山口県は岩国にある浄土真宗寺院のWebサイト

絵像の物語(12月下旬)

【ヘンリー8世】

 

先日テレビを観ていると、ある展覧会を紹介していた。
「キング&クイーン展」。
イギリス歴代の王様、女王様の肖像画をずらっと並べたらしい。

 

ナビゲーターの方が言われる。

 

「肖像画を観るポイント、それは背景を知る事です。」

 

肖像画には物語があるらしい。
それを知って観ることが、風景画鑑賞との違いだそうだ。

 

番組ではテューダー朝、ヘンリー8世(1491〜1547)の肖像画の説明があった。

 

英国王室史上、最もスキャンダラスな王。
その理由は、6回の結婚。
うち2人と離婚、そして2人は処刑。
また2人目の妻となる女性と結婚したいが為、国の宗教まで変更してしまう。
その傍若無人ぶりに驚かされた。

 

【8代ご門主】

 

気を取り直して仏壇の前に座る。

 

浄土真宗のお仏壇は、先祖壇ではない。
ご本尊を安置する場所。
原則、遺影はもちこまない。

 

ご本尊は阿弥陀如来。
その右脇(向って左)の肖像画ならぬ「ご絵像」は、
ヘンリー8世ならぬ本願寺8代ご門主の蓮如上人(1415〜1499)。
本願寺を再興し、今の礎を築いた中興の祖である。

 

蓮如さまは5回の結婚をされる。
子どもは13男・14女おられたとか。
だが生前に7人亡くなっている。

 

妻との4回の死別を経験し、
人間の世の定めのないありさまを通して、

 

「されば人間のはかなきことは
老少不定(ろうしょうふじょう。老人が先に死に、若者が後で死ぬとは限らない)のさかひ(境涯)なれば、
たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、
阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、
念仏申すべきものなり。」

 

と教導される。
落ち着き払った身のこなしのご絵像だが、
「おぬしはいくつになった。おぬし、念仏もうせよ」との熱い思い、
粉骨砕身のご苦労が伝わってくる。

 

【面持ち】

 

中央のご本尊を見上げる。
ご縁がなかった頃は、
仏頂面という言葉があるように、
そのお顔は「無愛想な」表情にも見えていた。
だが今は物語を知った。

 

蓮如上人が朝夕の勤行に改正した親鸞聖人著作「正信偈」には、
法蔵菩薩因位時(ほうぞうぼさついんにじ法蔵菩薩が因位の時、……)」と、
如来の物語の肝要が述べられている。

 

物語を知る前と後、
さらに信心をいただく前と後では、
ご本尊の面持ちが違ってくる。

 

この仏はどこまでも求道をつらぬかれ、
慈悲のきわまりの仏となられた。
牛がどろ水を飲んで乳とするように。
どんな私の悪業をもうけいれ善業にかえなし、
浄土へ導く方となられた。

 

私のために真剣になってくださった方がおそばにおられる。
終始、他を批判・非難しがちな私であるが、
「そんな悪意はやめねば」といった善業、
自力のはからいに用事のなくなる、
今日も真正面から仏さまと向き合う尊い一日である。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

わさび念仏(12月上旬)

【二種類のわさび】

 

「マツコの知らない世界」というテレビ番組があります。
ゲストごとに繰り広げられる独自の世界観と、マツコさんの鋭いツッコミが見所のトーク番組です。

 

先月24日は「マツコも知らないワサビの世界」。
28年間わさびを研究してきた女性T(玉木幸愛)さんが登場し、
3分しか味わえないわさび本来の香りと甘みについて、
また2万円もするという大きな本わさびも出ていました。

 

番組途中で紹介されたのが「西洋わさび」。
外国名「ホースラディッシュ」といい、
広くはダイコンに分類にされる白い野菜です。

 

実はこのホースラディッシュ、本わさびと辛味成分は同じ。
Tさん達は、この辛味成分を研究して、
本わさびとほとんどかわらない
美味しいわさび味を作っているのでした。

 

疑問に思ったマツコさん。
「(市販の「本わさび」と書いたねりチューブ……)
あれって、本わさびですよね?」

 

するとTさんは苦笑いして、「ええっと、実は……」

 

パッケージに「本わさび」と書いてあっても、
「本わさび使用」なら50パーセント以上、
「本わさび入り」だと50パーセント未満、
本わさびが入っているのだとか。

 

驚いたマツコさん。
「知らないまま死にたかった」
少しダマされた感じがしたのでしょう。

 

【功徳の成分】

 

ねりわさびの種明かしにがっかりしたマツコさん。
自分の知っている「本わさび」には、
ほとんど本物が入ってなかったからです。

 

さて「南無阿弥陀仏」のお念仏。
その内実は、
阿弥陀様の願いと共に、
私を浄土へ往生させ得るはたらき、
阿弥陀さまの功徳がおさめられています。
どれくらい入っているかというと親鸞聖人は、

 

「功徳」と申すは名号なり。
「大宝海」はよろづの善根功徳、満ちきはまるを海にたとへたまふ。
(『一念多念文意』、註釈版692頁)

 

私が称える「南無阿弥陀仏」の念仏ですが、
また「南無阿弥陀仏」は阿弥陀様の名前、名号(みょうごう)といいます。
それは単なる名ではなく、
仏様が今、「あなたを救うぞ」というはたらきそのものを彰します。

 

宝の海のように功徳が満ち満ちている名号。
如来さまのさとりの一切の功徳、
私を浄土往生させる救いの成分100パーセントです。

 

100パーセントですから安心です。
世間でよくあるお念仏、
“困った時の神だのみ”的なお念仏ではありません。
嬉しいから出てくるお念仏なのです。

 

念仏するから助かるのではないのです。
助かっていた事を表現するお念仏です。

 

【後悔なし】

 

子供の頃の家族でつとめたお仏壇での合掌・読経。
葬儀の悲しみや、本やテレビの解説、親しい人からの助言など、
今、様々なご縁で、
仏縁がととのい、阿弥陀様の名号にであいます。
そして気がつけば、そのはたらきに身をゆだねていました。

 

そのことを親鸞聖人は、

たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、
念仏して地獄におちたりとも、
さらに後悔すべからず候ふ。(『歎異鈔』第2条)

「もし自分はダマされていて、
実は念仏だけでは不足で、
自力(自ら善業功徳を積む事)が必要であり、
そのため、死んで地獄へ落ちたとしても後悔しません。」

 

それほど今、自らが嬉しかったのです。

 

迷いを迷いとも思わず、
煩悩に流されていきる私、
その人生の流れを浄土の大海へ導く阿弥陀さまと一緒の生活は、
喜び一杯です。

 

我が身の煩悩・罪業の深きこと、
されど、
如来様の智慧・慈悲の深きこと、
共に知り得て死んでいきます。
その後のことは考える必要がありません。

 

「知らないまま死にたかった」ではなく、
「知って死ねて良かった」と思える人生。

 

冷蔵庫にある「本わさび」の文字をみながら、
「南無阿弥陀仏」とつぶやく今日この頃です。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

仏のかんじょう書き(11月下旬)

【僧侶の仕事は】

 

先日、図書館で子ども向けの本棚を見ていると、
『夢をかなえる職業ガイド : あこがれの仕事を調べよう!』(PHP研究所)
という本を見つけました。

 

あなたは、どんな仕事にあこがれますか?
具体的な仕事は決まっていなくても、おいしいものを作って人を笑顔にしたい、
世界を平和にしたい、困っている人を救いたい、
動物にかかわりたいなど、やりたいことをかなえるにはどんな仕事があるのか、
まずはこの本を開いてみましょう。
あなたの夢をかなえるヒントが見つかります。

 

開いてみると、
「どんな事がしたいか」を三つに分類していました。
@感動をあたえたい。
Aみんなを支えたい。
B人や世の中をリードしたい。

 

そしてそれぞれに具体的な仕事を紹介していました。
たとえば@の「おいしいものを作りたい」という夢には、コックの紹介と、
コックになるための学校の紹介が。
Bの「経済を支えたい」では、銀行員や税理士の仕事が紹介されてありました。

 

しばらく眺めていた時、
「そういえば、僧侶の仕事はどこにあるのかしら……」

 

……本のすみずみまで観ましたが、
“僧侶”などの“聖職者”はありませんでした。
少し残念。

 

【高額年収】

 

そんな本の中に、こんなコラムが。

 

「年収:1200万円のお仕事!」

 

何かというと「主婦」、言い換えると「お母さん」の仕事です。

 

お母さんは、その多くの時間を子どもに費やします。
掃除、洗濯、裁縫、買い物、料理等々。
子供のために宿題をみたり、
子どもの悩みを聞いたり等々。

 

残業も当たり前。
休日らしい休日もなし。

 

そんなお母さんの仕事の賃金を試算すると、
ざっと1200万円になるのだとか。

 

大変な仕事とは思っていましたが、
あらためて数字にすると驚きます。

 

しかももっとすごいのが、
それだけの労働をしながら無給ということです。

 

【かんじょう書き】

 

下村湖人先生の書いた「心窓をひらく」に、
「おかあさんのかんじょう書き」という文章があるそうです(※1)。

 

進という少年が、学校へ出かけるとき、
前夜書きつけた紙片を二つに折って、
お母さんの机の上にそっとおいて、学校へ出かけていきました。
紙片には、次のように書いてありました。

 

かんじょう書き
一 市場にお使いに行きちん…………十円
一 お母さんのあんまちん………………十円
一 お庭のはきちん……………………十円
一 妹を教会へつれて行きちん…………十円
一 婦人会のときのおるすばんちん……十円
 ごうけい………………………………五十円
           進
 お母さんへ

 

進のお母さんは、これをごらんになってニッコリなさいました。
そして、その日の夕食のときには、今朝のかんじょう書きと、
五十円が、ちゃんと机の上にのっていました。
進は大喜びで、お金を貯金箱に入れました。

 

その翌日です。
進がご飯を食べようとすると、
テーブルの上に一枚の紙があります。
開いてみると、それはお母さんのかんじょう書きでした。

 

お母さんのかんじょう書き
一 高い熱が出てハシカにかかった時の看病代…………ただ
一 学校の本代、ノート代、エンピツ代…………………みんなただ
一 まいにちのお弁当代…………………………………ただ
一 さむい日に着るオーバー代……………………………ただ
一 進さんが生まれてから、今日までのおせわ代…………みんなただ
 ごうけい………………………………………………… ただ
            お母さん
 進さんへ

 

進は、これを見たとき、むねがいっぱいになって、
大つぶの涙がもうすこしでこぼれそうになりました。……
(東井義雄『「いのち」の教え』、113〜115頁より)

 

【如来の仕事】

 

阿弥陀様も、
この“子に対する母親の仕事・態度”と同様です。

 

私をかけがえのない子どものように慈しみ、
私を仏にするべくはたらいてくださる仏さま。
お金を超えた価値の仕事です。

 

そして母親同様、決して子に見返りを求めません。
「かんじょう書き」さえ書かれません。

 

何か代償がなければ“救われない、ご利益はない”と思いがちの私たち。
勝手に如来さまの救いを「取引の論理」にしがちです。
けれども、
如来さまのかんじょう書きは、いつでも“ただ”でした。

 

それを「なーんだ(簡単)!」と思うか、
それを「なんと…(感嘆)!」と思うか。
前者は、その価値がわからず、
後者は、その価値に言葉がでません。
母親のかんじょう書きをもらった子と同様です。

 

@みんなに感動をあたえる仕事
Aみんなを支える仕事
Bみんなをリードする仕事

阿弥陀さまの仕事はその全てを網羅します。

 

私という煩悩具足の凡夫を支え続け、
この罪業の人生を浄土への人生へとリードします。
そんな仏の仕事、仏のお慈悲のかんじょう書きを見て、
心がゆれ動きます。

 

浄土真宗は、ただ阿弥陀様の「かんじょう書き」を聞く教えです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 


(※1) 「お母さんのかんじょう書き」は、原題「Bradley Owed」といいます。
今では小学校の道徳の教科書によく出てくるお話のようです。
おそらく昔、下村先生がその話を知り、
「心窓をひらく」と題して教科書か何かで紹介され、
そこから広まったのではないかと思います。

 

聞く教え(11月上旬)

【聞く所】

 

「お寺は祈る所じゃなくて、お話を聞く所だよ。」
(先日のお寺参りの後、父親が幼稚園の娘に)

 

ご法事で阿弥陀様の前にすわる私たち。

 

当初は、

 

「阿弥陀様?お浄土? それってあの世の事でしょ?」
「あの世のしあわせより、私は“今のしあわせ”がほしい!……お金、いやあの世にお金は持っていけないから健康……それとも……それとも……」
「……あっ、死んだおばあちゃんを、阿弥陀様、よろしく(ナンマンダブ)。」

 

そんな事を思いがちです。

 

けれども徐々にご縁が深まる中、
阿弥陀様の物語、阿弥陀様の願いが耳に入ってきます。

 

「阿弥陀様がお浄土を開かれたのはなぜか?」

 

「……私のためでした。
 今の私を決して離さない、未来のお浄土まで共に歩んでくださる仏さまなんですね。
 私って一人じゃないんですね。阿弥陀様、ありがとうございます(ナンマンダブ)。
 おばあちゃん、お浄土で会おうね(ナンマンダブ)。」

 

祈る事よりも、聞く事の大切さに気づいていきます。

 

【親のご縁】

 

「亡き人に導かれて仏縁をいただきながら、これからも生きていきます。」

 

先日のお寺でのご法事の時に、いただいた手紙の言葉です。

 

遠方から深夜バスで参った“孫代表”の息子さんが、
「同居の父からあずかってきました」と。

 

手紙には、自分の親である故人の思い出が、
写真と一緒にいろいろ書かれてありました。
49歳でなくなった親の50回忌。
故人の年齢の倍の年月が経過しました。

 

「自分は今回、もうそちらへ行けません。
 近くのご縁のお寺へお参りさせてもらいます。」

 

手紙をくださったGさん。
若くして別れた親との悲しみを縁に、
お寺の法座でお聴聞する事が始まりました。

 

最初はよく分からなかったと思います。
けれども亡き母親が忘れられず、
わからないままのお寺参り。

 

あれから49年。
今ではお寺参りが習慣に。
楽しくお聴聞されているそうです。
(築地別院の雑誌をいただきました。ありがとうございました。)

 

【涙する時も】

 

亡き人を偲ぶ法事は亡き人に導かれたるわが仏縁かな

 

生きる事に悲しみはつきものです。
自らの病気や不幸だけでなく、
知人や家族の悲しみも何とかしたくなります。

 

世の中には宗教があふれています。
厄除けや幸運アップのグッズを買う“祈り”系、
自らの心をしずめ、リラックスさせる“瞑想”系、
正しい教えから商売根性丸出しの教えまで様々です。

 

そんな中、仏教の中には「他力本願」、
阿弥陀仏の一方的な救いの道理を「聞く教え」があります。

 

一番簡単そうで、しかしある意味、一番分かりづらい教えですが、
人生の最後まで消える事のなく「効く教え」です。
その都度、祈ったり、心を静めたりする必要がないからです。
病院のベットでも、めまぐるしい日常の渦中でも、
阿弥陀様と一緒です。

 

「病気はダメ、健康が一番。」
「長生きが一番……いや、長すぎるのも大変だからほどよくして死ねたら……いや……いや……。」
際限のない私の願いに終止符がつきます。
もう自らの願いに右往左往されません。
いつでも仏の願いのまっただ中です。

 

深い悲しみにであう時、
いのちの厳しさを思い知らされ、
そんないのちをつつむ仏のお慈悲に気づかされ、
あらためて、このいのちの尊さをかみしめる、
その身そのまま安心の境涯を生きる「他力」の教えです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

ビリッコのまま -TY物語@-(10月下旬)

【玄関に】

 

地元のT小学校の玄関に、こんな詩がかかっています。

 

  心のスイッチ

 

心のスイッチ

人間の目はふしぎな目
見ようという心がなかったら見ていても見えない

 

人間の耳はふしぎな耳
聞こうという心がなかったら聞いていても聞こえない

 

頭もそうだ
はじめからよい頭わるい頭の区別があるようではないようだ

 

「よしやるぞ!」と心のスイッチがはいると
頭もすばらしいはたらきをしはじめる

 

