明るい方より(12月下旬)
【座談会】
今月8日の幼稚園の参観日。
講談師の神田京子先生の「講談親子鑑賞会」を開きました。
その前夜、西福寺さんで開かれた「神田京子大独演会in山口 応援座談会」に、
ご挨拶もかねて参加させていただきました。
先生は来年2月24日、芸歴25周年・山口移住5年記念の大独演会を開かれます。
場所は新山口駅から徒歩数分のKDDI維新ホール。
席数1500人を満員にする熱い意気込みを聞かせていただきました。
「パン、パン」(張り扇の音)
話の中で講談の抜粋を2つ語ってくださいました。
一つは12月中席の池袋演芸場でされる演目「赤穂義士伝」。
「大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしたか)、
続いて、同性(大石)主税良金(ちからよしかね)、
吉田忠左衛門兼亮(よしだちゅうざえもんかねすけ)、
原惣右衛門元辰(はらそうえもんもととき)、
片岡源五右衛門高房(かたおかげんごえもんたかふさ)、
間瀬久太夫正明(ませきゅうだゆうまさあき)……」
立て板に水のごとく四十七士の連判状を読まれました。
講談の魅力に一気に引き寄せられました。
また大独演会での演目『渋沢栄一伝 〜繰り返さない明日へ。〜』の冒頭10分も。
圧巻は渋沢青年が19歳で読んだ漢詩「内山峡」。
勢衝天攘臂躋 : 勢ひ 青天を衝き 臂(ひじ)を攘(はら)ひて[まくって]躋(のぼ)り
氣穿白雲唾手征 : 気 白雲を穿(うが)ち 手に唾(つば)して征く
日亭未牌達絶頂 : 日 未牌に亭(いた)りて 絶頂に達すれば
四望風色十分晴 : 四望の風色 十分に晴る
遠近細辨濃與淡 : 遠近 細かに弁ず 濃と淡
幾幾紅更渺茫 : 幾青 幾紅 更に渺茫(びょうぼう)
始知壮觀存奇險 : 始めて知る 壮観の奇険に存するを
探盡眞趣游子行 : 真趣を探り尽くして 游子(ゆうし) 行く
恍惚此時覺有得 : 恍惚として此の時 覚 得たる有り
慨然拍掌歎一聲 : 慨然として掌を拍(う)って一声を歎ず
君不見遁世C心士: 君見ずや 遁世 清心の士
吐氣呑露求蓬瀛 : 気を吐き露を呑んで蓬瀛(ほうえい)を求むるを
又不見汲汲名利客: 又た見ずや 汲汲(きゅうきゅう)たる名利の客
朝奔暮走趁浮榮 : 朝に奔り暮に走りて浮栄(ふえい)を趁(お)ふを
不識中間存大道 : 識らず 中間に大道の存するを
徒將一隅誤終生 : 徒(いたず)らに一隅を将って終生を誤る
大道由来随處在 : 大道は由来 随処に在り
天下萬事成於誠 : 天下の万事は誠より成る
(参照:https://tosando.ptu.jp/si_exm.html)
中心の18句を朗々と語られました。
読み物の力、言葉の力を知らされました。
現代語訳も語ってくださり、
渋沢青年の志が熱く伝わってきました。
『渋沢栄一伝 〜繰り返さない明日へ。〜』
この40分の話芸を堪能した時、
きっと新一万円紙幣は生涯、三万にも五万にも価値が上がると思います。
【鑑賞会】
次の日の親子鑑賞会。
「パン、パン」(張り扇の音)
園児達は最初ビックリしていましたが。
拍手で張り扇の真似をしたり楽しそうでした。
講談は「金子みすゞ伝 〜明るい方へ」を語ってくださいました。
26歳でなくなる金子みすゞの波瀾万丈な人生。
残した作品の数は512編。
「積もった雪」
上の雪、寒かろな
つめたい月がさしていて
下の雪、重かろな
何百人ものせていて
中の雪、さみしかろな空も地面(じべた)も見えないで
言葉は子ども向けですが、
そこから見えてくるみすゞさんの優しい眼差しに、
大人も感動せずにはいられません。
講談の締めくくりは演目の「明るい方へ」でした。
明るい方へ
