在のトゲトゲの仲間は、「トゲアリツルツル」になっただろう。」(池田氏前掲書、p. 25)

 

 

 

寺報に聞く

【チェック】

 

先月、法要案内のポスターを回収していた時のことです。
ポスターの裏に封筒のようなものがくっついていました。

 

開けてみると、3枚の紙きれがありました。
1枚目には「溪宏道師」とあり、
その下に8番まで「〜年〜月〜日」と、年月日が書いてありました。
2枚目には、「中島昭念師」とあり、
やはりずらっと日付が。
3枚目には別の名前が書いてありました。

 

「?」

 

3枚に書かれた名前は、法座に出講くださったご講師の名前です。
そして年月日は法要の日時のようです。
しかし何故、こんなものがあるのか。
封筒に載っていたMさんの家を訪ねてみました。
すると恥ずかしそうに、
「重箱のすみをつつくようなことで申し訳ない。」
と謝るばかり。
「そう言わずに…、何ですか、これは?」
ようやく理由を話してくれました。

 

先月の上旬です。
有縁の方々に『寺報』(お寺の新聞)と同時に、
「専徳寺の法座案内(平成28年版)」をお配りしました。
年7回行われる専徳寺の法座の日時、そしてご講師名を書きました。
そしてご講師名の下に、興味があればと「出講回数」を書きました。

 

その出講回数が7人中3名、違っていたのでした。
「溪先生は7回でなく8回目です。
 中島先生は「12回以上」とありますが、
 正確には昭和50年から15回目です。」
「何故分かるんですか?」
「寺報に書いてありますから。」

 

昭和50年……40年以上前です。
私は生まれていません。
Mさんはこのたび422号になる『専徳寺寺報』を、
ご門徒になられた50年前から取っておられたのでした。

 

「こんな細かい事を指摘して、ごめんなさいね。」
「とんでもありません!」
大変驚いたことでした。

 

【聴聞に極まる】

 

Mさんは足腰が悪くなってから、
10年以上、法座に参れていません。
「仕方ないので、家でS先生やH先生のテープで聴聞しています。」
そんな事をおっしゃっていました。

 

  「ただ仏法は聴聞にきはまることなり」(蓮如上人)

 

法座へ来られなくなっても、いろんなやり方でお聴聞はできます。
どの『寺報』もそうでしょうが、必ず「法話」が掲載されています。
それを読むのもまた聴聞でしょう。

 

他にも日常生活の会話の中で、
相手の「ご縁だねぇ」「お陰様だねぇ」と阿弥陀さまを喜ぶ話を聞くのも、
貴重な聴聞です。

 

お聴聞を通して、決して揺るがない人生の柱に出遇います。
死の影に怯える人生とは全く違う景色です。

 

「私の所の新聞をそんなに大切にしてくださっている方がいた。」

 

帰宅し、あらためてわが寺の新聞を読み直します。
たくさんの法話があり、楽しく聴聞しました。
忘れていたものを教えてくださったMさんでした。

 

【永遠に青いように】

 

では最後に、
中島先生が初めて登場する『寺報』118号(昭和50年5月)掲載の法話を、
少々長いですが、紹介します。

 

 

「洗耳抄(2)」

 

詩集『星への手紙』を読んで感動した。
巻頭の写真刷りのページに、
著者の北原敏直君のベットに身を起こして微笑している写真と
原稿用紙に書かれた詩がそのままのっていた。
その詩を読んで、その字を見て、感動した。
その詩は、

 


   祈っているために

 

     北原敏直

 

 いつも祈っているために
 空を見よう
 あのむこうは
 ぼくらのふるさとだから

 

 この一生 悲しみもしよう
 死にたくなるときもあるだろう
 そんなとき空を見よう
 あの空とくらべたら
 なんて小さなことだ

 

 生きぬこう
 空を見て生きぬこう
 きっといいこともあるさ
 命が散ってしまっても
 空が永遠に青いように
 だれかのもとに
 いいことあるさ

 

というものだった。
おしまいの一節からしばらく目を離す事ができなかった。

 

