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過去の法話

 

誤解ないまま(4月下旬)

水仙

【信長の言葉】

 

先日、小学生の娘と話をしていました。

 

「4月8日って何の日か知ってる?」
「?」

 

そこでヒントとして、
右手で天井を指し、左手で地面を指すポーズをしました。

 

「しんらんさまの誕生日?」
「おしい、お釈迦さまだ。
4月8日はこの世でただ一人ほとけさまとなられて、
大切な事、
とくに阿弥陀さまの事を説かれたお釈迦さまのお生まれになった日、『花まつり』だよ。」
「へぇー」
「お釈迦さまは、生まれてすぐに七歩あるいて、
『天上天下唯我独尊』っておっしゃったんだよ。」
「知ってる。それって信長の言葉でしょ。」
「?」

 

信長の言葉?
「人生五十年」なら聞いた事がありましたが
お釈迦さまの言葉も言ってたのかと驚きました。

 

でも、よくよくたずねると織田信長ではありませんでした。
海南大付属1年生、清田信長の言葉、
バスケット漫画『スラムダンク』の登場人物の台詞でした。

 

【個人プレー】

SLAMDUNK

「わかってねえな… この意味を…………(誰も)」
「あの流川がパスしたんだぞ… あの流川が」
「あの… 天上天下唯我独尊男がパスを!!」

 

この「天上天下唯我独尊男」とは「個人プレーにはしる人」という意味でしょう。
自分の才能に自信があり、自分勝手な行動をとる人。
仏法にご縁がない世間の人の中には、
「天上天下唯我独尊」はそういう意味にとらえがちかもしれません。
何故なら文字通りよめばそうなるからです。

 

お釈迦さまの誕生の物語から、
この言葉だけが一人歩きしてしまい、
「世界中で(天上天下)で、ただおれ独りだけが偉い(唯我独尊)」と。

 

「赤ん坊が右脇から生まれて、いきなり七歩あるいて、
しかも『天上天下唯我独尊』ってしゃべったなんて、うける(爆笑)!」
(某高校生の教室にて)

 

誤解をとくには、お寺でお釈迦さまの物語を最後まで聞いてもらうしかありません。

 

空を飛ぶ鳥から、地面の下の虫まで、
すべてのいのちはひとしく尊いとみるのが仏さまです。
すなわち、誰もがその境界、
迷いを転じて悟りを開く(≒仏になる)事ができると示されました。

 

王位を捨て、ただひたすら人々を救うために真実の道を説かれた人生です。
そんなお釈迦さまに救われた人たちが、
「たった一人で、生涯身を粉にして法を説きつづけてくださった」と、
お釈迦さまの生涯を讃えて、尊敬の思いをこめて、
その誕生に、七歩あるいたエピソード(六道輪廻をこえる、もしくは満数(誓願成就)という意味か)を、
「天上天下唯我独尊」とおっしゃったエピソードを加えたのでした。

 

「天の上にも天の下にも、ただわれ独り尊し」とは、
「天の上にも天の下にも、ただひたすら、われは独り、尊し(真実を歩み、真実を説かん)。」
と仏陀となることの決意表明です(※1)。
そしてお釈迦さまの壮大な八十年の物語が始まるのでした。

 

仏教語とはなかなか誤解されがちです。
今の時代、笑われながらでも、そのエピソードを知ってもらい、
そしていつかその真意にであってもらいたいものです。

 

【立教開宗】

 

さて、4月8日から一週間後の4月15日は「浄土真宗立教開宗記念日」です。

 

立教開宗とは、「独自の教義を立てて一宗を開く」という意味です。
浄土真宗ができたことを記念する日です。

 

大正12年、親鸞聖人の主著『教行信証』がひととおり完成した年を、
その著にある、「元仁元年(1224年)」(註釈版417頁)と定めました。
今年はその元仁元年から800年、立教開宗800年です。

 

ただ親鸞聖人に開宗の意志はありませんでした。
あくまで浄土真宗は「浄土へ生まれる宗要(かなめ)となる真実えの教え」を指します。

 

浄土真宗の教えは大きく三本柱です。
他力本願、往生浄土、悪人正機。
ですが「天上天下唯我独尊」同様、
800年間、誤解されがちです。
こちらも笑われながらでも、阿弥陀さまのお話を聴聞してもらい、
そしていつかその真意にであってもらいたいものです。

 

【正しく伝える】

 

ところで今から3年前、
次世代にご法義がわかりやすく伝わるようという願いをこめ、
浄土真宗のみ教え」というご文があらわされました。

私の煩悩と仏のさとりは 本来一つ

「自他一如」「煩悩即菩提」という仏さまの難解な教義を、
「わかりやすく伝える」という事に挑戦くださいました。

 

ただその後に続くのが、

私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ 「そのまま救う」が弥陀のよび声

言葉は生き物です。
間違って「唯我独尊」を解釈するような世間が、

 

「なるほど、おれの煩悩は、煩悩であって煩悩ではないのだ」
「浄土真宗とは何にもしなくてよい、気楽な宗教なのだな」

 

一僧侶として誤解がおこらないように努力したいものです。
「唯我独尊」同様、一人歩きしないことを願うばかりです。

 

「浄土真宗」は「真実の教え」です。
親鸞聖人の90年の生涯のご苦労を無駄にしないため、
後の世に正しくわかりやすく伝えていきたいと思います。

 

……とはいえ、この「浄土真宗のみ教え」は、
一部加筆され「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」という名目となり、
しかも「全員唱和」という話まで発展して、現在大きな問題となっています。

 

「領解文」という名がつくと、意味合いもかわります。
また内容も聖典に準ずるような、大変重い位置づけになります。
それなのに元総長の某氏の思想が多分に感じられます。
(元本願寺総長の某氏の思想が多分に含まれていることは、
木下明水氏、また勧学司教の会が指摘し、問題視されています。)

 

ただでさえ誤解されやすい浄土真宗です。
一僧侶の責任放棄をしているわけではないのですが、
「新しい領解文」は再検討として、
いったん取り下げていただけると大変たすかります。

 

(※1)
「天上天下唯我独尊」には続きがあります。
たとえば『修行本起経』では「天上天下唯我為尊 三界皆苦吾當安之」。
「天上天下、ただわれ尊となす。三界は皆苦なり。われまさにこれを安んず」、
この場合、「独尊」ではなく「為尊」ですが、
仏陀として人々を導くことが示されています。

 

また「唯我独尊」について、本来の意味をこえて、
「ただ我ら独りひとり尊し(すべての存在は尊く、かけがえのない命を与えられている)」と解釈される場合もあります(参照)。

 

(おわり)


 

 
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