明るい方へ。
一つの葉でも陽の洩るとこへ。
やぶ影の草は。
明るい方へ、
明るい方へ。
はねはこげよと灯のあるとこへ。
夜飛ぶ虫は。
明るい方へ、
明るい方へ。
一分も広く日のさすとこへ。
まちの住む子らは。
……これをもって読み終わりといたします。
園児60人、保護者80人で聞いた約30分の鑑賞会。
とても楽しい「成道会(12月8日)」でした。
【四十八願と正信偈】
「パン、パン」(張り扇の音)
今をさかのぼること2500年前、
インドのマガダ国の首都、王舎城の耆闍崛山にて、
お釈迦さまは弟子の阿難に請われ、「時は来た」と語られたのが阿弥陀如来の物語。
それは法蔵菩薩のあらゆるものを救うためのご苦労の話であります。
その出発となるのが有名な48願。
「設我得仏……私が仏になるにあたって、このような仏、このような浄土を成し遂げたい。
そうでなかったならば仏には決してなるまい。」
「パン」(張り扇の音)
第 1 願 無三悪趣の願 (むさんまくしゅのがん)
第 2 願 不更悪趣の願 (ふきょうあくしゅのがん)
第 3 願 悉皆金色の願 (しっかいこんじきのがん)
第 4 願 無有好醜の願 (むうこうしゅのがん)
第 5 願 令識宿命の願 (りょうしきしゅくみょうのがん)
第 6 願 令得天眼の願 (りょうとくてんげんのがん)
第 7 願 天耳遥聞の願 (てんにようもんのがん)
第 8 願 他心悉知の願 (たしんしっちのがん)
第 9 願 神足如意の願 (じんそくにょいのがん)
第10 願 不貪計心の願 (ふとんげしんのがん)
第11 願 必至滅度の願 (ひっしめつどのがん)
第12 願 光明無量の願 (こうみょうむりょうのがん)
第13 願 寿命無量の願 (じゅみょうむりょうのがん)
第14 願 声聞無量の願 (しょうもんむりょうのがん)
第15 願 眷属長寿の願 (けんぞくちょうじゅのがん)
第16 願 離諸不善の願 (りしょふぜんのがん)
第17 願 諸佛称名の願 (しょぶつしょうみょうのがん)
第18 願 至心信楽の願 (ししんしんぎょうのがん)
第19 願 至心発願の願 (ししんほつがんのがん)
第20 願 至心回向の願 (ししんえこうのがん)
第21 願 具足諸相の願 (ぐそくしょそうのがん)
第22 願 還相回向の願 (げんそうえこうのがん)
第23 願 供養諸佛の願 (くようしょぶつのがん)
第24 願 供養如意の願 (くようにょいのがん)
第25 願 説一切智の願 (せついっさいちのがん)
第26 願 得金剛身の願 (とくこんごうしんのがん)
第27 願 万物厳浄の願 (まんもつごんじょうのがん)
第28 願 道場樹の願 (どうじょうじゅのがん)
第29 願 得弁才智の願 (とくべんざいちのがん)
第30 願 弁才無尽の願 (べんざいむじんのがん)
第31 願 国土清浄の願 (こくどしょうじょうのがん)
第32 願 妙香合成の願 (みょうこうごうじょうのがん)
第33 願 触光柔軟の願 (そくこうにゅうなんのがん)
第34 願 聞名得忍の願 (もんみょうとくにんのがん)
第35 願 女人往生の願 (にょにんおうじょうのがん)
第36 願 聞名梵行の願 (もんみょうぼんぎょうのがん)
第37 願 作礼致敬の願 (さらいちきょうのがん)
第38 願 衣服随念の願 (えぶくずいねんのがん)
第39 願 常受快楽の願 (じょうじゅけらくのがん)
第40 願 見諸佛土の願 (けんしょぶつどのがん)
第41 願 聞名具根の願 (もんみょうぐこんのがん)
第42 願 聞名得定の願 (もんみょうとくじょうのがん)
第43 願 聞名生貴の願 (もんみょうしょうきのがん)
第44 願 聞名具徳の願 (もんみょうぐとくのがん)
