山口県は岩国にある浄土真宗寺院のWebサイト

過去の法話

 

ビリッコのまま -TY物語@- (10月下旬)

水仙

【玄関に】

 

地元のT小学校の玄関に、こんな詩がかかっています。

 

  心のスイッチ

 

心のスイッチ

人間の目はふしぎな目
見ようという心がなかったら見ていても見えない

 

人間の耳はふしぎな耳
聞こうという心がなかったら聞いていても聞こえない

 

頭もそうだ
はじめからよい頭わるい頭の区別があるようではないようだ

 

「よしやるぞ!」と心のスイッチがはいると
頭もすばらしいはたらきをしはじめる

 

心のスイッチが人間を
つまらなくもし すばらしくもしていく
電灯のスイッチが
家の中を明るくもし暗くもするように(一部省略)

 

作者は、教師かつ僧侶の東井義雄(とういよしお 1912〜1991)。
ペスタロッチー賞(広島大学)、正力松太郎賞(全国青少年教化協議会)など数々の賞を受けられた方です。

 

【貧困からの脱出】

 

東井義雄さんは、
明治の終わりの年の4月9日、兵庫県は出石郡但東町(いずしぐんたんとうちょう)、
現在の豊岡市に、
浄土真宗本願寺派東光寺のお寺の子として生まれました。

 

貧しさと隣りあわせの少年時代でした。
常食は「チョボイチご飯」。
これは大根を米粒くらいの大きさに刻んで、
それをお米のとぎ汁で炊くというもの。
炊けた最後にお米をふりかける“見せかけのご飯”です。

 

「大根の匂いと白水の匂いが入りまじって、
呑み込む度に何か決心のようなものをしないと、
素直に喉に通ってはくれませんでした。」(『仏の声を聞く』、12頁)

 

進学できる経済状況ではなかった東井家。
ところが小学校5年生の時、
担任をしてくれた校長先生が、
東井さんのやる気を引き出してくれました。
奨学資金を受けられる事にもなり、
昭和2年の春、14歳で師範学校に進みます。

 

【ビリッ子】

 

師範学校でマラソン部に入部した東井さん。
マラソン部は毎日、5キロのランニング練習がありました。

 

東井さんはいつも集団から数百メートル離されます。
2年生になっても、3年生になってもビリを独占。
周りの視線が恥ずかしく、つらい日々でした。

 

そんな中で考えたのが、「ウサギとカメ」の話でした。

 

「自分はどこまでいっても亀、ビリッコだ。
でも亀だって努力すれば、怠けたウサギより値打ちは上になる。
なら日本一の亀になってやる!」
そう心に決めました。

 

また、こんな発見をします。

「もしも、ぼくがビリッコを独占しなかったら。
部員の誰かがこのみじめな思いを味わわなければならない。
他の部員がこのみじめな思いを味わうことなく済んでいるのは、
ぼくがビリッコを独占しているおかげだ。
ぼくも、みんなの役に立っているのだ。」(前掲書、18頁)

そして東井さんは誓いました。

「教員になったら、ビリッコの子どもの心のわかってやれる教員になろう。
とび箱の飛べない子、泳げない子、
勉強のわからない子どもの悲しみをわかってやれる教員になろう。
『できなのは、努力が足りないからだ』などと、子どもを責める教員にはなるまい。」

 

昭和7年の春、19歳の東井さんは教員としての一歩を踏み出します。

 

【亀のまま】

 

「亀は、亀のままでいいのだよ、ウサギになろうとしなくてもいいのだよ。」

 

子ども達の個性をのばしていく教育に奔走した東井先生。
後に、その事を通してお浄土の世界の尊さを味わっていかれました。
それは阿弥陀様の平等の世界、
全てをありのままに包み込んでくださる境涯です。

 

法如(ほうにょ)上人の「鶴の脚の長きをも、鴨の脚の短きをも、
鷺の羽の白きをも、烏の羽の黒きをも、
黒きを漂す(さらす)にあらず、白きを染むるにあらず、
短きを継ぐにあらず、長きを切るにあらず、
長きは長きなり、短きは短きなり、
白きは白きなり、黒きは黒きなり」
このままの私が本願のお目あてであったということを、
しみじみとありがたく仰がせていたく私です。(前掲書、23頁)

 

鶴は鶴のまま、鴨は鴨のまま、鷺は鷺、烏は烏。
みんな違って、みんな同じ値打ちの尊いいのちです。

 

誰とも比較することなく、そのままの私を、
阿弥陀さまは見つめて、受け入れ、
「必ず救う」と願い、救いの道へとはたらいてくださいます。

 

亀のままの私、貧しく愚かで不器用な私のままが、
阿弥陀様の願いの中です。
たった一人、誰も代わってくれない人生をすぎゆく私は、
すでに阿弥陀様との二人連れでした。

 

このままの私が本願のおめあてなのです。

 

【無神論時代】

 

生涯、お念仏の喜びを深めていった東井先生。
しかし、教員になりたての頃は違いました。

 

当時、日本は戦争への道を着実にすすんでいました。
「満州事変」をきっかけに、
「貧しさから脱出する道は大陸進出しかない」と、
学校でも戦勝祈願の神社参拝が行われていました。

 

戦争に賛成できない東井さんは、大変悩みました。
同時に、戦争を暗に肯定しているかのような、
当時の宗教界の雰囲気から、宗教に懐疑的になっていきました。

 

「その時代の権力者が貧しい者たちを隷属(れいぞく)させ、
搾取するのに対して、理屈を言わせないようにし、
文句を言わせないようにし、
『ありがとうございます』『もったいのうございます』と、
考える力を眠らせ、どんな苛酷な要求をも受容させる、
アヘンの役割りを果たしているのが『宗教』というものである」

 

そんな無神論の考え方に、どんどん深入りしました。

 

しかしある事がきっかけでかわりました。
それは一人の生徒の質問でした。
何を質問したのか。
それはまた別の機会にお話させていただきます。

 

……お急ぎな方は、『仏の声を聞く』(探究社、800円)を買って読んでください。
仏の声を聞く
(おわり)


 

 
境内案内 内陣 歴史 ◆納骨堂・永代供養墓◆ 地図