心のスイッチが人間を
つまらなくもし すばらしくもしていく
電灯のスイッチが
家の中を明るくもし暗くもするように(一部省略)

 

作者は、教師かつ僧侶の東井義雄(とういよしお 1912〜1991)先生。
ペスタロッチー賞(広島大学)、正力松太郎賞(全国青少年教化協議会)など数々の賞を受けられた方です。

 

【貧困からの脱出】

 

東井義雄さんは、
明治の終わりの年の4月9日、兵庫県は出石郡但東町(いずしぐんたんとうちょう)、
現在の豊岡市に、
浄土真宗本願寺派東光寺のお寺の子として生まれました。

 

貧しさと隣りあわせの少年時代でした。
常食は「チョボイチご飯」。
これは大根を米粒くらいの大きさに刻んで、
それをお米のとぎ汁で炊くというもの。
炊けた最後にお米をふりかける“見せかけのご飯”です。

 

「大根の匂いと白水の匂いが入りまじって、
呑み込む度に何か決心のようなものをしないと、
素直に喉に通ってはくれませんでした。」(『仏の声を聞く』、12頁)

 

進学できる経済状況ではなかった東井家。
ところが小学校5年生の時、
担任をしてくれた校長先生が、
東井さんのやる気を引き出してくれました。
奨学資金を受けられる事にもなり、
昭和2年の春、14歳で師範学校に進みます。

 

【ビリッ子】

 

師範学校でマラソン部に入部した東井さん。
マラソン部は毎日、5キロのランニング練習がありました。

 

東井さんはいつも集団から数百メートル離されます。
2年生になっても、3年生になってもビリを独占。
周りの視線が恥ずかしく、つらい日々でした。

 

そんな中で考えたのが、「ウサギとカメ」の話でした。

 

「自分はどこまでいっても亀、ビリッコだ。
でも亀だって努力すれば、怠けたウサギより値打ちは上になる。
なら日本一の亀になってやる!」
そう心に決めました。

 

また、こんな発見をします。

「もしも、ぼくがビリッコを独占しなかったら。
部員の誰かがこのみじめな思いを味わわなければならない。
他の部員がこのみじめな思いを味わうことなく済んでいるのは、
ぼくがビリッコを独占しているおかげだ。
ぼくも、みんなの役に立っているのだ。」(前掲書、18頁)

そして東井さんは誓いました。

「教員になったら、ビリッコの子どもの心のわかってやれる教員になろう。
とび箱の飛べない子、泳げない子、
勉強のわからない子どもの悲しみをわかってやれる教員になろう。
『できなのは、努力が足りないからだ』などと、子どもを責める教員にはなるまい。」

 

昭和7年の春、19歳の東井さんは教員としての一歩を踏み出します。

 

【亀のまま】

 

「亀は、亀のままでいいのだよ、ウサギになろうとしなくてもいいのだよ。」

 

子ども達の個性をのばしていく教育に奔走した東井先生。
後に、その事を通してお浄土の世界の尊さを味わっていかれました。
それは阿弥陀様の平等の世界、
全てをありのままに包み込んでくださる境涯です。

 

法如(ほうにょ)上人の「鶴の脚の長きをも、鴨の脚の短きをも、
鷺の羽の白きをも、烏の羽の黒きをも、
黒きを漂す(さらす)にあらず、白きを染むるにあらず、
短きを継ぐにあらず、長きを切るにあらず、
長きは長きなり、短きは短きなり、
白きは白きなり、黒きは黒きなり」
このままの私が本願のお目あてであったということを、
しみじみとありがたく仰がせていたく私です。(前掲書、23頁)

 

鶴は鶴のまま、鴨は鴨のまま、鷺は鷺、烏は烏。
みんな違って、みんな同じ値打ちの尊いいのちです。

 

誰とも比較することなく、そのままの私を、
阿弥陀さまは見つめて、受け入れ、
「必ず救う」と願い、救いの道へとはたらいてくださいます。

 

亀のままの私、貧しく愚かで不器用な私のままが、
阿弥陀様の願いの中です。
たった一人、誰も代わってくれない人生をすぎゆく私は、
すでに阿弥陀様との二人連れでした。

 

このままの私が本願のおめあてなのです。

 

【無神論時代】

 

生涯、お念仏の喜びを深めていった東井先生。
しかし、教員になりたての頃は違いました。

 

当時、日本は戦争への道を着実にすすんでいました。
「満州事変」をきっかけに、
「貧しさから脱出する道は大陸進出しかない」と、
学校でも戦勝祈願の神社参拝が行われていました。

 

戦争に賛成できない東井さんは、大変悩みました。
同時に、戦争を暗に肯定しているかのような、
当時の宗教界の雰囲気から、宗教に懐疑的になっていきました。

 

「その時代の権力者が貧しい者たちを隷属(れいぞく)させ、
搾取するのに対して、理屈を言わせないようにし、
文句を言わせないようにし、
『ありがとうございます』『もったいのうございます』と、
考える力を眠らせ、どんな苛酷な要求をも受容させる、
アヘンの役割りを果たしているのが『宗教』というものである」

 

そんな無神論の考え方に、どんどん深入りしました。

 

しかしある事がきっかけでかわりました。
それは一人の生徒の質問でした。
何を質問したのか。
それはまた別の機会にお話させていただきます。

 

……お急ぎな方は、『仏の声を聞く』(探究社、800円)を買って読んでください。
仏の声を聞く
(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

葬儀の受式(10月上旬)

【メルヘン爺】

 

今年の8月15日が三回忌だった、
「ちびまる子ちゃん」の作者さくらももこさん。
エッセイ『もものかんづめ』に「メルヘン爺」という話がありました。
あまり好きではなかったお爺さんが突然なくなり、
その葬儀から火葬までの一連の日々を楽しくつづっています。

 

そのエッセイの最後、こう締めくくっています。

 

 ジィさんの戒名の称号は居士であった。死ぬ時無条件に仏の弟子になれるというこの世のシステムには改めて驚かされる。もしジィさんが本当に仏の弟子になってしまったら、インチキはするわ酒は飲むわで一日で破門であろう。
 それなのに“居士”だ。私が、「立派な戒名もらってヨカッタねえ」と母に言うと、彼女は、「あたしゃ、生きているうちにいい目に遭えりゃ、居士でもドジでもなんでもいいよ」と言いながら、葬式まんじゅうをバクバク食べ始めた。
 位牌が少し傾いたような気がした。

 

読みながら苦笑いしてしまいました。

 

「死ぬ時無条件に仏の弟子になれる」

 

もしかしたら、これが世間の常識なのかもしれません。
僧侶として、不徳の致すところです。

 

【法名】

 

浄土真宗では葬儀の時につける仏弟子の名を「法名(ほうみょう)」といいます。
辞書にはこう説明しています。

 

法名(ほうみょう)とは仏法に帰依し釈尊の弟子となった者の名前。

 

浄土真宗本願寺派では、釈尊の弟子であることを意味する「釈(しゃく)」の字を冠し、
これに2字を加えて「釋○○」と名付ける。
一般的に、本願寺で行われる帰敬式(ききょうしき)の受式者に授与される。

 

法名は念仏者としての名のりである。
本来、生前に受けるものだが、生前に帰敬式が受式できなかった場合、
葬儀に先だって、導師が帰敬式(ききょうしき)を代行、法名を授与する。

 

なお、浄土真宗では受戒者に与えられる「戒名(かいみょう)」は用いない。
(参照:浄土真宗辞典)

 

本来、仏教徒は生前に「受式」することが常識です。

 

故人は本来、仏教徒として生前に受式するはずでしたが、
仕事等の理由で、ご縁がありませんでした。
そこで緊急措置として、簡略ながら受式をするのです。

 

死んだら誰もが仏弟子になるわけではありませんし、
ましてや仏になるわけではありません。

 

【名ばかりの法名】

 

「いや、それは“あとづけ(後付け)”でしょう。
 私の爺さんが、仏法に帰依していたとは思えない。」

 

本当にそうでしょうか。
家族とはいえ、人の心は分かりません。

 

よしんば故人は仏法に帰依しておらず、
また浄土真宗の教えを聞いていなかった場合、
それは故人よりも、葬儀をつとめる住職の責任です。
「生前、私の力が足りなかった。」
大変、つらいものがあります。

 

では、葬儀で誰にでも「法名」をつけるのは間違いでしょうか。
そうは思いません。
もしもその葬儀がご縁となり、
残された方が仏法に帰依、念仏者となられたなら、
その法名は「名ばかり」ではないからです。

 

【逆でした】

 

以前、仏教を学ぶ学校で、Kさんからこんな話を聞きました。

 

「子供の頃、父にはDV(家庭内暴力)がありました。」

 

腹を立てて母親に手を出す父親。
家庭の中も冷たくなります。
父親を憎んだKさんは、
就職後、実家に戻りませんでした。

 

何年かして、
「お父さんが難病になった。どうしてもあなたに会いたいといってる」と、
実家から連絡が入りました。
しぶしぶ帰ると、
寝たきりの父がKさんの手をにぎって、
「お前の将来が心配だ」と。

 

「“何をいまさら”と思いました。」

 

その一月後、亡くなった父親。
葬儀の時、お経を聞きながら、

 

「あの憎たらしい親父は今どうしているのか。」
「あの親父でも死んだら浄土へ生まれるのか。」

 

そんな疑問がきっかけで、
とうとうKさんは仏教を学ぶ学校へやってきました。

 

「一年間、仏教のいろんな勉強をさせてもらいました。
ただ初めての漢文は、さっぱり分からないし、
歴史や作法等、分からないところだらけです。

 

けど、一つだけ分かりました。
『あんな親父でも仏になるのか?』
その答えは分かりました。

 

逆でした。
阿弥陀様の救いの相手は私。
『なんでこんな父親の子に産まれたのか』と、
心の中でさんざん親を踏みにじり、
自らの人生の不幸を全て親のせいにして、
愚癡と不平をもらして生きてきた私が、
何よりも如来さまの救いの目当てでした。

 

罪深き人間とは私であり、
そんな溺れている私がこの度、仏様と一緒と気づかされました。

 

振り返ってみると、
そんなお念仏のご縁をくれたのは他でもない父でした。
ようやく私は父にお礼がいえる身になりました。」

 

【私ごと】

 

仏事は私事(わたしごと)です。
葬儀も同様。
参列した各々が仏縁にあう時、
故人の法名は生きてきます。

 

「釋○○」

 

その名に響く法、阿弥陀様のみ教えの確かさを、
故人は私に伝えてくださっています。
故人の法名、名ばかりにしません。

 

「『人は死んだら仏になる』と、そんな風にお坊さん自身が説いていたのを聞きました。」
「あんな悪かった人間も、死んだら仏なんですか?」

 

それは、仏さまの法のたしかさを讃えた言い方です。
仏法を傍観中の人は、どうぞ忘れてください。
そんな事ありませんから。

 

まずは私です。
死んだら仏どころか地獄まっしぐらの私を、
「落としはしない」という仏さまがおられるのです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

悲しと愛し(かなし)(9月下旬)

【中秋の名月】

 

「中秋の名月」とは、旧暦8月15日の「十五夜(じゅうごや)」に月を見るならわしです。

 

7月から9月が秋。その真ん中なので「中秋(仲秋とも)」。
旧暦は月の満ち欠けにもとづく太陰暦。その十五夜はほぼ満月です。

 

お月見とも観月ともいいます。
今年は10月1日ですが、
コロナ禍のため、全国的に観月の会は中止が多いようです。
ソーシャルディスタンスをさけ、「ひとり月見」になりそうです。

 

(余談ですが、
年に12回ある「十五夜」ですが、
普通、「十五夜」といえば中秋の名月をさします。
同様に浄土真宗で「仏さま」といえば、
普通、「阿弥陀仏」を指します。
また「浄土」といえば、普通、阿弥陀様の極楽浄土を指します。
その事を確認しまして、では、法話に戻ります。)

 

【悲しけれ】

 

「月を見る」といえば、こんな和歌があります。

 

「月みれば 千々にものこそ かなしけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど」

 

『小倉百人一首』に出てくる大江千里(おおえのちさと)の詠んだ歌です。

 

現代語訳にすると、
「月を見ると、あれこれきりもなく物事が悲しく思われる。私一人だけに訪れた秋ではないのだけれど。」
参照

 

また独特の口語体“桃尻語”を生み出した橋本治さんは、
こんな現代語訳にしています。

 

「月を見れば なんだかいろいろ 考えちゃう みんなのところに 秋はくるけど」

 

そして次のような解説を。

 

「かなし」というのは、ただ「悲しい」だけではなくて、「胸に迫ってくる感情」です。
だから、「愛し(かなし)」と書くと、「すごく可愛い」の意味になります。
「千々にものこそかなしけれ」は、「悲しさで心が粉々になってしまう」ではなくて、
「いろんなことを感じさせられてしまう」です。

 

「わが身ひとつの秋にはあらねど」は、「私一人のために来た秋ではないのに」です。
「誰のところにも秋は来る。しかし私は、月を見ると特別にいろいろ感じてしまう」で、
実はこの歌、「私は違うよ」という、インテリの歌なんです。
だから私は間違いを承知で、この歌の後半を「ひとりぼっちの秋でもないのに」と訳したくなっちゃうんです。
そのほうがせつないでしょ。
(橋本治『百人一首がよくわかる』より)

 

【わが身ひとつ】

 

秋になるとだんだん気温がさがってすごしやすい反面、
寒さで体調をくずしたり、少し心が憂鬱になりやすい季節です。

 

家族や仲間、町内会の人と楽しくすごす「お月見」のはずです。
けれどふと一人、月を見上げた作者。
じっとその美しい真円、また周囲の闇夜を眺める内に、
一抹のせつなさが、じわっと胸に迫ってきた作者でした。

 

「わが身ひとつの 秋にはあらねど。」

 

誰もが同じように味わっている季節。
寂しくはないはずなのに、
「かなし」という特別な感情がとめどなくわきおこってきます。

 

その一つは、きっと孤独です。

 

「わが身ひとつの……」

 

私一人じゃないのに……逆に言えば、
私は一人、ひとりぼっちであった事の気づき、悲しさです。

 

コロナ禍でソーシャルディスタンスになるはるか前から、
誰も皮一枚めくった内側の私にふれる人いません。

 

圧倒的な寂しさです。

 

【独り去る者を】

 

孤独に関して、
『仏説無量寿経』後半には、次の言葉があります。

 

「独来独去 無一随者」
(独り来たり独り去り、ひとりも随ふものなけん。)

 

世の中には、何十億の人がいるという現実。
しかし実は、自分はひとりぼっちであるという真実。
一人で生まれ、一人で死んでいきます。

 

しかし、
そんな私と明察した仏さまが、
月の光のごとく、
やさしく功徳をふりむけておられるという話。
それが『仏説無量寿経』の中心テーマです。

 

南無阿弥陀仏の名となって、
南無阿弥陀仏の名にかけて、
私を一人にはしないと誓い、
共に歩まん仏と成就された。

 

その誓いの完成を聞いた人、
仏の声なき声が聞こえた人、
悲しみの中にも慈しみを知った人。
その人はもう、
一人であって一人ではありません。

 

【愛しけれ】

 

「ひとり月見」をしながら、
とめどなく「なんで誰も分かってくれないの」と嘆く時、
目の前の月の光が観るものを照らし抱くように、
仏の光明は、今、あなたの全人生を抱きとっておられます。

 

橋本氏がおっしゃるように、
「かなし」は「悲し」と書く場合もありますが、
「愛(かな)し」とも書く場合があります。
胸に迫ってくる悲しみを通して、
同じく胸に迫ってくる仏さまの愛しみ、慈しみ、
慈愛にみちた喚び声をお聞かせにあずかる観月です。

 

なお、月とお念仏といえば、法然上人の有名な法歌があります。

 

月かげのいたらぬ里はなけれども ながむる人のこころにぞすむ

 

これは前住職の「かえり道 さそい道(第11号)」をご覧ください。

 

【追記】

 

先月、「日刊いわくに」に投稿した賀屋さんが、
その記事を送ってくださいました。
ここに掲載させていただきます。

 

おろか者

 

(最後の一言は、普通なら「お浄土で会いましょう」といいたいですが、
……いや、この場合、この人に対しては…………。)

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

無症状な念仏者(9月上旬)

【暦の上では】

 

先日、妻が手紙を書いている時の事。

 

