山口県は岩国にある浄土真宗寺院のWebサイト

法話2009

内容

《物語の力(下) (12月後半)》

  

(前回のつづき)

【実在するかしないかよりも】

 

昔話、小説、映画……そのほとんどはフィクションです。
実在した話ではありません。
つまり率直にいえば嘘です。
しかし「相手をダマして不幸にする」嘘ではありません。
それが証拠に、
その嘘話(昔話・小説・映画)を熱心に愛読・鑑賞する人達は、
その「嘘」を黙認し、
しかも「本当」の出来事のように受け入れ、感動するのです。
実在の話ではないと承知の上で、涙を流し、腹を立て、笑い、喜ぶのです。

 

  「あぁ、彼(主人公)はすごいねぇ! 僕だったらそんなことできるかしら?」

 

実際に存在しない主人公を褒め、悪役に対して「あんな奴にはなりたくない」と憤るのです。

 

小説が嫌いな人は言うでしょう。
「なぜ、実在しない人の話を聞いて、そんなに感動するの?」

 

「……“存在する・しない”は別に問題じゃないよ。
そんなことよりももっと大事なことが、
この話にはこめられているのさ。」

 

【『仏説無量寿経』という物語】

 

むかしむかしあるところに、
一人の王様がおられました。
生きていくのに何不自由のない彼でしたが、
ある時、「世自在王仏」という仏様のお説教を聞きました。
それは今まで聞いたことがない素晴らしい悟りの境地のお話でした。
そのお話に深く感動した王様は、
自分も悟りを得て、あらゆる人々を救いたいと決心されました。
そして国も王位も全て捨てて出家されたのでした。
その方の名は「法蔵菩薩」。
後に阿弥陀仏になられるお方です。

 

世間をはるかにこえた才智を持つ法蔵菩薩は、
さっそく師匠の世自在王仏の前にゆき、
大地にひざまづいて合掌しました。
そして「讃仏偈」を唱えたのでした。
………………

……阿弥陀仏を主人公に描いた長編物語『仏説無量寿経』最初の部分です。
法蔵菩薩が実在するかしないかなど、関係ないのです。
そこに注目する人は、
小説の真意がわからないのと同様、
経典の真意がわかりません。
この物語を通して、
私たちは「仏とは何か」「救いとは何か」「私とは何か」を聞いていきます。

 

智慧・慈悲・光明・名号・信心・善知識(ぜんぢしき)・宿業・煩悩……、
このような無数の「真実」を隠れた場所から引っぱり出し、
私たちを悟り(浄土)という「真実」へ誘う、
それが長編物語『仏説無量寿経』なのです。

 

(おわり)

 

 

 

《物語の力(上) (12月前半)》

  
【嘘だからこそ】

 

小説家は(小説という嘘を書くことによって)真実を暴き、
新たな光でそれを照らすことができるのです。

 

多くの場合、真実の本来の姿を把握し、
正確に表現することは事実上不可能です。
だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、
架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。

 

しかしながら、これを成功させるには、
私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。
このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。
  (村上春樹:エルサレム賞授賞式でのスピーチ冒頭。括弧内は住職加筆)

 

【おばけさん】

 

今月30日で新発意(私の息子です)は3歳になります。
来年4月からは幼稚園、早いものです。

 

「お父さん、肩もんであげようか?」

 

そういう優しい事を言ってくれる息子ですが、
とても頑固で困った面もあります。

 

その一つが寝る前。

 

「もう九時前だよ。
 そろそろ寝ますよ。」

 

どんなに坊守(母親)が言っても、
レゴや積み木のおもちゃに夢中になっている息子は、

 

「まだ寝る時間じゃないよ!」

 

と言って寝室へ行こうとしません。

 

そういう時、
妻はこう言います。

 

「……あのね、そろそろ寝ないとね、おばけさんがやってくるよ。
おばけさんはね、起きている子がいたら、
つかまえて暗い、こわ〜いところに連れていくんだって。
……まだ起きてる?」

 

すると息子は真顔になって、
「……おかあさん、寝ようか。」
そう言って妻と一緒にスタスタと寝室へ行くのでした。

 

 

【おばけなんて嘘さ】

 

そんな息子を見ながら私はこう思うのです。

 

「この《おばけさん》、いつまで通用するかしら?」

 

息子が小学生の頃。
相変わらずおもちゃで遊んで一向に寝ようとしない息子に、
再び妻がこう言います。

 

「お兄ちゃん!
そろそろ寝ないとおばけがくるよ!
つかまえられて暗くて、恐ろしいところに連れていかれるよ!」

 

「……お母さん、何いってんの?
おばけなんて嘘だよ。
あれは人間の恐怖心がこしらえた架空のものだよ。
いるわけないじゃない?
それでもいるっていうの?
そりゃあ是非会いたいなぁ(笑)」

 

親の話を聞かず、
それは嘘だと笑い飛ばし、夜遅くまで起きて遊ぶ息子。
するとどうなるか?
次の日、フラフラで学校に行き、授業もダラダラ、運動もヘトヘト、
そしてケガをして、病気になって……泣くことになるのです。

 

《おばけ》の話、
その本質(真実)は、
「おばけがいるかいないか?」ではなく、
子供を健やかに育てたい母親の愛情なのでした。

 

(つづく)

 

 

 

《親の恩(追記) (11月後半)》

  

前回の続き

【追記:形じゃないのよ 御恩は HaHa! 】

 

恩は「めぐみ」、また「親切心」です。
しかしその恩、
決していつも良いものであるとは限りません。

 

ある方がこう言いました。

 

「私は父の恩を「ありがとう」と思いたいけれど、
どうしても思えない。
何故なら私の父は株をやって、
多くの財産をなくした為に、
私は非常な苦しい生活をしなければならない様になったから。
父の恩を思おうとしても思えない。」

 

たしかにそうかもしれませんが、
しかしよく考えてみると、
お父さんは何の為に株をしたのでしょうか?
それは少しでもお金を増やして一家子孫を繁栄させたかったからでしょう。
失敗を望んで株をする人は一人もいません。

 

あらわれた結果はよくなく、
またその方法は実に誤った仕方ではあるかもしれませんが、
それ等は、形式の上のことです。
恩の意識はあくまでその本質、動機に立ち入って考えなければなりません。

 

「どうもすると、
人は恩のあらわれた形に迷わされる為に
大切な知恩の念に欠くるところが起こって来やすいのである」
  (島地大等、真宗大辞典より)

 

恩は、心の上に因と書きます。
その人は何故そのような事をしたのか。
事をなしたその人の「心」にある「原因(理由)」をうかがいます。
そこに、この私が大きく関っていたと知った時、
事の善し悪しはどうあれ、
感謝の念がおこるのかもしれません。

 

(おわり)

 

 

 

《親の恩(続) (11月前半)》

  

 

前回の続き

 

【2分の1成人式が終わったら】

 

小学5年生。
10歳になり、《2分の1成人式》が終わった子ども達。
本格的に大人に向けての道を歩み始めた彼らは、
学校で2つの漢字を学びます。

 

一つは「仏」、そしてもう一つは「恩」です。

 

「仏」とはめざめ。
人智をはるかにしのぐ広大な智慧です。

 

「恩」とはめぐみ。
光のようにふりそそぐ温かい慈悲です。

 

とても大切な二つの漢字。
頑張って覚えてもらいたいものです。

 

【恩の本質】

 

恩は「めぐみ」ですが、
誤解されている方がいます。

 

たとえば、
近所の人がたくさんの栗をくださったとします。
  「ありがとうございます!
   さっそくいただきます!
   なんとお礼を申し上げてよいやら。」
さっそく栗ご飯、栗の渋皮煮……三日間、栗三昧。

 

そろそろ飽きてきた四日目。
別のご近所の方がまたもやたくさんの栗を持ってこられました。
  「……ありがとうございます。」
またせっせと皮をむいて三日間、栗ご飯。

 

ようやく栗が無くなりかけてきた四日目。
また別の方が「栗拾いに行ったんですよ(笑)」と栗を大量に。
  「……はあ、どうも。」
栗(くり)が苦痢(くり)に見えます。

 

この場合、
最初の人には恩を感じ、
最後の人には恩を感じない、
というのは「恩」ではありません。

 

最初の人も最後の人も、
贈ってくださった親切心は同じです。
その親切心が「恩」なのです。

 

自分の都合で相手の行為を好意に感じたり、迷惑に感じたりする私です。
しかし同時に相手の気持ち(親切心)を「恩」としてくみ取り、
同じように「有り難い」と思うのが、恩の文化を持つ日本人です。

 

【仏の恩】

 

他人様の恩はきづきやすい。
しかし家族、親の恩はきづきにくいものです。
「当たり前」と考えてしまうからかもしれません。

 

「自分が今こうして元気で、一人前なのは…………私が日々精進しているからだよ。」

 

何故、親のおかげと思えないのでしょうか?

