目次:
- 12月下旬「 」
- 12月上旬「 」
- 11月下旬「 」
- 11月上旬「 」
- 10月下旬「 」
- 10月上旬「 」
- 9月下旬「 」
- 9月上旬「 」
- 8月下旬「 」
- 8月上旬「 」
- 7月下旬「 」
- 7月上旬「 」
- 6月下旬「 」
- 6月上旬「 」
- 5月下旬「525年の節目」
- 5月上旬「京都にて」
- 4月下旬「生けるということ」
- 4月上旬「ウサギと海」
- 3月下旬「3つの「生かされて」」
- 3月上旬「新しいものと古いもの」
- 2月下旬「待っている世界」
- 2月上旬「本当の親」
- 1月下旬「蓮も牡丹も菊も」
- 1月上旬「貴き風景」
525年の節目
【少年合唱団】
先日の日曜日、「ウィーン少年合唱団」の公演を聴きに行ってきました。
「天使の歌声」と呼ばれ、世界中の人々に愛されているウィーン少年合唱団は、
今から525年前、神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアンT世が結成させた
少年聖歌隊を原点として誕生しました。
初めて聴きましたが大したものです。
あどけない22人の子ども達。
歌いながら鼻をかいたり、目をこすったり。
なんだか気軽に歌っているようで、
そのハーモニーの清涼感と声量は抜群でした。
なお演奏には誕生525年ということで、
かつて共に活動したW.A.モーツアルトの作品ケッヘル番号「K.525」、
「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の声楽アンサンブル・ヴァージョンもありました。
楽しくあっというまの2時間でした。
【打算なき信心】
次の日曜日(5.14)。
母の日になったその日は、蓮如上人の御命日、今年は525回忌でした。
母と早くに別れた蓮如上人。
波瀾万丈の人生を歩みつつ親鸞聖人のみ教えを大きく広めました。
お正信偈のおつとめ、和讃のおつとめ、さらに領解文。
様々な伝道方法をあみだしました。
またお手紙「御文章(ごぶんしょう)」での文書伝道も積極的でした。
・「聖人一流のご勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候。」(聖人一流章 五帖第十通)
・「そもそも、当流勧化のおもむきをくはしくしりて、極楽に往生せんとおもはんひとは、まづ他力の信心といふことを存知すべきなり。」(当流勧化章 五帖第二十二通)
・「他力信心といふことをばいますでにえたり。これしかしながら、弥陀如来の御かたよりさづけましましたる信心とはやがてあらはにしられたり。かるがゆゑに行者のおこすところの信心にあらず、弥陀如来他力の大信心といふことは、いまこそあきらかにしられたり。」(御袖章 五帖第十二通)
御文章のほとんどの内容は
「他力の信心をいただきなさい」で一貫しています。
凡夫の私がおこす信心は悲しいかな打算的だからです。
「あそこの神さまは効き目がない」
「あっちの神さまにわざわざいって祈ったら効き目があった。」
「とにかく手当たり次第に祈っておこう。」
そういう凡夫の「効く」「効かない」で発す信心ではなく、
蓮如上人は他力の信心といわれました。
それは私がみ教えを「聴く」か「聴かないか」、
お慈悲とふれあっているかどうかが問題となります。
母親の愛情で育つ子に親への不信はありません。
不疑(疑わない)なのではなく、
無疑(疑いがない)なのです。
それを他力の信心といいます。
【浄土愛】
ウイーンの合唱団日本公演で必ず歌われる曲目があります。
童謡「ふるさと」です。
兎追ひし彼の山 小鮒釣りし彼の川
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷ふるさと
奇しくも今年は「うさぎ年」。
日本の郷土愛を美しく奏でてくれました。
そしてフィナーレは定番「美しく青きドナウ」。
ヨハン・シュトラウスU世の代名詞のようなワルツ曲で、
オーストリアの第二の国家といわれているそうです。
ニューイヤーコンサートでもよく聴きます。
母なるドナウ川への賛美。
それに託した祖国への熱い愛の熱唱でした。
祖国愛や郷土愛の音色。
それはお念仏にも共通するものがあります。
お浄土へ往生がさだまり、
そのご恩報謝のお念仏です。
そんなお浄土は「私が仏となる」目的の場所ですが、
一方で「懐かしい人や両親・家族、諸仏や弥陀が待っていてくれる」、
ふるさと的世界です。
「また会いましょう。待っていてください。」
他力の信心以外、他に何も持ち合わせない人生の一人旅。
しかしこの度の生業(なりわい)を精一杯つとめさせていただき、
お念仏申しながら、ご法義のお土産をたくさん持って、
いつの日にか帰ります。
Donau so blau,(とても美しいドナウ川)
Durch Tal und Au(谷や野を通って)
Wogst ruhig du hin,(ずっと穏やかに流れる君に)
Dich grust unser Wien,(私たちのウィーンはあいさつをする)
Dein silbernes Band(君の銀色のリボンは)
Knupft Land an Land,(国と国を結び)
Und frohliche Herzen schlagen(心は楽しく鼓動する)
An deinem schonen Strand.(君の美しい岸辺で)
※訳はこちらを参照
ドナウ川のごとき、
様々な人・物・事を結ぶお念仏。
今日も美しく奏でさせていただきます。
(おわり) ※冒頭へ
京都にて
【屏風】
先週、京都へ行きました。
目的は京都国立博物館の親鸞聖人ご誕生850年を記念した「親鸞展」。
親鸞聖人の自筆に終始感動した2時間でした。
次の日の朝、西本願寺のお朝事へ。
朝6時から新しい節の正信偈でした。
終ってから京都駅に向かう途中、
何気なく東本願寺へ立ち寄りました。
9時までの時間つぶし……と思いきや、
西本願寺と同じく「親鸞聖人ご誕生850年慶讃法要」中で、
境内内外はポスターや立花、現代アートなどで彩られ、
見所満載でした。
ご影堂で声がするので行ってみるとまだお朝事の途中でした。
実は東本願寺は7時からのお朝事。
しかも毎月28日は親鸞聖人の月命日に加えて、今は慶讃法要中ということで
