「法座の言葉」について
専徳寺では昭和55年より、
法座が終わるたびに参詣者に葉書を送って来ました。
葉書には参詣へのお礼に続いて、講師の法話の肝要部分、
またそれを承けての住職の法語等を書いてきました。
当ページではこれらの言葉を紹介いたします。
No.296 渡辺崇之師 (2023/11/15-16)
永代経の「経」の中身は、
「私がお金持ちになる話」、ではなく
「私が仏になる話」です。
煩悩まみれだった「凡夫が仏になる」という壮大な道が説かれています。
ただ、浄土真宗のお経『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』の場合は、
少し言葉をかえたほうが分かりやすいです。
すなわち、
「凡夫が仏になる」でなく、
「凡夫を仏になす」のです。
「凡夫よ、仏になるのです。精進しなさいよ。」
と仰せの仏(阿弥陀=無量寿仏)さまではありませんでした。
「凡夫よ、私が仏になすぞ。安心しなさいよ。」
と仰せなのが、阿弥陀さまです。
最後はたった一人で死にゆく私。
そのいのちの事実を心配した仏さまの誓いは、
徹頭徹尾、お慈悲です。
その事をお経から読み解いてくださった親鸞聖人です。
(おわり)