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「法座の言葉」について

専徳寺では昭和55年より、
法座が終わるたびに参詣者に葉書を送って来ました。
葉書には参詣へのお礼に続いて、講師の法話の肝要部分、
またそれを承けての住職の法語等を書いてきました。

 

当ページではこれらの言葉を紹介いたします。

 

過去の法話

No.269 服部 法樹師 (平成31(2019)03/15-16)

 

【讃嘆】

 

「まづ聖人(親鸞)一流の御勧化のおもむきは、信心をもて本とせられ候。
そのゆへはもろもろの雑行をなげすてゝ、
一心に弥陀に帰命すれば、
不可思議の願力として、
仏のかたより往生を治定せしめ給ふなり。
このくらゐを「一念発起入正定之聚」(論註・巻上意)とも釈したまへり。
このうへには行住座臥の称名念仏は、
如来往生を定め給ふ御恩報尽の念仏と心得べきなり。」
  (御文章集成より。『浄土真宗聖典全書』五, p. 236)

 

 

【どこにおっても】

 

本堂でご法義を聞いても、
右から入って左に出てしまう、
すぐ忘れてしまう私の耳、“ざる耳”。

 

そんな“ざる”でも一杯にしておく方法があると蓮如上人はおっしゃる。
「そのざるを水につけて置け。そしたら一杯にできるぞ」と。

 

お説教で聞いた事は忘れても良い。
でもお慈悲の中に住まわせてもらっている事は、
忘れてはいけないということか。

 

……山本仏骨和上(1991年2月6日往生)は、
晩年、体調崩され長いこと入院されていました。
その頃、講師だったK先生は、
しょっちゅうお見舞いに行っていた。

 

「和上、最後のおいとまにやって参りました。」
「そうか、そうか。」
機嫌良く、和上は出迎えてくださっていた。

 

だが病院の食事が原因なのか、
ある日、機嫌の悪い時があった。
「わしゃ、いつになったら退院できるんだ!」

 

誰が見ても退院できる状態ではない。
K先生は困った顔をされ、
「和上、もうしばらくのご辛抱を。」

 

それを聞いた山本和上。
答えにくい事を言わせてしまったなと、
途端にニコッと笑って、
「そうか。まあ、どこおってもお慈悲の中やでな。ナンマンダブ。」

 

病院であろうが、自宅であろうが、
生きておろうが、命を終えようが、
いつでもどこでもお慈悲の中に住まわせてもらっているのが、
お念仏という生活である。

 

私の心はどうにもならない。
機嫌が良い時もあれば悪いときもある。
ついついお慈悲の事も忘れてしまう。
しかしそれでも、お慈悲の中に変わりない。
だから時々、縁にふれ、思い出すことがあった時、「ナマンダブ」と。
私の心は問題にせず、
如来の「たのむからお念仏してお浄土へ生まれてきておくれ」という、
お誓い通り、お念仏申させてもらうのである。

 

(おわり)

 


 
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