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過去の法話

 

お土産(9月下旬)

水仙

【澄みきった世界】

 

長雨も終わり、澄み切った秋空。
今年も秋のお彼岸が近づいてきました。
太陽が真西に沈んでいきます。

 

その時、仏、長老舎利弗(しゃりほつ)に告げたまはく、
「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、
名づけて極楽といふ。
その土に仏まします、阿弥陀と号す。
いま現にましまして法を説きたまふ。」
  (『仏説阿弥陀経』、註釈版121頁)

 

十万億土では遠すぎる……ではありません。
それは法の清らかさ(清浄性:しょうじょうせい)を示しているといただきます。
私の心であるこの世は、煩悩と悪業で濁った世界です。此岸(しがん)といいます。
それに対して、
阿弥陀さまの国は、さとりと光明に澄んだ世界。彼岸(ひがん)といいます。
秋空のごとく澄み切ったお浄土があります。

 

【同窓会】

 

かつてあるお同行の方からこんな物をいただきました。

 

同期の御老人方よ

 

念仏を称えませんか。
ナンマンダブ ナンマンダブ と繰り返します。

 

西方浄土の阿弥陀仏の喚びかけが念仏です。
どれ程罪が深くとも 浄土に迎えて覚(さと)りの仏にするぞと来て下さってあるわけです。
それが念仏です。
仏さまが私共と一つになって下さってある姿です。

 

遠からず西方浄土に参ります。
楽しみな老境です

 

人生の未来に浄土を持って生きます。
悠然として生き、死んで往けます。

 

浄土は私共が仏に成る国です。
無量寿まで仏の覚(さと)りを楽しむ国です。
行き先のない老境は悲しく寂しく憐れです。

 

あるお寺の掲示板に掲載してあったと聞きました。
かかれたのは山口のお寺のF和上
(和上とは、高位の学階を有する人への敬称です)
そのF和上の名前の下には、「空戦」と書いてありました。

 

「どういう意味でしょうか?」
「分かりません。」

 

一ヶ月後、遠方よりKさんが法座にお聴聞くださいました。
F和上を晩年までサポートされたKさん。
法座のお礼状と一緒に、F和上の言葉を送ると、
こんなご返事をいただきました。

 

「平成14,5年頃でしたが、
油谷町のホテルで陸軍航空士官学校の同窓会が開かれました折に皆様の土産にと、
準備なさったものです。
私にコピーをさせて下さいましたこと想い出します。
お帰りに成りまして「同窓会は二度と行かん…」とおっしゃいました。

 

有り難いことでございます。
私共は「遠く宿縁を慶ぶ」ばかりでございます。
お陰様で懐かしく思い起こすことができました。」

 

【戦友】

 

一緒に戦った戦友です。
時代の流れとはいえ、
相手を痛めつけ、仲間を傷つけられた思い出を持つお互いです。

 

そんな友人へ、お浄土をすすめ、お念仏をすすめられました。

 

土産を喜んだ人もおられたと思います。
その人は大切に持ち帰り、
近所のお寺へ持って行き、
そのお寺の掲示板になったのだと。

 

しかし、ピンとこない人もたくさんいた事でしょう。
「どれほど罪が深くとも?
戦争は、俺たちの責任ではない。
そんな事よりも昔は……、今は……。」
自慢話、愚痴話ばかりで、
がっかりして帰られたF和上。

 

【お土産】

 

F和上から同期の方へのお土産ですが、
私へのお土産といただきます。

 

悲しくも沸き起こる煩悩は、
そのまま行動にでます。
殺生を繰り返す日々の暮らし。

 

そんな私の現実を知り尽くした仏さまは、
みずからの功徳をすべてふり向け、
地獄行きの私を方向転換させてくださいます。
「他力の回向(えこう)」と呼ばれるそのはたらきは、
南無阿弥陀仏という名のすがたとなって、
「われに任せよ。そのまま救う」と喚び通しです。

 

煩悩まみれのまま、
しかし不思議と湧き上がる心持ちは、
ナンマンダブ ナンマンダブと行動にでます。
「お恥ずかしい事です。そして有り難い事です。」
自己反省でも、自己肯定でもありません。
仏さまのお救いの道理、
その道理で描かれた景色を見た不安なき慶び心です。

 

「間に合っていました。」

 

戦火のごとく、今日が最後、いつ終ってもおかしくない私のいのちの現場です。
そんな今、仏さまは「われに任せよ、そのまま来いよ」と喚ばれます。
お浄土という未来ある私。
何も焦ることなく人生を歩ませていただきます。

 

いつか、お浄土でF和上にお会いします。
「私もたくさんのお土産を持って参りました。
お法(みのり)と暮らした様々な土産話です。」

 

お彼岸の時期がやってきます。

 

(おわり)

 


 

 
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