山口県は岩国にある浄土真宗寺院のWebサイト

法話2012

内容

 

念仏の出番

 

【歌みたいだね】

 

何年か前の同窓会にてお寺について聞かれました。その第一声が、

 

「ミッチャンのお寺は、何宗?」

 

「浄土真宗だよ。」

 

「ああ、あの“歌をうたう”ところね。」

 

ちょっと驚きましたがおもしろいなと思いました。世間にはそう聞こえるのかもしれません。浄土真宗がよくおつとめする『正信偈(しょうしんげ)』の読経には節(メロディー)がついています。その節が印象的だったのかもしれません。読経が歌にきこえるのでしょう。加えて歌詞は漢字ばかりで意味不明。けれども歌なら何の抵抗もありません。私たちは英語で意味不明な歌をしょっちゅう楽しく聞いています。

 

【楯の使用方法】

 

歌詞は大切です。しかしそれとは別に、歌には歌自体が目的という場合もあります。みんなで歌うと楽しいし、一人で歌っていても心地よい。(……最近は鼻歌を歌っている人を本当に見なくなりましたが。恥ずかしいのでしょう。)

 

お念仏もそれに似ているものがあります。何か目的をもって称えるというよりも、お念仏すること自体が目的なのです。(……最近は門徒でさえ念仏をする人が本当に少なくなりました。恥ずかしいのか、他に理由があるのか…。)目的はすでに届いているというか…。

 

例え話です。

 

子どものピアノ教室にいった時です。最後に先生が「今日は“100曲マスター”を2回クリアーしましたね。おめでとう」と、ドラえもんの絵のついた楯を息子にくださいました。みんなが拍手してくれ、息子も嬉しそう。そして帰宅。すると息子が真面目な顔をして、

 

「おとうさん?」

 

「何?」

 

「これ(楯)何に使うの?」

 

「いや……つまり……これは使うものではないんだよ。これはあなたがピアノをがんばったから、そのあかしとしてもらったんだよ。飾っておくものなんだよ」

 

「ふーん」。わかったような、何か物足りないような感じでした。

 

お念仏は仏の努力が実ったあかし。「墨をガラスにする」ように、「煩悩まみれの私を仏にする」というありえないことを完成する準備がととのったあかしです。

 

お念仏は何かをするために称えるのではありません。何か目的のための手段ではないのです。それ自体に目的があります。「こんな私をすくうというのか」といった聞きものです。聞きものですから称えなければなりません。(でも称えれなければならないといっても、その称える行為には何の力もありません。ですから「他力の念仏」といいます。)

 

【念仏の出番】

 

ある童謡歌手がこんなお話をされたそうです。「童謡には人生に3度の出番があります」。

 

1回目は幼年期。5,3,1歳の子どもは童謡が好きです。ゆっくりとしたやさしいメロディー。いつも楽しく聞いています。

 

2回目は壮年期。大人になって家族をもった頃。童謡が懐かしく感じると共に、その意味の深さにも気づく時です。たとえば「ぞうさん」。

 

「ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね そうよ 母さんも 長いのよ」

 

親と同じもの(鼻)をもっていることを喜んでいる子(象)がいます。他の動物からみればその鼻の長さは奇妙にみえるかもしれません。しかしその鼻は自分があの人の子であるあかしでもあり輝かしいものなのです。大切なものをもった時、今まで自分の好きではなかった仕草・性格も、むしろ誇りに変わる時があるかもしれません。

 

そして3回目は老年期。90歳近い祖母をみているとわかります。もう童謡しかありません。何とも言えないものがあるのでしょう。子どもの頃以上にしっくりくるメロディー、リズム。

 

さてお念仏にも3度の出番があります。

 

1回目は幼年期。5,3,1歳の子どもはお仏壇に座ることに何の抵抗もなく、むしろ楽しそうです。食事と同じなのでしょう。祖父母も父母も一緒になってワイワイやっている光景に安心を覚えるのです。

 

2回目は壮年期。「念仏なんてなんで称えなければならないんだ」という知恵があるときやってくる親の死。親の分かれ目にお念仏をとなえる時、お念仏しかずっと真剣に悲しみに答えていける言葉はなかった事に気づきます。「ありがとう……」、しかし人間の言葉では限界があるのです。それ以上の世界が念仏にはあります。また再びあうことのできる世界をもつ言葉。そして自分の死、自分の行く末を真正面からみすえていける言葉です。

 

そして3回目は老年期。一生涯頑張って何もかも無事に引退した頃、大病がやってきます。世間は「がんばれ!」といいます。それにあわせて「がんばる」とは言い、たしかに元気はもらいつつも……「まだ私は頑張らなければならないのか」。「がんばれ」「がんばる」というかけ声で皆と最後をすごす不安。

 

念仏はそれ以上の世界がひろがる言葉です。そのままの自分、若い世代の者には決して分らない弱い自分を、しっかりうけとめてくれる親(阿弥陀さま)がいる事にきづかされる言葉。「念仏なしでは生きられない」という程何とも言えない喜びが、“老境の念仏”にはある……そう齢90で往生されたある念仏者が晩年おっしゃっていた言葉を、今大切に思い出します。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

響き十方に流る

 

木も草も鳥も巌も声あげて 南無阿弥陀仏と 喚びわたるかも

 

【藤生のそば屋】
 

先日、藤生駅前にできた手打ちそばの店へ行きました。

 

ご主人のMさんは十五年ほど前、何気なく趣味でそば打ちをはじめ、とたんにその魅力にはまりました。うち立て・ゆで立てのそばの美しいこと、美味しいこと!それからMさんは、豊平町にある「達磨・雪花山房」の橋名人に師事。・・・といっても、弟子入りも手解きもままならず、イベント出店での手伝いに止まりました。かと言って、当時営んでいた酒店ををやめるわけにはいかず、一時間半かけて何度も「達磨」に通いました。その数、実に200回近く。名人やお弟子さん達と懇意になり、時々、厨房の仕事をまかされるまでに。そば打ちのコツも指導され、腕をみがいていきました。

 

そばはとてもデリケートな料理です。細いほど喉ごしが良く、長いほどコシが楽しめる食べ物。少しでも太くて短いと、その食感が半減し、かといってそうするために水を多めにいれすぎては、香りが台無しです。そばの風味は失わないよう、ぎりぎりの水加減で細くて長いつややかなそばをつくることは至難の業です。

 

専徳寺の除夜の会では年越しそばを作ってくださって今年で4年目。また『灘そばクラブ』というサークルも開いています。地域交流の場であり、そば打ちの楽しさを伝え続けてきました。そしてこのたびいよいよ酒屋からそば屋へと夢を叶えられたのでした。

 

響流

外観も店内もとてもシンプルで清潔感があるお店です。音楽は流れていません。こぢんまりとした良いお店です。真剣にそばを味わってもらいたいMさんの想いを感じます。お品書きも当然「〜そば」の数品のみ。他に余計なものは何もありません。そば一つです。

 

ざるそば大盛りをいただきました。一心にそばを口に入れる6分間。実に堪能しました。車で10分以内の場所で本格的なそばを食せるお店ができたことを本当に嬉しく思います。

 

【声の仏】

 

ところでこの店名「響流(こうる)」といいます。これは「讃仏偈(さんぶつげ)」というお経の偈に出てくる言葉です。

 

昔々、貧しく苦しむものを一人のこらず救いたいと誓った一人の菩薩がいました。名前は法蔵菩薩。菩薩には世自在王仏という師がいました。法蔵菩薩は師のお徳のすばらしさを讃仏偈という歌でほめ讃えました。

 

「正覚大音 響流十方 (正覚の大音、響き十方に流る)」

 

師のさとりの声は高く、すべての世界に響きわたると讃えました。自らも同じさとりをひらきたいと願った法蔵菩薩は、はてしない苦難の末、阿弥陀仏という仏になられました。

 

親鸞さまはこの阿弥陀仏という如来さまは「名号」(声の仏さま)だと示されました。浄土真宗とは「南無阿弥陀仏のお念仏を、如来のよび声」といただく宗教です。お念仏をとなえるとき、「そのまま救う」という如来の声をお聴聞にあずかります。はてしなき苦悩のど真ん中に座す私であるが、決して途切れることなく私を照らし続けてくださる光があり、私をよんでくださるみ声があると目覚めさせられる法です。

 

称うれば声の響きとなる「ナモアミダ仏」という姿で私たちのところに届いてくださってあるのが阿弥陀さま。阿弥陀さまは聞法を通して心に響き、私の口から「南無阿弥陀仏」と称えられ、私を往生の身にゆり動かしつづけます。私の人生に筋を通し、長きにわたり一貫して変わらず流れ続けます。他に余計なものは何もありません。念仏一つです。

 

「南無阿弥陀仏」といただきます。わずか六文字。それで十分です。真実をまるごと届ける法。つらい中でも喜びを噛みしめられる今生の法味を共に喜ばせていただきます。

 

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

間に合う・息づく(11月後半)

 

【笑い話のパターン】

 

テレビで桂三枝さんがこんなことを言っておられました。自分の笑い話のパターンは「@事実→A誇張→B展開」だと。

 

例)
  @事実:親子でタクシーに乗車。振り向いた運転手の前歯が金歯だった。  
  A誇張:息子「なんで歯が光ってるの?」 運転手「(冗談で)よく磨いたからだよ、ぼうや」
  B展開:運転手の頭に禿がみえて、息子が「運転手さん、頭もよく磨いたんだね」

 

@は事実、ABはよくできていますが作り話です。こうやって笑いはこしらえるのだそうです。

 

これが法話の例え話にもあてはまらないかと……。

 

ケース1:間に合う

 

@事実:
ある夕方、娘が怪我をしました。
原因は私に。
門扉を娘と一緒にしめて早く家に戻るため競走をもちかけたのでした。
「よーい、どん!」
走り出したとたん娘はこけました。とがった石で顔面をパックリ切りました。すぐに救急病院へ。そこで二針縫いました。

 

一晩中夫婦で悩みました。娘の顔。怪我の跡が残ったらどうしようか。インターネットなどで様々に調べました。結局、朝一番に形成外科へ妻が連れていくことに。妻達が車で出ていった後、ボーッとしていました。つい一件目を法務帳から見逃してしまいました。

 

Nさんから電話が。
「まだですか?」
「すいません!」
すぐにNさん宅へ。

 

「何年か前も遅れましたよね。」
相当説教されました。
「今日はお袋の祥月命日。その日にお盆参りしておらえたら心も落ち着くだろうと、いつもこの日にお願いしているのに。こんなに腹がたつのなら、来てもらわない方が良いです。」
「……申し訳ありません。」

 

A誇張:
Nさんの怒りはおさまりません。
「あなた、いつもお念仏の話してますよね。」
「……はい。」
「あの念仏という教えは、他力とかいうて、どんな者でも救いに間に合う教えなんですよね。」
「…………はい。」
「でもそう教えを説くあんたが、時間に間に合わんのなら説得力ないじゃないですか。」
「……おっしゃるとおりです」

 

B展開:
帰り際におもう事。
「ご法義を傷つけたな」という反省の思い。
そしてもう一つ、
「Nさん心配しないで。私は間に合わなかったけれど。仏さまは間に合うよ。
というか仏さまは私みたいに隣町から急いでこられる方ではないよ。
私が不安に思う前から、私のことを心配し、誓って一緒に歩んでおられるよ。
お念仏は、その救いがすでに間に合っている証拠だよ。」

