山口県は岩国にある浄土真宗寺院のWebサイト

「法座の言葉」について

専徳寺では昭和55年より、
法座が終わるたびに参詣者に葉書を送って来ました。
葉書には参詣へのお礼に続いて、講師の法話の肝要部分、
またそれを承けての住職の法語等を書いてきました。

 

当ページではこれらの言葉を紹介いたします。

 

過去の法話

No.301 深野純一師 (2024/8/30-31) ※台風の為、初日中止

【二つの生死(「せいし」と「しょうじ」)】

 

お経に何度も出てくる「生死」は、【せいし】でなく【しょうじ】と読みます。

 

生死は「生きる事と死ぬ事」です。
生死の境をさまよう」というように、
生死は生と死を分別(ふんべつ)した(境をつくった)言い方です。

 

生死(しようじ)とは、「生まれる事と死ぬ事」ですが、
両者を分別しておらず、
生死輪転(りんでん)」(生まれ変わり死に変る存在の私)、
永遠に苦悩の中を迷いつづけるわが身をあらわし、
また「生即死(生=死。生と死は表裏一体である)」といった事も内包した言い方です。
その事から「生死」は、
「@生まれる前は何だったのか。A死んだ後はどうなるか。B今が人生最後の瞬間かもしれない」
といった、人生問題を私に投げかける言葉なのです。

 

これらの問題を解く浄土真宗のお説教。
実感はわきませんが、
心しずかに「ほーっ」と仏さまの救いのお話をお聴聞しておく事が大切です。

 

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