山口県は岩国にある浄土真宗寺院のWebサイト

過去の法話

 

言葉遊びだが(6月下旬)

水仙

【コとロとナ】

 

「しばらくは 離れて暮らす 『コ』と『ロ』と『ナ』 
つぎ逢ふ時は 『君』といふ字に」(タナカサダユキ)

 

昨年、Facebookで話題になった短歌です。

 

「コ」と「ロ」と「ナ」をくっつけると、「君」という文字に。
文字遊びですが、よく出来ています。

 

三密(密閉・密集・密接)やクラスター(集団感染)を警戒し、
大切な人と会うことができないつらさ。
ソーシャルディスタンス(社会的距離)のもどかしさが、
「『コ』と『ロ』と『ナ』」で表現されています。

 

「君」(あなた)とじっくり会いたい」、
そんな願いがうかがえます。

 

【仏と私】

 

「仏」は私の中にいる(超覚寺)

 

2年前、「お寺の掲示板大賞2019」で受賞した作品です。

 

仏は「佛」(人偏に打ち消しの助字「弗」)なので、
これも文字遊びですが、よく出来ています。

 

お慈悲の仏さまは、どこにおられるか。
仏さまは私の中におられます。

 

どれほど心を修練しても、
油断すれば煩悩にさいなまれる私。
死ぬまで愚痴がこぼれる私と心配し、
仏さまは私の中を住処とされてます。
お浄土への歩みを共にされます。

 

子どもを心配する親のように、
いつでも寄りそう仏さまです。

 

  「仏」は私の中にいる。

 

ただ、仏さまが寄り添ってくださるだけでは、
本当の解決、「救い」ではありません。
足りないものがあります。

 

【君后に帰す】

 

「忠臣の后に帰して」(曇鸞大師)

 

家臣が主につかえるように、
仏さまに帰依します。
「コとロとナ」とバラバラにしません。
はっきりとした「君」に会ってつかえるのです。
君の名は「阿弥陀仏」。

 

の命令通り動く家臣です。
私も仏の仰せのままに動きます。
仏さまの仰せは何か。
「精進せよ!」ではなく、
「われにまかせよ!」です。
がいわれる通り、
功徳を積む修練はあきらめ、
仏さまのお慈悲にゆだねます。

 

仏の本願を聞き、
仏の恩徳を知り、
仏の功徳をいただくばかり。
「他力の信心をいただく」とも言います。
「南無阿弥陀仏」とお念仏申す以外、
用事なき仏道です。

 

【仏凡一体】

 

「仏心と凡心と一体になる」(蓮如上人)

 

信心を得た念仏者の心の内実を、
蓮如上人はこのようにあらわされました。
「仏凡一体(ぶつぼんいったい)」ともいいます。

 

寄り添ってくださっていた仏さまが、
いよいよ私の心の中に入り込まれ、
一つになった状態です。
私の悪の心はそのままに、
善の心にしてくださいます。

 

罪悪深重の私の心はかわりません。
しかし、そんな私の罪深さなど、
まったく意に介さない、
真実清浄の仏の心と一体です。

 

譬えるなら、海岸の砂浜に置いた一杯の墨汁が、
あっという間に波に飲み込まれた光景です。
墨汁は消えたわけではありません。
墨汁は海水と一味になったのです。

 

届いてくださった仏心が、
私の煩悩の全体を仏心に転成してくださいます。
煩悩具足のままで仏さまと一体に。
故に、浄土に往生して仏とならせていただけるのです。

 

【補足:二君に仕えず】

 

「忠臣は二に仕えず」(史記)

 

似たような海外の諺として、

 

「He that serves two masters has to lie to one (of them).」
(二人の主人に仕える者は、どちらかの主人に嘘を言わねばならない)

 

つかえる主は一人です。
同様に、
決して、他の仏や神を無視するわけではなく(※1)
帰依の対象は一仏にします。

 

芸能の世界と同じです。
「師匠」と呼ぶ方はたくさんおられても、
自分の師匠はただ一人です。

 

法(仏法)の前で、嘘はつけません。

 

(おわり)

 

 

(※1)
蓮如上人も誤解のないように、

 

「阿弥陀如来は三世諸仏のためには本師師匠なれば、
その師匠の仏をたのまんには、
いかでか弟子の諸仏のこれをよろこびたまはざるべきや。」
(【現代語訳】
阿弥陀如来は三世の諸仏にとっての本師本仏ですから、
その師匠である仏をたのみとするときに、
どうして弟子である諸仏がこれをお喜びにならないことがありましょうか。)

 

と述べられ、

 

「南無阿弥陀仏といへる行体には、
一切の諸神・諸仏・菩薩も、そのほか万善万行も、
ことごとくみなこもれるがゆゑに、
なにの不足ありてか、諸行諸善にこころをとどむべきや。」
(【現代語訳】
南無阿弥陀仏という行そのものには、
一切の諸神・諸仏・菩薩も、そのほかすべての善や行も、
ことごとくみなこめられております。
いったい何の不足があって、他の善行に心をとめる必要がありましょうか。)

(以上、『御文章』二帖目第九通)

 

と諭されます。


 

 
境内案内 内陣 歴史 ◆納骨堂・永代供養墓◆ 地図