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正信偈の13人

【正信偈の13人】

 

今週日曜日、12月18日、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』最終回です。
全48回、楽しませてもらいました。

 

源頼朝(鎌倉殿)の家来13人の壮絶な戦い。
武士社会の厳しさを考えさせられもしました。

 

ところで今、お取り越しで読んでいる『正信偈』。
仏さまも含めて登場人物は何人でしょうか?

 

「……分かりません。」

 

正解です。「諸仏」「一切善悪凡夫人」はとても数えられません。

 

ですが特定の名前の人だけにすると、
実は『鎌倉殿』と同じ13人です。

 

  • @阿弥陀さま(法蔵菩薩)
  • Aお釈迦さま
  • B世自在王仏
  • C七高僧:龍樹菩薩
  • D七高僧:天親菩薩
  • E七高僧:曇鸞大師
  • F七高僧:道綽禅師
  • G七高僧:善導大師
  • H七高僧:源信和尚
  • I七高僧:源空上人
  • J梁の天子
  • K三蔵流支
  • L韋提希

 

「阿弥陀さまと法蔵菩薩は別なのでは?」

 

そういう見方もできますね(笑)
でも法蔵菩薩が五劫の間思惟し、本願をおこし、
兆載永劫の修行の末に仏さまになったのが「阿弥陀さま」です。
そういう意味では同一人物です。
……別に『鎌倉殿』に人数をあわせる必要はないので、
14人でも正解です。

 

※参照:季刊せいてん

 

【親鸞聖人】

 

先日、この事をお取り越しでMさんにおたずねすると、

 

「親鸞聖人の名前はでないのですか?」

 

とたずねられました。

 

「残念ですがありませんね。」と言いながら、
その後、考えてしまいました。

 

たしかに親鸞聖人のお名前はありませんが、
主語は親鸞聖人です。
冒頭の「帰命無量寿如来」を書き下せば、
「無量寿如来に帰命す」ですが、
現代語にすれば、
「私親鸞は無量寿如来に帰命いたします」、
主語は親鸞聖人です。
正信偈は偈文なので分かりにくいですが、
主語はほとんど、正信偈を書かれた親鸞聖人です。

 

なお源信和尚をたたえる箇所に「我」が二ヶ所あります。

 

極重悪人唯称仏
亦在彼摂取中
煩悩障眼雖不見
大悲無倦常照

 

この「我」は源信和尚の『往生要集』のお言葉ですから、
本来は「我」は源信和尚です。

 

しかし、ここでは親鸞聖人がみずからが、
煩悩でみえないけれども、
間違いなく阿弥陀さまは私を照らしてくださっている、
そう喜ばれている箇所でしょう。

 

聖人(親鸞)のつねの仰せには、
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、
ひとへに親鸞一人がためなりけり。
されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、
たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」(歎異抄)

 

『歎異抄』に出てくる金言です。

 

正信偈の13人。
しかしその中心は間違いなく鎌倉殿ならぬ親鸞聖人であり、
そして正信偈を拝読する私たち自身と受けとめさせていただきます。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

鬼神と念仏

【地鎮祭と起工式】

 

先月から第二納骨堂建設の工事が始まりました。
11月24日に鐘楼も無事に宙づりで移動。
12月6日、惜しまれつつも銀杏を伐採しました。

 

さて先日の話し合いで「起工式」の日程を決めました。
後日、工事の方がやってきました。

 

「“地鎮祭”で使用する鍬入れの道具を保管してください。」

 

「わかりました」と言いつつ、心の中で苦笑いしてしまいました。
(「地鎮祭……いえ、起工式です。」)

 

地鎮祭は神道の言い方で、
工事が無事に終わるように安全祈願する儀式です。
その土地を守る神様に土地を利用させてもらう許可を得て、
工事の安全を祈願するという意味があるそうです。

 

それに対して、
浄土真宗は「地(の神)を鎮める」ことが目的ではありません。
この度の工事の縁がととのったことをよろこび、
仏のご恩に感謝して完成の決意をあらたにするために、
「起工式」をつとめます。

 

……似たような話として「慰霊祭」があります。
死者の霊、故人の遺徳を偲び、慰めることを目的とした祭儀。
死者の魂を慰めるという意味があるそうです。

 

それに対して、
浄土真宗は「追悼法要」と言います。
「霊魂を慰める」ことが目的ではありません。
別れを悼みつつ、その悲しみを仏縁として、
自分自身の念仏の道を確かめさせていただきます。

 

【鬼神】

 

氏神や霊魂を敬う神道。
対して、浄土真宗は阿弥陀仏に帰依します。
敬う対象が異なります。
おのずと儀式の名前も意味合いも異なるのです。

 

決して“神様”を無視しているわけではありません。
ただ神と念仏者の関係を考えてみた場合、
たとえば親鸞聖人は次のような「現世利益和讃」を作られました。

 

天神・地祇はことごとく 善鬼神となづけたり
これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり

 

 (天地の大いなる神々は、みな善鬼神と申しあげる。
 これらの神々はみなともに、念仏する人を護るのである。)

 

願力不思議の信心は 大菩提心なりければ
天地にみてる悪鬼神 みなことごとくおそるなり

 

 (思いはかることのできない本願のはたらきによる信心は、
 大いなるさとりを求める心でもあるので、
 天地に満ちている悪鬼神がみなそろって畏れるのである。)
  (以上、『現代語訳 三帖和讃』63頁)

 

阿弥陀さまと二人連れの人生の念仏者。
いつでも阿弥陀さまと一緒です。

 

そんな念仏者に対して、
仏法に帰依する善鬼神と、帰依しない悪鬼神。
善鬼神は念仏者を敬い守護し、
悪鬼神は念仏者を畏れ害する事などできるはずがありません。
それほどのお慈悲でありましたと喜ばれている親鸞聖人の和讃です。

 

地の神に限らず、
山の神、川の神、草の神、木の神、
数え切れない善悪の神が存在していても、
念仏者は阿弥陀さまを、
「念仏ひとつ」をいただきます。
それは決して神様をないがしろにしているわけではありません。
ましてや他の諸仏を軽んじているわけでもありません。
全ての神仏に見守られる浄土への道です。

 

様々な天災におそわれても、
それも仏縁と歩ませていただきます。

 

「困った時の神頼み」も「神も仏もあるものか」にも、
まったく用事がないのです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

あるお同行の手紙

【お同行】

 

それは秋のお彼岸中の突然の来訪でした。

 

「私はHの娘です。
実は長年、専徳寺の法座へ参っていた母Hが、
今年の夏、浄土に旅立ちました。
生前、『専徳寺さんには大変お世話になった』と申しておりました。
ご報告と、
お気持ちばかりですがお供えください。」

 

お布施とお手紙を頂戴いたしました。

 

Hさんは、隣町にお住まいの“お同行”でした。

 

「お同行」というのは、この辺りでは、
自分の所属のお寺だけでなく、
仲間と共にいろいろなお寺の法座へお参りし、
お聴聞を喜ばれる方の呼び名です。

 

私がお寺に戻る前からよくお参りくださっていました。
私が住職になってからもそれは続き、
法座を欠席される時は「ご法礼」をわざわざ送ってくださいました。
しかし10年前に、
「(いよいよ高齢になり、)もうお参りできそうにありません」と、
法座案内のお断りの丁重な手紙をもらったのが最期でした。

 

最期のお手紙の一文が印象的でした。

 

「私は右半身がききませんが、四点杖をついてボチボチ歩いています。
行き先がわかっている私は楽しく、楽しく暮らしております。
専徳寺にお参りした気分でおります」

 

とても有難いお婆ちゃんでした。

 

【手紙と詩】

 

いただいた手紙には次のように書いてありました。

 

出会えた皆様とお導きくださった仏法に心より感謝いたします。

 

謹啓 
故 H存命中はひとかたならぬご懇情を賜りまして誠にありがたく謹んでお礼申しあげます。

 

8月17日に入院先の○○○病院で眠るように穏やかに、
お浄土に旅立ちました。

 

95年の人生を豊かに歩んだ母の教えの数々が、
次々に思い起こされております。
『親が子に残す最大の遺産は 死に行く姿を見せてくれることだ』
という言葉は、専徳寺様のお説教で聞いて、
強く心に残っていると言っていました。

 

コロナ禍の中で、施設に入所している母との面会がままならない中、
日々おとろえる母の姿から、いのち、人生無常……などいっぱい考えました。
母は長い年月をかけて沢山の方々の助けをお借りしながら、
心豊かに生き、その方たちを穏やかに和ませて、
長寿の幕を下ろしたように思います。

 

長い間本当にお世話になりました。有難うございました。・・・

 

娘さんの手紙には、
Hさんが脳梗塞を患う前に書いてくれた手紙のコピーが同封してありました。

 

「ありがとう」

 

いい親兄弟に恵まれて
  本当にしあわせでした ありがとう
いい子供や孫に恵まれて
  本当にしあわせでした ありがとう
いい家に嫁に来れて 仏法にあいました
  本当にありがとう
いい家族 親族に恵まれて
  しあわせに暮らしました ありがとう
いい人々に いっぱいあい
  楽しく暮らしました ありがとう
汗をかきながら精一杯 生きられて
  しあわせでした ありがとう
とりわけ仏法にあい 生きるよりどころ
死んで行く世界を知ることができ
又会える世界へ安心して行けます
ありがたい事です ありがとう 称名

 

【人は去っても】

 

人は去っても その人の言葉は去らない
人は去っても その人のぬくもりは去らない
人は去っても拝む手の中に帰ってくる
      (元相愛大学長 中西智海)

 

最期お会いすることはかないませんでしたが、
Hさんとはいつでも、
報恩のお念仏の中であうことができます。

 

ご縁がなければいつまでも便利さばかり求め、
生にしがみつき、老病死の現実をさける私たち。
しかし不思議なご縁がととのい、
生活の便利さから、人生の大利(※)へと目が向く身となります。

 

お念仏の利益を共に恵まれ喜びあうお同行がいます。
こんな方々に支えられて、
お寺はお寺らしく成り立っていけるのです。

 

※親鸞聖人は浄土和讃で、
  阿弥陀仏の御名をきき
  歓喜讃仰せしむれば
  功徳の宝を具足して
  一念大利無上なり
と詠われ、「大利」に「涅槃に入るを大利といふなり」と左訓されました。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

魔除け知らず

 

【お取り越し】

 

親鸞聖人のご命日法要「お取越参り」が始まりました。
1月16日のご命日を前もって(取り越して)勤めるので「お取り越し」といいます。

 

とても丁寧にお花を飾られる家があります。
「わが家は“お逮夜”、家族の月命日のお仏壇参りを大切にしています」等、
その家の習慣を教えてもらったりもします。

 

故人のエピソードも聞かせてもらいます。

 

「母、最期に入院する時、お仏飯は玄米でした。
日持ちさせるためでしょう。
私がお仏壇にお給仕するのを忘れる事をみこしていたのだと思います。
母にいらん心配をさせてしまいました。」

 

それからMさんは毎朝のお仏壇のお勤めをきちんとされるようになったそうです。

 

【お取り越し】

 

……忙しくてお仏壇のお飾りが乱れている所もあります。

 

また中にはこんな事も。

 

先日、某家にお参りに行きました。

 

お勤めを始める準備をしていると、
後ろで夫婦の声が聞こえます。

 

「はい、念珠をかけて。」
「うん、わかった。」
「じゃあ、これもかけて。」
「これもか? なんだこれは?」
「とにかくかけるのよ。」
「魔除けか?」

 

魔除け……いえ、式章です。

 

【ハロウィン】

 

ご主人の言動に苦笑いしながら思い出したのが、
「魔除け」といえば、先月の最期はハロウィンでした。
日本にもだいぶ浸透してきた仮装パーティー。

 

死者を迎える行事のようです。
季節の節目に死者が幽霊や悪魔として戻ってきます。
子ども達は危険な目にあわないように、
お化けの仮装をします。
それが今では大人も大騒ぎの仮装パーティーに。
少し怖いけれど楽しい、
それがハロウィンでしょうか。

 