一時間をこえるお勤め中でした。
法話まで終わった所で8時半。
いよいよ駅にと思っていると、
境内の「慶讃テーマ館」なる所が開館しました。
ふらっと入ると、
「宗祖親鸞聖人展」、「教行信証展」、そして「親鸞画展」と様々な展示が。
東日本大震災1日前にできあがったという井上雄彦氏の屏風『親鸞』もありました。
先日同氏の監督『THE FIRST SLAM DUNK』を見たばかりというのもあって
思わぬ出遇いに大いに感動しました。
ケースに入っていない六曲一双(そう)の屏風。
手を伸ばせば触れられる距離。
鑑賞者は私1人。
後には警備と係1名が無言の監視。
緊迫感のある約20分間、
細部にわたって観賞させてもらいました。
貴重な時間でした。
【なぞかけ】
そろそろ駅へと思った時、
「まもなく視聴覚ホールにて慶讃寄席を開催します。
どうぞお集まりください。」
アナウンスが流れました。
言われるがままホールに着席。
桂小春団治師匠の「真宗落語」が始まりました。
「落語は短い話から長い話まであります。
短いのはというと、
『隣の家に囲いができたんだって?』『へー。』……終わりです。
こんなのもあります。
『向こうからお坊さんが1人歩いてくるで』『そう。』
『向こうからお坊さんが2人歩いてくるで』『そうそう。』
『向こうからお坊さんが365人歩いてくるで』『そうそうそうそう……』」
お寺を意識してか、お坊さんネタでした。
そして「なぞかけ」もお坊さんネタでした。
「なぞかけ」とは「なぞなぞ」の変型です。
「AとかけてBと解く。」
「その心は、C。」
一見なんの関係もなさそうなAとBが、
「C」でその共通点を言い当て、「うまい!」となるわけです。
たとえば、
「ウグイスとかけて、お葬式ととく。
その心は、どちらも鳴く鳴く梅に行きます(泣く泣く埋めにいきます)」。
同音異義語の豊かな日本ならではの言葉遊びです。
「お坊さんとかけて朝刊ととく。
その心は、今朝来て今日(経)読む(袈裟着て経読む)!」
そして新作落語「親鸞で行こう」が始まりました。
約45分、すっかり笑わせてもらいました。
【今日の願い】
袈裟と経は僧侶の必需品です。
けれどもまた、
今朝(あさ)と今日(いま)も、僧侶が大切にするワードです。
朝には紅顔ありて夕べには白骨となる
『和漢朗詠集』下に出てくる文であり
(正確には「朝に紅顔あって世路に誇れども、暮に白骨となって郊原に朽ちぬ」)、
蓮如上人の「白骨の御文章」でも有名な文句です。
「今朝」元気であったとしても、
夕方までそのわが命の保証はありません。
世の無常という現実は肝に銘じる仏の教えです。
ならば「今日」という一日を大切にしたいものです。
「今日はどんな一日にしようか」、
「今日はどんな一日にしたいか」と、
前向きに自分に問い、わが願いを確認したいものです。
「良い一日にしたい」と願う私達。
ならばそのために何をすべきか。
「……喧嘩はすまい。」
いろいろあるでしょうが、
願いという言葉をもつ事によって、
人間はその言葉に背中を押され足が前に進むのです。
【名号】
浄土真宗の経。
それは阿弥陀さまの物語です。
阿弥陀さまの話とは、
阿弥陀さまの願いのお話です。
「私はあらゆる衆生をこんな風にしたい」
その願いの結晶が「南無阿弥陀仏」、
これを名号(みょうごう)といいます。
親鸞聖人が生涯「これこそが唯一無二の名宝」と説かれ続けたものです。
「南無阿弥陀仏」と申すお念仏は、
仏さまの側からいうと、
「わが名にかけてあなたの命をむなしく終わらせない」、
そんな喚び声、名号(みょうごう)なのです。
夜が新しい朝を連れてきます。
「今日はどんな一日にしたいか」
「良い一日にしよう」と思いつつ、
お念仏をしながら、
「今日も阿弥陀様は何と願っておられるか」、
「私のためにそんな事を願ってくださるか」、
そのことを聞かせていただきます。
朝刊は明日ではなく今日読みます。
お経も「歳をとってから」でなく今日(いま)です。
無常の人生に待ったなし。
ご縁がととのった時に読みたいものです。
(おわり) ※冒頭へ
生けるということ
【生け花とは】
もう20年前の事です。
当時通っていた大学院のゼミ(授業)で先生が、
「かわいそうと思わないか?」
と質問してきました。
「仏壇の花だよ。あんな可憐な植物を切って使うなんて。
かわいそうだと思わないか?」
シーンとする教室。
「そうかな」と少し思う私。
確かに仏教は殺生を良しとしません。
たとえ植物であろうともいのちはいのち、
そういう見方も一応あります。
あれから時折思い出していた先生の質問。
それに応答するような詩にであいました。
東井義雄先生の詩です。
花
花をいけるということは
花を生かすということ
野にあったときよりも
畑にあったときよりも
もっとほんとうに生かすこと
室を生かし
室にも室の花を咲かせること
そして 人の心の中にも
花をいけること
そうやって 自分が花になること
(『東井義雄一日一言』の「6月19日」より)
辞書には「花を生ける」とは
「花を生かしておくために、何かに入れる。生き続けさせる」とあります。
けれども華道では違うのです。
勿体なくも花のいのちをいただきます。
食べ物のいのちと同様、大切にいただきたいものです。
ですから単なる装飾品、適当には飾りません。
美しく大切に飾り、私の身の上に生き生きと活かすのが「生け花」です。
お仏壇の仏華。
その花をもってお浄土の荘厳、
阿弥陀さまのお慈悲のはたらきをいただきます。
お仏壇を中心に、部屋や家庭全体を、
仏教のみ教えを聞く道場、
お念仏をあじわう場とし、
何よりその事にひたる私とします。
「阿弥陀さまはいつでも一緒でした」と、
信心の花を咲かせます。
【33回忌】
東井義雄先生の御命日は4月18日。
今年で33回忌です。
2年前に少し法話をかかせていただきました。
今回はその続きを少し。
教育者であり念仏者で有名な東井先生ですが、
若い頃は無神論者、阿弥陀さまを嫌う時もあったそうです。
その考え方がひっくり返される事件がありました。
教員として踏み出してから五年目、二十五歳の私は、
中学校にも、商業学校にも、工業学校にも進むことの許されない貧しい家の子どもがほとんどの「高等小学校」の子どもを志願して担任させてもらっていました。
