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過去の法話

 

叱られないように(2月下旬)

水仙

【チコちゃん】

 

NHKで放送中の「チコちゃんに叱られる!」は、
「永遠の5歳」の女の子「チコちゃん」が、
毎回、ゲスト解答者に質問をします。
質問に答えられない場合、
「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られます。
流行語にもなりました。

 

そんな人気番組の第一回(2017年3月24日)の質問が、
「なぜお線香をあげるの?」

 

「それは……立ち上っていく線香の煙があの世とつながるからかな?」
苦し紛れに答える田中美佐子さんへ、
「ボーッと生きてんじゃねーよ!」の一喝。

 

そしてチコちゃんの答えは、
なんと「亡くなった方の食べ物」。
成田山新勝寺のお坊さんが解説していました。
「お線香は焚くと煙が出ます。その煙の香りを亡くなった方は召し上がっているのです。」
典拠はインドの世親菩薩(4〜5世紀)の『倶舍論』(くしゃろん)で、
「人は[死後、生まれ変わるまでの四九日間、]香を食す」と。

 

「浄土真宗とは違うな」と思う私。
すると番組の最後、
「「お線香」をあげる意味は、宗派やお坊様によって様々な考え方があります。」
として次の四つの例が。

  • 香りによって、場所を清める。
  • 香りで心を落ち着かせる。
  • 煙で壁をつくり、仏様に息がかからないようにする。
  • 煙や香りを通じて、仏様とお話しをする。など

やはり浄土真宗的なものはありませんでした。

 

【いただきもの】

 

香はインドに起源を持つ礼拝の必要品です。
ですから浄土真宗でも、日常のおつとめの際にも香を使用し、
お線香を香炉にたきます。

 

お線香をたく、また焼香するのは、
本尊の阿弥陀如来へのお敬いのこころを、
香をお供えし合掌・礼拝するという作法に表したものです。

 

「そうそう、お敬い! お供え! そのために場所を清めないと……。」
「仏様に息がかかってもいけないしね。」
「いえ、心を落ち着かせるのよ。」
「そして、仏様とお話しするの。」

 

たしかに香は悪い臭いを防ぎ、
心身ともに落ち着かせる効用があります。

 

ですが浄土真宗の場合、
もっと大事な答え(意味)があります。
それは……「阿弥陀さまから、私への恵みをいただく。」

 

「……なんであげる行為が、いただく行為なの?」

 

そう思われるのも至極もっともですが、
香に限らず、浄土真宗には理由があります。

 

【他力の生活】

 

龍谷山本願寺(西本願寺)の八代ご門主蓮如上人は、
『蓮如上人御一代聞書』(以下、『聞書』)で、

(100)蓮如上人は、 「弥陀を信じておまかせする人は、 南無阿弥陀仏にその身を包まれているのである」 と仰せになりました。
(『現代語版 蓮如上人御一代聞書』より。原文は、(※1)

阿弥陀さまから信心をいただき浄土真宗に生きる生活。
それは阿弥陀さまに抱かれた生活です。
故に日常のもの全般、「わたしのもの」「わたしが買ったもの」「作ったもの」と思うよりも、
「仏さまからいただいた」と受けとめる方が自然です。

 

衣食住、私の周囲にあるもの何もかもが南無阿弥陀仏です(※2)
どれ一つとして、私を救うための阿弥陀さまのはたらきと、
無縁なものではありません。

(169)蓮如上人は、 お食事を召しあがるときは、 まず合掌されて、 「阿弥陀如来と親鸞聖人のおはたらきにより、 着物を着させていただき、 食事をさせていただきます」 と仰せになりました。」
(『現代語版 蓮如上人御一代聞書』より。原文は、(※3)

ボーッと食べてる場合ではありません。

 

【お荘厳】

 

仏壇の香も同じです。
お仏壇の中の「お荘厳」は、香もロウソクもお花もみな、
阿弥陀さまのお徳を表現したものといただきます。

 

「なぜローソクをつけるの?」
「阿弥陀さまからのいただきもの。」
「なぜお花を飾るの?」
「阿弥陀さまからの恵まれもの。」

 

テレビ受けはしませんが、浄土真宗の他力の主張です。
一様に阿弥陀さまのはたらきといただく生活。
それをふまえた上で、きちんとお飾りしたり、線香をあげお礼します。

 

自然に「南無阿弥陀仏」が出るお焼香の習慣を心がけます。
ボーッと焼香している場合ではありません。

 

【聖人に叱られる】

 

他にも『聞書』には、こんな蓮如上人のご指南があります。

(58)「どのような人であっても、 自分は悪いとは思っていない。
そう思っているものは一人としていない。
しかしこれはまったく親鸞聖人からお叱りを受けた人のすがたである。 ……」

 

(80)「仏法では、 無我が説かれている。
われこそはという思いが少しでもあってはならないのである。
ところが、 自分が悪いと思っている人はいない。
これは親鸞聖人からお叱りを受けた人のすがたである。」(※4)

 

阿弥陀さまを無視して、
「自分は正しい」、「自分は自己反省しているから大丈夫」とうぬぼれている人。
阿弥陀さまではなく他人と比較して、
「あの人に比べれば自分は悪くない」と自己評価している人。
親鸞聖人に叱られます。

 

「ボーッと、お念仏している場合ではありません!」

 

他力のお念仏は、阿弥陀さまの声尾を聞くお念仏です。
「どのような悪人も救う」という仏の声に、
「私のことだ」と聞き受ける私。
悪の重さと救いの深さが同時に身にしみるお念仏です。

 

雑学王のチコちゃんに叱られるのは仕方ありません。
けれども親鸞聖人が嘆くような事はしたくないものです。

 

(おわり)

 

(※1)
(100)一、前々住上人(蓮如)仰せられ候ふ。弥陀をたのめる人は、南無阿弥陀仏に身をばまるめたることなりと仰せられ候ふと[云々]。

 

(※2)
参考までに『聞書』の現代語訳を。

(78)「日々の食事は、 阿弥陀如来、 親鸞聖人のおはたらきによって恵まれたものである。
だから目には見えなくてもつねにはたらきかけてくださっていることをよくよく心得ておかなければならない」

 

(101)丹後(たんご)法眼蓮応(ほうげんれんおう)が正装して、
蓮如上人のもとへおうかがいしたとき、
上人は蓮応の衣の襟をたたいて、 「南無阿弥陀仏だぞ」 と仰せになりました。
また実如上人は、 座っておられる畳をたたいて、
「南無阿弥陀仏に支えられているのである」 と仰せになりました。

 

(※3)
(169)御膳まゐり候ふときには、御合掌ありて、如来・聖人(親鸞)の御用にて衣食ふよと仰せられ候ふ。

 

(※4)
(58)たれの輩も、われはわろきとおもふもの、一人としてもあるべからず。これしかしながら聖人(親鸞)の御罰をかうぶりたるすがたなり。……

 

(80)仏法には無我と仰せられ候ふ。われと思ふことはいささかあるまじきことなり。われはわろしとおもふ人なし、これ聖人(親鸞)の御罰なり……

 

 


 

 
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