……韓国でいたましい事件がありました。
韓国・梨泰院のハロウィン圧死事故。
150人以上の死者が出ました。

 

他人事とは思わず、
どんな時でも「死はとなりにある」事を、
あらためて教えさせられた事です。

 

【魔除けしらず】

 

『歎異抄』第7条は次のようにあります。

 

(7)
一 念仏者は無碍の一道なり。
そのいはれいかんとならば、
信心の行者には天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。
罪悪も業報を感ずることあたはず、諸善もおよぶことなきゆゑなりと[云々]。

 

(【現代語訳】
念仏者は、何ものにもさまたげられないただひとすじの道を歩むものです。
それはなぜかというと、本願を信じて念仏する人には、
あらゆる神々が敬ってひれ伏し、
悪魔も、よこしまな教えを信じるものも、その歩みをさまたげることはなく、
また、どのような罪悪もその報いをもたらすことはできず、
どのような善も本願の念仏には及ばないからです。
このように親鸞聖人は仰せになりました。
(『歎異抄(現代語訳)』(本願寺出版)13頁)

 

同じく親鸞聖人は次の和讃を作成されました。

 

(104)
南無阿弥陀仏をとなふれば
 炎魔法王尊敬す
 五道の冥官みなともに
 よるひるつねにまもるなり

 

(105)
南無阿弥陀仏をとなふれば
 他化天の大魔王
 釈迦牟尼仏のみまへにて
 まもらんとこそちかひしか

 

罪を裁く地獄の閻魔法王も
仏道を障げる欲界の大魔王も、
念仏者の仏道を障げることはできません。

 

罪業も欲望も浄土に到る仏縁となる念仏です。
凡夫の身の上のまま如来の慈悲にいだかれ進みます。

 

浄土真宗に「魔除け」は必要ありません。
お念仏一つで十分です。

 

そして報恩感謝の生活につとめます。
せっかく照らされている仏の無礙光むげこうを無下にせず、
「仏さまを悲しませるまねはすまい」と、
謹んで仏教生活を満喫します。

 

「お取り越し」参りを大切に勤める浄土真宗。
とはいっても「取り越し苦労」、
「どうなるかわからないことをあれこれ心配する事」はしません。
「死んだらどうなるのか。今のうちに浄土を勉強しないと、功徳を積んでおかないと……」はありません。
かといって、
「死んだ後なんかわかるもんか! 今のうちに楽しんどかないと」とも違います。

 

「用事はすんでいました。
何があっても、もう間に合っていました」とお礼のお念仏です。
取り越し苦労ではなく、
今届いている救いに前もって安らぎを得た境地、
「取り越し安心」のお念仏の日暮らしなのです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

榎本栄一さんを偲んで

【25回忌】

 

     ここ

 

  下駄であるき
  自転車で走り
  どこまでいっても
  ここは無量光の世界
            栄 一
             (『群生海』冒頭より)

 

今月18日は、「市井の仏教詩人」榎本栄一さんの25回忌です。

 

榎本栄一さんは1903(明治36)年生まれ。
徳島県に生まれ大阪で育ちました。
10代で父親を亡くし、母親と一緒に化粧品店の仕事を継がれました。
1945(昭和20)年3月、大阪大空襲で淡路島へ。
1950(昭和25)年、東大阪市で化粧品店を再開し、
1979(昭和54)年の75-76歳まで続けられました。

 

そんな仕事に苦労されながら、榎本さんは様々な仏縁を通して、
浄土真宗、お念仏に出遇われます。

 

そして60歳を超えて本格的に詩を執筆されました。

 

1974(昭和49)年、真宗大谷派難波別院から詩集『群生海』が出版されました。
続いて1978(昭和53)年には『煩悩林』が出版。
以後、「念仏のうた」シリーズとして、
『難度海』『光明土』『常照我』『無辺光』『尽十方』『無上仏』が世に出されました。

 

1994(平成6)年、仏教伝道文化章を受賞。
1998(平成10)年、数えの96歳でご往生されました。

 

【ぞうきん】

 

堅苦しい仏教の言葉を使わず、
生活の中からつむぎ出されたお念仏の詩集。
短い詩ばかりですが、
どれをとっても味わいぶかいものがあります。

 

有名な詩の中に「ぞうきん」があります。

 

     ぞうきん

 

  ぞうきんは
  他のよごれを
  いっしょけんめい拭いて
  自分は よごれにまみれている
  (『群生海』106頁)

 

この詩に感動した 京都府立大学名誉教授の西元宗助師は、
以下の感想を述べられました。

 

「わたしは、この詩をよむまで、ただの一度も雑巾のことを想ったことがない。
わたしという人間は、胸のポケットの飾り用の白いハンケチを大切にこそすれ、
台所の片隅につつましくしている雑巾には目もくれず見下してきたのではないか。
そしてそのような私であるのではないか。
しかしこの雑巾こそ、まさしく大慈大悲の法蔵菩薩のおん姿でもあるのではないかと、
思ったとたん、たまらない気持になった。」
  『ここに道あり』(探究社刊)

 

【西の空】

 

榎本栄一さんの詩はインターネットで探すとたくさん出てきます。

 

そんな中、
本願寺から出版されている『季刊 せいてん』では、NO.118〜134まで、
最期のページに「西の空(心に響くことば)」と題して榎本栄一の詩が紹介されました。

 

そのいくつか紹介させていただきます。

 

天井画

  小さなはな

 

人のいうことを
ナルホドそうかと
うなずけたら
何か そこには
小さな花が咲くようである

 

  くだり坂

 

くだり坂には
またくだり坂の
風光がある

 

 

  冬

 

ときに
しくじりながら
一日いちにちの味ふかくなる

 

天井画

 

  おかげ

 

ここまでくると
逆境も
おかげさまでございました

 

 

  不捨

 

この不完全な私が
順縁 逆縁
あらゆる人びとから
お育てをいただく
ここは仏捨てたまわざる世界

 

天井画

 

  朝

 

自分がどれだけ
世に役立っているかより
自分が無限に
世に支えられていることが
朝の微風のなかでわかってくる

 

 

  あるく

 

私を見ていてくださる
人があり
私を照らしてくださる
人があるので
私はくじけずに
こんにちをあるく

 

天井画

 

  ひとりごと

 

むずかしい
この世にうまれ
曲がりくねって流れたが
いつからともなく
親鸞さまと一緒でした

 

 

他にも種々あります。
おもとめては本願寺出版へ。

 

何かお好きな詩が見つかったでしょうか?

 

覚えなければダメというわけではありませんが、
詩に限らず、気に行った短歌、俳句調の法語を覚えている事は、
よりお念仏の生活を豊かにすると思います。

 

榎本さんの詩、よろしければこの25回忌を縁に、
巡ってみてください。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

彼岸の花

【毒花】

 

先月、法要前の掃除の後のお茶の席で、
こんな会話が聞こえてきました。

 

「こないだお墓に参ったらヒガンバナがお供えしてあった。」
「ヒガンバナって曼珠沙華よね?」
「お供えしていいの?」
「あまり聞かないわよね。」
「今の若い人は知らないのかもね。」

 

ひとしきり楽しくおしゃべりしていました。

 

話題にあがったヒガンバナは
花茎の先に強く反り返った鮮やかな赤い花であり、
九月下旬、秋のお彼岸を代表する花です。

 

そしてもう一つの特徴が球根です。
ヒガンバナの球根はデンプンが多く、
飢饉の時の非常食として大変重宝されました。

 

ところがこの球根には、
リコリンという強い有毒成分があります。
水溶性の毒なのですが、
きちんと毒抜きをしないと大変な事になると、
昔の人は知っていました。

 

ヒガンバナは民家の近く、
土手やお墓等に植えられました。
非常食としても大事であり、
またその毒性からモグラなど土を荒らす動物を遠ざける役割もあったようです。

 

昔から有名な毒花だったヒガンバナです。
仏さまのお心をあらわす花にふさわしくないと、
昔の人は仏華に避けたのでした。
……ちなみに水仙も球根に毒性がある花です。
でも仏華には使用されます。
おそらく食べないからでしょう(苦笑)

 

【文殊と同じ】

 

このヒガンバナは別名「曼珠沙華」といいます。

 

曼珠沙華はmañjūṣakaというサンスクリット語の音写です。
仏典に出てくる花の名前です。
(正確には「曼沙華」として出る場合が多いようです。)

 

manjuは「妙なる(愛すべき、美しい、魅力のある)」という意味です。
同じ単語を持つのが文殊菩薩、mañjuśrī。
「曼珠」と「文殊」の原語は同じなのです。

 

 

【念仏の花】

 

  お彼岸に しみじみ思う 身のおろか(木村無相)

 

太陽がお浄土のある真西に沈むお彼岸。
そんな時節に咲くヒガンバナに、
わが身をふり返ります。

 

人生の未来に彼岸、お浄土をもって歩む念仏者。
いつでも弥陀と共にある事を喜びつつ、
同時に知らされるわが身の愚かさ。

 

ヒガンバナのごとき毒ある私です。
邪見と驕慢にみちた心は、
どれだけ水につけても毒抜きできません。
苦悩をこえたさとりの境地には程遠い存在です。

 

だからこそ弥陀の誓いは私の中で躍動しています。
私の中に「曼珠沙華」、
妙なる念仏の花が開きます。

 

わが煩悩という毒性の球根からは咲くはずのない花。
わが凡夫の人生が終わり枯れても枯れない仏の花。
その花と共にお彼岸、お浄土で仏となるお念仏の道。
「みなで共に彼岸に参ろう」と味わうお彼岸です。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

キンモクセイ

【自然の声】

 

O先生は、大学院の恩師です。
20年前、
先生を囲んで仲間と共に経典をじっくり学んだ日々。
今でも懐かしくかけがえのない思い出です。

 

自然の声に聞く

O先生には『自然の声に聞く』(自照社出版)といいう法話集があります。
「自然」は「じねん」と読みます。
山川草木の自然(しぜん)。
そこから流れてくる人間のはからいをこえた「自ずから然らしめる」という道理、仏教の自然(じねん)の道理をやさしくお話されています

 

注意してみると、タイトルは「声を聞く」ではなく「声に聞く」です。
「を」ではなく「に」とすることで、
自然(しぜん)を観察するのではなく、
むしろ自然(しぜん)に教えられる、
大自然のごとき大きな仏のはたらきを聞かせていただく、
そんな意図がうかがえます。

 

O先生のご法話より今の季節の一話をご紹介させていただきます。

 

【キンモクセイ】

キンモクセイ

キンモクセイは、別称、九里香くりこうというそうです。
九里ほど離れた遠くまで、芳香を漂わせていくというところから名づけられたものでしょう。
住宅街の裏道に入ると、突然薫ってきて、
あたりを見廻すとキンモクセイでした。
また、香りが漂ってきても、
そのありかがわからず探すこともあります。

 

知らない人はいないほどの木ですが、よせる思いもさまざまです。
ある人は、酷暑も遠ざかり、秋へいざなってくれるといいます。
また、香りは記憶をよびさますということから、
幼い頃を思い出すという方もいらっしゃいます。
遠い昔、職場の中に立て掛けられていた標語のことばにじっと見入っていた自分を思い出します。
そこには、

 

  姿より、香りに生きる花もある

 

と書かれてありました。
モクセイの花はどこかひかえ目で、目立たないので、地味な香炉であるといわれることもあります。
春に咲く桜の花は派手で、自己主張が強く自慢げにみえてなりません。
そう思うと、花にもそれぞれの生き方が感じられますが、ただ、花同士で気にし合っているようにはみえません。

 

人間の世界では、比較して優劣を決めています。
常に他との関係の中に自分を置いています。
しかし、モクセイは、香りを放ちながら精一杯生き、輝いているようにみえます。
また、この標語から思われることは、眼に見えないものに対する思いということです。
姿香りは、眼に見えるもの見えないものを表すことばと考えられます。
いま、香りに生きるということは、宗教的な生き方を私達に思い起こさせてくれます。

 