 

「親のおかげ? それはそうかもしれないけれど、親が子を育てるのは義務だし当然だし……」

 

なかなか素直に感謝しない自分がいます。

 

親の恩はきづきにくいです。
ましてや仏の恩はさらに。

 

「いのちが終わった後に、お浄土がある?……ああ、そうですか。どうも。」
「私を一人にさせない?……ああ、そうですか。どうも。」

 

気づかないのが、悲しいかな凡夫の私。
しかしそのことを既にご承知なのが人智を超えた仏様。
恩知らずの私を決して見捨てず離しません。

 

 

(おわり………いや、もう少しつづきます)

 

 

 

《親の恩(10月後半)》

  
【医者とライター】

 

こんなお話を聞きました。

 

あるライター(文章をかくことを生業とする人)が健康診断に行ったそうです。
いろいろ調べてもらった後、
お医者さんにこのように言われました。

 

   「いろいろと調べましたけれど、
    これといった悪いものはありませんでしたよ。
    至極健康です。
    ……ところであなた、ひょっとして、
    自分の健康のことを雑誌なにかで書こうと考えていませんか?
    言っておきますけど、
    あなたが健康なのは、普段の体操や運動、食事療法、それもあるでしょうが、
    なんといっても、あなたの御両親のおかげですよ。
    こんなに立派な身体をいただいて。」

 

ライターは、とても驚きました。
痛いところをつかれたそうです。

 

「健康」と聞いて、その原因を考えました。
毎日のジョギング、気を遣っている食事、サプリメント……、
自分がしていることを考えます。
「健康なのは自分の普段の行いが良いからだ」。
でももっと大きな原因は、
大事に生み育ててくださった親のおかげではないか。

 

子どもの頃、耳にたこができるほど聞いた「気をつけなさい」の言葉。
  「〜〜に気をつけて」
  「気をつけて〜〜しなさい」
悪いものを食べよう飲もうとした時、親が注意しました。
  「そんなもの食べてはいけません!
   身体に悪い!!」
「うるさいな〜」と思いながらしぶしぶ承知して育ちました。

 

病気になれば重くなってはと看病してくれた親。
徹夜をしようとすればそれを気遣って夜食を出してくれた親。

 

そういうことが今の健康な身体の基礎にあります。
そのことを忘れて、
自分の健康は自分の手柄にしがちなのが、私です。

 

それを気づかせてくれた医者の言葉でした。

 

(つづく)

 

 

 

《贅沢な味(10月前半)》

  
【イカめんたいこ】

 

隣町のお参りに行く車の中でのこと。
聴きたい音楽がなくてラジオを聴いていました。
広島の放送(RCC放送)「ごぜん様さま」でした。
「つづきまして“お取り寄せコーナー”です。
今日は博多の“イカ明太子”の紹介です。
こんにちは!」
元気の良い女性の司会者です。

 

そして電話でお店の人が熱心に宣伝を始めました。
「この“イカ明太子”は、
新鮮で歯切れのいい肉厚のイカに、 明太子をたっぷりからませました。
味のバランス、歯ごたえ、抜群の組み合わせです。
ごはんのおかずに、お酒の肴に、最高の逸品です!」

 

司会者の女性が一口食べます。
「美味しい!
本当にとても歯ごたえがよいですね。
いかの甘みと明太子の調和が絶妙!
明太子、やわらか〜い!」
「美味しそうだな。私も食べたいな」と思いながら聴いていました。

 

そして最後に、司会者がこう言ったのでした。
「ごちそうさまでした。美味しかったですぅ。
しかしこの“イカ明太子”は、広島にいながら博多の味が味わえるのですね。
贅沢な味でした。
ご紹介、どうもありがとうございました。

 

以上、お取り寄せコーナーでした。
さて次は………」
と、ご門徒の家に到着しました。

 

【娑婆にいながら】

 

イカ明太子。
その一瓶には博多の味がびっしりつまっています。
広島では味わえない味が、その中にあります。

 

私たちが称えるお念仏「ナンマンダブツ」。
そこにはお浄土をつくられた阿弥陀さまの智慧と慈悲が丸ごとびっしりつまっています。

 

……イカ明太子……広島にいながら博多の味が味わえる……。
……南無阿弥陀仏……娑婆にいながら浄土の味が味わえる……。

 

明太子のつぶつぶのようなたくさんのお慈悲。
それが分厚い智慧にたっぷりからまっています。

 

ただし、お念仏は「お取り寄せ」ではありません。
私がお念仏を知って、注文して、届けてもらうのではありません。

 

私の過去、現在、そして将来を憂いた阿弥陀様が、
五劫の間悩まれ、
お念仏、すなわち声の仏となることを決断され、
その通りの仏となって、
今ここに届いてくださいました。

 

娑婆にいながら味わえるお浄土の味。
今日も勿体なく頂戴(称名)します。

 

(おわり)

 

 

 

《おつとめの後に(下)(9月後半)》

  

※前回のつづき

【自分のことが書いてある】

 

あるご法事の時のお話。
お勤めの後、お斎の席についてしばらくすると、
ほろ酔いのご親戚の方がこんなことを話してくださいました。

 

「先ほどはお勤めありがとうございました。
 さっきのおつとめ……『正信偈(しょうしんげ)』(赤本4頁)ですよね?
 私、名前が「正信」(まさのぶ)でして。
 このおつとめ、なんだか自分のことが書いてあるようで、好きなんですよ。
 意味はさっぱりわかりませんけどね(笑)」
「そうなんですか」と相づちをうちながら、
心の中で「私もなんですよ!」と叫んでいました。

 

……「意味はさっぱり」の部分ではありません。
「自分のことが書いてある」の部分です。

 

小学生の頃、
「あなたの名前の由来を聞いてきなさい。」
という学校の宿題があり、
帰って両親にたずねました。

 

「あなたの名前はお爺ちゃんがつけたんだ。
 『重誓偈(じゅうせいげ)』というおつとめがあってね(赤本82頁)。
 その中に、
  願慧悉成満(がんねしつじょうまん)
  得為三界雄(とくいさんがいお) (赤本90頁)
 という箇所があるんだ。
 その最後の「満」と「雄」をとったのだ。」

 

意味は当時さっぱりでしたが、
自分の名が、普段おつとめしているお経にあるというのは、ちょっと驚きました。
そしてそれ以来、『重誓偈』にとても親近感がわき、

 

「僕の名が書いてあるのだ。
 僕のことが書いてあるのだ。」
そう思いながらおつとめをしていました。

願慧悉成満(がんねしつじょうまん)
得為三界雄(とくいさんがいお) (赤本90頁)

そこを読む時、今でも少し照れます。

 

皆さんのお名前、
ひょっとしたら「おつとめ」の中に一文字ぐらい出てくるのではないでしょうか?
おつとめしながら、注意深く探してみてください。

 

【自分を喚ぶ声】

 

お経は漢字ばかり。
一体なんのことが書いてあるか、容易には分かりません。

 

でも間違いないことが1つ。
お経は最初から最後まで、全て私に向けて書かれてあります。

 

  我称え 我聞くなれど 勤行は
  我を喚ぶ声 弥陀の喚び声

 

人様ではなく、ましてや亡き人でもない、
私をめあてとした仏の声です。

 

自分の名前がある所だけではありません。
お経はどこをいただいても、
私の生き様をいつも案じ、
この煩悩まみれの私に向けて大悲一杯の光を降り注ぐ仏のお心が説かれてありました。

 

おつとめは「仏徳讃嘆(ぶっとくさんだん)」です。
仏さまのお徳を讃えるのです。

 

「お経を称えたらどうなるのか?」

 

そうではなくて、
お聴聞を通して仏さまのお心に聞き触れ、
喜び溢れる私の口からつとめずにはおられないもの、
それがおつとめ、そしてお念仏ではないでしょうか。

 

(おわり)

 

 

 

《おつとめの後に(上)(9月前半)》

  
【口寄せの読経】

 

ある七日参りの際です。
お勤めの後、
その家の親戚の方からこんなことを訊ねられました。
その方は、
あるお寺の総代をされている方でした。

 

「お寺さん、お若いからちょっと質問してもいいですか?」

 

「ええ、よろこんで。何でしょう?」

 

「実は、以前から気になっていたのですが、
お寺さんの読経……あれはやっぱり……あれですか?
神主さんが祝詞あげて神様を呼び寄せたり、神様と交信したりするように、
仏さんを仏壇に呼び寄せてるんですか?」

 

「…………え?」

 

聞いてびっくりしました。
あわてて読経の意味について説明しましたが、
しかし、よくよく考えてみると、
確かにお寺にあまりご縁のない方が法事で僧侶の後ろ姿をみていたら、
そのように見えるのかも知れないなと思いました。

 

「まるで“口寄せの術”みたいだ」

 

その人のお話を聞きながら、
子供の頃読んだマンガを思い出しました。

 

「忍法“口寄せの術”!」

 

忍者が何かブツブツと呪文を唱えます。
すると、そこにドロンと、巨大生物が現れます。
ガマガエルや、オオカミ……。
その巨大生物は忍者を助けてくれます。

 

僧侶が思いもしないことを、
ご門徒は教えてくださいます。

 

【ラジカセ僧侶】

 

またあるお家にお盆参りに行った際です。
その家はお婆さん一人、
それもだいぶ足が悪い方でした。

 

お勤めの後、
お経の節について訊ねられました。

 

「ここは、どういう風にお勤めしたら良いのですか?」
滅多に訊ねられる事がないので、
うれしくなり丁寧に説明しました。
だんだん熱が入り、

 

「では、一緒に読んでみましょう!」

 

15分間、マンツーマンのレッスンです。

 

レッスンが無事に終了した後、
お婆さんは、嬉しかったのかこんな事を話してくれました。

 

「ありがとうございました。
やっとよく分かりました。

 

……なかなか上手にお勤めができません。
それに足が悪くて、長いことお仏壇の前にいられないんです。
だから申し訳なくて。

 

