法話2008
目次:
- 12月後半「最後の成績表(下)」
- 12月前半「最後の成績表(上)」
- 11月後半「麗しき浄土(下)」
- 11月前半「麗しき浄土(上)」
- 10月後半「当然なこと(下)」
- 10月前半「当然なこと(上)」
- 9月後半「光の中に生きて(下)」
- 9月前半「光の中に生きて(上)」
- 8月後半「亡き人はどこへ 私はどこへ」
- 8月前半「亡き人はどこへ 私はどこへ」
- 7月後半「輪廻を越えて(下)」
- 7月前半「輪廻を越えて(上)」
- 6月後半「1人じゃない(後編)」
- 6月前半「1人じゃない(中編)」
- 5月後半「(休載)
- 5月前半「1人じゃない(前編)」
- 4月後半「私はアコヤ貝になりたい」
- 4月前半「子に思う 其の1」
- 3月後半「正しい意味は?」
- 3月前半「かすかな光(下)」
- 2月後半「かすかな光(上)」
- 2月前半「扉が開く時」
- 1月後半「弥陀の喚び声(下)」
- 1月前半「弥陀の喚び声(中)」
内容
《最後の成績表(下)(十二月後半)》
【学期末】
※前回の話はこちらへ
小学校時代、一番ドキドキした日は学期最後の日、
通知表をもらう日でした。
テストの結果、
体育で最後まで逆上がりできなかった事、
図工や掃除時間等がいろいろ思い出され、
期待と不安で一杯な中、
先生から名前を呼ばれるのを待ちました。
通知表を受け取ったら机に戻り一人そっと開きました。
やはり思った通りでした。
テストで良い点数を取った部分は「◎」。
でも逆上がりができなかった体育の部分は「○」。
また数は少ないですが「△」もありました。
数ヶ月の自分の成績がそのまま書かれてありました。
良い評価は素直に嬉しく、でも悪い評価は悲しく……。
そしてその通知表を持って帰宅。
家では親が待ち構えていました。
母親に通知表を。
「ここは良くなったね。」
「ここが駄目になったね。なんで?」
いろいろと感想を言ってくれました。
そしてすみずみまで読んだ後、
「よく頑張ったね」。
晩ご飯はご馳走でした。
成績が良くても悪くても安心して居られる場所、
それが我が家でした。
【我が家へ】
「で、残るものは何かというと、
どのくらい自分が人生を楽しんだか、
それが最後の成績表だと思うんです」
末期癌の闘病中の筑紫哲也さんがインタビューでおっしゃった言葉です。
最後の成績表。
それは単に「後世に名を残す」といった意味ではないと思います。
私はこんな風に味わうのです。
その「最後の成績表」を持って家に帰るのです。
家族の、親のいる場所へです。
自分の人生の軌跡を見てもらいたい人がいる、
そして見てくださる方がいる、
そのことを思っての言葉が「最後の成績表」だと思います。
筑紫さんはおっしゃいます。
退院して見に行ったのは奈良・薬師寺の菩薩(ぼさつ)だった。
「前はそんなことはなかったのに、しみじみと見るっていうかな。
これは何だろうと思うんですけど。……」
菩薩様の顔を見ながら、
今生を終えてもうすぐ帰る家を、家族を、
そして親の顔を思い浮かべていらっしゃったと拝察いたします。
【お浄土へ】
人生には限りがあります。
「そんな事を考えていたら空しいだけではないか。不謹慎だ。」
そう怒る方もおられるでしょう。
またそんな現実には目をつむり、
ひたすら前に向かって走る方もおられるでしょう。
けれども真実に目をそむける人生、それで良いのでしょうか?
南無阿弥陀仏の阿弥陀様に出遇う人生。
それは命が終わってもおしまいではない、
必ずお浄土に生まれ往く人生です。
すなわち、将来がある。
そのことは本当の意味の生き甲斐、
生きていて良かったと心から喜び溢れる心情です。
そして「人生には限りがある」という真実にもしっかり目を向けていけるのです。
いつでも必ず私を迎えてくれる家(お浄土)がある。
ならば人生は限りがあっても何も恐れ空しく感じることはないのです。
安心して、毎日を精一杯生きます。
良い事も悪い事も全て経験して前に歩んで行きます。
そして命終った時、
その人生の軌跡、最後の成績表を携えて我や家に帰りたいと思います。
(おわり) ※冒頭へ
《最後の成績表(上)(十二月前半)》
【人生は限られている】
先月(12月)7日、
TBSの報道番組「news23」等でお馴染みだった筑紫哲也さんが往生の素懐を遂げられました。
筑紫さんは73歳。肺がんだったそうです。
もうテレビでお会いできないのかと思うと、
とても残念な気持ちになります。
そんな筑紫さんが病床で、
こんな風に命について語られておられます。
「がんは面白い病気でね。
ありがたいことは、
前なら突然倒れるまで一日一日なんて特に考えずにすごしてたのに、
先が限られると、きょう一日でも何でも……、
大事というのともちょっと違うんだけど、
お墓には何も持っていけないですから。」
(毎日新聞 2008年11月12日 東京朝刊【藤原章生 記】)
がんとの闘病生活によって改めて知ったこと。
それは「人生は限られている」ということ。
だからこそ一日一日を悔いなく生きたい。
そんな思いが楽しそうな会話の中から、
……身体は抗ガン剤でだるいのでしょうが、
みえてくるように感じます。
【残っていく成績表】
そして筑紫さんはこうもおっしゃったそうです。
「で、残るものは何かというと、
どのくらい自分が人生を楽しんだか、
それが最後の成績表だと思うんです」。
「成績表」。
筑紫さんらしいユーモラスな着眼点だと思いました。
子どもの頃、季節の終わりに良くも悪くも待ち遠しいのが通知表、成績表でした。
この人生という季節の終わりにも成績表がやってくるのです。
人生の成績表、
どんな項目が並ぶのでしょうか?
たとえば“仕事の頑張り度”でしょうか。
筑紫さんは新聞社、雑誌、そして最後はテレビへと多方面で活躍され、
するどい視点で社会へメッセージを投げかけてきました。
その言動に賛否両論はあるでしょうが、
大した社会的貢献、好成績だと思います。
また他に成績表につくもの……“自己満足度”。
どれだけ人生を楽しんだか。
趣味を楽しんだり、旅行に行ったり、
友人との会話を楽しんだり……。
そういうことも成績表に残るかもしれません。
お葬式やご法事の席で別れし人を偲ぶ時、
私達はその方の成績表を見ているのかもしれません。
どうな人だった。
あんな失敗があった。
こんな立派なことをされた……。
そうやってあの方を懐かしむのです。
最後の成績表。
素敵な言葉だと思います。
けれど、
私は「成績表」という言葉の裏に、
もう一つ味わうものが、
筑紫さんの心情がかいま見えるのです。
(つづく)
《麗しき浄土(下)(十一月後半)》
※前回のつづきです。
【かぶれの原因は】
住職継職法要という大きな法要が終わってホッとしたのもつかの間、
明くる日に首筋に赤いブツブツができました。
原因がわからず日ごとに痒くなり、気味が悪いまま一週間ほどすぎた頃、
坊守がその原因に気づきました。
「ご院さん、原因がわかったよ。」
「何?」
「“漆かぶれ”よ。」
「……………あぁ!」
そうでした。
間違いなく漆です。
実は継職法要の際、
せっかくだからと自分が身につける衣体等をいろいろ新調しました。
その中に「中啓」(ちゅうけい)がありました。
中啓とは、扇子のような形の仏具で、
僧侶は法事や法要の際、
必ずといっていいほど左手に念珠、
右手に中啓を持ちます。
できあがったばかりの新しい中啓でした。
その木の部分にはしっかり漆が塗ってあったのでした。
けれども単に手に持っただけならばかぶれたりはしません。
継職法要の午前中、稚児行列がありました。
その行列の時、
中啓を襟元にさして歩いていたのでした。
その間、約一時間。
ずっと首に塗立て漆が当っていたため見事にかぶれたのでした。
法要がおわって二週間以上たちますが、
いまだに首にかゆみが残ります。
かゆいけれど原因がわかりホッとしました。
【内陣の柱】
首をかきながら思い出すことがあります。
それは内陣修復をしてくださった漆職人の方々です。
八年前、
専徳寺の本堂を完成させようと、
当時の住職(父親)が発案。
入念な計画の後、
内陣の修復が始まりました
(※内陣とは本堂の前半分、
阿弥陀さまのご尊像や親鸞聖人のご絵像を安置している部分のことです。
ちなみに皆さんがお参りの際、座って礼拝する畳の場所を外陣といいます。)
五年前に工事が開始、
三年前の秋、内陣修復は完成しました。
この度の住職継職法要の際、併せて内陣修復慶讃法要もつとめました。
ウサギ、虎、龍、象……木彫の荘厳に素晴らしい極彩色が入りました。
壁面にも天人や菩薩の壮麗なる姿が描かれました。
どれもお浄土の美しい姿をあらわしています。
しかしその彩色に負けず劣らず見事なのは柱部分です。
美しい彫刻や壁面を縁取る黒い柱。
漆を何度も塗り重ねたことによって鏡のように輝く黒柱がそれらの彩色を引き立てています。
漆職人の方達は真夏の暑さの中、
毎日、何枚もシャツをかえながら、
漆を塗り重ねてくださいました。
漆の性質上、その暑い時期こそ漆塗りをしなければならないのだそうです。
疲れているのにいつも笑顔で話をしてくださるその両手には、
漆かぶれが生々しくあったのが忘れられません。
一生涯、あの手は痛くて痒むのでしょう。
※内陣の写真はこちら
【麗しき浄土】
阿弥陀さまはこの私を必ず救うと、
お浄土を建立されました。
お経様にはそのお浄土の美しい様相が説かれています。
大地は花が咲き乱れ、
鳥は法の音を奏で、
建物、浴池、見たこともない美しさです。
何故美しいのか。
煩悩にまみれていないからです。
何故か。
この煩悩まみれの私を、
お浄土に生まれたその時に、
迷いを超え仏にさせるためです。
そんな世界を仕上げるためにどれほど仏は苦労されたか。
美しいお浄土の世界、
その背景には仏の「兆載永劫(ちょうさいようごう)」という長きにわたるご苦労があります。
漆職人のように傷む手に苦しみながら、
しかし必ず救う世界を私一人(あなた一人)のために完成してくださったのでした。
本堂に座ります。
目の前にみえる漆の内陣。
それは阿弥陀さまの苦労で満ちあふれた麗しき浄土をあらわしています。
《麗しき浄土(上)(十一月前半)》
【法要疲れ?】
「ご院さん、首痒くないの?」
住職継職法要が終わった次の日、
坊守が私に訊ねました。
鏡をみると、
成る程、
自分の首の右側がほんのり赤くなっています。
けれど触っても痒くも痛くもないので、
その日は気にせず就寝しました。
次の日の午前中、
お勤めをしながら、どうも首が痛いなと思い、
鏡をみて驚きました。
ほんのり赤かったはずが、はっきり赤いブツブツができているではありませんか!
