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過去の法話

 

子どものおかげで(10月下旬)

水仙

【本堂はいくらで】

 

今月の子供会、おつとめの後に質問コーナーをもうけました。

 

「何でもたずねて良いですよ。」

 

すると5年生のR君が、
「このお寺はいくらでできたんですかー?」

 

いつもお話する仏さまの話でよく分からない事が質問に出てくるかと思いきや、
全然違いました。

 

「……お寺でお金の話はしません。」

 

答えながら思い出したのが、以前お聴聞で聞いたお話でした。

 

どこかインターネットに出ていないかと思って調べると、
知り合いのOさんのfacebookの記事がヒット。
そしてそこにはこのHPにあった記事が掲載してありました(笑)

 

法座の言葉(101-200)

 

No.107 田中 誠証師  
平成6(1994)5/13~15
『遠慶宿縁 遠く宿縁を慶べ』
 (『教行信証』註釈版聖典p.132)

 

昭和63年、私は念願の本堂を建立いたしました。
その落慶法要にお越し下さった大阪の稲城和上、
お寺に着くやいなや早速私に問答をふっかけて、
「立派な本堂が出来たのう、いくらで出来たか」
と尋ねられたので、
平素のお育ての通り即座に指を六本突き出して、
「これで立ちました。」と答えました。
すると、「六千萬円か」と念を押されたので、
「いえ和上、お六字で立ちました」と答えると、
和上は嬉しそうに「田中君、これからはお六字で護持して行きなさい」
とおっしゃて下さいました。
今もこのことが忘れられません。(お六字=南無阿弥陀仏のこと)

 

今年のオリンピック開催地パリでは、
現在ものすごい勢いでノートルダム大聖堂が修復されています。

 

5年前の大規模な火災。
塔や屋根に大きな被害が出ました。

 

集まった金額もすごいですが(税金対策と批判される記事もありましたが)、
やはりそれは信仰の力です。

 

浄土真宗のお寺はいくらで建つのか。
「6」です。
六字の名号で建つのです。

 

子どもの何気ない質問のおかげで思い出しました。

 

【入場に思う】

 

今月、幼稚園の運動会がありました。
その一週間前から幼稚園は練習に大忙し。

 

年少さんに一つの問題が発生しました。
まだきちんと「自分は○○ちゃんの前」と理解し、並べないし、
何より入場がなっていません。

 

お遊戯の前の入場シーン。
子ども達だけではとても前の人にならって入場できません。
急遽、先生の数を増やして対応することになりました。
入場がおかしいと全体に響きます。
中身の「お遊戯」も大事ですが、入場も大切という事を知りました。

 

そして私も同様です。
法事の入場、葬儀の入場。
そこからもう儀式は始まっています。
緊張して入らないといけません。

 

そして法事・葬儀の前によく唱えられるのが「三奉請」です。

奉請 弥陀如来 入道場 散華楽
奉請 釈迦如来 入道場 散華楽
奉請 十方如来 入道場 散華楽

 

阿弥陀さま、お釈迦様、諸仏が入場されます。
厳粛にお迎えいたします。

 

そして思い出したのが、以前お聴聞で聞いたO先生のお話でした。

 

どこかインターネットに出ていないかと思って調べると、
見つけました。
2年前の山口別院での法座
そのお話は1時間45分頃からありました。
少し要約を掲載させていただきます。

 

私が学生時代、一回生の頃から四年間、在家報恩講のお勤めのお手伝いに行ったことがあります。
熊野の大きなお寺でした。
毎日ご院家さんと、若院(先輩)と、自分たち学生4人の6人で、
朝7時から晩の7時ぐらいまでお正信偈を読み続けました。

 

ある日、一つ山をこえた100件ぐらいの村に行きました。
「この電信柱からあの電信柱までが君、そっちはここまで。」
手分けして一日かけて勤めました。
その晩は当屋がたち、その家に村の人が集まりました。

 

仏間の隣の部屋にご院家さんが待機し、
自分たちは仏壇前に並びました。
時間になり、羽織袴の当屋のご主人が挨拶をしました。

 

「皆さん今日は朝からお疲れでございました。
今年は当屋はうちの番でございます。
あとお斎もありますのでごゆっくりしてくださいませ。
それではお正信偈のお勤めを始めさせていただきます。」

