山口県は岩国にある浄土真宗寺院のWebサイト

 

光炎王(12月後半)

【修行】

 

「お坊さんは、さぞご修行が大変でしょう。」

 

お取り越しのお勤めの後、
何気なくMさんに言われました。
寒い中の「お取り越し参り」をねぎらう意味で言うのかもしれませんが、
「修行」……ピンときません。

 

Mさんに限らず、
一般に「お坊さんの仕事=修行」と思われている方がおられます。
しかし私自身、ふり返ってみると、
掃除、仏事、勉学……修行とは思いません。

 

ちなみに辞書を見ると、

【修行】
《名・ス自》
1.悟りを求めて仏の教えを実践すること。
2.一切の欲望を断って心身を鍛練・浄化する宗教的行為。

とあります。

 

他にも「仏教における精神の鍛錬に関する用語の一つ」であり、
財産・名誉・性欲といった人間的な欲望(相対的幸福)から解放され、
生きていること自体に満足感を得られる状態(絶対的幸福)を追求することを指す行為

とありました。
私も「修行」といえば、そんなイメージです。

 

浄土真宗の僧侶はおよそ修行から遠い生活です。
髪も伸ばし、結婚もします。
身心の鍛錬どころか、私も2ヶ月前まではメタボでした。

 

「それでもお坊さんですか?」
「修行はしないのですか?」
はい、仏さまの教えは実践しています。
ただし、自力修行をして功徳を積み悟りにいたる道とは違うのです。
お浄土への道、阿弥陀さまの願いを聞き受け、お念仏を喜ぶ道です
前者の道を聖道門(しょうどうもん)、
後者の道を浄土門(じょうどもん)といいます。
「しょうどうもん」、「じょうどもん」、似ていますが全く違うのです。

 

【ランナー】

 

「陸王(りくおう)」は現在放映中のドラマです。
老舗の足袋業者「こはぜ屋」が再起をかけて、
ランニングシューズの開発を行う話。
主役は役所広司。
ランナーの竹内涼真がかっこいい。
毎週、かかさず見ています。

 

先日、Kさんの家に「お取り越し参り」に行きました。
本来なら10月にお参りする予定でしたが、
Kさんから「延期させてください」と連絡を受け、
12月になってうかがいました。

 

お勤めの後、
「何かありましたか?」
「練習中、靱帯を切りまして…。」

 

話を聞くとKさんは子供の頃から陸上部。
今も趣味で良く走るそうですが、
その時、ケガをして一月半の入院。
今もリハビリ中です。

 

「知りませんでした、陸上選手だったのですね。
お大事ください……ところで、日曜日のドラマ“陸王”観ていますか?
私は毎週、ハンカチ持参で観ています!」

 

するとKさんは言いました。

 

「いえ、私は観ていません。
あのドラマはマラソン、長距離の話でしょ。
私、短距離なのです。
長距離ランナーと短距離ランナーは全く違うのです。
ちなみに妻は長距離ランナーで……」

 

陸上ならみな同じと思う私。
しかしやっている本人にとってみれば全く違う種目なのです。

 

【本願】

 

同じ陸上という競技でも、
短距離ランナーと長距離ランナーは練習方法が異なります。

 

同様に、
同じ僧侶という職業でも、
「聖道門(しょうどうもん)」と「浄土門(じょうどもん)」は違うのです。

 

前者は自力修行の道。
後者は他力本願(他力念仏)の道。

 

浄土真宗は後者の浄土門です。
他力本願、すなわち阿弥陀さまの願い通りに生きる教えです。

 

仏光照燿最第一
光炎王仏となづけたり
三塗の黒闇ひらくなり
大応供を帰命せよ (親鸞聖人『浄土和讃』より)

 

(現代語訳:この仏さまの光は諸仏の光を超えたはたらきをお持ちです。
 故に、阿弥陀さまの事を「光炎王仏」(こうえんのうぶつ)とも言います。
 あらゆる者を、地獄・餓鬼・畜生の迷いの闇から解き放ちます。
 「大応供(この上ない供養するにふさわしい方)」である阿弥陀さまに帰依します。)

 

陸王ならぬ、光炎王の仏さま。
それが私のいただく仏さまです。

 

どのような仏さまか。
ご本願には「至心信楽(ししんしんぎょう)」と誓われています。

 

漢字では意味が分かりづらいのですが、
危ぶみのないものにするというお誓いです。

 

そのお誓いをお誓い通りに、
「そうでした」と聞きうける身になった心持ちを、
浄土真宗では信心といいます。
世間でいう「きっと勝つと信じる」「私は彼を信じる」といったような、
自らが勝手に思い込む、すなわち「確信する」のとは違います。

 

如来さまのはたらきが私の仏道(救い)の決め手です。
それをいただくかいただかないかが大問題なのです。
私の修行に値打ちはありません。
仏の修行に値打ちがあるのです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

第一部:サインと塩(12月前半)

【寄席】

 

「わろてんか」は現在放映中の朝の連続ドラマです。
大坂を舞台とした寄席経営のお話です。

 

……………

 

今夏、東京の品川へ幼稚園の経営セミナーに行きました。

 

セミナーが一応終了した後、
帰りの飛行機まで時間があったので、
上野の東京美術館へ行きました。
「ボストン美術館の至宝展」
ゴッホの大作「ルーラン夫妻」等、約一時間鑑賞しました。

 

しかしまだ時間があります。

 

「そういえば、この辺りに寄席があったような…」

 

調べて歩くこと15分。
「鈴本演芸場」の看板をみつけました。
油断すると通りすぎてしまうような間口。
生まれて初めて寄席に入りました。

 

丁度、大道芸の途中でした。
客席はビールを飲んだりボップコーンをほおばったり……席も自由です。
地方の落語会とはずいぶん雰囲気が違います。

 

300人入れるくらいの小さなホールです。
舞台と客席の距離がずいぶん近く、
漫才があったり、紙切り(林家正楽)があったり…楽しい一時間半でした。

 

【壁のサイン】

 

落語は四席聞きました。
最初は柳屋花緑師匠。
「初天神」でした。

 

でもその前にマクラが。
マクラとは噺に入る前に話される小話や世間話のことです。

 

熊本に仕事に行った時の事でした。
いつも行くお店へ食事に行くと……、

 

「まあカロクさん! よく来てくれたわねぇ。」
「今年もこちらに仕事がありましたから。」
「よかったらサインしてくれない?」
「良いですよ! どこに書きましょう?」

 

初めてサインを求められました。

 

「この壁に大きく書いてちょうだい。」
「大きくですね。このくらいで良いですか。」
「もっと大きく!」
「もっと? このくらいですか?」
「もっともっと大きく!」

 

遠慮なく思いっきり「柳家花緑」と書きました。

 

「本当にありがとう!」
「あの〜、本当にこんなに大きくて大丈夫ですか?」
「良いのよぉ。だって、この店、来月で閉店だから。」

 

……何のためのサインなのか。

 

【塩】

 

トリは7代目、柳亭燕路(りゅうてい えんじ)師匠。
「笠碁」というお話でした。
やはりその前に、マクラがありました。

 

……友人から「ジュラ期の塩」というのをいただきました。
二億年近く前の時代の貴重な塩なのだとか。
大切にとっておきました。

 

ある時、家に友人が見えたので食事をすることに。
そこで思い出したのが「ジュラ期の塩」。
ここぞとばかり出してみました。
何気なく瓶の後ろをみると文字が見えます。

 

「賞味期限 20××/×/×」。

 

賞味期限が切れていました。
塩ですから、使えないことはありません。
……しかし二億年近く前のものなのに、
なんで賞味期限が切れるのか、どうにも納得できず…。

 

【十劫からの名号】

 

弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きはもなく 世の盲冥をてらすなり

 

親鸞聖人の和讃、阿弥陀さまの讃歌です。

 

阿弥陀さまは、私を救うが為、「ご本願」をしあげられました。
二億年どころか「十劫(じっこう)」という昔より
南無阿弥陀仏の名の仏・声の仏となって
他ならぬ私の煩悩の闇路を照らしておられます。

 

「ジュラ紀の塩」には賞味期限がありました。
十劫の昔であっても、この仏さまの救いには賞味期限はありません。

 

しかし賞味期限のように、
味わうタイミングというものがあります。
それは、今です。

 

そして友人でもなく先祖でもなく、私自身が味わいます。

 

取り壊す予定の「壁のサイン」は切ないです。
壊すくらいなら、小さくても色紙にして「あなた」が持ってほしかった。

 

阿弥陀様の願いも同様です。
「南無阿弥陀仏」という仏の名のサインは私への贈り物です。
「あなたを救う功徳は名号というサインに仕上がっているよ。」
ああそうですかと言いながら、
法事が終わったらそれっきりでは寂しい。

 

お念仏がないものを救わない仏さまではありません。
しかし「南無阿弥陀仏」の心をいただいたのなら、
気づいた時には、お念仏申したいものです。

 

第二部:恵まれた信

 

【恵まれた信】

 

親鸞聖人の奥様の名を「恵信尼(えしんに)」といいます。
推定ですが、今年はその恵信尼様の750回忌といわれます。

 

かつて親鸞聖人は、「歴史上の架空の人物」という説がとなえられました。
歴史の資料にほとんど現れないからです。
しかし大正10年、鷲尾教導師が本願寺書庫の『恵信尼文書』を公表します。
これは恵信尼様が娘覚信尼に宛てたお手紙です。

 

『恵信尼文書』の発見・公表によって親鸞架空説は完全に消滅します。
今日、浄土真宗が存続しているのは、
ある意味、恵信尼さまのお陰です。

 

恵信尼様のお手紙は八通あります。
弘長三年(1263)、親鸞聖人のご往生の年から、
文永五年(1268)、3月12日のものが最後です。
今年は、その最後のお手紙から750回忌なのです。

 

去年の十二月一日の御文、同二十日あまりに、たしかにみ候ひぬ。
なによりも殿(親鸞)の御往生、なかなかはじめて申すにおよばず候ふ。

 

(現代語訳:去年の12月1日のお手紙、同20日過ぎに確かによみました。
何よりも聖人が浄土に往生なさったことについてはあらためて申しあげることもありません。

 

親鸞聖人の往生の後、
越後のお母さんに手紙を送った娘覚信尼(かくしんに)。
その手紙の内容は推定ですが、
「臨終にあたって、特別な事は何もありませんでした」といった内容だったと思われます。
仏さまが“お迎え”にくるような特別な兆しを期待したのでしょう。
「本当にお父さんは、お浄土へ往生したのだろうか?」

 

それに対して、恵信尼様は「何も心配することはありません」と手紙を書かれます。
そして法然上人との出会いについて書かれます。
「あなたの父上は、法然上人の説かれた他力のお念仏にであった方ですよ。」
それまでとは全く異なるお念仏のすがた、
仏さまの途切れることのない他力のはたらきにであわれました。

 

されば御りんずはいかにもわたらせたまへ、疑ひ思ひまゐらせぬうへ…

 

(現代語訳:ですから、臨終がどのようなものであったとしても、
聖人の浄土往生は疑いなく、そが変わることはありません…)

 

現代はとかく「信じたいものが真実」という風潮があるようです。
しかし浄土真宗でいう信心とは恵信尼さまの名にあるように、
「真実の方から恵まれた信」なのです。

 

臨終の善し悪しは全く問題でなくなりました。
世間でいう「はやくお迎えがくれば…」の“お迎え”は完全に消滅、死語になります。
今日という一日、今この一瞬、
危ぶみのないお念仏のすがた、仏さまがおられます。

 

【はからい交えず】

 

浄土真宗の仏さまは、
光となり声となり、
南無阿弥陀仏の名となった仏さま。

 

「なぜナモアミダブツが仏さまなの?」

 

最初はピンとこないものです。
私自身もそうでした。

 

しかしやはり南無阿弥陀仏が仏さまなのです。

 

「どのようなものも、そのまま救い遂げたい」
という仏さまの願いを聞き受けた時、
その味わいとして、
「南無阿弥陀仏が仏さまです」以外、言いようがないのです。
「われにまかせよ。必ず救う」と誓われた仏さま。
「仏さまとは〜のような、念仏とは〜のような…」
言えば言うほど、自らの手垢がつく恥ずかしさに気づかされます。
自らのはからい心を交えるような事、
その仏さまの仕事を邪魔するような事はしたくなくなります。

 

故に、
「我々の仏さまは“南無阿弥陀仏”(名の仏)です。」
この表現以上にふさわしい言い方はありません。
もしこれ以上に、このお慈悲の法(ほう)を表現できる言葉があれば、
それは真宗のノーベル賞でしょう。

 

【尊い人生】

 

「ようやくお聴聞が板についてきました。」
といわれるOさん。

 

「父が亡くなった当初、憐れとしか思えなかった。」

 

突然亡くなった父は、さぞ無念だったろう。

 

しかし喪中の間、「仕方ないよ。あきらめよう」と思いはじめたそうです。
平均寿命はまっとうしたのだ。
苦しまずになくなったのだ。
父はあれで良かったのだと。

 

「けどお聴聞するうちに落ち着いたように思います。」

 

本堂に入り、「諸行無常」というマクラを聞き、
「法蔵菩薩」という仏さまの願いの噺を聞きました。
臨終の善し悪しは全く関係のない仏さまの願い。

 

亡き人への想いは「かわいそうに」、「あれで良かった」。
どちらも正直な気持ちですが、
「〜だろう、〜だろう」は、自らのはからい心でした。
辛かったろう、いや楽しかったろう……、
勝手に親の人生を作り上げてしまう煩悩凡夫の心。
自分の心の整理ばかりにとらわれ、
肝心の「今」の父を行方不明にしていました。

 

阿弥陀さまの眼には、亡き方の今の姿が映っています。
浄土で仏となり、私を導いている父。
その生涯は、お慈悲と共に生きた故人でした。
かつても、そして今も尊い方でした。

 

寄席ではなく法座では、
お笑いだけでなく、お念仏のお心もいただきます。
賞味期限なしのあみださまのサイン。
大切にいただきます。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

毎朝の仏壇の前で(11月後半)

【ご開帳】

 

“お取り越し”参りの11月です。
ご門徒のお宅、お仏壇がきれいにかざられてあります。

 

お勤めの後、ふと見るとカレンダーがありました。
毎年、お寺からお渡しする「直枉カレンダー」。
まだ7月になっています。

 

お茶をいただきながら、
「まだカレンダー7月ですね。」
というと、男性の方が、
「ええ、この部屋には滅多に入らないものですから。」
と苦笑い。
そうですかと相づちしながら家を出ました。
「……ということは、お仏壇でお参りしてないことになるのでは…?」

 

気を取り直して次の家へ。
やはり、お仏壇はきれいにかざられてあります。

 

「きれいなお仏壇ですね。」
というと、ご主人が、
「ええ大切に、普段はずっと閉めてますから。ほこりは入りませんよ。」
そうですかと相づちしながら家を出ました。
「……ということは、普段はお参りしてないことになるのでは……?」
お仏壇は、
夏のお盆と冬のお取り越しの二度のご開帳だけ。
もしそうなら、お仏壇を大切にしすぎです。

 

【一番の宝物】

 

多忙を求められる現代。
お仏壇へのお参りは継続しずらいものがあります。
また便利な時代の産物、
何事も面倒くさがる私です。
だからこそ、工夫します。

 

カレンダーをめくったり、
過去帳をめくったりします。
「今日は○○の月命日か。」
お花を生けたり、ロウソクを灯したり、焼香したり。
お仏壇に自らを座らせる工夫です。
すると、お仏壇の前が楽しくなります。

 

お仏壇は家の中で一番の宝物です。
子ども達にとって、
憧れのものとはならなくとも、
見るのが嫌な、
仏間に入るのが恐ろしいような、
そういうお仏壇にはしたくないものです。

 

私たちは毎朝、鏡台の前にたちます。
それと同じ感覚で、
毎朝、仏壇の前に座れたら良いのですが。

 

【鏡の前で】

 

先月の10月5日は、
スティーブ・ジョブズさんの7回忌でした。
アップルの共同設立者であり、
スマホ携帯の代表であるアイフォンの生みの親です。

 

うちの3歳の娘でも、
ガラス張りの文字や絵をみたら、
見るだけでなく、とりあえずさわります。
動くのではないかと思うからです。
タップやスワイプ…私たちの子供の頃は考えられませんでした。
ジョブスさんは、
世界中の人の考え方をかえました。

 

そんなスティーブさんにこんな言葉があります。

 

If today were the last day of my life,
would I want to do what I am about to do today?
(もし今日が人生最後の日だとしたら、
今やろうとしていることは 本当に自分のやりたいことだろうか?)