触ると熱をもっていて、とても痒いのです。
どうしてこんなことに!
「紅葉の下を歩いて、虫かぶれしたんじゃないですか?」
ある方がおっしゃいましたがそんな所にいった記憶はありません。
皮膚科へ行きました。
たぶん虫かぶれでしょうと言われ、
薬をもらいました。
けれども、3日薬を塗ってもちっとも赤みがとれず、痒い痛いの毎日でした。
法要疲れ?
これは難病なのでは?
ああ、住職になったばかりなのに……(汗)。
そんな不安な日が数日つづいた土曜日の午後です。
法務から帰宅した私に坊守が少々興奮気味に言いました。
「ご院さん、原因がわかったよ!」
偶然、午前中、継職法要の写真をみて気づいたのだそうです。
私もそれをきいて納得。
原因がわかりホッとしました。
さて、皆さん、
私の首の赤いブツブツ、
どうしてできたか、おわかりでしょうか?
ヒントは、タイトルにあります。
(つづく)
《当然なこと(下)(十月後半)》
昔、たしかこんなお話をお聴聞したことがあります。
【紙屋さん】
「お客さま、何かお気に召したものはございますか?」
「ああ紙屋さん。
この紙なんだけどね、いいなぁ、と思って」
「お目が高うございます。
これは職人が相当苦労して作ったものです。」
「ほんとだねぇ、この色づかい、ちょっとみないよね。
いいねえ。
欲しいなぁ。
手に取ってみていい?」
「どうぞ、どうぞ!」
「おおぅ! うっすらと絵があるね。」
「それは鳳凰でして、大変時間がかかっております。」
「そうか。ますます気にいったよ(笑顔)。
……………。なんだいこれ?(渋顔)」
「え、なんでございましょう?」
「なんでございましょうじゃないよ。なんだいこれは?
この裏ですよ。何にもないじゃない。
色もついてなければ、模様もないじゃない。」
「いや……お客さま、それは裏ですので。」
「ふーん、裏ねぇ。
……これ、いらないなぁ。
……うん、切り取ってよ。」
「は?」
「裏はいらないから切り取って。
そうしたらどんなに高くてもこの紙、買いますよ。
気に入ったからね。」
「いや……そういわれましても……。」
「してくれないの?
ああそう。
じゃ、帰ります。」
「あ、お待ちください。
……わかりました。すぐに職人に切らせます。」
数十分後。
二枚の紙を持ってくる紙屋さん。
「紙屋さん。できましたかな?」
「お客さま、できました。もうこれ以上ないという薄さです。」
「ああ、ありがとう、ありがとう。
難しい注文をしたね(笑)。
いやぁ、待ち望んだよ。
……………。なんだいこれは!」
「え、なんでございましょう?」
「なんでございましょうじゃないよ。なんだいこれは!
まだ裏があるじゃない!
私は「裏はいらない」って言ったんだよ!
ほら、あるじゃない!
駄目だよ、これじゃあ。
やれやれ仕方ない。私、帰ります。」
「ああ、お客さま〜!」
【生と死】
表があれば裏がある。
これは当然のことです。
そして同じように生があれば死があるのです。
けれども今の豊かな時代、
私たちは先ほどの紙屋さんに来たお客のように、
生ばかり考えて死のことを疎かにして考えていませんか?
「今が大事。今をいかに光り輝くものにするか。生き甲斐が一番!」
「死はいらない。切り取って。」
そうは言っても無理です。
いつか必ずやってきます。
「生は偶然、死は必然」です。
私たちは死を抱いて生まれてきました。
では、死んだらどうなるの?
一度、死について一人、だまって、
ふと、考えてもいいのではないでしょうか。
【当然のごとく】
でも一人では考えても何もうかびません。
私たちは経験したことしか理解できないのですから。
仏さまは生死を越えたお方です。
その方とご一緒に考えてみてください。
お念仏を称えてみてください。
ナモアミダブツ。
声となって届いてくださる仏さま。
「あなたを救う」という声の仏さま。
きっと応えてくださいます。
死と生、それは表裏一体の関係。
今、「死んだらどうなる」の話を聞く。
それは直接ではないけれど、
「生きることの意味」の話を聞くことでもあるのです。
つらい現実に、生きる意味を失う私です。
「なにやってんだろう……(涙)。」
でもそんな私に、
当然のごとく一緒にいてくださる方がおられます。
逃げても、今まで忘れていても。
いままで気づかなかったけれど、
一緒に泣いてくださる如来さまがいた。
その当然のことに深いお礼を申します。
※よければ、今年八月後半の法話もごらんください。
《当然なこと(上)(十月前半)》
【CD事件】
今年85になる祖母は童謡が大好きです。
週に一度行くデイサービスでみんなと歌うのだそうです。
家でも童謡が聴きたくて仕方ありません。
「昔の童謡のテープ持ってない?」
とよく尋ねられます。
そんな折、
通信販売の夏のカタログに「なつかしの童謡」という名の音楽商品をみつけました。
喜んだ祖母はそれをすぐ購入。
数日後、商品は届きました。
開けて祖母はひどく童謡、ではなく動揺。
なんと、カセットテープではなく二枚組のCDだったのです。
今までCDなんてものは一度も扱ったことのない祖母でした。
すぐに私に相談がきました。
「オッケー、おばあちゃん。」
私は家に余っていたCDラジカセを祖母に渡し、
そして使い方を説明しました。
「おばあちゃん、ここにCDをいれてね。
そして電源ボタンはここ。
それを押したら、再生ボタンはここ。
音量ボタンはここで、次の曲が聴きたい時はここ。
停止したい時はここだよ。」
ゆっくり丁寧に教えました。
祖母は教えられた通り、
電源ボタンを押し、再生ボタンを押しました。
すぐに曲が流れ出しました。
「ああ、うれしい。ありがとう。」
とても喜んでくれました。
それから2,3日しての夕方、
子供と外で遊んでいた時でした。
「ご院さん。ちょっと教えて。」
祖母が私を呼んでいました。
「どうしたの?」
「CDがどうしても動かないんよ。」
すぐに祖母の部屋へ行き調べてみました。
何度も再生ボタンを押しても駄目でした。
「おかしいな。そんなにこれ(CDラジカセ)、古かったかな。」
CD自体に問題があるのかと思い、
中のCDを取り出してみることに。
すると中のCDが………逆さまになって入っていたのでした。
思わず笑ってしまいました。
「お婆ちゃん、これが原因だよ。
CDには表と裏があってね。
この鏡みたいな方が裏。
こっちを下にして入れておかないと駄目なんだよ。」
「そうなのね。
それは知らんかった。」
これにて一件落着。
【表と裏】
数日後、この一件がお勤め中ふと浮かんだのでした。
「CDには表と裏があり、裏を下向きにして入れる」
CDで音楽を聴く時の第一歩の行程です。
自分は何故そのことを祖母に最初説明しなかったのか。
それは、当たり前すぎたから。
「この程度は説明しなくても」ということさえ考えていませんでした。
けれども初めての祖母には当たり前ではなかったのでした。
当たり前すぎて忘れてしまっている。
そんなこと、結構私たちありませんか?