肉眼で見えるものをたよりにして、見えないものは無いと生きているのが私の姿だといえます。
しかし、私の眼がどれだけ確かといえるでしょうか。
遮蔽するものが一つあれば、その向こうに誰がいて、何があるかわかりません。
また、錯覚して眺めることもあります。
そういう私の眼であることを智慧の光に遇って気づかせてもらいたいものです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

(以上、『自然の声に聞く』より)

 

2016年9月前半「摂取の響き」に書いた「O先生」の言葉も印象的でした。

 

 

 

みんな浄土の花となれ

空を見上げる花のように
笑顔いっぱい咲かそうよ

(『みんな花になれ』より)

 

【天井画】

 

先月の夏の法座は、
コロナウイルス感染防止の為休座となりました。
今年2度目の休座でした。

 

がらんとした本堂。
そこでこの空いた2日間を利用し、
本堂外陣の天井画を撮影しました。

 

天井には150枚の草花の絵があります。
今から240年前、専徳寺の本堂ができた時、
無名の絵師やご門徒有志によって描かれたと想像します。

 

20年前に本堂の内陣修復が行われた際、
150枚の絵を塗り直してもらいました。
きれいに修復してくださっただけでなく、
すべての花の名前を調べてくださいました。

 

整理すると108種類の花が描かれてありました。
一番多い花は「ききょう(桔梗・沢桔梗)」で6枚。
「しゃくやく(芍薬・山芍薬)」は5枚、牡丹は4枚ありました。
菊も様々な種類が。
蓮は意外と少なく2枚。

 

HPにアップしました。
よかったらご覧ください。

 

【ひまわり】

 

天井画の撮影中、心打たれる一枚の絵ありました。
それは「ひまわり(向日葵)」。
外陣のほぼ中心に描かれてありました。
向日葵が240年前に日本に存在するとは知りませんでした。

ひまわり

 

2月24日にロシアがウクライナへ侵攻して半年経過しました。
そのロシアとウクライナの国花が共に「ひまわり」です。

 

その国民が最も愛好・尊重し、その国を代表するとされる「国花」。
主義主張は異なれど、
「ひまわり」という互いの共通点を忘れず、
甘い考えかもしれませんが、
争い終結への歩み寄りをすすめてもらいたいものです。

 

【浄土の花】

 

阿弥陀さまのお浄土の花について、
親鸞聖人にこんな和讃があります。

(42) 一々のはなのなかよりは 三十六百千億の
 光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし

「浄土にあるそれぞれの花の中からは、
六つの光がおりなす無数の光が放たれています。
その光はあまねく世界を照らし、
至り届かないところはどこにもない」と、
そのようにお経には示されます。

 

お経ではさらに、その光から無数の仏があらわれ、
あらゆる衆生を導く説法をしておられると説かれます。

 

親鸞聖人も先ほどの和讃に続いて、

(43) 一々のはなのなかよりは 三十六百千億の
仏身もひかりもひとしくて 相好金山のごとくなり

 

(44) 相好ごとに百千の ひかりを十方にはなちてぞ
つねに妙法ときひろめ 衆生を仏道にいらしむる

 

お浄土の花は単に美しいというだけでなく、
その花の輝きをもってあらゆる人をお念仏の仏道へいざない、
共に浄土で再会せしめるのです。

 

【花の教え】

 

ロシアとウクライナが共にひまわりを国花とするように、
私たちは共にお念仏という花を大切にします。

 

お念仏の花を咲かせる時、
あの争いや病気、
人生の深い悲しや憎しみも、
こんな私がお念仏に出遇うご縁、
如来大悲に出遇うためのご縁と(お念仏を)聞かせていただきます。

 

天井をかざる108種類の花。
それは煩悩の数でもあります。
欲・怒り・愚痴といったたくさんの私の中の煩悩。
お念仏の道は、その煩悩でさえも、もらさず尊いご縁となり、
「不断煩悩得涅槃」(煩悩を断ぜずして涅槃を得)、
お浄土でさとりの花をさかせます。

 

150枚の花の絵。
その数以上に、
この本堂では弥陀の本願を聞き、
手を合わせ、お念仏し、
心の中は信心歓喜となったお念仏者が、
この240年の間、どれほどあらわれたことか。
お念仏の花を咲かせた方々。
150枚の花はその方々をじっと見下ろしていたのだなと、
休座の本堂で一人寝転び味わうことでした。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

アリの観察

【アリにもいろいろ】

 

小学生の頃、夏休みの自由研究で「アリの巣作り」をしました
透明ケースを用意し、土を入れて、アリをつかまえて観察。
結果は……よく分からないまま夏休みを終えたように記憶しています。

 

近年、アリの研究がすすみ、こんな発見がありました。
「はたらきアリの3分の1は働いていない。」
見た目が同じにみえるはたらきアリ。
イソップ物語の「アリとキリギリス」のアリのように、
みんな一生懸命に葉や虫の死骸を集めているのだと思ったら、
結構な数のアリは巣の中でぼんやり、「散歩」しているのだそうです。

 

どうやって調べたのか。
やはり研究用のアリの巣ケースを作り、
特殊なペンでそれぞれのアリの背中に色をつけ、
ずっと観察したのだそうです。

 

すごい発見です。
アリの社会も、人間の社会とあまり変わらないのかも。

 

【見られている】

 

東君平(ひがしくんぺい)に「蟻」という短い詩があります。

 

  蟻

 

蟻が 歩いている
蟻は 思う
ちいさな 自分のことなど
誰も見ては いないだろう

 

蟻は見られている
僕が見ている

 

蟻に限ったことじゃない

 

地面を歩く一匹の小さなアリ。
はたらいているのか、さぼっているのか。
そのアリの心を代弁します。
「こんな小さなオレなんて誰も気づきはしないよ」と。
すかさず返答します。
「違うよ。私が気づいているよ」と。

 

返答しながら、逆に気づかされました。

 

あの小さな虫・アリでさえ見られているのだ。
どんなものだって無視されているはずがない。

 

私自身もそうです。
「誰にもわかってもらえない」とあきらめていた私の心にも、
実は大きな眼差しがそそぎこまれているのではないか。
そんな気づきでした。

 

【他力の念仏】

 

観察を通して、
全く逆の観点に気づかされます。

 

他力のお念仏も同様です。

 

「われ称え われ聞くなれど なもあみだ  つれてゆくぞの 親の呼び声」(原口針水和上)

 

「み仏を呼ぶわが声は み仏のわれを喚びますみこゑなりけり」(甲斐和里子)

 

仏道を歩みつつ、
おのずと仏という真実を観察対象にしようとしていました。
「どうすれば苦しみの原因を取り除けるのか。
仏はどうやって原因を取り除いたのか」と。

 

しかしお念仏は仏の側からの眼差しに気づかされるのです。

 

称えるわずか六字を聞き味わってみれば、
「阿弥陀」の三字に広大なお慈悲の願いを、
「仏」の一字にそのお慈悲の完成した力(はたらき)を、
「南無」の二文字に、その宣言を聞かせていただきます。

 

そして念仏一つから弥陀の本願力の尊さをうかがい知る時、
単なる人生の道が浄土への道へと景色が変わります。

 

【土と海】

 

大阪の詩人三好達治に「土」という短い詩があります。

 

  土

 

蟻が
蝶の羽をひいて行く
ああ
ヨットのやうだ

 

下をみると小さなアリが一匹、蝶の羽を巣に運んでいます。
そのアリが「ヨット」に見えてきました。
そして真っ黒で固い地面の「土」も波がただよう広い「海」に。
人間の持つ豊かなイマジネーション(想像力)です。

 

……お念仏の人生も、土が海に変わります。

 

しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、
至徳の風静かに、衆禍の波転ず。
すなはち無明の闇を破し、
すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、
普賢の徳に遵ふなり、知るべしと。(親鸞聖人)

 

こつこつと生きるアリ。
同様に、日々コツコツと生きるお念仏の私たち。
そんな何気ない地面で生きる生活の風景が、
仏の喚び声を聞く時、
「弥陀の光の海」となると親鸞聖人は表現されました。

 

ある意味「海」はあぶないです。
沈む怖れがあります。
念仏も自らの愚かさ・悪業を知る「怖い面」もあります。
しかし同時にゆるぎなき「船」の上の身と教えていただきます。

 

日々、仏の願いの船に乗り、
死を縁として、おさとりの世界でおさとりを開かせていただくや、
「普賢の徳」、大悲の活動をはじめます。

 

宇宙や星の歴史からみれば、アリのごとき小さく短い人生です。
しかし如来の眼差しにいだかれ、土と海のごとく、全く違う性質となった人生です。

 

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

信者の信心、門徒の聞信

 

そのままで

木村無相

 

  信者になったら
  おしまいだ

 

  信者になれぬ
  そのままで

 

  ナンマンダブツ
  ナンマンダブツ

(『念仏詩抄』43頁)

 

 

【信者ですか?】

 

先日、某Oさんのお盆参りへ行きました。
普段は老夫婦だけなのですが、
娘さんも帰っており、一緒にお勤めをしました。

 

お勤めの後、『本願寺新報』のお盆特集号を渡しました。

 

「良ければ読んでください。歌手のKさんの事が載っています。
Kさんは来年の親鸞聖人850年 立教開宗800年慶讃法要の愛唱歌を作曲されたんですよ。」

 

すると娘さんがいいました。

 

「へぇ〜、Kさんって浄土真宗の信者なのかしら?」
「!?……いや、よくは知りませんが……。」

 

答えにつまってしまいました。
「…………信者?」
帰りの車内でつぶやく私。

 

次の日、別の家のご法事で、思い切ってたずねました。

 

「皆さんの中で、
もんと』、もしくは『もんしんと』という言葉を知っている人は手を挙げてもらえますか?」

 

何と誰も手を挙げません。
かなりショックでした。

 

【門徒】

 

信者」とは、いうまでもなく特定の宗教の信仰を持つ人のことです。
浄土真宗でも使わないことはありませんが、
普通は「門徒(もんと)」とか「門信徒(もんしんと)」と言います。

 

門徒は浄土真宗を信ずる在俗信者の名称です。
ですから自分自身が「浄土真宗の信者です」と言うのはOKでしょう。
しかし他人から、
「あなたは浄土真宗の信者ですか?」と言われると、
2つの点で違和感があります。

 

  1. 今の時代、「○○信者」という言い方があるように、信者には「熱狂的な」というイメージがあります。何か相手を揶揄した意味合いが感じられます。

     

    ちょうど伴侶を亡くした「未亡人」という言葉と同じです。「私は未亡人でして……」と自分にしか使えません。「あなた未亡人(まだ死んでない人)ですか?」は失礼です。

  2.  

  3. そしてもう一つ。「信者」とは「(何かを)信心する者」で、宗教全てを十把一絡げにしています。「信仰対象が違うだけで、あとは同じだろう」、「ご利益は異なるかもしれないが、おおよそ同じだろう。」

     

    浄土真宗も大きくみれば宗教です。しかしその「構造」は大きく異なります。それは具体的に「信心」という言葉の使い所に顕著です。

 

【信心】

 

先日、一人暮らしのMさんが、
こんな話をされました。

 

「先日、急に頭がいたくなりました。
病院へいくと原因は眼だったんです。
緑内障になっていました。
○○の病院で手術して、今は落ち着いています。
……これも日頃の『信心のおかげ』ですかね?」

 

「そうですね、信心は大事ですね」と話をあわせる私。
心の中では苦笑いです。
「今、私は浄土真宗から『ご先祖供養宗』に宗派替えしているな」と。

 

Mさんに限らず、お説教にご縁のない人の多くは、
つい「(私はまだ)信心が深くない」とか、
「(家族は)もっと信心しないといけない」という言い方をされます。
悪気はないのでしょうが、残念です。

 

その言い方の背景には、
3つの先入観があると思います。

 

  1. まず信心とは「先祖を敬う心」。「(よくわからないし……)先祖も阿弥陀如来も同じ」となりがちです。

  2.  

  3. 次にお経は「先祖のためにあげるもの。お勤めをすれば先祖がよろこぶ」。

  4.  

