山口県は岩国にある浄土真宗寺院のWebサイト

代数と浄土(3月下旬)

【3ひく5】

 

寺田寅彦のエッセー集『柿の種』にこんな一節がありました。

 

「三から五をひくといくつになる」と聞いてみると、
小学一年生は「零になる」と答える。 (前掲書39頁)

 

ほんとうだろうかと思い、
試しに息子に尋ねました。
最近塾に行きだし、数学が得意な小学5年生。

 

「3ひく5は?」
「……は?」
「3から5をひくと、いくつ?」
「……0.8?」

 

…おそらく3と5をたして10で割ったのでしょう。
複雑な計算ですが、間違えました。

 

次に娘に。
数学があまり好きではない小学3年生。

 

「3から5をひくと、いくつ?」
「ひけるわけないじゃん!」
あっさりと。

 

【規約】

 

子ども達が「3ひく5」に答えられないのは当然です。
小学校の段階では、
「小さな数から大きな数を引くことはできない」と、
教えられるからです。

 

しかし中学校になると早速、
「正数・負数」、
正の数、負の数を学びます。
マイナスの世界です。

 

零よりも大きな数。
それはたとえば黒板にリンゴをいくつか描くなどして表現できます。
しかし零よりも小さな数は、
どんなにリンゴを並べても、切っても、
表すことはできません。

 

しかし小さい数から大きな数を引くことをゆるせば、
こんな便利なことはありません。
そこで小さい数から大きい数を引くことができるような規約を決め、
マイナスという数を新しく学んでいくのです。
それが寺田先生云く、「代数学」です。

 

3から5をひくといくつになるか。
私たち大人はすぐに「-2」と答えます。
代数を知っているからです。

 

【いのち終わると】

 

私たちのみ教えのタイトルは「浄土真宗」です。
浄土の真実の教え。
この世のいのちの終わりを、
仏さまの彼岸の世界、
阿弥陀さまの「浄土」への往生といただきます。

 

しかし普通、答えはありません。
「生まれてからいのち終わると、どうなる?」
そうたずねた時、
「…天国(あの世)?」
というかもしれません。
はたまた、
「そんなのわかるわけないじゃないか!」
「考えたら憂鬱になる。」
もしくは苦笑しながら、
「死んだらおしまい」、ゼロです。

 

なぜ答えがないのか。
それは小学校では「小さい数から大きい数をひく」事ができないように、
聞いた事がないからです。

 

しかし代数を学ぶと「3−5」に答えが出ます。
それによって数学の世界が一気に広がります。
同様に、
仏さまの教え、阿弥陀さまの物語を聞く事によって、
「お浄土」という答えが出てきます。
それは、
その事によって仏教でいう所の真実、
救いの意味が私の人生に一気に広がるのです。

 

【救いの世界】

 

阿弥陀さまの話を聞いて見ると、
現実は今、出した息をふたたび吸う暇もない程、
無常な世界、死にゆく私でした。
3.11の震災や9.11のテロ事件も、それを証明しています。

 

しかし同時に、
そんな極めて不安定な私を見立てて、
「あなたの苦しみはわが苦しみだ」と誓い、
「あなたのいのちと共にありたい」と願う心があります。

 

私の心に流れ込むわけ隔てのない親心。
それを仏心、大慈悲心といいます。
いつでも変わらず人生の景色を、
救いと共にある風景にかえなします。
その願い心をして、
「このいのちの終わりはお浄土への誕生でした」と言わしめるのです。

 

小学校の算数は大切です。
しかし中学校レベルは、社会をより便利で豊かにします。

 

同様に、医学や倫理から考える「いのち」の見方は大切です。
しかしさらに仏さまのみ教えをいただく「いのち」の見方、
それは 人生を間違いなく豊かにします。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

どこかで生まれている(3月上旬)

【前夜】

 

晩ごはんで、
「明日はおじいちゃんの誕生日だね。」
という話題になりました。
本人も少し嬉しそう。

 

すると娘がこう言いました。
「じゃあ今日は、
ひいおばあちゃんがとっても苦しんだ日なんだね。」
一同が驚きました。
「考えた事がなかったなぁ…」と苦笑いの本人。

 

実はその頃、娘もまもなく誕生日でした。
あと何日でプレゼントがもらえるかと、
毎日ワクワクしています。
だからそういう想像もしていたのでしょう。

 

【忍びて】

 