北原君は昭和35年3月22日生まれだから、
今15歳である。
5歳の時、進行性筋ジストロフィー症にかかり、
それでも小学校2年生までは通学できていたけれども、
その後は病状がすすみ通学が不可能となった。
現在は千葉県立下志津(しもしづ)病院で起居されている事らしい。

 

ペンをもつ手もままならないらしい。
病床以外は車イスで動きまわる生活という。
しかし、この詩の明るさはどうだろう。

 

  ○

 

この本の中で知ったのだが、
精神薄弱児の父といわれている今は亡き『糸賀一雄』氏は、
「この子らを世の光に」と終生訴えつづけられたという。
まちがってはいけない、
「この子ら世の光」ではなくて、
「この子ら世の光」である。
多分、
糸賀氏は同情や、あわれみや、
恵みを施すようなつもりで子供達と付き合われたのではあるまい。
氏は子供達を通して、
人の生命(いのち)の尊さを教えつづけられてきた人に違いない。
あたら五体満足であるがゆえに、
今日も昨日も不足のいいどおしの人達にむかって、
今ある姿そのままがいかに大いなる恵みに浴しているのか叫ばずにはいられなかったのだろう。
氏そのものが、
子供達にふれながら日々襟を正されていたに違いない。

 

  ○

 

北原君の詩にもそれがある。
私は手紙を書かずにはいられなかった。
何かお礼を伝えずにはいられなかった。
ささやかなプレゼントをさせてもらった。
そうせずにはいられなかったからである。
グシグシ、ガリガリした言葉ばかり聞こえてくる今日に、
〈空が永遠に青いように、だれかのもとに、いいことあるさ。〉
という一節は、炎天下に清水を含んだように胸にしみこんでくる。

 

  ○

 

私は今この詩を読みながら、
『歎異抄』の第四章を思いおこさずにはいられない。

 

慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。
 聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。
 しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。
 浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、
 大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。
 今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、
 存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。
 しかれば、念仏もうすのみぞ、
 すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々。

 

  ○

 

北原君のこの詩を知っていらい、
この歎異抄の味わいが目に見えて変ってきた。
それまでは、
われわれが、愛とよび、布施とよび、あるいは奉仕などと呼んできたものがらの
偽瞞(ぎまん)性(真実でない)にのみこの一節より感じてきたのだが、
この詩を知っていらい、
浄土の慈悲の未来に開かれた今の明るさにやっと気づくことができたのである。
北原君の詩に
〈空が永遠に青いよう〉
とあるように、
どんなかたちであれ、
永遠なるものに気づいたものにとって、
人生は「永遠」という名の列車の中で安らかに自己のつとめを果たして行く場所であると、
その意味が転ぜられるのである。
そうした人にだけ、
本当の意味の明るい人生があるのではあるまいか。

 

  ○

 

四月の初旬に北原君より手紙が届いた。
今この手紙は私の大事なたから物である。

 

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

人参

【プレゼント】

 

先月、5年間つとめた学校の最終講義が終わりました。
毎週、中国仏教史と浄土真宗以外の宗派について講義しました。
大変勉強になりました。

 

さてその後、ある方から一年間の講義の御礼にとプレゼントをいただきました。
大変嬉しく、御礼を言って丁重に持って帰りました。

 

50センチくらいの細長い箱に入っていて、軽そうです。
「輪袈裟かな?」と思いつつ、明けてみました。
すると、親指くらいの小さな白い塊が一つだけ。
どうやら野菜を乾燥させたものの様です。

 

「これは……!」

 

高麗人参

 

高麗人参です。
テレビか何かで見たことはありますから知っています。
しかし、現物は初めて。

 

「どうやって食べるのか?」
分かりません。
妻に聞くと、自分も全く調理したことがないと言います。

 

仕方がないので仏壇の側に置いたまま、
あれから三日経ちました。
今度お会いした際、調理方法を尋ねようと思います。

 

【調理人】

 

高麗人参は貴重なものです。
あの小さな塊の中に相当な成分があるのでしょう。
けれどもどんなに素晴らしいものでも、
調理できなければ食せません。

 

……3つくらい入っていればいろいろ試せますが、
小さいのが1つだけです。
それだけで充分に効果がある、高価なものなのでしょう。
気持ちはとても嬉しいのですが……。

 