 

 

ケース2:息づく

 

@事実:
Fさんは80歳半ばのおばあさん。
いつものようにお取り越しのお参りに行きました。
『正信念仏偈』が終ってお茶をいただいていました。
何気なく、
「今年の夏はどこかにいかれましたか?」
「入院していました。」
「え!」
「胃を3分の2切りました。」
「ああ、大変でしたね。」
「ええ。もう今は息をするのがやっとです。」
苦笑いするFさん。

 

A誇張:
「でもね、そんな息からお念仏がでます。有難いです」

 

B展開:
私たちはだんだんと自分のできることが少なくなっていきます。
最後にできること、それは呼吸。
息も絶え絶えの状態。
けれどもそうなっても「できる仏道」がお念仏です。
最後の最後まで普段の生活に息づく仏教、それがお念仏なのです。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

法の喜び(11月前半)

 

【法喜】

 

親鸞聖人にはこんな和讃があります。

 

(10)

慈光はるかにかぶらしめ
 ひかりのいたるところには
 法喜をうとぞのべたまふ
 大安慰を帰命せよ

 

(和訳)
弥陀のお慈悲の光明は、はるか遠い仏の世界からいつでもわたしを照らします。
光をいただく私には、み法(のり)にひたる喜びがおのずと心にひろがります。
おおいなる安らぎと慰めとなってくださる仏さま、ありがとうございます。

 

私の好きな歌の一つです。

 

【立派な短歌】

 

大学時代、ある先生に教えていただいた笑い話です。

 

  「それにつけても金のほしさよ」

 

「万能の七七」です。どんな言葉が前にきても、必ずつながり、立派な短歌(?)になるのです。

 

たとえば、

「手を合わす そばで揺らめく 彼岸花 それにつけても 金のほしさよ」

 

「子供らと 一緒に遊ぶ プラレール それにつけても 金のほしさよ」

 

「母想い 故郷想う 盆の時期 それにつけても 金のほしさよ」


といった具合です。

 

上の句が何であっても、ケチな人の短歌、いや人間の本性をとらえたユーモアのある(?)ものにかわります。

 

ちなみにこれは太田南畝の「世の中は いつも月夜と 米の飯 それにつけても 金の欲しさよ」から生まれた話のようです。

 

【念仏の短歌】

 

けれども同時にこうも教えていただきました。

 

  「それにつけても 法の喜び」

 

「万能の七七」です。どんな言葉が前にきても、必ずつながり、お念仏の短歌になるのです。

 

たとえば、

「朝六時 眠い目の中 草むしり それにつけても 法の喜び」

 

「夜七時 闇夜の中の 墓参り それにつけても 法の喜び」

 

「宝くじ やっぱり今年も 夢のまま それにつけても 法の喜び」


といった具合です。

 

上の句が何であっても、念仏者の短歌、
「聞くべきものを聞いた」とみ教えをたたえるものにかわります。

 

【4つの喜び】

 

「喜べば、喜びたちが 喜んで 喜び集めて 喜びにくる」

 

ある布教師さんの法話で知りました。
ちなみにこれは吉丸房江さんの「喜べば、喜びが、喜びながら、 喜びごとを集めて、喜びにくる」がもとの言葉のようですが、こちらの方が短歌形式で覚えやすく好きです。

 

感謝の気持ち大切にしたいものです。人への感謝。物への感謝。自然への感謝。そして……仏への感謝。
苦しみも悲しみも腹立ちも常に共にくださる、自分の都合で平気で「人・物・自然への感謝の気持ち」を投げ捨てる私。そんな私も見捨てない、慈悲の仏への感謝に。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

お斎(10月後半)

 

【お礼のいらない食事】

 

小話を一つ:

 

高速のインターの食堂にて。

 

「いただきます」

 

「坊や、今日は“いただきます”しなくていいの。」

 

「なんで?」

 

「この料理はお母さんが作ったものじゃないの。
ちゃんとお金払ったのよ。」

 

……お後が宜しいようで。

 

 

【伊勢エビはおらあが善知識だがやあ】

 

先日、ある大会の慰労会にて。

 

ふと目の前に刺身が出されました。
みごとな伊勢エビのお造りです。
「すごいなぁ」と思いながら見ていると、
その伊勢エビ、ヒゲがユラユラ、動いています。
ギョッとしました。

 

新鮮な証拠なのかもしれません。
しかし見慣れていない私にとっては何とも気味が悪く。

 

彼はしばらくヒゲをユラユラ動かしていました。
30分後、ついに動かなくなりました。
店の方が来て、
「すいません、下げていいですか。」
しばらくすると伊勢エビの頭の入った味噌汁が出て来ました。

 

忘れていました。
食べ物は生きものだということを。
我々はいのちを奪って食べているのです。
分かっているつもりでしたが、分かっていなかった事。
それは殺生の重み。

 

何気なく口にする食べ物ですが、
「当たり前」のように口にしてはいけなかった。
そのことを教え諭された伊勢エビでした。

 

【精進の是非】

 

精進という料理があります。
肉・魚を食べない料理です。

 

わが家は月に一度が精進です。
親鸞聖人のご命日16日。
また喪中もできるだけ心がけます。

 

生臭いものが故人に失礼……というより、
故人の死を通して、
いのちを奪う行為につつしみを感じる習慣といただいています。

 

ところが、
Aさんはこう言うのです。

 

「精進をする意味がわからない。
なぜ精進なんてするのか。

 

どのみち人間はいのちを食べないと生きていけないじゃないか。
ましてや、肉・魚と米・野菜に線引きすることがわからない。
ぜんぶいのちじゃないか。
それなのに肉・魚だけ食べないなんて。」

 

そういう解釈もあるかもしれません。
けれどもこうは思えませんか。

 

悲しいかな、私たちはいのちを奪わないと生きていけない。
ならばせめて、月に一度は、喪中は、
精進をこころがけよう。
たしかに野菜も肉もたべなければ生きていけません。
野菜も肉も同じいのちです。
でも肉を食べなくても生きていけます。

 

動物は「殺生」ということを考えさせます。
たしかに同じいのちですが、自然に属する植物と人間も属する動物では違う面もあるのではないでしょうか。

 

 

そしてこの精進の是非は、道徳問題にも差別問題にも通じます。

 

「なんで悪いことを恥じるの?
どうせ人間は悪いことしないと生きていけないじゃないか。」

 

そうではないのです。
悲しいかな、私たちは縁あればいかなる悪事もしてしまう存在。
ならばせめて、平生、落ち着いている頃は、悪事をつつしむことを心がけてもいいのではないでしょうか。

 

「なんで差別のことを考えないといけないの?
どうせ人間は差別しないと生きていけないじゃないか。」

 

そうではないのです。
悲しいかな、私たちは自己中心的なものの見方故、他を差別してしまう存在です。
ならばせめて、平生、落ち着いている頃は、差別の事に気をつけてもいいのではないでしょうか。

 

【無明の酒に酔って】

 

「阿弥陀さまはどんな罪も許してくださる。
だから、
自分の罪悪になやんではいけない。
すなわち、肉・魚を食べることに抵抗感をもつのはおかしい。
精進なんて心がける方がおかしい。
その行為は
罪から救うという阿弥陀さまのはたらきを疑っていることにつながる。」

 

…というのは造悪無碍(ぞうあくむげ。悪を造っても何のさわりもない)という誤った考えです。
阿弥陀さまを都合良く利用しています。

 

心がけても悲しいかな生涯罪悪に沈みこむ私、
殺生しつづけんとする私を、
決して空しく終わらせないと誓われたのが阿弥陀さまなのです。
殺生をつつしむことをやめよ、とは決しておっしゃいません。

 

 

「建長4年(1252)、80歳の聖人は、

浄土のさとりを目指して生きる念仏者の日常生活を、
お手紙(御消息)を通して、
次のように厳しく諭(さと)されています。

 

「もとは無明の酒に酔ひて、
貪欲・瞋恚・愚痴の三毒をのみ好みめしあうて候ひつるに、
仏のちかひをききはじめしより、
無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、
三毒をもすこしづつ好まずして、
阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし」

 

阿弥陀如来の誓願に喚(よ)び醒(さ)まされて念仏する身に育てられているものも、
元は酒に酔っぱらって正体を失い、
毒を毒とも思わずに食らって「いのち」を削るような愚かな生き方をしてきました。

 

しかし、
仏の御名(みな 南無阿弥陀仏)を称(とな)え、
如来の大悲の、み言葉に喚び醒まされて生きるようになった今は、
少しずつではあるが、
酔いが覚え始めるように、
過ちを過ちと知らされ、
自他を損(そこ)なう三毒の煩悩も少しずつではあるが慎み、
み教えを聞くことを楽しむようになってきておられるはずであるというのです。

 

自分を愚かな煩悩具足の凡夫と思い知らされた念仏者は、
いよいよ煩悩の醜(みにく)さ、
怖(おそ)ろしさを思い知り、
力の及ぶ限り我欲に歯止めをかけるよう、
阿弥陀如来、聖人に慚愧(ざんぎ)を込めて誓わせていただこうではありませんか。」
(梯和上 《まことの安穏目指して(1月前半)2012年》 )

 

どうか「精進の意味がわからない」と思う人は、
伊勢エビの生き造りを頼んでみてください。
それでもわからなければ、
次の「食鳥処理場」の場面をみる手もあります。

 

   ケンタッキーの食鳥処理場
     ※閲覧注意(心臓が弱い方はやめてください)

 

【お斎復活】

 

かつて法事の後の食事は「お斎」と呼ばれていました。
お斎とは精進料理のことです。
けれども最近はお斎という言葉すら失われてきました。
(もしかしたらもう「お斎」と呼ぶことの方がおかしいのかもしれません。)

 

楽しい談笑。
故人を回顧し別離を惜しむことも口にしない昨今の法事後の会食事情。
その原因に、心苦しくもなく平気でいのちを頬張る雰囲気も一役買っているのではないでしょうか。

 

精進のご馳走は準備が大変です。
また材料費も安い。
来客に対してこんな安いものでは申し訳がないという気持ちもわかります。

 

ならばせめて普段の生活の時、
お斎(精進)という言葉忘れないようにしたいものです。
朝食だけは、
もしくは月に一度(故人の命日など)は、
偶然ではなく「今日は精進だ」と心がけてみてください。

 

そして食前の言葉も。

 

(誰か):多くのいのちと皆さまのおかげによりこのご馳走をめぐまれました。
(一同):深く、ご恩をよろこび、ありがたくいただきます。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

仏が願う(10月前半)

 

【妻が相談する時】

 

先日の夫婦の会話であり、よくある夫婦の会話です。

 

昼食が終わって、仕事をしようとする時に妻が一言。

 

「夕飯は何が良い?」

 

「……いや、食べたばかりでそんなこと言われても。」

 

「でも、夕飯まで会えないから、今聞いておこうと思って。」

 

「……それじゃあ」

 

しばらく悩みました。
このとき、少しでも冷蔵庫にある食材を気にしておけばいいのですが、
昼食を食べたばかり。
ボーッとしていました。

 

「栗ご飯……豚汁……あと、金肥ゴボウか、ほうれん草のおひたし。メインは肉ジャガか、サンマかな。」

 

すると妻が一言。
「聞いた私がばかでした」

 