私が生まれるという喜びは、
親の産みの苦しみとセットでした。

 

往生も同様です。

 

私がお浄土へ生まれるという事は、
簡単に言ってしまいますが、
喜びと共に、
仏の方のご苦労を想います。

 

「忍終不侮」(忍んで終に悔いず)
   『讃仏偈』

 

「他人まかせにはせぬぞ。
お前を必ず救ってみせる。勅命である!」
貫ぬかれた仏の願いがあります。
(仏さまの声のイメージとしては、個人的に、
NHK大河ドラマ「西郷どん」、渡辺謙が演じる島津斉彬の感じです。)

 

その親の側の決心と苦労に気づかされる時、
「ありがとうございます。」
お念仏は出るのかもしれません。

 

【どこかで春が】

 

「生まれる」といえば、今の季節、
この歌を思い出します。

 

どこかで春が 生まれてる♪
どこかで水が 流れ出す♪

 

どこかで雲雀(ひばり)が 鳴いている♪
どこかで芽の出る 音がする♪

 

山の三月 東風(こち)吹いて♪

 

どこかで春が 生まれてる♪

 

大正12年発表の歌「どこかで春が」。
95年も前ですが、色あせません。

 

生まれている春。
それは溶け出した水、
鳥のさえずり、
新芽の出現におのぞから現れ出ています。

 

春がここかしこに生まれています。
同様に、
仏さまもいたる所で生まれておられます。

 

【どこかであなたが】

 

鶯の一声は 春の至りなり 念仏の一声は 本願の至りなり(金子大栄)

 

今年1月から3月上旬と、
例年になくたくさんのお葬式がありました。
多くの方が亡くなられ、
悲しみの涙を見る日の多いこの頃。

 

けれども出遇いがご縁というように、
別れもご縁といただくのが仏教徒です。
大切な方の別離を聴聞のご縁とします。

 

お念仏申しつつ、
お釈迦さまのみ教え、
「南無阿弥陀仏」のおいわれを頂戴します。
なぜ「南無阿弥陀仏」があるのか。

 

阿弥陀さまの本願の物語を聞きます。
どのようなものも間違いなくお浄土へ生まれさせ、
“阿弥陀”という自身の功徳と同等の仏に仕上げる。
お誓い通りの証拠が南無阿弥陀仏。
お念仏の成り立ち、お慈悲の歴史を知ります。

 

AさんもBさんも、CさんもDさんも、
漏れなく浄土へ往生されました。
その証拠に私の口元にあらわれる名の仏様がおられます。
「再び迷いの境涯にまい戻らせはしない」と喚ぶ仏さまです。

 

私のつぶやくお念仏だけではありません。
見渡せば、水の流れ、鳥のさえずり、新芽の音に“春”の誕生を知るように、
生活の様々の変化に、
私を落とさぬ仏さまの到来を知らされます。
無常の風景は、無上の仏さまとの邂逅です。

 

「どこかで春が生まれてる♪」

 

今日もどこかでお念仏を喜んでいた人々が、
お浄土へ生まれておられます。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

浄土への信心開発(2月下旬)

【教え育む】

 

坊守と一緒になって、今年が13年目です。
13年目…あっという間でした。

 

同様に13回忌のご法事をしながらふと思います。
13回忌…あっという間でした。
でもあなたが伝え残してくれた「み教え」、
大切にいただきます。

 

み教え…それは「教育」とあるように「お育て」です。
生涯、私を育み成長させるものです。

 

昨今、宗教や宗教体験の語に代わって、
スピリチュアリティー(精神性)という言葉が流行しています。
気持も分かりますが、
宗教の「教」の字、「み教え」の部分を大切にしたいものです。

 

【木星】

 

今月8日の明け方、お寺の開門後に夜空を見上げると、
半月の真下に大きく輝く星がありました。
調べると、木星でした。
真っ暗い中、燦然と輝いています。

 

急いで家に戻り、小学生の息子と娘を起こしました。
「観てごらん、月の下のあたり…あれが木星だよ!」
「へぇ!」
子ども達も興奮し、息子は宇宙の本を開き出す始末。

 

今度は結婚13年目の妻の所へ。
「観てごらん、月の下のあたり…あれが木星だよ!」
「ふ〜ん。」
しばらく観た後、すぐ台所へ。

 

坊守の気持ち、分かります。
そんな余裕はないのです。
3番目の子が病気で熱……明後日は生活発表会だというのに。

 