ある日、授業が終わったとき、私は、子どもたちに「何か、質問はないか」と尋ねました。北村彰君がそれを待ち構えていたように「はいっ!」といって挙手しました。私は、ギクッとしました。いつも厳しい質問を浴びせかける子どもだったからでした。そればかりではありません。怠け者の私など、はずかしいような厳しい生き方をしている彼だったからでした。
北村君は、貧しい母子家庭の子どもで、小学三年のときから、八年間、毎朝三時半に起床、町中を新聞配達し、終ると勉強、朝食を済ませて登校、学校が終ると、飛んで帰って、町中、夕刊配達をしている子でした。お母さんが厳しい方で「おまえの本職は勉強だ。学校で居眠りなんかするようなら、新聞配達をやめてしまえ」と言っておられるとも聞いていました。夏の日など、他の子どもの中には居眠りをする子があっても、彼は、どんな暑苦しい日でも、背すじをピンと伸ばして、にらみつけるような目で授業を受けるのでした。
「北村君、何?」
と、私が指名すると、
「先生、ああと口をあけると、喉の奥に上から下がっている、ぼくらが『ノドチンコ』と呼んでいるものが見えてきます。あれは、どういうはたらきをしているものですか」と申します。私は、困ってしまいました。「ノドチンコ」と呼んでいるものが存在していることは知っていましたが、そのはたらきは全く知りませんでした。そのはたらきに疑問を持ったこともありませんでしたし、教わった記憶もありません。
「北村君、申しわけないが私にもわからん。今夜、調べてみるから、すまないが明日まで答えを待ってみてくれないか」
としか言いようがありませんでした。
その日、学校図書の中から人体に関する書物を風呂敷いっぱい借りて、私は下宿に帰りました。夜半すぎ、やっと解りました。
口から入った食べ物は、食道を通って胃に送られるわけですが、喉の奥で食べ物が通る「食道」と、鼻から吸い込んだ空気が「肺」に進む「気管」とに道が岐(わか)れています。その岐れ道で、もし食べ物が「気管」の方に進むと窒息してしまいます。そういうことにならないようにするために、食べ物を飲み込むときには、あの「ノドチンコ(ほんとうの名前は『口蓋垂(こうがいすい)』」が、気管の入り口をピタリと蓋してしまうのだそうです。そのおかげで、間違いなく「食道」に進み「胃」に進むのだそうです。
それが解ったとき、天地がひっくり返るほどショックを受けました。そのはたらきを知らぬぐらいですから、一度も感謝したことなどありません。お礼を言ったことも、もちろんありません。それどころか「ノドチンコ」のこと一つ解っていないくせに「唯物論」だとか「無神論」だとか、偉そうなことを言い、「傍若無人」に生きてきた私でした。……
いつもバカにしながら呼んでいた『正信偈』の「凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味(凡・聖・逆・謗、斉しく回入すること、衆水の海に入って、一味なるが如し)」という言葉が思い出されてきました。
「凡(ほんとうのことは、何もわかっていない愚か者の私のこと)」
「聖(唯物論のほんのひとかけらをかじって、無神論をふりまわしていた思いあがった私のこと)」
「逆(生かされていながら、生かしてくれているものに尻を向けていた私のこと)」
「謗(生かしてくれているものに逆くばかりか、それを謗る罪を敢えて犯していた私のこと)」が、
わけへだてもなく「斉しく」、ちょうど、どんな荒れ狂う川の水も、汚れた川の水も摂めとっていく海のように、必ず摂取される世界があったのです。そして、その世界のどまん中に、私は生かされていたのです。逆いているときも、謗っているときも「み手のまんなか」であったのです。
(東井義雄『仏の声を聞く』43−48頁)
「ノドチンコ? そんなものの役目なんてないんじゃないか?考えても仕方ないよ。それよりも今の授業の内容について質問しなさい」
と答えがちな私。
けれども東井先生は質問を正面から受けとりました。
先生のお人柄もさることながら、
真剣に授業を受ける北村君からの質問というご縁もととのったのでしょう。
そしてその答えに出会った時、
それを単なる科学的な答えだけで終わらせず、
そのことを通して、他力の世界に出遇っていかれたのでした。
なお「凡・聖・逆・謗」とは「凡夫、聖者、五逆罪の者、謗法罪の者」の事ですが、
それを全てわが身にひきあてる味わい、好きです。
33回忌の節目。
先生をご縁に、仏華やノドチンコにかぎらず、
あらゆるいのちを大切な仏縁とさせていただき、
お念仏申させていただくことです。
(おわり) ※冒頭へ
ウサギと海
【川にウサギ】
四月は旧暦で「卯月」といいます。
卯の花がきれいにさくので卯月、
また干支の四番目「卯(うさぎ)」から卯月なのだとか。
うさぎ年の今年。
四月はいよいよウサギのように様々な事に飛びはね(チャレンジし)たいものです。
先日、そんなウサギにまつわるウクライナの民話を聞きました。
「空を泳ぐ魚と川を泳ぐウサギ」
(How a Fish Swan in the Air and a Rabbitg in the Water)
どんな内容かというと、
昔、ウクライナの小さな村に老夫婦が住んでいました。
ある日、夫は森で金の入った壺を見つけました。
喜んで妻に話そうと思いましたが、
妻のおしゃべり癖を思い出して一計を案じます。
まず魚とウサギを市場で買いました。
そして、それぞれ森の木の上と川の中に置いておきました。
後日、夫婦は壺を取りに行きました。
そこで妻は木の魚、川のウサギを見て「変な森だ」と驚くのでした。
後日、夫婦げんかの後、妻は腹いせに金の壺の事を村長にしゃべってしまいます。
村長がその事を夫にたずね「壺をわたせ」とせまった時、
夫は、「妻は夢の話をしたのです。妻は魚やウサギの話をしませんでしたか?」
村長は妻にたずねました。
「ええ、壺の所へ向かう途中、木の上にいる魚や川にいるウサギを見ました。不思議な森でした。」
村長は笑って帰宅。
金の壺は無事、老人のもとにとどまり、老人は幸せにくらしましたとさ。おしまい
川にウサギが住めるはずがありません。
ありえない話、それが「川にウサギ]なのです。
【波にウサギ】
ところで、専徳寺の本堂には写真のような「海を泳ぐウサギ」の彫刻があります。
長い間、どういう意味があるのか不明でした。
因幡の白ウサギ・・・?