第45 願 聞名見仏の願 (もんみょうけんぶつのがん)
第46 願 随意聞法の願 (ずいいもんぼうのがん)
第47 願 聞名不退の願 (もんみょうふたいのがん)
第48 願 得三法忍の願 (とくさんぼうにんのがん)
(願名は註釈版聖典より)
……ここは拍手する所です。
この如来の願いが全て成就して阿弥陀仏となられます。
そんなお釈迦さまのご説法からおよそ1500年。
鎌倉時代の日本で親鸞聖人がお生まれになります。
9歳の時に比叡山に入って20年間、
修行に打ちこめどもさとりの道がひらけず、
ついに山から下りて六角堂へこもり、
95日目、観音菩薩の示現を得て吉水の草案、法然聖人をたずねます。
また雨の日も風の日もそこで念仏往生の話を聞くこと100日間、
ついに「雑行を捨てて本願に帰す」と言われ、
他力念仏の妙義にであうのでした。
「パン パン」(張り扇の音)
その親鸞聖人が生涯をかけて書いたのが『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)』六巻、
略して『教行信証』と申します。
その第2巻目「行文類」の最後に出てくるのが、
浄土真宗ではおなじみの「お正信偈」。
普段は勤行用に漢字のまま読みますが、
本来はきちんと書き下されております。
帰命無量寿如来: 無量寿如来に帰命し、
南無不可思議光: 不可思議光に南無したてまつる。
冒頭2句は聖人の信心の表明。
法蔵菩薩因位時 : 法蔵菩薩の因位のとき、
在世自在王仏所 : 世自在王仏の所にましまして、
覩見諸仏浄土因 : 諸仏の浄土の因、
国土人天之善悪 : 国土人天の善悪を覩見して、
建立無上殊勝願 : 無上殊勝の願を建立し、
超発希有大弘誓 : 希有の大弘誓を超発せり。
五劫思惟之摂受 : 五劫これを思惟して摂受す。
重誓名声聞十方 : 重ねて誓ふらくは、名声十方に聞えんと。
普放無量無辺光 : あまねく無量・無辺光、
無碍無対光炎王 : 無碍・無対・光炎王、
清浄歓喜智慧光 : 清浄・歓喜・智慧光、
不断難思無称光 : 不断・難思・無称光、
超日月光照塵刹 : 超日月光を放ちて塵刹を照らす。
一切群生蒙光照 : 一切の群生、光照を蒙る。
本願名号正定業 : 本願の名号は正定の業なり。
至心信楽願為因 : 至心信楽の願(第十八願)を因とす。
成等覚証大涅槃 : 等覚を成り大涅槃を証することは、
必至滅度願成就 : 必至滅度の願(第十一願)成就なり。
……ここもできれば拍手。
この18句が弥陀章とよばれ、
阿弥陀如来の物語の要点をぐっとしぼって讃歎されるのでした。
五劫もの間、どのような仏も救う事のできなかった凡夫を救う道を思案され、
その解決となるべきはたらきを「名声(名号)」にこめられた。
凡夫にも届く仏、聞こえる仏となられたと味わわれます。
金子みすゞさんは「明るい方へ」と詩を作りました。
人は希望があるから生きていけます。
しかし無明の闇に覆われて、どこが光ある方向なのか、
はたまた反対に光の方から逃げようとする私と知った仏さま。
極重悪人の業から抜け出ることかなわぬ私に、
「明るい方より(仏の方より)」南無阿弥陀仏の名の声となって、
闇を破り、悪業を除く光を届けてくださいます。
どのような時代、国、環境であっても、
誰もが聞きふれる事のできる他力の教え。
現代は科学・医学が発達した素晴らしい時代ですが、
仏法の聴聞数は減少の一途です。
「念仏一つで救われる」という意味も道理もなかなか受け入れがたい現代。
しかし縁ある人々を感動させ続けている南无阿弥陀仏のはたらき。
さあ、今の私に、あなたに、どう響くのでしょうか。
「四十八願と正信偈」、これを持って読み終わりといたします。
(おわり)