手紙の冒頭に、
「拝啓 秋が待ち遠しい昨今、○○先生におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。」

 

見直して、あわてて消していました。
「おかしい」と。

 

「秋が待ち遠しい……」、
でも暦の上ではもう秋です
秋とは、「立秋から立冬の前日まで」。
現在では9月から11月までです。
9月はどんなに暑くても、もう秋なのです。

 

それにしても今年は、残暑厳しい毎日です。

 

【風の音】

 

「秋来ぬ(きぬ)と 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる」

 

『古今和歌集』にある藤原敏行の歌です。
立秋を詠んだ歌だそうです。

 

秋が来たと、目にははっきりとは見えませんが、
吹いた風の音から、
にわかに秋の到来に気づかされました。
風の音が秋を告げていました。

 

周りの景色に変化があったわけではありません。
気温も夏同様、暑いまま。
けれども、
風の気配を通して秋の存在に触れた作者。
暑苦しいままではなかったと、時のうつろいを聴き取りました。

 

【念仏の音】

 

お念仏も同様です。

 

煩悩まみれの凡夫の私たち。
仏さまをはっきりと観ることなどできませんが、
縁が熟し、「南無阿弥陀仏」のお念仏を通して、
仏さまの到来を知ります。
わが口からこぼれるお念仏の音は、そのまま仏さまの存在を告げていました。

 

人生に変化があったわけではありません。
濁世(じょくせ)……煩悩で濁った苦悩の人生のままです。
しかし今までも、
そしてこれからも、
私を離さぬお慈悲の存在にふれます。
苦悩のままではなかったと、お礼申す日暮らしです。
お念仏を通して、仏さまの気配を。
自らの死の音ではなく、仏さまの真実の音を聴き取ります。

 

【無症状】

 

9月はお彼岸です。
コロナの為に1月以降、休んでいる法座ですが、
何とか今月は、開きたいと思います。

 

コロナでやっかいなのが「無症状者」の問題です。
無症状者とは、ウイルスに感染していても全く症状が出ない人の事。
アメリカでは感染者の4割をしめるとか。

 

ある会合の挨拶で、
その方はおもむろに体温計を取り出しピッと計りました。
「36.5度。私は平熱、大丈夫です。」

 

意味がありません。
無症状なだけかもしれません。
安心できません。

 

私たちはお互い無自覚のうちに、
コロナに感染しているかもしれません。
人にうつすかもしれません。
気をつけたいものです。

 

【無症状】

 

お念仏の生活の者も、無症状です。
仏の清らかさの一片も持ち合わせません。
外見上、何の兆候もみられません。

 

けれども、自らが仏さまのお慈悲に感染……ではなく「摂取(せっしゅ)」。
摂(おさ)め取られ、抱き取られている事は、
自覚しておきたいものです。

 

そしてこの事、他の方にも伝えたいものです。

 

願以之功徳 (がんにしくどく)
平等施一切 (びょうどうせいっさい)
同発菩提心 (どうほつぼだいしん)
往生安楽国 (おうじょうあんらっこく)

 

「願わくは、この[阿弥陀様の]功徳をもって、
平等に一切に施し、
同じく菩提心(信心のこと)を発して、
安楽国に往生せん。」

 

読経の最後の四句、「回向文(えこうもん)」です。
共にお浄土に参る事を願います。

 

阿弥陀さまの功徳の力が入り満ちる安心の境涯。
大いに周りに感染(うつ)る……いえ、広まってほしいものです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

気宇壮大な物語(8月下旬)

【ひまつぶし】

 

「不要不急の移動は控えよう!」

 

最近、よくテレビで耳にします。
日本人が最も移動するといわれるお盆の時期だからでしょう。
今年は弟家族も親戚も帰らない、静かなお盆をすごしました。

 

……先月の10日、某ワイドショーで、
政府の発表した「他県への不要不急な移動は遠慮してほしい」、
この発言について議論していました。

 

「それにしても『不要不急』の見極めがむずかしい。」
「いったいどこまでが不要不急なのか。」

 

すると司会のTさんが、
「自分の来週の名古屋公演(落語会)も不要不急といえばそうかもしれない。
何もこんな時期にお笑いなんてと世間はいうかもしれない。」

 

それに対してHさんが、
「いや、言い始めたらほとんどの仕事が不要不急になってしまう。
……そもそも、人生なんて不要不急なんだ!」

 

それを聞いてTさん、
「私の師匠の名言があります。『人生は壮大なひまつぶし』だと。」

 

すごい名言です。

 

文字通り受け止めればとても失礼な気がしますが、
要するに、自由だといいたいのでしょうか。
焦ることはない、そんな風にも聞こえます。

 

【見いだす】

 

「コロナウイルスに感染すると、
味覚障害、嗅覚障害になると言われています。
それも気をつけなければなりませんが、
私たち、心の感覚障害になっていませんか?」(K師)

 

「心に味が感じられない」と書いて「無意味」。
人生に意味が感じられず、
「何のために生きているのか」と、
むなしくなる症状です。

 

「人生は壮大なひまつぶし」

 

お笑い・芸能人の言葉とはいえ、
いつも「そうそう、その通り!」と笑ってばかりはいられません。

 

人生は失敗の連続です。
そんな失敗をして落ち込んだ時、
「どうせ、私の人生なんてひまつぶし、
死ぬまでの時間つぶしでしかない。
何の目的も、意味もありません。」

 

シャレではすまない時があるわが人生です。

 

悲歎にくれる私をはげます言葉がお経です。
「仏になる人生を歩んでくれよ」と。

 

人生の意味は見いだすものです。

 

【嘆声】

 

毎朝のお仏壇の読経。

 

「南無阿弥陀仏」

 

お経の言葉にであい、
阿弥陀様のお慈悲のはたらきにであいます。

 

「暑い」といっては座り込み、
「疲れた」といっては横になる、
そんな時間をつぶしていくような過ごし方の私を、
片時も見放すことができない仏さまです。

 

「この儚い人生を支えてくださる仏さまがおられました。
今、お慈悲をつくして私と一緒でありました。」

 

仏さまのまなざしにきづかされる時、
人生は「壮大なひまつぶし」どころか、
仏の道をつきすすむ気宇壮大な物語へ。

 

人生には悲しみがつきものです。
けれども、
その悲しみを通して、
見せていただく世界があります。

 

悲嘆の声から、感嘆の声へ。
同じ「嘆声」でも全く内容が異なります。

 

今日も「南無阿弥陀仏」と、
一人静かに仏徳讃嘆をする念仏者です。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

名号をになって(8月上旬)

【ミョウガ】

 

ミョウガの季節になりました。
さわやかな香りとぴりっとくる辛み。
そうめん、冷やっこの薬味に欠かせません。
甘酢漬け、ナスと和えたものも美味しいです。

 

昔から「ミョウガを食べると物忘れがひどくなる」といいます。
その由来は、お釈迦さまの弟子でチューラパンタカ(周利槃特(しゅりはんどく))。
「愚かなパンタカ」という意味で、大変物忘れがひどい人でした。

 

どのくらい物忘れがひどいかというと、自分の名前「パンタカ」も覚えられません。
そのため、自分の名前を書いた「のぼり」をもって、歩いたとか歩かないとか。
そんな彼のお墓にはえたのがミョウガなのだそうです。

 

ミョウガは「茗荷」と書きます。
「名を荷(にな)う」、名前の札を荷物にしたチューラパンタカと同じ名前です。
そこから「ミョウガを食べると物忘れがひどくなる」と。
江戸時代前期の『醒睡笑』に紹介されているそうです。

 

【掃除】

 

チューラパンタカは結局、仏さまのみ教え、何も覚えられませんでした。
ついに兄から「お前に仏教は無理だ。お前は家へ帰れ!」と言われ、
教団から追い出されます。

 

がっかりして僧園の通路の小屋に静かに立っていた時、
お釈迦さまがあらわれ、
彼に「塵を払い、垢を除く」という二つの短い言葉を授けます。

 

しかし、それすら彼は暗唱できません。

 

「……そなたは修行僧たちの足を掃除することができるか」
「できます。」

 

お釈迦さまは彼に足拭き用の布を渡し、
「この浄らかな物をひたすらに専念して、気をつけていなさい。」
修行僧の足の掃除を命じました。
そして他の弟子に、
「彼の掃除をさえぎらないように。この者の障害を除去したいと思う。
そして彼に『塵を払い、垢を除く』、この二つの言葉をみんなで教えてあげなさい。」

 

弟子達は彼に自分たちの足の掃除をさせ、その際「塵を払い、垢を除く」を教えました。
パンタカはいつもこの教えを一生懸命唱えました。
そして程なくしてうまく唱えられるようになりました。

 

ある日の夜明け、パンタカはふと「塵を払い、垢を除く」とは何だろうと思い、
突如として視界が広がります。

 

「この塵は土埃にあらず!」

 

「欲望・怒り・迷妄」という三毒の煩悩に気づきます。
この教えの意味を覚えたパンタカ、
後に阿羅漢の位をさとります(※1)。

 

【素直さ】

 

「熱心に掃除に励んだチューラパンタカ。
私たちも同じだ。
さとりを開くとは、決してたくさんの事を覚えるということではない。
例えわずかな小さな事一つでも、それを徹底すれば良いのである。」

 

「一つの事でも、つきつめれば大きな成果となるのだ。」

 

そんな教訓にも聞こえますが、
大切なのはそこではありません。
チュラーパンタカの良さ、
それは「お釈迦さまの教えに従った素直さ」です。

 

チューラパンタカは自分の愚かさを認め、
師の言われる通りに実行したのです。

 

私たちも同じです。

 

お釈迦さまが『仏説無量寿経』で示される通り、
掃除、ではなくお念仏。

 

いつしかお念仏する中で、
「お念仏とは何か」と思い、
いろんなご縁でお聴聞、
阿弥陀様のお救いの話を聞きます。

 

どのような罪悪の私もお見捨てにならない阿弥陀様。
本願を建て、その願いを成就されます(これを「願力」とか「本願力」といいます)。

 

私を仏にするべき功徳を成し遂げ、
今ここに、私にふりむけられておられるというお話。

 

いのちの行く末、間違いなく浄土で仏とならせていただきます。
その事がこの身このまま定まった、
仏と共にあるいのちと知らせていただく教えです。

 

【名をになう】

 

仏さまのはかり知ることのできないはたらき、
それも同じく「ミョウガ(冥加)」といいます。
他力です。
私を一方的に、無条件で救うはたらきです。

 

いただいた上から、お礼がでる私です。
それが「南無阿弥陀仏」と称えるお念仏。
仏さまの名です。
阿弥陀様の功徳全体があらわされてある「六字(ろくじ)」のみ名「名号」です。

 

自分の名を荷(にな)っていたというチューラパンタカのように、
阿弥陀様の名「南無阿弥陀仏」をいただきます。
ただお念仏。
その名号に救われ、お浄土へ参る身と定まります。

 

そんな他力の生活とはどのようなものでしょうか。

 

【重荷も喜びに】

 

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」(徳川家康の遺訓)

 

人生は重荷を背負うての長い道のりです。

 

「重荷背負うて山坂すれば やがて実のなる秋がくる」

 

いつか山のかなたの空遠くの幸いめざし、
「いつか報われる」と、
あせらずコツコツ努力する私たちです。

 

それは一面正しい道です。
しかし、誰もが家康のような天下人人生とはいきません。

 

人生の重荷と一緒に、弥陀の名をいただく念仏者。
こんな歌があります。

 

「重荷背負うて 山坂すれど ご恩おもえば 苦にならぬ」
(六連島のお軽さん)

 

今、この思い通りにならない苦しみの渦中において、
喜びをかみしめる道。
届いてくださる阿弥陀様と共に歩む道です。
「いつか報われる」ではなく、
「もう報われている私でした」と聞かせていただくお念仏の人生。

 

「してやったのに……」「したのだから……」と取引の論理ではなく、
「させていただこう」と。
見返りを求めない如来様のまねごとをする他力的生活。
他力の人生とは、
決して「人まかせ」な生活ではありません。

 

「かえって若い者の迷惑におなる……」と萎縮せず、
いのち終わるまでご恩報謝の生活。
する事が山ほどある人生です。

 

※1 参照:『仏弟子の告白』124頁、『根本説一切有部毘奈耶』31、https://www.tgiw.info/weblog/2016/08/culapantaka.html

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

凡夫の小言 如来の大言(7月下旬)

 

(おうじむりょうそん どうようほつごんしょう) 
応時無量尊 動容発欣笑 
(くしゅつむしゅこう へんしょうじっぽうこく)
口出無数光 遍照十方国
【書き下し】
 時に応じて無量尊、容(みかお)を動かし欣笑(ごんしょう)を発したまひ、
 口より無数の光を出して、あまねく十方国を照らしたまふ。

【現代語訳】
無量寿仏はにっこりとほほえまれ、
口から無数の光を放って、 ひろくすべての国々をお照らしになる。

(仏説無量寿経「往覲偈」より)

 

【マスクで】

 

梅雨があけて、いよいよお盆参りが始まります。
おつとめは「讃仏偈(さんぶつげ)」、そして領解文(りょうげもん)です。

 

ウイルス感染対策のためマスクでのお勤め。
正直、少し息苦しく、頭もぼーっとしてきます。
声もいつもより大きめになり、のどが痛い。
おまけにメガネも曇ります。
ロウソクの灯りが幻想的に見えます。

 

先日は、こんなコトもありました。
法事に参って、焼香の準備のため香炭に火をつけ、
いつものように、炭に「ふーっ」と息をふきかけ……られません。
マスクですから息がかかりません。
慌てて、手であおぎました。

 

【不浄な息】

 

マスク読経をしながら、
ふと一休さんの笑い話を思い出しました。

 

仏壇のロウソクの灯りを消すのに、「フーッ」と息をふきかけた一休さん。
それをみて和尚さんからお小言です。

 

「人間の息は不浄だから、吹いて火を消してはいかん!
手であおぐか、ロウソク消しを使いなさい!行儀が悪い!」

 

明くる日。
一休さんはみんなと反対の方向を向いて読経しています。

 

「こら、仏さまに背を向けて読経するとは何事か!」

 

すると一休さんは、

 

「人間の息は不浄なんですよ。
仏さまの方を向いて、不浄な息をかけながら読経するなんて、行儀悪い!」

 

一本とられた和尚さん……そんな話でした。

 

【口業】

 

「私の息は清潔です。
朝、歯も磨いたし、歯槽膿漏もありません。」

 

“人間の息が不浄”というのはそういう意味ではありません。
人間の口でする行為(口業[くごう]といいます)に問題があるのです。

 

代表的な口の悪業が四つ。

  1. 妄語(もうご。うそいつわり)
  2. 両舌(りょうぜつ。人を仲たがいさせる言葉)
  3. 悪口(あっく)
  4. 綺語(きご。まことのないかざった言葉)

「十悪」の中の口業に関する四つです。
現代風な言い方なら、
@嘘・ほら、A二枚舌、B悪口雑言、Cきれい事やおべんちゃら……そんな所でしょうか。
どれも日常で、油断すると出てしまいます。

 

「嘘じゃないです、冗談ですよ(笑)」
「嘘も方便というじゃないですか。」
「悪口ではない、単なる批判です。」
「お世辞、リップサービスも時には必要だよ(笑)」

 

全部が悪いとは思いません。
けれど、「口は災いの元」、
言い方を間違え、相手を傷つけかねない私たちです。

 

また相手がいない時に、
一人でブツブツと不平や愚癡の小言が出る私。
立派な悪業です。

 

【微妙の声】

 

私たちとは反対に、仏さまの口業(くごう)はどのようなものか。
世親菩薩が次のように述べられます。

(にょらいみみょうしょうぼんこうもんじっぽう)
「如来微妙声 梵響聞十方」
(如来の微妙の声(みこえ) 梵響(ぼんこう)十方に聞(きこ)ゆ)

「讃仏偈」にも、

(しょうがくだいおん こうるじっぽう)
正覚大音 響流十方
(正覚の大音、響き十方に流る。)

とあります。

 

仏さまのおさとりの声は十方に響き渡り、
「聞くものをして忍を悟らしめん」(曇鸞『論註』)
私たちを「無生法忍(むしょうぼうにん)」、
真実をありのままにさとる者にかえなすというのです。
それはいわば、
信心(他力信心)を得る者、
浄土で必ず仏になるべき身と定まることを意味すると、
親鸞聖人は示されました。