……

 

世間の事が忙しい時、なかなかお法を聞く余裕はありません。
法事の時こそ、仏法を聞くチャンスです。

 

真っ暗で寒い中、しかし燦然と輝く星があるように、
冷たい苦悩の闇を打ち破って届く、お慈悲の光があります。
「お念仏してごらん。これが阿弥陀さまなんだよ。観てごらん。」
法事で、故人が仏さまの光を指し示しています。

 

それは阿弥陀さまの光…それは願いの光です。
「仏教の理屈は難しくて…」という前に、仏さまの願い心に出遇います。

 

【宇宙開発】

 

宇宙に関して、こんなエピソードを読みました。

 

「なぜ有人ロケットを作らないといけないのか。」

 

宇宙開発に反対する人が質問しました。
ロケット一つ作るのにも何百億円かかる宇宙開発は勿体ない。
それより貧困問題といった地球上の問題にお金を回すべきだと。

 

「科学的成果もないのに、人が行く意味があるのか?」

 

それに対する宇宙開発側の答えは様々あります。
生物的欲求、地球環境の問題、等々。

 

しかしある人はこう答えました。

 

「反対の人にどう納得してもらうか。
言葉では難しいです。
ではどうするか……連れて行くしかありません。
いずれ宇宙に近い時代が来た時、誰も文句を言わなくなると思います。」

 

地球の世界と宇宙の世界。
同じ世界ではありますが、次元が違うようです。

 

宇宙の無重力の世界は、
地球のスカイダイビングで経験する「フリーフォール」とは似て非なるものです。

 

たしかに地球のエベレスト頂上、360度のパノラマの空間は雄大です。
しかし宇宙空間という、上も下も、十方が無限のパノラマとは比較になりません。

 

宇宙開発をする理由。
そこには国の利益とか、生活の豊かさという以前に、
「みんなをこの宇宙という世界に連れていきたい」
という願いがあるのかもしれません。

 

【信心開発】

 

「生活上の問題が山積みなのに、仏壇にお礼をするなんて、
 そんなことに時間を割く必要性があるのか。」
「病気の辛さや、家族の別れの悲しみもまだないのに、
 お寺へ行って、仏法を聞く意味があるのか?」

 

勿論、仏法を聞く理由は様々あります。
煩悩の問題や罪業の問題、わたしの死の問題等。
しかしそれ以前に、
私ではなく、仏さま自身の願いがあります。

 

「あなたをわが国、浄土の世界へ連れていきたい。」

 

私たち凡夫の世界と仏の世界。
同じ世界ではありますが、次元が違います。

 

慈悲平等の世界は、差別をなき社会、福祉充実の社会とは似て非なるものです。

 

歴史が積み重ねてきた人間の知恵、科学の力は素晴らしいものです。
しかし無分別智という、仏さまのとらわれなき智慧とは比較になりません。

 

逆立ちしても凡夫は凡夫ですが、
凡夫だからこそ、仏の智慧と慈悲に出遇えます。
浄土真宗のお寺の存在理由です。

 

浄土の世界、信心開発(かいほつ)の世界。
お聴聞を通して出遇います。
ご一緒に歩いてみませんか?

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

如来の本命(2月上旬)

【第18願】

 

浄土真宗の根本の聖典は『仏説無量寿経』です。
お釈迦さまが私たちに阿弥陀さまのお救いを伝えてくださいます。

 

お経の中心になるのが法蔵菩薩(阿弥陀さま)の48願。
そしてその中でも中心が第18願です。
これを伝えんがためのお経です。

 

他の47願が悪いというわけではありません。
しかし第18願にこそ、
阿弥陀さまの本心が説かれてあります。

 

【ライターの本命】

 

話題になっている人を密着するテレビ番組「情熱大陸」。
昨年、コピーライターの佐々木圭一さんが出ていました。
『伝え方が9割』が100万部を超えるベストセラー中の方。
文字通り、伝え方の達人です。

 

番組の途中、
ある会社が佐々木さんにキャッチコピー(広告の宣伝文句)の依頼をしました。
「超高齢社会の地域包括ケアをクラウドで支える」
正しいけれど、わかりづらいので変えて欲しいとの事。

 

佐々木さんは依頼会社の仕事内容をよく調べ、
3日間で180パターン程の言葉を考えます。
さらに相手の立場にたってギリギリまで取捨選択。
40にしぼります。

 