数年前に前住職が発見したのが干支でした。
ウサギの他に、虎、龍も彫刻してあります。
どうやら本堂建設の起工式・上棟式・完成までの年が、
寅・兎・辰年だったようです。
ですがなぜ「海にうさぎ」なのか。
それを知ったのが「京都国立博物館」HPの「博物館ディクショネリー」の次のお話でした。
「兎と月の連想ゲーム」
■月の兎
夜空に浮かぶ月の模様に、兎の姿を探したことがありますか? 「月には兎がすんでいる」というお話は、中国から日本に伝わりました。さらにさかのぼると、インドの古い古い記録にも、月の中の兎の話があります。どうやら、インドの「月の兎」のお話が、中国を経由して、仏教に関するお話とともに日本に伝わったようです。
・・・兎は、臼と杵で何かを作っています。日本では、「餅をついている」と言いますよね。でも中国では、「不老不死の薬を作っている」と信じられました。どうして日本で「餅をつく」と言うようになったのか、はっきりとした理由はわかっていませんが、満月を表す「望月(もちづき)」と「餅つき」が似ているので、餅つきになった、と考える人もいます。
とにかく、兎と月はとても繋がりが強いものだと考えられたので、「月にすむ兎」や「月を眺める兎」を描いた作品が、中国でも日本でも、たくさん作られました。
■月に替わって……
日本の美術の中で、兎は、秋草や波、木賊(とくさ)(細長くてかたい植物)と一緒に描かれることもあります。どうしてでしょう? 実はこれらも、すべて月と関係があるものです。
秋は、月が美しく見える季節です。また、お能のあるお話の中には、琵琶湖に映る月を見て、月の兎が波間をかける様子を想像する場面があります。木賊は、ものを磨くために使ったので「磨いたように輝く月」を読む和歌に登場します。月をきっかけに、連想ゲームのように想像が広がって、やがて月をはぶいた「兎と秋草」「兎と波」「兎と木賊」の組み合わせが描かれるようになったのです。
大変勉強になりました。
【ありえない出会い】
あらためて本堂の彫刻「兎と波」を眺めます。
元気に波の上を跳ねているウサギ。
ありえない状景ですが、
月というご縁を通して二つは出会いました。
用事の済んだ月は姿を消しています。
そんなウサギにわが身をひきあてます。
凡夫の私が深き「生死の苦海」を泳ぐことなどとてもできません。
煩悩の荒波であっという間に沈んでしまいます。
しかしお釈迦さまを始め、親鸞聖人、それを引き継がれた多くの先人の言葉にであい、
他力の道、生死の海をこえゆく船「弥陀弘誓の船」にであいました。
その事をかみしめ、口にとなえるのが「ご恩報謝のお念仏」。
気づけば「生死の苦海」は単なる迷いの世界ではなく、
「弥陀の本願海」、弥陀と共にある世界でした。
「波をこえるウサギ」の私。
それも他でもなく眼には見えない多くの宿縁のおかげです。
今は亡き多くの先祖、家族、両親。
懐かしい友人、恩人。
袖触れ合った数かぎりない方々。
諸神も同様です。
みな一様に、ウサギと波を結びつけた「月」のごとき存在。
私と阿弥陀さまを結んでくださった善知識(私を仏の教えに導く善巧なる知識をそなえた方)といただきます。
結んでくださり、
「私を拝むのではないよ。阿弥陀さまと共に歩むのだよ」と、
さらりと身を引かれておられます。
「南無阿弥陀仏」
新年度、
「遠く宿縁を慶び」つつ、弥陀の本願海、
一日を飛び跳ねてまいります。
(おわり) ※冒頭へ
3つの「生かされて」
【ご恩に生かされて】
生かされて 生きてきた
生かされて 生きている
生かされて 生きていこうと
手をあわす 南無阿弥陀仏
これは仏教讃歌「生きる」一番の歌詞です。
作詞されたのは奈良県のご住職で詩人の中川静村(1905〜1973)。
昨年が50回忌でした。
「生かされて 生きてきた」♪
「生かされる」とは一見すると、受け身的で、
他人に全てゆだねてしまった弱気な雰囲気も感じさせます。
「人生は生かされているんじゃない。
生きる人生でなきゃいけない」(中村天風)
という意見も勿論あります。
ですが作者がいいたいのは「知恩」です。
過去・現在・未来にわたって、
多くの恩恵をいただいているから、
「生かされて 生きている」。
その自覚と感謝を歌にこめています。
どれほど多くの動植物のいのちをいただいてきたか。
どれほど多くの人々の努力や苦労の上に今の生活があるか。
食事も仕事も生活も、
何気なく、ただ忙しく過ごしてしまう毎日ですが、
かけがえのないご恩の上にある私のいのちです。
【願いに生かされて】
様々なご恩があって今日の自分が生きています。
その一番身近な「ご恩」は、やはり親でしょう。
親は子どもに対して願いをもちます。
「しあわせな大人になってもらいたい」
そして親は願うだけでなく、
そうなるように言動を発し、行動を起こします。
子どもに寄り添い、子どもを包み込みます。
愛情をそそぎ、笑顔で子どもを励ますのです。
その親との信頼関係によって情緒がそだちます。
「手をあわす 南無阿弥陀仏」♪
浄土真宗のよりどころの阿弥陀如来。
親様という愛称をもつのは、
「本願」という、特別な願いをおこされているからです。
「生きとし生けるものすべて、
浄土に生まれて仏になってもらいたい」
法蔵菩薩という位の時、
五劫という長い思案の末に、
その願いを実現する誓いをおこし、
兆載永劫という果てしない期間の修行の末に、
その願いを完成して「南無阿弥陀仏」の仏さまとなられました。
お経にはそう阿弥陀さまの物語が記されます。
親が子と離れないように、
いつでも私に寄り添い、私を包みこみます。
この私が「南無阿弥陀仏」とお念仏申す中に、
お慈悲いっぱいの仏の光と喚び声を聞きます。
そのお育てをいただく時、
何が起きてもおかしくない迷いの人生、
何をしでかすかわからない苦悩の人生、
しかし何も心配はありませんでしたと、
安心して悩み迷う、
ありのままの私の人生がそこにはあります。
【私小説】
昨年亡くなった作家の西村賢太(1967-2022)さん。
運送業を営む裕福な家庭で、子どもの頃から本をよく読んでいたそうです。
ところが中学で父親が事件をおこし逮捕されてから一転します。
中学卒業後、土木の仕事、肉体労働を転々とします。
日給をお酒等につぎこんでしまいます。
29歳の時、酒に酔って人を殴って留置場に入り猛省。
社会を怨み、それ以上に自分を恨みました。
そんな時に古本屋でであったのが「藤沢清造」の小説でした。
藤沢清造の小説、それは私小説でした。
作者が直接に経験したことがらを素材にして、
ほぼそのまま書く一人称的な小説の事です。
貧窮の中を生きる主人公。
その藤沢の作品を一読して、
「泣きたい程の共感を覚えた」そうです。
事件後、清造の「没後弟子」を自称。
私小説作家として執筆の道を歩みます。
