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過去の法話

 

遇いがたい出遇い(10月上旬)

水仙

【ついたち礼拝】

 

1月と8月を除いた毎月1日、
9時からの45分間、
「ついたち礼拝」を行っています。

 

正信偈和讃をお勤めし、
法話・茶話、解散。
今年が7年目です。

 

法話では親鸞聖人の和讃を一首、ご讃題にとりあげます。
三帖和讃は353首あります。
年に10首のペースですから、
すべてご讃題としていただくには、あと29年……70歳。

 

さて、今月の和讃は、

(68)如来の興世にあひがたく
 諸仏の経道ききがたし
 菩薩の勝法きくことも
 無量劫にもまれらなり

 

「お釈迦さまの時代に生まれ、出遇うことは、
容易なことではありません。
ましてやお釈迦さま以外の仏さまから、
この上ない勝れた菩薩の教え(大乗の教え)を聞く事など、
無量劫の時間を経ても難しいことです。」

 

無理だという話ではありません。
そんな遇いがたく聞きがたいものに今ふれている喜びが詠まれています。
それは阿弥陀さまの救いの道理です。

 

【演奏会】

 

きっかけは先月の最初の日曜日でした。
岩国組全体の子ども会で、
流しソーメンをお手伝いくださったFさんが勧めてくださいました。

 

「ロシア交響楽団の演奏会、行った方が良いですよ。」

 

クラッシックは嫌いではありませんが、
その日はお彼岸の真っ最中です。
しかも自坊の法座の前日。

 

悩みに悩んだ一週間後、
「演奏会、行ってきたら?」
奥さんの一言ですぐに電話。
「Fさん、チケット一枚、手にいれて下さい!」

 

圧倒的な演奏でした。
「唸る弦楽器群、咆哮する金管・・・ロシアの伝統、魂の叫びに身を委ねよ!」
宣伝文句の通り、興奮の二時間でした。

 

クラッシック……でしたが全てチャイコフスキーでした。
オペラ『エフゲニー・オネーギン』のポロネーズ(舞曲)、
ヴァイオリン協奏曲、そして交響曲第5番。

 

ロシアの作曲家が音楽で表現するロシアの歴史・風土が、
ロシアの演奏家によって堂々と描かれ、
目の前に浮かびあがってきます。
圧巻はチャイコフスキーが48歳の時に作曲した交響曲5番。
まるでそこにチャイコフスキーがいるかのように、
48歳の世界的な指揮者が指揮しています。

 

チャイコフスキーを知らなかったわけではありません。
でも「チャイコフスキーってこんなにすごかったのか」の一言。
Fさんを始め、ロシア演奏家、西本指揮者等、
さらにはクラッシックの魅力を教えてくれた様々ご縁で、
今、チャイコフスキーに出遇うことができました。

 

【遠き宿縁】

 

一週間悩んで出遇ったチャイコフスキーどころではありません。

 

20年にわたる血のにじむ求道をされた親鸞聖人。
しかしついに法然上人から、阿弥陀さまという、
念仏往生のみ教えに出遇いました。

 

お念仏を知らなかった親鸞聖人ではありません。
しかし「お念仏とは、阿弥陀さまとはこういう事なのか」の一言。
喜びは一入だったかと。

 

後に親鸞聖人はこう言われます。
「遠く宿縁を慶べ。」
遇えるはずもない法でしたが、
数え切れない因縁によって、思いがけなく今生、ばったり出遇えました。
むなしく短い一生を終えるしかなかった身が、
ゆるぎない他力の信をえさせていただいた嬉しさです。

 

【法話会】

 

様々なご縁で、演奏会ではなくお寺の法会、法話会に。
科学的・合理的な考え方と、
哲学的・道徳的な考え方の私が、
もう一つの考え方、お釈迦さまのとかれたみ教えに出遇います。

 

私の人生のそのもの、ままならないわが苦悩を超える道です。
死を代表とする四苦八苦の問題。
受け入れられない私の心。
煩悩にまみれ、分別にとらわれた心です。
百歳超えても、死にたくはありません。
諦めろと言われても、「長生きの秘訣はね…」と聞けば、その誘惑に惹かれます。

 

煩悩を捨て、分別のとらわれを離れることができるなら、
こんなに簡単なことはありません。
しかし、沈む石が沈ませない船に乗るがごとく、
煩悩のままさとりの世界をもって生きる未来がありました。

 

念仏をもって生きる道。
それはお釈迦さまの本意、諸仏がたの真意、
阿弥陀さまの心にふれる道です。

 

煩悩のざわつきに左右されない、
分別のとらわれにずれる事のない、
さとりの世界へぶれずに進む道。
生涯かけても遇えるはずのないものに出遇えた道です。

 

(おわり)

 


 

 
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