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過去の法話

 

救いの極み(11月下旬)

水仙

【特別な事】

 

浄土真宗の生活に、特別な事は何もありません。
特別な追善供養や祈祷も、願掛けもありません。
「阿弥陀さま、今日もありがとうございます。」
朝のお礼から始まり、夕方にお礼をして終わりです。

 

仏壇へ礼拝ができない多忙な日。
気づいた時にお念仏するだけです。
その念仏さえ忘れても、問題ありません。

 

法座でお聴聞したお互いです。
抜かりない阿弥陀さまの誓われた願いがありました。
その願い通り実現された功徳。
私に到り届いていました。

 

全くの他力。
いただくばっかりです。
私のかたくなな頑張り行為は、かえって邪魔でした。

 

お慈悲をいただいた上からは、
することは一つです。
「南無阿弥陀仏」と、ご恩報謝の生活。
自力、ではなく努力です。
お念仏、お礼をする癖をつけます。
無理はせず、無精もせず、
お仏壇のお給仕をさせていただきます。

 

どこまでも救いを聞く浄土真宗。
「この人生、自らをどうすればよいか。」
「気は長く、心は丸く、腹立てず、己は小さく、相手を大きく……」といった、
生き方指南を教わる法ではありません。
それでは間に合わない私です。

 

【心筋梗塞】

 

十年前、ある結婚披露宴に出席しました。
新郎は、同じ市内のお寺の後継者なのですが、
医学部を卒業し、当時は病院に勤めていました。
披露宴の最中、
新郎の上司がこんなスピーチをされました。

 

「皆さん、心筋梗塞ってどんな病気かご存じですか?
この病気は、元気な人がなる病気です。
血管にニキビのようなものができて、
それがだんだん大きくなって血管をふさぎ、
心臓に血液が流れなくなって、ある日、バタッと倒れる。
それが心筋梗塞という病気です。

 

私も新郎も毎日、勤め先の病院に搬送されるの人を治療しています。
その多くが心筋梗塞の方です。
最善の努力はするものの、中には残念ながら命を失ってしまう方がおられます。

 

浄土真宗の蓮如上人が書かれた「白骨の御文章」には、
「朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。」
というお言葉がありますが、
私も彼も日々、この言葉を痛感する事です。

 

……ただ医学も進歩しています。
少しでも多くの患者を彼と助けて行けるように……彼は優秀で……」

 

一気にほろ酔いが覚めました。
医師からの有り難い法縁でした。

 

【救いの極み】

 

「元気でぽっくり死にたい。」

 

お互い、選ぶことは決してできません。

 

家族の別れも同様です。

 

「単なる風邪だと思って油断していました。」
「二度目の脳出血で……」
「担当医が不在のまま薬が変わって……昨日まで元気だったのに……」

 

どれだけ医学が進歩しても消しがたい、煩悩をかかえた私の苦悩です。
諦めても、すぐに後悔の思いはわきおこってきます。

 

そんな私、ましてや故人に、
いまさら生き方指南を示されても手遅れです。

 

「そのまま救う」という仏さまに出遇います。
煩悩まみれのまま、
自分勝手のままの私です。
心が丸くならないまま、
抱きとられている私と気づかされます。
楽しい時も辛い時も関係なく、
「お陰様でした」と。
それが「救い」です。
音楽や笑いを聴いて和む「癒し」とは全く異質です。

 

【会話の裏に】

 

ちなみに、こうおっしゃる方が。

 

「来世にお浄土を信じられるのですから、
さぞ故人との別れも、死ぬ直前も、悲しみは少ないでしょうね。」

 

その反対です。
四苦八苦にもがく私だからこそ、
救いの極限を示された浄土真宗であり、
お浄土の話です。

 

「母が危篤です……。」
「今回の治療もダメでした。」

 

悲しみをこらえなさいという阿弥陀さまではありません。
苦しみ悲しみが愚痴となり、声に出す事は先刻ご承知です。
だからこそ「そのまま救う」と喚び続ける仏さま。

 

「わが事ながら、歳をとると情けない事です。」
「そうですね。」

 

「寝込んでしまって、ただ息するだけの親になりました。」
「辛いですね。」

 

しかしお互い会話をしながら、
「だからこそ、私から離れない仏さまでした。」
「再び会うことのできる世界。勿体なく……。」
各々、味わい方は自由、お念仏申させていただきます。

 

(おわり)

 

 


 

 
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