お仏壇の横にラジカセが置いてあるでしょ。
その中にテープが入っているんです。
以前、京都で買ったのです。
読経を録音したテープなんです。
たまにこのラジカセを仏壇前に置いて、スイッチを押して流すんですよ。
安心します。」

 

「……はぁ。」

 

二人でテープを聴きました。
大変上手なお勤めが流れます。
さっきの私のお勤めよりはるかに上手です。
……さっきのレッスンより、
こっちのテープを聞きながら練習した方がよかったのではないかと思いました。

 

それにしても、
いつも座っている座布団に、
人ではなく、ラジカセが座って読経していたとは……。
これも大変驚きました。

 

何か言おうと思いましたが………やめました。

 

(つづく)

 

 

 

《お盆の見方(8月後半)》

  
【先祖帰省】

 

お盆の季節がやってきました。
朝、本堂の外縁をほうきで掃いていると、
お寺の前を若い人たちや家族がグループで歩いているのを見かけます。
手にはお花や掃除道具。
これからお墓参りだというのはすぐに分かります。
お盆ならではの光景です。

 

さて、
一般的にお盆(盂蘭盆)は「先祖帰り」「先祖供養」と言います。
これは『仏説盂蘭盆経』の目連尊者のお話に由来します。

 

大体こんな話です。
目連尊者の母親が、死後、餓鬼の世界に生まれ非常に辛い苦しみを受けていました。
それを知った目連尊者は、母親を救うために七月十五日に、修行僧に供養を行ったのでした。

 

このお話が転じて、
お盆の時期は「先祖供養」をするという風習が生まれました。
さらには「死者がこの世に帰ってくる時」と考えられるようになりました。

 

「先祖が帰るのだから、私も帰らないと……しかしくたびれる!」
帰省ラッシュの波にもまれる人の中にはそんな気持ちの方もおられるかもしれません。

 

【年中無休】

 

ところで、
浄土真宗では「お盆」はありますが、
「先祖供養=亡き人を私が救う」、
「先祖帰り=死者がこの世に帰ってくる」に対して、
一般的な見方(テレビ等で言う見方)と少し食い違っているように思います。

 

浄土真宗のご先祖の見方。
阿弥陀さまの「必ず往生させる」の喚び声を聞く浄土真宗。
ご先祖は「供養する必要がある世界」にはおられません。
阿弥陀さまの光り輝くお浄土の世界で仏となって、
そして阿弥陀さまと同じ広大なお慈悲をそなえたあの方は、
お盆にかぎらずいついかなる時でも、
この私を阿弥陀さまのご法義へ導くためにこの世に還ってこられています。
そのことを特に頂くことができるのがお盆の季節です。

 

  亡き方の 還ってくるを 盆という
  わが盂蘭盆は 年中無休 (住職)

 

私たちには休みがあります。
休み時間は友達と遊んだり、寝転がったり、のんびり出かけたり。
しかし大悲の仏は休まず私を抱きしめておられます。
私がこの世にいる間、休みなくはたらいておられます。
年中無休なのです。

 

【盆踊り】

 

盆といえば盆踊りです。
何故踊るでしょう?

 

「故人が寂しがっていてはいけないので、
一つ景気よくみんなで踊ろうではないか!」

 

威勢はいいですが、
故人は冥土といったような暗い寂しい世界におられるのでしょうか?
「必ず救う」のご本願を聞く人達の盆踊りは、
先に逝かれた方が仏さまになられた尊さに気づき、
喜ぶ姿をあらわしたものです。
楽しく元気よく踊ります。

 

(おわり)

 

 

 

《路線の変更(8月前半)》

  
【線路は続くよ、ぐるぐると】

※プラレール:タカラトミーより販売されている鉄道玩具。
 「青いプラスチック製のレールの上を電池で走る3両編成の列車」が製品の基本構成。

我が家の2歳半の息子は「プラレール」が大好きです。
今年の春に義兄にプラレールの基本セットをプレゼントしてもらい、
また7月にも坊守里帰りの際、やっぱり義兄に別のプラレールを買ってもらったのでした。

 

夕ご飯の後、一緒に遊びます。
新幹線を走らせたり、山手線電車を走らせたり。
いろんな形のレールを作って遊びます。
「こういう形が作れるのでは?」……8の字、二階建て……気づくと私の方が熱中しています。

 

その日もプラレールで遊んでいました。
息子も手伝って綺麗なレールができ、電車を走らせました。
すると息子が歌い出しました。

 

「せ〜んろはつづく〜よ〜、ど〜こま〜で〜も〜♪」

 

おなじみ「線路は続くよどこまでも」。

 

しばらく一緒に歌っていて、ふと思いました。
「でも、プラレールの線路は、畳一畳だけだなあ」と。

 

歌は続きます。
「野をこえ山こえ 谷こえて♪
 はるかなまちまで ぼくたちの♪ たのしいたびのゆめ つないでる♪」

 

歌詞の中の電車は、はるか遠くまで続く線路をひた走ります。
夢と希望へとつづく線路(レール)。
でも息子と作るプラレールの電車は同じ所を何度もぐるぐる回るだけです。

 

おもちゃですから当たり前です。
でもその時ふと浮かんだのが、
「正信偈」にある、「生死輪転(しょうじりんでん)の家」という言葉でした。

 

【生死輪転の家】

 

還来生死輪転家(げんらいしょうじりんでんげ)(正信偈)
(書き下し:生死輪転の家に還来する)

 

「生死」……仏教ではこれを「しょうじ」と読みます。
「せいし」とは読みません。
何故か?
意味が違うからです。

 

「生死(せいし)」は、
「生死の境をさまよう」とか「生死にかかわる問題」というように、
「生きることと死ぬこと。生きるか死ぬか」という意味です。
しかし「生死(しょうじ)」は、
「生れることと死ぬこと」という意味です。
これは迷いの世界をあらわします。

 

生死……煩悩のトリコになっている私たちは、
因果応報という鉄の法則にしたがって、
生まれ変わっては死に、
また生まれ変わっては死にということを繰り返す。

 

「せ〜んろはつづく〜よ〜、ど〜こま〜で〜も〜♪」

 

明るい未来を目指して、毎日精を出す私。
科学が進歩するかのように、
常に自分も前進しているような錯覚を起こしています。
しかし根本の「煩悩」の問題は一向に解決していないのです。
人をねたみ、人に腹を立て、人を裏切る我が煩悩の心。
そんな私は前に向かって歩んでいるようで、
ちょうどプラレールのように、
同じ所をぐるぐると回り続けているのです。
生死輪転の家……生まれては死ぬ事を何度もぐるぐる繰り返す家に私たちは住んでいます。
これを「六道」といいます。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天。
この六つの駅をぐるぐる経巡っています。
しかもこの私は、
ちょうどプラレールで遊ぶ息子のように、
その生死輪転の事柄に一向にお構いなく暮らしています。
苦を苦と思わないのです。

 

【本物の線路】

 

阿弥陀様はそのような私を哀れみ、
「南無阿弥陀仏」の声の仏となって私に至り届いてくださいました。
苦を苦と思わず、すすんで迷い続けようとしている私をよくよく承知し、
そんな私をまるごと救い取る智慧・慈悲をそなえた南無阿弥陀仏。
生死を回り続ける原因、すなわち私の《煩悩の障り》を取り除き、
はるかに続く広大な真実の世界、仏の世界への道筋を歩ませてくださいます。

 

「せ〜んろはつづく〜よ〜、ど〜こま〜で〜も〜♪」

 

南無阿弥陀仏と出遇った時、
この歌が聞こえてきます。
もう私は回り続ける線路の上を走っていないからです。

 

(おわり)

 

 

 

《ご法事を探して(下)(7月後半)》

  

前回のつづき

【先入観】

 

ご法事はどこにあるのか、三十分必至で探しました。
結局、法事があった場所はいつも私がいる場所。

 

そうでした、そうでした、
阿弥陀さまの法のはたらきもそうでした。

 

いつでもどこでも私を救うと誓われた第18願の誓い。
その誓いの通りの仏さまは、「ナモアミダブツ」の声の仏となって私に到り届きます。
私があせってあわてて探したってみつかりません。
落ち着いて耳を傾けてみます。

 

「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ……ソノママスクウ、カナラズスクウ」
「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ……オマエヲスクウ、○○○ヲスクウ」

 

「○○○」へは、自分の名をいれます。

 

このたび「本願他力」、他力という教えに出遇わせていただきました。

 

どこかのテレビゲームのように、
一生懸命探して見つけて助けてもらうのではありません。
この私が自力で探すと間違える、失敗する、都合の良いもので満足する……
そう知り抜いた仏さまの願心と願力の結晶、
それが他力です。
私の心に入り満ちてくださっています。
それをこのたび先人より伝え聞かせていただきます。

 

煩悩まみれの今のまま、
その事に反省したり、逆に開き直ったり、言い訳せずにすむ真実の世界です。

 

(おわり)

 

 

 

《ご法事を探して(上)(7月前半)》

  
【遅刻】

 

ある日曜日、その日は2軒のご法事がありました。
10時と11時でした。
1軒目、お勤め後の談笑が長引いてしまい、
そのお宅を出た時にふと時計を見ると、
「10時55分」。

 