(つづく)
《光の中に生きて(下)(九月後半)》
【一人じゃない】
そうです、共に泣いてくださるという事、
それは寂しくない、
この私は一人ではないことを意味します。
私たちはお念仏を称えます。
「南無阿弥陀仏」と。
それは、そのまま仏様です。
すなわち私を案じ、
「あなた一人泣かせはしない」と、
私に届いた声となった仏。
お念仏を称える時、こんな声、聞こえませんか?
「あなたを救う仏はもう届いているよ。一人じゃないよ」。
私の声ではあるが、
そのまま仏の喚び声である。
【祖母の手紙】
高校生の頃、
私は家が嫌いでした。
いろいろと規則が厳しかったです。
まず門限。
何時までには帰宅しないといけない。
またテレビも自分の好きな番組、
あまり観られませんでした。
食事はというと、そのころ我が家は身体にいいというので玄米が主食。
これが苦手でした。
だから早く家を出て一人暮らし、
誰からも邪魔されない暮らしがしたいと夢見ていました。
大学の試験に通った時は嬉しかったです。
家からは絶対に通えない所。
これで一人で暮らせる。
すぐにその大学の近くの不動産でアパートを借りました。
四月、大学生活、
私の初めての一人暮らしが始まりました。
それは楽しかったです。
何しろ門限はありません。
いつ帰宅してもいいんです。
テレビも誰に気兼ねすることもなく、
自分の好きな番組を観ることができます。
食卓に玄米は出てこない。
毎日、自分の好きなものを作ったり、
お店に入ったり。友達もでき、
大学生活はバラ色で始まりました。
でもだんだんとその色が褪せてきます。
朝起きても「おはよう」って言う人がいない。
テレビは好きなだけ観られる。でもその観たものを「おもしろかったね」って言える相手がいない。
いつ帰ってもいいけれど、いつ帰っても家は真っ暗。
一人家で食事をしながら、「寂しいな」って思っている自分がいました。
そんな時です。
祖母から手紙が届きました。
別に特別なことではありません。
季節ごとに来てました。
内容はいつも同じ。
最近実家であった事を淡々と書いて、
そしてお金が少し入ってました。
お金は嬉しかったけど、
心の中では、正直、
「お婆ちゃんも暇なんだな、
僕に手紙を書くことしかないのかな。」
と思っていました。
その時もそんなつもりで手紙をあけ、
読み出しました。
手紙はいつもの通り。
そして最後は
「お爺ちゃんも、お婆ちゃんも、お父さんも、お母さんも、弟の照君も、和君も、猫のミーヤも、犬のムーちゃんも、元気ですよ。お兄ちゃんも元気でね。年末に帰ってくるの楽しみにしています」
とありました。
何ともない、いつもの手紙の言葉ですが、
この言葉を聞いた時、
何だか知らないけど涙がポロポロこぼれました。
嬉しかったんです。
自分は一人じゃなかったんだ。
いつでも自分を迎えてくれる家があった。
その手紙から家族の声が聞こえました。
「自分のやりたい勉強。頑張れよ。そして絶対に帰ってこいよ」って。
支えられている、帰る居場所がある。
一人暮らし、でも一人じゃなかった。
大学生活をしたおかげで知ったかけがえのない出来事でした。
南無阿弥陀仏。
それはこの私たちにいつでもどこでも届く、
阿弥陀様からのお手紙。
「あなたを救う仏はもう届いているよ。一人じゃないよ。私がいるよ」。
内容はいつも同じ。
だけど嬉しい。
安心して委ねていくことのできる方と一緒なのです。
【光の中に生きて】
阿弥陀様のお慈悲の光は、
誰にも打ち明けられず、
たった一人悩み苦しむ私の心に常に到り届きご一緒くださっています。
そして「一人ではないよ。つらいね、苦しいね」とおっしゃってくださる。
そのお慈悲一杯の喚び声に、
この私の悲しみの涙、ではありますが、
それがそのまま如来様に包まれ、
支えられた喜びの涙へと変わっていくのです。
慈光はるかにかぶらしめ
ひかりのいたるところには
法喜をうとぞのべたまふ
大安慰を帰命せよ
この「法喜をうる」という「法喜」とは、
法の喜び、
すなわち阿弥陀様の必ずあなたを救うという南無阿弥陀仏のおみのりに出遇えた喜びのことです。
それは広大なお慈悲に包まれたこの上ない安堵の心です。
心の傷、そのものは消えません。
けれども阿弥陀様と一緒ならば、
その心の傷を抱えたまま、
人生をしっかりと歩んでいけるのではないでしょうか。
阿弥陀様の慈光……
今その心をいただき、
お念仏相続させていただきます。
《光の中に生きて(上)(九月前半)》
慈光(じこう)はるかにかぶらしめ
ひかりのいたるところには
法喜をうとぞのべたまふ
大安慰(だいあんに)を帰命(きみょう)せよ
『浄土和讃』(註釈版五五八頁)
ただいまのご讃題は、
親鸞聖人のお書きくださった『浄土和讃』讃弥陀偈讃の一首であります。
阿弥陀如来様の光のお徳についてほめたたえられたものです。
「慈光はるかにかぶらしめ」。
「慈光」とは、お慈悲の光という意味です。
私を照らすこの阿弥陀様の光には広大なお慈悲のお心がそなわっている、
そうお示しくださいました。
お慈悲の光。
それはどんな光なのでしょう。
【涙仏】
私のお寺は月に一度、
土曜日に子供会を開いています。
正信偈のおつとめをし、
少し法話をしたら、
あとはお寺の境内で遊ぶといったものです。
子供は時として、
私たち大人の思いもよらない言葉を教えてくれます。
ある時、子供達に、何気なく尋ねました。
「みんな、この本堂の真ん中におられる仏様のお名前、知っていますか?」
みんな首をかしげています。
「おいおい!ほら、(手を合わせながら)ナモアミダブツ、アミダブツ様だったでしょう?」
ああ、そんな名前もあったかなと頷く子供達。
そんな中、前に座っていたある女の子がこう聞き返してきました。
初めてお寺に来た子でした。
「え、ナミダブツ(涙仏)?」
びっくりしました。
「え?なんだって?」
こっちも聞き返しました。
そうじゃないよと答えながら、
「まてよ涙仏、涙の仏……」、
偶然聞いた言葉、
でもしばらく考えました。
皆さんはこの言葉を聞いて何か思われませんか?