自身の生い立ちや心情を率直にユーモアを交えながら書きました。
そして、
平成19年「暗渠の宿」で野間文芸新人賞を受賞。
平成23年には「苦役列車」で芥川賞を受賞しました。
30年の貧乏生活から抜け出たそうです。
某番組で西村さんはこう言われました。
「結局、今までさえなかった、何にもなっていなかった頃の[出来事]が、
全部ネタになっているわけですからね、小説の。
全然無駄にもなっていないし、
むしろそれがあったから今続けていられると。」
【全てが生かされて】
おほいなるもののちからにひかれゆく
わがあしあとのおぼつかなしや(九条武子)
念仏者が安心して悩み迷える理由。
それは「何があっても大丈夫」と喚ばれる親様と一緒だからです。
また別の言い方をすれば、
悩み迷い、その時は失敗して空しさを感じた事も、
決して無駄とはならない、
全ての出来事が「生かされる」からです。
本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき (親鸞聖人和讃、天親讃)
お浄土の道は決して空虚な道とはなりません。
何気ない日常も、
あの時の道草も大切なお浄土への糧でした。
そう思えるほどの、
仏さまの用意周到なご恩のまっただ中、
「弥陀の大悲の弘誓の恩」を知らされます。
生かされて生きる他力の人生。
それはある意味受動的です。
お慈悲をいただくばかりです。
しかし見方をかえると、
こんな積極的な人生はないのです。
西村さんの私小説のように、
人生全てが生かされる道。
自分の物語を堂々と執筆しつづけるお念仏の人生です。
多くのご恩に生かされて生きてきました。
そして今、
如来の願いに生かされて生きています。
故にこの人生の出来事、
もれなく生かされて生きていくのです。
手を合わして「南無阿弥陀仏」。
感謝をかみしめる日暮らしです。
(おわり) ※冒頭へ
新しいものと古いもの
「私は旧くならないことが新しいことだと思っているの。
本当に新しいことは 旧くならないの。」(映画『宗像姉妹』より)
【旧訳・新訳】
お経には旧訳(くやく)と新訳(しんやく)というのがあります。
「ふるい訳」と「新しい訳」という意味で、
大体『西遊記』で有名な玄奘(げんじょう、602-664)三蔵法師の頃からが「新訳」です。
旧訳の代表は鳩摩羅什(くまらじゅう、344-409?,413?)です。
岩波の『仏教辞典』をみると、例文として、
「サマーディ」:「三昧(さんまい)」→「三摩地(さんまじ)」
「ヨージャナ」:「由旬(ゆじゅん)」→「踰闍那(ゆじゃな)」
「サットヴァ」:「衆生(しゅじょう)」→「有情(うじょう)」
他にもたくさんあります。
玄奘三蔵は言葉に厳密な人だったようです。
新訳語の方がインドの言葉サンスクリットの発音や原意に忠実です。
では旧訳は劣っていて、新訳は優れているか、
旧訳は誤りで不完全であると排斥するべきか。
そうでもありません。
むしろ旧訳の方が名文である場合が多いのです。
浄土真宗のよりどころの聖典に『阿弥陀経』があります。
これも旧訳です。
新訳の玄奘三蔵訳はめったにお目にかかりません。
【五存七欠】
『阿弥陀経』より重要なのが『無量寿経』です。
正依(しょうえ、正しきよりどころ)の経典です。
この経典にもいろいろ訳があり「五存七欠」といって、
五訳の漢訳が残っています。
正依のお経は、時代的に丁度まん中あたり。
つまり正依より後の訳もあるのですが、
語句の違いだけでなく、
文体的にも、内容的にも正依の方が、
阿弥陀さまの教えを味わうのにふさわしいのです。
勿論、他の訳が悪いのではありません。
親鸞聖人は著書に随所に引用されます。
【新しい領解文】
今年の1月16日、ご門主のご消息(お手紙)によって、
「新しい領解文(りょうげもん)」が示されました。
この「領解文」とは、
「浄土真宗の門信徒が心得るべき信仰上の要点を、
安心(あんじん)・報謝・師徳・法度の4段に分けて示したもの。
改悔文(がいけもん)ともいい、蓮如の作と伝えられている。
……簡潔な内容で一般の人々にも理解されるよう
平易に示されたものであるが、
異安心に対して浄土真宗の正しい意趣をあらわしたものである。」
(『浄土真宗辞典』689頁より)
その領解文もできあがっておよそ500年。
『領解文』の理解における平易さという面が、徐々に希薄になってきたことも否めません。したがって、これから先、この『領解文』の精神を受け継ぎつつ、念仏者として領解すべきことを正しく、わかりやすい言葉で表現し、またこれを拝読、唱和することでご法義の肝要が正確に伝わるような、いわゆる現代版の「領解文」というべきものが必要になってきます。
そこで示されたのが「新しい領解文」でした。
法要の準備にきてくださっていた仏婦役員さん数名と一緒に、
このご消息を聞いていました。
「正しく、わかりやすい言葉で表現」というのが嬉しく、
楽しみに聞いていました。
ご消息が終った後、しばし沈黙。
ご門徒さんから「もう前の領解文はよまないんですか?」と。
私も苦笑いしてしまいました。
たしかに今の時代の読み方です。
また覚えやすいようにという工夫で、
散文ではない文章です。
ただ内容表現がずいぶん変わっていました。
また従来の仏教用語(真宗用語)が消えたかわりに、
新しい真宗用語が増えました。
そして後半は従来の領解文にはないもので、
「ずいぶん時代に阿(おもね)る」内容という印象。
「浄土真宗が誤解されなければよいが。
いや、もうそんな事は言っていられない時代なのか。」
随分時代を先取りしたような感じの「新しい領解文」でした。
【感性ですが】
現在、「新しい領解文」は、
内容の問題、できた経緯の問題、
政治的な関わり等々がからんで、
いろいろと議論されています。
「伝わる伝道」は大事ですが、
「正しく伝わる伝道」でなければなりません。
「新しい領解文」ではなくて「新しい浄土真宗の信条」
ぐらいでとどめておけば良かったのかもしれません。
「新しい領解文」も言葉ですから、
「あそこの言葉はこういう意味で……」と、
正しい教えの内容として伝道していけば良いのでしょう。
ただ個人的に、
感性の問題として合点がいかないというか、
一ヶ月たってもまだまだ慣れない表現があります。
「私の煩悩と仏のさとりは 本来一ひとつゆえ
「そのまま救う」が 弥陀のよび声」
そういう言い方もできるか、
それはそうなのかもしれませんが、
あまり日々、頻繁に、
家族と一緒に、
公けの場で一緒に唱和はしたくない表現です。
誤解を生みそうなので。
元々、この「新しい領解文」は2年前に発布された、
「浄土真宗のみ教え」がベースです。
……あの頃から話し合うべきでした。
「浄土真宗の生活信条」と同格にしていました。
もう後の祭りかもしれません。