  5. そして最期に「信心していれば(先祖を敬っていれば)、思わぬご利益がある。家内安全、病気平癒、所願成就……」

 

これが今の日本の環境で生活をした場合、
自然に育まれる宗教に関する心持ちかもしれません。
……実際、寺院で生活をする小学生の子供たちも似たような感じをいだいています。
私も、子供の頃、漠然と思っていたでしょう。
いわんや寺院以外の方々も「宗教=先祖供養」「お経=先祖供養」「先祖供養→いつか何かの見返りが」と。

 

【聞信】

 

先祖をご縁に仏の教えを聞く浄土真宗です。
正信偈には、

 

聞信如来弘誓願(如来の弘誓願を聞信す)

 

お釈迦様の「自灯明・法灯明」を聞き、
「煩悩」や「縁起」の教えにもふれつつ、
浄土真宗(阿弥陀仏の本願の話)を聞きます。

 

教えを覚えるのではありません。
しかしおのずと目が覚めるのが、
わが身の大問題と、
それに対する仏の行き届いた救いの手はず。

 

「目的を間違えておりました。もうすでにお救いの中でした」
と聞き喜ぶお念仏です。
「自らを反省して起こす信心」など凡夫の私には皆無と気づき、
そんな私の中に届いていた「仏からの信(まことの)心」をかみしめます。

 

「(みずから)信心(していた事)のおかげで(ケガがなかった)」と、
門徒たるもの、そんな所で不用意に「信心」という言葉は用いません。
「おかげさまで」で良いのです。

 

ケガがなくても、ケガがあっても、
事故がなくても、事故があっても、
災害がなくても、災害があっても、
何の心配もない大きな目的の道を歩ませていただくお念仏の道。

 

先祖を信心する人、
特定の何かを信じる信者、
それに対して、
すでに救いの中と聞信し念仏する門徒。

 

そんなご門徒の家をお盆参りする楽しい今日の一日です。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

お念仏のイメージ

【俳句はイメージ】

 

先月の第三日曜日「父の日」。
朝からなんだかそわそわしてテレビをつけると、
NHK俳句を放映していました。
司会は武井壮さん、選者は星野高士さん。

 

お題は「万緑」でした。

 

「万緑」は「見渡す限りの緑」の意。
夏(三夏:初夏・仲夏・晩夏)の季語で、
「5月5日頃から8月6日頃まで」を指します。

 

「万緑」は純白の精神をもつという俳人・中村草田男が好み、
季語にまで定着させたといわれています。
その代表句が、

 

「万緑の中や吾子の歯生え初むる」

 

夏の山野をおおう緑一杯の景色。
そんな中、わが子に初めて歯が生えました。
下の前歯2本。
真っ白い双葉のような歯です。
生命のみなぎった緑色一面に、同じく生命あふれる白一点。
絵画的な美しさがあります。

 

短い語句だからこそ無限に想像が広がるのが俳句。
その想像をうまくかもしだすのが名句なのでしょう。

 

また「万緑」といえば、
王安石の漢詩「万緑叢中紅一点」です。
「あたり一面の新緑の中に赤い花が一輪だけ咲いている」という内容。
この「紅一点」をヒントに、
「白一点」の句を草田男は作ったと思われます(想像ですが)。

 

そして何よりこの句は草田男の31歳の時の句。
ようやく授かったわが子への感動を
全身に受けとめて表現しています。

 

【お念仏のイメージ】

 

「ナモアミダブツ」

 

口に称えるお念仏は、
俳句に負けず劣らず短いです。
しかしそこには、
仏さま功徳の全体がいりみちていると、
親鸞聖人は教えてくださいます。

 

ナモ(南無)は「帰依する」という意味です。
しかしお経の心、仏さまの話を聞いてみると、
むしろ「帰依してくれよ」「まかせてくれよ」と、
私が思うはるか前からの仏の切なる願いに聞こえます。

 

アミダ(阿弥陀)は「無量の寿」「無量の光」。
どこまでも、いつまでも私を離さない仏さま。
「あらゆる者を救いたい」と願うばかりでなく、
その願いを叶えうる徳をそなえた証です。

 

ブツ(仏)は「仏陀」であり「如来」です。
真如より来生せし存在、
真実の世界より現実の世界にあらわれ来たった方です。
私の口から声となる「ナモアミダブツ」は、
現実の私を救わんと喚びはたらきかける、
真実の仏のお姿です。

 

「南無」と喚び「阿弥陀」と照らす仏かな

 

お念仏を称え聞く中に、
仏さまの長きにわたる私へのお手立てを知ります。

 

自然の美しさが描かれる俳句のように、
お念仏も仏の無限の光明の景色が、
鮮やかに浮かび上がってきます。

 

どこまでも輝き、
いつまでも照らし続け、
私を決して離さない仏。
そんな一面仏の光に満ちあふれた中に、
私がいます。
そして私に歯が生えます。
煩悩にそまらぬ真白き真実の信心の歯です。
長い間煩悩の闇をさまよい、
ようやく生えたダイヤモンド(金剛)のごとき輝く歯です。
その歯の生えた口から、
赤ん坊の泣き声のようにお念仏がこぼれます。
仏の光に育てられた慶び。
報恩感謝のお念仏です。

 

……イメージは個人によって様々です。
無理にイメージする必要はありませんが、
俳句の味わい同様、
お稽古することで、
いよいよ「共にいてくださる阿弥陀さま」が喜べます。

 

【鳥も仏も】

 

先ほどの俳句番組
季語「万緑」を使ったたくさんの投稿者から句の中、
特選一席に選ばれたのは、

 

万緑や鳥も獣も声豊か
 (岡山県玉野市 小坂卓史)

 

「鳥も獣も」とある所から、
「虫も○○も……」と続いていく感じが大きな句です。
一面緑の中から様々に入りまじった豊かな音声が聞こえてきます。

 

さて、お盆参りが始まりました。
夏のお参りをしながら、お念仏が出てきます。

 

万緑や鳥も仏も声豊か……かな」

 

見渡す限りの緑の夏景色で念仏する時、
蝉の声やホトトギスにまじって、
阿弥陀さまの声が、
阿弥陀さまに導かれ、
浄土で仏となられた多くの懐かしい人びとの声が、
にぎやかに聞こえてくるようです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

 

Kさんの顔

 

  Kさんの顔

 

目の前にKさんの顔がある
Kさんは棺の中にいる

 

言われなかったら分からない変わりよう
喉頭癌だったらしい
生前のふくよかな姿は全くなく
頬がこけて すっかりやせている

 

「辛かったろう」
母親の声を聞く
家族の無言の声が聞こえる

 

通夜のお勤めを始める

 

恥ずかしがり屋だったKさん
ほとんどまともに話はできなかった
法要の後はすーっとひっこむ
盆のお参りにうかがっても出てこない
父親とよく似ていた
「本当に仏教徒だったのだろうか」
疑ってしまいたくなるような
生前の面影

 

一夜明けて

 

目の前にKさんの顔がある
Kさんは棺の中にいる

 

延命はしなかったのだろう
食べ物が喉を通らず
目がくぼみ 頬がこけた顔

 

ふっと 釈尊の苦行を思い出す

 

地位も財産も捨て
さとりを求めた菩薩
肉体の限界に挑戦したあの断食

 

六年の修行を経て
仏陀となられ法を説かれた

 

物事をあるがままに受けとめた人
いのちの不思議をとことんつきつめ
その見方を私たち向けに説かれた
そして阿弥陀という法が説かれた

 

阿弥陀仏の物語は
法蔵菩薩の五劫思惟の願いと
兆載永劫の修行だ
肉体も精神も限界をこえた
果てのない道の末に
お念仏があらわれた

 

「南無阿弥陀仏」

 

葬儀が終わった

 

棺の中のKさんは
母妹のかざった花に囲まれている

 

目がくぼみ 頬がこけたKさん
だがその顔は穏やかにみえる

 

  如来大悲の恩徳は
  身を粉にしても報ずべし
  師主知識の恩徳も
  骨をくだきても謝すべし
        (親鸞聖人)

 

弥陀釈迦の粉骨砕身のご恩
さらに私に届くまで
どれだけ多くの恩師の
たゆまぬ努力があったことだろう

 

Kさんの顔に気づかされた
Kさんの顔が仏の光に照らされている
お念仏がこぼれる

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

推しの教え

【投票率アップのアイデア】

 

今月22日、参議院選挙が公示されます。
テレビでも各党が政策・公約を発表しています。

 

選挙の度に話題になるのが「投票率の低さ」。
国民の義務である投票ですが、特に若い人が投票所に行きません。

 

なぜ投票しないのか?
NHK『1ミリ革命』という番組で、若いギャル数名に集まってもらい、
「どうしたら投票率が上がるか」を話し合ってもらいました。

 

「(選挙って)堅苦しくて難しい感じがする。」
「政治に興味が持てない。」
「別に投票してもかわらない。」
「選挙行った所でどうなるんだろうっていうのがある。」
「普通に面倒くさい。」
「いつやってるのかも分かんないし、どこでやってるのかも分かんないし、どうやってやるのかも分かんないし、自分にメリットが返ってくると思えない」
「いつの間に始まって、期間めっちゃ短いし調べる時間もないし。」
「自分の投票が未来を変えるみたいな感覚がないと行きづらいかなって。」

 

手厳しい意見が続きましたが、
次に「投票率を上げるには」としてこんな意見が出ました。

  1. はじめから「選挙に行こう!」と呼びかけるのではなく、選挙そのものを楽しいイベントにする。興味がない若者も足を運ぶきっかけを作れるのではないか。
  2. 立候補者のことを遠い存在ではなく、すぐ隣にいる人だと感じられるようにする事で、「この人に投票したい」「この人にわたしの街を任せたい」という気持ちが生まれる。

うちらが楽しめる選挙は何か」、「うちらが親しみを感じられる選挙は」と、
とても前向きな意見が出ました。
そして出たアイデアが、

  1. プリントシールを使っての「選挙を思い出作りに」計画
  2. 立候補者のポスターを「プロフィール帳的なものに」計画

実に独特でした。

 

【聴聞率アップの工夫】

 

さて選挙の投票率問題と同様、
浄土真宗で問題になっているのが「法座の参詣率(聴聞率)の低さ」です。
殊に近年低くなってきました。

 

参詣者の高齢化、過疎化だけではないように思います。

 

「(仏教って)堅苦しくて難しい感じがする。」
「宗教に興味が持てない。」
「別に聴聞しても(自分の生活)かわらない。」
「法座に行った所でどうなるんだろうっていうのがある。」
「普通に面倒くさい。」
「いつやってるのかも分かんないし、どこでやってるのかも分かんないし、
どうやってやるのかも分かんないし、自分にメリットが返ってくると思えない」
「いつの間に始まって、期間めっちゃ短いし調べる時間もないし。」
「自分の『聴聞』が未来を変えるみたいな感覚がないと行きづらいかなって。」

 

選挙と似たような意見が聞こえてきそうです。

 

ではどうするか。
「楽しむ」と「親近感」は大事かもしれません。

 

  1. 「お寺に行こう!」と呼びかけるのではなく、法座そのものを楽しいイベントに。
  2. 仏さまのことを遠い存在ではなく、すぐ隣にいる人だと感じられる工夫。それによって「この仏さまのお話がききたい」「この仏さまにわたしの人生をまかせたい」という気持ちが生まれるかもしれません。

 

では具体的にどうすれば「うちらが楽しめる法座」、
うちらが親しみを感じられる法座」となるか。
……これから話し合いの場を持ちたいと思います(苦笑)。

 

ご門徒をまきこみつつ、
1ミリづつでも寺院の生命線である法座を変えていきたいものです。

 

【選択本願】

 

ところで選挙は、私たちが立候補者それぞれの公約を聞いて政治家を「選択」します。
選択するのはなかなか難しいものがあります。

 

浄土真宗にも「選択」があります。
私たちの側ではなく阿弥陀さまの側にです。
「選択本願(せんじゃくほんがん)」といいます。

 

阿弥陀さまは、私たちを救うべく、
多くの往生の行の中から「これしかない」とお念仏一つを選択し、
「このようにして救う事ができなければ、私は仏にはならない」と誓い願われます。
このお念仏の願い、阿弥陀さまの48願中の第18願を、「選択本願」というのです。

