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過去の法話

 

指か月か(7月下旬)

水仙

【卒業式】

 

7年位前、ラジオでこんな話を聞きました。
高校3年生の双子をもつ母親の投稿でした。

 

二人の子どもは別々の高校へ通っていたので、
それぞれの高校の卒業式に出席したそうです。

 

一人目の卒業式で、校長先生はこう激励されました。

 

「これから君たちは社会に出たら、たった一人です。
 すべて自己責任です。しっかりやりなさい。」

 

確かにその通りですが、
少し寂しいなと思ったそうです。

 

その後、二人目の卒業式へ。
そこの校長先生は、こう激励されました。

 

「これから君たちは社会に出たら、たった一人です……でも、
そこにはたくさんの君たちの先輩がいます。一人ではありません。」

 

涙がこぼれたそうです。

 

「二人の息子の通ったそれぞれの学校。
公立と私立の違いこそあれ、見た目はとても似ていたけれど、
中身はずいぶん違うなと感じました。」

 

【葬式】

 

さて、最近の葬儀にはたいがい司会者がいてくれます。
通夜、そして葬儀を厳粛にすすめてくれます。

 

H葬儀社の司会者は丁寧です。
読経前に故人の人柄を偲ぶナレーションをしてくれます。
しかし読経後、献花が終わり、棺を閉めた後、
その司会者は棺に向かって、

 

「人は記憶の中で生き続けると申します。
皆様の中で、故人がずっと生き続けますよう念じまして……合掌。」

 

気持ちは分かりますが、
少し違うなと思いつつ聞いています。

 

さて、先日、自坊で葬儀がありました。
B葬儀社の司会者。
棺を閉めた後、

 

「それでは皆様、正面を向かれまして……合掌。」

 

その言葉に、全員、棺ではなく、本尊に向かって礼拝します。
余計なものはありません。
まさに司会者の仕事をしてくれました。

 

浄土真宗の礼拝の対象、
どんな時も阿弥陀さま一仏です。
他に手を合わせ、頭を下げてはならないのではありません。
礼拝の中身です。
あくまで「南無阿弥陀仏」一つです。

 

【月をさす指】

 

「なぁ、見てごらんよ。」
「ほぉ、太い指だね。」
「違う。指の先だ。」
「ツメが伸びてる。」
「その先。月が見えるだろ!」
「いや、ツメの先には、垢が見える。」

 

本人は月を指し示しているのに、
落語の与太郎は指ばかり見ています。

 

葬儀の場面の故人も同じです。

 

「人は記憶の中で生き続けると申します。」
……大切な故人の記憶ですが、
悲しいかな、この脳は刻々と記憶が不鮮明になります。

 

今生の最後を通し、
仏の救いを身にかけて示す故人です。
棺の中の動かない手は、
お荘厳の中心にご安置するみ仏を指しています。
「あなたも、見てごらん」と、
穏やかな顔から、故人の願いを聞きます。

 

「すべて自己責任です。しっかりやりなさい。」
……自業自得の道理に則り、
日々の殺生の結果、
天国どころか地獄への着実な道を歩む私を今、
月の光、摂取不捨の光がつつんでいます。

 

「一人ではありませんよ。」

 

一人生まれ、一人死ぬ私と思っていました。
しかしそんな私の側に、常に弥陀の大悲がある事をあらためて、
故人は示してくださいます。
どこにあるのか。
「南無阿弥陀仏」のお念仏です。

 

【指を照らす月】

 

「“南無阿弥陀仏”は単なる言葉で、
それ自体に何も力はありませんよね?
譬えるなら言葉は『月をさし示す指』ですよ。
指は月を教えてくれますが、
指では闇は破れませんよ。
同様に、「ナモアミダブツ」と仏を称えたって、
それだけでは意味がない、足りないのではないですか?」(※1)

 

そんな問いに対して曇鸞大師は答えられます。
「確かに言葉は月を指し示す指です。
けれどもナモアミダブツは、指でなく月です。」

 

単なる言葉ではなく、
すでに私の闇を破る光、
揺るぎない真実を持った姿です。

 

「言葉=意味」ではありません。
漢文を読経しても一つも意味が分からないようなものです。

 

けれども教えてもらえば、話は別です。

 

「南無阿弥陀仏」と、
仏の名(名号)を称える念仏。
その念仏は、
「どのような者も救わずにはおれない」と誓われた仏の言葉、
「乃至十念」とある第18願の唯一の行です。

 

闇の中で指が月を示してくれます。
同様に、「南無阿弥陀仏」とお念仏する事は、
私に弥陀の存在を示してくれます。

 

しかし見上げても月は見えません。
私の心の中には煩悩という厚い雲があり、
仏という月を覆っています。

 

けれども何故、闇の中で指が見えたのか。
月の光が指を照らしているからです。

 

お念仏は、
それこそが凡夫の私にとっての月でした。
阿弥陀さまがすでに誓っておられた、
私を救うお慈悲の姿なのです。
(参考:上村文隆師「指月の譬」)

 

(おわり)

 

(※1)
問ひていはく、名をば法の指となす。
指をもつて月を指すがごとし。
もし仏の名号を称するにすなはち願を満つることを得といはば、月を指す指、よく闇を破すべし。
もし月を指す指、闇を破することあたはずは、仏の名号を称すとも、またなんぞよく願を満てんや。
(『浄土真宗聖典』(註釈版・七祖篇)104頁)


 

 
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