「法座の言葉」について
専徳寺では昭和55年より、
法座が終わるたびに参詣者に葉書を送って来ました。
葉書には参詣へのお礼に続いて、講師の法話の肝要部分、
またそれを承けての住職の法語等を書いてきました。
当ページではこれらの言葉を紹介いたします。
No.290 瀧渕良孝師 (令和5(2023/1/17-19)
【讃題】
大祖聖人(源空)、ことに宗の淵源を尽し、
教の理致をきはめて、これをのべたまふに、
たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、
あくまで凡夫直入の真心を決定しましましけり。
(『御伝鈔』上巻・第二段)
へつらいのない教え
浄土真宗の「真」について、
親鸞聖人はある箇所(「真実明」)で、
「偽り諂わぬを真という」と言われました。
「諂う(へつらう)」とは、相手が気に入るようにものを言う事。
相手のご機嫌を取る言葉です。
時折、会話の中で聞きますが、ごまかしにすぎません。
宗教にもそんな「諂う宗教」があります。
「これを信じたら家族は円満に、病気もなおる」等、
人間に都合良い利益をふりまく教えが、
見渡せば世の中にはいくらでもあります。
本物の救いの道理に出遇えよといわれる聖人。
故にその教えを「浄土真宗」と言われたのでした。
(おわり)