 

きっかけは17歳の時、
「毎日、これが人生最後の日だと思って生きてみなさい。
そうすればいつかそれが正しいとわかる日がくるだろう。」

その言葉に出会い衝撃をうけました。
それから30年、毎朝、鏡の前で、
「もし今日が人生最後の日だとしたら、
今やろうとしていることは 本当に自分のやりたいことだろうか?」
自問自答しながら、世界を引っ張っていきました。

 

【仏壇の前で】

 

「死にたくない。」
死という現実を受け入れられない、
避け続けようとする私の智慧・不安があります。
それを煩悩といいます。
その煩悩の私をまるごと受けとめ、
「われにまかせよ。阿弥陀の仏にたよってくれよ。」
願ってやまないお慈悲の方がおられます。
それは単なる願望・切望ではなく、
真実の智慧に裏付けられた誓願・本願です。
「お浄土の救いはあるぞ。」
如来様の迷いのない喚び声、それが六字の名号、お念仏です。

 

ジョブスさんは毎朝、鏡台の前で人生最後の日を考えました。
念仏者は毎朝、仏壇の前で、おのずから臨終の法話をいただきます。
浄土の世界・本願のはたらきを聞きます。

 

平生に引き寄せて、臨終を語る浄土真宗。
「私の命が終わるということはどういうことか。」
日々の生活をもって、人生最後の日に気づき、
同時に仏の大慈悲心、
不安なき大安堵心にであう教えです。

 

朝のお仏壇の前です。
「今日が人生最後の日かもしれない。
だが今日もお念仏との日々だ。
如来さまとのお慈悲の生活だ。
大切にすごさせていただこう。」
お念仏申します。
お礼から始まる浄土真宗の一日です。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

リンゴと念仏とカロリー(11月前半)

【リンゴ】

 

“お取り越し”参りの11月です。
ご門徒のお宅、お仏壇がきれいにかざられてあります。
お花も美しく、お供えも綺麗です。

 

お供えで多いのがリンゴです。

 

スーパーで買ったリンゴかもしれません。
果物狩りでとったリンゴかもしれません。
親戚から贈られたリンゴかもしれません。

 

ただ、今の私にはリンゴには見えません。
カロリーに見えます。

 

…きっかけは、お参り先で、
「計るだけダイエット」を教えてもらった事です。
これは朝と晩、
自分の体重を計って紙に書くだけです。
また「言い訳欄」に体重の増えた言い訳を書いたりして、
反省したり喜んだり、
とにかく計り続けていけばやせるというのです。

 

「友人にすすめた所、10人中2人、目標体重まで減量成功しました。」
「計るだけなら続けられそうです。」
いただいた専用の紙を持って帰って、ダイエット開始しました。
10日経過……なかなかやせません。

 

【カロリー】

 

後日、友人からこう言われました。
「それだけではダメだ。基礎代謝を調べて、カロリー計算しないと。」

 

基礎代謝とは、
生命の活動を維持するために必要なエネルギーのこと。
調べてみると私の基礎代謝は、
1700キロカロリーでした。
すると単純に一日の食事が1000キロカロリーだったら、
10日で1キロ痩せるというのです。

 

食事制限して数日、確実に体重が減ってきました。
当たり前ですがすごいものです。

 

ダイエットをしながらのお参り。
お仏壇のお供えを見ると、
浮かんでくるのはカロリーの事。

 

りんごが「135キロカロリー」に見えます。
柿は「普通サイズだな。90キロカロリーかな。」
水ようかんは「150キロカロリーくらいか。」
「バナナだ。三本あるから240キロカロリー」
「あのおもち……三段あるから240キロカロリー」
「缶詰……97キロカロリーと書いてある。少ない。」
「あのアンパン、398キロカロリーもある! すごい。」
……単にお腹が空いているのかもしれません。

 

【浄土の片鱗】

 

ダイエットを心がけている時、
周りのものがカロリーに見えるように、
お念仏の心をいただいた時、
周囲の物の見方が異なって見えます。

 

お念仏の心とは、阿弥陀さまの心です。
阿弥陀さまの心とは、阿弥陀さまの願いの心。
「どのような者ももらさず救う」という誓い、
「救わずにはおれない」という大悲の心を聞きました。

 

「どのような物ももれなく阿弥陀さまの光の中だった」といただきます。
周囲を見回すと、
どれ一つとしてお慈悲の光に照らされないものはないのです。

 

ダイエットをする人間がお供えのリンゴから135キロカロリーを知るように、
お念仏を申す者はお仏壇の荘厳から、
広大無辺なる浄土の片鱗をうかがいます。

 

【念仏のカロリー】

 

周囲だけでなく、
お念仏自体も同様です。

 

「南無阿弥陀仏」。
一言お念仏するのに、カロリーはほとんど消費されません。
しかし、135キロカロリーどころではありません。
迷いの私をさとりのお浄土へ参らすための膨大な功徳。
そのエネルギーが余すところなく整った六字の御名。
それが南無阿弥陀仏です。

 

いつでもどこでもお念仏の見方をもらいます。
欲望やむことない世界ですが、
故に阿弥陀さまの心がみちみちた世界です。
そして阿弥陀さまとの一心同体の日暮らし。
仏さまが味方です。

 

南無阿弥陀仏にいだかれた生活。
南無阿弥陀仏の景色が映る生活。
損得と勝ち負け、
怒りと妬み極まりないわが人生ながら、
そんなわが人生を「尊いもの」と頂戴する生活です。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

ワンフレーズ(10月後半)

【娘の質問】

 

母「テラちゃんがお手伝いできるようになってくれたことをアミダさまとよろこんでいるのよ。」
テラちゃん「そうなのね。」
  (仏教子ども新聞より)

 

幼稚園の運動会の前日のこと。
熱が出たので大事をとって幼稚園を休ませていた娘が、
「お昼寝はしたくない」とばかり私の横でよくしゃべっていました。
すると突然、
「どうしてお父さんは『なまんだぶ』っていうの?」
という質問。
「そうねぇ……カナちゃんが元気になって良かったなって、
嬉しいからなんまんだぶっていうのかな。」
「ふーん。」
ゴロゴロしながら聞いていました。

 

あらためて自分がお念仏している事に気づかされました。

 

『なまんだぶ』
それは阿弥陀さまとの日暮らしをあらわします。
日々の喜怒哀楽を阿弥陀さまと喜怒哀楽します。
いつでもご一緒の方。
その方を、そのはたらきぶりの通り、
「南無阿弥陀仏」といただきます。

 

【時処諸縁を選ばず】

 

弥陀大悲の誓願を
ふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく
南無阿弥陀仏をとなふべし(『正像末和讃』より)

 

阿弥陀さまはこのうえないお慈悲の誓いをたてられた仏さまと聞きました。
愚かな私と充分知った上で、
「われにまかせよ。必ず救うぞ(南無阿弥陀仏)」と誓われます。
その言葉の通り、
私が寝ていようが目を覚ましていようが、
煩悩まみれの私と離れることなく、
南無阿弥陀仏とはたらいてくださいます。

 

故にお念仏は、
動いていようが、とどまっていようが、
起きていようが、座っていようが、
大声であろうが、小声であろうが、
早口であろうが、ゆっくりであろうが、
心が落ち着いていようが、乱れていようが、
全く関係ありません。

 

朝であろうが、夜であろうが、
結婚式であろうが、お葬式であろうが、
「南無阿弥陀仏」と、
お念仏をいただくばかりです。

 

【くやみ】

 

ある落語に、葬儀の「おくやみ」のポイントについて言われていました。
それは「あまり文意を相手に伝えない」こと。

 

葬儀は生き死に関わる厳粛な場です。
言い間違いが許されがたい場。
悪気はなくとも、ポロッと言ったことが大変な誤解になる場合があります。

 

言葉は自然と小声であいまいになります。
しかしこれだけは大声で言えるワンフレーズがあります。
「何と申し上げてよろしいやら。」
言い間違いがありません。
なぜか。
どう言って良いかわからないという意味です。
何にも言ってないのと同じ。

 

「何と申し上げてよろしいやら」のワンフレーズ。
うなずくか、横にふるかのツーアクションズ。
このスリーエレメンツで、くやみはオッケー。
……冗談話ですが、要を得た所もあります。

 

野外におくりて夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。
あはれといふもなかなかおろかなり。(「白骨の御文章」より)

 

白骨の故人にむかって愚かと言っているのでありません。
自らが自らに言う「言葉にならない」という意味です。

 

「何と申してよいやら…。」
別れの悲しみの場を真正面にとらえて出てくる言葉はなかなか見つかりません。
ただ涙こぼれる、沈黙の場。
それに堪えられず世間話に花が咲いてしまいます。

 

【ワンフレーズ】

 

けれどもお念仏は別です。
人間の願いではなく、
仏の願いからあらわれた救いの言葉は、
最初から最後まで、どこまでも通用します。

 

喜怒哀楽に波打つ人生。
しかしどのような場面であろうが、首尾一貫、
「なんまんだぶ」のお念仏は登場可能です。
なぜか。
「何にも言ってないのと同じだから」ではありません。
共に喜び、共に悲しみ歎き、
そして私が忘れてしまっても忘れない、
仏の願い心のあらわれだからです。

 

私以上に故人とわけへだてなくご一緒だった阿弥陀さま。
その故人も、迷いの境涯を終え、
さとりの境涯、南無阿弥陀仏の境涯に。
「なんまんだぶ。」
故人を思い、そして阿弥陀さまを思い、
出てくるのは、やっぱりお念仏です。

 

ナンマンダブのワンフレーズ。
合掌し、礼拝するツーアクションズ。
このスリーエレメンツで、
なやみ(悩み)はオッケー
……と軽々しく言うものではありませんが、
大切な3要素です。
自らが気をつけて、
いつでもどこでも出せる稽古をします。
各々の問題です。

 

【難信】

 

他力のお念仏。
仏さまの仰せの通りいただく故、
この上ない功徳のお念仏です。
そしてこの上ない易しいお念仏です。
たった六文字だから……ではなく、
仏さまの仰せをいただく以外、他に用事がないからです。

 

  信楽易行水道楽(易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。)

 

他力のお念仏は易行です。
易しいお念仏。
しかし易しいが故に、誤解も多いです。

 

先日も新聞で、親鸞聖人に関する本の書評をみると、
「(浄土真宗は)自力を疑惑」すると書かれてありました。
自力を疑惑するのは自力です。

 

また「要するに、浄土真宗とは阿弥陀さま一つを信ずる宗教でしょ?」という人が。
その「要するに」が余計なのです。

 

  信楽受持甚以難(信楽受持すること、はなはだもって難し。)

 

他力のお念仏は、いただいてみれば簡単ですが、
いただくまではなかなか難しいようです。

 

ついつい他力を自力の信心ではかってしまいます。
「阿弥陀とはこのような存在である」と確信したり、
「何をやっても助けてくださる」と狂信したり。

 

本やインターネットは便利ですが、
結局「お聴聞」以外、手はないのかもしれません。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

呼びかけの誓願(10月前半)

【法蔵物語】

 

親鸞聖人のひらかれた浄土真宗とは、阿弥陀さまの宗教です。

 

阿弥陀さまはたくさんの経典に説かれる仏さまです。
その中、
浄土真宗が中心とする経典は『仏説無量寿経』。
そこには阿弥陀さまが阿弥陀さまになられる物語が詳しく説かれます。

 

阿弥陀さまはかつて法蔵という名の菩薩さまの時、
師である世自在王仏によって、
あらゆる仏さまの浄土という浄土をご覧になられました。
お浄土の成り立ち、
またその国土や人間や神々の善し悪し…。

 

五劫という果てしなく長い思惟され、
48の誓いをたてられた法蔵菩薩。
兆載永劫の修行の末に誓願は成就され、
阿弥陀仏という名の仏になられます。
西方に誰もが生まれていくお浄土をひらかれます。
今から十劫の昔のことです…。

 

この阿弥陀さまが阿弥陀さまとなられる話、
法蔵菩薩物語といいます。
浄土真宗以外の宗派もご存じの物語です。
しかし物語の見方はというと、大きく異なってきます。

 

【桃太郎経営】

 

今年の七月下旬、
品川で一泊二日の幼稚園の研修会をうけていました。
事業承継を考える園経営者の研修会。
様々な業種の人や園長7人の人生論や経営論を聞きました。

 

そんな中、二人の人が桃太郎経営という事を口にされました。
桃太郎の物語をヒントに、経営を考えるというもの。

 

最初の方はこういわれました。
犬、猿、雉はみな全く個性のことなる動物です。
それぞれが個性を生かして、鬼退治します。
私たちの会社経営も同様に、
社員の個性を尊重して、適材適所に役割分担しながら運営することを心がけます。

 

ところが次のコカコーラやバドワイザーの会社経営にも携わった方は、
こう言われました。
犬、猿、雉は視点が違います。
地面を歩く犬は数メートル、
気に上った猿は数十メートル、
空中を飛ぶ雉は数百メートル、
視ている視野が違います。
会社経営もこの三つの視点が必要なのです。
年内の短期目標、数年内の中期目標、そして数百年先の長期目標。
これが経営には不可欠です。

 

同じ犬猿雉で解釈が大夫違います。
他にも帰って調べると、
犬は勇気、猿は知恵、雉は情報力、そんな解釈もありました。

 

【三つの心】

 

法蔵菩薩の物語の中心は第十八願です。
第十八願を和訳すれば次の通りです。

 

「私(法蔵菩薩)が仏になるとき、
すべての人々が、
@まことの心をもって、
Aわたしを信じて、
Bわたしの国に生まれたいと願い、
わずか十回でも念仏して、
もし生まれることができないようなら、
わたしは決してさとりを開きません。
ただし、五逆の罪を犯したり、
仏の教えを謗るものだけは除かれます。」

 

@を「至心」、Aを「信楽(しんぎょう)」、Bを「欲生」といいます。

 

親鸞聖人以外の多くの方は、
この@・A・Bを「救いの条件」とみました。
すなわち、
「私自身が、迷いの心を打ち払い、
@真剣な気持ちで、
Aただ一筋に「間違いなく救われる浄土はあるのだ」と仏の救いを確信して、
Bそんな浄土へ生まれたいと切望する。
そうすれば阿弥陀さまは必ず救ってくださる。」

 

あるいは、都合良く、
「まごころなんて凡夫には無理な話。
だから、阿弥陀さまは、
『@少しでも真面目になっておくれ、
A少しでも信じておくれ、
B少しでも浄土を願っておくれ』と促しているのだ。」

 

さらに、都合良い解釈は、
「人間にだって第一希望、第二希望、第三希望というのがある。
だから、阿弥陀さまは、
『@煩悩に左右されない真っ直ぐな心をもってくれよ。
それが無理なら、
A仏の教えを素直に信じる心をもってくれよ。
それも無理ならせめて、
Bせめて「いのち終わったらお浄土へ生まれたい」と期待してくれ。』と願っているのだ。」

 

どれも自らの力、自らの心の変革をあてにする解釈です。
それに対して、親鸞聖人は、
@・A・Bの三つの心を、
他力の三心、また他力の「三信」といただかれました。
三心全て一様に、仏さまの誓いが私にいたりとどいた心。
一つの心、疑いようのない心、信心といただかれました。

 

【他力の三信】

 

先ほどの桃太郎の話。
犬・猿・雉はどれも素晴らしい活躍をして鬼を退治します。
しかしそこには、キビダンゴの存在が。
鬼をまさしく倒したのは、
一見、何の変哲もないキビダンゴにあるのかもしれません。

 

キビダンゴからみる桃太郎経営。
適材適所の職員ですが、誰もが忘れてはならない一つの理念。
短期・中期・長期目標、どれもなければならない一つの方針。
そんな事を想像します。

 

阿弥陀さまの物語にも、キビダンゴがあります。
それは南無阿弥陀仏の名号です。
わずか六字の名前ですが、
阿弥陀さまが阿弥陀さまとなられる物語の肝要であり、
阿弥陀さまという仏さまの功徳全体の結晶です。

 

@まこと心も、A疑いのはれた心も、B往生を願う心も、
すべて南無阿弥陀仏の名号をいただいた心持ちです。
この私のためにあらゆる手だてをつくして、
決して離れない仏さまがおられる事をいただいた心です。
救いの条件ではないのです。

 

【呼びかけの誓願】

 

(58)至心・信楽・欲生と
  十方諸有をすすめてぞ
  不思議の誓願あらはして
  真実報土の因とする

 

親鸞聖人の和讃です。

 

第十八願を成就した阿弥陀さま。
故に第十八願の心は、
「あなたを救うまことの功徳はできあがりました。
わたしの真実心(至心)を信じて(信楽)、
わが浄土に生まれんと願っておくれ(欲生)」と、
あらゆる迷いの衆生に勧めておられます。
凡夫が浄土に往生する因は、ひとえにこの他力の信心(信楽)一つです。

 

私の心中に入り満ちる、まことの仏さまがおられました。
「お前の悲しみはわが悲しみ」と共に泣いてくださる仏。
その仏さまが全功徳をかけて救わんとはたらいています。
「この度こそは、迷いの境界で終わらせはしないぞ」と。
「浄土への道は、もうすでにわが足下でした」と気づいた時、
疑いようのない心は自然とお浄土参りを心待ちにしています。
これを他力の三信といいます。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

長い間知らなくて(9月後半)

【フクロウ】

 

まもなく敬老の日が来ます。

 

先日、あるお菓子屋にいくと、
フクロウの形をした最中(もなか)が売っていました。
敬老の日にあわせた「ふくろう最中」だとか。
そしてそこに「不苦労」の文字。
「へぇ、フクロウは“不苦労”なのね。」
長い間、知りませんでした。

 

勝手に「フクロウ」は「福の老」だから人気と思っていました。
「不苦労」という当て字もあったとは。
勉強になりました。

 

【彼岸とあの世】

 

さて、敬老の日の次は秋分の日。
先日の子供会で「彼岸」について聞きました。

 

子「知ってるよ。昼と夜が同じ長さの日でしょ。」
私「それは科学の話。」
子「はい知ってます! おはぎ食べる日!」
私「それは食事の話。
  お彼岸は仏さまの話です。
  仏さまのいるお浄土の世界、それが彼岸です。
  反対に今いる私たちの世界は此岸(しがん)といいます。

 

  私たちは、命終わったらお浄土へ参ります。
  浄土はこの時期、太陽の真西に沈む方向にあります。
  とても綺麗な美しい国です。
  私たちはお浄土で仏さまになります。
  それが彼岸です。」

 

するとまた前の子が言いました。
「要するに、死んだら行くところでしょ?」
「天国だよね?」

 

この子の言いたいことはわかります。
私たちのいのちの分け方、それは生(せい)と死(死)です。
生きている世界と死んだ世界、この世とあの世。
此岸(この岸)と彼岸(かの岸)も同じこと。
つまり彼岸は死んだ所…。

 

「確かに『死んだら』とは言ったが、彼岸は死んだ所じゃないよ。」
「?」
「死んだ所が彼岸なら、天国だって、地獄だって、みな彼岸だろう?」

 

【輪廻とこの世】

 

「(黒板に書きながら…)ここが私たち人間の世界。
そしてここから西の方角にあるのが、いつも話す仏さまの世界、お浄土です。
ところで…この辺に“天界”というのがあります。
この世界は楽しい世界なんだ。
具体的にたとえば、@すごく長生き、A神通力が仕える、B快楽に満ちて苦労することがありません。」
「いいな〜。」

 