「人を幸せにする仕事を、支えたい」
「35%時短できる 医療介護SNS」
「医療介護のダイナミックなネットワーク」
ねりあげたコピーにはそれぞれの思いがあります。

 

しかしそんな40の中、
「医療介護にダイナミックなこたえ」
これが密かな本命でした。
意味としても正しく、
会社名「○○ミック」とも「ダイナミック」の部分がマッチしています。

 

キャッチコピーを決める当日。
会社が選んだのは、「人生を抱きしめるクラウド」。
正しさよりも、感性に訴えたコピーを会社は選びました。
少し残念そうな佐々木さん。

 

【第19願】

 

阿弥陀さまの願いの本命は第18願です。
しかしかつて、
次の第19願を選ぶ人もいました。

 

あらゆる者よ、仏になりたいという心を発し、あらゆる功徳を積んで、
心を清め、真心(至心)から浄土に往生したいと欲へ。
さすれば臨終にあなたの前に私は現れるぞ。

 

ある意味、人間の感性にしっくりきます。
仏教徒として至極真面目な者がそこに願われています。

 

けれども阿弥陀さまの教えは、
どこまでも「お救い」の教えです。

 

「仏になりたい。」
そんな思いをおこす余裕もなき忙しき者。
功徳を積むどころか、
犬のようにつきまとう煩悩に心揺れ動かされ、
最後まで勝ち負け・損得・妬み嫉妬にかき乱される者。
阿弥陀さまが調べた
私という会社の仕事内容でした。

 

煩悩凡夫の私。
そのような者も等しく、
自分と同じ仏の境地に落ち着かせんがため、
建てられた願いは、無条件でした。

 

【お手回し】

 

あらゆる者よ、
『どのような者ももらさず救う』という私の真実の心、
そしてそのはたらきに出遇い、気づいておくれ。
その疑いのはれた心をもって、
往生を願い、念仏が申せる身になっておくれ。
必ずお浄土へ生まれさせん。

第18願という無条件の願いの内容です。

 

では第19願とは何か。
親鸞聖人はそこに、
「無条件の救い」以外の道を歩む者も、
決して見放さないという如来様の心をうかがわれました。

 

功徳を積む人。
至極真面目な人達です。
その人達も、
しかしながら「必ず間に合う救い」の第18願に誘い入れたい、
それが第19願の如来様の思し召しです。
これを方便(お手回し)といいます。

 

「今、ここに如来のお慈悲は余すところなく届いていました。」
「私が積むといった功徳より、はるかに大きな功徳に包まれていました。」
「気づけば自らの力をあてにする驕慢の道を歩んでいました。」
煩悩まみれの凡夫の私であった事に気づかされます。

 

伝え方の達人のお釈迦さま、
そして救いの達人の阿弥陀さま、
48願の中の本命は、
凡夫を救わんとする第18願。
凡夫の私とぴったりマッチする願いなのです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

宇宙から見た教え(1月おまけ)

【宇宙飛行士】

 

現在、宇宙で飛行中の金井宣茂(かない のりしげ)さん。
私と同い年です。
日々、twitterで宇宙の仕事を紹介してくださっています。

 

どうやって宇宙からtwitter(つぶやき)をしているのか仕組みは不明ですが、
読んでいるとなんだかそんなに遠くにいないような。
宇宙が身近に感じます。

 

宇宙への初飛行となる金井さんは、日本人(日系人)としては12人目だそうです。
六月の帰還が楽しみです。

 

【1月28日】

 

今月28日は、エリソン鬼塚さんの命日です。

 

ハワイ生まれの日系三世です。
姉2人、弟1人の4人兄弟。

 

高校卒業の時、宇宙への夢をいだき、
コロラド大学で航空工学を専攻します。

 

その年、アポロ11号が月面着陸。
自分も宇宙飛行士を目指すことを決めます。

 

お父さんが亡くなられるという悲しみもありますが、
見事、コロラド大学を卒業、空軍少尉に任官。
9年後、
スペースシャトル計画第一期飛行士候補へ応募し、
およそ8000人の志願者から35に選出されます。

 

厳しい訓練と多忙な毎日。
そして1982年、
第10回スペースシャトルの飛行士に任命されました。
日系人として初めての宇宙飛行士の誕生です。

 

1985年1月、
スペースシャトル・ディスカバリ−号に搭乗し始めて宇宙へ。
無事帰還した鬼塚さんは、
ハワイだけでなく、アメリカ、日本で大歓迎を受けます。

 

