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「法座の言葉」について

専徳寺では昭和55年より、
法座が終わるたびに参詣者に葉書を送って来ました。
葉書には参詣へのお礼に続いて、講師の法話の肝要部分、
またそれを承けての住職の法語等を書いてきました。

 

当ページではこれらの言葉を紹介いたします。

 

過去の法話

No.286 福間義朝師 (令和4(2022)/05/12-13)

 

【讃題】 

 

十方微塵世界の
 念仏の衆生をみそなはし
 摂取してすてざれば
 阿弥陀となづけたてまつる

 

お浄土におられる人だから 

 

葬儀で「亡き母は天国で見守って・・・・」と聞きます。
しかし、仏教で天国と浄土は区別します。

 

天国は人の願う世界、浄土は仏の願う世界です。

 

人の願いは常に煩悩が混じっています。
例えば「あんまり働かずにお金が入って楽したい」、それが天国です。
わたし独りが欲がみたされて楽をしたい世界。

 

浄土は全然違います。
自分はどうでも良いのです。
衆生を救うのが喜びとなるのが仏です。

 

地獄の反対は天国、いったりきたりします。
浄土は地獄も天国もいだきます。

 

故に浄土は遠くでじっとしていません。
今浄土はここではたらいています。
どうはたらいているか。
「南無阿弥陀仏」、これが浄土のはたらきです。

 

亡くなった方の姿は遺影ではありません。
一番身近なのは阿弥陀さまの姿。
もっと言えば「南無阿弥陀仏」、声の姿です。
故人は「南無阿弥陀仏」と新しい姿となってここにいらっしゃる。
いずれお浄土で再会しますが、
よくみ教えを味わったらここにおられます。
すべてが「南無阿弥陀仏」にいたるのです。

 

(おわり)

 


 
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