聞こえざるなし(3月上旬)
【聞こえざるなし】
Hさんとお会いしたのは今から14年前になります。
仏教・僧侶の基礎を一年間集中して学ぶ広島仏教学院に入学したHさん。
私も講師として初めて学院にやってきました。
その後、Hさんは東に西に、様々な場所に聴聞・勉強に足を運ばれます。
さらに得度をし僧侶にもなられます。
専徳寺によくお参りくださるようになりました。
今年一月の報恩講の時でした。
法座が始まるずいぶん前にこられたHさんご夫婦。
「実はご相談で……」と。
一冊の本をくださいました。
本のタイトルは、
『莫不聞焉(聞こえざるなし)』
戦後八十年の今年、
Hさんのご両親がそろって年忌(25回忌と33回忌)をむかえるのでした。
そこで考えられた末、
「お念仏聴聞のご縁を一人でも多くの方々に相続していただきたい」と、
大阪の行信教校の星野親行先生にお願いし、
法話集の記念誌を製作されたのでした。
星野先生もHさんご夫婦の願いに大変感銘を受け、
お忙しい中、
行信教校の雑誌『一味』や先生の寺報、
そしてみずから書きためていた恩師の珠玉の法語を、
『聞こえざるなし』に掲載されたのでした。
「この本をどうぞ縁ある方にあげてください。」
大変嬉しいご相談でした。
『聞こえざるなし』ご希望の方、
どうぞご連絡ください。
住所さえ教えてくだされば、郵送費も何もいりません。
お届けいたします。
【お念仏させてもらわな】
そんな法話集『聞こえざるなし』の一部をご紹介させてもらいます。
お念仏させてもらわな
「なぁ、みっちゃん、お母さんの作ってくれたお料理はおいしいなぁ。」
「うん、お母さんの作ってくれたお料理はおいしいなぁ、のりくん。」
夕食を呼ばれていまして、時々、ほんとうに時々ですが、上の二人の子供が、こんな事を言いながらごはんをよばれていることがあります。
そんなとき、母親は照れたような顔をしながらもやっぱりよろこんでニコニコしています。
自分が子供のためを思って作った料理を子供が喜んで食べてくれるというのは、
それはうれしいことだろうなと思います。
これはね、親の欲目と言えばそれまでですが、私は、母親の料理を作ったときの気持ちが料理を通して、
子供たちに届いておることであると思います。
言葉をかえますと、子供が母親の作ってくれた料理を食べることによって、
その料理を通して母親の気持ちを受けとっておるのではないかと思うのであります。
母親が、子供のためにと思って作った料理には、
その母親の気持ちがこもっておるのであります。
先にも申しましたように、子供たちはいつもいつも「おいしいなぁ」言うて食べている訳ではありません。
しかし、親の方からはいつも出来るだけの気持ちをこめて食事の準備をしておるのでしょう。
今、私たちが申すお念仏がその通りであると言えます。
「なもあみだぶつ」あるいは「なんまんだぶ」または「なんまんだ」とわれわれがご相続させていただく「お念仏」は、
阿弥陀様が「必ず私の浄土へ生まれて帰ってきてくれよ、そして、お願いだからお念仏申しながら日暮らししてくれよ。」という
阿弥陀様の願いの心がすべてこもったものであります。
子供が、母親の作ってくれた料理の味を通して母親の心を味わうように、
私は自ら申す「お念仏」を通して阿弥陀様の「必ず浄土へ帰ってこいよ、お念仏してくれよ」という願いをお聞かせいただくのであります。
食事といいますと、昨年の報恩講様で、利井明弘先生が、
「信というのは聞き受けることでね、そのことを善導大師は餐受(さんじゅ)とおっしゃっています。
これは食事、食べることです。
この言い方が有り難いんです。
なんやいうたらね、
食べる言うことはね、食べるだけでええねん。
覚えんでもええ言うことです。
皆さん十日前に食べたもん覚えてる?
覚えてないでしょ。
これ、ちゃぁんと覚えとかんと栄養にならん言われたらえらいことやでぇほんまに。
それからね、もう一つはためとかんでもええねん。
十日間トイレ行ってへん人おる?
おったらえらいことやでぇ、病気や。
信と言うのはねえ、覚えんでもええ、溜めんでもええんです。
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」というお念仏の中にね、
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」というお念仏のその時、
その時に「あぁ、間違いないねんなぁ、阿弥陀様一緒に居ってくださっとるんやなぁ」と聞き味わっていくんです。
これが信です。
ほんでねぇ、ここで一番大事なんは、
十日間ごはん食べてない人ないでしょう。
十日間食べへんかったらいのちないよ。
お念仏もこれと同じです。
お念仏ご相続させてもらわな。
僕はね、「十日間お念仏しなかったら心が死ぬと思え」と言うています。
心が死んだらどないなるかいうたらね、
「損や、得や、あいつが悪い、私が正しい」いうて言い出すんです。
お念仏御相続してね、
「ああ、阿弥陀様が見とってくださってるんやなぁ、
自分勝手なこと言うたらいかんねんなぁ」と、
お念仏の中に阿弥陀様のお心を聞かせていただくんです。
おねんぶつご相続させてもらわな。」
とおっしゃっておられたことを思い出します。
不思議にも阿弥陀様の御縁に遇い、「南无阿弥陀仏」というお念仏のおいわれをお聞かせいただく御縁に恵まれました私たち、
改めて、阿弥陀様の親心を味わわせていただきつつ、お念仏ご相続させていただきたいものであると思います。
(『聞こえざるなし』77〜81頁より)
(おわり)