お念仏も同様です。
阿弥陀さまがお誓いくださったのは「お念仏1つ」です。
けれどもそれをきちんと調理できなければ、
何の意味もありません。

 

正しい調理方法を教えてくださった方の一人を親鸞聖人とお呼びします。
浄土真宗の教えを説かれた方です。
お念仏は称えるものですが、
称えたそのままが弥陀の喚び声、弥陀の説法とお示しくださいました。

 

お念仏は聞きものです。
何を聞くのか。
お念仏の成り立ち、お浄土の成り立ちを聞きます。
私以前に、私以上に、私一人のために成し遂げられた、仏徳の物語を聞きます。

 

ですから勿論、浄土真宗の僧侶はお念仏をすすめます。
しかし、
「お念仏さえとなえておけば、素晴らしい御利益に恵まれる」なんて、
誤解をまねきかねない話は、
ほぼしません。
「お念仏しましょう。お聴聞しましょう。」
ただお聞かせにあずかるだけです。

 

お念仏は、
現世を否定も肯定もしません。

 

現世を否定して出家したり、修行したりしません。
また現世を肯定して、「なんでもかなうのだ」と、
「家内安全」「安産祈願」の増益を求めたりもしません。
ただ仏恩の深きことを聞き、御礼します。
それこそ極端にいえば、
無宗教の人と見た目は何も変わらないように見える生活です。
しかし心底で、揺るぎなき喜びを手にした生活です。

 

「お念仏はもうすでに調理されたものでした。」

 

阿弥陀さまが私のために一心にこしらえてくださった料理でした。
「どうすれば迷いから抜け出せるのか?」
「ご利益は何?」
そういう人間の小賢しい智慧から抜け出せ、
ただ「うまい!」と味わうことのできるもの、
それがお念仏なのです。

 

(おわり)  ※冒頭へ

 

 

 

 

一心に休む

【辛口な歌】

 

前回紹介した歌以外にも、
一休さんには様々な歌があります。

 

「世の中は 起きて稼いで 寝て食って 後は死ぬを 待つばかりなり。」

 

「嫌な歌だねぇ。座敷がしらけわたるよ。」
「夢も希望もない歌だ。生きるのが嫌になる。」
突然聞かされると、何とも力が抜けそうな歌です。
しかし、
「人間好きな事をして、楽に暮らせたらそれで良い」という、
浮かれた人たちを一喝する歌ともいえます。

 

油断すればあっという間に終わる人生です。
諸行無常の現実で、本当の夢とは何か。
意味あるものとは何か。
仏法に目を向けさせる歌なのです。

 

またこんな歌もあります。

 

「釈迦といふ いたづらものが 世にいでて おほくの人を まよはすかな」

 

「何という罰当たりな。仏法を馬鹿にしている!」
「僧侶としてあるまじき歌だ。」
私自身、初めて聞いたときはショックで半日位は悶々としていました。
しかし、しばらくして落ち着きを取り戻し、
じっくり味わうと、
いろいろ考え直させられます。

 

「おほくの人を まよはす」
……迷いを迷いとも思っていない私たちです。
苦楽で一喜一憂しては、淡々と時が流れていきます。
悲しみがあっても、
「人間だもの」とあきらめ、忘れていきます。
そんな私たちに、
耳障りな「迷い」の話を説き、
煩悩を解決する道、
「断惑証理(だんわくしょうり。惑を断じて理を証する)」の道理を示してくださったのがお釈迦さまです。

 

「釈迦といふ いたずらもの」
……仏法はある意味、いたづら事です。
世間の価値観から見れば、
全く役に立たない、無益な代物だからです。
しかし、漫然と生きる事に疑問をもった人、
「何のための人生なのか」と“いのちの問題”にふと問いを持った人へ、
これ以上のない道を示されたのがお釈迦さまでした。

 

……また、
やはり当時の仏教界(禅門)への痛烈な批判もこめられていると思います。
「こうしなければ迷うぞ」
「これを聞かなければ不幸になるぞ」と脅し、
いかにも自分は悟ったかのように教義を説くお坊さんへの
痛恨の一撃なのです(注1)

 

当時の仏教界の反逆児、自からを“狂雲”となのる一休さんです。
禅宗の僧侶らしい辛口の歌です。

 