【伝わる伝道】
しばらく「新しい領解文」は唱和されることでしょう。
けれども浄土真宗の聖典は新訳でなく旧訳、
新しい訳より前の訳をもちいるように、
「やはり蓮如上人の領解文は名文だね。
言葉は今の時代にはないが、無駄なものがない。」
となるような気がします。
僧侶になって30年。
やはり従来の領解文で生きてきた人間です。
蓮如上人の領解文を中心に、
新しい領解文もとりいれながら、
令和の時代、
伝わる伝道に邁進してまいりたいと思います。
(おわり) ※冒頭へ
待っている世界
【仏花のルール】
お仏壇につきものの「花瓶」。
お参りに行くとその中に様々なお花がお供えしてあります。
……だいたい菊が多いのですが。
どんな花もきれいですが、
仏花に立ててはいけない花があります。
曼珠沙華、凌霄花(のうぜんかずら)、馬酔木、トリカブト。
これらは「毒花」で立てられません。
またバラ・木瓜(ぼけ)といった「トゲのある花」もです。
トゲを取り除いて用いることもありますが、
そのまま立ててはいけません。
他にも「病葉」(わくらば)(病気で変色した葉)、
カサブランカなど「香りの強い花」、
出生のわからない花、造花も禁止です。
ちなみに葬儀や中陰中、仏華は赤い色の花は避け白が中心です。
「悲しみをあらわす色が白だから」という意味かと思いきや、
華道の世界では白色の花、特に白の一輪菊などは一番格が高い花とされており、花材のなかでは一番上段に用いるものとされています。仏教においても、念仏者を「人中の分陀利華(白い蓮の花)」と讃えています。お浄土へ参られた方々を心より敬い、追悼させていただくというこころで、 白い基調の仏華を満中陰まで立て続け、いま尊い仏縁に遇っているのだと知るその行為こそが、何より大切だと思っています。
(弓場洋子『いのちの荘厳』(本願寺出版)17頁)
勉強になりました。
【松と“待つ”】
葉物、花物、木物。
仏花にはたくさんの花材があります。
その中で、親鸞聖人の御命日をお偲びする報恩講に必ず使用される木物が「松」です。
松は花材として最も上等です。
また一説に親鸞聖人の幼名が松若丸だから、
また「松」という漢字には、「十」と「八」があり、
阿弥陀さまのご本願、第十八願を意味するとも。
そんな松は「待つ」とも読みます。
菊が「(お聴聞を)聞く」を連想させるように、
故人がお浄土で私を「待っ」ておられると想像します。
今月15日は「涅槃会(ねはんえ)」。
お釈迦さまがお亡くなりなった日です。
「涅槃図」では弟子だけでなく、
たくさんの動物たちが泣いています。
別れの多い人生です。
しかし弥陀の本願を聞く時、
幼い頃に別れた家族も、
若い頃に別れた友人も、
最近別れた多くの知人も、
その他全ての懐かしい人々・動物、
みなもらさず弥陀の本願通り、
お浄土で待っておられます。
【変化する私】
想像力は知識よりも重要である(Imagination is more important than knowledge)
(アインシュタイン)
煩悩まみれのまま救われる浄土です。
ならば阿弥陀さまに甘え、
「私がお浄土へ生まれた時はこんな感じ」と、
煩悩まみれのまま次のように想像させてもらいます。
たとえば……。
目の前には幼少期に別れたお爺ちゃんがいます。
私は子どもの姿です。
「よく来たな。」
笑顔を交わしてふりかえると、
そこには高校以来会っていない友人が。
私も高校生の姿です。
「よう、元気か。」
懐かしい話をしながら、ふとふりかえると、
そこには子どものままなくなったわが子が。
私は父親の姿。
「やっと会えたね。お前のおかげでお念仏が喜べたよ。」
そして両親と、恩師と、恩人と……。
私はその都度変身しながら再会します。
お浄土は何次元かわかりませんが、
時間を超越しているでしょうし(笑)
限りない人たちが待つお浄土。
道草食わずにまっすぐ歩みたいものです。
【竹馬の友】
先日、同級生のIが突然亡くなりました。
お寺の日曜学校にも来てくれていました。
高校までほとんどクラスが一緒。
大学からはお互い連絡していませんでしたが、
いつかまた会う日を楽しみにしていました。
「(お前は)48歳無職独身!」
そんな意味不明な言葉でよくからかわれました。
本やCDを貸してもらった事。
一緒に勉強、食事した事。
争ったり、テストを競った事など思い出がよみがえります。
故人のお姉さんからこんな話を聞きました。
弟の姿をみながら、幼い娘が「おじちゃんはどうなったの?」とたずねるので、
おもわず「宇宙にいったのよ」と。
「だったら私が宇宙飛行士になれば会えるの?」と訊かれ、
それ以上、うまく答えられなかったそうです。
宇宙飛行士になるのは大変ですが、
はたしてなっても会えるか・・・・。
物理の限界を思います。
仏教の真理、縁起の話ならば答えていけます。
本当の意味で平等の世界、
それがお浄土の世界、さとりの世界です。
さとりの道を歩みとげる時、
それは必然的に故人との再会を意味します。
さとりへの道は宗派によってさまざまです。
浄土真宗ははお念仏一つと聞くばかりです。
本堂で朝事をつとめながら、
「Iよ、また浄土で会おう」、
そう思いつつ、お念仏する事です。
Iの待つ浄土へ。
また一つ、浄土へ参る理由が増えました。
【おまけ:待つことなし】
もう一つ、「待つ」に関して。
ご高齢の方でこういう言い方をされる方がいます。
「お迎えを待つ」
デイサービスの車を待つのではありません。
臨終の事を指しています。
臨終に阿弥陀さまがお浄土から迎えにやって来るという思想、
「臨終来迎」から出てきた言葉です。
「はやくお迎えが来てくれれば良いのですが(苦笑)」
思わず愚痴をこぼす気持ちも分からなくもないですが、
親鸞聖人はこう言われます。
臨終まつことなし、来迎たのむことなし
お互い、本堂で阿弥陀さまの話を聞いたからには、
もうすでに今、阿弥陀さまがご一緒といただきます。
「いつ死ぬのか……」、「いつお迎えが……」と、
臨終に用事はありません。
「いや〜、なかなか思えない。」
それは努力しないといけません。
想像力には努力が必要です。
お念仏も同様です。
「なかなか念仏が出ません」
「婆さん、念仏は屁じゃないぞ」(F和上)
念仏も口を開けて声をださなければ出ません。
弥陀の本願におまかせした人生。
慈愛の中に生かされ、
臨終を気にせずにありのままに生き、
一日の最後、「今日も尊い一日でした」と、
合掌して終わりたいものです。
(おわり) ※冒頭へ
本当の親
【誕生日】
私ごとですが、今月は私の生まれた月です。
気づけば親鸞聖人の半分の年齢を超えてしまいました。
以前の法話で紹介させていただいた歌ですが、
諸人よ思い知れかしおのが身の 誕生せし日 母苦難の日
あらためて親のご恩を思うことです。