私はこう思いました。
そうかもしれないな。
阿弥陀様は涙を流されてる。
何故ならそのお慈悲の心は、
あらゆる人々の悲しみをそのまま受け止めていてくださるのだから。
私も含め、あの泣いている人と同じ気持ちになり、
共に涙流されているのが阿弥陀様だったなと。
その言葉を味わわせていただきました。
【見えない涙】
考えてみると私たちはお互い、
どれだけ親しい間柄であっても決して打ち明けることはできない、
「一生口外はすることはない」とひそかに決心した、
過去のつらい体験、
悩みを抱えて生きていませんでしょうか。
たとえば、ある人が言った何気ない一言にひどく傷付き、
そのことが誰にもわかってもらうことができず、
一生消えない心の傷を持つ人もおられるでしょう。
誰にも打ち明けられず、
一人流す見えない心の涙……
そんな私めがけてまっすぐ届く仏の目も涙で一杯でしょう。
私の悩みをそのまま受け止め、
共に悲しまれる。
「つらいね。悲しいね。けれど心配しなくていいよ。
そのあなたを必ず救う仏はここにいるよ」
と、おっしゃってくださるのです。
阿弥陀様は誓いを建てられた仏様です。
「もしもあなたを救えなければ私は仏にならない」。
それはすなわち、あなたの悲しみの涙はそのまま私の涙であるということです。
私の悩みを自らの悩みとして泣いてくださる方がいる。
それは生きる上でこの上ない支えです。
私の悲しみに本当の意味で共感してくださる方がいる。
その方と一緒ならば、この人生、
悲しい、でも寂しくはない。
(つづく)
《亡き人はどこへ 私はどこへ(続)(八月後半)》
(前回のつづき)
本願寺山口別院からきたチラシ。
表には大きく、
亡き人はどこへゆかれたのでしょう。
私はどこへゆくのでしょう。
という問いかけがありました。
そして裏には、
次のようなことが書いてありました。
以下、全文引用いたします。
【亡き方はどこへ行かれたのでしょう】
まもなく、「お盆」。
故郷を離れ都会や遠方で暮らしている人たちも、
この季節になると生まれ育った故郷へ帰省し、
お寺やお墓に参って亡き方々を偲びます。
またお盆は仏さまのお心に気づかせていただく大切な仏事でもあります。
亡き方はどこへ行かれたのでしょうか。
草場の陰、冥土、天国、浄土、それとも・・・。
少し思いをはせてみてください。
そしてそのことを通して、
私はどこへ行くのか、
死んだらおしまいなのかどうか、
また今の自分のありようを顧みる機会として、
お盆を過ごしてみましょう。
【「どこへ行く?そんなことどうでもいいじゃないか。今さえよければ」。
本当にそうでしょうか。】
今さえよければいい、
自分さえよければいいという生き方は、
独りよがりな、
わがまま勝手な生き方になっていないでしょうか。
他者とのつながりを忘れ、
他者の痛みに目を閉ざし傷つけ、
自らも傷つけている生き方になっていないでしょうか。
目先の楽しさで人生の現実を覆い隠し、
先を見ようともしない生き方になっていないかどうか、
振り返ってみることも大切です。
【目的あればこそ航海、なければ漂流】
マラソンはゴールを目指してこそマラソンです。
ゴールもない、
方向も定まらないマラソンは苦痛、
徒労以外の何ものでもありません。
また行き先のない人生は、
大海原に放り出されて帰る港もわからず漂流している舟のようなものです。
現在地もわからずただ不安の中で漂っているのです。
いくら目先の楽しみでごまかしても、
ごまかしきれない不安を抱えたまま、
むなしく終わってゆかざるを得ません。
行き先を問うということは、
今の私の生き方、
現在地を問うということなのです。
【行き先がわかったとき、私の生き方が変ります。】
行き先が定まれば、
自ずと人生の全体を考え、
今の自分の立ち位置も見えてきます。
浄土が私の往き先として確かに定まったとき、
そこから浄土への歩みがはじまります。
目先のことにとらわれて他を顧みなかった私、
他を傷つけていた自分であったと、
今の自分のありようにも気づかされることでしょう。
本当の自分に気づかされて「ごねんなさい」と、
私に生きて行く方向が与えられて「ありがとう」と、
阿弥陀さまのはたらきのなかで生きてゆくことになるのです。
私の生き方が変わり、
今の私が輝いてゆきます。
亡き人を偲ぶとは、
亡き方の行かれた世界を問いたずね、
自分自身のいのちの行く先を聞いてゆく大切なご縁なのです。
私はどこへ行くのか、
お盆のこの時期、
謙虚に聞かせていただきたいものです。
(以上)
《亡き人はどこへ 私はどこへ(八月前半)》
行き先が わかれば
行き方が わかる
往(い)き先が わかれば
生き方が わかる
(真宗仏光寺派本山 仏光寺の伝道掲示板より)
【山口別院のお盆のチラシ】
先日、本願寺山口別院より一枚のチラシが届きました。
説明によると、
それは8月3日、山口県内全域の朝日新聞に折り込み広告したものだそうです。
我が家は朝日ではないため、
このこと知りませんでした。
読んでみるととても素晴らしい文章でしたので、
今月はこのチラシを引用掲載いたします。
【質問】
まずこのチラシの表には、
夕焼けを背景にバッタの写真が写っています。
ショウリョウバッタ。
お盆の頃、墓地周辺などの草原でよく見られるので、
「精霊(しょうりょう)」バッタと名づけられたのだそうです。
そしてその写真の右上に大きく次のように書いてあります。
亡き人はどこへゆかれたのでしょう。
私はどこへゆくのでしょう。
そして右下に五択があります。
イ)草場の陰
お墓の下。じっと縁者を見守る。
ロ)冥 土
地獄・餓鬼・畜生の三悪道という暗黒の世界。
生きている者からそこでの幸福(冥福)を祈られる。
ハ)天 国
神様の国。敬虔なる信仰心と罪を犯さない無垢の人生をもって、
はじめて天国へ行ける。
ニ)仏さまの国。迷いを離れた清浄な世界。
生まれたものは仏となり、
再び迷いの世界(娑婆)に還り人々を救う。
ホ) その他
この質問が伝えようとしているのは、
私たちは死後、
二つ同時の世界にはいかないということです。
東京とニューヨークへ同時に行くことはできません。
草場の陰と天国は違うのです。
そして仏さまの国(お浄土)も。
みなさんはどこへゆくと思いますか?
もしくはどこへゆきたいと思いますか?
「死語のことなんて」と思わずに、
どうか5分でもよいです、
真剣に考えてみてください。
チラシの裏には、
この質問について次のようなことが書かれてあります。
………つづく
《輪廻を越えて(下)(七月後半)》
【越えるもの・越えられないもの】
子供は成長して親を越えます。
とはいえ、
実際に越えることができないのが我が親です。
先日の総代研修会にて長岡裕之師が次のような歌を紹介くださいました。
父母の歳 越えて八十路に 入りしかど 深き慈愛は 未だ越えれず
今年は戦後63年です。
戦争が終わり、
科学・医学は発展し、
物の豊かな時代になりました。
平均寿命も上がりました。
その結果、
多くの人たちが自分の両親よりも長生きする時代となりました。
けれどもその人たちは考えるでしょう。
自分たちは両親の歳を越えました。
けれどもそのことは人間として両親を越えたことになるのだろうか。
そのことを確かめるため昔の思い出を振り返ってみます。
思い出せば思い出すほど、
親の苦労が心の底からにじみ出てくるのでした。
「長生きしてくれよ。」
自分たちのようなつらい思いはさせまい。
子供たちの見えないところで歯を食いしばって生きようとした父と母。
今なら分かります。
親の歳を越えるまでに成長した自分。
そこには決して越えることのできない親の慈愛のはたらきがありました。
【輪廻を越えて】
ところで、
仏教とは仏になる教えです。
それは言い替えると迷いの境界を越える教えです。
また「輪廻を越える教え」とも言えます。
この私。
はるか昔よりその罪業の深さから、
六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の世界)という迷いの境涯を経巡ってきた(輪廻してきた)私です。
むさぼり・にくしみの心は常にとどまることなく、
そのため決して迷いの循環、輪廻の枠組みから抜け出すことのできなかった私です。
けれどもこの度、
その世界を越えて迷い無きさとりの世界、
お浄土へ参らせていただきます。
それは、
無限の過去からこの私を心配し続け、
必ず救うとはたらき続けてくださる仏さまがいたこと、
そしてこの度、
生まれ難くも人間の境涯に生まれ、
そして遇い難くもその仏、
阿弥陀さまに出遇ったからでした。
それがお念仏の世界であります。
お念仏 「そのまま救う」の 弥陀の声
この度の命が終わるやいなや、
そのまま、罪業をかかえたまま、
迷いの境涯を越えてお浄土へ参ります。
そして完全なる智慧と慈悲を具えた、
仏さまにならせていただきます。
その事を聞かせいただく今生です。
聞けば聞くほど、
仏の深き慈愛に、
南無阿弥陀仏の尊いご縁に頭が下がります。
《輪廻を越えて(上)(七月前半)》
【牛乳親子】
先日、
一歳半の子供が牛乳を飲んでいた時のことです。
いつもは両手で瓶をしっかりもって飲むのですが、
その日は片手で飲み出しました。
瓶を落としそうでハラハラしたのですが、
「すごいねぇ。片手で飲めるんだね」。
誉めました。
すると今度はもう片方の腕を、
座っていた椅子の背もたれに掛けて飲み出しました。
「なんて行儀の悪い!」。
しかりました。
「そんな飲み方は教えてないよ!」
「まったく、誰の真似をしてるんだか!」
……そこまで言ってはたと気づきました。
「もしかして……自分か?」
子供の観察力は凄まじいものです。
親は常に子供にみられています。
そして子供は親の真似をして育ちます。
子は親の鏡。
自分の行動を反省させられました。
【親の役割】
子供にとって親はまず手本です。
そして大人になるための大きな支えでもあります。
我が家の子育てカレンダーに、
次の言葉が書かれてありました。
子は親を踏台にして成長する。
だからしっかりした踏台が必要である。
(佐々木正美「ことばの森」より)
「踏み台」とは強烈な表現です。