「大変だ!
ここからMさん宅までどんなに急いでも10分はかかるし、遅刻だ。
携帯電話もっていないし、
一度、お寺に戻って『少し遅れます』と連絡しようか……
いや、そんなことをしたら更に遅れる、
仕方がない、5分待ってもらおう!」

 

ということで車を飛ばしてMさんのお宅へ。
自坊を通りすぎ、国道に出て、“青木”という地区に入り、途中から登り道をぐんぐん上がりました。
登り道は、山道で、くねくねしています。
身体が左右に揺れ、衣体が揺れ、袋から香盒が飛び出し、蓋が外れ、中の香が車中に飛散します。
でもそんなことは何のその、
軽自動車のアクセルをふかして登っていきました。

 

もうすぐ登り道が終わり、法事場所まであと少しというところでした。

 

「なんでっ!!」

 

思わず叫んでしまいました。
目の前に大きな木が一本、倒れて道路を見事にふさいでいます。
昨夜の落雷で倒れたのでしょう。
とても衣姿の自分一人で取り除くことはできそうにありません。

 

「う〜〜〜〜〜ん」

 

と、悩んでいても仕方がありません。
車を急反転させ、
もと来た道をもどり、今度は別の細い登り道を。
大きな回り道になってしまいました。

 

ようやく法事の家についたのは、11時15分すぎ、大きな遅刻でした。
申し訳ないな……と、どうも家の様子が変です。
法事といえば周りに車がたくさん駐車してあるはずなのにありません。
おかしいなと思い、玄関をあけると、中は「しーん」。

 

「まさかっ!!!」

 

勝手に上がらせてもらい玄関近くの電話をかりました。

 

(坊守)「はい、専徳寺です」
(私)「ああ、もしもし、私です。今もしかしてMさん、お寺にお参りされてます?」
(坊守)「ええ、結構早くから来られてますよ。ご院さん、今、どこ?」
(私)「Mさんの家です。そうかぁ、すぐ戻ります!!!」

 

急いで帰山。
お寺についたのは11時30分前。
約25名の方が扇風機のない雨上がりの蒸し暑い本堂の中で、きちんと待っておられました。
おつとめをし、法話をして、すべて終った後に思わずMさんに、

 

「今日はすいませんでした」
「いえ、大丈夫ですよ。今日は有り難うございました」

 

その言葉に救われました。
とはいえ、本当にすいませんでしたm(_ _)m

 

【先入観】

 

なぜMさんの法事をお寺ではなく、家であると間違えたのか。
理由は簡単です、私が粗忽だからです。
ただもう少し言い訳すると、一つの先入観でした。

 

実はMさんの法事は満中陰のご法事でした。
毎週お宅へ七日参りに行っていました。
毎週山に登っていたものですから、
ましてや満中陰のご法事、
当然ながら家だろうと確信していました。

 

しかし実際は違いました。
私が行くのではなく、
Mさんがお寺に来ていてくださっていたのでした。
しかも法事開始のだいぶ前から。

 

もしも一軒目の終った直後、
「遅刻する!お寺に戻って連絡しよう!」と決心していたら、
何の問題もなかったのですが。
残念です。

 

法事は私のいつもいる所であったのでした。

 

(つづく)

 

 

 

《お寺の願い(6月後半)》

  
【聴聞の心得】

 

専徳寺の本堂には掲げていませんが、
浄土真宗には「聴聞の心得」というものがあります。

一、このたびのこのご縁は初事と思うべし

 

一、このたびのこのご縁は我一人の為と思うべし

 

一、このたびのこのご縁は今生最後と思うべし

他のお寺へお参りすると、時々見かけます。
この三箇条、覚えてください。
お寺のお聴聞の心得ですが、
ご法事、毎日のお勤め、
そして日々の生活にも言いうることです。

 

毎日同じ事を繰り返す日暮らしです。
朝起きて、顔をあらって、働いて、食事して、寝る……。
けれど私の日々の一瞬一瞬という「今」は、
毎日同じ事のようで決して同じではありません。
二度と起こりうることのない出来事です。

 

同じような事であって、決して同じではない。
ですから初事です。

 

同じような事であって、もう二度と出会うことがない。
ですから今生最後です。

 

そう知った時、
「今」という時間の計り知れない重み、
「今」を生きる私の計り知れない「いのち」が知らされます。
私という者は大変濃密な「いのち」の中にいるのです。

 

【手遅れ】

 

さて第二箇条
「一、このたびのこのご縁は我一人の為と思うべし」
についてのエピソードを紹介いたします。

 

6月22日の仏婦法座に東京より来られる宮崎幸枝先生の著書、
『お浄土があって良かったね』で知りました。
一休さんについてのエピソードです。

一休さんが、
「ある時、檀家さんに読経を頼まれて出向いて行った。
そこの家人は送料である一休さんを亡くなった人の枕辺に案内した。
すると一休禅師は「金づちを持ってきなさい」と家人に言った。
家族全員「??」と不思議に思いつつ金づちを渡した。
すると一休さん、その死者の頭をいきなりその金づちでコツン!と叩いた。
勿論死んでいる人の頭を叩いても「痛い!」とも言わず反応がない。
それを見定め、「もう、手遅れ!!」と言い、
帰りかかった。
家人が驚いて「お経を……」と言ってみたが、
「もう手遅れ!!」と言って帰ってしまった……」
(前掲書、p. 114)

 

一休さんがおっしゃりたかったこと、
それはお経は亡き人の為にとなえるのではないということです。
お経は残された者のためのものです。

 

そして何よりも、「私」のためのものです。

 

他人の痛みがとれても、私の痛みがとれなくては。
他人の悩みがとれても、私の悩みがとれなくては。

 

家族代表というのも有り難いですが、
できたらどうぞお寺には、
一人一人が「私事」としてお参りください。

 

私のいのちは大変濃密な場所(人間境界)にいます。
何故そんな所にいるのでしょうか?
その「いのちの意味」、
人が聞いて知ってもダメです。
人と私の心は違うからです。
仏さまからお聞かせにあずかりましょう。

 

(おわり)

 

 

 

《弥陀のゲキ文(6月前半)》

  
【ゲキを飛ばす】

 

最近、テレビでこんな事を知りました。

 

「いやぁ〜昨日さあ、部長に
『契約が取れないのはお前の押しが弱いからだ。
今日は何としても契約してこい!』
って“ゲキ飛ばされ”ちゃったよ。」
この“ゲキを飛ばす”の使い方、
実は間違いなのだそうです。

 

私もそうでしたが、
「ゲキを飛ばす」の「ゲキ」。
漢字で「激」と思ってませんか?

 

実は、
「檄」なんだそうです。
「激」と思っている私たちは、
“ゲキを飛ばす”を「叱咤激励する」といった意味と
勘違いしているのです。

 

え?そうは思っていません?
あ、それは失礼しました。

 

では「檄」って何でしょうか?
辞書には、
「(木札に書いた)招集または通告の文書」
とあります。
転じて
「自分の主張を述べて同意・行動を促す文書」を意味します。
さらに「文書」に関係なく「自分の主張を述べて同意・行動を促す」という意味になりました。

 

【弥陀の応援】

 

「ここをもつて「帰命」は本願招喚の勅命なり。」
  (行巻、親鸞聖人)

 

「帰命」は「南无阿弥陀仏」の「南无」のことです。
「本願」は阿弥陀さまの願い(誓い)です。
ナモアミダブツ、これは阿弥陀さまの喚び声である、
と親鸞聖人はお示しくださいました。

 

この喚び声、阿弥陀さまの「檄」といただきます。

 

……叱咤「激」励ではありません。

 

「煩悩まみれ!
 それじゃあ駄目だ!
 しっかりせよ!
 もっと真面目にならないと!
 それでは後々後悔するぞ!」

 

……激励でもありません。

 

「頑張れ! 頑張れ!
 お前ならできる!」

 

阿弥陀さまはこの私の煩悩の根深さを知り抜き、
「頑張る」という方法では助からないことを見抜かれました。
そして五劫の間思案された結果、声の仏になることを誓われたのでした。
ナモアミダブツ、阿弥陀さまはこう喚んで(主張して)くださいます。

 

「われナモアミダブツの声の仏になってあなたといるよ。
 われにまかせよ。
 そのままのあなたを必ず救う。」
私の事を本気で案じ、出した結論が「そのまま救う」という檄。
私の煩悩という根本的な悩み・苦しみを私に成り代わって引き受けるとおっしゃる。
これ以上ない応援・声援をかけてくださっています。

 

「阿弥陀さまにはこれ以上、迷惑かけられない」
毎日、手を合わせずにはおられない日暮らしです。

 

(おわり)

 

 

 

《寝ても覚めても (5月後半)》

  
【コールカラビンカ】

 

今月から岩国組の仏教音楽合唱団、「コールカラビンカ」の練習に参加しています。
7月12日、玖珂のパストラルホールでひらかれる、
「仏教讃歌のつどい」のための練習です。

 

毎週木曜日の午前中に練習があります。
しかし男性は仕事があるので金曜日の夜に集まって練習です。
といっても男性は4人のみ。
本番はもう少し増えるみたいですが……混声になるのか、少々不安です。

 

その「つどい」では2曲歌います。
その一つが「弥陀大悲の誓願を」。
親鸞聖人の85〜88歳頃に詠われた和讃、
「正像末和讃(しょうぞうまつわさん)」の1首に、
メロディーをつけた曲です。

 