「私たち人間の願いがかなえられる世界です。
ところで、天界の他にまだ“あの世”はあります。
地獄界。苦痛やまない世界です。
餓鬼界。飢えの苦しみの世界です。
畜生界。倫理道徳なき獣の世界です。
阿修羅。喧嘩ばかりの残酷な世界です。
これに今いる人間界を含めて六つの世界…これを六道(ろくどう)っていいます。

 

私たちはその心の善し悪しでグルグルとこの世界を回り続けています。
自業自得っていうでしょ?
今の私の心の行いが、いずれ私を天界へ、また地獄へ連れて行きます。
この終わることなく六道を周り続けていること、これを六道輪廻(ろくどうりんね)っていいます。

 

仏さまはこの六道輪廻を「迷いの世界」と見抜かれました。
そしてそこから抜け出す「悟りの世界」を苦労の末、作られました。
だから彼岸は死んだ世界じゃない、おさとりの世界です。
ここは生きている世界じゃない、まよいの世界です。
分かった?」
「先生…そんなことより早く外で遊びたい。」

 

【二つの生死】

 

生きているか死んでいるか。
それを「生死(せいし)」といいます。
私たちの、ごく当たり前な目線です。

 

そんな私をみつめる仏さまの目線。
それを「生死(しょうじ)」といいます。
生まれ変わり死に変わり、迷い続けている境界です。

 

私たちの眼差しは、生きている間の事しか考えられません。
それも1年先、せいぜい10年先くらいか。
…年金は35年先まで考えてするのかもしれませんが。

 

死んだ後の事なんて、あまり考えられません。
国の行く末、子や孫の行く末は思っても、自分自身の死後はピンときません。
ましてや自分の生まれる前なんて考えたこともありません。

 

仏さまの眼差しは、私たちの生まれるはるか前、
そして命終った後の「後生(ごしょう)」までごらんです。
自業自得の因果の道理どおり、
生まれかわり死に変わりの私の生死(しょうじ)の道、
それは迷いを迷いとも思わずすごす何十年、何百年、いや何億・何劫年の道でした。

 

煩悩に眼をさえぎられたわが心です。
主張違えば、相手を敵と憎む修羅の心。
敵に、憐れみ一つおこさない畜生の心。
どこまでも、欲望がつきない餓鬼の心。
長寿・超能力・快楽を求める天界の心。
すべてカビのように奥底に張り付いて、
そこから抜け出せません。

 

【念仏と名号】

 

ぐるぐる迷いの因果を周りつづける私。
そんな輪廻の境涯の私とみた仏さまは、
今、その徳すべてを迷いの私にふり向けられます。
それを廻向(えこう)といいます。

 

輪廻(りんね)の私と廻向(えこう)の仏。
迷いを迷いとも気づかず、
「なぜこんな目に…」と知らずに迷いの苦悩をしつづける私に、
「さとりの世界があるよ」と呼びかけ、
浄土へ生まれさせんと、今ここにはたらいている仏さま。

 

どこどこまでも離さない、無量の光のようなはたらき、
いついつまでも離さない、無量のいのち持つ存在、
故に「無量光仏」とも「無量寿仏」ともいいます。
そしてそれら全ての意味を含めて〈阿弥陀仏〉といいます。

 

「南無阿弥陀仏」に仏さまのはたらきぶりをいただきます。
「南無」は「帰命」です。
この二文字に阿弥陀さまの「帰せよの命」、
「われにまかせよ。迷いからさとりへの道は届いているぞ」という命令、活動を聞きます。
南無阿弥陀仏のお念仏は、
目の前で私に喚び通しの仏さまの声です。

 

仏さまの話を聞いてみると、
お念仏は私が称えるものでなく、仏さまに称(かな)うものでした。
天秤ばかりのように、
仏さまの広大なお徳と重さがぴったりあっているのです。
私から見れば単なる音声ですが、
そのまま勝れた仏さまのお姿にあてはまるのです。

 

【六道から念仏道へ】

 

「秋分の日は、科学の話でも食事の話でもなく、お彼岸でした。
お墓参りだけでなく、仏さまの話を聞く日でした。
長い間、忘れていました。

 

生死(せいし)ではなくて、生死(しょうじ)の私でした。
南無阿弥陀仏は、呪文じゃなくて、仏さまでした。
長い間、知りませんでした。
ようやく“南無阿弥陀仏”の仏さまと出遇えました。」

 

地獄道、餓鬼道、畜生道。
そんな迷いの世界から、
お浄土の世界へ。
それがお念仏の道、お念仏をいただく世界です。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

返景、深林に入る

【漢文】

 

私たちの読むお経は“漢訳”経典です。
インドの仏さまの教えを中国で翻訳したもの。
けっしてまじないでも呪文でもありません。

 

かといって、
「お寺さんは普段からお経を読むから、漢文には強いのでしょう?
ちょっと、これ読んでもらえませんか?」
と中国旅行でのおみやげ、掛け軸になった漢詩をみせられますが、
……読めるような、読めないような。
意味も…分かるような、分からないような。

 

【六歳】

 

今年の初めの頃、
五歳の息子が大声で何か言い出しました。

 

「ろくさい おおい!」

 

六歳?多い?
何を言っているのか分かりません。
確かに五歳に比べれば六歳は多いが、何のことやら。

 

次の日、やはり大声で「ろくさい おおい!」と。
そしてその後、こう言い出しました。
「くうざん ひとをみず ただじんごのひびきをきく…」

 

どうやら、漢詩のようです。
幼稚園で習ってきたのでしょう。
「よく覚えたね」と褒めながら、「でも『ろくさい』って何?」

 

数ヶ月後、一緒に市民図書館へ本を借りに行きました。
長男に頼まれた本を探すため、児童図書の棚を見ていると、

 

『声に出そう はじめての漢詩 一(自然のうた)』

 

日本で昔からよく読まれた有名な漢詩が十編紹介されてありました。
もしやと目次をみると、八番目に『鹿柴』(王維)

 

「六歳」でなく、「鹿柴(ろくさい)」。
「多い」でなく、「王維(おうい)」。
教養のなさを痛感したことです。

 

【一瞬の景色】

 

空山不見人  - 空山(くうざん) 人を見ず
但聞人語響  - 但だ人語の響くを聞く
返景入深林  - 返景(へんけい) 深林に入(い)り
復照青苔上  - 復た照らす青苔(せいたい)の上

「鹿砦(ろくさい)」の全文です。
ようやく読めましたが、意味がよく分りません。
そこで日本語訳をみると、

「だれもいない静かな山の中、
どこかからか人の話し声だけが聞こえてきます。
夕日の光が深い林にさしこんで、
青いこけの上を照らしだします。」

意味は分かりました。
でも、なぜこの歌が素晴らしいのか分かりません。
すると本にはこんな説明が。

この詩は、「人の話し声だけが聞こえてきます」といって林の静けさを強調し、
その静かな林に夕日がさしこんで青いこけをうかびあがらせた、
ほんの一瞬の美しい景色をとらえた、絵のような美しい詩です。

後の詩人の中には、
「詩の中に絵があり、絵の中に詩がある」と評したそうです。
一枚の絵画を思わせる漢詩なのだそうです。

 

【空山の私】

 

自然がみせる美しい情景の一瞬を見事によんだ「鹿柴」。
その情景を通して弥陀の大悲のご恩をいただいたことです。

 

空山、人を見ず

「空山」とは人気のない、静かな山という意味です。

 

若さのピークも終わった中高年。
人生の夕暮れにさしかかると、
おのずからわが身のいのちの静けさが見えてきます。

 

どんなに家族と一緒でも、
この心の中、誰も入ってこられません。
静かな空山、たった一人の心中です。

 

但だ聞く 人語の響くを

人混みので、周りの人の話し声を聞けば聞くほど、
わが心の孤独を知らされます。
一人生まれ、一人死ぬ私。
誰もついてきてはくれません。

 

ただ問題は、孤独だけではありません。
この心は煩悩という林に覆われています。
自分の都合によって、
周り好意を受けつけたり、はねつけたり。
やっかいなわが思いです。

 

【返景の仏さま】

 

返景(へんけい) 深林に入(い)り

そんな私と知った仏の願いは、
「私の方が離さない仏になろう」という誓いでした。
私があなたを信じさせ、念仏もうさせ、お浄土へ救うという誓い。
永劫の修行の末、
誓い通りの仏になられた名を「南無阿弥陀仏」といいます。
六字名号ともいいます。

 

「“南無阿弥陀仏”は念仏であって、“阿弥陀仏”が名前なのでは?」
阿弥陀仏も正しい仏名です。
しかしこの仏さまの願いの心をいただいた時、
「南無(帰依します)」をこしらえたのも、仏さまの側と知らされます。
ですから、
「南無阿弥陀仏」という名こそが、
この仏さまに相応しいのです。

 

「返景」とは、夕日の光です。

 

如来のまこと(信、真実)の光は、
「無礙光(むげこう)」とお経にあります。
何ものにも障げられない光。
西方からの夕日となって、
煩悩の林を突き抜け、
私の奥深い心の孤独に届きます。

 

【深林の青苔】

 

復た照らす青苔(せいたい)の上

夕日は光線となって林の間を突き抜け、地面を照らします。
同様に、如来の大悲も一直線に私の心の奥底に到ります。
そこにうかびあがってきたのは、
お慈悲という青々とした苔です。

 

苔とカビは違います。
じめじめしたところや薄暗いところにできるのがカビですが、
青苔は美しい緑色の植物です。

 

私の心の奥底は、カビの世界だと思っていました。
見たくもない罪悪というカビがびっしりと生えた世界。
しかし如来の光に照らされて見ると、
お慈悲の苔に彩られていました。

 

「信は仏辺(ぶっぺん)に仰ぎ、お慈悲は罪悪の機(き)の中に味わう」といいます。
浄土真宗の信心は、わが身ではなく、「南無阿弥陀仏」の仏さまの側の中から聞き、
浄土真宗の慈悲は、仏さま側でなく、罪悪深重のわが身の心の中からいただきます。

 

罪作らずと思っても罪作る日々の生活。
虫でも何でも、無関心に殺してきました。
積もり積もった罪悪の業は、
私の奥底にへばりついています。

 

けれども如来のお慈悲もそこで活動しています。
その罪を私以上に悲しみ、
「償う事ができないのか」と悩み、
見捨てることができないからです。

 

【身体の声帯】

 

漢詩「鹿柴(ろくさい)」は、
漢字二十字の中に、
夕暮れの一瞬の美しい景色を封じ込めました。
詩の中に絵があり、絵の中に詩があるのだとか。

 

漢詩は甚だ不勉強です。
けれども「南無阿弥陀仏」のお念仏は、
漢字六文字の中に、
“今”という一瞬、
この私に向かって到り届く仏の姿であると聞き受けました。
念仏の中に仏の姿があり、
仏の功徳はまるごと「お念仏」の中身です。

 

共に歩まんとする仏は、
遠く西のかなたでも、仏壇の中でもありません。
私という深林の青苔(せいたい)の上です。
今、私の身体の声帯(せいたい)の上に、
「南無阿弥陀仏」と現れ出て下さっています。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

池の鯉と氷の柱

【われ称え】

 

初盆のお参りがようやく終わりました。
読経は『阿弥陀経』の六方段。
何度となく読ませていただきました。

 

六方段。
東西南北と上下…六方におられる諸仏が、
「念仏往生こそ真実の教えだ」と、
それぞれの国で証明くださっています。

 

そして何よりも阿弥陀さま自身が、
南無阿弥陀仏の念仏となって、
「お前が浄土へ往生する準備は整ったぞ」と喚んでくださっています。

 

「われ称え われ聞くなれど なもあみだ  つれてゆくぞの 親の呼び声」(原口針水和上)

 

お念仏は私自身が行じ、
私自身が聞くものですが、
そのまま如来さまの喚び声です。
そして聞いた通りにいただいた故、
私が起こすのは報恩感謝以外、残っていません。
お念仏は「ありがとうございます」のお礼です。

 

【鯉のエサ】

 

先月、妻の友人家族が久しぶりに遊びにきました。
昼前に新岩国駅に到着するというので、
妻は駅へ迎えに、
私と子ども達は先に昼食の店へ向かいました。

 

日曜日の昼時。
岩国で人気のSというお店は案の定、満席でした。
店の前にはボードがあり、
「こちらに名前と人数を書いてください。」
5組ほど待っていました。
ボードに名前と人数を書きました。

 

しばらくして3歳の娘が、「トイレ。」
戻ると今度は「ジュースが飲みたい。」
暑い日だったので、
少し離れた自動販売機へ。

 

戻る途中、
「鯉のエサ10円」という立て札がありました。
近くに広い池があり、鯉がたくさん泳いでいます。
「まだ時間はあるだろう」と3袋買いました。

 

子ども達は、楽しそうに一粒一粒、鯉にエサをやります。
一粒一粒……。
だんだん焦ってきました。
「そろそろ店に戻らないと。」
3歳の娘をどうにか納得させ、
急いでお店へ戻りましたが手遅れでした。
順番を飛ばされていました。

 

【氷柱】

 

待ち時間も含めて長い昼食が終わり、
駐車場へ移動する途中、再び「鯉のエサ10円」の場所が。

 

さっき中途半端だった子ども達は再びエサやりを主張。
子ども達の事は妻や友人にまかせ、
自分は周囲を散策。
すると池の側の庭木の向こうに氷柱がありました。
縦横50センチ、高さ1メートル50センチ位でしょうか。

 

何気なく触りました。
「おお、冷たい。気持ちいいな。」
しばらく触ったり撫でたりしながら、
「見た目は涼しいけど、この暑さに氷柱一本ではあまり効果がないなあ。」

 

そこへ後ろから一組の親子がやってきました。
父親が慣れた手つきで氷柱を触ります。
そして今度はその触った手で、
子どもの首や手を触ります。
「気持ちいいか?」
また手で氷柱をさわり、
自分の首筋や手を撫でます。
「じゃ、いこうか。」

 

さっそく試してみました。
しばらく氷を触った手で、自分の首を撫でます。
実に気持ちいい!
初めて氷柱の使い方を知りました。

 

【口から耳へ】

 

み仏のみ名を称えるわが声は わが声ながら尊かりけり(甲斐和里子)

 

氷柱を見てるだけでは、体は涼しくなりません。
触って、しかもその手で首や腕を触ります。
手から首へ。
とたんに涼しくなります。
それは手が冷たいから。
氷の冷たさがわが身に伝わったからです。

 

今、自ら「南無阿弥陀仏」とお念仏をします。
そして自らがお念仏を聞きます。
口から耳へ。
わが声ですが、そこにお慈悲の涼しさがあります。
それは私の知恵から出たものではありません。
仏の智慧を聞き、仏の慈悲に出遇ったからです。

 

天国どころか、
地獄にまっすぐ歩む暮らししかできない私です。
蚊をたたき、カニを蹴飛ばす殺生の夏。
日々、煩悩の炎に晒されています。
「釣りは殺生ですよ」と他人に説教しておきながら、
朝、大量のハネアリが死んでいるわが家の防犯灯。

 

煩悩の熱気に満ちるわが心と見抜いた故、
仏は救うための一心で、
名の声の仏、南無阿弥陀仏の仏になられました。
それはどこまでも私を離さない、
仏さまの誓いの力、功徳の相(すがた)でした。

 

【遇法のよろこび】

 

み仏を呼ぶわが声は み仏のわれを喚びますみこゑなりけり(甲斐和里子)

 

「見た目は涼しいが、この暑さでは、氷柱一本はあまり効果がない。」
というのは氷柱の意味が分かっていない時でした。
氷柱は気休めではありませんでした。

 

「なんとなく有り難いが、こんな時代に、お念仏一つなんて…。」
というのが、
お念仏に出遇う前の私の心だったのかもしれません。

 

とくに犯罪も犯してないし、
死んでも良いところへ生まれられると安易に思っていた頃。
逆に、「死を考えたりするのは時代遅れ、
死を恐れず、死を怖がらない工夫をするのが現代だ」と、
天国も浄土も区別せずごちゃまぜにしていた私。

 

そんな私が、様々なご縁を通して、
南無阿弥陀仏の法義を聞き、
お念仏申す身に。
それは他人事ではなく、
ひとえに私自身の遇法の喜びの発露です。

 

南無阿弥陀仏の中に、仏さまの声を聞きます。
それはかつて
「池の鯉」とお聴聞しました。
「“行け!”の“来い!”」です。

 

「念仏往生の道を行け!」と喚ぶのが、
お釈迦さまをはじめとした六方、または十方のあらゆる如来さま。
「救うはたらきは完成したぞ。わが浄土に生まれて来い!」と喚ぶのが、
南無阿弥陀仏の阿弥陀さま。

 

如来の仰せの通りに生きます。
お念仏という氷柱を、
わが人生の柱にしていきます。

 

涼しさや 弥陀成仏の この方は(小林一茶)

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

名号という光

【六方段】

 

初盆のお参りが続く昨今です。

 

読経は『阿弥陀経』の六方段です。

 

六方段。
東西南北と上下…六方におられる諸仏が、
「念仏往生こそ真実の教えだ」と、
それぞれの国で証明くださっています。

 

「阿シュク仏・須弥相仏・大須弥仏・須弥光仏・妙音仏…」

 

具体的な仏さまの名前は、全部で38登場します。

 

「大焔肩仏……大焔肩仏(南方世界でも出たな)」

 

「名聞光仏……名聞仏、名光仏(さっきと似てるな。)」

 

いろんな事を思いながらお勤めします。

 

恒沙の諸仏…ガンジス河の砂の数のように数え切れない仏さま。
その中に故人を見つけます。

 

浄土に往生して仏となられた故人です。
それはただちに私の教化活動をされる故人を意味します。
わが念仏の声の中に、故人の声を、
「あなたを離さない仏がおられるよ」と聞きます。

 

私を離さない仏。
その仏の名を南無阿弥陀仏と言います。
闇から光へ、孤絶の世界から一如の世界、
あらゆるものと連なりあった世界へと門戸をひらいてくださる法の名です。

 