スタスタと向こうに行ってしまいました。

 

夜は全く別の料理。
私の悩んだものは一体……。

 

【相談する理由】

 

近所の友人に教えてもらいました。

 

男が妻(彼女)に相談する時、
それは本当に答えがゼロで、困っている時。
だから妻(彼女)の意見はほぼ賛成します。

 

しかし妻(彼女)が夫(彼氏)に相談する時の目的。
それは自分の中の考えをまとめたい時なのだそうです。
だから残念ながら、夫(彼氏)の意見に賛成することはあまりありません。

 

つまり自分の思いを後押しして欲しいのです。
ならばどう応えるか。
オウム返し。
逆にたずねると良いのだそうです。

 

例えば「AとB、どっちが良い?」
といった選択の相談には、

 

  「AとB、どっちが良いと思うの?」

 

といった具合に相手の考えを引き出す。

 

ところが問題は「今日、どこに食べに行きたい?」といった漠然とした質問。
その場合、選択肢の相談にかえてあげると良い。

 

  「自分は今、AとBが浮かんだけど、どう思う?」

 

別にCでも良いのです。
目的は漠然としていた悩みを軽くすること。
相手の無意識にある思いを導きだしてあげるのです。

 

なるほどと思う私。
とても良いことを習いました。
「言うは易く行うは難し」ですが。

 

【仏が願う意味】

 

私たちのご法義は「阿弥陀様の願いを聞く」ことを旨とします。

 

しかし普通は逆です。
私に願いがあってそれを神や仏が聞き受け、
そんな私に条件を提示し、それを満たせばその願いは報われる。

 

けれども私が願いを申す前に、すでに願いを立てられたのが阿弥陀様。
「私が南無阿弥陀仏という名のはたらきとなってあなたに入り満ち、
南無阿弥陀仏という声となってあなたに聞こえるものとなり、
浄土に生まれさせ、仏にさせる。」

 

何故か。
私の口にする願いを承知していた仏さまなのです。

 

どこまでも煩悩の染みがとれない私の願いと承知していた仏さま。
幸せを願いつつ、本当の幸せとはほど遠いものを願う私と承知していた仏さま。

 

そんな私だから、仏の方が願う。
私には何もいわず「われにまかせよ。必ず救う」と誓う。
私を思うが故、私の願いは聞かないのです。

 

私が仏の願いを、願い通りに聞くのです。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

蛙の心(9月後半)

 

【聴聞のポイント】

 

浄土真宗のたしなみの第一番目。
やっぱり聴聞です。
仏の法の話、
アミダ様の本願の話を聞いていきます。

 

「ただ聞くだけでは仕方がないのでは?」という人もいるかもしれません。
しかし間違わずに聞くというのは、案外難しいのです。

 

どうすれば間違わずに聞けるのか?
キーワードは「私事」です。

 

本願の話、浄土真宗の教えを聞くとき、
いつも忘れてはいけないのが、「これは私の話なのだ」と聞くことです。

 

【蛙魂】

たとえばこんな川柳があります。

 

「手は付けど 頭は下げぬ 蛙かな」

 

この川柳、どういう意味と味わいますか?

 

………

 

ある人がこれをお寺の掲示板でみました。
その人は大変感心しました。
「へえ! こんな事をお寺でも言うのか」と。
なぜか?
「士魂商才という言葉に通じる言葉」と味わったのです。

 

  ◆士魂商才:武士の精神と商人の才能を兼ね備えていること。
           実業家のモラルとして言われる語。

 

一流のホテルマンは、取材の申し入れを断る際、
至極丁寧に、かつキッパリと断る。
どこまでもへりくだってはいけない。
お客様はたしかに大事だが、迎合しすぎてはいけない。
武士の心、自分の信念を曲げてはいけない。
それを伝えている言葉と味わったのでした。

 

「よし、オレも今日から蛙になるぞ!……難しいけど。」
その人がその後どうなったかは、知りません。

 

【私は蛙】

ところが別の人がこれをお寺の掲示板でみた時、
その人は手を合わせ、お念仏をしました。
「申し訳ありません。勿体ないことです」と。
なぜか?
「悪人正機という教えに通じる言葉」と味わったのです。

 

  ◆悪人正機:アミダ仏の救いのめあてである私は悪人であったという事。
 「悪人」とは自らの悪業(罪)を自覚する者のこと。
       一生涯煩悩を持ち、煩悩にさいなまれ、他をののしり、恨み、
          妬む心の持ち主(悪人)と自覚した者。
       「正機」はおめあて。
       阿弥陀仏の如来の本願における正しき救いの対象。
       浄土で仏になる資質を備えていること。
       浄土真宗の中心となる教え。

 

よそでは「あの人は丁寧で、品が良くて、いつも笑顔で、明るくて……」等と言われている私かもしれない。
間違いがあっても、「すいません」と、深々と手をつき頭を下げる私。
けれども相手の見えない心の中はどうなっているだろうか。
頭を下げていないのではないか。
いや、その時は「申し訳ないな」と思っているだろう。
でも、しばらくしたら「もういいじゃないか」と開き直っているのでは……。

 

「手は付けど 頭は下げぬ 蛙かな」

 

これは私のための歌だ。私の本性をいいあてた歌だ。私は蛙そのもの。
永遠の昔から私の心は蛙である。
そんな私に如来は五劫という間思案し、兆載永劫という間苦労された。
もったいない。
この私を蛙の心とすでに見抜いて、先手で私をつつんでくださる如来様がいる。
だから自分の心を蛙の心と認めることができる。
蛙の心で申し訳ない。
でも蛙の心で、よかった。

 

【浄土にカエル】

 

浄土真宗の場合、「悪人」とは他の誰のことでもありません。
私が私に使う言葉です。
如来の「必ず救う」という声に、いよいよ聞き受けていった時、
見えてきた私の姿です。

 

そんな悪人の心、蛙の心を知り、深く反省し、かつ深く安心する時、
新しい言葉があらわれます。
私はいのち終わったらお浄土へ行く(往生する)、
と同時に
「お浄土へ帰る(カエル)」。

 

「かならずわが世界(浄土)へ生まれさせる」と親となってくださっているのがアミダ様。
親元へ行く、と堅苦しくいうのもいいが、
親元へ帰る、という言い方の方がしっくりくるかもしれません。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

トンボとエコ(9月前半)

 

仏教こども新聞

 

私が購読している新聞には、
月に一回、「チューピーこども新聞」というのが入っています。
子ども向けではありますが、分かり易く、
大人も読んでいて楽しい新聞です。

 

さて、
浄土真宗本願寺派にも「仏教こども新聞」というのがあります。
マンガで仏教の基本的な言葉の説明があったり、
やさしい法話があったり、
ゲームがあったり、
とても楽しい新聞です。

 

こども新聞といっても侮るなかれ。
大人も感心することが結構あります。
特にあまり仏教にご縁のなかった方は、
こういうものから読む方がいいのかも。

 

 

毎月発行。一部100円です。
是非、おすすめします。

 

申込みは自坊に連絡くださっても結構ですし、
直接、

 

〒600-8501(住所不要) 浄土真宗本願寺派宗務所内 

仏教こども新聞社(tel. 075-371-5181)

 

こちらへ連絡してみてください。

 

今回はその最新号「No. 741」の記事を2つ紹介します。

 

法話 トンボは水たまりを池だと思う

 

雨で出来た水たまりに、
トンボが必死で卵を産んでいます。
水たまりはすぐ干からびてしまうので、
近くの大きな池に行くように追い払いました。

 

しかしまたすぐ戻ってきて、
卵を産み始めます。

 

トンボは、
水たまりが干からびることを知りません。

 

私たちもひょっとしたらトンボと同じように、
自分の生き方に気づいていないのかもしれません。

 

アミダ様は、
みんなが、正しくやさしい心を持てる、
お浄土と言う世界をご用意して下さいました。

 

なぜかというと、アミダ様は、
欲張ったり、怒ってばかりいる私を見て、悲しまれたからです。
このままいったら私たちが悲しみ、苦しむことをご存じなのです。

 

私たちは、自分の楽しい事が大好きです。
でもそれが正しいかどうかは、私たちには分かりません。

 

アミダ様は、私たちにお浄土を目指して生きることを教えてくださいました。

 

   (たつお いちょう)

 

お家の方へ 「エコひいき通信簿」

 

ある小学生がテストでひどい点をとった。
お父さんが呼び出しをうけ、
教室で三者面談をすることとなった。
先生はお父さんにテストを見せ、
「お父さん、一番上の問題をやってください」
という。
問題はこうだった。

 

「81個のみかんがあります。
友達3人で同じように分けなさい」

 

答えは27!
単純な割り算の問題。
その子は
「ミキサーにかけてジュースにしてわける」
と解答し、
×をもらっていた。

 

お父さんが
「お前、なんでそんなこと書いたのか?」
と聞くと、
「だって、ミカンは大きい小さいがあるし、
僕のが甘くて友達のが酸っぱかったらいやだもん」
と弁明。(※)

 

確かに算数的には×かもしれない。
しかし、分けるということの本質に迫ろうとしたその子の姿勢には
評価すべきものがある。

 

「顔がジャニーズ系じゃない」
「成績が悪い」
「スポーツができない」
それ位のことで悲観することはない。
人様が探すことの出来ない
我が子の長所を見つけるのが親の仕事ではないか。
ひたすらエエトコを書き続ける
「エコひいき通信簿」を作ってみてはどうだろう。
エコが流行ってるんだから。
   (むらかみ けん)

 

 


ちなみにこの子の親の答えは、
「81個のみかんはいっぺんにはジューサーには入らない」でした。
(落語「親の顔」より)

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

《セミに聞く(8月後半)》

 

謹啓

 

慈光の下、ご健勝にてお過ごしの事とお慶び申しあげます。

 

 

さて本日はお手紙並びに尊いお志をご恵送くださり、
誠に有難うございます。
ご法義繁盛の為、大切にお供えさせて頂きます。

 

 

毎日暑い日が続いております。
あまりに暑いので午前中のお寺参りの際は、
本堂の扉をすべて開放して読経しています。
すると聞こえてくるのがセミの大合唱。
お参りにこられた方には、
果たして読経よりもセミの鳴き声の方がよく聞こえるのではと恐れるばかりです。

 

最近は通津でもクマゼミを多くみかけます。
「シャー、シャー」と。地球温暖化の影響でしょうか。

 

 

セミでいつも思い出すのは七高僧(しちこうそう)の曇鸞大師(どんらんだいし)のお言葉。

 

  「惠蛄(けいこ)春秋を知らず」。

 

夏の終わりに鳴くセミは春も秋も知らない、
という意味です。

 

可愛そうなセミ。
かぐわしい春、山が色づく秋を知らない。
この地上はいつも暑くて苦しい世界なのだと何の疑いも持たずに鳴いているのでしょう。

 

けれどもそれは私たちも同じ事です。
私たちも生まれる前のこと(春)、命終の後のこと(秋)を知りません。
今の価値観・倫理観しか知りません。

 

セミは七日の命。
私の命も無常の風の中。

 

けれどもセミは日々「シャーシャー」と堂々と鳴いています。
そこに教えられるものがあります。
私たちも日々「南無阿弥陀仏」と念仏するばかり。

 

弥陀如来は十劫(じつこう)の昔より私を見つめ、
何も言わずに「念仏する者を必ず救う」と誓願し実行くださっています。

 