歌詞(和讃)は以下の4句です。

弥陀大悲の誓願を
深く信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく
南無阿弥陀仏を称うべし

徐々に転調して盛り上がりをみせる、
歌っていてとても気持ちが良い曲です。

 

【寝ながら念仏?】

 

「『寝ても覚めても隔てなく、お念仏を称えよ』だって?
おかしな事を言う。
寝ている間にどうしてお念仏が称えられるのか。
そんなにお念仏称えなければ救われないのか?」

 

聖人の意図はそうではありません。

 

寝ている間にどうやってお念仏を称えるのか?
特別な厳しい念仏方法があるのか?
いえ、眠りながらお念仏を称えることは無理です。
「不可能」なことを表現をすることで、「これ以上ない喜び」を表現するのです。

 

【美味しさに感動】

 

私の奥さんは食べる事がとても好きです。
美味しい物を食べるとき、よく言う言葉が、
「ああ、もう死んでもいい!」

 

本当に死んでもいいのか?
そんなことありません。
死にたくはありません。
でも嘘ではないのです。
この美味しさ、それを食べた自分の感激を最高に表現した場合、
このような言葉になるのです。

 

【大きな感謝】

 

「南無阿弥陀仏を称うべし。」

 

命令の意味の「南無阿弥陀仏を称えなければならない」ではありません。
推量の意味です。
ですから「称えるにちがいない」、
言い替えると「称えずにはおられない」。
それほど大きな喜びを、
南無阿弥陀仏からいただいたからです。

 

生きる意味に出遇いました。
これ以上ない悩みの解決です。

 

目の前に広がるのは仏への道、白道(びゃくどう)。
煩悩まみれですが、決して閉ざされていませんでした。
むなしい人生ではなかった。
「南無阿弥陀仏(ありがとうございます)」。

 

(おわり)

 

 

《無分別のこころ(下) (5月前半)》

  

宿業で たとえぼけても 狂うても たがえたまわぬ 弥陀の約束

前回のつづき

【分別心】

我は「行け」 夫は「逃げろ」と声あげる 豹がガゼルを襲う一瞬

夫婦は感性が違って一向に構いません。
その方が夫婦関係の深みが増すという事もあるでしょう。
そのことがうかがい知れる短歌です。

 

しかしまた、
「人はどちらか一方しか応援することができない」のです。

 

野球の応援をしていて、
広島と巨人、
両方応援することはできません。
やはり自分が好きな選手がいる方を応援します。
もしも、「両方応援することができるよ」と言うならば、
それは応援ではなく観戦というべきでしょう。
結果が自分には何の関係もないからです。

 

選挙の時は自分と同意見の人に投票(応援)します。
「どちらが勝っても良い」というのは、
「どちらが勝っても自分にはあまり関係がない」
からでしょう。

 

このように私達は自分と関わる物事に関しては、
偏った見方をしますし、そうする事しかできません。
自分に都合の良い見方しかできないのです。
物事を偏った見方で思いはかること、
「あれはいい人、あれは悪い人」と分析し識別すること、
これを仏教では「分別(ふんべつ)」と言います。
それは時として、
差別という深刻な事態となって表面に出てくる事もあるかもしれません。

 

【願生偈】

 

阿弥陀様は私たちと同じ分別の心を持ちません。

 

七高僧の第二祖、
天親菩薩の『浄土論』には「願生偈」と呼ばれる偈文があります。
その中に阿弥陀様の心の素晴らしさを讃仰する次の偈があります。

 

「同地水火風 虚空無分別」
「地・水・火・風・虚空に同じて分別なし」と読みます。

 

地・水・火・風・虚空(空)とは「五大(ごだい)」と言って、
一切の物質を構成する五種の元素です。

 

地・水・火・風・空は物事を決して差別せずに作用します。
そのように
如来も決して分別するところがなく平等の心に住している、
というのです。

 

この偈文を七高僧の第三祖、
曇鸞大師はより詳しく説明されました。

 

なぜ阿弥陀様はこのようなお徳(無分別心)をもたれたかというと、

かつてある仏の説法を聞いた際、
「これは悪業、これは善業、これは……、これは……」と、
数限りない類別があって、
いかにも差別がたてられているようであった。
そこで法蔵菩薩(後の阿弥陀様)は、
「わたくし(法蔵菩薩)が仏(阿弥陀仏)となったならば、
大地が万物を載せるのに軽重の区別をしないごとく、
水が水生植物を育てるのに悪草・瑞草の区別をしないごとく、
火がものを煮たてるのに香りのよしあしの別をしないごとく、
風が吹き起こるとき眠っている者、眼をさましている者のちがいをみないごとく、
虚空がものを包容するとき開塞の念(おも)いをしないごとく、
そのように差別するこころを持たないようにしよう」
と願われた。
(参考:早島・大谷光真(現御門主)『浄土論註』(大蔵出版)、p.174)

というのです。

 

【無条件の救い】

 

阿弥陀様の心は無分別です。
誰しも平等に救うべき相手と見なします。
「そこまで罪に落ち込んだ者は到底私の手にはおえない」とか、
「向こうに比べてこちらは真面目だから早めに救おう」とか、
そういう思慮分別がない仏になってくださいました。

 

無条件の救い、
だからこの私が救われる。

 

一生涯、自らの偏見を偏見とも気づかない、平等だと思っている私ですが、
阿弥陀様はそんな私の偏見を捨てよとはおっしゃいませんでした。
偏見ある私のまま、仏は偏見無く無条件に「必ず救う」と喚んでくださいます。
その喚び声は、
私凡夫の到底思い知ることのできない無分別の心から口に出たお言葉です。

 

(おわり)

 

 

 

《無分別のこころ(上) (4月後半)》

  
【短歌大会】

 

今年の2月、
テレビで「平成20年度 NHK全国短歌大会」のニュースを観ました。
全国から一般の部は2万5千以上の短歌の投稿があったそうです。
その中から三首が特選、
その内の二首がとてもユニークな内容でした。

 

ガイコツと抱き合わないとスイッチに 手が届かない理科室倉庫 (宮城 相澤由紀子)

 

生徒・教師の悲惨な状況が目に浮かびます。
薄暗い中、
何が嬉しくてガイコツと抱擁しなければならないのか。
「早く倉庫を整理しろよ!」
悲痛な叫び声が聞こえてきそうです。

 

【ヒョウ派? ガゼル派?】

 

もう一首は岡山県の野上洋子さんの作品でした。

 

我は「行け」 夫は「逃げろ」と声あげる 豹がガゼルを襲う一瞬

 

これも見事です。
すぐにこの歌の光景を想像します。

 

…………………

 

一日が終わって夜、
いつものように夫婦二人でテレビを観ている。

 

某動物番組。
豹が狙いを定めてガゼルに突進するシーン。
その迫力に思わず夫婦は声をあげる。

 

「行けー!」
「逃げろー!」

 

と、お互い顔を見合わせる。

 

(夫)「ええ! 豹の応援?
    そんな馬鹿な。
    ここはガゼルを応援すべきだろう。
    食べられそうなガゼルが可哀想じゃないか。」

 

(妻)「そうかしら?
    ここは豹でしょう。
    あんなにお腹すかせてさまよって、
    ようやくみつけた獲物なのよ。
    あんな可愛い子供達もいるのよ。」

 

(夫)「いや、やっぱりガゼルだって。
    あのガゼルだってまだ子供だよ?
    子供を襲うのは卑怯だ!
    豹はまた別の獲物をさがせばいいんだ!」

 

(妻)「何言ってるのよ!
    動物世界は弱肉強食!
    食物連鎖よ!
    豹がいなくなったら環境が破壊されてしまうじゃない!」

 

(夫)「そうじゃなくて、
    ガゼルは子供なんだから!!」

 

(妻)「そうじゃないわよ、
    環境破壊よ!!」
…………………

 

ひとしきり口論……になったと想像(妄想)します。

 

何十年と同じ物を食べ、
同じ所へ旅行し、
同じ物を観て、
何度も将来を話し合った二人。
でもやっぱり、感性・見方は違うのでした。

 

【感性と価値観】

 

けれどもそれで良いのです。
夫婦は感性が違ってもまったく問題はないのです。

 

私の祖父母もそうです。
テレビ番組。
祖父はサスペンスが大好きです。
しかし祖母は大嫌い。
それで良いのです。

 

しかし価値観が違うと問題かもしれません。
価値観とは「何が大切であり何が大切でないかという判断」。
健康、お金、地位名誉、家族、仕事、愛情……。
ものごとの優先順位をどのように並べるか。

 

夫婦で価値観がうまく共有されなくなった場合、
それは重大な亀裂を起すことになりかねません。
「彼(彼女)とは価値観があわなくなったので、
話し合いの末、離婚を決めました。」
3ヶ月に一度は流れる芸能ニュースです。

 

【合うではなく、会わせる】

 

ある人が価値観についてこう言ってました。

 

「(夫婦とは)「合う」のではない。「合わせる」のだ。」

 

縁あって一緒になろうと決めた二人。
でもお互い生まれ育った環境は異る。

 

互いに白無垢の衣裳を着て、
お互いの色を染みこませていく。

 

価値観は認め合うことができます。
そして価値観をわかち合うことで、
円満無事に夫婦という共同体を続けていくのでしょう。

 

(つづく)

 

 

 

《アミダジュース (4月前半)》

  
【ジュースですか?】

 

あるお宅へ七日参りに行った際です。

 

おつとめが終わった後、
そこのお宅のお婆さんがこうおっしゃいました。

 