【50回忌】

 

今年は「ヘレン・ケラー」の50回忌です。

 

彼女の出身は、アラバマ州のタスカンビアです。
一歳の時に胃と脳髄の急性充血で高熱を発症します。
熱はしばらくして下がりますが、
それが原因で失明し、聴力も失います。
故に会話・言葉というものを知る術(すべ)をうしない、
話すこともできなくなりました(晩年は片言の言葉は言えたようですが)。
見えない、聞こえない、話せないの三重苦。
生まれて19ヶ月目の事です。

 

だんだん大きくなるにつれて、
自分の意志を人に伝えたいと思うようになります。
しかしわずかな手まねでは相手に思っていることをわかってもらえません。
その都度、泣き崩れたりカンシャクを起こしました。

 

6歳の時、なんとか治らないかと、
ボルチモア(アメリカ東海岸。デラウェア州。タスカンビアから車で12時間程度)
にいる眼医者チゾム博士に会いに行きます。
チゾム博士は、診断の結果、
「治ることはありません。でも教育はうけられますよ。」
「タスカンビアみたいな田舎へ来てくださる方がおられますでしょうか?」
「教師を指導してくれる人がいます。」
ワシントンのベル博士、電話の発明家として有名な方を紹介されます。
ワシントンでベル博士に会ったヘレンケラー。
ベル博士はボストンの盲学校へ教師を問い合わせてくれました。
翌年3月、ボストン(東海岸。マサチューセッツ州。タスカンビアまで車で19時間)
からサリバン先生がこられます。

 

名前という光

 

サリバン先生は、ヘレンに「しつけ」と「指文字」、そして「言葉」を教えた恩師です。
それは偶然やってきました。

 

いつものように指文字を教える先生ですが、
「湯呑み(mug)」と「水(water)」の区別がどうしてもヘレンは分りません。
それ以前に、手のひらに先生がなぞる「指」の意味が分かりません。
イライラしてカンシャクを起すヘレン。
渡された人形を粉々にしてしまいます。

 

疲れたサリバン先生は、ヘレンと一緒に、
スイカズラが絡まった井戸のある小屋へ散歩に行きました。
ポンプがありました。

 

ポンプから水を出します。
サリバン先生は再度、ポンプからあふれでる冷たい水にヘレンをさわらせます。
そして、もう一方の手のひらに、
「水」という字をゆっくり、だんだん早く、何回も書き続けました。

 

ちなみに、
「水(water)」は1歳の時の大病になる以前に覚えた言葉の中で、
唯一、記憶していたものでした。
ほかは全部忘れた後でも、
ヘレンはこの言葉のつもりで「ウォーウォー」という音を口から出していたそうです。

 

私は身動きもせず立ったままで、
全身の注意を先生の指の運動にそそいでいました。
ところが突然私は、
何かしら忘れていたものを思い出すような、
あるいはよみがえってこようとする思想のおののきといった
一種の神秘な自覚を感じました。
この時初めて私はw-a-t-e-rはいま自分の片手の上を流れているふしぎな冷たい物の名であることを知りました。

 

  岩橋武夫訳『ヘレン・ケラー わたしの生涯』(角川文庫、昭和41年、31頁)より

 

はじめて、言葉というものを知りました。
じっと抑えられていた、
何か目に見えない力がとりのぞかれる感覚。
暗い心の中に、光がさしてくるのが分ったそうです。

 

「すべてのものには名前がある」ことを知った7歳のヘレンケラー。
「当たり前じゃないか」と思う健常者の私。
しかし彼女にとって、それはとんでもない出来事でした。

 

名前を知る事。
それはそのまま光の見えない彼女が光を見る事。
孤独という暗闇が打ち破られていく瞬間でした。
暗黒と沈黙の世界からの解放でした。

 

その日、他にも「父」「母」「先生」という言葉も覚えました。
この上ない喜びだったそうです。
はじめて父、母、先生にであったことを意味するからです。
一日が終わり、小さな寝台に横たわるヘレン。

 

「私は生まれて初めて、きたるべき新しい日を待つことを知りました。」(前掲書、32頁)

 

【名号の光】

 

このヘレンケラーのエピソードに、
自らの念仏の生活が重なります。

 

人間に生まれたものの、
迷いを迷いとも思わず生きてきた私です。
煩悩や罪業、四苦八苦の問題も、
「人間だもの」と割り切って、
しかし実際にその時がくると「辛い。悲しい」と愚痴しかでない始末。

 

しかし縁あって、善知識にであいます。
「善知識(ぜんちしき)」、それは仏法聴聞の導き手のことです。
ヘレンケラーに両親からチゾン博士、ベル博士、そしてサリバン先生がいたように、
私にも、家族が、友人、知人等々が、
お寺に足を運び聴聞する縁をととのえてくれました。

 

しかし最初はさっぱり分らないだけ。
「法蔵菩薩? 阿弥陀仏? 名の仏?」
面白いけれど、肝心の仏法・念仏の話になると耳に入らないのは当然です。
初めての経験です。

 

けれども、ある時、
それは突然、ふいっと分るものなのかもしれません。
何かしら忘れていたものを思い出すような感覚。

 

「他力とは、他力の信心とは、こういうことか。」

 

わが心にピタッと寄りそい不安をとめる揺るぎないはたらき。
それを「南無阿弥陀仏」とお釈迦さま、親鸞聖人は教えてくださっていました。

 

はじめて、念仏に抵抗がなくなります。
じっと拒み続けていた目に見えない力が消えていく感覚。
自らの力、仏の智慧を疑う力が取り除かれていく感覚です。

 

「どうせ人間、最後は死……(と私は信じる)」
「死んだ後のことは分らない…(と私は信じる)」

 

もやもやしていた暗い心に、
如来の言葉、南無阿弥陀仏の名前が光となって届きます。

 

【私の仏】

 

「舎利弗、西方世界、有無量寿仏・無量相仏・無量幢仏・大光仏・大明仏・宝相仏・浄光仏……」

 

六方段の西方世界の箇所冒頭です。

 

『阿弥陀経』六方段にはたくさんの仏の名前が登場します。

 

「すべての仏には名前がある。」
どの仏さまも、みな願いがあり、その願いが現れ出た名前をお持ちです。

 

それらの名前を全て覚えなければならないのではありません。
たった一つでも充分です。

 

「私の仏には名前がある。」

 

南無阿弥陀仏という仏。
この名にこめられた法蔵菩薩の願い、本願。
この本願にこめられた仏の広大な心。
いただいたからには、
お念仏申さずにはおれません。

 

名前を知るという事。
それはヘレン同様、とんでもない事でした。
真実の光の見えない私が、光を見る事。
一人生まれ、一人死ぬ…孤独という暗闇が打ち破られていく瞬間。
暗黒と沈黙の世界からの解放でした。

 

六方段の仏さまだけではありません。
人によっては、
薬師仏から観音菩薩、権現さままで、
みな等しく、阿弥陀さまの本願の心を伝えてくださいます。
一分一秒、耳目に届くもの、弥陀の光のはたらきです。
気づく時、
「南無阿弥陀仏」とお礼のお念仏申します。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

お寺参りの理由

【口げんか】

 

盆勤めの後、お茶をいただいていました。

 

「先日、息子と口げんかした」と、
80過ぎのお婆さんが言われます。

 

「親子といっても考え方は違いますから。
服が散らかっていたのを、つい注意してしまって…。」

 

些細な事からお互い熱くなり口論に。
すると息子さんが最後にこう言ったそうです。

 

「何のためにお寺に参るんか!」

 

思わず言われて、うまく言い返せなかったのが悔しかったそうです。

 

【お寺のイメージ】

 

「何のためにお寺に参るのか?」

 

この言葉に、世間の「お寺のイメージ」がうかがえます。
それは修行道場。
お説教を聞くのは心の鍛錬。
たとえば『無量寿経』には、

 

「和顔愛語 先意承問」
読み:わげんあいご せんいじょうもん。
書き下し:和顔愛語にして、意を先にして承問す。
現代語訳:表情はやわらかく、言葉はやさしく、相手の心をくみとってよく受け入れる

 

とあります。
法蔵菩薩の修行の場面での言葉です。

 

「あなたも仏さまのように、
笑顔で、荒々しい言葉を使わないように努めましょう。」
お寺とはお坊さんからそんな説教を聞く所と思われがちです。

 

煩悩をコントロールできるようになる場所。
功徳やご利益を受けて心穏やかになる場所。
少しずつ良い人間、善人になるための場所、
そんなお寺という場所へ参っているのに、
怒りがすぐこみ上てくる短気な性格の母。
「何のためにお寺に参るのか!」
そんな息子さんの思いなのでしょう。

 

【有り難いから】

 

「何のためにお寺に参るか?」
それはお寺が楽しいからです。

 

「煩悩をコントロールできるようになる場所でしょ?」
浄土真宗は違います。
煩悩まみれの私故に、
誰よりも真っ先に到り届くと誓われた、
私一人を目当てとする仏の心が嬉しいからです。

 

「功徳やご利益を受けて心穏やかになる場所でしょ?」
浄土真宗は違います。
功徳まるごと南無阿弥陀仏の名号にこめ、
私の心中にいりこんで、
念仏という「私のする事」になってくださいました。
共に歩んでくださる仏さま。
無常の風が吹けば、
すぐに心かき乱される私にも関らず、
今、間違いなく仏にする身にしあげられたというご利益
これが勿体ないのです。

 

「少しずつ良い人間、善人になるための場所でしょ?」
浄土真宗は違います。
殺生、妄語(ウソ)、貪欲、妬み…。
「世間の法律には触れない」からと、
日々、着々と仏教的悪事に手をそめる私。
そんな悪人の私を、
だからこそ仏は見捨ててておけないと言われます。
それがかたじけないのです。

 

「和顔愛語」は素晴らしい言葉です。
それを実践・精進される方は尊いです。
しかしそれをしなければならない教えではありません。
「どうせ凡夫の私には継続できないから」ではなく、
「和顔」でも怪訝な顔であっても、
「愛語」でも妄語を言ってしまった時でも、
変わることのない如来の包容心に出遇う事、
すなわち、他力の信心をいただく事の方が、
はるかに大事だからです。

 

【必勝法?】

 

浄土真宗のお寺。
お札もなければ、
阿弥陀クジもありません。
お聴聞の場所です。

 

「こうすれば生活が楽に」
「こうしないと不健康に」といった、
テレビやラジオで流れるような話のたぐいはありません。
私のする話、
自力修養的な話ではありません。
どこまでも仏の話、
他力本願の話です。

 

先ほどの親子の口論。
お婆さんはどうすれば口論に勝てたのでしょう。

 

「何のためにお寺へ参るか?」
「お寺は修行しに行くところじゃないよ。」
「じゃあ、何しに行くのか?」
「もちろん、お聴聞しにさ。」
「お聴聞とは何か?」
「仏さまの話を聞くのさ。」
「こんな科学技術がすすんで、社会情勢が不安定な時代に、
 何でそんな話を悠長に聞くのか?」
「お仏壇がラジオみたいに仏さまの話を語ってくれるかい?
 聖典がテレビみたいに仏さまの世界を見せてくれるかい?
 お寺で仏さまの話が聞きたいんだよ!」
「そんなの、何の意味があるのか!」
「生活には何の役にも立たないよ。
 けどね、これは生きる上でどうのこうのなんて、そんな程度の低い話じゃないんだよ。
 今もこれからも、ずーっと、どこまでも私一人の大切な話なんだ!」
「……さっぱりわからん。」
「なら、あんたもお寺に参りな」

 

こうしてまた一人お寺参りが増える……かな?

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

重たい言葉

【短歌の魅力】

 

ふるさとの 山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな

 

私事ですが、年をとってきたせいか、
歌が好きです。

 

先日、図書館で『覚えておきたい短歌150』というCDを借りました。
正岡子規や斎藤茂吉などの近代短歌です。
お参りにいきながら楽しく聞いています。

 

「木のもとに 臥せる仏を うちかこみ 象蛇どもの 泣き居るところ」(正岡子規)

 

お釈迦さまの最後を歌ったものです。
始めて知りました。

 

生活そのものを率直に詠む近代短歌。
俳句より少し長い「五句三十一音」を駆使し、
鮮明な映像を読者に伝えます。
メッセージも明瞭。
百人一首や万葉集とは違う魅力です。

 

【たわむれに】

 

150選の中、一番多かった短歌は、石川啄木でした。
冒頭の歌も含め23首ありました。
選者が好きなのでしょう。

 

はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る

納得です。

友がみな我よりえらく見ゆる日よ 花を買い来て妻としたしむ

とても共感する昨今です。

 

そんな啄木の歌に、やはりこの歌もありました。

「戯れに母を背負いて そのあまり 軽きに泣きて 三歩歩まず」

言わずと知れた名句です。

 

あまりの母の軽さに動けなかった作者。
「軽いのだから三十歩、三百歩だって歩くのが道理でしょう。」
というのは物理の世界、人工知能の考えです。

 

抱えたのは自分の親です。
夕方、病床から起きて縁側に座る母に、
気晴らしになるかと声をかけます。

 

「ほら、菊がきれいに咲いてるぞ。」
「どこ?」
「ならおぶって連れてってやろう。」
「じゃあ頼もうかね。」

 

何気なく母を背負う作者。
「おや?軽いなあ」と思い、
一歩あゆむ。
「…老いたな。」
という思い。
また一歩あゆむ。
「…昔は逆に自分が背負われていたのに…」
という思い。
三歩目を歩もうとした時、
「自分を育てるのに、ここまで身をけずっていたか。身を粉にしてくれたか。」
感情が衝撃となり、背中にズシンとこたえます。
涙がこぼれて歩めません。
その母とまもなく別れねばあらぬ。
勝手ながら、私のイメージです。

 

【光の言葉】

 

浄土真宗は念仏の教えです。
念仏が私の人生の暗闇を照らす光です。

 

  何のために生まれてきたのか。

 

  何のために生きているのか。

 

  何のために別れていくのか(人も、自分も)。

 

ご縁は人によって様々です。
法事や葬儀で故人がご縁となり、阿弥陀仏、念仏、浄土といった仏の言葉に出遇います。
お寺の法座で、念仏の話、
いわば「南無阿弥陀仏ができるまで(法蔵菩薩物語)」の話を聞き、
何度も聴聞を重ねるうちに、その意味がわかってきます。
そしていつの日か、
「お経とは、お釈迦さまや弟子の体験談ではなく、私の今の話だった。
悪人や“あの人”が悔い改めるためにあるのでなく、私が聞くためにあるのだった」
と気づかされます。

 

南無阿弥陀仏という仏は、
南無阿弥陀仏という声となって“この私”にいたり届き、
「われにまかせよ。必ず救うぞ」と喚んでくださいます。
「浄土真宗は名告りの宗教である」という某布教使の言葉は名言です。

 

生活の中でお念仏を味わえるようになります。
他力の世界に身を置けるように工夫します。
それらの事柄から仏に育てられ、
いよいよ合わせなかった掌が合掌し、
下がらなかった頭がさがる者になっていきます。

 

「生きている自分」というより「生かされている自分」に、
「称える念仏」というより「称えさせられるお念仏」という言葉にしっくりきます。
もう一つ上の「日々感謝」、それが他力的生活、報恩の生活です。

 

【念仏の重み】

 

お念仏が生活にねづいた者とは、
仏の智慧と仏の慈悲を知った者です。
(……知るといっても「計り知れないものでした。不可思議でした」と知るのですが。)
また言い換えると、お念仏の重みにであった者です。
仏を本当の意味で敬い、仏の救いが喜べる者です。

 

母の体重の軽さに広大な母の恩の重みを知る私。
それは科学では説明つきません。

 

同様に、
念仏の一言に仏の私への念い、
重ね重ね喚びかける、
仏の切なる声を知る私。
仏のご恩の重みを知らされます。
浄土は科学の世界ではないのです。

 

科学ではありませんから、浄土は肉眼でも心眼でも見えません。
見えたら、それは浄土ではありません。
(「浄土を見た」という言い方もできます。
しかしよくよく気をつけないと仏さまの法義を傷つけかねません。)
しかし「浄土はありました」といただく私がいます。

 

お浄土の 道を歩みて 言うことなし お浄土の道はありがたきかな

 

短歌も法歌も、そして仏法も念仏も、
どちらも日常の会話に出てくる言葉ではありません。
一人ひとりの心で味わうものです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

三つの宿題

【気体でない気】

 

5年生の息子が理科の宿題を持ってきました。

 

「湯気と水蒸気って何が違うの?」
「そりゃあ…やかんから出てくるのが湯気で、海から出てるのが水蒸気だろう。」
「…違うよ。湯気は液体、水蒸気は気体なんだよ。」
「湯気が…液体?」

 

調べるとそうでした。
湯気は目に見えるものなので液体なのです。
気体は目に見えない状態。
てっきり「湯」とあるから「気体」だと思っていました。

 

ちなみに、やかんの口から出たばかりの見えない状態は「水蒸気」、
しばらくして冷やされて目に見えるのが「湯気」です。

 

子どもに教えられる年齢になってしまいました。
子の成長が嬉しいやら、でも正直、悔しいやら。

 

【自力と他力】

 

浄土真宗の念仏と浄土真宗以外の念仏は何が違うのか。

 

「そりゃあ…『南無阿弥陀仏』と口に出すのが浄土真宗で、心で称えるのが真宗以外だ!」

 

違います。
たしかに声に出してお念仏しますが、
真宗は他力の念仏というのが大切です。
それに対して真宗以外は自力の念仏と判じます。

 

親鸞聖人には次の和讃があります。

 

真実信心の称名は
弥陀回向の法なれば
不回向となづけてぞ
自力の称念きらはるる
   (『正像末(しょうぞうまつ)和讃』(39)より)

 

【現代語訳】
真実信心の称名は、阿弥陀如来の与えて下さった他力の法です。
私たち衆生がする回向(功徳を果にふり向けること)ではないから「不回向」と名づけて、
自力の心をもとにして称える念仏は、浄土真宗では嫌われるのです。

 

【観念でない念】

 