故にこのたびの人生が最後の迷い苦しみの世界の旅。
この旅が終わればお浄土で仏になる。

 

老い、病気、死にゆく不安を始め、大切な人との別れ、
会いたくない人との出会い・諍(いさか)い、
そして様々な煩悩(欲、怒り、妬み)は霧散し、
大切な人と再び遇える境涯。

 

それだけではありません。
今度は仏となって
多くの悲しみ辛い人を救うために再びこの世に還って自由自在に救う身となります。

 

「われにまかせよ、必ず救う」。
その弥陀の勅命をそのまま聞き受ける私たち念仏者のいのちは、
わずか数十年の人生ではありません。
無限の世界がひろがっています。

 

「そうだった。お念仏一つだった」。
あらためてセミの声を聞きながら、
汗をかきつつ読経・念仏する今日この頃です。

 

最後にもう一言。
最近、弥陀の願いを聞く念仏者にとって、
お盆は二つの事に思いをはせる時期と耳にしました。

 

 @「故人は私に何を願っているか」
 A「私は後の家族等に何を願っていくのか」

 

墓前・お仏壇前にてお念仏申しつつ、
亡きご恩の方々との対話を大切にさせていただきたく存じます。
故人の願い、いろいろあると思いますが、
その一つに
「人生の柱を忘れるな」
「念仏の柱を忘れるな」
といただかれたら幸甚です。

 

以上とりとめもなく書きました。

 

どうぞ岩国にお帰りの際は是非お寺へお寄りくださいませ。

 

まずはとりいそぎ書中にて御礼申しあげます。

 

合掌

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

《八日目の私(8月前半)》

【男と女】

何ヶ月か前、テレビである映画を観ました。
それは昨年の日本アカデミー賞で10冠に輝いた映画。
「母性愛」がテーマらしいとの噂。
楽しみに夫婦で映画鑑賞を。

 

………

 

2時間たって映画が終わりました。
そして夫婦げんかが始まりました。

 

 

きっかけは妻の一言。

 

  「男という生きものはなんであんなこと(浮気)をするのかしら。」

 

たしかに主人公(女性)の家庭が崩壊したのは、父親の浮気がきっかけです。
そして彼女が学生妊娠した相手も、家庭をもつ男性。
いろんな意味で女性の苦悩が色濃く描かれた映画。
その原因は男。

 

  (妻)「男ってものは……」

 

  (私)「しかし、もっと悪いのはそれ(不倫)を受け入れた側だと思うよ。」

 

この一言がいけませんでした。
しばし険悪なムードに。

 

映画「八日目の蝉」、
作品としては素晴らしいと思いますが、
夫婦でみないことを個人的におすすめします。

 

(以下、少し「八日目の蝉」の内容について書いています)

 

【八日目になって】

「あのさぁ。
前に蝉の話したよね。
七日で死ぬより、
八日目の蝉の方が悲しいって。
あたしもそう思ってたけど、違うかもね。

 

八日目の蝉はさぁ、
他の蝉には見られなかった何かがみられるんだもん。
もしかしたら、それ、すごく“綺麗”なものかもしれないよね。」
  (映画「八日目の蝉」より)
蝉は一週間のいのち。
それよりも長く生きる蝉がいたら。
仲間はみんな死んでいる。
孤独です。
けれどもそんな悲しい時だからこそ出遇える、
光かがやく景色というものがあるのかもしれません。

 

普通の育て方をしてもらえなかった主人公と友達は、
当初、
自分たちの境遇を「誰にも分かってもらえない」と心閉じています。
けれども二人で、
そのつらい過去と向き合う旅を続けた末、
“あたたかいもの”に出遇って、
明るい未来を見すえ、
映画は終わるのでした。

 

【孤独になってこそ】

 

  人、世間愛欲のなかにありて、
  ひとり生まれひとり死し、
  ひとり去り、ひとり来る。 
  ……身みづからこれをうくるに、
  代わるものあることなし。
    (『仏説無量寿経』)

 

代役なき人生です。
貧困も病気も自分が引き受けなければなりません。
愛する家族もみな最後は離れていきます。
結論、人はみな孤独の中。

 

けれどもその孤独を孤独と知らせる、
孤独にはさせないはたらきがありました。
お念仏です。
「南無阿弥陀仏(一人ではないよ)」と、
私の喉を鳴らす仏の慈悲のはたらきといただきます。
逃れがたい罪業を共に請け負うと誓い、
その誓いを果たす仏様です。

 

「自分は孤独ではあるが、一人ではなかった」
南無阿弥陀仏(念仏)の如来と出遇った時、
現実の景色はかわります。
透明な空しい景色から、
光輝く奇麗な景色へ。

 

私を含めあらゆる者・物は「一人にはさせない」という如来とつながっていました。
無関係なき世界、
縁起という美しい景色をみていけるのが、
八日目の念仏者かもしれません。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

《カド(7月後半)》

【パズル】

この頃、5歳、3歳、1歳の三人の子どもが一緒に遊ぶようになりました。
プラレール、料理ごっこ、お相撲……。

 

ところがすぐ喧嘩になるものが。
パズルです。
アンパンマンとプリキュアのパズル。
50ピース(片)くらいのものです。

 

5歳のお兄ちゃんは、
「これは、ここだ!」と言いながら、
どんどんピースを置いていきます。

 

そのスピードについていけず、だんだん腹を立てる妹。
「お兄ちゃんばっかりせんといて!」
順番を求める妹。
それを無視する兄。

 

半分くらい出来上がった頃、
そばで見ていた1歳の弟が自分もやろうとし始めます。
手当たり次第にピースを置いていく弟。
「やーめーて! 壊れる!」
悲鳴を上げるお兄ちゃん。
弟を押しのける兄。
泣きながら、それでもやろうとする弟。
もらい泣きする兄。
妹はもう別の遊びをしています。

 

三人でパズルを完成させるのはいつの日か……。

 

【聞き所】

 

  讃歎のとき
  なにもおなじやうにきかで、 
  聴聞はかどをきけ
     (蓮如上人御一代記聞書 第51条)

 

僧侶は読経の後、必ず法話をします。
それは仏徳讃歎、仏さまのお徳をお讃えするものです。
けれども、

 

  「お婆ちゃんの思い出話、よかった。」
  「あのたとえ話は分かりやすかった。」
  「……今日の話はつまらんかった。」

 

たしかにたとえ話は耳に残ります。
けれども法話の聞き所、
それはカド(門)、すなわち「肝要」です。

 

【パズルとオセロ】

1つはお念仏。

 

ちょうどパズルの角(カド)のようなものです。
何千ピースもあるパズル。
さっぱりわかりません。
けれどもカドは簡単です。
4箇所しかありません。
簡単にはめることができます。

 

どんな人でもできる行、
私でもできる行、
それが浄土真宗の行。
お念仏です。
お念仏申しましょう。

 

そしてもう一つ。
それは本願です。

 

ちょうどオセロの角(カド)のようなものです。
オセロの必勝法。
それは早くカドをとること。
カドは絶対にひっくり返されないからです。
カドを中心にどんどん自分の色に変わっていきます。

 

浄土真宗の行、お念仏は、
けっして中身がゆるぎません。
それは私の願いは1ピースも入っていない、
すべて「本願」、それは阿弥陀様の願い(他力本願)だからです。

 

私の願い「しあわせ」、それは悲しいかな結局、欲望におおわれた願いどまり。
そんな私に対し、
仏は極重の悪人の私と見抜き、
その事態をわが事と受け取り、
果てしない苦悩の末、
極重から極上の身にしあげるという、
ゆるぎない功徳を完成くださいました。
その功徳が、わが口からこぼれる念仏の中身です。

 

  「どん底のあなたを救わずにはおれない!」

 

というお慈悲の結晶、それが念仏です。
ちなみに、
お念仏申す私の心持ちはというと、無疑心。
仏の喚び声に1ピースたりとも疑いのない心です。

 

「念仏がありました。
本願(阿弥陀様から)のお念仏でした。」
聴聞の後味は、
結局ここではないでしょうか。

 

【子どもたちへ】

子ども達、どんどん大きくなってくれます。
子どもの成長、嬉しいものです。
いつの日か、みんなでオセロ、トランプ、麻雀しようね。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

《欲を除く光(7月前半)》

【清浄光】

 

  道光明朗超絶(どうこう みょうろう ちょうぜつ)せり
  清浄光仏とまうすなり
  ひとたび光照かぶるもの
  業垢をのぞき解脱をう

 

  【現代語訳】 
  阿弥陀如来のおさとりの、
  智慧の光のすばらしさ、
  他にずばぬけて清き故、
  「清浄光仏」と申します。 
  清浄光に出遇う者、
  永劫かかってためこんだ、
  悪業きれいに流されて、
  浄土でさとりをひらきます。

 

阿弥陀様の十二の光のうち、
第七番目「清浄光」をほめ讃えたものです。

 

【教行信証】

大学生の頃、浄土真宗のことは全くといっていいほど興味なし。
けれども少しは知らなければと、
『日本の名著 親鸞』を流し読みしていた時が。
そこに1箇所、こんな文章がありました。

 

 

  「それにつけても、
  しみじみと心から思い知らされる。

 

  なんと悲しいことであろうか。
  この愚禿釈の親鸞は果てもない愛欲(※)の海に沈み、
  名声と利得の高山に踏み迷いながら、
  浄土に生まれる人のなかに数えられることを喜ぼうともせず、
  仏のさとりに近づくことをうれしいとも思わないことを、
  本当に、恥じなくてはならない。
  心をいためなくてはならない。
    (『親鸞』281頁)

 

自らを厳しくみつめる親鸞聖人。
その真摯な態度に、
浄土真宗を学んでみようかと思ったきっかけの言葉でもあります。

 

この文章、当時は悩み苦しみの言葉、絶望、信仰の浅いことの告白のようにとらえていました。
しかしそうではありません。単なる悲しみではありません。喜びに裏付けられた悲しみなのです。

 

【弥陀如来名号徳】

 

阿弥陀様の清浄光について、
次のような親鸞聖人の説明があります。

 

  清浄光というのは、
  法蔵菩薩が貪欲の心を離れたことにより、
  その身にそなえられた光である。

 

  貪欲というのに二種類ある。
  一つには淫欲であり、
  二つには財欲である。

 

  この二種類の貪欲の心を離れたことにより、
  その身にそなえられた光である。

 

  それはあらゆる命あるものの煩悩の汚れを取り除くための光明であり、
  淫欲や財欲の罪を除くためである。
  だから清浄光というのである。
    (『弥陀如来名号徳(現代語版)』より)

 

阿弥陀様の清浄光は往生のさわりとなる貪欲の中、
もっとも捨てがたい愛欲と財欲の罪を除くというのです。

 

人間の欲望には主として5つあります。

 

  食欲、睡眠欲、淫欲(性欲)、名誉欲、財産欲。

 

その中、愛欲と財欲はとくに断ちがたいものです。

 

そのことを先刻承知なのが阿弥陀様でした。
決して消えることのない欲望と見抜き、
そのことで救われない私に心痛し、
私にかわって、その悪業から決別する道を切り開いてくださいました。
その努力の結晶がナモアミダブツ。
私に届いたお念仏です。

 

お念仏をいただいた時、
しみじみと心から思い知らされるのです。
如来の圧倒的な救いのはたらき。
それは私を思うが故です。

 