 

仏の声を聞くとはどういうことか。
「声とは名なり。」(曇鸞『論註』)
それは仏の名を聞くことと同義です。

 

「南無阿弥陀仏」の名を聞く、
その名の由来、私を救わんとする仏さまの話を聞くのです。

 

【台詞】

 

ご門徒の家のお内仏(仏壇)の前に座り、
「讃仏偈(さんぶつげ)」を読経します。

 

「光顔巍々〜♪」
(和訳:おお、世尊のお顔は気高く輝き、 その神々しいお姿は何よりも尊い。……)

 

讃仏偈は、法蔵菩薩たる阿弥陀様の台詞です。

 

「願我作仏〜♪」
(願わくは、 わたしも仏となり、 ……迷いの人々をすべて救い、 さとりの世界に至らせたい。)

 

「吾誓得仏〜♪」
(わたしは誓う、 仏となるときは、 必ずこの願を果しとげ、生死の苦におののくすべての人々に大きな安らぎを与えよう。……)

 

私の目の前で、「大げさな表現」ではなく、「すぐれた、堂々とした」意味の「大言」をされる仏さま。
凡夫の小言とは真逆です。

 

「仮令身止 諸功徳中 我行精進 忍終不悔♪」
(たとえどんな苦難にこの身を沈めても、さとりを求めて耐え忍び、 修行に励んで決して悔いることはない。)

 

読経が終わると合掌し、お念仏します。
「南無阿弥陀仏〜♪」
それも如来の「われにまかせよ」の喚び声です。

 

今日もブツブツ小言(こごと)が出る生活ですが、
そんな口から大言(おおごと)のお念仏が出ます。

 

「み仏のみ名を称える わが声は わが声ながら尊かりけり(甲斐和里子)」

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

安心できるお話(7月上旬)

【オンライン法座】

 

先月の6月22日から29日まで、
「専徳寺オンライン法座」を開きました。

 

3月からコロナウイルス感染防止のため、今も本堂で法座が開けません。
ならば「おうちで仏法を」と、
このたびyoutubeを使って、法座風の動画を作成しました。

 

喚鐘から始まり、読経「らいはいのうた」、そして法話の40分番組。
おかげさまで130回の視聴がありました。

 

放映した法話は、
緊急事態宣言中に書斎を整理していた際に見つかった法話テープ。
今から37年前の昭和58年4月、仏婦特別法座のものです。
ご講師は、錦町広瀬の浄光寺ご住職、広兼至道(ひろかね しどう)先生。
今回はその一部を紹介します。

 

【開座:ご讃題】

まづ凡夫は、ことにおいてつたなく愚かなり。
その奸詐(かんさ)なる性の実なるをうづみて賢善なるよしをもてなすは、
みな不実虚仮(ふじつこけ)なり。
たとひ未来の生処を弥陀の報土とおもひさだめ、
ともに浄土の再会を疑なしと期すとも、
おくれさきだつ一旦のかなしみ、まどへる凡夫としてなんぞこれなからん。

 

愚かにつたなげにしてなげきかなしまんこと、
他力往生の機に相応たるべし。
うちまかせての凡夫のありさまにかはりめあるべからず。
   (『口伝鈔(くでんしょう)』より)

(意訳)
私たち凡夫は、智慧が劣る愚かなものです。
そのよこしまな性分をおおいかくして、賢い善人のふりをしても、みな偽物です。
ですからたとえ「未来はお浄土へ生まれる、故人とも浄土で再会できる」と聞いても、
実際の別れの場面、この悲しみはどうしようもありません。

 

(けれども、そんな)愚かで涙をながし悲しむ私たちこそが、
阿弥陀様の救いのお目当てなのです。
ですから私たちはこの愚かなまんま、何もかも阿弥陀様におまかせするばかりです。

 

【聞いておきなさい】

 

私どもがお釈迦さまや、あるいは親鸞さまから、お示しいただきましたのは、
お慈悲のお話であります。

 

慈悲のお話というのは、我々の知恵をとぎすましたって出てこない話であります。
ですから時々、お釈迦さまのお説教とか、
親鸞さまのおっしゃる事が「どうもちょいとわからん」という人がおります。

 

何が分からんか。
「お浄土がある」だの、「阿弥陀様がおいでる」というのは、ちょいとわからんですよ。
私たちの、この世界で、鍛えてきた頭からわいて出る話じゃないからです。

 

村や町の議会で決めた話なら、よく分かります。
「あすこに橋がかかった、あれは良いな、悪いな」は、よく分かります。
だからいろいろ議論もします。
けれど、阿弥陀様の話なんて、最初からわからんですね。

 

お釈迦さまは、『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』というお経さまの中で、
「阿弥陀様がいらっしゃいますよ」っていう事をおっしゃいます。
「法蔵菩薩が阿弥陀様になるお姿で、私たちをお救いになりますよ」というお説教をなさいました。

 

しかし、我々は法蔵菩薩にであった覚えがないんです。

 

またお浄土のお姿がお経さまに説かれますが、
行ったことのない所、通ったことのない所ですから、
どのようなお姿が説かれておりましても、ちょっとわかりません。ピンときませんわね。

 

しかしながらピンときませんが、
どこにもお釈迦さまは「よくわかれ」とか「実感をわかしなさい」とか仰っていません。
「聞いておきなさい」とおっしゃられるのです。

 

【よく分かる話】

 

私たちはどうも、聞いたら納得してやろうと思います。
けれど、もともと納得できないものでしょうよ、お慈悲の話なんてものは。

 

逆に、私たちによく分かる話、たいそうもてはやされる話があります。

 

どんな話かといいますと、
「しっかりしなさい、がんばりなさい、立派になりなさい。強くなりなさい」という話。
「上手に世の中を渡っていきましょう」という話。
「年をとったら嫁に好かれて、若い者に好かれて、こうやったら好かれますよ」という話。
よく分かります。

 

「健康が良いですよ」という話もよく分かります。
だから健康になるための話は、皆さん、よそ見もせず、居眠りもせずに、お聞きになりますが、
阿弥陀様のお話は、つい居眠りがでます。
ええんですよ、寝ちゃって(笑)。

 

【ガンバレでは】

 

私たちがよく分かる話……それは、
むち打って、責めて、なじって、立派になれよと、尻たたいていく話なんです。

 

だが、ちょっと考えてみようじゃありませんか。
その責めて、なじって、あるいは叱りただして、
「立派になれよ、強くなれよ、ガンバレよ」という話は、
はたして私たちをいつまで安心させてくれる話だろうかなと思います。

 

立派になっている時は良いです。
たとえば健康というのはたいそう良いものだという。
たしかに健康なのはいいです。
いいですけどね、
健康でありさえすれば良いって言ってますけど、
ならその健康、いつまで続きますか?
いつ病気なるかわからない不安をかかえておりますよ。
だから安心はしておれない。

 

「健康になるためにはこうしたら良いですよ、さあゲートボールをやりましょう!」はよく分かりますから、
ゲートボールにはしりますが、
そのうちゲートボールできなくなりますよ。
そのときはどうするのか?

 

健康であるのが一番だと言ってた人ほど、
身に病が出てきた時には、がっくりこないといけません。
その時までも、手がさしのべられている話こそ、私たちはほしいじゃありませんか。

 

【無残な時がきても】

 

「立派に生きていきなさいよ。こうしたら人からも尊敬され、皆とも話し合えて、よく生きていけますよ」という話は、
なるほど良いですけども、
しかしやがて、人からしょっちゅう尊敬されるとはいかない時がきます。

 

いつか、老い衰えていきますと、
「まあ、あの人はこれほどの事をしておった人なのに、あんな様になられましたか」と、
さみしく生きていかなければならなくなります。

 

その時にも喜べていける話はないもんですかね?

 

たくさん身の回りにおられます、立派に生きてきた人が。
しかしやがて、
老い衰えて、
若い者からは笑われ、
世から忘れ去られていった人、たくさん知ってるじゃありませんか、お互いに。

 

息絶える時までみんなに、ほめそやされて生きた人、数少ないです。
その数少ない内の一人に私がなれるもんか。
今までの生き様をみてきても、たいしたことはなかった。
おそらく年老いて80か90かで、さぞかしどうにもならん坊さんになって、生きていくと思います(笑)。

 

見事に生きていくよりか、
どっちかというとうつむき加減の時を迎えねばならんのが、お互いです。

 

その時に「立派になれよ、ガンバレよ」と励ましてきた理屈の話は、もうお呼びでなくなる。
そして、その話だけでは喜べなくなる。
そういう時を迎えても、
どんなに立派な生き方ができなくなった日を迎えても、
無残に悲惨に生きていく時がきても、「だいじょうぶだよ」と言われていく、そういうお話こそ、私たちはほしいじゃありませんか。

 

【先祖の思い】

 

先輩たちが、わが家に阿弥陀様のご絵像、お内仏(ないぶつ)を残してくださった。
あれは「位牌壇」とは言いません。「仏壇」という。
阿弥陀(あみだ)という仏さまであります。

 

それはお釈迦さまが『仏説無量寿経』というお経さまに説いてくださった仏さまです。
その仏さまを、我が家にご先祖が置いてくださった。

 

初めて、わが家にお仏壇を置いたご先祖は、どんな気持ちで置いてくださったんでしょう?

 

最初から阿弥陀様ではなかったはずですよ。
何かのご縁で、専徳寺で阿弥陀様のお説教を聞いた先祖。
それを聞いて、
「阿弥陀様とはそんな仏か。
ならばわが家にそのご絵像をお迎えして、朝夕お給仕をしてみたい。

 

そしてまた、わが子よ、わが孫よ、わがひ孫どもよ、
代々にわたって、こんなお慈悲の話があるから、どうぞ聞いておくれ。
そして安心して年をとっていこうじゃありませんか。
安心して病の床でさえも、
喜べるのおみのりにひたって生きていこうじゃないの。

 

やがて、旅立ちを迎えなければいけないけれど、
お浄土の旅立ちだよと、みんな一つ所に会わせてもらおうよ。」

 

最初、阿弥陀様をご安置したご先祖は、
切々たる思いで、子や孫をみて、「どうぞ聞いておくれよ」と残してくださった。

 

それは世界を明るくする運動でもなければ、社会を立派にする運動でもなかった。

 

間違いなく滅びをこの身にかかえていかなければならない、
涙とため息を、この身の中からしぼりだしていかねばならない者のために、
「大丈夫だよ」と言ってくださる、
本当にどうもこうもならなくなった時でさえも、
安心できるお話なのです。

 

【切りかえ】

 

ですから世間の話とは全く違う話であります。
ちょっと切りかえをしていただきませんと具合が悪いのです。

 

だって12チャンネルがうつるようにしといて、
6チャンネルをみようとしても、そうはいきませんよ。

 

NHK観る時は何チャンネルか知りませんが、そこへ回さなければならないわけ。
そうしないとちゃんとうつらない。

 

電波はなんぼでも飛んでますよ。
でもそれを受け止めるところにあわしておかないと、どうも話はおかしくなるわけ。
……それでなくても良くないテレビですから(笑)。

 

そうしますと、お慈悲を聞いているのだという所に、切りかえておきませんと、
教育の話、むち打ちの話、立派になれよという励ましの話を聞いているのだと思うと、
ちょっと話がおかしくなります。
だからこの中(自分の知恵)はあまり採用せん方が良いのです。

 

ですからお釈迦さまは「聞くのですよ」とおっしゃられました。
そしてお聞かせいただいてみますと、
親鸞さまはいろんなお言葉で、
阿弥陀様を私たちに告げて下さいますが、
このたびはご和讃をいただいてみたいなと思ってまいりました。…………(以降、省略)

 

【ご満座(最後の1分)】

 

お浄土の仏さまになってくれよと、私に期待してくださっている阿弥陀様です。
それはもう間もなくです。
ですがもうしばらく、この娑婆に滞在の間は、
見よう見まねで、
お浄土の方々のお徳、お慈悲の活動を、ここでしばらくやらせていただきます。
そしていのち終わったら100パーセントできる身の上になります。

 

この私の身の周りを、お慈悲充満する領域にして、
私の生涯を生きていくというのも、
浄土真宗・念仏者の自立的な生活の中からうかがえることであると思います。

 

しかしどこまでも、阿弥陀様は私が何をしたかはおとりになりません。
だからうぬぼれることはないわけです。

 

どんなに無残な日がこようとも、お見捨てでない阿弥陀さまがおられました。
やがて私のこの五体のかなわない時が、
私の頭の間に合わない時が、
私の賢さも役に立たない時がくるかもしれません。

 

しかし、そうなっても、お見捨て出ない阿弥陀様であったと聞きます時、
そこらじゅうにお慈悲をばらまいて生きていこうじゃありませんか。
感謝の心を養われて、
この体でできなくなったら口で行い、
口でできなくなったら心でやっていきます。

 

明日することが山ほどある人生を生きていきます所に、
浄土真宗・念仏者の喜びがあるのです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

安居の念仏(6月下旬)

【雨安居】

 

「安居(あんご)」という言葉、ご存じでしょうか?
夏の季語にもなっている仏教用語です。

 

元々のサンスクリット語「ヴァルシャ」は、
「雨」とか「雨期」を意味します。
転じて、雨期の間、
出家者が外出せずに一カ所に“静かに留まる”(安んじて居す)事を指します。

 

本来、出家は乞食遊行(こつじきゆぎょう)です。
さまよい歩きながら修行にはげみます。

 

でも雨期の三ヶ月間は、旅に向きません。
また下手に歩けば、
地面の小さな虫や新芽を踏み潰しかねません。

 

殺生を犯しかねないこの時期。
僧侶は一カ所に定住し、
修行と学習にはげむのです。

 

……今年も梅雨の季節になり、
本堂の掃除をしていると様々な虫に出くわします。
チョウ、アリ、クモ。

 

「雨安居の時期だし、無用な殺生はしないでおこう。」

 

と思った矢先に、堂内へ侵入するハエやハチ。
畳をはいずるゴキブリ、ムカデ。

 

「……。」

 

対策に追われる時期になりました。

 

【ご教導】

 

虫といえば思い出す蓮如上人のエピソードがあります。

 

かつて蓮如上人が山科本願寺の南殿におられた時、
ある人が蜂を殺してしまって、
思わず念仏を称えました。

 

そのとき、上人が、
「あなたは今どんな思いで念仏を称えたのか」と、
お尋ねになった所、
その人は、
「かわいそうなことだと、ただそれだけを思って称えました」と答えました。

 

すると上人は、
信心をいただいた上は、
どのようであっても、
念仏を称えるのは仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)の意味であると思いなさい。……」
 (現代語訳『蓮如上人御一代聞書(現代語版)』180条、115頁)

 

殺生は仏教の五戒を破った事になります。
蜂を殺した人には、罪の意識がありました。
思わず「ナンマンダブツ」と口に出したのでした。

 

蓮如上人は誡しめられます。
「縁が熟して、
こうしてお念仏が口から出るようになったのです。
阿弥陀さまの事を忘れないように。」

 

浄土真宗のお念仏の中身は、
「かわいそうな事をした。許してくれ」、
「どうか来世は良い所へ生まれておくれ」ではありません。
それは肝心な所が抜けています。

 

【信心】

 

「なぜ“かわいそうに”ではダメなのか?」

 

私もそう思っていました。
「かわいそうに」は、素直で優しい気持ちです。
反対に、
「害虫を殺して何が悪いの?」
という子がいたら親は「いのちの尊さ」を説くべきです。

 

けれども、それは倫理の話です。
ある意味、人間として当然です。

 

問題はその先です。
そんな「かわいそうに……ごめんね」を、私はどれほど言い続けてきたか。
忘れてはまた殺生し、後悔するの繰り返し。
……後悔・反省とは言いながら、内心は言い訳です。
「仕方ないのだ。私は悪くない」、
自分を正当化するばかりです。

 

阿弥陀さまの他力は、
そんな終わりなき罪のサイクルに埋もれる私を救う道理です。

 

「阿弥陀」の意味は「無量寿、無量光」。
“ひかりといのちきわみなき”仏になると誓われた阿弥陀さま。
どこまでも私を包み、離れず、
「われにまかせよ。かならず救う」と喚び続けられます。

 

そんな仏さまが入り満ちたるゆるぎない心持ち。
それを「信心をいただく」と表現します。

 