念仏とは仏を念ずる事です。
それは敬いの心、帰依の行為です。

 

真宗以外の僧侶も念仏をします。
仏を敬い、そして仏になる修行を始めるのです。
自力修行のための念仏です。

 

それに対して浄土真宗は他力本願の念仏です。
念仏以外、他に何も用事がありません。

 

「南無阿弥陀仏」のおいわれを聴聞してみると、
私のいのちを完成させるための果てしない苦悩と、
終わりなき修行が阿弥陀仏という名の由来でした。

 

「南無阿弥陀仏」とお念仏する所に、
決して壊れる事のない真実の仏さまが私と離れずいてくだいました。
故にお念仏は、
「必ず救うまかせよ」と南無阿弥陀仏のみ名となり、
たえず私に喚び通しの仏さまのお姿といただきます。

 

仏」とあるので、
仏を心に「観念」する修行、
一種の精神統一と思ってしまいます。
それこそ法事で念仏することは、故人の追善供養、功徳の回向だと。
しかし聴聞して、「念」の仏である阿弥陀仏の心をいただいた時、
全く逆であったと知らされます。

 

【一周違い】

 

他力の念仏も自力の念仏も、見た目は全く変わりません。
しかし中身は全く異なります。

 

息子が4年生の時、算数の宿題を持ってきました。

 

「お父さん、200度って分度器でどう書くの?」
「こうだよ。」
「じゃ、300度は?」
「こうかな。」
「じゃあ、400度は?」
「こう。」
「…それ40度じゃない?」
「いや、一周回ってるんだ。一周は360度、それに40度を足して400度」
「見た目は同じだね。」
「…なるほど。」

 

分度器40度

 

40度と400度、一桁違います。
しかし見た目の角度は同じです。
しかし一周の違いがあります。

 

自力と他力の念仏もそうです。
見た目は「南無阿弥陀仏」ですが、
信心の中身が違います。
自力の信心という、実は仏の智慧を疑った状態(仏智疑惑)と、
他力の信心という、真に仏の慈悲を聞いた状態(真実信心)と、
一周違い、一桁違うのです。

 

他力を聞き受けた心ぶりと、
他力を聞き受けない心ぶり。
「たった念仏一つでした!(有り難い事だ!)」といただく人と、
「たった念仏一つですか?(他にはないの?)」と称える人。
「した」と「すか」のわずかな違い。
しかし他力的生活と自力的生活は大違いです。

 

【聴聞にきわまる】

 

他力のお念仏。
にわかにはピンとこないお互いです。
ですからお聴聞します。

 

3年生の娘が、算数の宿題を持ってきました。

 

「お父さん、問題が解けない。」
「何々? 『今日の勉強。かけ算では、括弧は移動しても大丈夫』か。
ふんふん、『例として、(2×3)×4=2×(3×4)』。
なるほど…それで問題は…、

 

【問題 (7×8)×9=□×(8×9)。□をうめよ。】

 

……こんなの、もう答えは出てるじゃないか!」
「?」
「7だよ。」
「?」
「最初の括弧をずらしてごらんよ。」
「…?」
何度も聞いて、10分後、「あぁ!」と、やっと合点がいった3年生の娘。
分かってみれば何てことはありません。

 

「仏法は聴聞にきはまることなり」(蓮如上人御一代聞書(193)

 

聞いては不審に思い、
不審に思っては聞き、
しかしいつのまにやら他力の法義に染まっているわが身に気づかされます。
気づかされれば何てことはありません。

 

「南無阿弥陀仏。これが仏か。」

 

聞いて合点したから救われるのではありませんが、
聞かなかったら救いに出遇う事はありません。

 

【振り回されない人生】

 

生活が変化するわけではありません。
相変わらず、愚痴も煩悩も健在です。
しかし、「これ一つだった」と決まった心です。
占い・迷信・たたりにも、
かつてそうだった頃を懐かしむ事はあっても、
もう揺れ動きません。
世間の「健康が一番」、「いや、家族が一番」「いえ、仕事が一番」という言葉にも、
振り回されません。

 

遺影の処分も、人形の処分も、そつなく行う念仏者。
「長い間、ありがとう。」
写真に、人形にお礼を言って、どうどうと自分で処分します。
(…ただ捨てがたいのも人情。
その時はお寺へお持ちください。
「法座参り(お聴聞)」のご縁となるなら喜んで引き取ります。)

 

もうすぐ来るお盆。
どんなにテレビが放映していても、
「先祖の迎え火」は、真宗には用事がありません。
「先祖供養」の意味が変えなされたからです。
勿論、お仏壇のおかざりはきちんと心がけたいものです。
だって、お仏壇が綺麗だと、お念仏が楽しくなりますよ。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

改作・寿限無

【一】

 

「ごめんください」
「これはこれは熊さん、さァどうぞこちらへ。
 たいそうお早く、何か改まったご用でも?」
「へぇ、ご院さん、何しろうちに男の子が生まれましてね。
 初めての子で名前をつけないといけないんでさァ。
 それで、何か立派な名前をつけたいんですけど、あっしぁあそういうのが苦手でね。
 あんまり良い名前が浮かばなくて、かかあと相談したら、ご院さんならものを知ってるってんで、来たんです。
 名前つけてもらえませんかね」
「そうかい、あたしが名付け親になっていいのかい。
 嬉しいねぇ。喜んで考えましょう。どういう名前が良いかな?」
「何でもいいんですよ。長生きしてくれたらいいと思ってね」
「そうかい、それじゃあ鶴は千年、亀は万年の齢をたもつっていう、鶴太郎とか亀吉ってのはどうだい」
「そうですね、それも結構ですけど、鶴は千年ってぇと、「千年まで」って気がするんですよ。
 「万年で死ぬ」っていわれそうな心持ちがするんで、他のありませんか」
「…万年生きれば充分だと思うがね。私そんなに生きたくないけどな。
 ま、お前さんの気持ちも分からなくもない。
 じゃ、どうだろうな、経文のなかに尊い文字がいくらもあるから、『無量寿経』というお経の中の文句ではどうかな?」
「お経でもなんでもいいから、長生きするような文句はありますかねェ」
「それならどうじゃ、《寿限無》というのは?」
「へーえ、なんです、《寿限無》てえのは?」
「寿(ことぶき)限り無しと書いて《寿限無》じゃ。
 つまり死ぬ事がない、“いのちの長い短い”を超えているというのだ」
「そりゃあありがてえや、なるほどォ死ぬときがねえなんざうれしいねェ。
 《寿限無》か、こりゃァいいや、もうほかにはありませんか?」
「まだいくらもある。《五劫のすり切れ》というのはどうじゃな?」
「《五劫のすり切れ》? なんの事って?」
「これをくわしく言うと、一劫というのは、ものすごく長い時間じゃ。
 例えでしか表現できんで、百年に一度天人が天降って、下界の40km四方もある巌を、衣でなでる。
 その巌を撫でつくしてすり切れて失くなってしまうのを一劫という。
 それが、五劫というから、何億年何兆年という数え切れない年になる」
「こりゃあ、ますますいいや。」
「《五劫のすり切れ》も《寿限無》もともに阿弥陀如来と大変関係の深い文句じゃ」
「へえー、まだありますか?」

 

【二】

 

「海砂利水魚というのはどうじゃ?」
「なんです、それは?」
「海砂利というのは海の砂利だ、水魚とは水にすむ魚だ、とてもとても獲りつくせないというので、これも数え切れないな」
「……海砂利ねェ、なんかジャリジャリして口の中が気持ち悪くなりそうですね。
 海砂利水魚って名前なら、『くりぃむしちゅー』の方がいいなぁ。」
「何?」
「いや、気にしないでください。
 その…もう長いのは寿限無と五劫のすり切れでようがすから、その阿弥陀さんの事で、何にありませんか?」
「では、《法蔵菩薩》はどうじゃ?」
「法蔵菩薩? 阿弥陀さんの親戚ですか?」
「ちがう、阿弥陀さまがまだご修行の身の時の名前だ。
 法蔵菩薩さまが五劫という間、心をすり減らして私たちを救うためにご苦労くださった。」
「なるほど《法蔵菩薩》、ご苦労なこってすねぇ。あっしなら一晩も考えたくないですね。
 一杯飲んですぐねちゃう。それでほかにはありませんか?」
「法蔵菩薩は五劫の間ご思案された末、あらゆる者を救うご本願を建てられた。
 そしてご本願を成就すべく、これまた兆載永劫という果てしない修行をされ、ついにその本願は成就して阿弥陀さまとなられる。
 すべての者を救う功徳ができた阿弥陀さまは、その功徳を南無阿弥陀仏のみ名にこめて、私たちに回向、まァふりむけ与えてくださっておるのだ。
 これが《本願成就、功徳成就、回向成就》だ。どうだい?」
「ふーん、なんだか難しいね。
 でも阿弥陀さまの事ならいただきやしょう。ほかにはありませんか?」
《倶会一処(くえいっしょ)に住む処》とはどうかの?」
「《倶会一処》?なんです、あの、魚のクエの一種?」
「クエ一種ではない、倶会一処。
 倶は倶楽部の倶を書いて「ともに」、会は一期一会の会(え)だ。
 阿弥陀さまのお浄土の事だよ。
 お浄土はな、先に往かれた懐かしい方々と再び相まみえることのできる世界だから「倶会一処」と『阿弥陀経』に説かれておる。
 お念仏をいただかれた我々の先人が住んでおられる処だから、倶会一処に住む処じゃ。」
「なるほど、有り難いですね。ほかにはありませんか?」
「本願寺第八代ご門主、蓮如上人に白骨の『御文章』というのがあってな。
 そこに《はやく後生の一大事》をこころにかけろとある。
 この後生の一大事はもっとも大事な文句じゃな。
 世間の損得のものさし、花鳥風月に心を奪われず、本当の道を阿弥陀さまと一緒に歩むということじゃ」
「なるほど、身が引き締まりますね。それもいただきましょう。ほかにはありますか?」
「あとは…阿弥陀さまのご本願の一方的なはたらきをあらわして《他力》
 広大な誓いだから《大誓願》とか《弘誓願》ともいう。
 また「他力とは如来の本願力なり」と親鸞聖人はおっしゃったように、《本願力》という言葉も有り難いな。
 またその救いのはたらきは海にたとえられて《本願海》と親鸞聖人はおっしゃられた」
「へぇ、まだありますか?」
《正定聚(しょうじょうじゅ)》といって、正しく定まる聚(ともがら)とかく。
 これはお念仏のご利益で、浄土で仏となって必ずさとりを開いて仏となることが正しく定まっているという意味だな」
「《正定聚》、ようがすね。」
「そうだな、阿弥陀さまのお助けは一時的な癒やしとか、慰めではない、正しいお助けというので《正助》なんていうのもいいかな」
「おや、ようやく名前らしいのが出ましたね。
 へえへえ、じゃあすいませんが、そのはじめの寿限無ってえのから正助まで書いてみてくださいな。」
「ああ、さようか。書いて進ぜよう」
「でも、むずかしい字はだめですよ、平仮名でわかるように……」
「うん、よしよし。…さあ、できたぞ。」
「へえ、ありがとうございます。なるほど、最初が……

  • じゅげむ(寿限無)
  • ごこうのすりきれ(五劫のすり切れ)
  • ほうぞうぼさつ(法蔵菩薩)
  • ほんがんじょうじゅ(本願成就)
  • くどくじょうじゅ(功徳成就)
  • えこうじょうじゅ(回向成就)
  • くえいっしょにすむところ(倶会一処に住む処)
  • はやくごしょうのいちだいじ(はやく後生の一大事)
  • たりき(他力)
  • だいせいがん(大誓願)
  • ぐぜいがん(弘誓願)
  • ほんがんりき(本願力)
  • ほんがんかい(本願海)
  • しょうじょうじゅ(正定聚)
  • しょうすけ(正助)

…こう並べてみると、ますます悩みますね、決めきれねえなぁ。うちへ帰って、家族と相談して決めます」

 

何て、奴さん、うちに帰ります。
おかみさんと話をする。どれも阿弥陀さまの御文ですから、とても決めきれるもんじゃございません。
面倒くせぇ、どれもみなつけちまおうってことになりました。

 

【三】

 

うれしさのあまり、長い名前を付けてしまったが、これが近所でも大評判。
「はい、ごめんなさいよ」
「おや、糊屋の婆さん、おいでなさい」
「ほかじゃないがね、このあいだからなんだよ、家の坊やの名前を覚えようとおもっても、年をとるといけないもんで、なかなか覚えきれないで、
このごろようやく少し覚えたから、今日はさらってもらおうとおもって来たんで、
一ぺんやってみるから、もしちがったら直しておくんなさいよ、おやおやッ、笑ってるよ、そら、えー、

《寿限無寿限無、五劫のすり切れ、法蔵菩薩の本願成就、功徳成就、回向成就、倶会一処に住む処、はやく後生の一大事、他力、他力、他力の大誓願、大誓願の弘誓願、弘誓願の本願力の本願海の正定聚の正助》

何とありがたいお名前だろうねぇ。南無阿弥陀仏、ナンマンダブ」
「おいおい、婆さんやめてくれよ、恥ずかしい。けど婆さん、坊さんが言ってたよ、その南無阿弥陀仏って念仏が、なんでも阿弥陀さんの名号ってよばれる名前で一番大事、結局、そのナンマンダブにすべて意味が入ってるんだってよ。こんな事ならナンマンダブにしとけばよかったよ」
「まあ、いいじゃないか」

 

そんな会話を知っているのか知らないでか、この子は大きな病気もせず、すくすくと元気に育ちます。
学校に通うようになりますというと、近所の友だちが朝、迎えにくる。
「《寿限無寿限無、五劫のすり切れ、法蔵菩薩の本願成就、功徳成就、回向成就、倶会一処に住む処、はやく後生の一大事、他力、他力、他力の大誓願、大誓願の弘誓願、弘誓願の本願力の本願海の正定聚の正助》ちゃん、学校行こー!」
「まあ金ちゃん、有り難う。うちの「《寿限無寿限無、五劫のすり切れ、法蔵菩薩の本願成就、功徳成就、回向成就、倶会一処に住む処、はやく後生の一大事、他力、他力、他力の大誓願、大誓願の弘誓願、弘誓願の本願力の本願海の正定聚の正助》はねぇ…寝てるのよ。今起すからまって頂戴、ごめんなさい。いつまで寝てるの、学校始まっちゃうじゃないかさ。起きなさいってば、《寿限無寿限無五劫のすり切れ…》
「おばちゃん、学校始まっちゃうから先にいくね」
待ってられません。

 

【四】

 

わんぱくに育ちます。
友だちと、たまには喧嘩もします。
相手にポコッとこぶをこしらえると、友だちが家に言いつけにくる。
「ええーん、おばちゃん、おばちゃん処の《寿限無寿限無、五劫のすり切れ、法蔵菩薩の本願成就、功徳成就、回向成就、倶会一処に住む処、はやく後生の一大事、他力、他力、他力の大誓願、大誓願の弘誓願、弘誓願の本願力の本願海の正定聚の正助》ちゃんが、あたしの頭ぶって、こんな大きなこぶこさえた。ええーん!」
「なんだって金ちゃん! じゃなにかい、うちの《寿限無寿限無、五劫のすり切れ、法蔵菩薩の本願成就、功徳成就、回向成就、倶会一処に住む処、はやく後生の一大事、他力、他力、他力の大誓願、大誓願の弘誓願、弘誓願の本願力の本願海の正定聚の正助》が、金ちゃんの頭にこぶをこさえたって、そうかいごめんね、堪忍してね。お前さん聞いたかい、《寿限無寿限無、五劫のすり切れ、法蔵菩薩の本願成就、功徳成就、回向成就、倶会一処に住む処、はやく後生の一大事、他力、他力、他力の大誓願、大誓願の弘誓願、弘誓願の本願力の本願海の正定聚の正助》がね、金ちゃんの頭にこぶをこさえたって」
「なにか!うちの《寿限無寿限無、五劫のすり切れ、法蔵菩薩の本願成就、功徳成就、回向成就、倶会一処に住む処、はやく後生の一大事、他力、他力、他力の大誓願、大誓願の弘誓願、弘誓願の本願力の本願海の正定聚の正助》が、金坊の頭にこぶをこさえたってのか。おい金坊すまなかったな。こっちきな。見せてくれ、おじさんに、どこなんだ……なんだ金ちゃんよ、泣いてばかりいるけれど、こぶんなんかどこにもないじゃないか」
「あんまり名前が長いから、こぶがひっこんじゃった」

 

おなじみ寿限無でございます。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

西風吹かば

【伝灯奉告】

 

先日、京都の西本願寺へ、団体旅行に行きました。
専徳寺からは私を含めて9名の参加でした。

 

目的は「伝灯奉告法要(でんとうほうこくほうよう)」への参拝。
ご本山“西本願寺”での、ご門主の継職法要です。

 

門主とは西本願寺の住職です。
このたび新しいご門主が誕生されました。
第25代、専如(せんにょ)門主。
私と同い年です。

 

西本願寺は、約一万ヶ寺存在する、
浄土真宗本願寺派の中心です。
そして門主は、
700万の真宗門徒(信徒の事を浄土真宗では”門徒”と呼びます)の中心的人物。
大変な重責だと思います。

 

法要は一期7日間の計10期でとりおこなわれます。
私たちは63日目の参加でした。

 

【初日】

 

5月16日の早朝、
82名の参加者はバス2台で京都へ出発。
車窓から眺める山陽道の新緑は美しく、
ガイドさんの楽しい話を聞きながら、
7時間後、京都の西本願寺に到着。

 

2時に西本願寺の阿弥陀堂へ。
ご本尊の真正面に座れました。
amidadou

 

喚鐘、そして雅楽の音色と共に、
ご門主がご本尊前に着座されました。

 

「新しい門主として、
正しく宗祖のみ教えを伝えてまいります。」
ご門主が本尊の前で決意表明されます。
真後ろで聞きながら、こちらも身が引き締まる思いでした。

 

さて、
2時間の法要が終わると、
すぐさまバス移動。
約80分後、関西一の温泉である有馬温泉につきました。

 

六甲の山々に囲まれた有馬。
素晴らしい場所でした。

 

本願寺第八代蓮如上人も文明15年、69歳の時、
山科本願寺建立の疲れをとるべく湯治に来られました。

 

さかこえて ゑにし有馬の 湯舟には
けふぞはじめて 入ぞうれしき(蓮如、御文章集成128, 『浄土真宗聖典全書』3-410)

 

上人同様、ゆっくり温泉につかり、夕飯の懇親会へ。
余興で専徳寺メンバーは、
「365日の紙飛行機」を熱唱させていただきました。

 

【有馬山】

 

次の朝、再び温泉へ。
湯につかり、窓から見える有馬の山々を眺めていると、
ふと、小学生時代に覚えた百人一首が頭に浮かびます。
「有馬山・・…?」
…覚えていない時は、ネット検索。

 

有馬山 猪名(ゐな)の笹原 風吹けば
いでそよ人を 忘れやはする

 

紫式部の娘の歌だそうです。

有馬山の近く、猪名(いな)にある笹原に生える笹の葉が、
「そよそよ」と葉音をたてながら、
「そうですよ、そうですよ」と告げています。
全くその通りですよ。
どうしてあなたのことを忘れたりするものですか。
(忘れているのは、あなたの方でしょ?)