果てもない愛欲の海に沈み、
名声と利得の高山に踏み迷う私を如来は救うという。
しかもそうなった救いの境涯にピンとこない私。
浄土に生まれる人のなかに数えられることを喜ぼうとも、
仏のさとりに近づくことをうれしいとも思わない私。
けれどもそれも阿弥陀様にとって想定内。
何もかもご存じの仏さまでした。

 

  「なんと悲しいことであろうか……」

 

という深い反省は、
単なる反省ではなく、
「こんな私を救うと言うのですか。
申し訳ないことです。
ありがとうございます」
という慶びの言葉と表裏一体の言葉でした。

 

※:愛欲=これは単なる性欲ではなく、性欲も含めた貪愛の欲望、煩悩のことです。
愛は家族(淫欲)、欲は経済生活(財欲)という解釈もきいたことがあります。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

《雨降り(6月後半)》

 

(平成19年6月の「副住職だより」からの転載)

 

 

【あめふり】

梅雨にはいりました。
洗濯物が乾きにくい梅雨、
仕事で外を出歩くのがおっくうになる梅雨……
けれどもこの季節だからこそ歌いたくなるのが、
北原白秋(きたはらはくしゅう)(明治14〜昭和17)の作詞、『あめふり』(大正14)です。

 

 

 

 『あめふり』(一番)

 

あめあめ ふれふれ 
かあさんが♪
じゃのめで おむかい 
うれしいな♪
ピッチピッチ 
チャップチャップ
ランランラン♪
生後五ヶ月半になる息子には、
今月はこの歌を子守歌として歌い聞かせています。
ただし「かあさんが♪」ではなく「とうさんが♪」にしています。

 

小学校の頃、
雨の日に大声で「あめふり」を歌って帰った思い出があります。
歌いやすい音程に楽しいリズム。
外で遊べない雨は子どもの私にとってあまり嬉しいものではなかったのですが、
「うれしいな♪」
と口ずさんでしまうことで、
雨もまんざら悪くないのかなと感じてしまう不思議な歌でした。

 

【心配してくれる人がいる】

大きくなって、
子どもの頃口ずさんだ歌の歌詞が胸にひびくということがよくあります。
『あめふり』もその一つです。

 

突然降り出した雨。
外は薄曇りです。
でもこの子は喜んでいます。
それは今日何か特別な事情があるというわけではなくて、
自分のお母さんが傘を持って迎えに来てくれるからです。

 

「雨々降れふれ♪」

 

…小降りだったらお母さんが迎えに来ないだろうから、
大降りになれ、雨よどんどん降れ!!
……ではないと思います。

 

この子は知っているのです。
自分のことを大事に思って、
必ず心配して迎えに来てくれる人が自分にはいてくれることを。
だから今降っている雨がそのまま限りのない温かな親心にみえて、
その嬉しさから「雨よ雨よ、もっともっと降って!」と歌うのでしょう。

 

「ランランラン♪」

 

…母親と一緒に、傘をさして雨の中を歩きます。
雨だけど母親となら楽しい帰り道です。

 

【共に歩む】

この人生も天気に似ています。
楽しい晴れの日もあれば、
逆に苦しい雨の日もあります。

 

でもその雨も、
自分をいつも見つめてくれている温かい親心、
すなわち仏心(ぶっしん)(ほとけの心)を知っている時、
深い喜びの雨となります。

 

お経にはこう書いてあります。

 

  「仏心(ぶっしん)とは大慈悲(だいじひ)これなり」

 

今日も親心に充ち満ちた
「ナモアミダブツ」のお念仏をとなえつつ、
仏様との二人三脚の生活を歩ませていただきます。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

《人間の本性(6月前半)》

【三悪道に届く光】

(8)仏光照曜最第一(ぶっこう しょうよう さいだいいち)
光炎王仏(こうえんのうぶつ)となづけたり
三塗(さんず)の黒闇(こくあん)ひらくなり
大応供(だいおうぐ)を帰命せよ

 

【現代語訳】
諸仏に勝れし光明は
炎王光と呼ばれたり。

 

諸仏の照らさぬ三悪道
そこへも届き闇破る。
そんな“あらゆる者から供養を受けるにふさわしい方”。
どうして帰依せずにいられましょう。

 

三悪道とは「地獄、餓鬼、畜生」を言います。
猛火に焼かれる火塗、
刀・杖で迫害される刀塗、
互いに食いあう血塗の世界です。
その恐ろしい世界は同時に、
むさぼりの世界、
いかりの世界、
愚痴の世界でもあります。
私の心の中にあるものです。

 

仏教の常識として到底救済不可能な三悪道の者を救うという、
救われざる者の救い(私のこと)を成し遂げた、
阿弥陀様のご苦労をたたえた和讃です。

 

【人間の本性】

森岡正博さんが『中央公論』(1995年5月)でこんなことをおっしゃっています。

 

(A)環境問題、自然保護に対して、2つの派がある。
一つは@「保全派」、一つはA「保存派」です。

 

@保全は人間中心主義の自然保護です。
自然がこのまま失われていくと、後々、人間も困る、だから守る。
それに対して
A保存派は人間非中心主義です。
豊かな自然環境のもつすばらしさを尊重しなければならない、だから守る。

 

両者の違いはその保護方法にあらわれます。
@は自然に「林道をつけて、間伐材を回収し、原生林の景観を管理」といったもの。
Aは自然を「原生林の生態系を手つかずでそのままサンクチュアリにして残す」といったものです。

 

 

(B)福祉問題、老人保護に対して、2つの考えがある。
一つは@利己主義、一つはA利他主義。

 

@は「情けは人のためならず」です。
「自分が老いたときにのたれ死にしないために、保険や福祉の充実した社会を作りましょう」という考えです。
それに対して、
Aは「惻隠の情」(孟子)です。
ボランティアのように、見返りを求めません。
「とにかく、目の前で苦しんでいる人々を助けてあげたいから援助をする」という考えです。

 

(A)(B)のことから、
森岡氏は人間には三つの本性があるといいます。

 

それは
 1「連なりの本性」…海や森と一体化したい (A−A)
 2「自己利益の本性」…他の生物を犠牲にしてもいい(A・B−@)
 3「ささえの本性」…苦しんでいる他者を助けたい (B−A)

 

この3つが人間には普段は調和的にそなわっている。
しかし問題は、
「人類の歴史を冷酷に観察すれば、
この三つの本性が衝突したときに、
もっとも力強く他を圧倒するのは2「自己利益の本性」である。
人類の文明史とは、
2「自己利益の本性」が、
他の二つの本性を力づくで従えてきた歴史だとも言える。」
のです。

 

人間の本性は、悲しいかな、
相手を振り落としてでも生きようとする畜生なのかもしれません。

 

【悪人の救済】

そんな私の本性を「悪人」と悲しみ、
「正機(お目当て)」とされたのがお慈悲の阿弥陀様でした。

 

「悪人なればこそ救いたい」というのは仏の立場からの言葉であり、
仏の心である。

 

悪を好むというのではない。
悪を奨励するのでもない。
悪を許すのでもない。
悪がいとおしいのである。
悪人を見捨てることができないのである。」
(村上速水和上)
大応供。
誰もが尊敬するに充分な仏様です。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

《無比の世界(5月後半)》

【無比なる光】

清浄光明(しょうじょうこうみょう)ならびなし

 

遇此光(ぐしこう)のゆゑなれば

 

一切の業繋(ごうけ)ものぞこりぬ

 

畢竟依(ひっきょうえ)を帰命せよ (浄土和讃(5) 親鸞聖人)

 

[私訳]
他に比類なき清らかな、
阿弥陀佛の光明は、
わが煩悩と敵対し、
攻め滅ぼしてくださいます。

 

この光にこそ遇えた故、
あらゆる迷いの縄からも
ときはなたれるわが身です。
そんな“究極のよりどころ”、
どうして帰依せずにいられましょう。
阿弥陀様のはたらき、「無対光(むたいこう・対比できない光)」を讃えた歌です。

 

【比べあい】

阿弥陀様の光(はたらき)は無量です。
他のどのような光とも比べようがないのです。

 

対する私たちはいつも比べあって生きています。
損か得か、
勝ったか負けたか。
上手か下手か。
役に立つか立たないか。

 

その一つが、
「長命か短命か」。

 

ある時お参りに行くと、
お婆さんがこう言われました。

 

「この年になると、娑婆の時間が短くなったとため息が出ます」

 

人間の最大の苦しみは「死」です。
これがあるために、

 

「自分はあと何年生きられるのか」

 

こう考えてしまいます。
考えると気が滅入ります。

 

 

【平均寿命】

私達人間の平均寿命は何歳でしょう?

 

2009年のデータですが、
世界の平均寿命は70歳。
日本人の平均寿命は83歳で世界一位です。
男性は80歳(2位)、女性は86歳(1位)です。

 

平均寿命というのは不思議なもので、
その年齢までいかないと損な感じがします。

 

私達の寿命は有限です。
いつか終わります。
ならば、できるだけ長く生きたいと思うのは当然かもしれません。
もちろんある程度健康で。
しかし仏様はそれを欲望といい、
苦しみの原因と見抜かれました。

 

平均寿命は上がっています。
上げれば上がる程、「長生きしたい」欲望は増えるのです。

 

平均寿命は知らずと、私たち全員に比べあいをさせる数値でもあります。
自分の大切な人は、
知らない人(平均寿命)よりも長生きだったか、
長生きでなかったか。
長生きなら、まあ仕方ないか。
長生きでないなら、残念で仕方ない。

 

今度は私です。
「長命か、短命か」。
人生最後の比べあいです。

 

【寿命無量】

ところで、
阿弥陀様のお浄土へ生まれると私たちの寿命はどうなるのでしょう。

 

寿命無量になります。

 

一見聞くと、「長生きができて良いな」、
または「そんなに長生きしたくない。それではいのちの尊さが……」と思うかもしれません。
けれどもそうではないのです。
お浄土へ行くと「長生きしたい」という気持ちが消えるのです。
「長命か短命か」という欲望のものさし(尺度)を消滅させるのがお浄土なのです。

 

人間の根源的な願望である「死にたくない」。
その願望を苦しみの原因である欲望と見抜いた仏は、
その欲望の全くない清らかな世界「お浄土」を
私たちに分かる言葉で伝えたのが「寿命無量」なのです。

 

さとりの道、
ほとけの道、
欲望から離れる道。
そんな道に関心は持っても、
実際に本気で願い歩むはずのない私であることは
阿弥陀様の方が先刻承知でした。

 

そんな私に「寿命無量」と伝えてくださいました。
お浄土への道、
寿命無量への道。
それも欲望から離れる道です。
私を知らず知らずに欲望というまがいもの世界から、
真実の世界へいざなうお話です。

 

お浄土ではもう平均寿命はありません。
「もっと長生きしたい」とはちっとも思いません。
思えないのです。

 

損か得か 人間のものさし うそかまことか 仏さまのものさし(相田みつを)

 

阿弥陀様の光は、
平均(相場)を気にして、比べあってばかりの私を、
平等という比べあいのない真実の世界へ救い上げるよと、
知らせ、照らしてくださっています。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

《潤いの心(5月前半)》

【妨げない光】

光雲無礙如虚空(こううんむげにょこくう)

 

