趣きはある(7月下旬)
【趣きがある】
先日子ども向けのテレビ番組を観ていると、
男女の人形の漫才がありました。
(女)「この庭、趣きがあるね。」
(男)「ふーん、どこにあるの?」
(女)「どこにあるって、ほら、そうみえない?」
「みえる? どこに?
石の下、どけたらでてくるの?
池の水を全部のけたら、趣がいっぱいころがっているの?」
「……。」
「趣きがある」といっても、「これが趣きだ」というものはありません。
趣きは日本人の美意識です。
家庭や学校などで日本文化、
わび、さび、無常観といったものを習い、学び、教えられる事によって、
日本人独特の季節感や風情を感じられる人間には、
そこに「趣がある」と見ることができるのです。
「仏さまなんているのか? 見えないじゃないか?」
たしかに仏さまも目には見えません。
しかしお寺の法座に座り、
仏さまの教えを聞いて、習い学び育てられるうちに、
信心の眼をいただき、
無常観や罪悪観、お浄土の意味や仏恩を知り喜ぶ身となった人には、
その存在をかみしめ、
「今日も仏さまと一緒に過ごさせていただきます」とお念仏するのです。
【お救いがある】
今年もお盆参りが始まりました。
午後から35度をこえる猛暑の中、
時々意識がとびそうになりますが、
冷房や扇風機を準備してくださる家も多く、とても有難いです。
讃仏偈のお勤めをしながらきちんとお荘厳されたお仏壇を眺めます。
お仏飯、水物・菓子のお供物、そしてお花。
Iさんは90すぎておられます。
「今年が最後かもしれません。」
お仏飯から提灯まできちんと一人で準備されたとの事。
感動しました。
夜の松明、枯山水、歴史ある建造物に「趣きがある」とみる日本人がいます。
同様に、美しいお荘厳の如来のご絵像に「お救いがある」と味わう念仏者です。
何が起きてもおかしくない迷いの人生、
何をしでかすかわからない苦悩の人生です。
条件がそろえば何を言い出すか、何を心でやらかすか末恐ろしき罪業の私。
しかし、それを先刻見抜いた智慧の仏が願ったお慈悲の結晶がありました。
(仏)「南無阿弥陀仏となって必ず救う。」
お念仏もうせる人間の眼には、そのお荘厳に、
いやその仏間に、その仏間の向こうに広がる世界中に、
「お救いがある」と言える景色が映るのです。
(おわり)