【ご恩報謝】

 

阿弥陀さまの救いに出遇います。

 

親の子育て同様、阿弥陀様の救いは一方的です。
こちらは何も手出ししません。
では何をするか。
お礼をします。
それを「ご恩報謝(仏恩報謝)」と言います。
恩返しとは違います。

 

何をするか。
お念仏をします。
仏の名を呼び、仏さまを心にかけ、お礼する、それだけです。

 

そしてさらに、
お念仏がしやすいような生活を心がけます。
お仏壇をもつ事も、
お念仏が言いやすい環境づくりの一つです。

 

いつでもご恩報謝の念仏。
阿弥陀様の喚び声を聞き、お礼をする生活。
阿弥陀様の「他力」を中心とする生活です。

 

自己反省という自力不足をくよくよする前に、
阿弥陀仏という他力強さをよくよくいただく生活につとめます。

 

……誤解のないようにいいますが、
逆に「自己反省をしている間は、救われたとはいえないのだ」、ではありません。
何かあればすぐ後悔する弱気な性格のままに、
「死にたい……」と、自虐的な根性のままに、
阿弥陀さまはいてくださいます。
「そのままの私が、変わることなくもう救いの中でした。
 安心の景色、不安なき道程でした」と知らされるお念仏です。

 

【安心な居場所】

 

今日こそは 罪つくらじと 罪つくり つくりしままと 聞くぞうれしき

 

殺すつもりはなくとも、殺してしまう私です。
言うつもりはなくても罵声を、
思うつもりはなくても妬みが、怒りが。
歳を重ね賢くなった私(?)は、滅多にその表情を出しませんが。

 

「やってしまった。言ってしまった……。」

 

そんな私は油断すればあいかわらず次の瞬間、
自己反省からの自己弁護です。

 

「なぜ、こうなのか」、「いや、仕方がないのだ」、「悪いのはあちらだ!」
そして、「ま、いっか。」と開き直り。

 

念仏者は、それよりも阿弥陀様との時間を過ごします。
だって二度とない人生じゃないですか。

 

もうすでにお見通しの阿弥陀様。
罪をつぐなってこいとはおっしゃいません。
一貫して「われにまかせよ。助けるぞ」と喚び続けられます。
私は「そうでした。助かるのでした」と喚び覚まされます。

 

自らの「自己弁護」の声よりも「ナンマンダブツ」と。
阿弥陀様の声に耳をすませます。

 

雨のしとしと降る梅雨の季節、安居の時期。
あらためて自分の「安居」心なる場所)、
「何があっても大丈夫でした」と心が定まる所を知ります。
安居のお念仏。
らぐ阿弥陀様とる、「今、ここ、私」の一カ所に、
静かに留まる人生です。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

念仏時計(6月上旬)

【6月10日】

 

6月10日は「時の記念日」です。
1920年(大正9年)、日本で初めて時計装置が使われた日で、
「時間をきちんと守り、規則正しい生活を」
そんな願いで制定されたのだそうです。

 

あれから100年。
腕時計や、たくさんの時計に囲まれています。

 

朝、「今、何時だろうか?」と起床し、
日中、「お、そろそろ○○の時間だ。」
夜は、「そろそろ寝る時間だな」と、
一日中、時計なしには生きられません。

 

時間をきちんと守れるようになった反面、
時間には厳しい社会になりました。
待ち合わせに5分遅れただけでも気になります。

 

時間厳守という言葉を忘れて一日過ごしたい休日……残念ながら、六月は祝日がありません。
なぜ6月10日は祝日にならないのかと、個人的に思ってます。

 

【最後の頁】

 

5年前、子どもをボーイスカウトの一泊合宿に連れていった時の事です。
控え室に本棚があり、
何気なく手に取ったのは「時計の歴史」の本でした。

 

最初は日時計や水時計。
その後、砂時計などを考え、
人類は時間と深い関係になっていきます。

 

16世紀に発明された「振り子時計」が大きなきっかけに。
時計は飛躍的に精度をましたそうです。

 

科学技術の進歩がいちじるしい現代。
電波時計やクオーツ時計など、
今ではほとんど誤差がなくなりました。

 

「便利になったものだ」と感心しながら、
最後のページを開くと、

 

「永遠の時間」

 

そんな見出しの頁でした。
教会の風景でしょう。
人々が祈りをささげている場面が描かれていました。

 

【聖典時計】

 

私たちに必要なのは物理的な時間だけではありません。
宗教的な意味の時間の流れ。

 

故人は、どのような時間を過ごしているのか。
そして私。
私の死んだ後の時間は、どんなに精度が高い60進法の時計でも計れません。

 

それを計る道具が、聖典です。
浄土真宗の場合は、『仏説無量寿経』。

 

たとひわれ仏を得たらんに、寿命よく限量ありて、
下百千億那由他劫に至らば、正覚を取らじ。
  (『仏説無量寿経』より。『浄土真宗聖典』(註釈版)16頁)

 

(現代語訳:わたしが仏になるとき、寿命に限りがあって、
はかりしれない遠い未来にでも尽きることがあるようなら、わたしは決してさとりを開きません。)

 

法蔵菩薩の誓願、「第12願」といわれる箇所です。

 

その後、法蔵菩薩は修行の末、
無量寿という意味をもつ「阿弥陀」仏になられます。

 

【無量寿という時間】

 

「無量寿」を誓った理由は、
私のためといただきます。

 

諸行無常。
一瞬にしてころげおちかねない私の人生を、
片時も目をそらさないための「無量寿」の誓い。
「南無阿弥陀仏」の六字(ろくじ)の仏となって、
私を救うまでは決して離れず、
はたらき続けられるので「阿弥陀仏」、無量寿の仏さまです。

 

「今、何時だろうか?」
「お、そろそろ○○の時間だ。」

 

この人生、
食事の時間、散歩の時間、いろいろな時間帯がありますが、
同時並行に流れているが、念仏の時間。
常に仏さまが共にある時間です。

 

「今日も念仏の時間、念仏と共にある時間でした。」

 

時計を見て、時間を確認しながら一日を過ごすように、
念仏を称え、仏と共にある事を確かめ喜ぶ日暮らしです。

 

私の人生にまんべんなく、
ゆきわたっている念仏という時間の流れ、
永遠の時間の流れを知る時、
人は「規則正しい生活」とはもう一つ別の、
「正しい生活」を過ごすのかもしれません。

 

【念仏の時間】

 

時の記念日の6月10日は、
同じく中村八大さんの命日でもあります。

上を向いて歩こう♪
にじんだ星をかぞえて♪
思い出す 夏の日♪
一人ぼっちの夜♪
(「上を向いて歩こう」)

永六輔さんの歌詞に曲をつけました。

 

「一人ぼっちの夜♪」

 

別れか、失望か、中身は各々異なりますが、
涙があふれる一人の時間を、
お互いかみしめずには生きられない人生です。

 

一人ぼっちの夜の時間。
けれども「念仏の時間」も流れているのが念仏者です。

 

悲しみ苦しみはすぐに消えるものではありません。
時間を忘れて泣き続けたいものです。

 

そんな私によりそう無量寿という仏さま。
思い出すまでじっと待っておられます。
そしてまたいつしか、「南無阿弥陀仏」とお念仏をする念仏者。

 

……規則正しい時計。
その時計にのっとった行動は、規則正しい生活です。

 

同様に、清く正しき念仏の時計。
そのはたらきにのっとった人生は、おのずと清く正しき道に。
煩悩の濁りのままお浄土へ参る正(まさ)しき道、
決して奈落に落ちる事のない、
虚しくおわらない人生を歩みます。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

こだわりの言葉(5月下旬)

【時代がかわっても】

 

時代が変れば言葉も変わる。
けれども服の名称の変化についていけない私。

 

上着の事は「アウター」、下着は「インナー」。
ジーパンは「ジーンズ」、「デニム」。
短パンは、「ハーフパンツ」。
……言いづらい。

 

ジャンパーではなく、今は「ブルゾン」というのだそうです。
トレーナーではなく、「スウェット」。
セーターではなく、「ニット」(それって素材なのでは)。
そしてこれからの季節、
ランニングシャツではなく「タンクトップ」です。

 

反対に、言葉は同じでも、意味が変わったもの。
私たちの世代では「全然〜」。
以前は否定の意味でしたが、
今では「全然いい」、「全然OK」と肯定にも使われます。

 

そしてなんと言っても「やばい」です。
四年前の法話「他力の悲願」にも書きました。
「この料理、やばい!」
だいぶ免疫ができました。
使えるかというと、使えませんが。

 

時代と共にかわる言葉、
時代と共にかわる言葉の意味。
そんな時勢の変化に逆らう言葉が「教え」です。
どんな時代でも、
決して変わらず、意味も一貫したもの。

 

たとえば300回忌のお勤め。
しかし300年前のお爺さんも、「南無阿弥陀仏」とお念仏し、
その中身も今と同じです。

 

【解除と喪明け】

 

全国39県で緊急事態宣言が解除された5月14日は、
本願寺八代門主の蓮如(れんにょ)上人の522回忌でした。

 

さて、その二日後の5月16日。
歌手・西城秀樹さんの三回忌に加え、
芸人・志村けんさんの49日でした。

 

コロナウイルスの為、3月29日に亡くなられた志村さん。
葬儀はできずに涙をにじませて会見していたお兄さん。
16日、家族でつつましやかに法要をお勤めされたことでしょう。

 

亡くなった後、
テレビやインターネットでいろんな情報を知りました。
津軽三味線の得意だった志村さん。
ソウルミュージックに造詣のあった志村さん。
私にとっては「変なおじさん」「バカ殿」のイメージでしたが、
子供達には「志村どうぶつ園」の動物が好きな園長だったようです。

 

【しゃべくり006】

 

そんな頃、志村さんを、
テレビ番組「しゃべくり007(セブン)」の「過去の名場面総集編」でみかけました。
11年前の映像でした。

 

7人のお笑い芸人がゲストを囲んで楽しく話すトーク番組。
志村さんは敬語で丁寧に答えていました。

 

一番大好きな仕事は「舞台」という志村さん。
ただ準備はしっかりしても、1、2回しか本気は出さないとか。
「なぜですか?」
「だって理想の間とかタイミングは、お客さんが教えてくれるものだから。」
一同、思わずうなずいていました。

 

ところで番組の途中、子供が「あれTさんは?」
言われて見ると、7人の中、1人いません。
実はこの時期、Tさんは税金問題でテレビ出演を自粛していました。
編集者は見事にカット。
志村さんの左隣のTさんを絶対に映しません。
しゃべくり007ではなくしゃべくり006。
その編集の技術力に、ちょっと感動。

 

【やり続ける】

 

番組後半になって、若手の一人が悩みを打ち明けました。
自分はこれからもこんなバカみたいな芸人スタイルで良いのか。
すると志村さんは「こだわることですね」。

 

以前、某漫才芸人にも同じ事を言ったそうです。
「自分たちは『欧米か!』のネタしかない」と不安をもらした時、
「やり続けろ、死ぬまでやれ」と。

 

「飽きないで自信をもってやるんです。」
「そういうタイプだと残れるんです。」

 

職人肌の志村さん。
「だからいまだにコントをやっている」とも。
それから11年後、
その通り、亡くなる最後までコントを続けていました。

 

【他力のお念仏】

 

「商いは飽きない」という言葉があります。
一つの事をつきつめるというこだわり。
飽きずに、
自らが夢中になって技術をひたすら磨いていきます。
そうしていく中で、徐々に応用力が養われ、
時代に即応した仕事、相手も飽きさせない結果が生じます。
言うは易く行うは難しですが。

 

浄土真宗もひたすらつきつめるお念仏です。
それは他力のお念仏。

 

阿弥陀様のことが説かれた『無量寿経』を見事に編集された親鸞聖人です。
自力のお念仏、
自らの功徳を故人にふりむける、
そんな部分は、「真実を説く巻」にはカットされました。

 

他の仏さま、神さまはちょっと脇に置いて、
まずはお念仏の中身を聴聞していきます。

 

阿弥陀さまの願い、他力の道理をひたすら聞くうちに、
徐々に、このお念仏の妙味が養われていきます。
私の生活にぴったりと寄りそう阿弥陀さまの仕事。
「何もかもご縁だった」と、
他の神仏も決しておろそかにしていない、広大な世界観が生じます。

 

言うは易く、そして行うのも易しいお念仏。
だからこそこだわり続けます。
あとは聞くだけです。

 

現在、コロナウイルスの影響で、舞台も、そして法座もお休みです。
再会はいつになるかわかりませんが、
また足を運んでください。
そしてお互い、
阿弥陀様が目の前に浮かび上がるような、
そんな理想的な法座をつくりあげていきたいものです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

スリルある人生(5月上旬)

【飛ぶことよりも】

 

緊急事態宣言が続いています。
GW(ゴールデンウィーク)もSHW(ステイホーム ウィーク)へ。

 

テレビをよく観るこの頃。
先週、あるテレビ番組で日本人プロスカイダイバーのKさん(久保安宏氏)が、
「ベースジャンピング」というスポーツを紹介していました。

 

パラシュートをつけて高さ数百メートルから飛び降りるスポーツ。
一歩間違えると死に直結です。
世界で最も危険なスポーツの一つとされています。

 

Kさんは600回以上の経験者で、
しかもギネス認定、「上空3000mからパラシュートだけ先に落下させ、追いかけてパラシュートを開くタイムの最速保持者(50秒)」(こちらを参照)だとか。

 

ベースジャンピング

番組で挑戦したのは、
「150m上空からダイブ。80m離れた、直径60センチ(マンホールサイズ)に着地できるか!?」
あっさり成功していました。

 

そんなKさんにスタッフが質問しました。
「やっぱり、飛ぶのは怖くないんですか?」
すると苦笑いしながら、
「飛ぶことより、老いていく自分が一番怖いですね。」
Kさんは現在57歳だそうです。

 

【わが弥陀は】

 

アンチ・エイジング、○○体操……しかし肉体的老化に歯止めはかかりません。
その先は間違いなく死。
そう思うと「老」はいやなものです。

 

しかし漢字のなりたちからいえば、
「老」と「考」は同義なのだとか。

 

「老いるとは、思慮分別が備わって円熟した「考」になることを意味している。」
(串田久治『無用の用 −中国古典から今を読み解く−』, p.216))

 

「肉体的老化=精神的老化」ではありません。
物覚えは悪くなりますが、
だからこそ、余計な知識がそぎ落とされ、
大切な事に目を向けやすくなります。

 

「死ぬなんて考えたくもない」と思考停止するのではなく、
自分自身を深く見つめる契機にしたいものです。

 

老いや病いや死。
仏教ではさらに「生まれる事」も加えて、「四苦」と言います。
どれも私の思い通りにはいきません。
そんな不安と向き合うのが仏法です。

 

親鸞聖人は阿弥陀さまの話、
すなわち他力本願、往生浄土というお念仏の教えを説かれました。
主著『教行信証』にはこんな言葉を引用されます。

 

「わが弥陀は 名をもつて物を 接したまふ」(元照)

 

この私を救うという阿弥陀様は、
南無阿弥陀仏の名となり、
私と離れない仏さまになると誓われました。

 

【二度のジャンプ】

 

ベースジャンピングを観て思い出したのが、
今から22年前の5月のこどもの日。
山形県の朝日村へ行きました。

 

目的はバンジージャンプ。
高さは30メートルだったでしょうか、
橋から飛び降ります。

 

雨天の中、ドキドキしながら順番を待ち、
とうとう橋の上で自分の順番が来た時、
両足に太いロープが取り付けられました。
ロープの重みで川へ引きずり込まれそうになる恐怖。
カウントダウンの後、絶叫しながら飛び降りました。

 

……

 

それから7年後の五月下旬。
埼玉県桶川市(おけがわし)にあるホンダエアポートへ。
性懲りもなく、今度はスカイダイビングを。

 

勿論、一人で飛び降りる勇気も資格もありません。
初心者は「タンデムジャンプ」といって、
インストラクターと一緒に飛び降ります。

 

少し小雨でしたが、
誓約書に署名しながら、
「やっぱり、亡くなる人もいますか?」
インストラクターのお兄さんは笑顔で答えてくれました。
「大丈夫。年に一人ぐらいです。」

 

【フリーフォール】

 