 

よくよく私たちの心を見透し、生活を把握し、
人生の行く末を憂えた仏さま。
悩みに悩み、選びに選んで行き着いた本願という私のための政策です。
私には難解であり、
この度の往生に間に合わない政策(解決策)は選択されません。

 

親鸞聖人は、そんな阿弥陀さまの本願を喜ばれ、

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。」
(阿弥陀さまの願いをよくよく聞いてみると、それは他でもない[煩悩まみれの]私のためでした)

とよく仰っていたと『歎異抄(たんにしょう)』には記されています。

 

【推しの教え】

 

先ほどの投票率の話し合いで彼女たちが「プロフィール帳のポスター作成案」を模索する中、
「推し」という言葉が出てきました。

 

M:私この人が推したいみたいな。今「推し」っていうのが流行ってるから、その方が今の子にも刺さると思う。
A:確かに。推しができたら絶対みんなもっと。
M:推しになれば絶対に勝たせないとみたいになるから。

 

今の若者の言葉を借りるなら、
親鸞聖人は阿弥陀如来が「推し」の仏さまでした。
仏さまの本願が刺さり、
「この仏さまなら私の事が分かってくださる」、
「この仏さまなら私の人生をまかせたい」、
「この仏さまと共に人生を生きていきたい」、
お念仏の人生を決意されたのでした。

 

選挙は大事な行為です。
故にどうしても「堅苦しくて難しい感じ」は避けては通れません。
でも「推しの人」「推しの政党」ができれば、
投票してみたくなるものです。

 

浄土真宗の聴聞も同じです。

 

聴聞は大事な行為です。
故に自然と「堅苦しくて難しい感じ」に見えてきます。
そんな聴聞のポイントは「推し」。

 

「私の推しの仏さまは誰か」

 

阿弥陀さまを推す人になったとき、
人生の選挙は絶対に勝…………ち負けを超えた尊いものとなります。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

法の名のり

【むなしい別れ】

 

「お墓をどうしたら良いか?」
「納骨堂は空いてますか?」
「古い家を壊すのに、井戸の供養は必要ですか?」

 

お寺は日々、いろんな方が相談にこられます。
大概は仏事や生活の悩み相談ですが、
そうではない場合もあります。

 

一昨年にTさんが相談に来られました。

 

ご兄弟が亡くなり、会場へ行くと僧侶もいない告別式。
何だかあまりにも淋しかったのだそうです。
しかし自分は無宗教。
それが理由なのか、
数年前の妻の葬儀や法事は親族が全てやってしまったそうです。

 

いろいろ悩む内に、
両親の実家があった九州のお寺をたずねました。

 

「無宗教のままでよいのでしょうか?」
「浄土真宗でお寺にご縁がない、
 まして説教を聴聞せんのは、犬猫と同じだ。」

 

住職に一喝され、
近所のお寺に相談に来られたのでした。

 

【法名】

 

そんなTさんから面白い質問をもらいました。

 

「法名って社会のどういう所で必要になってくるのですか。」

 

「なぜ法名をご存じなのですか?」

 

「両親が京都の本願寺へわざわざ行って帰敬式をしてもらっていました。
妻もです。
……けれどなんでそんな事をしたのかが分からない。」

 

聞きながら苦笑いしてしまいました。

 

Tさんが帰られた後、考えました。

 

「なるほどTさんが思う通り、法名って社会と直接関係しないな。
でもだからこそ法名って、人生のすみずみまで関係しているな。」

 

【名のり】

 

法名を持つ事と社会生活する事は直接何の関係もありません。
市役所で「私の法名は○○です。」という必要もないし、
契約の際「法名はお持ちですか?」と訊かれはしません。

 

法名とは仏法に帰依し、釈尊の弟子となった者の別名です。
そして浄土真宗の場合、念仏者の名のりです。

 

浄土真宗のみ教えにおいて、
この「名のり」は重要なキーワードです。
なぜなら「南無阿弥陀仏」は、
阿弥陀さまという仏の「名」であると同時に「名のり」、
「われ汝(なんじ)を救わん」という仏の誓いの声だからです。

 

お念仏を申す時、
私を私と知り、
仏を仏さまと知り、
すでに救いの中と知ります。

 

何気ない社会での日暮らしの中、
しかし常にお浄土の境界たる仏さまと一緒です。
故に念仏者は念仏の場所を選びません。

 

契約書や申請書には必要のない法名です。
法名は「われ仏と歩まん」という名のり
契約書や申請書では解決できない苦悩を、
「南無阿弥陀仏」というお念仏、
「仏の名のりの法」に生きる者の表明なのです。

 

「わたしはこのように生きる」という事が決まった念仏の人生。
直接ではないですが、
社会のどのような所でも大いに関わってくると思いますよ、Tさん。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

楽屋ある人生劇場

「この世は舞台、人はみな役者だ」
−All the world’s a stage, −And all the men and women merely players.
William Shakespeare

 

【鎌倉殿の13人】

 

今年の大河ドラマは『鎌倉殿の13人』。
源平合戦前から鎌倉幕府内の権力争いまでを描いた作品です。

 

弱肉強食の武家社会成立の時代。
生々しい戦争の非情さも描写していますが、
主人公が女性にふられて泣いている姿など、
コミカルな面もあって、
子ども達と毎週楽しく観ています。

 

しかし第15回「足固めの儀式」はショックでした。

 

鎌倉殿の13人

源頼朝に不満を持った御家人達が謀反の計画を企てます。
上総広常(かずさ ひろつね)はわざとそのグループに入り、
裏で手綱をうまくひっぱり、
結果、暗殺計画を失敗に終わらせます。
ところがその事を利用して頼朝は、
以前から邪魔に感じていた上総介を成敗するのです。

 

鎌倉殿の13人

御家人達の集まった中、
上総介(かずさのすけ)を梶原景時(かじわらかげとき)に斬り殺させ、
「わしに逆らう者は何人も許さぬ。肝に銘じよ!」
御家人達を一喝します。

 

【楽屋では】

 

その数日前(放送では約20分前)、二人はお酒を酌み交わしています。

 

上総介「御家人どもがまた騒ぎ出したら、俺がまた何とかするよ。」
源頼朝「上総介、そなたがいるから今のわしがおる。これからも頼むぞ。」

鎌倉殿の13人

 

すでに頼朝はこの時、上総介を始末するつもりでした。
見事なだまし討ちです。

 

見終わって小学生の子ども達が怒る怒る。
「上総介が可哀想!」
「なんて頼朝は悪い人間なのだ!」
ぶーぶー言ってました。

 

けれどもテレビの向こうではどうなっているか。

 

「カット!」

 

監督の声で上総介演じる佐藤浩市は起き上がります。
血に染まった顔を拭う彼に、
頼朝演じる大泉洋が近づいて、
「お疲れ様でした。」
お互いニッコリ握手。
楽屋でお互い撮影・舞台の話に盛り上がり、
「それじゃまた」と別れて、またそれぞれの現場へ。
……そんな情景が浮かびます。

 

【キャストとスポット】

 

「お浄土とは、この私の人生劇場の舞台裏である」(S師)
(※詳しくは、「人生劇場のキャスト(2019年・8月下旬)」)

 

お浄土は仏の世界です。
あらゆる煩悩が吹き消され、
あらゆるつながりが喜びとなります。
生前の誤解も解け、わかり合える世界。
そんな浄土への道を歩ませていただくのが念仏の道です。

 

すると必然的にこの人生は、
「浄土真宗」という壮大な大河ドラマです。
主役は各々、自分自身。
私のためにある念仏の物語です。

 

周囲はその作品の重要なキャスト。
お浄土へ往生するテーマにとって、
脇役も敵役も、大道具も小道具も、
誰一人、どれ一つ抜けてもダメです。

 

阿弥陀さまの光、
黒い無明の闇をあけ啓(ひら)くスポットが
いつでも私を照らしています。

 

【名脇役】

 

大河ドラマ「浄土真宗」の主人公のセリフは十人十色ですが、
たとえば次のような内容はどうでしょう。

 

「叔父が死んだ時、少しも淋しいとは思いませんでした。

 

 叔父は少年時代に病気になりずっと独身で実家にいました。
 良く言えば天真爛漫、
 悪く言えば四六時中ぼーっとして何を考えているのか。
 『いてもいなくても俺の生活は何も変わらない』
 そう思っていました。

 

 ですが違いました。

 

 叔父が病気だったから父は家に残りました。
 病気の弟を見守りながら辛抱した人生でした。
 そして母と結婚して私が生まれました。
 叔父がいなければ父は母と出会えていなかったかもしれません。
 そうすると私も存在していません。

 

 叔父のお陰で、今ここに私がいます。
 叔父の葬儀で、今ここに私が見守られている、
 阿弥陀という光に照らされていると知りました。

 

 喪中が終わり普段の生活は忙しいです。
 お仏壇に手をあわす時、
 念仏を申す時も、
 叔父の事を思い出す事は少なくなりました。
 でも浄土へ行ったら、
 叔父に会います。
 生前はまともに話ができなかった叔父と、
 お浄土で和気藹々と話します。
 「叔父さんは名脇役だったぜ」とお礼をいいます。
 「そうだろう。わしは名優だったろう」と笑う叔父。
 そんな情景が浮かんでくる念仏です。」

 

よかったらご参考ください。
あなたのセリフはあなたで作らなければなりません。
あなたの人生劇場、あなたの創作劇なのですから。

 


「自分がこんな境遇なのはあいつのせいだ」、
「こんな場所、こんな家族に生まれなければ……」と、
責任を押しつけたくなる気持ちは、
凡夫の私たち、ぬぐいがたいものがあります。
時間はかかるかもしれませんんが、
語学を学習するように、
どうぞお聴聞を続けてみてください。
必ず、あなたのセリフ、変わるはずです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

一心一向

【空欄】

 

突然ですが「四字熟語」の問題です。

 

「一【?】一【?】」

 

この前の【?】と後ろの【?】に、
あなたならどんな漢字を入れますか?

 

「一期一会」?「一進一退」?「一喜一憂」?
「一日一善」ですか?

 

「一言一句」「一字一句」というのもあります。
時間に関係するなら「一朝一夕」や「一世一代」。
ダイエットに頑張っている人なら「一汁一菜」。
マイホームを手に入れた人なら「一国一城」。

 

え?
「一向一揆」……それもありますね?
「一人一回」……ガラガラですか?
「一回一円」……何か分からないが安い。

 

他にも「一長一短」、「一挙一動」等、
「一【?】一【?】」の四字熟語は実にたくさんあります。

 

「一木一草(いちぼくいっそう)」もあります。
「(一本の木や一本の草まですべての意から、)そこにあるすべて」、
「(わずか一本の木と一本の草の意から、)きわめてわずかなもの」。
一木一草を観察して句を作る俳人松尾芭蕉、
詩人金子みすゞを連想します。

 

【一瞬一生】

 

辞書にはありませんがこんな言葉もあります。

 

「一日一生」

 

「毎日を大切に生きる。」といった意味です。

 

「一日は貴い一生なので、これを空費してはいけない」(内村鑑三:キリスト教思想家)
「一日を一生のように生きよ。明日はまた新しい人生である。」(酒井雄哉:天台宗僧侶)
「一日一日を全生涯と思って生きなさい。」(松原泰道:臨済宗僧侶)

 

松井秀喜の座右の銘でもあったそうです。
(参照:https://kokugoryokuup.com/itinitiissyou/)

 

さらにつきつめた言葉が「一瞬一生」。
画家・香月泰男が好んだ言葉です。
「一瞬に一生をかけることがある。
一生が一瞬に思える時がある。」
そんな説明をされています。

 

「もうこんな年齢まで……」

 

ふり返れば人生はある意味一瞬です。
だからこそ、
その時その時を悔いなく大切にしたいものです。

 

【一心一向】

 

さて蓮如上人は「一心一向」という言葉を大切にされました。

 