しかしその1年後、
今度はスペースシャトル・チャレンジャーに搭乗します。
5回の延期お後、ついに発射。
轟音と白煙を残して飛び立ちますが、
73秒後、爆発します。

 

チャレンジャー爆発事故。
宇宙飛行士七人の命が一度に失われた大惨事がおきました。
エリソンさんは39歳でした。

 

【法輪】

 

そんなエリソンさんは、仏教徒であり、
お念仏の家庭で育ちました。

 

五歳の時、
ハワイにご巡教された大谷光照ご門主さまより帰敬式を受けました。
「釈清隆」
お念仏をよろこぶ人に育って欲しいとの両親の強い願いのあらわれです。

 

またコナ本願寺のサンデースクールでお念仏のご縁にあいました。
高校時代は、ジュニア仏教青年会でご縁に。
会長に選ばれ、自分自身がご縁にあうと共に多くの会員を導きました。
また、自ら進んで、コナ本願寺のボーイスカウトにも入隊。
最高位のイーグル・スカウトに昇進しました。

 

【33回忌】

 

今年の1月28日、
エリソンさんの33回忌にあたります。
ハワイで浄土真宗の法事が営まれているでしょう。

 

姉や弟、さらに2人の子供たち、
親戚が集まっての仏事を想像します。
お姉さんの心境はいかがなものか。

 

「…あれから早いもので33回忌ね。
思い出すと辛いけど、
あなたの残したかけがえのないご縁、
大切にします。

 

おそらくあなたは仏教徒として初めて宇宙へ行った。
そして宇宙から地球を見た感動を話してくれたね。
『国境をつくり、差別をつくり、争っている私たちだが、
宇宙から見た地球は一つで全く国境なんてなかった…』
そんな事を話してくれました。
また“地球はこわれそうだ”と。
宇宙空間に浮いている地球に、
仏教の無常観を強く感じたのだと思います。

 

弟よ。
あれだけみんなから英雄だ、ヒーローだと拍手を受けながら、
一年後、
別れの言葉さえかけることが出来ずに、
この世から消えてしまった。

 

でも私も同じです。
本当にこの世は無常の世界。
一瞬で消えてしまう世界。
お別れも言えない世界。
そんなままならない世界という事を、
あなたは身をもって教えてくれましたね。

 

如来様のお心、
お念仏のお心を聞かせてもらわないといけませんね。
別れも何も間に合わない無常の世の中で、
いつでもどこでも間に合うお慈悲の世界。
別れのまま終わらない道を、
今度は私が聴聞させていただきます。

 

少しの間だけさようなら。
またお浄土で会いましょう。」

 

そんな風に故人を偲びつつ、
お礼をしておられることだと思います。

 

【法事の意義】

 

エリソンさんの法事だけではありませんでした。
どの方の命日、法事も同じです。

 

無常という海にただよう私と気づかされました。
自らの人生設計通りには全くいきません。
一瞬で一生が終わりになりかねない私。
だからこそ、
如来の救いの誓いを聴いた時、
全く違う風景が見えてきます。
一瞬一瞬に一生かけても出遇えないほどの広大なお徳がただよっていました。
私を落とさない功徳。
私と共にすでにありました。

 

お別れは言えなくても、
再び会うことのできる世界。

 

倶会一処(くえいっしょ)

 

ともにお浄土という一つの処で再会します。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

弥陀に本願(1月下旬)

【釈迦に説法】

 

 「釈迦に説法」という故事ことわざがあります。
その道のことを知り尽くしている人に、
それを教えようとする愚かさのたとえです。
「お坊さんに人生はどのようなものかを説くなんて、それこそ釈迦に説法だよ。」
という風に使う事もあれば、
「あなたにこんな事を言うのは‘釈迦に説法’かもしれませんが……。」
という風に謙虚に使うこともあります。

 

……

 

かつて歌手のさだまさしさんが、
友人の結婚披露宴に出席した時、
突然「一曲歌ってほしい」とリクエストされました。
突然の事でギターを準備していなかったさだまさしさんは、
会場でエレクトーンのお姉さんに「秋桜(こすもす)」の伴奏を頼みました。

 

エレクトーンのお姉さんはとても上手に前奏を弾き始めます。
さださんも「さすがだな」と感心しました。
そして歌い出そうとしたその時、
エレクトーンのお姉さんが「はい!」の一言。