「お寺さん、おつとめ有り難うございました。
 のどがお渇きでしょう。
 ブドウジュースはいかがですか?」

 

「有り難うございます。
 では一杯お願いします。」

 

それを聞いてうれしそうに台所へ。
しばらくしてお盆にコップをのせて戻ってこられました。

 

「これはね、とっても美味しいんですよ。
 友達にも評判なんです。
 是非、ぐっと飲んでください。」

 

そう言って出してくださいました。
遠慮なく飲もうとして顔にコップを持っていった時、
……なんだが変な匂いがしました。

 

「これ……何でしたっけ?」

 

「ブドウジュースです。」

 

一口飲んでみました。

 

すると確かにブドウの味がするのですが、
何だか喉の奥がやけるような感触が。

 

「これ……お酒が入っていませんか?」

 

「いえ、そんなことはありませんよ。」

 

もう一口。
やっぱりカーッとなるような味です。
まるで養命酒を飲んでいるようでした。

 

「これ、まるでお酒みたいですね?」

 

「いえ、お酒じゃないですよ。
 お酒なんて一滴も入ってないですよ。
 美味しくないですか?」

 

「はあ、ちょっと。
 何だか身体がポカポカするような感じが。
 ……これ、どうやって作ったんですか?」

 

「友達に教えてもらったんです。
 ブドウをビンにいれて、
 そのブドウと同じ量の砂糖を入れるんです。
 で、しばらくほおっておくとこんな味の濃いブドウジュースができるんですよ。
 お酒なんて一滴も入れてませんよ。」

 

「……ですけど、『ほおっておく』ってどれくらいです?」

 

「そうですね。
 これは2年位になりますかね。」

 

「……やっぱりお酒なんじゃないですか?」

 

「(ちょっと興奮気味に)いえ、だから言ったでしょう!
 アルコールなんて、これっぽっちも入れてませんから!
 それにね、私はお酒は一滴も飲めないんです。
 友達もです。
 でもこれは飲めるんです。
 だからやっぱりお酒じゃないですよ。
 美味しいでしょう?」

 

「はあ。」

 

そんなやりとりをして帰りました。

 

後日、知り合いの酒屋さんにこのことを話しました。

 

「そりゃあ、間違いなく自然発酵してますって。
 お酒ですよ!(笑)」

 

次の七日参りの時にその酒屋さんの言葉をお婆さんに伝えました。

 

「へえ! 知らなかった!
 私、お酒飲んでたんですね。」

 

それ以来、
車で来ていた私の前に《ブドウジュース》は出てこなくなりました。

 

 

【いつの間にやら】

 

お婆さんが知らない間に、
ブドウジュースはブドウ酒になっていました。
そして本人が知らない間に、
お婆さんはお酒が飲める人間に変わっていたのでした。

 

お念仏もこのブドウジュースのようだと味わうことです。

 

「ナンマンダブ。」
たった6文字です。
称えやすい。
いつでもどこでも口にかかります。
本当に飲みやすい、美味しいジュースのようです。

 

しかしこのお念仏、
実は阿弥陀さまの功徳で一杯なのです。
親鸞聖人はそのことを明らかにしてくださいました。
だからお念仏は正真正銘の阿弥陀さまです。

 

そして、このお念仏となった仏さまは、
ちょうど先ほどのブドウジュースの如く、
いつの間にやら我が身をかえてくださいます。
すなわち仏法を聞いて救われていく身に仕上げてくださいます。

 

仏の教えは一滴も受け付けない私でした。
自分の罪なんて知りません。
「罪って何ですか?」という具合です。
しかし実際に私の一日、
それは殺生を皮切りに、
口では嘘を、
心の中では相手を怒り、切り刻んだりと、
枚挙にいとまがない罪作りの暮らしです。

 

そのような生活にも関らず、
そのことに対して反省するどころか、
それをはるかに上回る言い訳が湧き起こる私です。

 

「人間なんだから、仕方がないさ。
 誰でもこんなこと経験してるよ。
 僕だけじゃない。
 誰に迷惑をかけているわけじゃないし。
 それに……、そして……。」

 

しかしいつの間にやら、
このお念仏が私自身を仏の教えを聞く身に変えてくださいました。
罪作り、言い訳作りの私のまま、
「こんな私をそのまま救うとおっしゃるのですか。勿体ないことです」と、
仏の教え、阿弥陀さまの救いを聞く身にかえてくださっているのでした。
仏と共に歩む生活にいつの間にやらかわっているのでした。

 

私のもとへジュース(名号:ナンマンダブ)となってやってきて、
お酒(仏法)が飲めない私を飲める私にいつの間にやら仕上げてくださる。
中身は最初からブドウ(阿弥陀さま)です。

 

 

(おわり)

 

追記 祖母の部屋でこんな歌をみつけました。

 

今日こそは罪つくらじと罪つくり つくりしままと聞くぞうれしき

 

 

 

《救いのタイミング(下) (三月後半)》

  

前回のつづきはこちら

【南歩】

 

私事で恐縮ですが、
先日、子どもを授かりました。
わが家では実に62年ぶりの女の子の来寺です。

 

名前はいろいろ考えて「南歩(なほ)」と。

 

南に歩く。
将来は南極とまでは言わないけれども、
私たちが生涯行くことはないであろう、
オーストラリアぐらいまでは言ってもらいたい・・・。

 

それは冗談です。
そういう意味ではありません。
ではどういう意味か。

 

  1. 「南」無阿弥陀仏は常にこの私と共に「歩」んでくださっている。
  2. 「南」無阿弥陀仏を依り所として「歩」む子になってもらいたい。

 

お金も大事、家族も大事。
けれどもそれらはいつか私の前から消えていきます。
本当の依り所となるものは消えないもの、変らないものです。

 

阿弥陀さまは智慧を具えるが故に、
私の罪の業の深さ、迷い一辺倒の道を見抜かれ、
慈悲を具えるが故に、
その私を決して見捨てることがありませんでした。
そして兆載永劫(ちょうさいようごう)という果てしない苦労の末、
南無阿弥陀仏という名の仏となって常に私と共に歩んでくださり、
歓楽苦痛の日々を共に悲喜してくださっています。
ちょうど空気の如く、
消えず変らず離れない仏となってくださいました。

 

あらゆる事物が私から離れていっても、
いや、この私さえ私に愛想がついても、
南無阿弥陀仏さまは離れません。
「私にまかせよ、必ず救う。」
いつでも私を喚び通しです。

 

だから依り所となるのです。

 

阿弥陀さまはお示しくださいました。
この世の縁が切れた時、
浄土で仏となる道。
安心して私の歩む道をおまかせいたします。

 

【最高のタイミング】

 

浄土真宗はお浄土で煩悩を捨て去り、悟りを得る教えです。
では死んでから救われるのか?
そうではありません。

 

今、「悟りを得る事」に勝るとも劣らないものをいただきます。

 

今とはどういう状況か。
阿弥陀さまという、
大きな智慧と大きな慈悲を具えた方と一緒です。

 

煩悩まみれの私にも関らず、
その煩悩を消すどころではない、
むしろ愛しむかのような行動をとる私にも関らず、
決して離れようとはしない名の仏が共に歩んでくださっています。
それを聞き受けている時が、今です。

 

最高の食事をいただいているのは、今です。

 

これ以上ないタイミングです。

 

(おわり)

 

 

《救いのタイミング(上) (三月前半)》

  
【岩国での食事】

 

先日、親子3人で岩国の町へ行きました。
用事を済ませた後、軽く昼食をとろうと思い、
いつもよく使う駐車場に車をとめ、
アーケードの方へ歩いていました。

 

「どこにしようかな」と考えていると、
目の前にランチの看板を出しているお店が。
入口の雰囲気は悪くありません。

 

「ここにしようか」と、
少々しぶる奥さんを押し切って扉を開きました。

 

店内は広く、お店は繁盛していました。
レンガ造りの壁、さりげなく置かれたアンティーク、
非常に期待がもてそうな予感がしました。

 

私はナポリタンのパスタ定食と食後のコーヒー。
奥さんと息子はハンバーグ定食、
そしてピザを注文しました。

 

スタッフの方が、
「すいません、ちょっと時間がかかりますが。」

 

「構いませんよ。美味しいのをお願いします。」

 

さっそく定食につくサラダが登場しました。
一口食べると、とても美味しい!
これは期待が持てる、
良い店をみつけた、
と心の中で感激していました。

 

ところが……。

 

それからいっこうに料理がこないのでした。

 

「時間がかかる」とは言っていたし……
仕方がない待つとしよう。

 

そして待ちました。

 

きっかり一時間!!!
こんなに待ったのは記憶にないくらい久しぶりです。

 

出てきた料理はとても美味しいものでした。
けれども一時間は長かった。
待ちくたびれました。

 

「もう絶対この店にはこない!」
腹を立てる奥さんをなだめながらの帰宅でした。

 

【法という料理】

 

どんなにきれいなお店でも、
どんなに素晴らしい料理であっても、
それが出てくるのが遅かったら台無しです。

 

それは仏教にも言えます。

 

どんなにきれいなお寺、素晴らしいお坊さんであっても、
どんなに有り難いお経、教えであっても、
その教えが生きている今の私に届かなかったなら台無しと言わざるを得ないのです。

 

浄土真宗はお浄土で煩悩を捨て去り、悟りを得る教えです。
では死んでから救われるのでしょうか?