子は成長すると共に親を越えようとします。
親の真似(まね)をしつつ、
でも、自分の親だからこそ、
たびたび反発します。
親の真似をしたり親と衝突したりを繰り返し、
いつか大人へと成長していくのでしょう。
それは親も望むことであります。
子供の成長を願うのは親の本心です。
子が親を越える、
それは最高の親孝行かもしれません。
だからこそ、自分も父親としてしっかりしなければと思います。
少々踏まれても壊れない、
しっかりした踏み台になろうとします。
手本となり、踏み台となる親。
自分はまだまだです。
(つづく)
《一人じゃない(後編)(六月後半)》
【あなたが大切だ】
「命は大切だ!」
「命を大切に!!」
そんなこと、何千・何万回言われるより、
「……あなたが、大切だ」
誰かがそう言ってくれたら、
それだけで生きて行ける。
2005年に制作された、公共広告機構(AC)のコマーシャルです。
私の命。
それは自分が勝手に作ったものではありません。
最初から、いただきものです。
縁あって人間としての命をいただき、
今日生きているのです。
ですから自分勝手に命を粗末に扱うべきではないのです。
命は大切にしなくてはなりません。
……と、私たちは頭で「命は大切」と理解しています。
分っているのです。
でもそんな自分の命の重みが感じられなくなる時があります。
喧嘩。
いじめ。
孤独。
そして、
「何のために自分は生きているのか。
生きている必要はあるのだろうか。」
答えのでない問い・不安に、
悩み苦しむのです。
そんな時、
「命は大切」と、
頭で理解していても駄目なのです。
不安の波は、
人の知識をあっさりと押し流してしまいます。
そして「命を断つ」という選択が生まれるのです。
でもそんな時に、
「あなたが、大切だ」
そういう声が聞こえたらどうでしょうか。
目の前で、こんな自分を「大切」と言ってくれる人がいる。
自分を必要としてくれる人がいる。
自分は一人ではなかった。
そう知った時、
人は自分の命を断つことを止めます。
何故命を断つことを止めたのか。
決して「命は大切」という自らの知識が、
不安の波に打ち勝ったからではありません。
命は大切か、大切でないか……と思う必要もない程、
その心は、自分を大切と言ってくれた人への喜びで溢れ、
命を断つという選択肢が、
いつの間にやら洗い流されてしまっているからです。
【お慈悲の光】
親鸞聖人のご和讃に次の一首があります。
慈光はるかにかぶらしめ
ひかりのいたるところには
法喜をうとぞのべたまふ
大安慰を帰命せよ
阿弥陀さまの光、それはお慈悲の光(慈光)です。
いつでもどこでも私を照らし、
「あなたを救うことができなかったならば、
私はさとりを開くことはできないのだ。
つまり、
あなたの悩みは私の悩みなのだ。
あなたは、“一人じゃない”。
どうかこの声を聞いておくれ」
南无阿弥陀仏という声の仏となって呼んでくださいます。
その声を聞いたとき、
この人生の意味というべき大きな喜びが心に溢れ、
「なんのための命か」という私の憂いの苦しみは洗い流されることでしょう。
人間には限界があります。
いつまでも一緒というわけにはいきません。
でも仏は常に一緒です。
それはどのような時でもいてくれるということなのです。
これほどの安心、他にあるでしょうか。
仏が一緒。
一生一緒。
大いなる安堵の心を味わいながら、
今日もお念仏申す毎日です。
《一人じゃない(中編) (六月前半)》
【一人やない】
草若 「困ったなぁ、お嬢ちゃん。
行くとこあれへんようになってしもぅた。
どや、お嬢ちゃん、此処に居ったら?
こんな爺さんや熊みたいな男と一緒に居るの、嫌かも知れんけど、
此処に居ったら一つだけええことがあるで。」
喜代美 「ええこと?」
草若 「此処に居ったら、《一人やない》、いうこっちゃ。
何とかせんならん。けど何をしたらええか分からへん。
そんな時、誰かが居るいうのは、ええもんやで。……」
今年三月に終わった、
NHK連続テレビ小説「ちりとてちん」の一場面です。
(http://blogs.yahoo.co.jp/ruruko2006/folder/1572587.html?m=lc&p=34
ちりとてちん 第18回@ 10/20 (第3週:「エビチリも積もれば山となる」) )
主人公の喜代美は自分の日陰人生を変えるため、
高校卒業後、大坂へやって来ます。
でも現実は厳しく、
「やっぱり郷里(小浜)へ帰ろう」と。
それを許さないお母さん。
困った彼女に、落語師匠、徒然亭草若が言った台詞が上の場面です。
「一人やない」
この言葉がきっかけで、彼女は大坂に留まり、
最後は立派な落語家……ではなくて“お母ちゃん”になるというお話でした。
半年間楽しませてもらいました。
「一人やない」、
それはすなわち、
「ここは(私は)あなたを受け容れる」。
自分を受け容れてくれる場所・人がいる、
それは何かをなし遂げる上で大きな支えとなることでしょう。
【独りにはさせない】
さて、『大無量寿経』というお経様には次の一節があります。
「世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。」
「独生独死、独去独来(どくしょうどくし、どっきょどくらい)」と、
よく僧侶が法話で使う言葉です。
この人生、
家族と一緒、友だちと一緒……そんな時は気づきにくいですが、
実は、たった一人です。
普段はそのことに気づきにくい私です。
でも時としてそのことが孤独という不安として立ち上がってきます。
食べ物がないのもつらいです。
病気も苦しい。
けどどんなに物が豊かで健康であったとしても、
孤独であったなら、
心貧しく「何のために生きているのか」、そう思わずにはおれません。
独り(孤独)の解決。
五劫の間悩みに悩まれ、
南无阿弥陀仏となって私に至り届き救うと誓い仏となられた御方の苦労は、
そのような所にあるのではないでしょうか。
「どこまでいっしょ?」
「ずうっといっしょ。」
(つづく)
【お詫び】
五月後半は掲載休止しました。お詫び申し上げます。
《一人じゃない(前編) (五月前半)》
【ののさま だいすき】
最近、こんなうたに出あいました。
ののさま だいすき
松谷みよ子
ののさま いくつ
十三 七つ
どこまで いっしょ
ずうっと いっしょ
ふうちゃんが あるけば
ののさまも あるく
ふうちゃんが とまれば
ののさまも とまる
ののさま だいすき
あしたも またね
児童文学作家、松谷みよ子さんの『あかちゃんのうた』にある歌です。
「ののさま いくつ?」
「十三 七つ。」
有名な童歌「お月さまいくつ」と同じです。
十三七つ……
この謎めいた答えから、
尋ねた子供と私たちは一気に、
不思議なののさまの世界へ誘われていきます。
「どこまで いっしょ?」
「ずうっと いっしょ。
ふうちゃんが あるけば
ののさまも あるく
ふうちゃんが とまれば
ののさまも とまる。」
私が歩む道があることに気づかされます。
人生という道。
目的のある道。
そこには様々な出会いがあり別れがあります。
けれど、
ののさまだけは、
出会う前から出遇っていたのでした。
どこへ進もうと、どこでつまずこうと、
必ず側にいてくれるののさまがいます。
常に私と同じ歩調です。
子供にとってこれほどの安心はないでしょう。
「ののさま だいすき」
「あしたも またね」
ずっと変わらない明日があります。
この世の命がおわっても、
おしまいとならない、かの土での明日があります。
それをお誓いくださったのがののさまです。
(つづく)
《私はアコヤ貝になりたい (四月後半)》
【アコヤ貝の涙】
こんな話を聞きました。
アコヤ貝(阿古屋貝)は海底でひっそりと暮らしています。
餌は海中で死んだプランクトン。
徐々に分解されながら海底に落ちてきたものを食します。
海底のため、餌と一緒に砂や泥も入ります。
しかしそれは大抵すぐにはき出すことができます。
けれども希に、
どうしてもはき出すことのできない異物が侵入してしまうことがあります。
アコヤ貝がどんなに懸命に頑張っても、
体内に突き刺さったその異物は出て行くことがないのです。
困ったアコヤ貝はどうするか。
そのまま痛みに耐えながら、
異物を保ち続けていきます。
その時アコヤ貝から分泌液が。
その異物を何層にも包み込んでいきます。
やがてその異物を核として、
美しい煌めく玉ができあがります。
アコヤ真珠はこうしてできるのです。
(※ 天然真珠ができるケースは他にもあるそうです。)
【ストレスを核に】
アコヤ貝に人生の道筋を聞いたような気がします。
現代はストレス社会です。
便利になり豊かになった分、
今の私たちはかつてないほど種々様々なストレスを引き込みます。
大抵のストレスは、
友達とお酒を飲んだりカラオケに行ったり等の気晴らしで解消できます。
また一晩ぐっすりと眠ったりするのも効果的です。
けれども人生には、
どうしても消すことのできない、
忘れることのできないストレスを抱えることがあります。
気晴らし・睡眠といった応急処置では間に合わない大きなストレスです。
たとえば……
二度と治らない傷、病気。
苦しいリハビリ。
さらには、
最愛の人との別れ。
仕事での周囲の「いじめ」。
信頼していた友人の裏切り。
そのストレス、どう克服すれば良いのでしょうか。
アコヤ貝が教えてくれます。
祈祷といった荒療治はやめましょう。
痛くて苦しいけれど、
どうか目を背けずに、
涙で濡らしつつそのストレスと共に生きるのです。
けれども「共に生きる」とした時、
いよいよ仏法が真剣に聞こえてくるはずです。
ストレスを涙で濡らし包む私……、
その私をさらに涙で包みこんでくださる仏さまがいることに。
抱きしめて 大丈夫と 涙仏(阿弥陀仏)
怪我をした子を抱く母親のように、
私の消えない苦悩を、
そのまま「わが苦悩」と受け取ってくださる存在がいます。
その存在の放つ光は、
「南無阿弥陀仏」となって私に到り届き、入り満ちています。
そのはたらきは、
私の悲しみの涙をして、悲しみに終わらない涙にするのです。
やがてその涙につつまれたストレスは、
