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過去の法話

 

あるお同行の手紙(11月下旬)

水仙

【お同行】

 

それは秋のお彼岸中の突然の来訪でした。

 

「私はHの娘です。
実は長年、専徳寺の法座へ参っていた母Hが、
今年の夏、浄土に旅立ちました。
生前、『専徳寺さんには大変お世話になった』と申しておりました。
ご報告と、
お気持ちばかりですがお供えください。」

 

お布施とお手紙を頂戴いたしました。

 

Hさんは、隣町にお住まいの“お同行”でした。

 

「お同行」というのは、この辺りでは、
自分の所属のお寺だけでなく、
仲間と共にいろいろなお寺の法座へお参りし、
お聴聞を喜ばれる方の呼び名です。

 

私がお寺に戻る前からよくお参りくださっていました。
私が住職になってからもそれは続き、
法座を欠席される時は「ご法礼」をわざわざ送ってくださいました。
しかし10年前に、
「(いよいよ高齢になり、)もうお参りできそうにありません」と、
法座案内のお断りの丁重な手紙をもらったのが最期でした。

 

最期のお手紙の一文が印象的でした。

 

「私は右半身がききませんが、四点杖をついてボチボチ歩いています。
行き先がわかっている私は楽しく、楽しく暮らしております。
専徳寺にお参りした気分でおります」

 

とても有難いお婆ちゃんでした。

 

【手紙と詩】

 

いただいた手紙には次のように書いてありました。

 

出会えた皆様とお導きくださった仏法に心より感謝いたします。

 

謹啓 
故 H存命中はひとかたならぬご懇情を賜りまして誠にありがたく謹んでお礼申しあげます。

 

8月17日に入院先の○○○病院で眠るように穏やかに、
お浄土に旅立ちました。

 

95年の人生を豊かに歩んだ母の教えの数々が、
次々に思い起こされております。
『親が子に残す最大の遺産は 死に行く姿を見せてくれることだ』
という言葉は、専徳寺様のお説教で聞いて、
強く心に残っていると言っていました。

 

コロナ禍の中で、施設に入所している母との面会がままならない中、
日々おとろえる母の姿から、いのち、人生無常……などいっぱい考えました。
母は長い年月をかけて沢山の方々の助けをお借りしながら、
心豊かに生き、その方たちを穏やかに和ませて、
長寿の幕を下ろしたように思います。

 

長い間本当にお世話になりました。有難うございました。・・・

 

娘さんの手紙には、
Hさんが脳梗塞を患う前に書いてくれた手紙のコピーが同封してありました。

 

「ありがとう」

 

いい親兄弟に恵まれて
  本当にしあわせでした ありがとう
いい子供や孫に恵まれて
  本当にしあわせでした ありがとう
いい家に嫁に来れて 仏法にあいました
  本当にありがとう
いい家族 親族に恵まれて
  しあわせに暮らしました ありがとう
いい人々に いっぱいあい
  楽しく暮らしました ありがとう
汗をかきながら精一杯 生きられて
  しあわせでした ありがとう
とりわけ仏法にあい 生きるよりどころ
死んで行く世界を知ることができ
又会える世界へ安心して行けます
ありがたい事です ありがとう 称名

 

【人は去っても】

 

人は去っても その人の言葉は去らない
人は去っても その人のぬくもりは去らない
人は去っても拝む手の中に帰ってくる
      (元相愛大学長 中西智海)

 

最期お会いすることはかないませんでしたが、
Hさんとはいつでも、
報恩のお念仏の中であうことができます。

 

ご縁がなければいつまでも便利さばかり求め、
生にしがみつき、老病死の現実をさける私たち。
しかし不思議なご縁がととのい、
生活の便利さから、人生の大利(※)へと目が向く身となります。

 

お念仏の利益を共に恵まれ喜びあうお同行がいます。
こんな方々に支えられて、
お寺はお寺らしく成り立っていけるのです。

 

※親鸞聖人は浄土和讃で、
  阿弥陀仏の御名をきき
  歓喜讃仰せしむれば
  功徳の宝を具足して
  一念大利無上なり
と詠われ、「大利」に「涅槃に入るを大利といふなり」と左訓されました。

 

(おわり)


 

 
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