一切の有碍(うげ)にさはりなし

 

光沢かぶらぬものぞなき

 

難思議(なんじぎ)を帰命せよ (浄土和讃(4) 親鸞聖人)

 

[私訳]
すべて雨でぬらす雲のように、
すべて包みこむ大空のように、
お慈悲の光は、
あらゆる罪・悩みのものにも妨げられることなく届き、
心に“光沢”を与えます。
そんな“凡夫の思慮を超えた光の仏”に、
どうして帰依せずにいられましょうか。
阿弥陀様のはたらき、「無碍光(むげこう・妨げられない光)」を讃えた歌です。

 

【引き分け】

祖父母と三人で食事していた時のことです。

 

祖父が食事を終えて部屋を出て行くと、
その後ろ姿が見えなくなった途端、
祖母が言い出しました。

 

「ほんと情けない。」

 

指さすのは祖父が使っていた箸です。
形は同じですが、絵柄の色が違います。
一方は赤色、そして一方は藍色です。

 

「目が悪くなくなったねえ。
これが同じに色に見えるんだよ。
つまらなくなったよ。」

 

苦笑いする私。

 

しばらくして祖母も食事が済みました。

 

「さてと、私も部屋へ戻ります…………そのリンゴ食べてもいい?」

 

指さすのは私の前に置いてある皿。

 

「これ、フライドポテトだよ。」

 

「ほんとに?」

 

仕方なく皿ごと渡しました。
一口ゆっくり味わった祖母は、一言、

 

「やっぱりリンゴじゃろう」。

 

疑いの目の祖母。
駄目だこりゃと思う私。
祖父母、歳をとりました。

 

【一人でいても】

老いは不便です。
目は悪くなる、
耳は悪くなる、
覚えは悪くなる。

 

右手につけかえた事を忘れ、
「時計がない!」とあわてて探す祖母。
眼鏡のレンズが片方なくなっているのに、
気にせず食事している祖父。

 

はたでみると面白いですが、
本人は大変でしょう。

 

その反面、お年寄りは時間に余裕が生まれ、心に豊かさがあらわれ、
分別も具わった人間に……なれば良いのですが。

 

ある方が法事の後、話してくださいました。

 

「業の深さを思い知らされます。
子も孫も出て、主人も亡くなり、
一人で暮らしているのです。
なのに物がいつもの所にないと、
真っ先に思うのが、“誰がちゃんと元に戻してないのか”。
私以外ありえないのに……。
しばらくして苦笑いです。」

 

【ゆとりある人生】

目が悪く、耳が遠く、膝痛く、
覚え衰え 性分変わらず。
老年期の障害は多々あります。
けれどもそのような身にも、
阿弥陀の光は決してはね返されることなく降りそそぎます。
そして心に光沢を与えるのです。

 

念仏をとなえ、
「落ちるものこそ救う」という仏の教えを聞く人生は、
長生きすればするほど心にツヤがでるのです。

 

不便な身の上に、
「仕方がない」と慰めも出るでしょう。
しかし同時に、
「有り難い」と聞き喜べる心情が加わります。
仏の声をいよいよ心の底から浸っていける人生です。
この身で何も心配なかったのだと、
心の奥底に不思議なゆとりをもった人生が、念仏者の老後です。

 

時代に取り残される事に何の不安もありません。
時代を超えた存在といつも一緒だからです。

 

 

【資格と役目】

前回の朝ドラ「カーネーション」でこんな話がありました。
主人公の小原糸子さんに、末期癌の女性が苦しみを打ち明けます。

 

「自分が死ぬのはともかく、
おびえるような二人の子をみて、
幸せにしてやりたいのに、
悲しませることしかできなくて情けないんです(涙)」

 

そんな女性に小原さんはこう言いました。

 

「今度は私の話を聞いてくれるか。

 

うちは今、88歳や。
88歳も大概のもんやで。
体はあちこち痛い。
杖がないと歩けん。
いつ死んでもおかしくない。

 

娘たちはいつも不安と心配顔や。
「大丈夫?」ってな。
けど85歳の時、ごっついええことに気づいたんや。
おしえちゃろうか。

 

歳とるっちゅうことは、奇跡をみせる資格がつくんや。
若い人ではなく年寄が好きな事して笑って……それだけで人は喜んでくれるんや。

 

老いることが怖くない人はいない。
老い・病・よぼよぼ。
でも何かするだけで人の役にたてる、ええ立場やろ?

 

あんた、笑ってみい。ほら。
ほれ! そんで奇跡や。末期患者が笑ったんや。

 

笑うだけで奇跡をみせられる。
これは役目や。」
…………

 

特別なものをみせることができるのが老いの時代です。
そして仏のはたらきも。
歳とるっちゅうことは、お慈悲をみせる資格がつくのかもしれません。

 

念仏を称え喜ぶ老年期は、
「光沢かぶらぬものぞなき」、
仏から賜った心のゆとりがいよいよにじみ出てくる時期です。

 

お年寄りの合掌の姿、
念仏の姿、
「有り難いですね」と申す姿は、
お慈悲とはかくありきと、私達に示してくださいます。
その資格があるのがお年寄り。
仏様から賜ったごっついええ役目です。

 

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

《お浄土はあるかないか(下)(4月後半)》

【建立無上地獄界】

こんなお釈迦様のお言葉もあります。

 

 

「生によって聖者となるのではない。
行為によって聖者なのである(『スッタニパータ』650(意訳))」
死後の世界はあるかないか、ではないのです。
今生の私の行為が原因となり、死後の世界の果は変わります。
ただ漠然と「世界」や「霊魂(存在)」というものはありません。

 

こんな言葉もあります。

 

  「火の車 作る大工は勿れども 己が作りて己が乗り行く」

 

地獄の世界はあるかないか、ではないのです。
あなたが地獄の世界を作っているか、作っていないのかです。
そうです、他でもないこの私は、
普段からコツコツと、
この上もない地獄の世界を建設しているのかもしれません。
そう見抜いた仏は、
十劫の昔から「お浄土があるよ」とお念仏をもって喚び続けておられます。

 

 

 

【あるんじゃげな】

昔、私が布教使補研修の試験の後、
担当講師がこんなお話をしてくださいました。

 

ある和上さんの所に、質問にきた方がいました。
その方は真面目に、

 

「あの……お浄土は本当にあるのでしょうか?」

 

「うんにゃ」

 

「では無いのでしょうか?」

 

「うんにゃ」

 

「……? ではやっぱり有るのでしょうか?」

 

「うんにゃ」

 

「…………。あの、和上様、ありがとうございました。」

 

(帰ろうとした方に、和上は一言)
「お浄土は、あるんじゃげなよ。」

 

私たちがする事は、「お浄土はある!」と信じ続ける事ではありません。
お念仏を通して、
如来の「われにまかせよ。お浄土があるよ」の喚び声を聞くのです。

 

如来から私の日々の因果の姿をきかせてもらいます。
悲しいかな、地獄行きのなりわいをしている私に、
だからこそお浄土参りの弥陀の縁がたねとなってはたらいているのです。

 

世間はとかく「あるかないか」が好きです。
分別が好きなのです。
勝ったか負けたか、上手いか下手か、
強いか弱いか。
その世間の論理でお浄土をとらえようとしたならば、
何年たっても、お浄土の教えの真意に出遇うことはありません。

 

いや、むしろ逆にお念仏を通して、お浄土の話を聞きくことによって、
世間の分別の論理から距離を置くことができるのかもしれません。

 

「死後の世界、お浄土は本当にあるのだろうか?」
考える前に、
お念仏申しましょう。
きっとお念仏が、その不安を消してくださいますよ。

 

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

《お浄土はあるかないか(上)(4月前半)》

【5つ数えたら】

あなたは死後の世界、
有ると思いますか?無いと思いますか?

 

もしくは霊魂、
有ると思いますか?無いと思いますか?

 

この質問、実はあまり良い質問ではないのですが。

 

……。

 

こんなジョークを落語で聞いたことがあります。

 

ある霊能力者がいました。
「先生、死後の世界はありますか?」

 

「死後の世界は〜ある!」

 

「どんな世界ですか?」

 

「楽しいところだ。」

 

「先生はいったことあるんですか?」

 

「私などは日に三度も四度も行ったり来たり行ったり来たりしてる。」

 

「私たちはいけないんですか?」

 

「あなただって行きたかったらいつでもいけますよ。
目をつぶって5つも数えてごらんなさい。
みえてきますよ。
一緒にやってみますか。
1……2……3……45(死後)。」 お後が宜しいようで。

 

【有無を離れる】

親鸞聖人に次のような和讃があります。

 

  解脱の光輪きはもなし
  光触かぶるものはみな
  有無をはなるとのべたまふ>
  平等覚に帰命せよ

 

阿弥陀様の悟り光はどんなに遠い所でも到り届く(無辺光と言います)。
その光に出遇った迷いの衆生は、
「有無」という煩悩から距離をおく。
故に如来様を「平等覚(びょうどうかく。平等を悟られた方)」という。
だいたいこんな内容です。

 

この「有無」という煩悩ですが、
具体的には、死後の世界の有無です。
もしくは霊魂。
如来の光に出遇う私は、
(A)「死後の世界は有る」とも
(B)「死後の世界は無い」とも考えません。

 

え?お浄土の世界はないのか?
もう少しお話しさせてください。

 

「(A)死後の世界は有る」とは、
霊魂を認める意見です。
霊魂という永遠不変の私がいて、
それは肉体が滅んでも、ずっとあり続ける、
だから死後の世界はある、という考え。

 

「(B)死後の世界は無い」とは、
私たちは死んだら真っ暗で何もなくなるという考え。

 

この(A)(B)の考え、
どちらも仏教の教え「因果の道理」に反します。

 

仏教は「物事は因縁によって生じる」と説きます。
あらゆるものは因縁によっ移り変わり続けるのです。
諸行無常です。
永遠不変の存在、(A)霊魂は認めません。

 

また(B)無の世界も当然否定します。
自業自得という言葉がありますが、
今やっていることは当然、それ相応の結果が伴います。
何も無いなんてことは許しません。

 

(つづく)   ※冒頭へ

 

 

 

《往き生まれる(3月後半)》

【覚えていないが】

現在、私には3人の子がいます。
5歳、3歳、そして11ヶ月の子。

 

三人の子は一日中、遊びます。
朝起きたら遊びだし、寝るまで遊びます。
勉強・仕事なんて知りません。

 

飛びかかってくる長男。
すぐ泣いて、抱っこをせがむ娘。
抱いてないと何を誤飲するか分からない次男。
最近、腰痛気味です。

 

「よく、これだけ遊んでいられるなぁ」と感心しつつ、
もう一つ思う事があります。
「自分も昔、これだけ遊ばせてもらったのだな」。

 

自分の5歳までの記憶はありません。
両親にたずねた事もありません。
けれども3人の子と同じく、遊び回っていた私がいました。
親を困らせ、親に守られているとも知らず。

 

「覚えてもいないのに何故そう言えるか?」
「確かめたり、証明していないのに何故そう思えるのか?」
覚えていなくても、証明できなくても良いのです。
“恩”は科学の話ではありません。

 

【第2回目】

4年前のわが子の初の誕生日の時です。
ケーキや料理の準備で、朝から大忙しの日でした。

 

その夜、妻の父親からこんなメールが届きました。

 

「2回目の誕生日おめでとう」

 