 

「あの歌に出てくる山とは、この事か。」
30年前にカルタ大会に勝つために覚えた歌で、
ほぼ忘れていましたが、
ようやく意味を知りました。

 

湯から上がり、朝食を済ませ、有馬を出発。

 

日数えて 湯にやしるしの 有馬山 やまひもなをり かへる旅人(蓮如、前掲書3-412)

 

蓮如上人は約14日間、退屈されるほど逗留されたようですが、
私たちは半日で出発です。

 

【夕日】

 

2日目の午前中は、
「1000万ドルの夜景」で有名な六甲ガーデンテラスへ。
素晴らしい眺望。
神戸の町を見下ろしました。
六甲ガーデンテラスより
新緑の風が心地よい場所でした。
その後、一気に山を降りて、
神戸タワーの近くから、旅客船「ルミナス神戸」に乗船。
昼食をとりつつ、
明石海峡大橋、神戸の町を海上から眺めました。
海風が心地よい2時間でした。
ルミナス神戸から

 

そして夕方。
バスは岩国に向かって、高速道路を走っています。
福山SAを過ぎる頃には、
車内はひっそりとしていました。
映画「RAILWAYS」を観ている人もいましたが、
疲れて寝ている人も多く。

 

にわか雨も上がり、
車窓から美しい夕日がみえます。
西からの温かい光です。

 

“西”は、浄土真宗にとって特別な方角です。
お浄土がある方向。

 

日が沈む方向、
一日の終わりを示す方向に浄土があります。
私たちは、息が絶える時、人生が終わるその時に浄土へ、
阿弥陀さまの開かれた世界へ生まれます。

 

それは他でもなく、
阿弥陀さまの存在が依りどころです。
浄土へ生まれさせんと、今、「南無阿弥陀仏」のお念仏となって、
この身に、招き喚び続けておられます。

 

【西の風】

 

京都を出る時、ガイドの来栖さんが菅原道真の歌を紹介してくれました。

「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 
主なしとて 春を忘るな」

 

京の都を離れる名残惜しさを歌いました。
「大事な梅の木よ、私と別れても、春を忘れず、香りを届けておくれ。」

 

一泊二日の旅行。
初めての方とたくさん出会いました。
名残惜しいですが、あと数時間すれば解散です。

 

「また会いましょう。」
ですがあれから数日すぎ、もうすでに忘れかけている私がいます。
82名、とても覚えきれません。
けれど誰もがみな、お念仏者です。

 

「西風(にし)吹かば 思いをこせよ 南無阿弥陀仏
別れありとて 弥陀を忘るな」

 

「かけがえのないご縁をご一緒しました。
お互い別れても、お念仏を大切にしましょう。
西からの風、お浄土の話を、
各々ご縁のお寺で、お聴聞しましょう。
西の光、阿弥陀さまのお慈悲の光を、
各々の生活の中で、『ぬくいなぁ、明るいなぁ』と味わいましょう。
そして必ず、お浄土で再会いたしましょう。」

 

そんな帰路でした。

 

【そよそよ】

 

様々な人と別れ忘れていく人生。
しかしどこで何をしていても、
お互いお念仏をいただき、
仏の声に耳をすまします。
海にいれば海風、
山にいれば山風が。
それは西風かもしれません。
そしてそこから、
「お前を救う」という仏さまの喚び声をいただく事があっても良いかもしれません。

 

「いでそよ人を忘れやはする」
(まったくそう、あなたをどうして忘れましょう!)

阿弥陀さまを忘れず、
…いえ、そうです、最も大事なこと。
忘れていないのは阿弥陀さまの方です。
だからこの浄土への道は、
崩れません。

 

お浄土での再会を楽しみに、
各々の普段の生活に精進していきたいと思います。

 

人生の意味を知る“他力”の教え、浄土真宗。
この救済教、後の世に大切に伝えていきたいものです。
それはとりもなおさず、
今、私自身が、西の風に吹かれ、
「そよそよ」という音を聞く事。
「そうでしたよ、そうでしたよ。仏さまはここでしたよ」と、
お念仏申す事かもしれません。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

声を聞くとは

【声を聞かせて】

 

ある落語家の母親。
80歳すぎても元気ですが、
昔から、少々ぼんやりした所があるようで…。

 

ケーキを買いに行ったそうです。
しかし戦前生まれ、カタカナ表記の洋菓子の名前が言えません。
「モンブラン」、「ガトーショコラ」、「フルーツタルト」、「ミル・クレープ」、「レアチーズケーキ」、
「マルモールグーゲルフプフ」なんて絶対に言えません。

 

「これと、これ、ください。」
「どれですか?」
「これと、これです。」
「お婆ちゃん、こちらからは見えづらいので名前を言ってください。」
「ヨネです。」
「いえ、ケーキの名前を。」

 

ようやく購入しました。
すると開封後、慌てて口に入れています。
何故だろうとケーキの箱を除くと。
「“おはやめ”にお召し上がりください。」

 

……

 

親子でデパートへ買い物に行ったそうです。
昼食をご馳走しようと食堂街へ行くと、どこも一杯でした。
仕方なく店の前で並んで待っていると、
母親がトイレへ。
戻り際、向こうで何かに向って叫んでます。
何をしているのかと近付くと、
大きな箱が置いてありました。
その箱には「あなたの声を聞かせてください」の張り紙。
ご丁寧にマイクの絵まで書いてあります。
箱に向って「アー、アー」と喚ぶ祖母。

 

こういうお婆ちゃんが、
10円玉を池に放り込むのでしょう。
「鯉の餌、10円」と書いてある札を見て。

 

【南無阿弥陀仏のみ名】

 

阿弥陀如来の 本願は
かならず救う まかせよと
南無阿弥陀仏の み名となり
たえず私に よびかけます

 

『拝読 浄土真宗のみ教え』の「救いのよろこび」の冒頭です。
よければ覚えてください。
そういうための七五調です。

 

本願…それは仏さまの心です。
「どうすれば皆を救えるか」と悩んだ仏さま。
結果、この私を救うべき功徳のありったけを、
自らの名前、お念仏にこめました。

 

阿弥陀さまの功徳の全体が、お念仏です。
故にお念仏は仏さまそのものです。
単なる音声ではありません。

 

たとえば、
デパートで「あなたの“声”を聞かせてください」とある箱に向って、
「アー、アー」と大声で叫ぶお婆ちゃん。
市役所前で「私たちの“声”を聞いて」と叫ぶ市民団体に、
窓から「大丈夫、よく聞こえるよ」という市長。
両名、勘違いしてます。
なぜならこの場合の“声”とは、
人間の意見を意味しているからです。
音声ではありません。

 

また、
「師走の声を聞く」といったって、
「え〜、今年も残すところあと一ヶ月……」と、
師走が落語家みたいにしゃべっているわけではありません。
北風の肌寒さ、町の活気、何ともいえないせわしなさ……。
そんな周りの状況から聞こえてくるのが師走の声です。

 

ナモアミダブツは仏さまのご意見、そしてお招きです。
「諸行無常……二度とない、大切な今日という一日だよ。」
「他力本願……あなたを迎える浄土の世界は仕上がっているよ。」
お念仏をする方がヨネさんなら、
「ヨネよ、ヨネよ。揺るぎないお浄土があるよ。
焦らなくても心配ないよ。
慌ててケーキを食べなくても大丈夫だよ」とお招きです。

 

別に、ヨネさんの両耳に聞こえるわけではありません。
苦悩や悲しみなどの種々を縁として、
お寺でお聴聞し、
お慈悲の温もりに出遇います。
たった一人歩む人生ですが、
決して一人ではなかったと気づきお念仏申す時、
そんな自らの心境から聞こえてくるのが、
如来の喚び声です。

 

我(われ)称(とな)え 我聞くなれど 南無阿弥陀仏 必ず救うの 弥陀の喚び声

 

昔から有名な歌ですが(原作は少し違いますが)、
覚えるに値する歌です。

 

(補足)

 

『拝読 浄土真宗のみ教え』の「救いのよろこび」は、
現代版「領解文」です。
領解文と同様、できれば暗唱してもよいと思います。
七五調で覚えやすいです。
五段に分かれています。

 

(1)
阿弥陀如来の 本願は
かならず救う まかせよと
南無阿弥陀仏の み名となり
たえず私に よびかけます

 

(2)
このよび声を 聞きひらき
如来の救いに まかすとき
永遠に消えない 灯火が
私の心に ともります

 

(3)
如来の大悲に 生かされて
御恩報謝の よろこびに
南無阿弥陀仏を 称えつつ
真実の道を 歩みます

 

(4)
この世の縁の 尽きるとき
如来の浄土に 生まれては
さとりの智慧を いただいて
あらゆるいのちを 救います

 

(5)
宗祖親鸞聖人が
如来の真実を 示された
浄土真宗の み教えを
共によろこび 広めます

 

おおよそ、

  1. 第一段は「他力の本願」について。
  2. 第二段は「真実の信心」について。
  3. 第三段は「報謝の念仏」について。
  4. 第四段は「浄土の人生」について。
  5. 第五段は「同朋の生活」について。

です。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

 

仏のご沙汰

【35年後】

 

昨年、初めて1泊2日の人間ドックを受けました。
血液検査・尿検査から始まり、
視力検査、聴力検査、心電図検査、肺機能検査、
胸部X線検査、胃部内視鏡検査、腹部超音波検査……。
そして大腸検査、直腸検査、肛門検査と、
上から隅々まで調べていただきました。

 

最後、副院長から結果説明をうけました。
「これがあなたの結果通知票です。赤い所が、2,3ありますよね。
これが問題の箇所です。
…私、この赤い数字に関しての専門医です。
あなたの年齢なら運動をして減量すれば問題はないでしょうが、
念のため、薬を出しましょう。」
「私、このままではダメなのですか?」
「はい、35年たった時、困ります。」
「35年!?」

 

一瞬、ポカンとしました。
自分の35年先など考えた事もありませんでした。

 

薬の処方箋をもらいます。
「どこも痛くもないのに、なぜ毎日こんな薬を飲まなければ…。」
そう思いながら薬局へ。
しかし、考えてみればすごいことかなと。
私には想像もつかない未来を見ている先生にお会いしたのでした。

 

【仏の沙汰は僧が知る】

 

「もちはもち屋」という諺があります。
「何事においても、それぞれの専門家にまかせるのが一番良い」という事のたとえですが、
専門家というのは、すごい眼を持っています。

 

納骨の際にお会いする石材店の方。
墓地にある墓石の産地、すぐ分かります。
「これは?」
「四国です。」
「これは?」
「柳井ですね。もう出てきませんよ。」
「これは?」
「外国からきたのでしょう。」
この石はどこからやって来たのか。
石の過去が見えるようです。
私には、みな同じに見えます。

 

お世話になってる皮膚科の先生。
診察にいくとすぐ病名を言われます。
「先生、これは?」
「アトピーですね。」
「これは?」
「水いぼですよ。」
「これは?」
「…漆かぶれじゃないですか?」
「これは?」
「帯状疱疹ですね。」
「これは?」
「バラ疹(ジベルばら色粃糠疹)!」
一発です。
私には、みな虫刺されに見えます。
当然、処方される薬も違います。

 

ちなみに、「もちはもち屋」に関連して、
「仏の沙汰は僧が知る」という諺があるのだとか。
仏さまのことは僧侶が一番よく知っているという意からできたそうです。
……この諺に恥じぬよう、勉強したいものです。

 

【仏の眼差し】

 

普放無量無辺光
(あまねく無量・無辺光……を放ちて)
  (正信偈より)

 

南無阿弥陀仏の仏さまは、
光の仏さまです。
どこまでも輝き、いつまでも私を照らし出します。
今の心は勿論、過去も、そして未来も照らします。

 

何気なくパソコンを見ている私。
数日前の悲しみから、数億年前の喜びまで、
種々の出来事がありました。
そんな種々の要素から成り立っている事を、
仏さまはご承知です。

 

煩悩まみれの私の心を認知した仏さま。
加えて私の行く末も目に浮かんでいます。
35年どころではありません。
35億、いや「百千億那由他」という先まで。
どこまでも迷い続ける私の姿です。

 

結果、仏様が私にくだしたお沙汰は、
「これからは精進せよ」ではなく、
「われにまかせよ」の本願でした。

 

「仏心は大慈悲これなり。」

決して見捨てられない仏さまだからこそ、
私の罪業をわが罪業と断ちきり、
私の煩悩をわが煩悩と抱えきり、
必ず浄土へ生まれさせ、
どこまでも救い続ける仏にすると誓われました。

 

【僧が知る事】

 

摂取心光常照護
(摂取の心光、つねに照護したまふ)
  (正信偈より)

 

私を摂め取って捨てない仏さまです。
常にお慈悲の光を照らしております。
私の過去から未来まですべて承知され、
故に過去から未来まで決して離れないと、
本願を建てられました。
その本願通りの功徳が、
南無阿弥陀仏という名号、
仏さまのみ名に施されています。

 

どのような経歴の方であろうと、
どのような悩みの方であろうと、
どのような行く末であろうと、
お念仏さまの沙汰は同じです。
「あなたを助ける」と。
「お浄土があるぞ」と。
「一人ではないぞ」と。
真宗の僧侶が知っているのは、
そんな仏さまの喚び声です。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

 

本物の仕事

 

「戦場カメラマンの一番の願いは、失業することなんだよ。」(ロバート・キャパ)

 

【消滅のために】

 

6年前くらい昔、
ラジオであるタレントさんが、
自分の入院生活について話をしていました。

 

ドキドキの心臓手術や長い入院生活について語られた後、
自分の担当医(執刀医)について話していました。
自分より若いけれども、とてもよく診てくれたのだそうです。

 

物静かな先生でした。
技術をひけらかすわけでもなく、
「仕事だから」と冷たく割り切った様子もありません。
感謝されることを望むのでもなく、
ただ温かく接してくださった先生。
その雰囲気に感動したのだそうです。

 

「…俺はその人から仕事の流儀みたいなものを学んだよ。
それは『自己の消滅をもって事業の完成となす』。
そのお医者さんは心の底からそう思っているんじゃないかな。」

 

自己の消滅をもって事業の完成となす。
私利私欲を捨てた、究極の滅私の人です。
たとえていえば、
「もう誰も歯の事で悩んでないから、先生はいなくても良いよ」
といわれる事を待ち望んでいる歯医者。
自分が失業すれば良い。
悩む人がいなくなれば良い。
そう思って仕事をしている人こそ本物ではないか。

 

すると、もう一人の方が言われました。
「自分はどうなってもいい…そう思って仕事している人は確かにすごいと思いますが、
現実には、難しいですよね。」
「いや、たくさんいるよ。」
「そうですか?」
「親という仕事は、まさにそうじゃないか。」
「……なるほど。」

 

【本物の仕事】

 

 子は親を踏台にして成長する。
 だからしっかりした踏台が必要である。
    (佐々木正美)

 

冷静に考えてみると、
親ぐらい割りに合わない仕事はないかもしれません。
あれだけ働いて、給料はゼロ。
しかし、
「仕方ない、これも仕事だ」と思って子育てはしません。
子どもに洗濯や食事の苦労をひけらかすわけでもなく、
感謝されることを望む事もありません。
淡々と子どもを見守り続けます。

 

子育てに時間も労力も財力も全て注ぎ込みます。
それなのにいつか子は、
「あなたはいらない」と言わんばかりの姿をとります。
その事を親は知っています。
承知の上で、何ら見返りを求めず、日々励むのが親です。
まさに親という仕事は、
自己の消滅をもって事業の完成としています。

 

ある意味、わが子に全生涯をささげる仕事です。

 

【若不生者】

 

 若不生者(にゃくふしょうじゃ)のちかひゆゑ
 信楽(しんぎょう)まことにときいたり
 一念慶喜(いちねんきょうき)するひとは
 往生かならずさだまりぬ

 

親鸞聖人の詠まれた阿弥陀さまの讃歌です。

 

「若不生者」とは、阿弥陀さまの第十八願の言葉で「もし生まれずば」と読みます。

 

阿弥陀という仏さまは、「若不生者」と誓われました。
「もしあらゆる者を浄土に生まれさせる事ができないなら、私は仏とならない」という意味です。

 

あらゆる者を自分と同じ仏にする、
そうでなかったならば、自分は仏をやめる。
自らの全存在をささげての救済事業です。
私が阿弥陀さまと同じ仏になるまで終わりません。

 

阿弥陀さまと私の関係。
それは親と子の関係です。
はるかかなたから子育ては始まっていました。
子育てをひけらかすわけでもなく、
感謝や恩返しを望むのでもなく、
「必ず生まれさせる」と夜昼つねに見守ります。

 