【雨風あろうと】

 

そんな「一休」さんの名前(正確には道号ですが)の由来と思われる歌があります。

 

「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」

 

「有ろ(有漏)」とは迷いの事、
「無ろ(無漏)」とは悟りの事です。
「ろじ」は「路次」の事で、「道中」です。
つまり「有ろじより無ろじへ帰る」とは、
迷いの境界から悟りの境界へ向かうという、仏教の人生観です。

 

「有ろじより無ろじへ帰る」
……人生は迷いから悟りへの道中です。
「一休み」
……そんな今は休憩の時間。
「雨ふらば降れ 風ふかば吹け」
……雨が降ろうと風が降ろうと一向に構いません。

 

「『雨ふらば降れ』なんて格好いい……人生の荒波を受け止めていく、力強い歌だ。」
「なるほど『一休み』かぁ……一休さんもたまには良い歌をつくるではないか。」
便利故に忙しい現代です。
周りが騒がしく、周りに急かされる日々の中、
一時の休息を促しているとも取りかねない和歌です。

 

しかし何故、雨が降ろうと風が吹こうと問題ないのでしょう。
単なる「頑張れ、負けるな!」といった応援歌ではありません。
それは決して壊れないものの中にいる安心感です。
人生の喜怒哀楽の波より、
「いのちの問題」という遥かに大きな荒波を乗り越えられる素晴らしい船へ、
今まさに乗り得たという喜びの心境なのです。

 

【一心に休む】

 

生死の苦海ほとりなし
ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓(ぐぜい)の船のみぞ
のせてかならずわたしける(親鸞『高僧和讃』(7))

 

このいのちの問題を乗り越え、渡りきる船を、
親鸞聖人は「弘誓の船」とお示しくださいました。
如来のこの上ない誓いで仕上がった船です。
そして操縦するのも勿論、如来です。

 

人生そのものの問題を乗り越える仕事は、如来の受け持ちです。
私は何もしません。
だから休みます。
ひたすら何もせず、今は一心に休むのです。

 

「『ひたすら休む』って、仕事しなければ生活できないではないか。」
そうではありません。
じっと寝ているとか、
まして生活を放棄して自堕落にすごすという意味ではないのです。

 

「一休み」とは、如来の仕事ぶりを見守る生活です。
邪魔しないようにつとめます。
そして自らの生活は、どのような生活でも構いません。
それぞれの社会環境に真正面から取り組んで良いのです。

 

仕事に精を出し、学業にいそしみ、家庭をはぐくみます。
しかし時には仕事に失敗し、勉強につまづき、家庭や友達と亀裂も起こるでしょう。
「防災だ、防犯だ」と気をつけても、
地震・雷・火事・事故といった大波がやってくるかもしれません。
また老齢化、病気の悪化や、愛する人との別れといった問題は必ずやってきます。
しかしそれらの困難で、
たとえどれほど心に傷を負い、倒れても、
決して海の底に沈まない船の上なのです。

 

過労でストレスが溜まったり、
あまりの闘病の苦しさに、
「こんな辛い思いをするくらいなら」と絶望し、
自ら死を選ぼうとする時がくるかもしれません。
そんな時、
「南無阿弥陀仏」という念仏は思い出させてくれます。
自分は船上で安堵して「一休み」していた事、
辛労しているのは、仏の方だった事。
その時、絶望とは別の光景、もう一つの道筋が見えてくるはずです。

 

【仕事始め】

 

繰り返すようですが、
人生こそ「一休み」の時期、一心に休む時です。
如来に「いのちの問題」をおまかせし、
念仏し、人生を謳歌します。
それは言い換えれば、命終後、仕事が待っているということです。
今生のいのちが終わるとき、その時が仕事始めなのです。

 

念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、
臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す。(親鸞『教行信証』)

 

世間では「休み」は、
故人へのお悔やみでよく使われます。

 

「安らかにお休み下さい。」
「安らかにお眠り下さい。」

 

確かに仕事をたくさんこなされた方でした。
家族の為に働かれました。
社会に多大な貢献をなされました。
そういう意味では、
力が尽きて人生を終える時、
「もう充分です。お休みください」という語は相応しいように思えます。

