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過去の法話

 

命日の意味(6月上旬)

水仙

【慶讃法要に思う】

 

先月の21日、約2ヶ月にわたって行われた「親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」が終わりました。
私は5月16日にご本山へ参拝させていただきました。

 

「新制 ご本典作法」という新しいお勤めがつとまる中、
親鸞聖人のおかげで浄土真宗のみ教えにあうことができた事、
その喜びを思わずにはおれないことでした。

 

絶対他力の浄土真宗のみ教え。
よくぞ800年も続いたものです。
なぜなら一般的な人間の理屈では、
とうてい理解できない道理だからです。

 

【吉凶禍福】

 

昔こんな事がありました。
Hさんのお葬式がありました。
懐かしい面影をしのびつつ、
ふと過去帳を見て気づいたのが、
Hさんの名前が、先祖の方の名前と、漢字は一文字違いますが読みが同じでした。
実はHさんの名は、その先祖からいただいたとの事。
そして両者は命日が一日違いでした。
そこでつい、Hさんのご子息に言いました。

 

「Hさんと、同じ名前のご先祖の方は命日が一日違いですね。」
「……気をつけないといけませんね。」
「……」

 

また後日の事。
Hさんの命日の月に、
Hさんのお姉さんの13回忌があった事に気づきました。

 

「あの月はHさんのお姉さんの13回忌でしたね。」
「じゃあ……おばさんが連れて行ったのかな?」
「……」

 

Hさんのご子息は決して悪い方ではありません。
お寺も大切にしてくださいます。
けれども世間の物の見方がしみこんでいます。
そして今まで一度も法座のお説教に参った事がありません。

 

それは、
「命日とは縁起が悪い日」
「死は忌み嫌うもの。だって健康第一だから。」
「友引というではないか。
お葬式は友引にするものじゃない。
友を引き寄せる日だから。
そう、死んだ兄弟や友人は、淋しいから私を死者の世界にひきこうもうとする。」
そんな心理がはたらいて、
「気をつけないと」「連れて行った」
口がすべったのかもしれません。
法座もきっと「参っても退屈なだけ」なのでしょう。

 

世間には吉凶禍福、
それにともなう祈祷、祈願があふれています。

 

【800年の歴史】

 

「絶対他力?
仏の一方的なはたらき?
そんなのはおかしいだろう。
もしそうなら最初からみんな救われているはずだろう。
浄土真宗はみんな救われているのか?」

 

「善人も悪人もみんな救われるのなら、
この世は大変なことになるじゃないか。
悪を裁き、善を推奨するのが正しい教えではないのか!」

 

世間の道理からいえば、
浄土真宗の絶対他力の教えは到底通用しません。
とっくに滅亡していてもおかしくなかったのです。

 

けれどもその教えに感涙し、
合掌念仏を申す人が800年続いたのです。

 

親鸞聖人は仰せになりました。

 

「摂取して……摂めとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。
摂はものの逃ぐるを追はへとるなり。」

 

阿弥陀さまは私を決して離しませんでした。
仏さまに無関心をつらぬき、
時に逆らい、時に馬鹿にしてきた私を、
報われないとわかっているにも関らず、
ずっといだきとらんと智慧の光で照らしていました。

 

その事にようやく気づかされた今生であったと、
お念仏を申す方々の歴史が、
立教開宗800年です。

 

「絶対他力……それは他ならぬ私のためでした。」
「悪人正機……私のためのみ教えでした。」

 

【命日の意味】

 

Hさんのご子息を責めることはできません。
ご縁がなければ、
誰だって……私だってそのような考えに染まっていたはずです。

 

生物である以上、死は当然さけたいものであり、
幸運は手にしたいものです。
死はつまらないものであり、
生こそ尊いものと考えます。

 

そう考えれば、命日は忌み嫌うもの、
何か嫌なことがおこりそうで、
そういう意味で大切にしとかないといけないもの、
でないとバチがあたる……。
そんな心情が生まれてくるかもしれません。

 

そうは言いながら人間はいつか必ず死ぬ事を知っています。
そして慰め混じりにあみだした観念が、例えば「天国」といわれたりします。
半分希望、半分不審の感情いりまじるこの概念は、
メディアの世界を行き交いします。

 

浄土真宗はそんな人間の価値観を大きく転換させます。

 

命日とは故人がいのちをかけて私にみ教えを受け伝えようとしてくれた日。
仏のご恩にきづかさてくださる日。
そういう意味で大切にしたいものです。

 

※参考:6月5日の別院の常例布教より

 

(おわり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 
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