何も知らなかった私です。
しかしその誓い通り、
この度というこの度は、
この如来さまの真心(まごころ)を聞き信ずる時節となりました。
真心を聞き受ける心、それをお経には「信楽(しんぎょう)」とあり、
これが浄土真宗でいう信心です。
決して自らの力を信じる心でも、他人まかせの心(お気楽な心)でもありません。

 

この信心が生じた喜びある人には、
「ようやく往生(行き先)が定まりました。迷わない道の真っただ中を歩いていました」
という大きな安堵の心が恵まれます。
どこもかしこも、
阿弥陀さまの導きの光明に照らされている事を、
いつでも確認できる日々です。

 

【産むために生まれた】

 

もう十年近く前の事ですが、
Tさんの結婚披露宴に招待されました。

 

大変勉強熱心な方で、
以前、「学べば学ぶほど、親鸞聖人が遠くなっていきますね。」
と書かれた年賀状には大変驚かされたのを覚えています。
現在も飽くなき探究心で、浄土真宗の心髄を追い求められています。

 

けれどもそんな勉学、研究に没頭していたためか、
婚期が遅れました。
このたびの披露宴、年齢は三十半ば過ぎていました。

 

広島のホテルでの披露宴は盛大でした。
交流の広いTさんの披露宴に、
多くの友人、知人が集まっていました。
そんな披露宴の最後、
Tさんは、次のようなスピーチをしてくださいました。

 

「……三十過ぎても学生だった頃、
正直、自分はよく歎いたり妬んでいました。
知り合いが車を買った、家を建てたと聞くと、
『それに比べ、自分は何ももっていないなぁ』と。

 

けれども今日、
そうではなかったと気づかされました。
自分にはかけがえのない仲間や恩師がいる。
お金では買えない思い出がたくさんある。
こんなご縁もあった、あんなご恩もいただいた。
「ないな、ないな」ではなく、
「あった、あった」という思いをかみしめています。

 

そして何より、両親に感謝したいと思います。
ここまで私のようなものを、育てて下さいました。
……かつて母はこんな事を言ってくれました。
『お母さんはね、あなたを産むために生まれてきたのよ。』
本当にありがとうございました。」

 

『あなたを産むために生まれてきた。』
会場の中から、少し苦笑も聞こえました。
私も正直、笑っていたかもしれません。
「それは言い過ぎだろう」と。

 

けれども後から考え直させられました。
言い過ぎではなかったと。
たぶんTさんもそんな心境だったと思います。
子どもの頃、そう言われた時は何となく嬉しかった。
しかし時が経って、
「そんな馬鹿な。」
「子どもを喜ばせる言い方だ」と反発していた事もあったと思います。
しかし、ようやくその意味の真実に出遇いました。
母というものは、
その生き方を、生きる目的を全てかえてこそ母であり、
それほどの大きな仕事なのです。

 

【生まれ往く道】

 

第十八願の言葉。

「若不生者、不取正覚。」(もし生まれずば、正覚を取らじ。)

 

阿弥陀さまが阿弥陀さまとなられた理由。
南無阿弥陀仏という声の仏となられた理由。
それはどこまでも、
この私をお浄土に生まれさせるためです。

 

どこまでも土に帰って終わる人生としか思えなかった私。
どこからやって来たかも知らず、
終わりゆく人生を諦め、
半ば忘れるがために、
「できることは歴史を残すことだけ」と、
今を精一杯生きてきた私。

 

しかし、このたび「精一杯生きる」意味が変わりました。
本物の仕事。
私を救うために一心に仕事をされる方に出遇いました。
人生の不安、苦しみには意味があり、
その不安が消える、苦しみが喜びにかわる世界に、
身を浸らせていただきます。
故に、今この一瞬も、勿体なく
大切に生きさせていただくのです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

形は滅べど

【健康】

 

Sさんのお見舞いに行った時のことです。
持参したお寺の新聞を見ながら、
「また法座が近付いたのですね。
法座までに退院できたら良いのですが。」
いろいろな話をした後、
急にSさんが、こんな事を言われました。

 

「入院して1ヶ月以上になります。
つくづく思うことは、
健康の大切さです。

 

初めて、こんなに長くベッドの上で生活をしています。
今まで仕事一筋でしたが、
一ヶ月近く熱もさがらず、目の前が逆さまに見えるのは辛かった。
身体が落ち着いているのは本当に有り難いです。

 

けれどもう一つ。
それは、心の健康とでもいいましょうか。

 

…失礼ですが、こうしてお見舞いに来られたのは、
私が回復に向かっている事を耳にされたからでしょう。
もちろん入院当初は、
とても話なんかできる状態ではなかった。
故に皆さん避けられたのでしょう、一ヶ月くらい一人でした。

 

人間は結局、一人なんですね。
仕事がある間や家族といる間は実感がありませんでした。
でも一人になったお陰で分かりました。
お聞かせに預かっていた通りでした。
如来さまがいつでも私とおられると聞けるのは有り難いですね。」

 

お念仏は、
お慈悲のはたらきを“声”としていただきます。
法座や法事などのお聴聞を縁として、
お念仏の意味、声となった仏さまの“おいわれ”を聞きます。
肉声としては私の声ですが、
そのまま、たった一人の私を、
決して一人落としはしないと誓いを立てられた仏さまの声です。
今まさに、
「落ちない功徳は仕上がったぞ」と命じられる仏さまに、
思わず「ナモアミダブツ」とお念仏する私がいます。

 

心の健康。
それは心の落ち着き、心の平安の事でした。
「一人であって一人ではなかった。」
身体は苦しくも、
目の前の風景は決して灰色ではありません。

 

【花は散らない】

 

「花びらは散っても花は散らない。形は滅(ほろ)びても人は死なぬ」(金子大栄)

 

ここでの「花」とは、やはり桜でしょうか。
花見が待ち遠しい時期になってきました。

 

花見をしながら上から降ってくるもの。
それは花びらです。
しかし大概の人は「花が散った」と思います。

 

花とは「たねをつくるはたらきをする、植物の一部」です。
花は「花びら」だけでなく、
「おしべ」、「めしべ」、「がく」(花びらの外側の緑色のもの)などがそろって「花」です。

 

「そんな細かいことを……」
そうかもしれません。
私もこの歌を知るまではそう思っていました。
しかし花びらは散っても、花は散ってないという見方があります。
目に見えませんが、種はすくすくと育っているという見方です。

 

それは人も同様です。
「形は滅(ほろ)びても人は死なぬ」
心臓が止まれば肉体は滅びます。
しかしまだ人は滅んでいないという見方があります。
仏教の見方です。
人には心があり、それは肉体以上に、
“私一人という世界”において重要な役割を担っています。

 

【念仏の花】

 

お通夜の晩、
故人の面影を偲びます。
明日、肉体は火葬され消滅します。
しかし生前、心を通じて、
遺族に伝わったものがあります。

 

その方の性格、
その方の生き様。
故人と語った様々な話。
その明るい声の響きは、
故人の思い出の記憶と共に、
残された人々の心に刻まれます。
消えない思い出。
そういう意味で人は死んでいません。

 

けれどもうひとつ。
故人は念仏者でした。
お念仏の花をさかせた人でした。

 

不思議なご縁で、
阿弥陀さまという「まこと」のはたらきに出遇いました。
阿弥陀さまの「我にまかせよ。必ず救う」という、
仰せの通りに生きました。
その結果、「まこと」故に「くずれない」安堵の心を賜り、
今生の最後まで、それは続きました。

 

私の心は水の上に書く文字のようなものです。
すぐにくずれ、消えていきます。
しかしこの度、
その水の味、値打ちに気づかされました。
如来さまが注ぎ込んでくださった水。
如来様からいえば「助ける」という味。
私たちからいえば「助かる」という味。
これは決して消えたり、変ったりしません。

 

お念仏の花の中で、
お浄土参りの種はすくすくと育っていました。
当然、今生が終われば、
阿弥陀さまの願い通り、
お浄土へ往生します。
その人の姿はもう二度と見られません。
しかし阿弥陀さまの世界で生きておられます。

 

残された私たち。
故人の声と同様、
故人の往生浄土という行く末も心に刻みます。

 

特別な刻み方はありません。
お念仏申すだけです。
仏さまの声を、
今度は私自身の経験の記憶と共に、
心に刻みます。

 

故人と同様、
今、刻々と崩れていく私の健康、そして肉体。
しかし、
崩れない心がありました。
私もお浄土への種が育てられていた事。
その時、
その種に水をかけてくださっている故人に出遇えるはずです。

 

仏教の要は、
生きる上での役立つ教えではありません。
死んだ後の安心の教えでもありません。
死なない教え、無量寿・永遠の教えです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

みすゞさんのお仏壇

【7回忌】

 

東日本大震災。
今月11日で6年たちます。
亡くなられた方、行方不明者、
そして関連死をあわせると2万人近くにのぼります。

 

七回忌の今年。
思い出す津波などの映像。
多くの方々を偲びつつ、それを機縁として、
み教えを味わわせていただきます。

 

【88回忌】

 

思い出せば六年前、
こんな言葉がACのコマーシャルで盛んにながれていました。

 

「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。
そうして、あとで さみしくなって、
「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、 いいえ、だれでも。

 

金子みすゞさんの詩「こだまでせうか」です。

 

人間関係もこだまのようなものです。
「やさしく話しかければ、やさしく相手も答えてくれる。」

 

鏡のように笑顔をむければ、笑顔がかえり、
怒りをむければ、怒りがかえります(※1)。

 

被災された方への励まし。
日本人の絆の再認識。
そんな思いも込められたACのCMだったと記憶しています。

 

金子みすゞさんの命日は昭和5年3月10日。
震災の一日前です。
享年28(26歳)。
今年は88回忌です。

 

【ひな壇】

 

さて、3月といえば雛まつり。
施設や旅館、空港など、
様々な場所でひな壇をみかけます。

 

みすゞさんの残されている512編の詩の中にも、
「雛まつり」という詩があります。
桃の節句を祝う詩かと思いきや、
随分、雰囲気が違います。

 

  雛まつり

 

雛のお節句来たけれど、
私はなんにも持たないの。

 

となりの雛はうつくしい、
けれどもあれはひとのもの。

 

私はちひさなお人形と、
ふたりでお菱(ひし)をたべませう。
(『美しい町 新装版金子みすゞ全集・T』, 14頁)

 

切ない詩です。
もう一つ、こんな詩もありました。

 

  初あられ

 

あられ あられ 手に受けて、
春の夜の お雛まつりを ふとおもふ。

 

おなじみの隣の雛は こんな晩、
暗いお倉の片隅の
ひとりびとりの箱のなか。
ぱら、ぱら、と きれぎれに
樋(とび)うつ音を聴いてゐよ。

 

あられ あられ 初あられ。
(『さみしい王女 新装版金子みすゞ全集・V』, 98頁)

 

季節はいつでしょうか。
降ってきた霰(あられ)に雛あられを重ねます。
隣家の雛人形たちの心境を詠んでいます。
「倉の中はさみしいな」
「はやく桃の節句がこないかしら」
そんな心の声が聞こえてくるようです。

 

【仏壇】

 

ひな壇やおひな様は、
金子家にはなかったのかもしれません。
しかし金子家には、
美しいお仏壇がありました。
とても大切にしていた様子が、
詩「お仏壇」にあらわれています。
長いので、区切りながら、引用すると、

 

  お仏壇

 

 お背戸(せど)でもいだ橙(だいだい)も、 ※背戸:家の裏手。
 町のみやげの花菓子も、
 仏さまのをあげなけりや、
 私たちにはとれないの。

 

 だけど、やさしい佛さま、
 ぢきにみんなに下さるの。
 だから私はていねいに、
 両手かさねていただくの。

 

仏さまからの「おさがり」。
どんなものも、
仏さまからのかけがえのないものとして、
「有り難うございます」と、
大事にいただきます。
昨今、忘れがちな行為です。

 

 家(うち)にやお庭はないけれど、
 お仏壇にはいつだつて、
 きれいな花が咲いてるの。
 それでうち中あかるいの。

 

 そしてやさしい佛さま、
 それも私にくださるの。
 だけどこぼれた花びらを、
 踏んだりしてはいけないの。

 

お仏壇といえば、お花。
それはお慈悲の姿です。
お慈悲の光が家をつつみます。

 

 朝と晩とにおばあさま、
 いつもお燈明(あかり)あげるのよ。
 なかはすつかり黄金(きん)だから、
 御殿のやうに、かがやくの。

 

とても大切にしていた、
金箔仏壇だったのでしょう。

 

 朝と晩とに忘れずに、
 私もお礼をあげるのよ。
 そしてそのとき思ふのよ、
 いちんち忘れてゐたことを。

 

 忘れてゐても、佛さま、
 いつもみてゐてくださるの。
 だから、私はさういふの、
 「ありがと、ありがと、佛さま。」

 

みすゞさんも毎日、お仏壇にお礼をしていました。
その時、
阿弥陀さまの事なんか気にせず一日すごしていた自分に、
初めて気づきます。
同時に、
私を忘れず常に見守ってくださっていた阿弥陀さまに、
改めて気づきます。

 

昨今、「お仏壇のひな壇化」を耳にします。
夏や冬、お坊さんが来る時だけご開帳。
きれいにお飾りしたら、あとはおしまい。
お礼するのは、仏間で寝起きする家の代表者1名のみ。

 

忙しい現代ですが、
時々、みすゞさんの詩にあらわれるような、
素敵なお仏壇生活を心がけたいものです。

 

【ご門】

 

ところで、みすゞ詩「お仏壇」は、
もう一つ最後に、こんな一節があります。

 

 黄金の御殿のやうだけど、
 これは、ちひさな御門なの。
 いつも私がいい子なら、
 いつか通つてゆけるのよ。

 

真宗のお仏壇は先祖をまつる「御殿」ではありません。
教えに入るための入り口、「門」です。

 

真宗の檀家を「門徒」とか「門信徒」といいます。
門徒とは門下の徒輩。
師をもつこと、仏弟子の意味です。
み教えの世界に入り、み教えに生きる生活をする、
そんな意味がうかがえます。

 

今、お仏壇を通して、
阿弥陀さまのみ教えを聞きます。

 

阿弥陀さまは本願を立てられました。
「どんな悪人をも落とさない浄土の世界をしあげる」と願い、
「どんな者も離さない、寄り添い続ける仏となる」と誓い、
その誓いを遂げるため、
兆載永劫という果てしない間、
功徳を積み仏となられました。

 

どのような者も光照らす仏さまです。
老いも若きも、男も女も、善人も悪人も関係なく、
その人の気持ちにぴったり寄り添います。

 

阿弥陀さまと共にいる者は、
一人ひとり、その人らしく常に光輝いています。
みんな光輝く仏さまの子。
みんなみんな「いい子」です。

 

【浄土の入り口】

 

「この娑婆はお浄土ではありません。
しかしお浄土の入り口は
この娑婆に
この現実に
この現前の一念にひらかれております。
あらためて申しあげます。
あの世にはもはや お浄土の入り口はありません。」
(西元宗助)

 

お仏壇に手を合わせながら何を思うか。
「死んだらお浄土へ。」
間違ってはいませんが、
勘違いしてはいけません。
救いは今です。
「心配するなよ」と、
お浄土の阿弥陀さまは、
ここにおられるのです。

 

お仏壇はお浄土の門、入り口を示しています。
そしてお仏壇の前で手を合わせる時、
その入り口が常に私のために、
開かれている安心を聞いていきます。
「いつか私もお浄土へ参らせていただきます。」
お礼をつとめずにはおれない場所です。

 

※1
笑顔で鏡をのぞいたら
鏡の顔も笑ってた
怒って鏡をのぞいたら
鏡の顔も怒ってた
人間も鏡のようなもの
あなたが笑ってむかうなら
相手も笑ってこたえるだろう
あなたが怒ってむかうなら
相手も怒ってこたえるだろう
はたして どうか 
試してみよう
(『日々の糧』「20日 朝」より)

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

一秒の教え

【二つの食事】

 

先月の法要の最終日、
K総代が次のような挨拶をされました。

 

「ご参詣ありがとうございます。
さて、エピソードを一つ。
我が家の近くには野良猫が多く、
昼時になると餌をねだってきます。
餌をやると、ボス猫が食べ始めます。
その間、周りで他の猫は「まだかな」と待っています。
ボス猫が去り、他の猫たちが食べ始めると、
近くの木々に、雀がよってきます。
「早くご飯をいただきたい」とピーチクパーチク鳴きながら待っています。
(今、降りると自分たちが食事になりますから)。
猫たちが去ると、降りてきてチュンチュンと食べ始めます。

 

…動物はそこまでです。
食事をいただければ生きていけます。
だが人間はもう一つ、
み教えもいただいていきます。
食事と仏事をいただいて、初めて人間かもしれません。
ご一緒に、親鸞聖人のみ教えをいただきましょう。」

 

最初は固唾を呑みながら聞いていましたが、
有り難かったです。

 

同時に仏教徒の合い言葉である「三帰依文」の冒頭を思い出しました。

 

 人身(にんじん)受け難し、いますでに受く。
 仏法(ぶっぽう)聞き難し、いますでに聞く。

 

プランクトンからシロナガスクジラまで、
地球にいる数え切れない生命体の中で、
今、人間の生命をいただいています。
有り難いことです。

 

誰もが喜怒哀楽、波乱万丈の得がたい人生です。
そんなこの度の命、
不思議なご縁で仏法に出遇えました。
あっという間に過ぎ去る人生に、
正しい道を示されます。
迷いを迷いと知り、
迷いを超える道です。

 

【信心発得】

 

 仏道人身得がたくしていますでに得たり。
 浄土聞きがたくしていますでに聞けり。
 信心発しがたくしていますでに発せり。
  (『法事讃』より。『教行信証』化巻引用、註釈版p.412

 

親鸞聖人の仰ぐ七高僧の一人、
善導大師の言葉です。

 

仏さまの教え、
しかし中身は様々です。
「十三宗五十六派」
日本の古来の仏教の宗派の数です。
この数からもよく分かります。

 