さて今月は、
2010年7月号の『大乗』に掲載された、
永江雅俊先生(北海道旭川市・天寧寺、2021年9月ご往生)のご法話
「本当の親 〜無数の縁〜」から一部をご紹介させていただきます。
【本当の親】
「稲は、足音を聞いて育つ」といいます。
農家の方がわが子を思うかのように田んぼに通い、
大切に心をこめた稲がすくすくと育っています。
この時期になると、私は“おかもとのばあちゃん”を思い出します。
額に刻み込まれた深いしわは、
何人もの子どもさんに先立たれた艱難辛苦の人生をあらわしていました。
しかし、その悲しみのたびごとに
「聴聞しなさいとの催促です」と言っていました。
ですから、いつも寺に足を運び、
仏法を聴聞されている、
優しい澄みきった眼の方でした。
ずっと以前のことです。
田んぼの話になり、
「ぬるぬるの田んぼに裸足で入るのが好き」と、
ばあちゃんは言っていました。
理由を尋ねると、
「つらいことや、嫌なこと、悲しいことが消えてしまう。
そして煩悩だらけの自分に気づかされて、それがうれしい、包まれている……」と、
ほほ笑みながら話してくれたのです。
(中略)
おかもとのばあちゃんは、
八十半ばで自宅で家族に見守られながら、亡くなりました。
初七日の日、お正信偈を一緒におつとめした後、
息子さん夫婦が話してくださった話は、今も忘れられません。
ちょうど、亡くなる一週間前のことだったそうです。
「ばあちゃんは私たちに
『ベッドの上に起こしてくれ。これから、オマエたちに説教するんだ』
と言うんです。
私たちは、はいはい、わかったよ、ばあちゃん、と言って起こしました。
そして、『正座して聞くように』と言われ、
ベッドの前に座った私たちに語ったのです」
「オマエたち、親を大事にせよ」
「私たちはびっくりしました。
ばあちゃん、大事にしてるっしょ。
はいはい、これからも大事にするからね。
さぁさぁ、安心して寝なさい……」
実は、息子さんご夫妻は、
誰から見ても、親を大切にしている優しい二人でした。
ですから、ずっと寝たきりになった親が、
少しわからなくなってきたのでは……と、
びっくりし、心配して顔を見合わせたのでしょう。
親の前で素直に正座している息子さん夫婦に、
ばあちゃんは、最後の力をふりしぼって、
二人の顔を正面から見つめながら、
少し怒ったような顔で、こう語ったそうです。
「ワシは仮の親じゃ! 本当の親を大事にせ!」
「びっくりしました。そしてドキッとしました。
私たちはもちろん親子です。
ばあちゃんが言った〈本当の親〉という言葉。
その言葉の深い意味に気づかされ、
何か電流にでも撃たれたように感じ、
思わず手を合わせていました。
そうだ、〈本当の親〉は……。
ご院主さん、私たち三人で合掌していました」
話を聞かせてもらい、
涙が幾筋もこぼれ落ちました。
ありがとう。
私たちは〈本当の親〉と出遇うために、
生を受け、いのち生かさせていただいています。
そして、その願いを聞かせていただくために……。
(おわり) ※冒頭へ
蓮も牡丹も菊も
【愛蓮】
「少年老い易く・・・」で有名な朱熹(しゅき)。
その彼が「宋学の祖」と仰いだ人が儒学者「周敦頤」(しゅう とんい)先生。
先生には有名な『愛蓮説』(抜粋)という以下の文章があります。
(書き下し文)
水陸草木の花、愛すべき者はなはだ蕃(おお)し。
晋(しん)の陶淵明(とうえんめい)、独り菊を愛す。李唐よりこのかた、世人(よじん)はなはだ牡丹を愛す。
予(よ)は独り蓮の汚泥(おでい)より出でて染まらず、清漣(せいれん)に濯(あら)はれて妖(よう)ならず (中略) 遠観(えんかん)すべくして褻翫(せつがん)すべからざるを愛す。
予謂(おも)へらく、菊は華の隠逸(いんいつ)なる者なり、牡丹は華の富貴(ふうき)なる者なり、蓮は華の君子なる者なりと。
(訳)
水辺や陸に生える草木の花には、愛でるものがたくさんあります。
晋時代の陶淵明は、ただ一人、菊の花を愛しました。
唐時代以来、世間の一般の人々は(豪華でおめでたい様子の)牡丹の花ばかりを愛しています。
私はただ一人、蓮の花の、汚れた泥の中から生えてきても泥に染まらず、清らかなさざ波に洗われて上品であり、(中略) 遠くから眺めることができても、近くで手に取ってもてあそぶことができない様子を愛しています。
私は、
・菊は花の隠逸の者(騒がしい世の中を避けてつつましく生きる人)であり、
・牡丹は花の富貴の者(富に恵まれて豊かな人)であり、
・蓮は花の君子(正しい行いをする立派な人)であると思うのです、と。
※以上、京都国立博物館のHPより)
そして周先生は言いました。
「陶淵明の後は菊を好む人はおらず、富貴を好むこの時代、世の中は牡丹ばかり好んでいますが、自分は蓮の方がはるかに好きです。
私と同じくらい蓮を愛する人はどれだけいて、どんな人だろう」。
【さとりの蓮】
「蓮を愛する」かどうかはともかく、
仏教では蓮は大切な花です。
それは「さとり」を意味します。
元々、仏教が誕生した炎暑の国インドにおいて、
涼しい水辺に咲く蓮(蓮・睡蓮)は、
苦しい現実の対極、理想の境地の象徴として愛好されました。
そして周先生が讃えたように、
蓮は「泥中に生じても泥に汚されない花。清浄なる花」です。
そこで蓮は「淤泥華(おでいげ)」とも言われます。
煩悩から離れて涅槃という清らかな境地を目指すという仏教の趣旨にもうまく合致しました。
お経には蓮が様々に登場します。
『法華経』の原名は「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」。
プンダリーカは「白蓮華」です。
『華厳経』が説かれる仏の世界は「蓮華蔵世界」です。
『無量寿経』『阿弥陀経』などの浄土経典にもさかんに説かれます。
お浄土の情景の説明に蓮は必須です。
浄土真宗の内陣の荘厳にも蓮は様々に使用されています。
よかったら探してみてください。
【煩悩に咲く花】
浄土真宗において蓮とはまた「私の中に咲いた信心の花」を指します。
親鸞聖人の『教行信証』証巻には、
こんな曇鸞大師の言葉が引用されています。
〈淤泥華〉とは『経』(維摩経)にのたまはく、
〈高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥にいまし蓮華を生ず〉と。
これは凡夫、煩悩の泥のなかにありて、菩薩のために開導せられて、
よく仏の正覚の華を生ずる。
(【現代語訳】〈煩悩の泥の中に蓮の花が開く〉とは、『維摩経』に〈高原の乾いた陸地には蓮の花は生じないが、低い湿地の泥沼には蓮の花が〉生じると説かれている。これは、凡夫が煩悩の泥の中にあって、菩薩に教え導かれ、如来回向の信心の花を開くことができるのをたとえたのである。)