さらに余のかたへこころをふらず、
一心一向に仏たすけたまへと申さん衆生をば、
たとひ罪業は深重なりとも、
かならず弥陀如来はすくひましますべし。
(御文章「末代無智章」、『註釈版』1189頁)

 

(現代語訳)
  一心に阿弥陀如来をたのみたてまつって、
  ほかの神や仏に心を向けず、
  ひたすらみ仏におまかせしなさい。
  そのものを、どんなに罪は重くとも、
  かならず阿弥陀如来はお救いくださいます。

 

一心とは「二心をもたない」、
一向とは「ひたすら、ひとすじ」。
阿弥陀さまをより所としたお念仏一筋の道を意味します。
一日一生と同じ真面目さはありつつ、
少し違うものがあります。
安心感です。

 

一日一瞬を無駄にしない……
素晴らしいですが最後までできる人はそんなにはいないでしょう。

 

浄土真宗は誰にでもできる他力の道です。
それは自力と逆で、
一日一瞬も目を離さないのは阿弥陀さまの方と知ります。
その安心の日々から、
ご恩報謝に精を出す道なのです。

 

【一一の詩】

 

「一国一城」のわが身です。
「一日一善」と励みますが、
「一進一退」の繰り返し。
「一喜一憂」の毎日です。

 

「一木一草」まで慈しむ仏さま。
「一長一短」の私たちにあわせて、
「一世一代」の願いを建てました。
「一挙一動」、ご一緒です。

 

「一朝一夕」、朝な夕なに手を合わせます。
「一言一句」、お経の言葉、
「一字一句」、お慈悲がしみこんでいます。
「一汁一菜」、お陰様といただきます。

 

「一期一会」の仏さまの出遇い。
「一心一向」に歩む人生です。

 

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

 

参れぬものが参る

【稲垣先生】

 

浄土真宗ではお仏壇を「お内仏」と呼びます。
わが家のお内仏様の上には、
下記の写真の書の額が飾ってあります。

 

額「稲垣瑞剣」

 

今からおよそ45年前、昭和51年11月、
稲垣瑞劔先生が
専徳寺へ来寺されました。
そこで祖母が書を依頼。
先生はさらさらっと書いてくださったそうです。

 

南無阿弥陀仏 そのまま来たれ
ありがとうございます 南無阿弥陀仏

 

本願の不思議 名号の不思議 仏智の不思議
 不思議不思議で参る極楽

 

参れると 思うて 参れぬ お浄土へ
参れぬものが 参る  不可思議

 

あ〜 あの月が
あ〜 あの月が
云うもおろかよ
 あの月が
   九十一歳  瑞劔

 

祖母が好きな書でした。

 

【父との思い出】

 

 参れると思うて参れぬ お浄土へ
 参れぬものが 参る不可思議

 

参れると思ったら参れない。
参れないものが参る。
一見してよく分からない「不思議」な歌です。

 

この歌について、
『月々のことば』(2013年、本願寺出版)に、
佐々木恵精先生の説明がありました。

 

ご両親の熱心な聴聞の生活のなかで育てられたこと、そして、ひたすらに仏道を求めるようにと導かれたことを深く感謝されていた瑞剱師ですが、「浄土往生」「浄土へ参る身となる」ということについて、次のような経験談を、自叙伝ともいうべき『仏母庵(ぶつもあん)物語』に述べておられます。

 

最三(瑞剱)三十七歳の時父は往生の素懐(そかい)を遂げたり。物心付きし頃より食事時には必ず仏法の話を父より聞き、また、予より質疑を提出したり。然るに三十七歳まで、予は自から安心(あんじん)をねり堅めて、〈これで如何〉(この私の領解でいかがでしょう、間違いないでしょうという意味)などの意を述ぶ。父はその度毎に予の安心を打ち破ること、恰(あたか)もさいの川原で子どもが石を積んだのを鬼が鉄棒にて打ち砕くが如し。数百回数千回数を知らざるほどなりき。

 

父曰く、「それでよいそれでよい、それで極楽へ参れる。じゃが、参れる様になって参れるお浄土か、参れぬこの私を如来様が喚んで下さるのと違うか云云」と云い、とうとう父の生前中、一度も父の印可(いんか)を受けし事なし。父が最三(瑞剱)に対する教導、まことに禅家の師家の風ありか。此の父を持ち、恩師桂利剱(りけん)先生を持った予の幸(しあわせ)は幾百万の富にもまさるものあり。
(『法雷』特集号(4)所収、129-130頁、1985年)

 

このように述べて、父上の教導のご恩を感謝されるとともに、
「お浄土へ参る」「お浄土に救われる」ということを、ここに明確に示されています。

 

   (参照 光明寺HP

 

 

【お聴聞】

 

お聴聞は大切です。
徐々に、阿弥陀さまの話が分かってきます。

 

しかし、分かったから救われるのではありません。
自分の理解力の度合いと救いは関係ないのです。
「自分はここまで理解できたから、これで救われる」は、
結局、自力のはからい心であり、
他力の救いのさまたげ、
浄土参りのさまたげとなります。
「参れると思う心をあてにしていたら参れない」のです。

 

ではお聴聞しても意味がないのか。
いえ、お聴聞以外に道はありません。
聞き方を間違えてはいけないという事です。

 

阿弥陀さまの話を聞きます。
それは法蔵菩薩の本願の話、
それは「南無阿弥陀仏」の名号の話、
私を救うのに何の不足もない智慧の話です。
それは結局、
お浄土などとても参れない煩悩成就の私を、
この仏さまは救うという不思議な話。
「参れぬものが参る極楽」なのです。

 

「われにまかせよ。そのまま来いよ」という弥陀の喚び声を聞くばかり。

 

浄土真宗はお聴聞で始まり、
お聴聞で終わるのです。

 

【云うもおろかよ】

 

 あ〜 あの月が
 あ〜 あの月が
 云うもおろかよ

 

闇路を照らす月の光があるように、
私の煩悩の闇を破る仏の光です。

 

この度、不思議なご縁で、
仏法を聞き、そのご恩に出遇いました。
一人、お念仏を喜ぶ身とならせていただきました。

 

ならばもう余計な事は云いません。
おしゃべりはそこそこでやめます。
しゃべればしゃべるほど、
いつの間にか他力のご恩を邪魔する習性のある私と気づきます。

 

「〜なって、〜だから、救われるのだ」

 

気づかない内に、
阿弥陀さまの智慧より自分の知恵をあてにしています。

 

 云うもおろかよ

 

南無阿弥陀仏、
もう言葉はいりません。

 

「お浄土へ参れる」とか「これでは参れない」とか、
思う必要もない程、
すでに月影に照らされた人生なのです。

 

あれごらん 親に抱かれて 寝る赤児
落ちる落ちぬの 心配はなし (稲垣瑞劔)

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

院号のご縁

 

[院号]
「院」を最後に付す称号。
院とは垣根を巡らした大きな建物の意。
もとは寺院や上皇の御所などの号であったが、
そこに住むものを指す習慣が生じた。
仏教でも各宗派で院号が称されることが多い。
本願寺派では、
蓮如が信証院と号したことに始まるとされ、
現在は、
宗門の護持発展に貢献した人または宗門もしくは
社会に対する功労が顕著であると認められる人に
宗門から授与される称号である。(『浄土真宗辞典』より)

 

【澄月院】

 

お念仏者の葬儀は、
故人が「往生の素懐を遂げた事による法要」です。
故に、ある意味結婚と同じく「めでたい日」です。
しかし実際は別れを惜しむ涙の日。
涙の「祝 卒業式」と似ています。

 

先月、祖母が往生の素懐を遂げました。
8年前から施設に入り、
ここ数年は認知が進行。
最後の2年はコロナ禍のため面会できませんでした。

 

亡くなって病院から帰宅した時、
最初は悲しみよりも、
「やっと会えましたね」という奇妙な感動が。
しかし通夜の時、思い出がこみあげ、
途中から経本が読めなくなりました。

 

祖母の院号は「澄月院」。
次の和歌を思い出します。

 

月かげのいたらぬさとはなけれども
ながむる人のこころにぞすむ

 

法然聖人の歌です。
(「すむ」は「住む」かもしれません)

 

闇路を照らす月の光は誰にでも届いています。
その光の美しさを眺めた人。
その心は澄んだ月の光のように澄み切るのです。
同様に、
阿弥陀さまの救いの光に分け隔てはありません。
その光をあおぐお念仏者の心には、
いつでも阿弥陀さまが住み着いておられます。

 

【遇教院】

 

祖母の往生から三週間後、
義兄の父、O先生が往生されました。

 

葬儀に参列するため7年ぶりにK寺へ。
義兄の住職継職式(O先生の退任式)以来でした。

 

棺の中のO先生。
7年ぶりにお会いしました。
お姿はお変わりなく。
けれどももうお話することかないません。

 

子どもが大好きで、
お酒も大好きで、
本堂のお荘厳には人一倍厳しい方でした。

 

院号は「遇教院」。
次の和讃を思い出します。

 

「善知識にあふことも
おしふることもまたかたし
よくきくこともかたければ
信ずることもなをかたし」(大経讃より)

 

善知識(ぜんぢしき)とは仏教用語で、
「仏教の道理を説いて、仏道に縁を結ばせる人」です。

 

そんな特別な方に出遇える事はなかなかありません。
さらにその方が仏さまの教えを説かれることも。
仏法の話は世間話中は滅多に出てきません。
そんな法の話を、
聞き逃さなかった縁がととのい、
信心をいただく、
お念仏を喜べる身となる事、
それは本当にマレな事です。

 

澄む月の光を眺めるご縁、
他力の教えに出遇うご縁は、
それほど尊いことなのです。

 

【学成院】

 

O先生の葬儀から三日後の土曜日、
福井に向かいました。
N先生の七日参りに列席しました。

 

N先生は祖母が往生する一日前に、
突然ご往生されました。

 

福井の山中、まだ雪が残っていました。
この残雪が原因でのご往生でした。

 

七日参りで、ある門下生の一人がご法話、
N先生の思い出を語ってくれました。
自分も忘れていた先生との思い出がよみがえりました。

 

学問に厳しく、論理的で、
囲碁やバトミントン、旅行など多趣味。
フルトベングラーが大好きな先生でした。
N先生のお陰で、
世界の様々な仏跡を旅行することができました。

 

N先生の院号は「学成院」。
次の詩を思い出します。

 

少年易老学難成(少年老い易く学成り難し)
一寸光陰不可軽(一寸の光陰軽んずべからず)
未覚池塘春草夢(いまだ覚めず池塘春草の夢)
階前梧葉已秋声(階前の梧葉すでに秋声)

 

朱熹の「偶成」です。

 

「少年が年老いていくのはあっという間だが、 学問がモノになるのは大変難しい。
だから、わずかな時間も惜しんで一生懸命に勉強すべきなのだ。
春に池のほとりに草がゆらぐのを見ながらうつらうつらと夢を見ていたかと思うと、
庭先のアオギリはもう秋の気配を帯びている。」https://kanshi.roudokus.com/guusei.html

 

若者向けにも聞こえますが、
学ぶ事の大切さを語っています。

 

仏教を学ぶのも今です。

 

「学仏大悲心」
(仏の大悲の心を学ぶ)

 

善導大師のお言葉です。
仏法を学ぶとは、
仏さまのお慈悲の心を学ぶこと。
浄土真宗の場合、
阿弥陀さまのご本願成就のお名号「南無阿弥陀仏」、
そのおいわれを聞き学ぶことに他なりません。

 

【寺院】

 

四苦八苦の闇路を照らす、
澄んだ月のごとき阿弥陀さまのお慈悲です。
その教えに遇った時、
「学問成就」……ではなく、
本願成就の阿弥陀さまと共に歩む人生です。
生死の迷いをこえゆく道です。

 

「一寸の光陰軽んずべからず」です。
思いたった時、
どうぞお近くの寺院へお参りください。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

信となる言葉

 

心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない。
かんじんなことは、目に見えないんだ
(It is only with the heart that one can see rightly,
what is essential is invisible to the eye)
(『星の王子様』より)

 

【式辞】

 

先日、中学の子どもの卒業式に出席しました。

 

