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過去の法話

 

一杯の珈琲(7月上旬)

水仙

【ジョージア】

 

今年のはじめ頃、こんなCMを観ました。

 

「便利になったよなぁ。」
「うん?」
「スマホアプリだよ、作ったヤツすげぇな。」

 

二人の道路作業員が感心している頃、
そのスマホアプリの開発者は、
お弁当を食べていました。

 

「うまい! この弁当企画した人、マジ好み!」

 

その頃、その弁当を企画した女性は、

 

「お弁当は素材が命。生産農家サマサマね。」

 

そうつぶやいている頃、その野菜を作った農家の人は、

 

「野菜は鮮度やけん。運んでくれる人に感謝やね。」

 

そう感謝している頃、そのトラックの運転手は、

 

「この道完成したんだ。助かるわ。」

 

そう言いながら一番最初の二人、
道路作業員の側の道路を通り過ぎていきました。

 

「お客さん、ご安全に!」

 

手をふりながら二人は、
「なんか……他人とは思えないっすね。」
「つながってるのかな。」

 

珈琲「ジョージア」ののCMです。

 

【アイスコーヒー】

 

私の周りにも「見えないつながり」があります。

 

たとえば一杯のアイスコーヒーを飲みながら、

 

「冷たくて美味しいな。」

 

そう私が思っている時、
その豆を栽培したコロンビア人は、
車を運転中しながら、

 

「この流れている曲、すごく良い!」

 

そんな気分の時、
その音楽を作った日本人は、
雑誌を読みながら、

 

「面白い記事だな。」

 

そう関心している時、
その記者はインターネットをしながら、

 

「このHPの法話、つまらないな。」

 

…………。

 

改めて、仏教の因縁和合の道理を考えさせられます。

 

あらゆるものは、
お互い因となり縁となっています。

 

縦横無尽につながりあり、調和し合って、
お互いを生み出し、成り立たせています。
単独なものは何一つありません。

 

【光号摂化】

 

私が称えるひと声のお念仏。
そこには先ほど同様、無尽のご縁があります。

 

しかし何と言っても、
「南無阿弥陀仏」という仏の名には、
阿弥陀さま本人のご苦労が偲ばれます。

 

親鸞聖人は次のように言われます。

 

まことに知んぬ、徳号の慈父ましまさずは能生の因闕けなん。
光明の悲母ましまさずは所生の縁乖きなん。(『教行信証』行巻)
 (いま、知ることができた。
   慈悲あふれる父のごとき、弥陀の名号がなければ、
   私の往生の因は欠けてしまうだろう。
   また、慈悲あふれる母のごとき、弥陀の光明がなければ、
   私の往生の縁はないに等しいだろう。

 

凡夫の私を、苦悩のな仏の世界にいたらせたいと欲した、
「法蔵」という名の菩薩がおられました。
「五劫」という長い時間、頭がすりきれる程思案され、
「本願」を発されて、ついに完成、仏となられます。
「無量寿」、永遠のいのちのをもって、
「無量光」、永遠の光のはたらきを放ち、
「摂取不捨」と、つかんで私を離しません。
必ず「浄土往生」させ、仏に仕上げます。
「還相回向(げんそうえこう)」という大悲の活動者に仕上げます。
これが「名号」、南無阿弥陀仏という名の由来です。

 

凡夫の私が仏になる事。
それは因も縁も「南無阿弥陀仏」という、
名の仏、光の仏さまによる功徳による実現です。

 

【真実信】

 

しかし親鸞聖人の言葉は、このように続きます。

 

能所の因縁和合すべしといへども、
信心の業識にあらずは光明土に到ることなし。
真実信の業識、これすなはち内因とす。
光明名の父母、これすなはち外縁とす。
内外の因縁和合して報土の真身を得証す。
 (しかし、弥陀の名号と光明という功徳の因縁がそろっても、
   肝心の信心が正しくなければ浄土に生まれることはできない。
   真実の信心を内因とし、光明と名号の父母を外縁とする。
   これらの内外の因縁がそろって、
   ついに真実報土のさとりを得るのである。)

 

阿弥陀さまのお話を聞き、
阿弥陀さまの一人ばたらきを聞きます。
お念仏の心、仏さまの他力の心をいただきます。
それを世間で使われる信心と区別して、
「正信」とも「真実信心」とも言います。

 

阿弥陀さまを聞くより前の私。
それはたとえば、
「私にはまだ関係ない」という無関心から始まり、
「私にはよくわからない」という疑念。
「死ぬって結局、こうなんだろう」という思い込みでした。

 

しかし年を重ね、本物の死が目の前に見えてきた時、
不安と共に、心が信心めいてきます。
「きっと助かる」という期待。
「助けてほしい」という願望。
「きっと助かる」という決心。
どこまでも自らのはからい心です。

 

【本日も至福なり】

 

たまたま行信を獲ば、
遠く宿縁を慶べ

 

正信にはほど遠い、期待、願望、決心に満ちた私。
しかし何度もお育てのご縁の中で、
徐々に、正信といただき喜ぶ身が出てきます。

 

一声のお念仏を、
自らの口からお礼と共にいただきます。
「南無阿弥陀仏。」

 

「あなたが救われなければ、私も救われない」という、
これ以上ない仏さまの心を知り、
その大悲の心が私につながっている事をかみしめます。
阿弥陀さまの強い縁。
「すべては如来大悲にであうための出来事であった」と、
あらゆるものとのご縁を思わずにはおれないほど大きなものでした。

 

先ほどのCM。
一口の珈琲を飲みながら言うセリフがあります。
「本日も至福なり。」

 

一声のお念仏をいただきながら、
「南無阿弥陀仏。本日も至福なり。」

 

本日も、この上ないお念仏のご縁、
充実した日暮らしを味わいます。

 

(おわり)

 


 

 
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