忘れていたものを思い出させられました。
1歳の誕生日は、第2回目の誕生日なのです。

 

第1回目の誕生日。
それは壮絶でした。

 

【回想:親になった日】

妻の初めての出産です。
ナイーブになっていた妻は、はやくから痛みをうったえ始めました。

 

すぐに雪の中を車で病院へ。
しかし「まだ、はやい」と看護師さんに一喝され、
私とお義母さんは、家に戻りました。
翌朝、再び病院へ。
何分かすると痛がる妻の腰を懸命にさすりました。

 

夜になりました。
テレビでは浅田真央ちゃんが素晴らしい演技をしていました。
女の子だったら「マオ」という名も良いねと、
話題を出しては痛みを耐える妻。

 

夜12時前。
まだ兆候がなく、
「しばらく休んだら」と妻に言われて横になりました。

 

しばらくしてふと目を覚ますと、
部屋に誰もいません。
分娩室の方が騒がしい。
あわてて私も行きました。
するといよいよ出産の時。

 

立ち会う為に部屋に入ろうとすると、
ドアの所で看護師さんが、
「出産に立ち会いますか?」
「はい。」
「本当に立ち会うのですか?」
その看護師さんの目からは、
「あんたがいたら邪魔」というオーラが。
「いや……やめときます。」
2時55分、私は親になりました。

 

およそ24時間の激闘。
妻よ、お疲れ様。

 

【大人の誕生日】

諸人よ 思い知れかし おのが身の
誕生せし日 母苦難の日

 

誰が歌ったのか、読み人しらずの歌です。

 

20歳は、21回目の誕生日であり、
35歳は36回目の誕生日。
自分の年齢の数字にとらわれると、
自分の第1回目の誕生日を忘れがちです。

 

第1回目の誕生日。
柔和な表情で子どもの自分の誕生を祝ってくれた親が、
苦悶の表情で命がけの行為をしていた時でした。

 

「覚えてもいないのに何故そう言えるか?」
「確かめたり、証明していないのに何故そう思えるのか?」
覚えていなくても、証明できなくても良いのです。
“恩”は科学の話ではありません。

 

大人になってからの誕生日。
「ありがとう」の意味がかわります。
みんなに「おめでとう」と言われ、
その返事としての「ありがとう」ではなく、
自分の方から恩に対して「ありがとう」と言うのです。

 

年をとるのが恥ずかしいのか、
「自分の誕生日、忘れました」と言う人。
また
「誕生日は私へのご褒美の日」という人。
分かりますが、果たしてそうなのでしょうか?
世間には「父の日」「母の日」がありますが、
本当の両親の日、それは私の誕生日。

 

【親様】

私たちはいのち終わることを「往生の素懐をとげる」と言います。
往生とは、「行き生まれていく」ということです。
生まれるということは、
そこに親がいるのです。
阿弥陀という親様が。

 

「今生の縁が終わった時、次は必ず浄土へ往生させ、
仏として生まれさせる」と本願を誓い、
その誓いを成し遂げるために果てしない苦労をおしまなかったのが阿弥陀仏でした。
私の真実の親。
広大なご恩をいただき続けるこの度の人生、往生浄土への道程です。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

《有量の私(3月前半)》

【無量の光】

親鸞聖人に次のような阿弥陀様のお徳を讃えた歌(和讃)があります。

 

智慧の光明  はかりなし
有量の諸相  ことごとく
光暁かぶらぬ ものはなし
真実明に    帰命せよ
光は仏様の智慧のお徳をあらわします。
阿弥陀様の智慧は無量なることを示しているのです。
このことは反対に、私たちの智慧は有量、限界があることを教示しています。

 

【サザエさん】

子どもの頃、ピアノを習っていました。
早めに行くと前の生徒が練習しています。
自分の番になるまで部屋の外で静かに待っています。

 

その待つ場所に、漫画「サザエさん」がありました。
当時、漫画が家になかった私にとって、
ここで「サザエさん」を読むのは一つの楽しみでした。

 

サザエさんは 朝日新聞に連載された四コマ漫画です。
その当時の社会の状況をおもしろく書いています。
そんな中に、たしかこんな話がありました。

 

【1コマ目】
 (二人の男が立って話をしています。)
  「お前分かる?」
  「分からねえ」

 

【2コマ目】
 (そこへおばさんがやってきます)
  「わたしもさっぱりわかんない」

 

【3コマ目】
 (そこへお婆さんがやってきます)
  「わたしは分かるよ」
 (得意気なお婆さんと、驚く3人)

 

【4コマ目】
 (去っていくお婆さんを見ながら、男が一言)
  「あのお婆さん、ビートルズの良さが分かるんだってさ」
というお話です。

 

今、この話がつくづく分かる35歳の私。

 

まだまだ若いと思っています。
でも「AKB48」の歌、良さ分かるかというと正直分かりません。
「エグザイル」も同様です。
テンポ、歌詞、ビシュアル、分かるようで、良さが今ひとつなのです。
世代がかわると思考・感性は変化していくのです。

 

【落ち着かない子】

またこんな事がありました。

 

・・・・・・・・・

 

ある時、15人くらいのお寺参りがありました。
その中に一人、落ち着かない男の子が。
読経中、ずっと身体をソワソワしたり、隣りに話しかけたり。

 

小学校の3〜4年生でしょうか。
両親は私と同じ30代。
読経しながら、正直、
「うるさいな。親の躾がなっていないな。」
と思っていました。

 

法事が終わって、お茶を飲んでいると、
さっきの子がまた騒ぎ始めました。
つい両親に、「元気がいいですね」と言ってしまいました。
少し嫌味が入っていたかもしれません。
するとその子の母親がこう言われたのです。

 

「騒がしくてすいません。
実は今日、この子興奮してるんです。
数年ぶりに滋賀の叔父さんに会えたものですから。
このご法事が終わったらまたお別れするもので。」

 

ずっとその子は一人の男の人にすり寄っていました。
子どもの頃よく遊んでくれた優しい叔父さんなのでしょう。
けれども遠くに転勤してずっと会えずじまい。
法事でようやく会えたのです。
嬉しくて甘えたくて・・・。
そう知った時、
さっきまでの「やかましいな」という気持ちが吹き飛んでいました。

 

「○○君、もっともっと遊んで良いんだよ。」(*^_^*)

 

【無量の理由】

インターネットが便利になりました。
なんでも調べることができます。
努力すればいくらでも「理解できる」つもりな私。
賢くなったつもりの私。
けれど所詮、私の知恵は私の時代・世代の限定的な知恵なのではないでしょうか。

 

また先程の子のように、教えてもらわないと分からないのです。
もしも理由を偶然知らなければ、
ずっと「あの子は落ち着きがない子」
「あの親は躾ができない親」と判断していたでしょう。
「きっと理由があるのだ」と、すぐに頭を切り換えることができたら良いのですが、
往々にして「あの人は駄目だ」と決めてしまう私の頭なのです。

 

そんな私と見抜いた智慧を持つ仏だからこそ、
「無量の光」となって私にあらわれ出てくださいました。

 

賢くなっているつもりで、一向に仏の智慧のごとく光らない私。
「故に、われ無量の光となって、あなたを丸ごと照らし出す」。
そのようにお念仏を通して聞かせていただきます。

 

【暁】

暁(あかつき)とは夜明けのことです。
詳しくは夜明け前。
まだ暗い状態です。

 

けれども宵の暗闇とは違います。
時間が立てば立つほど明るくなっていく安心の暗闇です。

 

阿弥陀様の光に照らされた私の心中は、「暁」の状態です。

 

凡夫は一生涯、煩悩という闇の不安を抱え生きる身です。
しかし真宗の凡夫は、
阿弥陀様の光の話を聞き、
その闇が暁の闇であったとお聞かせにあずかります。
もう光の届いた闇。
それが「光暁」であり、
嘘詐らざる私の心の救いです。

 

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

《2つの光(2月後半)》

【仏教を話題に】

昨日2月14日はバレンタインデーでした。
全国でたくさんのチョコレートの受け渡しがあった事と推察します。
私は2ついだきました。
一つは妻から、一つは40歳年上の方から。
ありがとうございます!
(ちなみに5歳の息子は4つでした)

 

さて、本題です。
バレンタインデーの次の日、
2月15日は何の日でしょうか?
3択クイズです。

 

  1 お釈迦様がお生まれになられた日

 

  2 お釈迦様がお悟りをひらかれた日

 

  3 お釈迦様がお亡くなりになった日

 

 

 

・・・・

 

 

・・・・・わかりましたか?

 

 

こたえは「3」です。
涅槃会(ねはんえ)といいます。

 

ちなみに1は、4月8日で「花まつり」。
2は、12月8日で「成道会(じょうどうえ)」と言います。

 

それぞれ「忠犬ハチ公の日」、「ジョンレノンの祥月命日」で有名ですが、
仏教徒としては忘れてほしくないものです。
いえ、もっと僧侶が宣伝し、話題にしなければならいのです。

 

全国の仏教徒の皆様、
バレンタインデーが終わって気を抜くことなかれ、です。

 

 

【釈尊の遺言】

さて涅槃(ねはん)という言葉は仏様の「おさとり」のことです。
お釈迦様が仏の国(さとりの国、お浄土)へお還りになったという意味から、
涅槃会といいます。

 

 

お釈迦様は、80歳の時に信者から食事の布施を受け、
食中毒になったといわれています。
当時の80歳というのは大変な高齢です。
釈尊に付き従っていたアーナンダ(釈尊の弟子であり従弟)は、
釈尊の体調が悪化していくのを見て、
激しく動揺します。
釈尊は、そんなアーナンダを見て、

 

  自己を島(灯火)とし、
  自己を帰るべき場所とし、
  他のものを帰るべき場所としてはならない。
  教えを島(灯火)とし、
  教えを帰るべき場所とし、
  他のものを帰るべき場所としてはならない。
       (「自帰依、法帰依」についての教え)

 

と厳しくいましめられます。
既に教えは示されたのだから、
自らが、その教えをよりどころとして修行をすすめていくべきだと説かれたのです。
  (『浄土真宗必携 み教えと歩む』(142頁)より引用)

 

この釈尊のアーナンダへの言葉は、
「自灯明 法灯明(自らを灯明とし 法を灯明とせよ)」とも言われ、
お釈迦様のご遺言として大切にいただかれています。
     (※参照 深川和上の「二つの眼」の話もどうぞ。)

 

 

【夏目漱石の問題】

夏目漱石が40歳の時(1906年 2月13日)、
弟子の森田草平に次のような手紙を送ったそうです。

 

天下に己れ以外のものを信頼するより果敢なきはあらず。
しかも己れ程頼みにならぬものはない。
どうするのがよいか。
森田君、この問題を考へた事がありますか。
    (『漱石全集』第22巻、467頁)
他人の心は分かりません。
「俺は俺しかやったことないからなぁ」(ダウンタウン松本)、だからです。
分かるのは自分の心だけ。
結局、最後に頼りになるのは、己のみ。
しかし、その私の心の何と情けないことか。
欲望、怠惰、怒り、嫉妬、愚痴……いつでも心は火事場です。
あぶなくて頼みにならない……けれど私以外はあり得ない。
こんなものを頼みにして、一体、私はどこにいくのか……。
そんな漱石の心境がうかがえます。

 

 

 