 

そうではありません。

 

(つづく)

 

 

 

《住職じゃなくても (二月後半)》

  
【七日参り】

 

七日参り(なのかまいり)というお勤めがあります。

 

七日参りとは、この辺りの言い方で、
お葬式の後から49日までの喪に服す間、
七日ごとのお参りのことを言います。
ご家族、お参り可能な近隣のご親族が勤めます。

 

初七日(しょなのか)()、二七日(ふたなのか)、
三七日(みなのか)、四七日(よなのか)、
五七日(いつなのか)、六七日(むなのか)。
そして七七日は、満中陰(まんちゅういん)法要です。
普段の法事と同じように、
多くの有縁の方々が集まって故人を偲びつつ、
しかし何よりも、
この私が阿弥陀さまのご縁に遇うという、
大切なお勤めです。

 

【別に住職じゃなくても】

 

Tさんのお家に七日参りに行った時のことです。
亡くなった方はTさんのお母様でした。

 

実は私、亡くなった直後のお勤め、枕経には参ったのですが、
翌日から京都へ一週間、
どうしても用事があっていかねばならず、
通夜、そして葬儀は父親(前住職)が勤めました。
そして初七日、二七日も、
用事があったため参っていませんでした。

 

Tさんのお家へ伺ったのは実に3週間ぶりでした。

 

お勤めが終わって法話がすんだ後、
出してくださったお茶を飲みながらTさんに話しました。

 

  「枕経以来のお参りでした。
  しばらく用事があってお参りできませんでした。
  申し訳ありません。」

 

するとTさんはこう言われました。

 

  「別に気にすることないですよ。
  別に住職じゃなくてもいいんですから。
  正直、
  住職でも前住職でもどっちだって構わないんです。」

 

「ああ、そうですか」と笑って応えながら、
内心、ムッとしました。
そんな言い方ってあるかしら、って。

 

  「それは良かったです。
 今度から父親に毎週、T家の七日参りはお願いいたします。」

 

そう応える自分には、
だいぶ嫌味が入っていたような気が、
今思うとします。

 

【救うのは阿弥陀さま】

 

けれどもTさん宅から戻り衣体を脱ぎながら、

 

  「まてよ……。
  Tさんの言うことは有り難いな」

 

そう思ったのでした。

 

Tさんに「住職でも前住職でも別に構わない」、
そう言われてムッとした私の気持ち。
それは心の中で「せっかく参ったのに」という気持ちでした。
夕方の寒い中、私が車で参って、私がお経をして、私が法話をして……。

 

勘違いしていたのは私でした。
私が車で参って、読経して、法話したからTさんが救われるのではありませんでした。
私はお取り次ぎをするのが役目です。
Tさん、そして他ならぬこの私に、
「もうすでに救いの法が届いているのですよ」、
というお経様のお言葉をお取り次ぎするだけです。

 

この「私が」という自己中心的な心。
煩悩の最たるものです。
この心が相手に対して怒りを、腹立ちを引き起こします。
それはたとえお勤め中でもお構いなしに湧き起こってきます。

 

一生涯心の中から消え続けることのない煩悩の灯(ともしび)。
それを悲しいとも恥ずかしいとも思わない私。
思うとしても一瞬です。
決して長続きしません。

 

  「あなたはいつも自己中心的ですね。」

 

そう他人に言われたら、
即座に

 

  「あなたにそんなこと言われる筋合いはないですよ。
  あなただってそうでしょう。あなただって!」

 

煩悩の灯はメラメラ燃え上がります。
「お恥ずかしいです、悲しいです」という気持ちは吹き飛んでいます。

 

そんな私と見抜いてくださったからこそ、
阿弥陀さまは
いつでもこの私の口にかかる名の仏となり、
「ナモアミダブツ。そのまま救う」とおっしゃるのです。
自らの智恵と慈悲を一杯につめこんだこの名のはたらきは、
私を決して見捨てることなく、
煩悩の私をそのまま受けとめ、
そのまま悟りに向かって歩む“いのち”へと仕上げてくださいます。

 

まっすぐ落ちる私をそのまま抱きとり、
必ずお浄土へ上げ参らせてくださるのが阿弥陀さまです。
そう教えてくださったのが『無量寿経』というお経様、
そしてインド、中国、日本の七高僧様、
そして親鸞様、
更には果てしなく多くの有縁の方々です。
煩悩まみれのむなしいままの人生ではありませんでした。
この度の人間に生まれた意味を聞かせていただきます。

 

【Tさんの気持ち】

 

「住職でも前住職でも構わない。」
その通りです。
阿弥陀さまが救ってくださるのですから。
Tさんからあらためて教えていただきました。
私の煩悩の根の深さを。

 

またおっしゃったTさんの気持ちもこんな内容であった気がするのです。

 

  若い頃よく遊んだ同級生の英さん(前住職)とたまには会って話がしたい。
  お互い仕事で滅多に会わなくなった。
  けど七日参りなら会える。

 

また多忙な私を気遣ってくださった
Tさんなりの言葉であったことが知らされるのでした。

 

(おわり)

 

 

:余談ですが、
最近はお葬式の最後、灰葬参りの後に初七日をする場合が増えました。
お葬式の日とあまり日数があかないという事、
できるだけ多くの人に七日参りのご縁にあってもらいたいという
喪主様の気持ちがあるのだと思います。

 

 

 

《意味ある人生 (二月前半)》

  

 

※この法話は話し言葉になっています。だいたい15分の法話です。

 

本願力にあひぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし
     『高僧和讃』(註釈版 580頁)

【本願力とは阿弥陀のはたらき】

 

ただ今のご讃題は親鸞聖人のお書きくださった『高僧和讃』天親讃の一首であります。

 

「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき」。

 

本願力とは、ご本願のはたらき、
他でもない阿弥陀様のお救いのはたらきのことであります。
すなわち、
阿弥陀様はかつて、あらゆる者を救うという誓いをお建てになりました。
そしてその誓い通りの力をお具えになり、
今、この凡夫の私の所へ南無阿弥陀仏と声の仏となってはたらいておられます。
いついかなる時であろうとも
「我れにまかせよ、そのまま救う」
とおっしゃる。
そのお喚び声におまかせした人生は、
むなしい、無意味な人生では決してない、
意味ある人生、必ず仏になる人生と、
親鸞聖人は詠っておられます。

 

【N先生の言葉】

 

去年の春、宗学院といってお坊さんが勉強する学校を卒業した時のことです。
その卒業謝恩会で、卒業生代表挨拶をすることになり、
その挨拶の中でこんな話をしました。

 

「落語にこんな小話があります。
人生は五十年。
けれども人間はそのうちの半分は寝ていますから、
人生は二十五年。
でもその中にいろいろと無駄がある。
たとえば食事時間。
朝・昼・晩。間食、夜食。それら全部足すと五年位。
すると人生は二十年。
でも人間は清潔でないと病気になります。
入浴、洗濯、また年末の掃除。
それらを足すとやはり五年位。
すると人生は十五年。
また移動時間。
徒歩、自転車、車、電車。
足すとやっぱり五年位。
すると人生は十年。
他にもまだあります。
病気で寝てたり、二度手間したり。
そういった残りの無駄全部かき集めるとやはり五年位。
すると人生は五年。
ところで人間は五歳までの記憶はほぼありません。
すると結局人生は……0年、タダである、という落ちです。

 

この話、無茶苦茶な事を言っている割に、
何か重要な事を教えてくれている気がいたします。
光陰矢のごとし。気づけば人生、あっという間なのかもしれません。
けれどもそんな人生において、
こうして3年間、聖典にどっぷりつかることができたのは、
本当にありがたいことでした。」

 

挨拶の後、いろんな先生にお酒を注ぎに回っていた時、N先生にこう言われました。

 

「弘中君。さっきの話はおもしろかったけどね。
しかし……お風呂にいても、二度手間しても、お念仏は出てくださるんだわなあ。
タダの人生ではないよね。」

 

お笑いになる先生につられて笑っていましたが、心の中で大いに反省していました。

 

そうでした。
南無阿弥陀仏とお念仏を申す生活、それは一生涯に渡って、
あなたの人生無駄とはさせない、タダとは言わせない仏様と共にさとりへの道を歩む生活でした。

 

【阿弥陀という名】

 

阿弥陀様。
このお名前はインドの言葉です。元々はアミターユス、アミターバ。
無量の時間・命を具えた、そして無量の光を具えた仏さまという意味です。
お経様には無量寿仏、無量光仏ともお示しです。

 

「人生は0年、タダ」という落語の小話。
そんなことはありませんよ、と普段は思う。
けど時として私たちは
「ああ、人生はなんとつまらないタダみたいなものか。むなしいものか」と思う時、
お互い経験するのではないでしょうか。

 

……信じていた友達に裏切られた時。突然仕事をやめさせられた時。
また、周りが誰も話をしてくれず、一人心の中で涙する時。
「自分は一体何をやっているのだろう」
と、人生が無意味に感じ取られ、全てを放り出したくなる時。

 

けれども、そんな不安一杯な私に南無阿弥陀仏は必ず到り届いています。
ではどうおっしゃているか。
「悲しいね。つらいね。
でも、だからこそ、われ無量の命を具えた仏なり。
いつでもあなたと一緒だよ。
われ無量の光を具えた仏なり。
どこでもあなたと一緒だよ。
決して凡夫のあなたを見捨てはしない。
どのようなあなたであろうとも、我れにまかせよ、そのまま救う。」