 

「今です、どうぞ!」という合図なのでしょう。
さださん、思わず「知ってるよ!」

 

「秋桜」は作詞作曲、さだまさし。
合図されなくても当然わかります。
釈迦に説法、カッパに水練、
そして「さださんにコスモス」です。

 

【弥陀に本願】

 

法事の最初。
よく「三奉請」を唱えます。
最初は、

 

「奉請 弥陀如来 入道場 ♪」(ぶじょう みだにょらい にゅうどうじょう)
  (書き下し文:弥陀如来を奉請す。道場に入りたまへ。)

 

「阿弥陀さま、どうぞこの道場へ、仏法をいただく道場へお入りください」。
いつも寄り添ってくださるアミダさまですが、
いったん外へ退出していただき、
改めてお招きする言葉です。
厳粛な場と受けとめるためです。

 

 「奉請 釈迦如来 入道場 ♪」(ぶじょう しゃかにょらい にゅうどうじょう)
  (書き下し文:釈迦如来を奉請す。道場に入りたまへ。)

 

法事では各々、心中にて迎えたお釈迦と対座します。
そして読経。
お釈迦さまのご説法です。
イメージをふくらませます。

 

「どうせ人生、楽しんだ方が勝ち…」
「知っていますよ。仏教って…因果応報でしょ。」
「悪い事してはいけませんよね。」

 

余計な事は言いません、心の中でも。
釈迦に説法です。
読経を通して、ただお釈迦様のお話に耳を傾けます。
それは先ほどから側におられる、阿弥陀様のお話です。

 

【三点】

 

阿弥陀さまの話は、要約すると次の3点です。

 

 @覩見(とけん) :(私をご覧になった)
 A本願(ほんがん):(私に向かって願われた)
 B本願成就=名号(みょうごう):(私に向かってはたらいておられる。名の仏となられた)

 

@阿弥陀さまは法蔵菩薩であった時、
前々前世よりもずーっと、自ら迷い続けた凡夫の私とご覧になられました。

 

A凡夫の私をどうしたら救えるかと、五劫の間悩み続けた結果、
ご本願を打ち立てられます。
「そのまま救う」
仏の道と真反対の道に進まんとする私を救うためには、
自らがどこまでも摂めとって離さない慈悲の者とならなければなりませんでした。

 

また親鸞聖人の「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)」には、

 

「重誓名声聞十方(重ねて誓うらく、名の声、十方に聞かしめん)」

 

とあるように、
「わが名の声をもって響き救う」と誓われた仏さま。
どのような者にも聞こえる仏、
喚び声が届く、寄りそう仏になると願われました。

 

【名の仏】

 

B本願に誓われたお慈悲を完成する為、
費やした修行の年数は実に「兆載永劫(ちょうさいようごう)」、
果てしない時間です。
そして本願のお誓い通りの仏さまになられました。
名前は阿弥陀如来です。

 

そして、もう一つ「南無阿弥陀仏」。
わたしの口から出るお念仏です。
それも、お誓い通りの仏さまの名前といただきます。

 

たしかに「南無」とは、
一般的には唱える者の帰依を意味する言葉です。

 

しかし阿弥陀仏さまのお話をいただいてみると、
仏さまの「南無してくれよ(あなたを救う仏はここいるよ)」、
心が浮かび上がってきます。
仏の道から離れ続けようとする私を引き戻す、仏さまのお言葉です。

 

「名の声をどこまでも広める」と誓われた仏さま。
「南無阿弥陀仏」の念仏は、
仏さまの名前であり、声であり、
まさに仏さまのお心そのものなのです。

 

 「奉請 十方如来 入道場 ♪」(ぶじょう しゃかにょらい にゅうどうじょう)
  (書き下し文:十方如来を奉請す。道場に入りたまへ。)

 

阿弥陀さま、お釈迦さま以外の、
あらゆる仏さまが十方如来。
故人もそのお一人といただきます。
みな一様に、阿弥陀さまを慕うことをすすめられます。
お念仏をすすめ、
仏さまに出遇うことをすすめ、
お浄土での再会を待ち望んでおられます。

 

【弥陀に本願】

 

お仏壇の中の阿弥陀さま。
木像ではありますが、それを生身の阿弥陀さまと見上げます。

 