【他力の法】

親鸞聖人もその事に悩まれました。
そして他力の正法、
弥陀の本願と名号「南無阿弥陀仏」という正法に出遇われました。

 

南無阿弥陀仏は、
信頼しようとしない私と見抜き、
頼みにならない私を慈しみ、敬い、
そんな私を丸ごと救おうとする、「智慧・慈悲・力用」のことです。

 

他力の正法、南無阿弥陀仏の光に支えられている自分に気づいた時、
自分も光輝きます。
自灯明・法灯明の完成です。

 

他を信頼しないくせに、全く頼りにならない自分を、
安心して頼りにしていける人生があります。
法に支えられてた自分ときづいた人生。
釈尊の遺言通りの人生でした。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

《十劫を経たまえり(2月前半)》

【待つ】

便利な日本。
「待つ」ことが少なくなった時代です。

 

電車も時間通りにきます。
荷物も宅急便で時間通り、とてもはやく届きます。

 

「待つ」ことが少なくなった時代。
その反面、待つことが苦手になった時代でもあります。

 

待ち合わせ時間、5分すぎるとソワソワ。
サービスセンターに電話をかけて「しばらくお待ちください」と言われ10分・・・イライラ。
病院に約束の時間に行き「しばらくお待ちください」と言われて1時間・・・イライライラ。
たのんだ食事が30分待ってもこないと・・・。
たのんだ書籍が3日待ってもこないと・・・。

 

「なんでこんなに人を待たせるのだ」と怒る私。
勿論、逆の場合もあります。
渋滞で、約束の時間に5分遅れたら「どう言い訳しよう」と思い、
10分遅れて到着したら平謝りです。

 

 

【待たせる】

それにしても子供は待たせるのが上手です。

 

「慈生くん。お風呂に行こう」
「待って」
そう言ってテレビを観ている5歳の息子。

 

「南歩ちゃん。もう帰るよ」
「待って」
そう言ってオモチャ売り場から離れない2歳の娘。

 

仕方なく待ちます。
子供は仕方ない・・・とはいえ10分後、
「いい加減にしなさい!」
怒ってしまいます。

 

この繰り返しです。

 

 

【お待たせしました】

親鸞聖人の和讃に次の歌があります。

 

  弥陀成仏のこのかたは
  いまに十劫(じっこう)をへたまへり
  法身(ほっしん)の光輪(こうりん)きはもなく
  世の盲冥(もうみょう)をてらすなり

 

この歌を次のように味わいます。

 

  み仏が「からなずあなたを救う」と誓い、仏になられて、
  今、十劫という途方もなく長い時間がすぎた。
  (それほど時間がたったにも関わらず、)
  み仏の慈悲の光は一度たりとも途絶えたことはなく、
  救いの光に目をつぶってきた私を照らし続けていた。

 

化粧に時間がかかっているのか、
いつまでたっても家から出てこない妻にイライラしながら、
ふとこの歌を思います。
「そういえば私もずいぶん人を待たせてきたな。」
「それどころか、阿弥陀様にはどれだけお待たせしていたことか。」

 

十劫……それは例えば宇宙が生まれて死んでいく時間の10倍でしょうか。
その間、ずっと弥陀の救いから逃げてきました。
けれども仏様は待ってくださっていました。
いくら謝っても謝りようのない時間、
阿弥陀様はずっと微笑んで待ってくださっていました。

 

十分待ったらイライラしてくる親の私。
十劫待ってもニコニコしている親の仏。仏の子供は私です。

 

「永い間、お待たせしました。申し訳ございません。」
と念仏申しつつ、
「そんな私を、ずっと待っててくださったのですね。」
と称名報恩(感謝)のお念仏です。

 

「待つ」ことが少なくなった時代・・・
いえ、今現に、大切な人(仏)をお待たせしているのかもしれません。

 

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

《伝統と創造(1月後半)》

 

【750回忌大法要ご満座の御消息】

本日16日、
「親鸞聖人750回大遠忌ご正当」が、
無事に御満座(最後の勤行)を迎えました。
去年四月より始まった大法要も今日で終わりです。

 

その最後の勤行の後、
ご門主様より以下の御消息(お手紙)が発布されました。

 

 

「昨年の4月9日よりお勤めしてまいりました、
親鸞聖人750回大遠忌法要は、
本日、
ご満座をお迎えいたしました。

 

各地から多くの方にご参拝いただき、
65日間115座にわたるご法要を厳粛におつとめすることができましたのは、
仏祖のご加護と宗祖のご遺徳であり、
御同朋御同行の方々の報恩謝徳のご懇念の賜物と、
誠に有り難く存じます。

 

 

 

かえりみますと、
ご法要の始まる直前の3月11日、
東日本大震災が起こりました。

 

その後も各地で地震・豪雨等の災害が続き、
大変な一年となりました。

 

被災された方々に心よりお見舞い申しあげます。

 

法要参拝を楽しみに待ちながら、
災害や様々な理由で
参拝できなくなった方々のことを忘れることができません。

 

 

 

地球の歴史を考えますとき、
自然現象としての地震や豪雨は数限りなくあった事でしょう。

 

しかしそれが深刻な災害となるのは、
人間のあり方、社会のあり方によります。

 

特に今回の原子力発電所の事故は、
自然の調和を破り、
後の世代に大きな犠牲や負担を強いることになりました。

 

これは、肥大した人間の欲望のもたらした所であります。

 

 

 

聖人は「凡夫には清らかな心も、真実の心も存在しない」とお示しになりました。

 

それは阿弥陀如来の光に照らされて明らかになる、私の姿です。

 

凡夫の身でなすことは、
不十分・不完全であると自覚しつつ、
それでも、「世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」と
精一杯努力させていただきましょう。

 

 

 

阿弥陀如来は、いつでもどこでも照らし、喚び続け、包んでいてくださいます。

 

本願念仏のご法義は、
時代が変わり社会が変わっても、
変わることはありません。

 

しかし、
そのご法義が生きてはたらく場である現実の社会は、
地域によって異なり、
時とともに変わります。

 

ご法義を伝え弘めるための宗門の組織も、
社会の変化に応じて変わる必要があります。

 

歴史を顧みて、
受け継ぐべき伝統を確かめ、
創造的な活動を育てていかねばなりません。

 

本年4月1日から、
宗門の体制があらためられますのも、
時代に即応する営みの一つといえましょう。

 

新しい体制のもとで
一人々々が抱える課題を大切にし、
お念仏をよろこび心豊かに生きることのできる社会を目指しましょう。

 

この度の大遠忌法要が、
新たな歩みを勧める機縁となりますよう念願いたします。

 

 

平成24年1月16日

 

釈即如

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

《まことの安穏目指して(1月前半)》

 

【御正当(ごしょうとう)】

 

 

いよいよ今月9日〜16日まで、
本山、西本願寺では、
親鸞聖人750回忌大遠忌法要御正当(ごしょうとう)が勤修されます。
聖人のご命日(1月16日)にちなんだ仏事として、
50年に一度勤修される大遠忌法要です。

 

参拝は自由です。
是非、お参りいたしましょう。

 

詳細はこちらです。

 

さて今回は、
『本願寺新報』元旦号に掲載された、
ご存じ、梯和上の言葉を転載いたします。

 

 

【ことば:勧学 梯実円(かけはし じつえん)】

今年の1月16日をご満座として、
親鸞聖人750回大遠忌(だいおんき)法要御正当(ごしょうとう)が
本山で厳修されます。

 

聖人のみ教えに導かれている念仏者は、
それぞれの想いを込めて、
ご法要をお迎えされることと思います。

 

 

 

 

それにつけても、
昨年は大災害が重なり、
新年のご祝辞を申し上げるのもはばかられるような状況となってしまいました。

 

被災された方々が一日も早く安穏な生活に戻られるよう願うばかりです。

 

 

 

 

単純な自然災害でも、
天災と人災が複雑に組み合っていますが、
とりわけ今度のような原子力発電所の事故は、
想定を超えた天災のせいだけではなく、
経済的効果に惑わされて、
想定を甘く設定した人災であったといわねばなりますまい。

 

さらにいえば原子力発電そのものが、
経済発展を最高の価値と見なす思想が生み出した危険な産物です。

 

その意味でこの事故は経済的利潤の追求を、
すべてに優先させている思潮への激しい警鐘と受け取るべきでしょう。

 

 

 

 

自分と自分の属する集団の利潤を最優先にすることは、
人間の持って生まれた性分ですが、
決して野放しにしたり、
扇動すべきものではありません。

 

自分の欲望を満足させてくれるものを価値あるものとして愛着し、
是が非でも取り込もうとすることを貪欲(とんよく)と呼んで、
心ある人は厳しく誡(いまし)めてきました。

 

貪欲は、
必ず自分に都合の悪いものを有害と決めつけて排除しようとし、
憎悪を燃やしていきます。

 

それを瞋恚(しんに)と呼んでいます。

 

貪欲のあるところに必ず瞋恚が生まれ、
愛欲と憎悪に溺れ、
焼かれる苦悩の人生に迷い込みます。

 

 

 

 

ところで、
こうした愛憎の想念の根元には、
自分にとらわれ「自分の都合」を第一と考える自己中心的な想念が絶え間なく起こって、
貪欲と瞋恚を増幅しています。

 

その想念を仏陀は愚痴(ぐち 無知)とも、無明(むみょう)とも呼ばれています。

 

そしてこのような毒気の強い心のはたらきを「三毒の煩悩」と呼び、
そこから自他のあらゆる苦悩が起こるといい、
それを浄化することによって自他共にまことの安穏(涅槃)に至ると教えられたのが仏陀の教えだったのです。

 

 

 

 

建長4年(1252)、80歳の聖人は、
浄土のさとりを目指して生きる念仏者の日常生活を、
お手紙(御消息)を通して、
次のように厳しく諭(さと)されています。

 

「もとは無明の酒に酔ひて、
貪欲・瞋恚・愚痴の三毒をのみ好みめしあうて候ひつるに、
仏のちかひをききはじめしより、
無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、
三毒をもすこしづつ好まずして、
阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし」

 

阿弥陀如来の誓願に喚(よ)び醒(さ)まされて念仏する身に育てられているものも、
元は酒に酔っぱらって正体を失い、
毒を毒とも思わずに食らって「いのち」を削るような愚かな生き方をしてきました。

 

しかし、
仏の御名(みな 南無阿弥陀仏)を称(とな)え、
如来の大悲の、み言葉に喚び醒まされて生きるようになった今は、
少しずつではあるが、
酔いが覚え始めるように、
過ちを過ちと知らされ、
自他を損(そこ)なう三毒の煩悩も少しずつではあるが慎み、
み教えを聞くことを楽しむようになってきておられるはずであるというのです。

 

 

自分を愚かな煩悩具足の凡夫と思い知らされた念仏者は、
この御正当を機縁に、
いよいよ煩悩の醜(みにく)さ、
怖(おそ)ろしさを思い知り、
力の及ぶ限り我欲に歯止めをかけるよう、
阿弥陀如来、聖人に慚愧(ざんぎ)を込めて誓わせていただこうではありませんか。

 

 

※プロフィール:梯実円
日本の仏教学者
浄土真宗本願寺派勧学
行信教校名誉校長
浄土真宗教学研究所元所長
本願寺派宗学院講師
大阪教区阿倍野組廣臺寺前住職。

 

(おわり)   ※冒頭へ

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