尊い玉に仕上がるでしょう。
それは何者にも代え難い宝物です。
【ストレスを縁として】
「このストレスさえなければ」
から、
「このストレスにであったおかげで」
へと心が軽くなる世界があります。
消えないストレスを抱えて涙する凡夫が、
消えないストレスを押し隠すことなく、
ストレスの中に届いたお念仏の教えによって
感涙へといざなわれていきます。
阿弥陀仏の他力本願の教えとは、そういうものです。
《子に思う 其の一 (四月前半)》
【夕方の戸締まり】
息子は今月で1歳3ヶ月になりました。
病気の時以外、
少々母親と離れていても泣き出さないまでに成長しました。
そこで最近夕方は、
忙しい母親から息子を離し、
父子二人、
本堂を始め境内の戸締まりが日課になってきました。
【暗くても平気】
夕方の本堂は暗いですが、
電気をつけずに入ります。
暗い外陣、
二人で座って短いお勤めをします。
その後、畳に息子を座らせ、
「そのまま待っててね。」
その間に扉を閉めます。
閉扉をじっとみている息子。
次に内陣へ回ります。
右余間(聖徳太子絵像前)に息子を座らせ、
「そのまま待っててね。」
その間に御仏飯を下げたりします。
動き出して、柱等の漆部分を触らなければと心配ですが、
じっとしていてくれます。
私をじっと観察しています。
子供は本質的に親の言うことには反抗するが、
親のすることを真似て育つ
(佐々木正美『ことばの森』より)
少々、緊張します。
【誰もいないの?】
ところが庫裏の戸締まりの途中、
どうしても用を足したくなる時があります。
その時はトイレ近くの部屋に息子を座らせ、
おもちゃを置き、音楽を。
しばらくして一人で遊び始めた時を見計らって、
「ちょっと待っててね。」
すばやくトイレへ。
しばらくすると、
「……くすん、くすん、………えーーん(泣)」
「慈生くん、お父さんここにいるよ!」
声をかけますが駄目です。
諦めて用を済ませ、
手を洗ってトイレの扉を開けます。
目の前には泣きじゃくっているわが息子。
申し訳ない。
【人生の不安】
息子のそんな様子をみて改めて思うことがあります。
人生で何が一番不安であるか。
孤独程、不安な事は無いのです。
子は本堂の暗い所でも平気です。
それは一人でないからです。
ベビーカーに乗せて山門を閉めに行く時も、
足をバタバタさせて喜んでいます。
見えないけれど、
後ろでベビーカーを押してくれているのが親であることを知っているから、
安心して喜んでいられるのです。
けれども、
どれだけ好きなお菓子、
好きなおもちゃ、
そして楽しい音楽が流れていたとしても、
「自分は一人だ」と気づいた時、
どうしようもない不安感、寂しさがこみ上げてくるのでしょう。
私たち大人だってそうです。
健康であったって、
財産があったって、
心から頼る相手がおらず、
孤独感を克服できなかったなら、
「自分は何のために生きているのか」
という問いが、
虚しく湧き起こってくるのではないでしょうか。
現代はテレビを始めたくさんの娯楽物があります。
ですから「自分は孤独だ」という事実が分かりにくい時代です。
けれども孤独は孤独です。
【孤独の解決】
昨年の直枉カレンダー12月の言葉にはこうあります。
一人ぼっちでないよと如来さま
阿弥陀さまはナモアミダブツという言葉となって
私に到り届きおっしゃるのです。
「だいじょうぶ。必ず救う。」
それは言い換えれば、
「寂しいね。つらいね。でもあなた一人ではないよ(私がいるよ)。」
という共感の声なのです。
悩みを共有してくれる、
本音を聞き受けてくれる方が、
今、ここにいます。
それはどれほど心強いことでしょうか。
嬉しさも悲しさも、
今ここで全く同じ気持ちで味わってくださる仏さま、
その名を「南無阿弥陀仏」。
【お夕事】
父子二人、
全ての戸締まりが終わったらお内仏の部屋へ行きます。
そこには家族が待っています。
「ナモアミダブツ、ナモアミダブツ……。」
御内仏で家族全員、お夕事します。
息子は金を叩く係で張り切っています。
お勤めをしながら、
「…如来さま、今日も有難うございました。」
心の中でつぶやきます。
慌ただしい日暮らし、
けれどもこのお夕事の時は心和みます。
《正しい意味は? (三月後半)》
【副住職便り】
昨年五月より、
専徳寺寺報の送付と一緒に「副住職だより」なるものをご門徒さまにお配りしていました。
おかげさまで三月のお彼岸の法要の際、
第七回の最終回を配布することができました。
今回はその「副住職便り(最終回)」をそのまま以下に掲載いたします。
【「満てる」なのに減る?】
九州生まれの若坊守は、結婚当初、
こちらの方言に随分とまどっていました。
その一つが「みてる」。
「ストーブの油がみてたから入れておこう。」
「……どうして一杯なのに足すの?」
若坊守に言われるまで気がつきませんでしたが、
この「みてる」は随分不思議な方言なのでした。
「みてる(満てる)」は、
一般的に「満ち足りる。いっぱいになる」と理解されます。
けれどもこちら中国地方、また四国地方では、
これを真逆の「減る、なくなる」の意味で使います。
調べてみたところ、
元々の「いっぱいにする」という意味が、
鎌倉時代に「果たす、成し遂げる」という意味になり、
更に室町時代に「終わる」という意味に広がったようです。
そこから「なくなる」という意味の「満てる」という方言ができたようです。
要するに「満てる」は、いっぱいあったものが少しずつ使った結果無くなる状態をいうのです。
【「気の置けない人」は要注意?】
「満てる」のように、
方言の場合、
意味が真反対であっても何ら構いません。
けれどもこの頃は日本語離れがすすみ、
いつのまにか元々の意味を真反対に理解している事があります。
その一つが「気が置けない」。
本来「気が置けない」は、
「あの人は気が置けない、だから何でも話せる(気の許せる)」と使います。
けれども若い人の多くは、
「あの人は気が置けない。だからなにも話せない(油断できない)」と誤解している人が多いようです。
そのため「あなたは気が置けない」と言われて嫌な気分になる人がいるとの事。
正しい日本語を知りたいものです。
あと慣用句の「情けは人のためならず」も同様です。
「情けは人のためにならないからやめよう」、では勿論ありません。
【「本願他力」は無責任?】
「他力本願(本願他力)」もそうです。
『広辞苑』には、
「もっぱら他人の力にをあてにすること」とあり、
そのことから「他人任せ」、「無責任」という負の意味で理解・誤用されがちです。
けれどもこの「本願」の「願」(願い)は私の願いではありません。
「あなたを救えないのであれば私は仏にならない」と誓われた阿弥陀仏の願い(誓願)です。
「あとは他力本願しかない。」「他力本願はやめよう!(自分に責任をもとう)」ではありませんでした。
解決する問題の段階が違うのです。
自分を深く内省した時、
この他力本願(本願他力)の正しい意味の登場です。
【副住職から住職へ】
さて寺報でも報告しましたように、
四月一日より第十四代専徳寺住職に就任いたします。
よって今回で「副住職便り」は最後となります。
わずか7回ではありましたが、
様々な方からご意見やご感想をいただきました。
ありがとうございました。
次回より「専徳寺報」を担当いたします。
そちらに一生懸命つとめてまいりたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
《かすかな光(下) (三月前半)》
【前回のつづき】
お念仏者の榎本栄一さん(明治36年〜平成10年)は、
数々の詩を世に残されました。
短い言葉の中に、
深くて温かい仏さまの心をギュッと詠い込まれています。
その中の一つに「もちじかん」という題の詩があります。
もちじかん 榎本栄一
私の持ち時間が
残り少ないのに気づき
このすくない時間が
まだ 私の両手にゆれ
かすかに光り
私はこの詩から次のような情景を思い浮かべるのでした。
【朝の洗顔】
榎本さんが朝起きて、いつものように洗面台に向かい顔を洗っていた時のことでした。
タオルで顔を拭きさっぱりした後、
何気なく目の前の鏡の中の自分と目が合ったのでした。
「歳をとったな」
理由もなくそんな気持ちが湧き起こってきました。
若くないことは認めていたけれども、自分が「老いた」とは思いたくもありませんでした。
しかしながらどうやら「老い」を受け容れなければならない時期がきたのでした。
老いを否定してきた理由は一つでした。
「老い」の次は何か。
老いの次はいよいよです。
将棋や囲碁の対局には、持ち時間(制限時間)というのがあります。
そして人生にも持ち時間が。
自分の持ち時間はあとどれくらいなのか…。
じわりと不安な気持ちがこみ上げてくるのでした。
水道に目を落としました。
蛇口から勢いよく水が流れ出ています。
この水道から流れ出る水のごとく、時間はまだいくらでもあると思っていました。
けれども、
もうそのように自分に嘘をついて生きられないのでした。
流れ出る水を両手ですくいました。
両手の中の一すくいの水。
これが持ち時間。
…これが現実。
…指の間からポタリポタリと水がしたたり落ちます。
「この水を失いたくない。」
手に力がはいります。
そして中の水がゆれます。
その時きづいたのでした。
ゆれるたびに水面がキラッと輝くではありませんか。
かすかに、でも、たしかに。
それは天井にある蛍光灯の光の反射によるものでした。
けれどもそれが榎本さんには仏の光にみえたのでした。
「そうだった。」
南無阿弥陀仏の仏さまは、
私の人生の一秒一秒、決して途絶えることなく、
一直線に温かい光を照らしてくださっていたのでした。
「心配するなよ。私がいるよ」と、
私の口から念仏を通して喚んでくださる親さまがここにいます。
そうでありました。
何も心配することはないのです。
常に親さまと一緒の旅路。
持ち時間の一滴一滴が光輝いています。
いつでもどこでも、
限りなき時間の仏(無量寿仏。阿弥陀仏の別称)さまは包んでくださっています。
そのことに気づかせていただいた朝。
なんという勿体ない朝でしょうか!