数ある教えの中、
阿弥陀さまの話、
お浄土の教えを聞く人間はわずかです。
「お浄土?そんな聞いたこともない世界、死んだ後の世界なんて。」
しかし自らの大切な方が亡くなる等の経験を通して、
お浄土を聞くご縁の人があらわれます。
「世の中」でなく「世の外」、
この世を超えた世界を聞く人です。

 

阿弥陀さまが本願を立て、
あらゆるものを浄土へ生まれさせると誓い、
その誓い通り、
お念仏という行をもって、
お浄土へ生まれさせます。
浄土の世界は、まるで夢物語のような話ですが、
その教えを聞いて、お念仏申す人は、
本当にわずかです。

 

しかしそんな念仏行者で、
さらに「他力の念仏」、「他力の信心」を得る人は、
極めて稀です。
「他力? 私の心ぶりを問わない仏さま? そんな無茶な…」
「じゃあ、あんな悪い人も救われるのか? そんな馬鹿な…」
しかしお聴聞を通して、
他力に出遇う人がいます。
阿弥陀さまの一人働きでしたといただける人。
迷い悩む人生、愚かなわが身のまま、
ゆるぎない仏の心をいただき、
ただご恩を報じる生活をする人です。

 

他力の信心の人。
いただく前も後も、私の本性は何も変わりません。
言動も、行動も、外目には全く同じかもしれません。
ただ一つ、
仏さまの名のいわれ、
お念仏の値打ちには気づいた人です。
ある意味、「なんまんだぶ」、
それを見えない仏さまの声といただける人です。

 

【一秒の仏】

 

 「はじめまして」 この1秒ほどの短い言葉に、一生のときめきを感じることがある。

 

 「ありがとう」 この1秒ほどの言葉に、人のやさしさを知ることがある。

 

 「がんばって」 この1秒ほどの言葉で、勇気がよみがえってくることがある。

 

 「おめでとう」 この1秒ほどの言葉で、幸せにあふれることがある。

 

 「ごめんなさい」 この1秒ほどの言葉に、人の弱さを見ることがある。

 

 「さようなら」 この1秒ほどの言葉が、一生の別れになるときがある。

 

 1秒に喜び、1秒に泣く。

 

 一所懸命、1秒。

セイコーの1秒CMに出てくる「一秒の言葉」という詩です。
作者は「ブッタとシッタカブッタ」の4コマ漫画で有名な小泉吉宏さん。
一秒の大切さを表現しています。
たった一秒ですが、そこに言葉があることで、
とてつもない価値が生まれます。

 

お念仏も同様です。

「なまんだぶ」 この1秒ほどの短い言葉に、一生のときめきを感じます。

かけがえのない仏さまと出遇えました。

「なまんだぶ」 この1秒ほどの短い言葉に、仏さまのやさしさを知ります。

大悲の温かさに触れます。

「なまんだぶ」 この1秒ほどの短い言葉に、勇気がよみがえってきます。

見えない仏さまの苦労と功徳をいただきます。

「なまんだぶ」 この1秒ほどの短い言葉に、幸せがあふれます。

大悲の仏さまと出遇えた喜びです。

「なまんだぶ」 この1秒ほどの短い言葉に、私の弱さを見ます。

煩悩まみれのわが心があります。

「なまんだぶ」 この1秒ほどの短い言葉が、一生の別れを受けとめます。

名残惜しいですが、たとえ今日が最後であっても心配のない日暮らしです。

 

仏さまの夜昼休むことのない活動。
決して離さないお慈悲の光。
厳しい別れをいただきながら、
お念仏申しつつ、
「またお浄土で遇いましょう」と、
涙こぼす方もおられるかもしれません。

 

「なまんだぶ」
この1秒ほどの言葉が、私の一生を支えています。
この1秒ほどの言葉が、私を支える仏さまの姿です。
「なまんだぶ」
この1秒に、私の一生が入っています。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

夢のような人生

【成人式】

 

先日、小学校の「2分の1成人式」に参列しました。
私たちが子どもの頃にはありませんでしたが、
10歳を迎えたことを記念して行われる行事です。

 

最初、校長先生が子ども達に質問していました。
「この10年間、長かった人?」
誰もいません。
「短かった人!」
半分が挙手。
意外でした。

 

まだまだいろんな事がしたかったのに、
いつの間にか10年、
早かったなぁ…そんな思いでしょうか。

 

ところで、
参列者の私はというと、
ショパンの年齢を超え、
40になりました。
つまり「2分の4成人式」です。

 

ふり返ると様々な事が。
しかし子ども達同様、あっという間です。

 

少年老い易く学成り難し。
もっと学ぶべきことが沢山あるのですが、
手遅れです。
光陰矢のごとし。
月日の流れのはやい事に驚かされます。

 

限られた残りの人生。
その残りもすぐ終わります。
だからこそ何をすべきか。
はっきりと見定めたいものです。

 

【夢のごとし】

 

「月日の流れのはやさ」に関して、
親鸞聖人の著された『教行信証』には、
張倫(人偏→手偏)(ちょうりん)という人のこんな言葉が引用されています。
私訳すれば次のようです。

 

「『ナモアミダブツ』。
この阿弥陀さまの名ほど、身心ともに、
持続しやすい行はありません。
故に本来、お浄土ほど往きやすい処はありません。
お釈迦さまのあらゆる教えの中で、
これ以上、さとりの近道はないのです。

 

ですから清らかな朝のわずかな時間を割いて、
この「永遠に朽ちることのない功徳」をいただくべきです。
全く力のいらないお念仏。
それでいて得る功徳は量り知れません。

 

しかし人々は何の苦しみがあって、
この尊い法を捨て、
修めようとしないのでしょう。

 

ああ、人生は夢幻のようで、
真実(まこと)のものは何一つありません。
寿命ははかなく、長く保つことは困難です。
たった一度、呼吸が止まる事で来世となります。
人間の境界に戻れる見込みはほとんど不可能です。

 

今、人間であるこの時、真実の教えに目覚めなかったなら、
仏さまでも、どうすることもできないのです。
どうか、深く無常を考え、
いたずらに悔いを残さないでください。(※1)」

 

張リンさんは中国の南宋時代の在家の人です。
厚く念仏を敬い、
人々に念仏をすすめらえました。

 

「人生は夢のごとし。」
はかないです。
だからこそ、今ここに間に合う法を、
お釈迦さまは遺してくださいました。
「南無阿弥陀仏」のみ教えです。

 

【夢の人生】

 

阿弥陀さまは、
はるか前からの私をご覧になり、
その生き様に涙を流し、
「どうか救われてくれよ」と、
南無阿弥陀仏の名となって、
私から一時も離れない仏となられました。

 

何をしでかすか、
何を口に出すか、
何を心に思うか見当もつかない私。
たとえ積み上げた善業があっても、
悪業で一瞬にして灰になり、
罪業の山は途方もない高さになっています。

 

故に心配な仏さまは、
お慈悲の光を絶やすことなく、
常に私を照らし続けます。
「一人にはさせないよ。必ず浄土へ往生させるよ。」
と絶えず私の口から、
「南無阿弥陀仏」の声となって寄り添います。

 

南無阿弥陀仏の中に私の一生涯があります。
そして、
南無阿弥陀仏の中に私の未来があります。

 

それこそ吹けば飛ぶような価値の私です。
はかない人生。
しかしこのたび、
これ以上ない方に出遇いました。
かつての人生ではありえない貴重な人生。
それが念仏生活です。

 

「人生夢のごとし」。
しかし同じ夢でも、
「夢のような人生」が念仏生活です。
お念仏は、人生の価値を変えるのです。

 

【決意表明】

 

先ほどの2分の1成人式。
メインは決意表明です。
一人ひとりが体育館の壇上で、
元気よく声を出していました。

 

「私の名前は○○といいます。
両親につけてもらいました。
○○という願いがこめられているそうです。
将来は○○のような人になりたいと思います。
お父さんお母さん、今までありがとうございました。
これからも宜しくお願いします。」

 

大体、こんな形式が多かったです。
台本があるのか。
少し恥ずかしいですが、
堂々としたものです。

 

聞きながら考えました。
もしも2分の4成人式というのがあれば、
何と決意表明しようかしら。
以下の台本を考えました。
宜しければお使いください。

 

「私の名前は○○といいます。
そして、
私の仏さまの名前は「南無阿弥陀仏」といいます。
親様(仏さま)が自らつけられました。
「どこまでもいつまでもあなたを離さない」という願いと、
その願い通りの功徳が具わっているそうです。
将来は、お浄土へ参り仏さまにならせていただきます。
阿弥陀さま、本当にありがとうございました。
これからも罪深い私ですが、宜しくお願いします。」

 

(おわり)

 

※1:原語では、
「仏号はなはだ持ち易し、浄土はなはだ往き易し。
八万四千の法門、この捷径(せっけい)にしくなし。

 

ただよく清晨俛仰(しょうじんめんごう)の暇(いとま)を輟(や)めて、
つひに永劫不壊(ようごうふえ)の資(たすけ)をなすべし。
これすなはち力を用ゐることは、はなはだ微(び)にして、
功を収むることいまし尽くることあることなけん。

 

衆生またなんの苦しみあればか、みづから棄ててせざらんや。

 

ああ、夢幻にして真にあらず。寿夭(じゅよう)にして保ちがたし。
呼吸のあひだにすなはちこれ来生なり。
ひとたび人身を失ひつれば万劫にも復せず。

 

このとき悟らずは、仏もし衆生をいかがしたまはん。
願はくは深く無常を念じて、いたづらに後悔を貽(のこ)すことなかれと。」
   (『浄土真宗聖典(第二版)』, p. 176)

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

垢を落とす酉年

 

【酒年?】

 

先日、ようやく年賀状の整理が終わりました。

 

友人、仕事関係、ご門徒、お同行…。
字だけのシンプルなものから、
家族の写真が綺麗に写っているもの。
嬉しいものです。

 

その多くに、鳥のデザインが。
今年は酉年だからです。
鶏、鶴、白鳥、ドナルドダック…。

 

一枚、大きく「酒」が印字された年賀状がありました。
「今年は酒年ではありませんよ(笑)」と書いてあります。
逆に、一緒にたくさん呑もう、
たまには会おうという意味でしょう。

 

ちなみに、私はというと、
ご多分にもれず、鶏の絵画を使わせていただきました。

 

【御俗姓】

 

今年の2017年、干支は丁酉(ひのととら)です。
540年前の1477年も丁酉でした。
文明9年。
この年、蓮如上人は『御俗姓』(ごぞくしょう)を著しました。
親鸞聖人のご事績を述べ、
門徒の心得を説いたものです。

 

親鸞聖人の俗姓は藤原氏です。
9歳で出家し、比叡山の横川(よかわ)で、
20年間、悩みながら修行を続けられました。
29歳の時、法然上人と出遇い、比叡山を下りる決心をされます。
天台宗の学問・修行をやめ、法然上人の弟子になられたのです。

 

  「建仁辛酉(けんにんかのとのとり)の暦、雑行を捨てて本願に帰す」(教行信証)

 

浄土のみ教え、阿弥陀さまの本願に帰依されました。

 

それから90でご往生されるまで、
ひたすらお念仏を伝え、
人々を浄土に往生するよう勧められました。

 

酉年の今年、
聖人同様、
あらためて阿弥陀さまの本願に、
身と心を浸らせていただきます。

 

【木石にあらず】

 

「このご正忌(しょうき)をもって
 報謝の志を運ばざらん行者においては、
 まことにもって木石(ぼくせき)にひとしからんものなり」(『御俗姓』)

 

「親鸞聖人のご正忌(祥月命日)に、
報謝の志を運ばないものは木や石と変わらない。」
きつい表現です。
お礼ができない人間は、
心がないのと同じと言いたいのです。

 

木石ではありません。
心を持ったお互いです。
ましてや犬猫でもありません。
仏という真実に出遇える境界です。

 

お寺の法座へ足を運びましょう。
それが浄土真宗、門徒のたしなみです。

 

【垢を落とす】

 

「いかなる志をいたすといふとも、
 一念帰命の真実の信心を決定せざらんひとびとは、(略)
 『水入りて垢おちず』といへるたぐひなるべきか。」(御俗姓)

 

「どんな理由でお参りしても、
『一念帰命の真実の信心』
つまり『他力の信心』をいただけなかったら甲斐がない。
つまるところ、風呂に入ったのに垢が落ちていない。
垢が落ちてなければ、風呂に入った意味がない。」
これも厳しい言葉です。
お聴聞せよ、
阿弥陀さまの話を聞けと言いたいのです。

 

阿弥陀さまの救いは一瞬ですが、
わが心は、
お聴聞して一夜で変わるものではありません。
ですがおのずから自然と、
気づけばいつの間にやら、
垢は落ちていきます。

 

垢とは何か。
他力の反対。
「自力心(じりきしん)」です。

 

【要するに?】

 

「自力心の何がいけないのか?
自力心は、自らの力をたよる心。
自らを信じる心、つまり自信の事じゃないか。」

 

「自信は人間にとって大事な心の要素だ。
世の中で生きるためには、
必要不可欠な勇気だ。」

 

おっしゃる気持ちは分かります。
でもそういう意味の「自力心」ではありません。

 

世の中を生き抜く為、
自信や勇気を持つ事は素晴らしい事です。

 

しかし仏教の人生観は、
世の中だけでなく、
「世の外」まで視野に入れます。
損得、勝ち負けを超える道です。

 

悲しみの涙たえないわが身、
たった一人死んでいくわが孤独の解決の道です。
そんな仏道を歩む場合、
大きな障害になるもの、
それが自力心です。

 

自力心は、自らのはからい、おごりです。
言い換えると、
他力をはねつける心です。
阿弥陀さまの力を、
「ありのまま」に聞こうとしない心の作用です。
お慈悲をはねつける心。
またお慈悲を、
煩悩でふるいにかける心。
自ら都合良く聞く心です。

 

「要するに、浄土真宗とは阿弥陀さまが救ってくださるという事だ。」

 

その「要するに」という言葉に、
自力心がよくあらわれています。
仏さまのご恩を要約するのです。
短くまとめて、自分が合点します。
その合点した心の自信で、
人生の不安を克服しようとします。
人生の最後、その自信は壊れていきます。

 

【湯煙吸って】

 

法座は、ご法義のお風呂です。
世の中と違い、ゆったりとした時間が流れます。

 

世間体という服を脱ぎ捨て、裸になり、
お慈悲の湯船につかります。
お聴聞し、
法悦の湯煙を吸って帰ります。
お湯の成分とか効能は聞いて忘れます。
効能はじっくり入っているものです。

 

「ナンマンダブ。ナンマンダブ。
 阿弥陀さまが、この私を助けると言われる。」
以上、終わりです。

 

「(私、)心が癒やされた」、
「(私、)何か少し善い心になった」といった、
“私”中心、“自己中心”の心、
“自力心”の垢を落として帰るのです。

 

ヒントとしては、
お聴聞の後、
「良い話を聞いた」ではなく、
「有り難い話を聞いた」とつぶやきます。
私の“良い・悪い”という判断を入れないのです。
工夫してみてください。

 

聖人のご命日は、新暦で1月16日です。
当山では、1月26〜28日、「ご正忌報恩講」(ごしょうきほうおんこう)を勤めます。
ご門徒も、また近隣の方もどうぞお参りください。
一緒に、お風呂で垢を落としましょう。
法座の後の垢の掃除は住職のつとめ。
たくさんの垢が落ちている程、
住職は嬉しいのです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

念仏の道

 

【日本のペスタロッチ―】

 

東井義雄(とういよしお)さんは、
小学校の教師です。
日本のペスタロッチ―とよばれ、
常に子どもの側にある教育を目指し、
命の不思議、いのちの素晴らしさを説いてきた方です。

 

「一番はもちろん尊い、しかし一番より尊いビリだってある。」

 

多くの著作があり、多くの「ことば」が残されています。

 

また兵庫県豊岡市の浄土真宗、
東光寺住職でもありました。

 

「拝まない者も
 おがまれている
拝まないときも
おがまれている」

 

阿弥陀さまの心を、
学校と同じく、
子ども達に語るようにやさしく説かれました。

 

豊岡市にある「東井義雄記念館」。
いつかお寺の旅行で行ってみたいものです。
(きれいなホームページがあります。
よかったら閲覧してみてください)

 

【念仏とは】

 

お念仏の道

 

 新年に
 よいことばかりやってくるように
 つらいこと
 苦しいことはやってこないように
 そんなことを願っても
 それは無理というもの

 

 どんなことがやってきても
 おかげさまでと
 それによって
 人生を耕させてもらう道
 人生を深め
 豊穣にさせていただく道
 それが
 お念仏の道
     (『東井義雄 一日一言』12/30、214-215頁)

 

今年も新しい年が始まりました。
除夜会、元旦会と多くの方が本堂へ参詣くださいました。

 

「今年はこんな年にしたい。」
「○○を頑張ろう。」
それぞれの思い、願望があることでしょう。

 

どんなことがあろうとも、
見捨てない仏さまがおられます。
一直線に私に向けて、
「南無阿弥陀仏(なんじを離さぬ)」と、
喚びかけ、寄り添う仏。
その仏さまを“阿弥陀さま”と言います。

 

「拝まないときも おがんでいる」

 

阿弥陀さまは、
私が願い拝むはるか前から、
法蔵菩薩という名の下、
途方もない「本願」を建てられました。

 

「拝まない者も おがまれている」

 

煩悩から抜けきれない私です。
損得から離れられない私。
結果、仏さまの心なんて忘れっぱなしです。
いかに楽に、楽しく生きるかばかりに、
眼が向きがちです。

 

阿弥陀さまの目当ては、そんな私でした、
仏とは真反対の私の心。
罪悪深重の凡夫人。
通称“悪人”。
その悪人を「何としても救う」と、
“おがまれている”仏さまがいました。

 

今年も、365日、
お念仏と共に、
生かされた毎日を過ごさせていただきます。

 

阿弥陀さまの願いの風に吹かれ、
「われにまかせよ」という風の音を聞きながら、
正しき方向へ、
間違いのない道を進んでまいります。

 

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

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