雨がやんでフライトの許可がおり、覚悟しました。
目の前には扉のない小型プロペラ機。

 

乗り込む前に、先ほどのお兄さん、
「私があなたと一緒に飛び降ります。
気をつける事は一つです。
何もしないでください。私に任せてください。」

 

飛行機はみるみる上昇しました。
扉がないせいでゴーっという爆音が機内にひびきます。
とても会話できません。

 

富士山の高さをこえたあたりで、
お兄さんが「始めます」のサイン。
私の背中と自分のお腹をかなり強く固定しました。

 

ゆっくりと二人で立ち上がり、扉のない出口へ。
眼下には……何もありません。
たじろく私に躊躇なく、カウントダウンの後、
あっという間に空中に放り出されました。

 

落ちる恐怖。
背中から「手をひろげて」と指示され、練習通り両手を広げます。

 

徐々に落ちる事になれてきました。
不思議な事に落ちる感覚が消え、空を飛んでいるような浮遊感が。
フリーフォールという現象。
落ち着いて、見渡せば見たことのない壮大な景色。
「おぉ!」
感動していたらガクンという衝撃が。
パラシュートがひらいてました。
(余談ですが、パラシュート後の方が、高所恐怖症気味の自分としては恐ろしく……。)

 

【スリルある人生】

 

仏法の教え。
そこには日々、仏の心とは真反対、
煩悩の心に堕落し、自業自得の道理にて、
遂に地獄の世界へ墜落するわが身と気づかされます。

 

「死にさえすれば天国?
とんでもない、
死にさえすれば地獄です。」(M先生)

 

だからこそ、そんな私を救う手立てを案じた仏が、
南無阿弥陀仏の名となって、
この私と接着して離れない誓いを建てられました。

 

わが悪業という太いロープに縛られ、ひきずり落とされるような人生観から、
南無阿弥陀仏が接着した仏縁の人生観に。
わが弥陀のしっかりとした慈悲に固定されています。

 

墜落ではなく着地に転ぜられます。
スカイダイビングのインストラクターが何の不安もいだいていないように、
至極当然、願力のパラシュートで浄土の大地へたどり着きます。

 

先の見えない怖さからの震えではなく、
「これからどんな道を歩ませていただくのか」
心が勇み立つ震え、
喜びいさんで称える「いさみの念仏」を申す日暮らし。

 

老いの不安だけではありません。
コロナウイルスの影響はどこまで続くのか。

 

お念仏申しつつ、くっついて離れない如来様の、
「私に任せて」の声に響感する日暮らしです。

 

今日もハラハラドキドキの一日。
やるべき事を、お互い淡々と。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

緊急事態に(4月下旬)

【緊急事態】

 

緊急事態宣言が発令されて一週間経過しました。
徐々に感染が広がる毎日。
先日、岩国市にも感染者が出ました。
今週からマスクをつけての法事を開始……少し息苦しいです。

 

医療崩壊も不安です。
マスクも防護服も不足してきたこの頃。
最前線でいのちをかけて奮闘される医療現場の方には、ただただ頭が下がるばかりです。

 

前代未聞の大騒動。そんな時こそ浮き足立たず、自らの足下を見つめてみたいものです。
そこには「法灯明」とお釈迦さまが言われたごとく、
仏さまのゆるぎない支えが輝いています。

 

仏さまのお名前を「名号(みょうごう)」といいます。
阿弥陀様の名号は「南無阿弥陀仏」です。
口に称えると、それは「お念仏」です。

 

私たちの仏さまは名前で私を救われます。
どうして、名前が救いになるのか。
名前とは何でしょうか?

 

【由来】

 

みなさんは自分の名前の由来、ご存じですか?

 

あるドキュメンタリー番組で、こんな場面がありました。

 

俳優「松坂桃李(とうり)」さん。
桃李(とうり)は芸名でなく実名です。

 

仕事がうまくいかず落ち込んでいる時に父親に電話をして、
名前の由来を聞いていました。
「昔から変わった名前だなと思ってたんだけど、どういう意味?」
すると父親から、
「桃李ものを言わざれども、下おのづから蹊(こみち)を成す」という言葉を教えてもらいました。

 

中国の歴史家司馬遷(しばせん)の『史記』にある言葉で、
「徳のある誰からも慕われる人」になって欲しいという父の願いが。
ようやく自分の名前の意味を知り、何だかうれしそうでした。
(参考:ウィキペディア。また中国の故事「桜梅桃李」からも、
「自分らしさを大切に」という母親の願いがこめられているそうです)

 

名前には響きやバランス、呼びやすさもさることながら、
得てして親の願いが「漢字」や「言葉」にこめられています。
子供への最初のプレゼントが「名前」です。
親が亡くなった後も、残り続ける大切なもの。
単なる呼ぶための道具や記号ではありません。

 

【願いと行動が】

 

私たちがいただく阿弥陀様の名前「南無阿弥陀仏」。
そこにも阿弥陀様の願いが響いています。

 

インドの言葉「阿弥陀(アミダ)」を翻訳すれば「無量寿」「無量光」です。
「どこまでもあなたを放さない仏になる。」
「いつまでもあなたと共に歩む仏になる。」
私たちに向けて誓われた、
仏さまの願い、約束がこめられた名前です。

 

そして阿弥陀様の名は「名号」です。
号令のように私を大声で喚び通しです。
「われにまかせよ。かならず救う!」

 

喚ぶだけではありません。
名前だけつけて何もしない親なんていないように、
喚んだ通り、誓い通りに実行される仏さまです。

 

【救命士】

 

なぜそこまで願い、行動される仏なのか。
原因は私です。

 

ある意味、緊急事態(レベル5)の私です。

 

悲しいかな法を聞いてもさっぱり分からず、
仏の光明を観る能力も、神通力を察知する能力もない私です。
仏さまの事は何も分かりません。
どんな手立ても思いつきません。

 

けれど唯一知りうる事、それが名前です。
その唯一の接点に、
功徳のありったけをこめてくださる仏さまです。

 

救急車にいる救命士。
「大丈夫ですか!」と声をかけつつ病院までの搬送上、
患者に救命処置を施し、速かに病院へ搬送する国家資格です。

 

「南無阿弥陀仏」もそんな救命士のごとく、
「だいじょぶだぁ!」と喚び続け、
苦悩の私に功徳のありったけを回向し(ふりむけ)、
速かにお浄土へ往生させる、
諸仏が認めた救済の法なのです。

 

死ととなりあわせの日常ではなくて
浄土ととなりあわせの日々 (みつお)

 

緊急事態で先行き不透明な中、
「どうせ人生はかないもの」と開き直る前に、
あらためてお念仏の中に響く、
お浄土がとなりにある境界を聞かせていただきます。

 

【補足:耳をすます】

 

詩人谷川俊太郎さんの「耳をすます」。

 

みみをすます
きのうのあまだれに
みみをすます

 

みみをすます
いつから つづいてきたともしれぬ
ひとびとの あしおとに
みみをすます……

 

雨だれや人々の足音に集中するうち、はるか昔の自分の産声や母の子守歌、父の心拍を感じる。
千年、一万年前のひとの息づかいを思い、やがて、宇宙の始まりの「とどろき」に遡る。
未来の小川のせせらぎも流れ込んでくる。音が世界をいきいきと感じさせる。
(2015/5/17付 春秋 日経新聞より)

 

1200字をこえる何とも壮大な詩は最後まで「みみをすます」。

 

みみをすます
みちばたの いしころに
みみをすます
かすかにうなる コンピュータに
みみをすます
くちごもる となりのひとに
みみをすます
どこかでギターのつまびき
どこかでさらがわれる
どこかであいうえお
ざわめきのそこの いまに
みみをすます

 

みみをすます
きょうへとながれこむ
あしたの まだきこえない
おがわのせせらぎに
みみをすます

 

「これから日本はどうなるのか。」

 

家で静かに自粛しつつ、
けれども心が穏やかならざる毎日。

 

一人耳をすませてみます。
たとえば、
一声の鳥の鳴き声に、森の息吹を、周りの動植物を、一万年前の息づかいを感じます。
同時に、
一声のお念仏に、浄土の息吹を、あらゆるいのちを、無量寿の仏さまの喚び声を感じます。
「南無阿弥陀仏」と私がつぶやく時に聞こえる法の音。
阿弥陀様の種々なるはたらきに耳をすませます。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

みな兄弟(4月上旬)

【七歩の道】

 

今月8日は、お釈迦さまの誕生日「花まつり」です。

 

お釈迦さまは約2500年前、インドのカピラヴァストゥの王、
浄飯王(じょうぼんおう)を父とし、
摩耶夫人(まやぶにん)を母として誕生されました。

 

誕生の時のエピソードは有名です。
生まれてすぐに七歩あゆまれたお釈迦さま。
右手を上に、左手を下にしてただちに「天上天下唯我独尊」と宣言されました。

 

「七歩あゆむ」とは何か。
いろいろありますが、一つの解釈として「六を一つ超える」。

 

六とは六道。
「@地獄道、A餓鬼道、B畜生道、C阿修羅道、D人道、E天道」の迷いの境界です。
私たちが生まれ変わり死に変わり、苦悩の中を迷い続けている事を、
「六道輪廻」といいます。
そんな境界を超える「七番目の境界」、
それが仏道(さとりの道)です。

 

直枉カレンダー4月

「天上天下唯我独尊」とは何か。
「……なんだか自分勝手で偉そう」ではありません。
仏教の尊さ、そして「いのちの尊さ」を意味しているといわれます。

 

「釈尊は どんないのちも 天下一とみそなわし」(『直枉カレンダー』4月の法語)

 

生まれながらにしていのちに差別があるのではなく、
どのようないのちもたった一つのかけがえのないいのち……、
「仏の道を歩むいのち」であり、
「仏の救いに照らされているいのち」です。

 

【50年前の法話】

 

七歩あゆんだお釈迦さまと似たエピソードが、
中国にあると知りました。

 

昨年の10月に開催された「山口教区青年布教使大会」。
恒例の懇親会にて、
80歳半ばのN先生が乾杯の挨拶をされました。

 

「気づけば布教団でも最高齢の方になってしまいました。

 

……今の若い方々は話がとてもお上手です。
そんな若手布教使のお説教を聞きながら、
何を思い出したかというと、
50年前の自分が若い頃の法話です。
『三国演義』の「七歩の詩」を例話に使っていました。

 

『豆を煮るに豆がらを燃せば、
豆は釜中(ふちゅう)に在りて泣く。
本(もと)是れ同根より生ぜしに
相ひ煎(に)ること何ぞ太(はなは)だ急なる』

 

……(中略)……では乾杯。」

 

スラスラっと暗唱された事に感動し、
同時に「我々もまだまだ精進しなければ」と痛感した事でした。

 

【七歩の詩】

 

「七歩の詩」とは次のような物語です。

 

中国三国時代、魏(ぎ)の国を建てた曹操(そうそう)には、
曹丕(そうひ)と曹植(そうしょく)という兄弟がいました。
弟の曹植(192-232)は大変な詩才があり、
兄の曹丕は、
同じ後継者候補である弟の才能を大変ねたみ憎んでいました。

 

曹操が亡くなった後、
皇帝になったのは兄の曹丕でした。
日頃から憎んでいた弟を呼ぶと、

 

「お前に世間が言うような詩才があるかためしてやる。
『二頭の牛』を題材に詩を一首、作ってみせよ。
ただし七歩あゆむうちに作れ。
できなければ、お前を殺す。」

 

兄の無情な無理難題に対して、
曹植は見事に七歩あゆんだ後、
兄の条件通りの素晴らしい詩を詠みました。

 

悔しい兄は引き下がりません。
「七歩ではまだ遅い!私が一声出すうちに、すぐさま詩を作れ!」
「題は何ですか?」
「『兄弟』だ。」
「では……、
煮豆燃豆萁 豆在釜中泣 本是同根生 相煎何太急
(訳:人が豆がら(茎・葉・さや)を燃やして豆を煮ていました。
釜の中の豆が、泣きながら語りました。
「本来は同じ根っこから生長した兄弟なのに、
どうしてそんなに急いで煮ようとするのか」と。)

 

即座に詩を詠みました。
それを聞いた曹丕は、涙をこぼしたのでした。

 

【念仏の道】

 

同じ母親の胎内という「根」から生まれた特別な関係が兄弟です。
それはお念仏者も同様です。

 

同一に念仏して別の道なきがゆゑに。
遠く通ずるに四海のうちみな兄弟とするなり。(曇鸞大師)
 ※四海:世界全体を指す。

 

お念仏者は、性格も生活も違えど、
共々に、阿弥陀様の光明という父、
名号という母から生まれた、
「信心」という子供をいただいています。
他人であって他人ではありません。

 

いつも妬みや憎しみが消えない凡夫ですが、
そんな妬みや憎しみを洗い流す涙(なみだ)の仏、
「南無阿弥陀仏(「な」もあ「みだ」ぶつ)」と一緒です。

 

共に阿弥陀という名のファミリー。
いのちの最後、帰る家路も「お浄土」という、
「さとりの花(正覚華)」のある境界です。

 

辛い別れであっても、必ず再会いたします。

 

【みな兄弟】

 

「南無阿弥陀仏」

 

念仏者として、
即座に申す一声のお念仏の中に、
「天上天下唯我独尊」なるお釈迦さまの言葉も味わいます。

 

どのいのちも尊い。
それは単に「いのちはたった一つだから」ではありません。
どのいのちにも阿弥陀という救いの光が届いているからです。

 

ウイルスのような目に見えない虫、
地球の真反対に住む人々、
……今日殺してしまった小さないのちも、
阿弥陀さまの眼中では、救いのど真ん中です。
阿弥陀様という道理の上において、
私とは無縁なものは何一つありませんでした。

 

……昨今、コロナウイルスの影響で閉塞感が高まる国々。
本来ならばオリンピックで「てをつなごう♪」とした年でした。
そんな時だからこそお互い、「天上天下唯我独尊」のような、
各々がもつ宗教の言葉を忘れず、
自分勝手な行動をつつしみたいものです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

別売りではなく(3月下旬)

【ついてくる】

 

今年のお正月のテレビ番組、
「新春!爆笑ヒットパレード」で某漫才師がこんなやりとりをしていました。

 

「ここ最近でもらった一番高い物って何?」
「車。」
「すごいね!」
「家族全員で旅行に行ける大っきい車もらった。」
「うれしいね!」
「来月、納車。」
「楽しみやろ!」
「楽しみ。」
「待ち遠しいやろ!」
「待ち遠しい。だからね、僕もう先にタイヤ買ってあんねん。」
「?」
「やっぱり準備しといた方がいいと思って。」
「……何て?」
「だから、車楽しみにしてるから、先にタイヤ、買ってあんねん。」
「…………ついてくるで。」
「え?」
「タイヤ、ついてくるで。」
「ついてくんの?」
「当たり前やん!」
「別売りちゃんの?」
「別売りちゃうで! お前、どうやって届くと思ってたん?」
「じゃあ、ハンドルは?」
「買ったん?」
「うん。」
「阿呆ちゃうか! ハンドルだけ買ってどないすんねん!」
「じゃ、シートベルとは?」
「ついてくるに決まってるやんか!」
「じゃ、アクセルは?」
「ついてくる!」
「ブレーキ!」「ついてくる!」
「サイドブレーキ!」「ついてくる!」
「サイドミラー!」「ついてくる!」
「バックミラー!」「ついてくる!」
「ボンネット!」「ついてくる!」
「エンジン!」「ついてくる!」
「じゃあ、車体も?」
「お前、もう一台買ってもうてるやないか!
 バラバラの車、もう一台買ってるよ!」

 

正月から笑わせてもらいました。
(なお実際の台詞は「もらった物」ではなく「買った物」でした。)

 

【完成品】

 

阿弥陀様は法蔵菩薩であった時、
「無上殊勝の願」、
これ以上ない勝れた願いを立てられます。
本願とも、第十八願ともいいます。

 

「一切の者を平等に往生させる」というお慈悲の極まりの誓いです。
それは「南無阿弥陀仏」という、
自らの名に、一切の功徳を摂め、
等しくふりむけるというものでした。

 

名の中に功徳が全て摂まっているとはどういうことか。

 

たとえば「家」という名の中には、
棟も梁も柱も瓦も入っています。
「家ができた」と聞く時、
「柱はちゃんとあるのか」と思う人はいません。

 