「どうかお救いください。」
「きっとお浄土…もし無理なら天国へでも行けると信じています…」
余計な事は願ったり信じたりしません。
それはまさに、
「釈迦に説法」ならぬ「弥陀に本願」です。

 

「南無阿弥陀仏」と、
お念仏を通して、ただ阿弥陀様の救いの喚び声、
「われにまかせよ」を聞くばかりです。

 

法事はお育てです。
多くの先人が、みな十方如来、数多くの仏さまとなって、
お釈迦さま同様、
阿弥陀さまという他力の救いを知らせようとくださいます。
他ならぬ私自身に、今、間に合うご法義です。

 

「南無阿弥陀仏(私はここだよ)」

 

もう阿弥陀様に「お救いください」と頼もうとは思いません。
頼もうとしなくても、
どんなときでも阿弥陀様の法が「頼むから救われてくれ」と願ってくださっているのです。
だからこそ、
大切に大切に法事をつとめ、

 

「南無阿弥陀仏(ありがとうございます)」

 

お礼をいたします。

 

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

言葉にならない(1月上旬)

【称えられず】

 

あなたに会えて ほんとうによかった
嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない
(小田和正「言葉にできない」)

 

明けまして、南無阿弥陀仏、おめでとうございます。
今年も、少しずつ法話を掲載させていただきます。

 

 

今年は戌年、干支でいえば11番目の年です。

 

11番目といえば、
阿弥陀さまの光の名を十二光といいますが、
11番目の名は「無称光仏(むしょうこうぶつ)」といいます。

 

大いなる阿弥陀さまの光は、
どれだけ言葉を並べても説きつくすことができません。
「称える事ができない光の仏さま」故に、
阿弥陀さまを無称光仏というのです。

 

どのような表現方法も及ばない仏さま。
言葉にならない、言葉にできない仏さま。
「無称光仏」とは、
仏さまが私たちの智慧を超えた存在であることを示しています。

 

そして同時に、
そんな大いなる仏に出遇った者の“喜びの心境”でもあります。
姿も形もなき光の仏、遇いがたき仏に、
今、出遇っている感動の言葉なのです。

 

【何もいえねぇ】

 

今から10年前の2008年北京オリンピック。
水泳の北島康介選手が100m平泳ぎで新記録・金メダルを獲得しました。
アテネオリンピックに続く二連覇です。
その時のインタビューで言った言葉が、
「なんも言えねえ」
新語・流行語大賞にもノミネートされました。

 

「お世話になった方々への感謝を口にしようとしていたが、
こみ上げてくる思いで言葉が出なかった」のだそうです。

 

周りから受ける重圧は相当なものだったと思います。
それがこれ以上ない結果になりました。

 

自分も相当苦しいトレーニングを積んだことでしょう。
しかしだからこそふり返れば、
そんな自分が精一杯精進できるように、
陰日向で支えてくれた多くの人達がいました。
どのような感謝の言葉を口にしたらよいのか。
こみ上げてくる喜びの涙を必死で抑えるため、
いよいよ言葉が出てきませんでした。

 

【光の道】

 

私たちには動物には沸き起こらない疑問があります。

 

・なぜ人間として生まれたのか。
・なぜ人間として生まれなければならなかったのか。
・人間として真摯に生きていくとはどういうことか。

 

その全ての疑問に答えるのが仏教です。
すなわち、迷いの境涯からさとり(ブッダ・仏陀・仏)の境涯に向かうための教え。
そのために、
この私をさとりの境涯へ変えなす功徳をふり向ける存在、
智慧と慈悲の仏さまに出遇います。
それが仏教徒です。

 

「南無阿弥陀仏」という言葉は、
仏さまの救いのはたらきを意味します。

 

煩悩を障害りとせず、
一直線に私に届いた光の仏さま。
その光のお徳をいただく私は、
どれほどの煩悩・罪障という障害があろうとも、
全く障りとならないお浄土で仏となる道を歩みます。

 

この人間境涯には目的がありました。
この人間境涯には意味がありました。
正しい道、揺らぐことのない道でした。

 

「南無阿弥陀仏」

 

たった一言のお念仏ですが、
そこには阿弥陀さまとの一心同体の道、
言葉にならない程の喜びあふれる光の道を聞かせていただきます。

 

無称光。
称えつくすことができない光。
逆にいえば、生涯、語り尽くしてもあくことなき仏さまの話。
今年もそんな仏法を讃嘆して参りたいと思います。

 

(おわり)    ※冒頭へ

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