そうだ、これを詩にしよう!
タイトルは、うん、「もちじかん」。
「私の持ち時間が 残り少ないのに…… ……。」
【かすかな光に出会う】
以上、あくまで私の勝手な想像でした。
「早くおわらないかな。」
法事での読経時間は気になります。
しかし自分の持ち時間は気になりませんし、
気にしたくないのがこの私です。
昨今の健康ブーム。
心身の調子を整えることはもちろん大事ですが、
持ち時間に目をつぶり、
闇雲にその時間の延長に駆け回ってはいないでしょうか。
けれども一度自分の持ち時間、恐れず見つめてはどうでしょう。
そこには必ず榎本さん同様、
かすかな光、大きな慈しみのはたらきがみえるはずです。
【人生は、無量】
悲しみに直面した時、
苦しみに押し潰された時、
人生が虚しく感じ、
落語の洒落を真に受けて(詳しくは前回の「人生はタダ(無料)」をご覧ください)、
「人生なんてどうせタダみたいなもんだ」
そう思ってしまいます。
成る程、たぶん私の人生はタダ同然です。
タダ同然の私を「虚しい人生とはさせない」
とおっしゃるのが阿弥陀さまでした。
無料(タダ)の私の命が無量の寿命の仏におさめ取られ、
その命は無量になります。
無量の命をいただくという、
そのかたじけなくも喜びに満ちあふれた生活が、お念仏の生活です。
(おわり)
《かすかな光(上)(二月後半)》
【人生はタダ(無料)】
私の好きな落語の小話にこんなのがあります(多少、記憶違いもあるかもしれませんが)。
「人生50年」と言います。
けれどもそのうちの半分は寝ています。
寝ている時間は無駄です。
そうすると人生は25年。
けれどもまだ無駄があります。
人間は食事をしないといけません。
朝・昼・晩、それにあきたらず間食、夜食……
それらを足すと5年くらいにはなるでしょう。
そうすると人生は20年。
けれどもまだ無駄があります。
人間は清潔にしないと病気になります。
身体をあらったり、整髪したり、歯をみがいたり、化粧したり……
それらを足すと5年くらいにはなるでしょう。
そうすると人生は15年。
けれどもまだ無駄があります。
人間は移動をする生き物です。
徒歩はもちろん、自転車、車、電車、飛行機……
それらを足すと5年くらいにはなるでしょう。
そうすると人生は10年。
まだ無駄があります。
付き合いで呑んだり、喧嘩をしたり、食べすぎて寝込んだり、二度手間したり、……
そらを全部足すと5年くらいにはなるでしょう。
そうすると人生はたったの5年。
さらに考えてみると、
人間は生まれてからしばらくは自分で何もできません。
その時間は実に5年。
そうすると人生は……タダ(無料)。
どうでしょう?
無茶苦茶な計算ですが、何となくあっている気もして笑ってしまいます。
光陰矢のごとし。
気がつけば人生、あっという間に終焉を迎えるのかもしれません。
この小話のおもしろみは、
無茶苦茶とはいえ、人生の時間を計算していることです。
私に残された時間、タダではないならば、あとどれくらいなのでしょうか。
【読経時間】
法事の終わった後のお斎(とき)の席で、ある方が気さくに話しかけてくださいました。
「お寺さん。いつも法事の時にはお経の本(聖典)を私たちに配っているんですか?」
「はい。できるだけ皆さんと一緒にお勤めしたいものですから。
もちろん返してもらいますけど(笑)」
「いやぁ、ありがたい。助かります!」
「そうですか(喜)」
「それに、いつ終わるか、これならすぐ分かります。」
「………はぁ(苦笑い)」
お酒を飲まれていました。
半分冗談だったのでしょうが、半分は本心でしょう。
その気持ち、分からなくもありません。
お経は漢字ばかりでつまらないです。
ですから残り時間が気になるのです。
では人生はどうでしょうか。
豊かで便利な時代になりました。
おかげで様々な楽しみに出会えます。
ですから人生の残り時間なんて、全く気になりません。
しかし、やはりこの人生にも残り時間があります。
そのことに私は目をむけることができるか、それとも一生涯目をそむけていくのか。
残りの時間に向き合った時、
そこには人生の深い喜びがあります。
そのことを詠んだのが次の詩です。
【もちじかん】
榎本栄一さんは亡くなって十年経ちますが、
多くの詩集を世に出された、知る人ぞ知るお念仏者です。
その榎本さんにこんな詩があります。
もちじかん
私の持ち時間が
残り少ないのに気づき
このすくない時間が
まだ 私の両手にゆれ
かすかに光り
最初読んだ時、どういう意味かわかりませんでした。
けれども最近、この詩を読み返した時、
頭の中に次のような情景が浮かんだのでした。
(※みなさんは、どういう情景が浮かびますか?同じだと嬉しいのですが。)
(つづく)
《扉が開く時 (二月前半)》
【チャイルドロック】
突然ですが、チャイルドロックってご存じでしょうか。
え? 窓の下についているボタン?
