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過去の法話

 

二巻のはじまり(10月上旬)

水仙

 

前念命終 後念即生
(前念に命終して後念にすなはち生ず)

 

七高僧の第五番目、善導大師の言葉です。
念仏者は命が終われば、ただちに浄土に往生するという意味です。

 

【名言大賞】

 

高橋千賀子の「手帳大賞」は、
「コトバとアイデア」のコンテストです。
手帳をもっと身近に感じ、
毎日の暮らしに役立つ存在にしてほしいという想いから始まりました。
(ちなみに大賞は100万円です。)

 

思わず手帳にメモしたくなる名言が毎年誕生しています。

 

  • 「幸せ」って字、逆さにしても幸せなんだね。(第18回)
  • 富士山は上から見ると丸い。(第18回)
  • 芋だって昆布だって干されて味が出るんだぞ(第18回)
  • お茶わんを割るのは洗う人だけ(第9回)

 

個人的には、誕生日前夜の子の喜びを表現した言葉でしょう、

 

  • お母さん、おやすみー!五歳になってくるね。(第18回)

 

これが一番好きです。

 

【一巻の終わり】

 

そんな中、第11回の名言です。

 

  • 二巻のはじまり

私が仕事で大失敗し、「一巻の終わりだ」と嘆いていたら、
当時小学一年生だった息子が言った言葉。
「一巻の終わり?じゃあ、二巻の始まりだね」と。
 (橋立 英樹(はしだて ひでき))

 

「二巻のはじまり……何をのんきな事を!」
ですが子供に一本取られたことでしょう。

 

「一巻の終わり」は最上級の深刻な言葉です。

 

辞書には、
「(一巻の物語が完了する意から)物事の結末がついてしまって、
今から何かしようとしても手遅れであることにいう」(広辞苑)とあります。
そして、
「この高さで足を滑らせたら一巻の終わりだ」というように、
「特に、死ぬこと」を意味したりします。

 

もう死ぬしかないと思うほど辛い時の「一巻の終わり」。
しかしそれも見方によって、単なる手遅れではなくなります。

 

たとえば、12月31日23時59分59秒。
あと1秒で令和元年が終わります。
しかしそれは同時に「令和二年のはじまり」です。

 

仕事が大失敗して、全てが終わる時。
それは新しき素晴らしいものとであう出発かもしれません。

 

【さとり】

 

人生の物語も同様です。
いつか終わる時が来ます。
しかし二巻目を準備、誓われた仏さまです。

 

「いのちの終わりに即して、ただちに浄土でさとりの仏にする。」

 

さとりとは何か。
仏教ユーモアでいえば、
「差(さ)を取り(とり)除く」のだそうです。

 

生きている限り、完全にはわかり合えない心の距離を持つお互いです。
そんな心の「差(さ)」が取り払われ、
故に「あなたの悲しみはわが悲しみです」と感受し、
悲しみを克服せんと生きる存在、それが仏、さとり(差取り)の存在です。

 

前念命終 後念即生
(前念に命終して後念にすなわち[浄土に]生ず)

 

凡夫という人生の物語が終わるやいなや、
二巻目のはじまり、仏という物語が始まるのが、
お念仏に生きる人生です。

 

「それってどういう意味があるの?」

 

親鸞聖人は、次のように示されます。

 

【仏になってきます】

 

本願を信受するは、「前念命終」なり。(『愚禿鈔』)

 

いのちが終わる時だけではありませんでした。
信心を得た時、如来とであう時こそが「一巻の終わり」であり、
ただちに二巻の始まりなのです。
「いのちの終わりに即して、ただちに浄土でさとりの仏になる」事が、
今まさに決定したからです。
「自力」というはからいの人生は終わります。

 

「二巻のはじまり」

 

逆境を即座に乗り越える大転換の名言です。
そんな大きな出来事が、
念仏する者には、今おこっています。
如来の「我にまかせよ」の声が身体に響きわたるお念仏です。

 

朝の目覚めとともに、
「南無阿弥陀仏(阿弥陀さま、おはようございます)」
そこには抜かりのないお慈悲のはたらきにあふれた景色が広がっています。

 

一日一日を「二巻目がはじまってるな」と目新しく生き、
そして時が過ぎ、いよいよ本当にいのちの終わる時、

 

「みなさん、お休みー! 仏になってくるね(涙)」

 

悲しみの別れの中ですが、
最後まで前を歩ませていただきます。

 

(おわり)

 


 

 
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