 

準備していた小さな鐘で喚鐘。「七・五・三」で鳴らします。
途中、隣の部屋からご院家が出てきて仏壇正面に座りました。

 

そしてまさしく鈴(リン)をたたくその時、
当屋の方がもう一度立ち上がって一口おっしゃいました。

 

「ただいま、親鸞聖人、お着きでございます。」

 

すかさず鈴が鳴って「帰命無量寿如来 南無不可思議光」と。

 

一回生の時はビックリしました。
「なんという芝居がかった事をするのか」と。
しかし2年、3年、4年……4回目の時は有難かったです。

 

気がついてみれば、涙を流して喜んでいる方もおられました。
「今年も報恩講にあえた。親鸞聖人にあえた」という思いです。

 

報恩講はご恩報謝するという法要の名前ですが、
また別名「ご影向(ようごう)の法要」ともいいます。
親鸞聖人にみ跡を慕う法要という意味合いです。
「帰命無量寿如来」とは何か。
私が唱えている正信偈は、そのまま、親鸞聖人が喚んでいてくださっておるという事。
親鸞聖人は今まさにこの目の前におられて、
そして「無量寿如来に帰命せよ。不可思議光に南無したてまつれ」と私たちに喚んでくださっている。
それが本当なのです。

 

法要はお勤めが始まる前から大切な味わいがあります。

 

子どもの何気ない質問のおかげで思い出しました。

 

【(おまけ) 選挙に思う】

 

間もなく衆議院選挙、そして浄土真宗も今年は大事な宗会議員選挙があります。

 

今年の7月7日に鹿児島県知事選挙がありました。

 

何とか選挙に来てもらうと鹿児島の選挙管理委員会は考案し、
ある広告を作成します。

 

「知事って、誰でもいい?」

 

動画では犬が知事になり、記者が「マニフェストについて教えてください」と質問しても
「ハッ ハッ クーン」と鳴くだけ。

 

「誰でもよくない県知事選。投票日は7月7日……」

 

面白い広告動画なのですが、
この「犬知事」の他に、3人の架空の立候補者が登場。
「おやじギャグ知事」「バーチャル知事」、そして「他力本願知事」です。

 

この知事は、七夕にあわせて「鹿児島県がもっとよくなりますように」と夜空に向ってお願いし、
それを短冊に書いて「これでバッチリでーす♪」と言います。

 

「こんな知事には鹿児島県を任せておけない」
そう思ってしまうような頼りない架空の知事キャラクターを表現する意図で作られました。

 

すべてを「他人任せする知事」という意味で作った「他力本願知事」。
しかしそのネーミングに、鹿児島の浄土真宗が抗議します。

 

浄土真宗では「他力本願」の意味は大きく異なります。

他力といふは如来の本願力なり。(親鸞聖人)

この場合の如来とは阿弥陀如来の事です。
阿弥陀如来が如来となる前の法蔵菩薩の時に誓った「本願」。
すべての者を救いたいという本願を完成すべく
兆載永劫の修行の末に「ナモアミダブツ」の如来になります。
願い通りの救いのはたらきをされる阿弥陀さまのはたらき、
それが「他力」です。

 

他力本願は室町時代の蓮如上人が多用されます。

ここに弥陀如来の他力本願といふは、
今の世において、
かかる時の衆生をむねとたすけすくはんがために、
五劫があひだこれを思惟し、永劫があひだこれを修行して、
「造悪不善の衆生をほとけになさずはわれも正覚ならじ」と、
ちかごとをたてましまして、
その願すでに成就して阿弥陀と成らせたまへるほとけなり。

浄土真宗が500年以上大切にしてきた「他力本願」です。
抗議の後、「他力本願知事」は「人まかせ知事」にネーミングが変更。
ニュースにも取り上げられました。

 

他力本願は「Aもっぱら他人の力をあてにすること。」と広辞苑にも出てきます。

 

今更消去はできませんが、
他力本願の本来の意味を知り、
今の子ども達の中で、それを大切にしていく子が少しでも増えることを願いつとめていきたいと思います。

 

(おわり)


 

 
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