同じく「車」といえば、
タイヤもハンドルもシートベルトも、
ブレーキもサイドブレーキも、
サイドミラーもバックミラーも、
ボンネットもエンジンもすべてついているのです。

 

「名号はこれ万徳の帰するところなり。」(法然上人)

 

阿弥陀様の名「南無阿弥陀仏」は、
目にはみえない仏さまが凡夫の私の為にしつらえた
完成品のすがたをあらわしています。

 

お念仏は阿弥陀様の名を称える事ですが、
別の言い方をすれば「名を聞く」、
私を浄土へ往生させる為の仏さまの功徳が、
完成され、私に届けられておりましたと聞かせていただきます。

 

【易しい行の意味】

 

お念仏はいつでもどこでも行える易しい行です。
そのため、簡単な行、レベルの低い行、
「これでは物足りない」、
「これでは不安だ」と思われやすい行でもあります。

 

けれども仏法を聴聞すると、
事実は全く逆になります。

 

「一切の者を平等に往生させる」というお慈悲の仏さまです。
仏さまが自らの願いを満たす為、
突き詰めた行がお念仏、
「わが名に功徳をこめてふりむける」という、
他力回向の行なのです。

 

もし布施や寄付行為が往生の条件なら、生活困窮者はアウトです。
才能や学問が必要ならば、智慧の劣ったもの、仕事に追われる人は往生できません。
戒律が必須なら、破戒の人、殺生する人は救われません。
少なくとも私にはかなわぬ阿弥陀様の誓いとなってしまいます。

 

阿弥陀仏はそういうオリンピック選手のような、
選ばれし優秀な人向けの誓いは立てられませんでした。
どこまでも私をもらさない為のご用意を整えられました。

 

念仏の中身を知らず、
勝手に「自分は他の人よりももっと清らかな行をしたい」と思う私がいます。
それを自力の見方といい、
凡夫の場合、拭いがたいおごりの心が混ざっています。
それは仏さまからまっすぐ我が身に届く清らかなはたらきを、
さらりとかわす疑い心です。
親鸞聖人が浄土真宗という教えに関して、
一番問題視した、
凡夫の心の一面です。

 

【別売りはない】

 

阿弥陀様から名号という一台の車を、いただきました。
間違いなく、お浄土までたどり着ける特別車です。
その他の善行、
「別売り」を買う必要はありません。
チャイルドシートもいりません。

 

なぜ余計な物を買ってしまう(他の善行を求める)のか。
現物が届いてないからかもしれません。

 

冒頭の漫才のやりとりのように、
「来月、納車」ではありません。
車は今届いています。
実際の車を見たのに、
誰がタイヤやサイドミラーが必要と思うでしょうか。

 

車はもうすでに届いています。
「南無阿弥陀仏」とお念仏を申し、
お念仏を聞く時、阿弥陀さまを見ます。
「他に準備するものは」と思うはずがないのです。

 

学問をしたり、才能をみがいたり、
仏像を彫ったり、お寺を建てたり、
心を磨いたり、精神を高めたり、
布施やら精進やらと善行を積んだり……、
ディアゴスティーニのように、
浄土真宗の行は組み立てるものではないのです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

石の下にはいない(3月上旬)

【三月四日】

 

突然ですが、
今月四日は妙好人(みょうこうにん。篤信な念仏者を指す)で有名な「讃岐の庄松(しょうま)」の命日でした。
今年は百五十回忌でした。

 

庄松は現在の香川県東かがわ市土居(どい)で百姓をしながら暮らしていました。
生活は貧しくとも、素晴らしいお念仏者だった事が言行録に残っています。

 

無欲で、世間体を気にせず、
東に西に、仏法を聴聞し、思いのままに行動し、
人々にありがたい法味を伝えていきました。
そのさとしぶりは、少しのかざり気もなく、
単刀直入に法義の核心をずばり云いきっていたそうです。

 

【石の下には】

 

庄松さんにはお墓についての面白い話がつたわっています。

 

庄松が臨終の床についた時、
近くの村の市蔵(いちぞう)という同行(どうぎよう。同じ念仏の仲間)が見舞いにやってきました。
庄松は生涯、独身で、したがって子供もありません。
ひとりぼっちで寝ているすがたを見てあわれにおもった市蔵は、
彼のために墓をたててやろうと思いたちました。

 

他の仲間にも相談すると、みな賛成してくれたので、
市蔵は庄松の枕元へいき、
「死んだら墓をたてるから、後のことは心配するなよ。」
すると庄松は、にこりともせず、
「おらぁ、石の下にはおらぬぞ!」
と言い放ったそうです。

 

お念仏に生きる者は「独り生まれ独り死ぬ」と自覚しつつ、
如来様と常に一緒です。
よって煩悩の生涯がつきれば、
ただちにお浄土という永遠な「いのち」の境涯に生まれます。
そして阿弥陀様と同じ功徳を完成し、
すぐさま阿弥陀様と同じくあらゆる世界にみちみちて、
苦悩の者を救うはたらきをさせて頂きます。

 

「キリギリスじゃあるまいし、おれは石の下やら草葉のかげなどにいないぞ」
と庄松はいいたかったのでしょう。

 

皮肉なことですが、庄松がなくなると、
その十三回忌、有縁の人々が墓標をたてました。
さらに五十回忌、玉垣をめぐらした立派な墓に改修されました。
「おらぁ、石の下にはおらぬぞ」
という庄松の声がひびいてくるお墓。
そういう意味では、お墓もまたすばらしい法縁(ほうえん。み教えのご縁)となります。
(以上参考、梯実円『妙好人のことば』71頁〜)

 

【悠然なる道】

 

まもなくお彼岸です。
お墓をご縁に、お念仏のご縁に遇います。

 

諸行無常……世間の事が気にかかり、
わが「いのち」のはかなさに油断し、
漫然(まんぜん)と生きてきた私に気づかされます。

 

今、仏様のお慈悲に出遇う時、
見た目は同じでも
「漫然から悠然へ」と、
人生の道は自然と変化していました。

 

「今日何があっても心配なかった。」

 

日々の生活に右往左往しながらも、
芯の部分はゆるぎません。

 

人生に油断しているのではなく、
最後まで悠然と生きるお念仏の生活。
ご一緒に歩んで参りましょう。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

叱られないように(2月下旬)

【チコちゃん】

 

NHKで放送中の「チコちゃんに叱られる!」は、
「永遠の5歳」の女の子「チコちゃん」が、
毎回、ゲスト解答者に質問をします。
質問に答えられない場合、
「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られます。
流行語にもなりました。

 

そんな人気番組の第一回(2017年3月24日)の質問が、
「なぜお線香をあげるの?」

 

「それは……立ち上っていく線香の煙があの世とつながるからかな?」
苦し紛れに答える田中美佐子さんへ、
「ボーッと生きてんじゃねーよ!」の一喝。

 

そしてチコちゃんの答えは、
なんと「亡くなった方の食べ物」。
成田山新勝寺のお坊さんが解説していました。
「お線香は焚くと煙が出ます。その煙の香りを亡くなった方は召し上がっているのです。」
典拠はインドの世親菩薩(4〜5世紀)の『倶舍論』(くしゃろん)で、
「人は[死後、生まれ変わるまでの四九日間、]香を食す」と。

 

「浄土真宗とは違うな」と思う私。
すると番組の最後、
「「お線香」をあげる意味は、宗派やお坊様によって様々な考え方があります。」
として次の四つの例が。

  • 香りによって、場所を清める。
  • 香りで心を落ち着かせる。
  • 煙で壁をつくり、仏様に息がかからないようにする。
  • 煙や香りを通じて、仏様とお話しをする。など

やはり浄土真宗的なものはありませんでした。

 

【いただきもの】

 

香はインドに起源を持つ礼拝の必要品です。
ですから浄土真宗でも、日常のおつとめの際にも香を使用し、
お線香を香炉にたきます。

 

お線香をたく、また焼香するのは、
本尊の阿弥陀如来へのお敬いのこころを、
香をお供えし合掌・礼拝するという作法に表したものです。

 

「そうそう、お敬い! お供え! そのために場所を清めないと……。」
「仏様に息がかかってもいけないしね。」
「いえ、心を落ち着かせるのよ。」
「そして、仏様とお話しするの。」

 

たしかに香は悪い臭いを防ぎ、
心身ともに落ち着かせる効用があります。

 

ですが浄土真宗の場合、
もっと大事な答え(意味)があります。
それは……「阿弥陀さまから、恵みをいただく。」
もしくは「お慈悲をいただいたから(お線香をあげる)。」

 

「……なんであげる行為が、いただく行為なの?」

 

そう思われるのも至極もっともですが、
香に限らず、浄土真宗には理由があります。

 

【他力の生活】

 

龍谷山本願寺(西本願寺)の八代ご門主蓮如上人は、
『蓮如上人御一代聞書』(以下、『聞書』)で、

(100)蓮如上人は、 「弥陀を信じておまかせする人は、 南無阿弥陀仏にその身を包まれているのである」 と仰せになりました。
(『現代語版 蓮如上人御一代聞書』より。原文は、(※1)

阿弥陀さまから信心をいただき浄土真宗に生きる生活。
それは阿弥陀さまに抱かれた生活です。
故に日常のもの全般、「わたしのもの」「わたしが買ったもの」「作ったもの」と思うよりも、
「仏さまからいただいた」と受けとめる方が自然です。

 

衣食住、私の周囲にあるもの何もかもが南無阿弥陀仏です(※2)
どれ一つとして、私を救うための阿弥陀さまのはたらきと、
無縁なものではありません。

(169)蓮如上人は、 お食事を召しあがるときは、 まず合掌されて、 「阿弥陀如来と親鸞聖人のおはたらきにより、 着物を着させていただき、 食事をさせていただきます」 と仰せになりました。」
(『現代語版 蓮如上人御一代聞書』より。原文は、(※3)

ボーッと食べてる場合ではありません。

 

【お荘厳】

 

仏壇の香も同じです。
お仏壇の中の「お荘厳」は、香もロウソクもお花もみな、
阿弥陀さまのお徳を表現したものといただきます。

 

「なぜローソクをつけるの?」
「阿弥陀さまからのいただきもの。」
「なぜお花を飾るの?」
「阿弥陀さまからの恵まれもの。」
もしくは、
「お慈悲をいただいたから、お礼のお花をお供えするのです。」
どちらでも構いません。

 

テレビ受けはしませんが、浄土真宗の他力の主張です。
一様に阿弥陀さまのはたらきといただく生活。
それをふまえた上で、きちんとお飾りしたり、線香をあげお礼します。

 

自然に「南無阿弥陀仏」が出るお焼香の習慣を心がけます。
ボーッと焼香している場合ではありません。

 

(よろしければこちらの「親子で学ぶクイズ浄土真宗@」もご覧ください。)

 

【聖人に叱られる】

 

他にも『聞書』には、こんな蓮如上人のご指南があります。

(58)「どのような人であっても、 自分は悪いとは思っていない。
そう思っているものは一人としていない。
しかしこれはまったく親鸞聖人からお叱りを受けた人のすがたである。 ……」

 

(80)「仏法では、 無我が説かれている。
われこそはという思いが少しでもあってはならないのである。
ところが、 自分が悪いと思っている人はいない。
これは親鸞聖人からお叱りを受けた人のすがたである。」(※4)

 

阿弥陀さまを無視して、
「自分は正しい」、「自分は自己反省しているから大丈夫」とうぬぼれている人。
阿弥陀さまではなく他人と比較して、
「あの人に比べれば自分は悪くない」と自己評価している人。
親鸞聖人に叱られます。

 

「ボーッと、お念仏している場合ではありません!」

 

他力のお念仏は、阿弥陀さまの声を聞くお念仏です。
「どのような悪人も救う」という仏の声に、
「私のことだ」と聞き受ける私。
悪の重さと救いの深さが同時に身にしみるお念仏です。

 

雑学王のチコちゃんに叱られるのは仕方ありません。
けれども親鸞聖人が嘆くような事はしたくないものです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

(※1)
(100)一、前々住上人(蓮如)仰せられ候ふ。弥陀をたのめる人は、南無阿弥陀仏に身をばまるめたることなりと仰せられ候ふと[云々]。

 

(※2)
参考までに『聞書』の現代語訳を。

(78)「日々の食事は、 阿弥陀如来、 親鸞聖人のおはたらきによって恵まれたものである。
だから目には見えなくてもつねにはたらきかけてくださっていることをよくよく心得ておかなければならない」

 

(101)丹後(たんご)法眼蓮応(ほうげんれんおう)が正装して、
蓮如上人のもとへおうかがいしたとき、
上人は蓮応の衣の襟をたたいて、 「南無阿弥陀仏だぞ」 と仰せになりました。
また実如上人は、 座っておられる畳をたたいて、
「南無阿弥陀仏に支えられているのである」 と仰せになりました。

 

(※3)
(169)御膳まゐり候ふときには、御合掌ありて、如来・聖人(親鸞)の御用にて衣食ふよと仰せられ候ふ。

 

(※4)
(58)たれの輩も、われはわろきとおもふもの、一人としてもあるべからず。これしかしながら聖人(親鸞)の御罰をかうぶりたるすがたなり。……

 

(80)仏法には無我と仰せられ候ふ。われと思ふことはいささかあるまじきことなり。われはわろしとおもふ人なし、これ聖人(親鸞)の御罰なり……

 

 

 

 

49の教え(2月上旬)

【お寺にちなんだ数】

 

昨年末、Yさんの家にお参りへ行きました。
すると、壁にたくさんの折り鶴が糸で綴じて掛かってありました。

 

「折り紙ですか?」
「紙じゃないんですよ。」

 

アルミ缶で作った折り鶴でした。
テレビで作り方を見かけ、
何気なくマネしてみると面白く、
すっかりはまってしまったのだとか。
これまでに千羽鶴どころか、一万羽以上製作したそうです。

 

「病院へお見舞いと一緒に持っていくと喜ばれます。」
「大した物ですね!」

 

後日、Yさんが例の折り鶴を持ってお寺へ。

 

「ほめてくださったので、お寺にもどうぞ飾ってください。」
「ありがとうございます。何羽あるのですか?」

 

Yさんはにこやかに、
「お寺にちなんだ数です。」
「……48羽ですか?」
「いいえ、49羽です。」
「49羽?」
「お寺といったら49日じゃないですか。」

 

Yさんのいわれる「49日」。
お葬式の後の49日間の中陰の事でしょう。
お寺といえばお葬式、そして49日。
だからお寺といえば「49」。

 

世間の見方を教えてもらいました。

 

【追善回向】

 

ところで「49日」の中陰ですが、
こんな風に考えられています。

 

「人は死んで49日間、
次の行くべき世界(地獄や天界などの六道)が決まっていない。
しかも七日ごとに冥土の裁判官による審理が行われる。
だからその裁判の日の前に法要を勤め、
その功徳を故人にふり向けて“よい世界”に行ってもらおう。」

 

これを「追善供養」(ついぜんくよう)とか、
「追善回向」(ついぜんえこう。善を積んで故人にふり向ける)といいます(※1)。

 

【他力回向】

 

それに対して浄土真宗の法要では、
「追善供養」や「追善回向」を用いません。
なぜなら、

「阿弥陀さまのはたらきによって、亡き人は死後ただちに浄土に生まれ、
追善の必要がない仏さまになっておられるのです。
また、仮に、まだ迷っているとしても、
私たち凡夫に善を振り向けてよりよい世界に行かせる能力は何一つ備わっていません。」
(『浄土真宗 仏事のイロハ』83頁)

 

追善の必要がない根拠は「本願」です。
阿弥陀さまの48願の願い、
特にその中心となる第18願の事です。

 

第18願の解釈、回向の見方が、
他の宗旨と異なります。
経文通りの「○○した者は往生させてみせる」ではなく、
その背景にある、
阿弥陀さまの大悲の話をうかがいます。

 

「どのような者も離さず仏にせずにはおれない。」

 

阿弥陀さまが私たちへ功徳を振り向けられる話、
すなわち「他力回向」の誓いを聞きます。

 

お念仏の世界を聞く時、
故人も生前中、
途絶える事の無い阿弥陀さまから振り向けられた功徳の中でした。
種々のご縁でその事に出遇い(信心を得て)、
お念仏の中に、阿弥陀さまの「必ず救う」の声に全うした人生。
死んだ後に関しては、何の心配もありません。