 

けれども仏教的にいえば、逆なのです。
故人はもう休憩を終え、いよいよ本物の仕事を始められています。
他の誰のためでもありません、私のためにです。
私の前から永遠に消えたのでも、
遠い星の光となって見守っているのでもありません。
私の心中深くに到り届き、
あの手この手で私を「摂取不捨(せっしゅふしゃ、私を摂め取って捨てない)」なる仏縁にいざないます。
「もったいないことです」と思い、思わす念仏がこぼれ出る時、
そこに故人がおられるのです。

 

仏法は世間の常識に染まった心をぐるりと転換させる力です。
淋しさのまっただ中にも、心温まるものを感じさせる、
悲しみの涙と同時に、喜びの涙を湧き起す力なのです。

 

(おわり)   

 

(注1)
『楞伽経』には「一字不説」という教えがあります。
「如来は本当の法については説かなかった、
本当の真実は説けないものである」
という意味が込められています。
禅宗はこの言葉を重んじ、
結果、仏教を禅(ただ座る)という世界に集約します。
座って精神をおちつけてどうのこうの、ではありません。
ただ座るのです。
たどり着くのは、ただ人間らしい生活に徹します。
「それなのに、最近の坊主はペラペラと…」というのが一休さんの思いでしょうか。

 

 ※冒頭へ

 

 

 

浄土の旅の一里塚

【正月は】

 

 

平成28年がスタートしました。
正月いえば思い出す事の一つに、
一休禅師の和歌があります。

 

「正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」

 

昔は「かぞえ年」でした。
新年があけると全員いっぺんに歳をとります。
お正月は新しい年でありますが、
命が終わる年に、一つ近づいた事でもあります。

 

「『正月は冥土の旅の一里塚…』、なんと不謹慎な。」
「嫌な歌だねぇ。目出たいんだよ、正月ってのは何てったって。」
「正月が目出たくないわけがない。目出たいから祝日で休むんだ。」
「新年の酒が不味くなるよ。」

 

様々な批判をうけそうな歌です。
けれどゆっくり窺ってみると、単なる酔い覚ましの、嫌みな和歌ではないようです。

 

「正月は冥土の旅の一里塚」。
死の世界が「冥土」としか知らない人にとっては「めでたくない」でしょう。
しかし仏法に出遇い、念仏の教えに出遇う時、
人生が如来に救われていく旅へと転じられます。
人生が「冥土の旅」から「浄土への旅」となります。

 

人生の旅路の果て、
それが空しいものか、限りないものか、
今、いただいている心ぶりで決まります。
他力の信心をいただく今、この瞬間、
たとえ正月3日目に卒倒しようと、
別れの涙こそあれ、
後悔の涙に深く沈むことはないのです。
むしろ「とうとうこの日が来ました」と感慨深く、お礼を申し、
「お浄土で待っています」と明言し、
今生を終わらせていただきます。

 

「極楽は日に日に近くなりにけり あわれうれしき老いのくれかな。」(法然)

 

法然聖人の歌のような境地が芽生えるのが、
お念仏の生活、浄土への旅路です。

 

「正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」

その通りです。
だからこそ、今、お念仏に出遇えた慶びがこみあげます。
お念仏の味が、あらためてかみしめられる和歌です。

 

【襟巻きの】

 

またこんな一休さんの和歌があります。

「襟巻きのあたたかそうな黒坊主 此奴(こいつ)が法は天下一なり」

一休さんは浄土真宗の八代目、蓮如上人と親交がありました。
この和歌は一休さんが親鸞聖人二百回忌法要に本願寺へ参拝した際、
詠まれたと伝えられたものです。
言葉はきついですが、
親鸞聖人への讃嘆です。

 

清僧が尊ばれる鎌倉時代に、
肉食妻帯を行い、
そんな生活でも歩める仏道を示した親鸞聖人。
それは『無量寿経』という、
弥陀の本願念仏の教え、
ただひたすら救いを説かれた法義を聞く仏道でした。
その事をきちんと読み解かれた親鸞聖人でした。

 

新年が始まります。
今年も名号となって私に喚び続ける、
如来と二人三脚の人生を歩ませていただきます。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

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