(『教行信証』証巻、註釈版319頁、現代語版352頁)
さらに親鸞聖人は、
この曇鸞大師の言葉を『入出二門偈』にも引用され、
その際に「菩薩のために開導せられて」の部分を、
「これは如来の本弘誓不可思議力を示す。」
(【現代語訳】これは阿弥陀仏の本願の不可思議なはたらきを示している。)
と言いかえておられます。
蓮は「清らかな仏のさとり」の象徴です。
しかしまた、
低い湿地の泥沼のような私の煩悩の心に、
切なる願いを建てた仏さまがいたり、
根付いてくださった「仏さまの他力」のすがた、
また一方では、
そんな仏さまの願いを疑いなくうけとり、
「お浄土に参らせてもらいます」という心持ち、
「(他力によってしあがった)信心」の象徴とするのが浄土真宗の「蓮」です。
【牡丹と菊】
ところでお仏壇の荘厳には「牡丹」や「菊」も見えます。
欄間には「牡丹」がよく使用されます。
輪灯は「菊」です。
牡丹がお荘厳に出てくる理由。
それは「唐獅子牡丹」の話からきているそうです。
百獣の王「唐獅子」が唯一おそれるのが「獅子身中の虫」。
その虫を、牡丹の花から滴り落ちる露は討ち滅ぼします。
よって獅子は夜になると牡丹の下で休むのです。
唐獅子が内部の虫に食い破られるように、
仏教ももっとも注意すべきは、
「心中の虫」、煩悩です。
ポタリポタリと牡丹の露のように、
私の心中にいたる南無阿弥陀仏の名号。
そのお念仏を申すお荘厳の場故に牡丹が使われるのだとか。
決して「富貴のため」ではありません。
また「菊(きく)」は「聞(きく)」と読みが同じです。
なんだかダジャレみたいですが、
それほど浄土真宗は「聞」を大切にします。
ある意味「聞」で始まり「聞」で終わるみ教えです。
「聞其名号」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。
きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。
またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。
(一念多念文意)
菊を見ながら、
「人生を隠逸に、つつましく生きよう」でも良いですが、
「如来さまは何と願っておられるか」と、
如来さまの願いを聞きながら生きる事、
故人も願っておられるといただきます。
(おわり) ※冒頭へ
貴き風景
道徳はいくつになるぞ。
道徳念仏申さるべし。
(蓮如上人が新年に道徳という僧侶に述べられた言葉。『聞書』第1条)
今年も少しずつ仏さまのお法をお取り次ぎ申させていただきます。
【逃走中】
お正月に次女と「逃走中」という番組を観ていました。
大人版の鬼ごっこゲームで、ルールはかんたん、
「ハンター」と呼ばれる鬼から制限時間内に逃げ切れと賞金がもらえます。
小学生の次女は大好きな番組のようでした。
今回は3時間つかまらなければ一人につき最大賞金504万円。
スポーツ選手や歌手、芸人等、総勢29人が挑戦していました。
その中にSさんはいました。
開始から一時間ほど経過して、
仲間の一人をハンターの生け贄にしてその間に自首。
「ひどい……」「……早くないですか?」
仲間(?)の声も気にせず、平然と約100万円ゲットしていました。
頭が良いような、ずる賢いような……。
【ユーチューバー】
Sさんの職業名はユーチューバー。
SさんのYouTubeのチャンネルを観ました。
いろんな仕事の遍歴の後、格闘家、そしてユーチューバーに。
苦労もあったようです。
「人が嫌な気持ちになる動画をUPします」と自らコメント。
いろいろと辛口なコメントの動画が多いようです。
そんなたくさんの動画の一つにこんなタイトルがありました。
「宝くじで2億円当たりました。」
種を明かせば、
「ユーチューバーという9年間の仕事で2億円を貯めた」という事でした。
たまたまYouTubeが流行していない頃から始めたユーチューバーという仕事。
本人は「偶然です」とはいいながら、努力の結晶でしょう。
すごいとは思います。
銀行の通帳を見せながら狂喜乱舞し、
そしてSさんは言いました。
「みなさん。
みなさんは、2億円もってますか?
この世の人間には、2種類あります。
2億円もっている人と、2億円持っていない人です。
その2つに別れます。
みなさん、みなさんは持っていますか、2億円?
みなさんはこの2億円を持っている人間の景色、
見たことありますか?
世の中が曲がって見えますよ。
お金を持つということは、人が世の中が、
今みなさんが見ている景色とはちょっと違います。
どうです? どうですか? 2億円ですよ。」
動画の途中でしたが消しました。
そして次女に一言。
「こんな男の人と結婚したら駄目よ(苦笑)」
【曲がって見える】
「2億円もつと景色が曲がって見える。」
そうだと思います。
今まで自分には手の届かなかったものも身近に思えるでしょう。
2億円あるかないかで判定すれば、
どんなに威張っている人にも大概負けません。
自分に自信がもてるかもしれません。
ただ「曲がって見える」という言葉に、
本人の本音が垣間見えます。
お金は恐ろしい面があります。
物事がマイナスの景色にも見えるかもしれません。
The rich are not always happy. (富める者必ずしも幸福ならず)
周りがちっぽけにみえるのかもしれません。
周りが信用できなくなるのかもしれない。
知らぬ間に相手を蔑んでしまったり、
相手に不信感をいだいたり……。
【貴き風景】
そんなSさんの動画を見終わって思いました。
「Sさん、他力のお念仏をもっても景色が違って見えますよ。」
称えるのに1円もかからないお念仏ですが、
何億円出しても手に入らない他力のお念仏です。
ずっと迷いを迷いと気づかずに逃走中だった私が、
ようやくこのたび仏の摂取の心光に捕まりました。
賞金とは無縁の状態です。
けれどもお金にはかえがたい人生の支えをいただきました。
「無縁の大悲」。
縁なき衆生をも救わんとするこの上ないお慈悲です。
凡夫の私を仏にする道理のお念仏。
そんな仏の大悲を聞いて申す念仏は、
「こんな私を、ようこそ、ようこそ」と、
報恩感謝以外の何ものでもありません。
貧も富も分け隔て無く、
正しく見てくださる仏さまと一緒です。
私自身の眼は「邪見」が拭えませんが、
「正見」の仏さまと共に見る景色は「貴い風景」です。
見渡す限りの仏景色です。
仕事や家事におわれる中、
好事があれば惨事もあり。
それらを丸ごと「仏事(ぶつじ)」といただく念仏生活です。
愚痴出るこの口から、
仏さまの智慧、「仏智(ぶっち)の念仏」が出てくださいます。
(おわり) ※冒頭へ
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