 

【追悼を縁として】

 

「そうすると、浄土真宗では中陰の法要はいらないのではないか?」

 

冥福を祈る法要はいりません。
しかし別の意味で中陰の法要をいとなみます。
それは故人の為ではなく私事。
別れの悲しみを縁として、
初めて、また改めて、
私が阿弥陀さまの縁にあう為です。

 

「人生に別れはつきもの」と頭で分かっていても、
実際の葬儀の場面、涙がこぼれます。
「仕方ない」ではすまされない、
言いようのない別離の悲しみがこみ上げるのが私です。

 

共にお念仏の法(おみのり)を聞く私たち。
追善の気持ちはありませんが、
追悼の悲しみは止めようがありません。
情ある者として、
死別に際し、後悔なしではいられません。
そんな心の動揺・変化に寄り添いつつ、
七日ごと、節目、節目にお経のご縁、お念仏のご縁にあうのです。

 

別れの傷はきえませんが、
時間と共に悲しみが癒えていく中、
「お念仏は私事でした」と、
自らの事、人生の依りどころを知り、
本当の意味で悲しみを乗り越えるが中陰の期間です。

 

【遺言】

 

今月15日(2月15日)は涅槃会です。
お釈迦様の今生最後の日。
クシナガラのサーラ林にて、

「比丘らよ、いざ私はお前たちに告げる。
すべての現象は衰滅無常のものである。
お前たちは放逸(わがまま)ならずして、
目的を達成させよ。」
(水野弘元『釈尊の生涯』292頁)

これが最後の教誡だったそうです。

 

また有名な遺言として、

「自分の亡き後には、
お前たちは自己自身を所依とし、他人を所依としてはならない、
仏教の正しい教法を所依として、
その他のものを所依としてはならない。」
(水野弘元『釈尊の生涯』289頁)

これは「自灯明 法灯明」として有名です。

 

……中陰法要で、
徐々に悲しみが落ち着いていく中、、
この釈尊の遺言同様、故人の遺言を聞きます。

 

「後生の一大事。
いつ終わりが来てもおかしくない今。
故に汝みずから問い、
今、みずから仏法に出遇え。」

 

お念仏という「今すでに目的の中」という法義に出遇います。
「またお浄土で会いましょう。」
別れのまま終わらせない法を知る。
それこそが故人が何より望んでいる事なのです。

 

……中陰最後の法要「満中陰」。
三月にまたがると「49、3(始終苦が身につく)からダメだ」という人が。
単なる語呂合わせですが、
そんな悲観的な語呂合わせより、
「阿弥陀さまはこの私のために「49」、始終苦労くださった。
そして「49」、始終功徳を振り向けてくださる。」
とお念仏申します。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

※1 他にも浄土宗さんのHPには「法事」について、こう説明があります。

 

【追善回向(供養法要)(ついぜんえこう)】
よくいわれる「法事」とは本来「仏さまの教えを実践すること」で、その意味では毎日仏さまにお茶やご飯を供えたり、お勤め(読経)をしたりすることも全て法事といえます。仏さまを敬う心や行い、また仏前に物品を捧げることを供養ともいい、亡き人のために供養することを追善供養、追善回向といいます。

 

追善とは、私たちが亡き人のために善(よ)い行い(善根功徳(ぜんごんくどく))を積むことで、極楽浄土にいらっしゃる亡き方が早くさとりを開き、私たちを見守り、導いてくださることを願ってめぐらし向けることを回向といいます。回向は、自分が積んだ功徳を自分のためだけでなく他の人に振り向けること、正確にいえば、阿弥陀さまにお願いして亡き人のもとに届けていただくこと″で、すべての人が極楽に生まれて、ともにさとりへの道を歩むことを願うという、大きな慈悲の心をあらわす行為なのです。浄土宗の教えでは、心をこめて「南無阿弥陀仏」とお念仏をとなえることが最高の功徳であり、追善供養です。

 

 

 

浮気の見方(1月下旬)

【浮気】

 

先月の中旬、隣りのお寺が報恩講の法要だったので、
お参り、お聴聞に行きました。

 

後日、ある法事のお斎についた時、
隣りのお寺の総代さんがおられたので、

 

「この間は、報恩講お参りさせていただきありがとうございました。」
「こちらこそ、お忙しい中ようこそでした。」

 

法座のお飾り準備の事や、
法話の内容についてしゃべっていました。

 

すると脇で聞いていた方が、
「自分の所属と違う、隣りのお寺の法座へお参りしても良いのですか?」
「もちろん構いません。
どのお寺に所属していても、
本願寺はもちろん、隣のお寺でも法話のご縁にあってください。」
「そうだったのですか!知りませんでした。」

 

喜んだその方は、
「いや〜、浮気をしても良いのですね!」
思わず、
「そうですね……いや、浮気はいけませんよ!」
ご本人、少し酔われてもいたようです。

 

心がうわついて変わりやすいことを意味する「浮気」は、
一般的に、カップル・既婚者が他の異性にも手を出す事を指します。
仏教でも浮気(うわき)は五戒の一つ「邪婬(じゃいん)」として認めません。

 

自分の所属する寺院以外の法座へ参るのは、決して浮気ではありません。
専徳寺のご門徒も、
いろんなお寺の法座を聴聞してもらいたいものです。

 

【浮世】

 

「浮気」は肯定しませんが、
仏教ではこの世を「浮世」、人生を「浮生(ふしょう)」と呼んだりします(※1)。

 

「浮世(うきよ)」は、元々、
「定めない世の中、はかない人生、世間」を指す語です。
仏教の生活感情が色濃く示されています。

 

けれども平安時代に入り、
つらい世の中を嘆く心情が仏教の無常観と結合。
「なんと、この世は浮世なことよ」と、詠嘆的に使われ、
さらに「浮き世(うきよ)」と同音の「憂き世(うきよ)」が重なり、
嘆かわしい現世を意味する用法が一般化しました。

 

ところがさらに意味が逆転します。
江戸時代頃、
現実を肯定的に、
刹那々々を楽しもうとする風潮が広まります。
そして「浮世」は、
「どうせままならぬ世なら、せめて浮き浮きと楽しく!」
そんな気持をこめた使い方が広まります。
そのため、「浮世草子」や「浮世絵」など、
現在流行中の風俗的なものに「浮世」という語をつけるようになります。
さらには遊郭といった遊びの意にも用いられました。
こうなるとまさに浮気です。(参照『岩波仏教辞典』「浮世」)

 

【浮世は無関係】

 

去年の10月、N医師に密着したテレビ番組を観ました。

 

「生きているように死んでもらいたい。」

 

患者が自分らしい人生を最後まで過ごせる手伝いをしたいというその方は、
究極の在宅医療を常に模索されています。
94歳のお婆ちゃんを、最後まで見届けたホスピス医。
「死亡診断書」を「卒業証書」として泣きながら遺族に渡されていました。
素晴らしい仕事だなと思います。

 

ただ、Nさんはその家を出られた後、
「もう(患者の)家には行かれないのですか?」
というテレビ局の質問に、
「私の役目は終わりました。」
ではなく、
「浮世の事は私には関係ありませんから。」
そんな風に答えられました。

 

Nさんにとって「浮世」は仏教の話であり、
死んだ後の話というイメージなのでしょう。
そして「死んだ後のお婆ちゃんには、私には関係ありません」、
そんな風にも聞こえ、
少し淋しくなりました。

 

【手段】

 

世間では「浮世」というと、
「どうせいつか死んでいく、はかない人生」、
死というマイナスイメージ、
またその死をさけた享楽的、
仕事もしないで遊んでいるイメージなのでしょうか。

 

しかし仏教の「浮世」は、基本的に悲観も楽観もしません。

 

この世を「浮世」と見つめ、
だからこそ今、何をすべきか、
正しい道を歩む原動力とします。

 

世を厭う事をきっかけとして、仏法を喜べる身となり、
自らの人生から目をそらさず歩んでいける身へ。
決して悲観的な生き方を推奨しているわけではありません。

 

【浮気だってる私】

 

私と大いに関係した「浮世」の話があります。

 

くも膜下出血や心筋梗塞に限らず、
交通事故や大災害。
はかない世の中、はかなきわが人生です。

 

しかし実際には、
世の中がはかないのではなく、
「はかなき世」と“思う私”に問題があるようです。

 

浮世とは、世の中の事ではなく、
私自身の心が、浮気と同様、浮ついている状態、
浮き草のように水中にただよっている状態でした。
「何が支えとなるのか」と、
わが足が確かな支えとなる大地を踏みしめていません。

 

そんな浮き草の私がいつか沈んでいきます。
「むなしく落とさず」と誓う仏の本願は、
そんな沈む私を目当てとされます。

 

【浮世の見方】

 

大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、
至徳の風静かに、衆禍の波転ず。
(【現代語訳】
本願の大いなる慈悲の船に乗り、念仏の衆生を摂め取る光明の大海に浮かぶと、
この上ない功徳の風が静かに吹き、
すべてのわざわいの波は転じて治まる。)

 

お念仏を称えても、世の中が浮世、
私が浮き草である事はかわりません。
けれども、浮き草状態の私ですが、
漫然と浮かび漂っているのではなく、
また自力修行して、
根を伸ばして地に根付いたのでもなく、
船に乗せられ、
浮かべられた状態と聞きます。
それが弥陀一仏、
念仏一つに定まるみ教えです。

 

浮気だっている浮世か、
仏の船に浮かべられた浮世か。
同じ浮世でも仏法に遇った者のイメージは異なります。

 

【念仏の見方】

 

お念仏も同様です。

 

お念仏をする時、
世間では「死のイメージ」、
「縁起が悪いイメージ」が浮かぶのかもしれません。
けれども法座で聴聞をする時、
お念仏は仏の喚ぶ声、
いつでもどこでも私の救いを願わずにはおれない仏のイメージが
心に浮かんできます。

 

病気や別離、あらゆる禍いや災厄、
そんな苦悩でさえ「この悲しみのおかげで」と、
苦でさえ拝むお念仏があります。

 

平生もお念仏一つの生活。
そして病室や終末期も「南無阿弥陀仏」の生活。
それは誰にも強制されない、
自分らしい生活を支える、
仏様の願いの船です。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

(※1)
・それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、
おほよそはかなきものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。(白骨章)

 

・しづかにおもんみれば、それ人間界の生を受くることは、
まことに五戒をたもてる功力によりてなり。
これおほきにまれなることぞかし。
ただし人界の生はわづかに一旦の浮生なり、後生は永生の楽果なり。(易往無人章)

 

・出づる息は入るををまたぬ浮世なり。(御一代聞書)

 

 

 

言葉が変われば(1月上旬)

【四字熟語で誓う】

 

昨年の12月28日、
日経新聞に「四字熟語で誓う新年の抱負」というページがありました。
新年の抱負を表す四字熟語を1000人に質問したそうです。
たくさんの四字熟語の中から選ばれた第一位は、

 

「心機一転 (気持ち新たに 前へ)」

 

昨年は年号が新しくなった節目の年でした。
また台風などの被害、つらい事も多く経験した年。
気持ちを切り替え、新たにスタートしたいと多くの人が思ったようです(※1)。

 

心機一転:あることをきっかけとして、すっかり気持ちがよい方向に変わること。また、変えること

 

気持ちを切り替えるきっかけ。
それは就職や進学に限らず、
お寺へ参る、お聴聞する事も大きなきっかけになります。
喜びも悲しみも、すべてご縁です。
「仏法聴聞」を生活の変化に入れて下さい。

 

【ネガポジ】

 

言葉が変われば心がかわる。
心がかわれば行動がかわる。
行動がかわれば習慣がかわる。
習慣がかわれば一日がかわる。
一日がかわれば人生がかわる。(※2

 

昨年、ある若手布教使Kさんの法話から聞きました。
言葉をきっかけとして、
心機一転、心がかわるというのです。

 

一つの例として「ネガポジ」があります。
ネガティブ(否定的)な言葉づかいから、
ポジティブ(肯定的)な言葉づかいに変える事です。

 

相手に「それはつまらない」といえば角が立ちます。
けれど「もうひと工夫ほしい」というと快く受け取ってくれます。

 

「太っている」を「ふくよか、貫禄がある」に変えたり、
「不便だ」を「使いこなす楽しみがある」に変えます。

 

「偉そうにしている」を「堂々としている」へ。
「うるさいなぁ」を「活気があるなぁ」へ。
「落ち着きがない」を「アクティブだ」へ。

 

さらに、
「そそっかしい」は「行動が素早い」へ。
「せっかちな人」を「テキパキしている人」へ。
「遠慮がない人間」を「物怖じしない、フレンドリーな人間」へ。
「時間にルーズな人」を「なにかと多忙な人」へ。

 

……「物は言いよう」という話かもしれませんが、
それによって相手に不快感を与えず、
加えて自分のイライラも少し消えるという「ネガポジ」です。
(詳しくはこちらへ)

 

雨でお寺の行事の参詣者がたった3人だった時。
「残念ですが悪天候になってしまい……たった3人でしたが…」ではなく、
「お足元の悪い中ようこそ。人数も少ない事で、皆さんとじっくりお話ができる良い機会となりました。」
少し雰囲気も変わるかもしれません。

 

【仏語】

 

言葉が変われば心がかわる。

 

お寺で仏様のみ教え、阿弥陀さまの話を聞きます。
聴聞を重ねる内に、
おのずと変わるのが「言葉の意味」です。

 

「南無阿弥陀仏」のお念仏の意味、
「他力本願」の意味、
「(浄土)往生」の意味、
「悪人」の意味……。

 

世間に蔓延した“私たちが使いやすいように加工”した意味から、
本来のお経の意味、
浄土真宗でいう場合の意味を知ります。
すなわち仏語、
仏様が私たちに語られる、
阿弥陀さまがこの私に喚び続けられる時の言葉と知ります。

 

お聴聞を通して、
私の疑い心が取り払われ、
私的で勝手な解釈に染まっていない、
仏様の心が宿りこんだ言葉を知った時、
おのずと私の心にも変化があります。
「有難うございます」というお礼です。

 

感謝の気持ちは行動となって生活に。
生活が習慣となり、
その一日一日の積み重ねによって、
人生が変わります。

 

【ネガのまま】

 

「ネガティブをポジティブへ。」

 

どの本屋にも大量にある(売れるからでしょう)「自己啓発本」によくある提言です。
心が軽くなる素晴らしいアドバイスですが、
続けるとなると、なかなか簡単にはいかない人がほとんどです。
(……だからいつまでも売れるのでしょうが。)
失敗多きわが人生です。

 

今日も愚痴 明日もため息 悲観的 されどこぼれる 念仏の喜び

 

煩悩という悩み多き煩しい心は、
大河のように決して枯れることはありません。

 

しかしお聴聞を通して、
お念仏への先入観がひっくり返された時、
「故に阿弥陀さまが私と共に歩んでくださっていた。」
「決して離さぬ、一人にせぬ」という法の道理と一体の心境があります。

 

人生の最後まで、
煩悩の海深きまま、
されどさとりの海果てしなき、
仏さまに包まれた喜びに心が転じ変えなされる、
そんなお念仏があります。

 

お寺の法会の行事をきっかけとして、
仏のお慈悲に出あい、
すっかり気持ちが喜びの方向にかわる「心機一転」。
2020年も、
そんな年であってもらいたいものです。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 


(※1)
ちなみに2位以下は、

 

2位 悠々自適(忙しいときこそ心穏やかに)
3位 泰然自若(たいぜんじじゃく。周囲に振り回されず、堂々と)
4位 一期一会(あまたの出会いが待っている)
5位 前途洋々(未来は明るい、期待を込めて)
6位 七転八倒……ではなく七転八起(しちてんはっき)(立ち向かう。きっとうまくいく)
7位 不言実行(目標に向かって突き進もう)
8位 不撓不屈(ふとうふくつ。くじけてしまう私にピリオド)
9位 一念発起(なし遂げる。これまでとは違う)
10位 油断大敵(気を引き締め、ケガなく健康に)

 


(※2)
おそらく元ネタは、フレデリック・アミエル(1821-1881)というスイスの方で、

 

心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
運命が変われば人生が変わる。

 

だと思います。

 

【追記】(2021/01/18)
またマザー・テレサ(1910 -1997)にも似た言葉があるようです。

思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。

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