それは普通のロックボタンです。
チャイルドロックは最近の車には、ほぼ間違いなく搭載されているそうです。
後部座席のドアについていて、
運転中、後ろに乗っている子供がいたずらなどで操作してもドアが開かないようにする装置です。
子供の命を守る機能です。
何故子供がそのロックをはずせないかというと、
先程言いましたように普通のロックボタンは窓の下についていますが、
チャイルドロックはドアの底の部分にあるからです。
ですからドアを閉めるとチャイルドロックに触れることは決してありません。
チャイルドロックしてあるドアは、
たとえ大人でも車中からは決して開きません。
外の人が開けてくれるまで待つしかないのです。
内側からは決して開かない一方的なドア、それがチャイルドロックです。
【祖母との買い物】
ある時祖母と二人、車に乗って買い物に行きました。
祖母は年齢もさることながら運転免許がありません。
ですから私が運転します。
祖母は「シートベルトが苦しいから」と後部座席に乗りました。
シートベルトをつけていない祖母が怪我をしないよう注意しながらの運転でした。
さて、目的地のスーパーに着きました。
すると祖母が「ドアが開かない」と言うのです。
「ああ、それはチャイルドロックがかかっているんだ。すぐに外から開けるから。」
そう言った私は、
運転席から降りて外から後部座席のドアを開けようとしました。
するとやっぱり開かないのでした。
壊れたかと一瞬思いましたが、すぐに祖母に言いました。
「おばあちゃん、ドアに何かした?」
「うーん。よく分らなくて何かしたかも。」
運転席に戻って後部座席のドアをよく見ると、窓の下、ロックがかかっていました。
祖母はドアが開かなかったのであわててロックボタンを降ろしてしまったのでした。
「それじゃあ、開かないね。」
二人で笑いました。
そしてロックボタンを解除してもらい、改めて外からドアを開け、買い物したのでした。
【ドアが開く時】
私と阿弥陀さまの関係も、丁度チャイルドロック式のドアのようなものです。
今、私は迷いの境涯のまっただ中です。
物事をいつも天秤にかけて生きています。
良い人、悪い人。美味しい物、不味い物。
常に自分が中心の生き方をしています。
その迷いの境涯から抜け出すにはどうしたらよいか。
私がどれだけ頑張っても無駄なことです。
チャイルドロック式のドアのように、
覚りの境涯へのドアは私が押しても引いても決して開くことはありません。
ではどうしたら開くのか。
方向がまるっきり違うのです。
外にいる阿弥陀さまが開けてくださいます。
開けて私を抱きかかえ、覚りの境涯へと連れ出してくださいます。
外に出るために私がドアに何かするという用事は全くありませんでした。
かえってドアをいじれば、間違えて内側からロックをかけるのが私なのです。
そうして間違え続けて今日までやってきたのです。
私の命終える時、間違いなく仏さまがドアを開け、
お浄土という覚りの境涯へ連れ出してくださいます。
そのことを喜びながら生きるのが浄土真宗のご法義です。
《弥陀の喚び声(下) (一月後半)》
念仏に 上手も下手もなかりけり
弥陀のお慈悲の 御名にあわねば
【前回のつづき】
「なんまんだぶつ なんまんだぶつ(南無阿弥陀仏)……」。
「なまんだーぶ なまんだーぶ(南無阿弥陀仏)……」
お念仏の声は種々様々です。
各々称えやすいようにお念仏して構いません。
元気よくお念仏いたしましょう。
けれども肝心なことは、
お念仏がどのようであっても、
その背後に阿弥陀さまの御名(名号)が働いていることです。
法蔵菩薩さま(後の阿弥陀さま)は「五劫」という長い間、
あらゆる者を救う道をご思案されました。
そして行き着いた解決の道が、
「自らの名前(名号)で救う」
という誓い(本願)でした。
そしてその誓いを果たし遂げるため、
「兆載永劫」という途方もない時間をかけて修行なさいました。
今その誓いは成就され、仏となられたのが阿弥陀さまです。
いつでもどこでも、
阿弥陀さまのお名前は私の中に響き入り、
私の心の中で「信心」となり、
私の口に「念仏」としてこぼれ出てくださいます。
【弥陀の喚び声】
「南無阿弥陀仏」の「南無」。
これはインドの言語「ナマス(namas)」の音に漢字をあてはめた言葉です。
文字通りの意味としては「おじぎをする。頭をさげる」。
更には、
「礼拝する。帰依する(自己の身心を投げ出して信奉する)」
という意味があります。
ところが親鸞聖人はこの「南無」を、
阿弥陀さまの本願のお心に即してさらに深く受けとめられました。
そして次のような説明をなさったのでした。
南無の言は帰命なり。
帰の言は、[至なり、]
また帰説(きえつ)なり、説の字は、[悦の音なり。]
また帰説(きさい)なり、説の字は、
[税の音なり。悦税二つの音は告なり、述なり、人の意を宣述するなり。]
命の言は、
[業なり、招引なり、使なり、教なり、道なり、信なり、計なり、召なり。]
ここをもつて帰命は本願招喚の勅命なり。
(註釈版聖典, p. 170)
(「南無」という言葉は帰命ということである。
「帰」の字は至るという意味である。
また、帰説(きえつ)という熟語の意味で「よりたのむ」ということである。
この場合、説の字は悦(えつ)と読む。
また、帰説(きさい)という熟語の意味で「よりかかる」ということである。
この場合、説の字は税(さい)と読む。
説の字は、悦(えつ)と税(さい)との二つの読み方があるが、
説といえば、告げる、述べるという意味であり、
阿弥陀仏がその思召しを述べられるということである。
「命」の字は、阿弥陀仏のはたらきという意味であり、
阿弥陀仏がわたしを招き引くという意味であり、
阿弥陀仏がわたしを使うという意味であり、
阿弥陀仏がわたしに教え知らせるという意味であり、
本願のはたらきの大いなる道という意味であり、
阿弥陀仏の救いのまこと、
または阿弥陀仏がわたしに知らせてくださるという信の意味であり、
阿弥陀仏のお計らいという意味であり、
阿弥陀仏がわたしを召してくださるという意味である。
このようなわけで、「帰命」とは、わたしを招き、
喚び続けておられる如来の本願の仰せである)
(現代語版、pp. 74-75)
長いですが要するに、
「南無」(帰命)を、
「本願招喚の勅命(ほんがんしょうかんのちょくめい)」
といただかれたのでした。
すなわち「南無」とは阿弥陀さまが、
「我によりたのめよ。我によりかかれよ。」
とこの私に向かって喚び続けられているお言葉であるというのです。
私が声を出して称える南無阿弥陀仏です。
けれども阿弥陀さまの願いの心をいただいた時、
念仏は、
「あなたを助ける仏はもう届いているぞ」
という「弥陀の喚び声」となります。
このことを原口針水(はらぐちしんすい)師は、こう歌われました。
「わが称へ わがきくなれど南无阿弥陀 われを助くる弥陀の勅命」(註2)
阿弥陀さまは私が気付くはるか以前より、
「仏はここにいるよ。助ける仏はここにいるよ」と私に喚びかけてくださっています。
南無阿弥陀仏のお念仏は、まさにその阿弥陀さまの喚び声なのです。
それは阿弥陀さまの名号の働きです。
そのようにいただいたが故に、
浄土真宗ではご本尊を特に「南無阿弥陀仏」とお呼びするのです。
(註2)
今では、
「われ称へ われきくなれど南无阿弥陀 つれてゆくぞの弥陀の喚び声」
という歌の方が有名です。
《弥陀の喚び声(中) (一月前半)》
【前回のつづき】
浄土真宗では、「南無阿弥陀仏」の六字の言葉を、
そのまま阿弥陀さまの尊いお名前といただきます。
ですから、
「あなたの(浄土真宗の)ご本尊は?」
と訊かれたら、
「はい、南無阿弥陀仏です」
と応えます。
「阿弥陀仏ではないのですか?」
と再び訊かれたら、
「はいそうですよ。ですから南無阿弥陀仏さまです」
と応えます。
どうして阿弥陀仏を「南無阿弥陀仏」といただくのか。
そこには非常に大切な意味があります。
【五劫思惟之摂受(ごこうしゆいししょうじゅ)[註1]】
『仏説無量寿経』には次のようにあります。
阿弥陀さまはかつて法蔵という名の菩薩さまであった時、
いかなる者でも救い取ることのできる手立てを長い間ご思案なさいました。
そのご思案された時間は実に“五劫”という果てしないものでした。
こうして考えに考え抜かれた結果、
ついに《四十八の誓願》を建てられたのでした。
その第18番目の誓願はおおよそ次のような内容でした。
もしも私が悟りをひらいた時、
あらゆる者が、私を心から信じ、私の名を称え(念仏し)、
それによって必ず私のさとりの世界(浄土)に往生しないかぎり、
私は仏(阿弥陀仏)にはなりません。
すなわち仏を信じ、念仏申せば、
あらゆる者が阿弥陀さまのお浄土へ生まれ、
仏になる(さとりを開く)と誓われたのでした。
これは《四十八の誓願》の中、根本となる誓願なので《ご本願》と言います。
【重誓名声聞十方(じゅうせいみょうしょうもんじっぽう)[註2]】
ところで《四十八の誓願》をお説きになられた直後、
法蔵菩薩さまはさらにこれらの願いの要旨を詩句であらわされたのでした。
それが「重誓偈」というおつとめです(赤本83頁、新本76頁)。
その第三偈には次のようにあります。
わたしが仏のさとりを得たとき、(我至成仏道)
わたしの名号を広くすべての世界に響かせよう。(名声超十方)
もし聞えないところがあるなら(究竟靡所聞)
誓って仏にはなるまい(誓不成正覚)
※『現代語版』より抜粋
つまり「自分の名前(名号)を世界中の者に聞かせよう」と誓われたのでした。
これは自分の名声(よい評判)が上がって欲しいという意味ではありません。
どんな者でも必ず往生できるように、
自分の名前(名号)に仏のすべての功徳を込め、
それをあらゆる者にふりむけ与えることを誓ったのでした。
仏を信じ、念仏申せば間違いなく往生できます。
しかしながら現実の私たちに、
仏さまを信じてお念仏申そうという心ぶりは微塵もありませんでした。
そのことを既に五劫もの間思案され見抜かれたのが阿弥陀さまでした。
そこで自らの名前(名号)で救うことを誓われたのでした。
仏さまのお名前が私の中に響き入り、
私の心に宿って信心となり、
私の口に表れて念仏となってくださるのでした。
名号がこの私を信じさせ、念仏申させる身とならしめるのです。
これを「名号摂化」(みょうごうせっけ)ともいいます。
私が「南無阿弥陀仏」と称えるお念仏の背後には、
広大な智恵と慈悲の功徳をそなえた阿弥陀さまの名号がはたらいているのです。
(つづく)
[註1]
五劫思惟之摂受:『正信偈』第三偈の第一句目。「五劫これを思惟して摂受す」と読む。
[註2]
重誓名声聞十方:『正信偈』第三偈の第二句目。「重ねて誓ふらくは、名声十方に聞えんと」と読む。
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