式辞で校長先生は、
これからの時代を生きる卒業生へ
「古来から日本人が大切にしてきた事」として
次のような言葉を紹介されました。

 

「目に見えないものこそ価値がある」

 

たとえば目に見える結果の良し悪しよりも、
結果にいたるまでの道程の大切さ。
真剣に下級生に伝統を伝えていた
今年度の運動会の練習を評価されました。

 

【言葉】

 

一時間の式が終わって、
教室に移動しました。

 

最後の「学活」の時間。
あらためて担任の先生から証書授与がありました。
そして一人ひとりが挨拶。
最後に先生がたも花向けの言葉を。

 

国語の先生がこう言われました。

 

「楽しい思い出しかありません……
授業で皆さんといろんな『言葉』に触れてきました。
これからも『言葉』を大切にしてください。
スマートフォンなど便利なものは増えたけど、
言葉はかわりません。
人生の支えとなる言葉、
人生の芯となる言葉、
そんな言葉にであってもらいたいと思います。」

 

「シンとなる言葉」というのが印象的でした。

 

【思いやり】

 

心はだれにも見えないけれど
 心づかいは見える
思いは見えないけれど
 思いやりは見える

 

ACジャパンのCMで使われた言葉です。
元々は宮澤章二さんの詩「行為の意味」。

 

人に対する積極的な行為、
あたたかい行為、やさしい行為によって、
自身のあたたかい心、やさしい心も輝きます。
そんな美しい人生を讃えた詩です。

 

便利さ利益さが優先しがちな時代。
しかし「コロナ」によって、
あらためてお金には換算できない
「美しい心」をもつことの大切さを考えたいものです。

 

【荘厳】

 

こんな言葉があります。

 

「信は荘厳をあらわす」

 

元々は「信は荘厳より起こる」という言葉です。
「立派な堂を見て信仰心が起こる意で、
内容は形式によって導き出されるというたとえ」です。

 

「信心・信仰は心の問題であるが、
そのはじめは神社仏閣の荘厳な装飾や豪華な建築の美しさに感心したり、
感動したりすることから起こるものでもあり、
外観・外貌をしっかりと整えることの大切さを伝える文言。」
(新纂浄土宗大辞典)

 

ただ浄土真宗の場合、
「信は荘厳より起こる」というより、
「(他力の)信は聴聞より起こる」です。

 

お荘厳を丁寧にする事はとても大切です。
しかしそれ以上に聞法「お聴聞」が肝要です。

 

荘厳の美しさから出てくる信心は、
私の場合、一時的でおわりがちです。
すぐに曇るのです。

 

しかし聴聞より出た「他力の信」は、
「如来さまからいただいた信心」であり、
いつでも晴れ渡っています。

 

「信は荘厳をあらわす」
浄土真宗の特徴からいわれる表現かもしれません。

 

如来さまより賜った信心が、
おのずからご恩報謝の荘厳をあらわします。
お仏壇の掃除やお飾り。
私が積極的に行う行為ですが、
「積善」(しゃくぜん。善を積む)ような事にはしません。

 

「南無阿弥陀仏」

 

掃除をし、荘厳をととのえながら、
わが人生のシンとなる言葉をいただきます。
この私に信心となって行き渡る、
如来さまの目にはみえないご苦労を
かみしめる報謝の生活が、
浄土真宗なのです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

西方の浄土

【往生の素懐】

 

先月最後の日、恩師が突然往生されました。
そして今月最初の日、祖母が往生しました。
恩師は享年78、祖母は100でした。

 

まもなくやってくるお彼岸。
太陽が真西に沈み、西方浄土を示してくれます。
お浄土が賑やかに懐かしくなっていきます。

 

お聴聞が好きだった祖母。
今月は恩師のご法話を以下に紹介させていただきます。

 

【西方の浄土】

 

阿弥陀仏とその浄土について、
経典には一致して西方さいほうにあると説かれています。
たとえば、『大経』には

 

「法蔵菩薩、いますでに成仏して、現に西方にまします。
ここを去ること十万億刹なり。  
その仏の世界をば名づけて安楽といふ」(『註釈版聖典』28頁)

 

と説かれ、『阿弥陀経』には

 

「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、
名づけて極楽といふ。
その土に仏まします、阿弥陀と号す」(『同』121頁)

 

と説かれています。

 

ところで、
最近ある講演会で、
次のような趣旨の講演を聞きました。

 

――現代人には西方の浄土といっても受け入れられない。
そもそも浄土とは、
悟りの世界の一つの表現であって、
悟りの世界とは方角も無く、すがたも無いが、
人々に分かりやすい表現として、
西方にあると説かれているのである。
しかし、
経典の説かれた時代と現代とでは、
人々の科学的な知識が大きく違っている。
現代の科学技術では、
ほとんど宇宙の果てまで望遠鏡で見ることができる。
そのような時代の人々に対して、
西方に阿弥陀仏のおられる浄土があると説いても、
非科学的なおとぎ話として、
鼻先で笑われてしまうだけである。
それよりも、
方角も無く、すがたも無い悟りの世界を、
科学的な知識の無い人々に分かりやすいように西方にあると、
説かれているだけだということを明らかにした方が良い――

 

表現は違っていたかも知れませんが、
おおむね以上のような趣旨の講演でありました。

 

皆さん方は、このような主張を聞かれて、
どのような感想をいだかれるでしょうか。
その通りであると、
うなずかれる方も多いのではないかと思います。

 

私の感想を言いますと、
賛意を表する部分もあるのですが、
全面的には賛成しかねるというのが、
正直な気持ちです。

 

まず、揚げ足を取るようですが、
ほとんど宇宙の果てまで望遠鏡で見ることのできる現代の科学技術で、
浄土が見つからないのだから、
浄土は西には無い(実は東にも南にも北にも、あるいは他の方角にも無い)、
という趣旨の話がありましたが、
浄土は望遠鏡で見ることのできる世界でしょうか。
たとい科学技術の助けを借りたにしても、
最終的には私たちの感覚でとらえることのできるようなものが、
本当の浄土であるはずはありません。

 

少なくとも、
浄土が迷いの世界の感覚でとらえることのできない世界であるということは、
経典ができあがった二千年ほど前の人々も、
八百年ほど前の親鸞聖人も、
すでにご承知であります。
また、将来いくら科学技術が発達しようとも、
浄土の存在が観測できるはずがありません。
たとい現代より科学的知識の少ない八百年ほど前の人々であっても、
浄土が自力でくことができない世界であると領解りょうげしたならば、
西方を探せば浄土が見つかると考えたはずがありません。

 

『教行信証』は仏教界の知識人を対象にした書物と考えられますが、
一般民衆を対象としたと考えられるご和讃に、

 

 願力成就の報土ほうどには
  自力の心行いたらねば
  大小聖人みなながら
  如来の弘誓ぐぜいに乗ずなり(『同』591頁)

 

 安養あんにょう浄土の荘厳しょうごん
  唯仏与仏ゆいぶつよぶつの知見なり
  究竟くきょうせること虚空にして
  広大にして辺際なし(『同』580頁)

とお示しになっておられます。

 

結局、昔の人々は科学的知識がなかったから西方浄土と説いてよかったが、
現代人には科学的知識があるので西方浄土と説かない方がよい、
ということにはなりません。

 

先哲も、
すでにこの問題については考察を加え、
地動説における西方の意味まで論じています。
詳しくお知りになりたい方は、
『真宗叢書』の第2巻、201頁以下を参照してください。

 

道綽禅師どうしゃくぜんじは『安楽集』のなかで、

 

「ただ浄土の一門のみありて、
情をもってねがひて趣入すべし」(『註釈版聖典・七祖篇』184頁)

 

とお示しになっておられますが、
往生浄土の教えは、
決して知的理解の上に成り立つものではなく、
情的な把握が中心となるものでしょう。

 

情的という点から言えば、
地動説を常識として知っている現代人にとっても、
お日様が東から出て西に沈む、
という表現(地動説からいえば、地球が東へ回転するから、
太陽が見えはじめたり、隠れはじめたりするというのが正しい表現です)が、
感覚的になじむという面も考慮に入れて、
西方浄土と説かれた意味を考えてゆく必要があるでしょう。

 

先哲は、
無方が真実であって西方は方便であるのではなく、
無方も西方も真実であるが、
往生浄土の教えは西方をもって主とすると論じ、
無方にとらわれると断悪滅悪取の空(なにもないというとらわれ)に堕落するが、
西方にとらわれるままが
如来の願力によって、
西方即無方・無方即西方という真実に適合せしめられる、

と論じている意味を、
今一度考えてみるべきでありましょう。
(中央仏教学院機関誌『学びの友』、平成5年(1993)6月号)

 

(内藤知康『やわらかな眼』167頁)

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

小さなよろこびは

【ふいっとわかる】

 

2月20日は「源左」(げんざ)さんのご命日です。
お念仏を喜ばれた「妙好人(みょうこうにん)」と呼ばれるお一人。
今から180年前の天保13年、鳥取県のご出身です。

 

仏縁は18歳の時。
お父さんがコレラで亡くなります。
「おらが死んで淋しけりゃ、親をさがして親にすがれ。」
そう言ってお父さんは息を引き取られました。
そこから源左さんの本気の聴聞が始まります。

 

「『親をさがせ』ちたって、どこにおられるむだらか、
『親にすがれ』ちったって、どがなふうにすがるかわかりゃせず……」(源左)

 

ご本山(西本願寺)にも何度も参りました。
ご縁のお寺や高名な方にも足を運んではたずねました。

 

「ご本願を信じ、お念仏する。
この身このままおまかせする。」
そう聞いて納得しても、
しばらくすると、淋しさや悲しさがわいてきます。
人生の根源的な疑問が解消されません。

 

30歳を過ぎた夏です。

 

百姓だった源左さんは、
牛を連れて草刈りにいきました。
朝日がのぼるころ、
刈りとった草をいくつかに束ね、
それを牛の背にのせて帰りました。

 

「みんなのせたら牛が辛いだろう」と、
一束だけ、源左さんは背負いました。
すると途中で急に腹痛におそわれました。
どうにも我慢できず、
とうとう自分の草の束も牛の背に負わせました。

 

その時、「ふいっとわからしてもらったいな」(源左)。

 

手ぶらになって、すーっと楽になった時、
「親にすがる」とはこういう事かと、
信心をいただいたのだそうです。

 

【鼻が下に】

 

「ようこそ、ようこそ」が源左さんの口ぐせでした。

 

普通の人は当たり前と気にもとめない事も、
勿体ない事と喜ばれました。

 

私の好きな話が「鼻の話」。

 

「ありがとうござんす、ご院家さん。
鼻が下に向いとるで有り難いぞなぁ」(源左)

 

夏の昼下がりに夕立にあった源左さんは、
ずぶぬれになった事よりも、
「鼻が下に向いているとは何とありがたいか。
上向きなら雨がみな鼻の中に入ってしまうのに。」
そう喜ばれたそうです。

 

またある時は、
「親からもろうた手は、つよいむんだのう。
 いっかな、さいかけせえでもええけのう。」(源左)

 

「さいかけ」とは方言で、鍬や、からすきの先に、
鋳物でできたかたい刃先をつけかえることです。

 

「つけかえなくても良い手がある。」
当たり前のように手が動くことにも大きな感動を味わう源左さんでした。

 

【私のために】

 

信心をいただいた喜び。
それは口に出せば「それがどうしたの?」と言われてもおかしくないような、
取るに足らない事かもしれません。

 

しかしそんな日常のありふれた出来事が、
常にあふれんばかりの如来のお慈悲に、
他力のお支えにみえてくるのは不思議です。

 

東井義雄さんも、
そんな「何気ないような小さな喜び」を詩にされています。

 

  私のために

 

    東井義雄

 

眠れないままに
胸に手をあててみる
心ぞうが 動いている
私のために

 

息が
休みなしに
出たりはいったりしている
私のために

 

しきぶとんが
やわらかく
下から私をささえていてくれる
着ぶとんが
ふんわり
私を休ませてくれている

 

柱が
私を守るために屋根をささえていてくれる
床や たたみが
下から私をささえてくれている

 