 

凡夫の私、煩悩まみれの私と見抜いてくださった、
故に見過ごすことができなかったのが阿弥陀様です。

 

【Mさんのお話】

 

去年の秋のことです。
よくお寺の法座にお参りくださるMさんという男性のお宅へお参りに行った時のことでした。
お勤めが終わって時間があいたので、お茶を飲んでいました。

 

季節の話や旅行の話等、いろいろ話をして盛り上がっていました。
その時たまたま健康の話になり、ふっと思い出してMさんへ、

 

「最近こんなおもしろい話聞いたんです。
心臓を専門に扱うお医者さんですけど、
その先生が言うには、
『皆さん、心筋梗塞ってどんな病気かご存じですか?
この病気はね、元気な人がなる病気なんです。
ちょうど血管にニキビのようなものができて、それがだんだん大きくなって血管をふさぎ、
心臓に血液が流れなくなって、ある日、バタッと倒れる。
それが心筋梗塞』という病気らしいですよ……」

 

元気な人がなる病気、
自分も気をつけないと、
そういう意味で笑いながら話しました。

 

しかしその話を聞きながら、
だんだんMさんの顔の表情が曇ってきたのでした。
そして、
「……妻も心筋梗塞でした。残念でした。あの先生がきちんと診てくれていたら」
と、言われたのでした。

 

しまった、悪いことを言ってしまったなって思いましたが、
それからMさんは、当時の事を淡々と話してくださいました。

 

朝、なんだか調子がおかしいと奥さんが訴えたのだそうです。
近くの病院へ。
しかしそこで心筋梗塞とは診断されなかったのでした。
その日の夕方に急変。手遅れでした。
あっという間のお葬式だったそうです。

 

「……けれどもそれがご縁でね。」

 

お葬式をし、法事をつとめながら、
Mさんはふと、お寺に参ってみようかと思われたのだそうです。
お寺でいつでもどこでもこの南無阿弥陀仏が一緒だよというお話をお聴聞する。
「有り難いですね」とおっしゃってくださいました。

 

自分がMさんのことを何も知らずにうっかりしゃべった事で、
けど、それがご縁でMさんがお寺に参ってくださる理由を教えていただきました。

 

【そのまま救う】

 

「あの先生がきちんと診てくれていたら」。
Mさんの気持ち、全部ではないものの分かるような気がするのです。
病院を責める気持ち、今でもあるのです。
もう忘れよう、もう消そうとすればするほど、ふつふつと心に湧き起こってくるのです。
でもその相手を責め悩む心の奥底に、
阿弥陀様の「必ず救う」という声が届いているのです。

 

「責める心はつまらないから、努力して消し去りなさい」、
とはおっしゃいませんでした。
「悲しいね。つらいね。
でもだからこそわれ無量の命を具えた仏なり。いつでもあなたと一緒だよ。
われ無量の光を具えた仏なり。どこでもあなたと一緒だよ。
決して凡夫のあなたを見捨てはしない。
どのようなあなたであろうとも、我れにまかせよ、そのまま救う」。

 

仏と共に歩む人生は、
悲しいかな常に他人を責め恨む心を消そうにも消せない凡夫の私が、
その心のまま、
まるごと引き受けると誓い、
力具えた仏に出遇えたという広大な喜びに満ちあふれた人生です。
毎日が、真実の仏の真実の声を聞く、
むなしくはない、意味ある暮らしとなるのがお念仏の生活です。

 

【海と川】

 

「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき 
 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」。

 

宝海とは宝の海。
濁水とは濁った水のことです。
阿弥陀様と私、それはちょうど海と川の水のような関係です。
決して離れない。
また海はどんな濁った水であっても分け隔てなく受け入れ、
同じ海水とします。
同じようにどれ程煩悩にまみれた私であっても、
阿弥陀様の功徳一杯のお心は、
私をそのまま受け入れ、
必ずお浄土へ救い取り、
間違いなく自らと同じさとりの仏にしあげてくださるのです。

 

煩悩まみれ……、成る程、タダみたいな人生、かもしれない。
しかし、そんな私だからこそ、
「この南無阿弥陀仏が、
無量の命・無量の光を具えたぞ、
いつでもどこでもあなたと一緒だぞ、
むなしいものとはさせないぞ」と届いてくださったのです。

 

その仏の救いの喚び声におまかせする時、
この人生は、
勿体なくも仏になる道のり、
むなしくなかった、
尊い意味ある人生でありました。

 

阿弥陀様のご本願のはたらき。
今、そのおはたらきにより、お念仏申させていただきます。

 

(おわり)

 

 

 

《仏にあう (一月後半)》

 

※前回のつづきはこちら

 

【親にあう】

 

彼は幼い頃、父親と死に別れました。
そしてお兄さんが父がわりで彼を育ててきたのでした。

 

「父親のいない息子に不憫な思いはさせない」
「自分が父親の代わりとしてしっかりしなければならない」
そんな二人に彼は育てられたのでした。

 

結婚。
それは新しい家族の誕生です。
そしてそれは、
自分を今まで見守ってくれた家族の存在をふり返る時でもあります。

 

ふり返った時、思い知らされたのでした。
母が、兄が、どれほど自分のために苦労していたか。

 

「こんな僕をようこそ息子と呼んで育ててくれた。
こんな僕をようこそ弟と呼んで育ててくれた。」

 

彼はこの結婚披露宴で、
本当の意味で親に遇ったのでした。

 

【仏にあう】

 

親鸞聖人の『浄土和讃』には次のような和讃があります。

 

平等心をうるときを
一子地(いっしじ)となづけたり
一子地は仏性(ぶっしょう)なり
安養(あんにょう)にいたりてさとるべし

阿弥陀仏さまは誓われました。

 

「私が仏になった時、
あらゆる人を平等に救うことかなわなければ、
私は仏にならない」と。

 

そしてその誓いを完成するべく果てしないご苦労をされました。

 

「あらゆる人を平等に……」というお誓い。
ですがそれを、“私一人”に対してのお言葉と大切に受けとめるのが、
浄土真宗の味わいです。

 

すなわち阿弥陀さまは、
私がどのような愚か者であっても、
いつどこで何をしでかしていても、
決して見放さず、私の苦労全てを背負い込んで、
“そのまま”救ってくださると。

 

決して見放さない……。
まるで「一子」、自分にとって唯だ一人のかけがえのない子どもの様に
仏さまは私を見てくださっているのです。

 

常に自分勝手に生きてきた私です。
自分の不都合な事があれば途端に「相手のせい」と思う私。
浅ましい心の私がいます。

 

そんな私を決して見捨てず、
いつでもどこでも私に慈しみの光を届けてくださっています。
「どのようなあなたであろうとも、必ず救う」。
そんなお育ての光を、私が気づくはるか前からずっと照らしてくださっていました。

 

「……こんな私を、ようこそ“一子”と喚んで育ててくれた。」
仏に遇った時、出てくる言葉です。

 

決して見捨てない親のはたらきで、
この度の人生、命終えたならば必ず安養の世界、お浄土の世界へ生まれ、
ただちにこの深重の煩悩は消え去り、仏、悟りの身と転じます。

 

(おわり)

 

 

 

《仏にあう (一月前半)》

 

あけましておめでとうございます。
本年も「月々の法話」よろしくお願い申し上げます。

 

【友人の挨拶】

 

去年の五月、友人の結婚披露宴に行きました。

 

大学院時代のゼミの友人でした。

 

広島のANAホテルへ。
久しぶりにあった友達とも話ができた、楽しい披露宴でした。

 

披露宴の乾杯の前、たくさんの方が祝辞を述べられました。
友人の恩師からこんな祝辞が。

 

「最後に、夫婦生活の先輩として一言。
 君たちはまだ夫婦と思わない方が良いよ。
 他人と一緒なのだと思っていた方が良い。
 二人で苦労を共にして、
 そう、二十年、三十年後に、
 『こんな僕をようこそ夫と呼んでついてきてくれた』
 『こんな私をようこそ妻と呼んで大事にしてくれました』
 そう思えてくる日がきっとくるだろう。
 その時本当の夫婦なんです。
 それまで二人で頑張りなさい。」

 

(……私もほぼ同じ内容の祝辞を、同じ恩師からいただきました。)

 

さて、披露宴の最後は新郎のスピーチです。
実のところ、
私にとって披露宴の楽しみの半分はこの最後のスピーチなのです。
どんな事を言うのだろうか。

 

「彼は冗談が好きだから。
 笑いをとるのかな。」

 

そんな事を考えながら聞いていました。

 

すると彼はこんな内容のスピーチをしてくれました。

 

「本日はご多忙の中、披露宴にお越しくださいまして有難うございます。
また先程来、多くの方からお祝辞を賜りました。

 

先生はおっしゃいました。
二十年、三十年後に、
『こんな僕をようこそ夫と呼んでついてきてくれた』
そう思える時がくるまで頑張れ、と。

 

それはそうなのですが……。」
しばらくの沈黙の後、
彼はこう言いました。    

 

「僕はその先生の話を聞きながらこう思いました。
『こんな僕をようこそ息子と呼んで育ててくれた。』
『こんな僕をようこそ弟と呼んで育ててくれた。』」
またしばらくの沈黙。
会場もシーン。
涙をこらえている彼の姿に、
私も思わずもらい泣きしてしまいました。

 

(つづく)

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