屋根が
私を夜つゆにぬれさせないように
今もはたらいてくれている

 

お星さまは
まばたきしながら
それらを 高い空から
いまも見守っていて下さるのだろう

 

そして
大地が
すべてを
私ごと
ささえていてくださる

 

私のために。

 

   (東井義雄『家にこころの灯を』252頁)

 

 

ある本(『一秒の世界』)を読むと、
私達は一秒間に
心臓が一回脈を打ち、
60mlの血液を身体に送り出してくれます。
(ヤクルト1本が65mlなので、それより少し少ないくらい。)
また肺は平均すると93mlの空気を呼吸しているとか。

 

無意識ですがとぎれることなく活動してくれているわが身体。

 

「呼吸なんて当たり前」、
「心臓が動くなんて……」

 

確かにそれでお金が増えるわけでも
病気が治るわけでもありません。
ささいな事ですが、
「この瞬間、自分は何もしていないのに……南無阿弥陀仏」と、
かみしめる世界があります。
それはそのまま「阿弥陀」、
無限の光、無量のいのちという大きなしあわせと直結していることを、
妙好人の方々は教えてくださいます。

 

一日が終わり何もなかったかのような退屈な日々。
しかしお念仏に耳をすませてみれば、
今日も全てを背負ってくださる親さまの温もりの中でした。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

カムカム法語

【きっかけと決め手】

 

きっかけは和菓子でした。

 

年末にMさんの家でのお勤めの後、
お茶とおはぎが出てきました。

 

「美味しいですね。」
「朝ドラの影響で作ってしまいました。」

 

すっかりご無沙汰だった朝ドラ(NHK朝の連続テレビ小説)。
初めて現在放映している「カムカムエヴリバディ」の存在を知りました。

カムカムエブリバディ

 

昨年の11月からはじまった「カムカムエヴリバディ」。
ラジオの英語講座を中心に、
あんこ、野球、ジャズ、時代劇を題材にした、
女性三代のファミリーヒストリーです。
調べてみると、
脚本は藤本有紀さん。
そして、二代目主人公「るい」役は深津絵里さん。
「深津絵里……見てみよう。」
これが決め手でした。

 

【名前の由来】

 

タイトル「カムカムエヴリバディ」の名前の由来は歌詞です。

 

戦後最初のラジオ英語講座のテーマソングとして、
講師の平川唯一先生は面白い曲を作りました。
「証城寺の狸ばやし」の替え歌です。

 

「しょう しょう しょじょじ♪」を、
「カム カム エヴブリバディ(Come come everybody) ♪」に。
「しょうじょうじのにわは♪」を、
「how do you do and how are you♪」と。

 

大変な人気だったようです。

 

ドラマの初代主人公「やすこ」の親子は、
毎日このラジオを聴いては
楽しく英語を勉強するのでした。

 

【英語講座】

ラジオでカムカムエブリバディ

 

ドラマを視聴するようになって1月経過した頃、
「ラジオで!カムカムエヴリバディ」を偶然みつけました。

 

NHKのラジオ放送で、
月曜日から水曜日の午前10時30分、
朝ドラと連動した番組が放映されていました。

 

毎回、朝ドラの内容をもとにした英語の文章を
講師の大杉先生が作って解説します。
司会の3人のやりとりも面白く、
朝ドラの裏話なども聞けます。

 

(大杉先生)「オリンピックは英語でOlympics。語尾に「s(エス)」がつきます。
もしくはOlympic gamesです。」

 

勝手に英語も日本語読みで「Olympic」と思っていました。

 

(大杉先生)「Heart breakはハートがブレイクするような思い。
……多くの外国人はこの言葉を聞くと“失恋”を想像します。」

 

文字面だけでは分からないニュアンスも知ります。

 

【他力本願】

 

「「ラジオで!カムカムエヴリバディ」を聞いていると、
自然と英語と日本語の違いに気づかされます。
特に同じ言葉なのに、
日本語と英語では意味が異なるものがあります。

 

たとえば「マンション」。
日本ではアパートよりも大型の共同住宅(集合住宅)。
しかし英語の「mansion」は豪邸です。

 

同様に、同じ言葉なのに、
日常用語と仏教用語で意味が異なるものがあります。

 

たとえば「他力本願」。
一般的には「他人任せ、運命任せ。棚からぼた餅を期待する」。
しかし本来は「阿弥陀仏のこの上ないお慈悲の願い」です。

 

高級な家という意味ではマンションもmansion(豪邸)も同じかもしれません。
でも実際は大きく異なります。

 

相手の結果に委ねるという意味では、
「運任せ、風任せ、なりゆき任せ」も「弥陀任せ」も同じかもしれません。
でも見えませんが心の中は大きく異なります。
運命任せは「もう安心」とはいきませんが、
弥陀任せとは安心の境地を指します。

 

【お寺の法座】

 

英語は世界をのぞく窓である(大杉正明:NHK英会話講師)

 

英語にふれることで視野が広がるように、
仏教用語にふれることで、
人生の視野は広がります。

 

お寺の法座は学習が目的ではありませんが、
英語の講座のように、
私の勝手な先入観が消えて、
またお経の文字だけでは分からない意味合いも聞けます。
自然と仏のお慈悲を喜びいただける耳ができます。
迷いをこえ、仏となる最も早い道です。

 

法話には物語があります。
他力を中心に、
信心や念仏等を題材にした、
阿弥陀さまの、いわばブッダヒストリー。

 

コロナ禍の昨今ですが、
どうぞお寺の法座へ「カムカムエブリバディ!」、
みんな行きましょう!

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

仏の介護

【その服は】

 

  やさしくて頭が良いんだ俺の孫孫の自慢を僕にする祖父(介護百人一首より)

 

先月末に入院した祖母は施設に8年入居していました。
4〜5年前から認知症に。

 

「あなたは……○○さん?」

 

二言三言会話すると、また最初に戻ります。

 

そんな認知症の初期の頃、
ある日訪問すると祖母が嬉しそうに、

 

「この上着は温かくてありがたい。
軽くて気安いし、
そしてここを見て頂戴……ボタンの代わりにマジックテープになっている。
簡単に着ることができる!」

 

相づちを打ちながら、心の中で思ったことは、
「それは三日前に、自分が説明したのだけどな。」

 

仕方がないとあきらめた事です。

 

【介護百人一首】

 

「介護百人一首」は、NHK「ハートネットTV」の企画で、
介護の経験を詠んだ短歌です。

 

  絞り出す声で歌った「菩提樹」よ 途切れ途切れに苦しみながら(上原 詩穂子)
  コロナ禍で夫(つま)は家族に会いたいと乱れた文字が絶筆となる(大野 一与)
  車椅子使ってみると気付くこと道端に咲く可愛いお花(加藤 鈴音)

 

昨年も「介護百人一首2021」が出来ました。

 

楽しい歌、悲しい歌、
そして介護の苦労、いらだちを詠ったものもあります。

 

  またしても白寿の母に声荒げ外に出て己が頬ビシリ打つ(藤田一男)
  ほどほどにすればよかったいさかいて汁散る服を手間かけて拭く
  私がこんなにやさしくないなんて介護の日々に思い知るなり(黒木幸枝)

 

子どもの頃お世話になった方ですから、
「今度は私の番だ」と、
感謝の気持ちで接し続ける事ができれば良いのですが。
ストレスや疲労がたまり、
他ならぬ親の醜態や誹謗に、
我慢していた私の内面からは何が出てくるか。

 

【あさまし】

 

さて、1月17日は浅原才市さんの命日です(没後90年)。

 

阿弥陀さまの救いを喜び、
念仏の有り難さをたくさん書き留められました。

 

そんな才市さんに、
次のような詩があります。

 

この才市はあさましいやつであります
如来さんの前に立っておりましたら
何だろかこくさいによい(こげくさい匂い)がしましたで
よう見れば
如来さんがくぎ(焦げ)よられましたで
もみけしました
それが私の夜の夢でありました
そいからまたおこいて
お礼をさせてもらいました
何事も私が邪見なからであります
あさましあさまし。
  (『やさしい真宗講座』78頁)

 

日中は気をくばっていますが、
夜の夢の中、
そこで見た自分の本性は、
親どころか、
仏さまでさえ燃やそうとする激しい煩悩の炎でした。

 

しかしそんな凡夫の内面を見ることができたのも、
他ならぬ親様、阿弥陀さまのお育てです。

 

「お礼をさせてもらいました」

 

自分ではどうしようもない、
欲や怒りや妬み。
まして最後までお慈悲に抵抗するもの、
仏を殺さんとする程の煩悩の塊の私です。

 

そんな私を決して煩い悩み諦めず、
慈悲の願いで喚び続ける仏さま。
有り難さとかたじけなさに、
起きて手を合わさずにはおれないのでした。

 

【仏の介護】

 

私達の生活は喜怒哀楽の繰り返しです。
そして時に、
介護の現場のように、
しでかしたわが身の言動、行動で、
大いに反省する時が多々あります。

 

そのたびに「仕方ない」と気持ちを切りかえす……
しかし逆に、そんな時があるからこそ、
弥陀のご恩の深さを思い知らされます。

 

親どころか仏さまでさえ、
縁があれば何を思い、
何を言い出すか分からない私なのに、
その事も重々承知で仕上げられたのが仏の心、ご本願です。

 

「故に我、名号「南無阿弥陀仏」にて救う」

 

子を見捨てることができない母親のように、
私を見放さないための力量とお慈悲を備えられました。

 

心の中の煩悩の炎を恥じる以上に、
心の中の本願の灯への感謝です。

 

どんな認知症の私になっても、
私の救いの介護をとめない仏さま。
車椅子や寝たきりになっても、
お浄土の道は一人ではありません。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

捨身の仏さまと

【明けまして】

 

蓮如上人は新年に次の歌を詠まれました。

 

あらたまの 年のはじめは 祝うとも 南無阿弥陀仏の こころわするな
(『蓮如上人和歌集成』第202首、浄土真宗聖典全書5巻1091頁)

 

今年も悲喜こもごも、
いろいろな出来事があるでしょうが、
お念仏と共に一歩々々、大切に歩みたいと思います。

 

明けまして南無阿弥陀仏
(阿弥陀さま、いつもありがとうございます)。

 

【捨身】

 

さて、今年の干支は虎です。

 

虎にまつわる仏教で有名なお話といえば「捨身飼虎(しゃしんしこ)」。
法隆寺の「玉虫厨子」(たまむしのずし)にも描かれています。
出典は『金光明経』「捨身品」。

掲示板

 

「捨身」とは「身を捨てること」。
「飼虎」とは「虎に食べ物を与えてやしない育てること」。

 

釈迦の前世の一人であるサッタ太子が、
飢えた虎の親子に自分の身体を与える話です。
少々辛い話ですが、「布施の極み」を表現しています。
(参考までに、『仏教聖典』(山口益編)より、
ジャータカ物語 10 王子[投身して餓虎を飼う]本生」を。)

 

【身を粉にしてのご恩】

 

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし

 

法座の最後に流れる「恩徳讃」です。

 

念仏生活は、
捨身飼虎のサッタ太子のような仏さま、
いのちをかけて私に飛び込んでくださる阿弥陀さまと一緒です。
そのご恩を知り徳に報じ得る生活。
故にたとえ今日、
わが身が粉々に砕け散るような悲劇があったとしても、
むなしく終わらない道、
すでに救いに間に合っている道です。

 

この度の人生、
大きなご縁に出遇い、
大きなご恩をいただきました。

 

寅年の本年。
虎のように勇敢にチャレンジしていきつつ、
同時に、
飢えた虎のような私への
如来の身をかけてのご恩も大切にしたいものです。

 

【おまけ】

 

……最後にダジャレで締めくくらせていただきます。

 

コロナ感染症の心配は消えませんが、
正信偈に書かれた「感染症」、
「円満徳号勧専称(えんまんとくごうかんせんしょう)」、
こちらには大いにかかりたいものです。

 

あと、「寅」といえば寅次郎。
2016年8月前半の法話「お仕舞い」
よければこちらもご覧ください。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

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