山口県は岩国にある浄土真宗寺院のWebサイト

法話2013

内容

 

無常カン(下)

 

【夢と酒】

 

ここは岩国の火葬場。
炉の番号が「いろは」になっています。
「いろはにほへと…」、無常のことわりを歌った歌が頭に流れます。

 

うゐのおくやま けふこえて   有為の奥山 今日越えて
あさきゆめみし ゑひもせす  浅き夢見じ 酔ひもせず

 

有為転変、有為無常の山を今こそ越えていこう!
浅い夢を見ている場合ではないよ、酔っている場合ではないよ。

 

  ※有為:様々な因縁(原因と条件)によって作り出された一切の現象。

 

浅き夢……一説に「夢」という字は、こんな意味があるそうです。

 

草かんむりの下に四の字がありますが、これはアミ、網という字なのだそうです。
そしてその下に歹(ガツ)とあるのは、カラカラになった骨が埋もれている様子。
「夢」とは草の繁った塚に骨がうまっているシーンなのだそうです。
つまり死です。
いつも死を自覚して生きなさいということ。
夢というのは、見方によっては厳しい覚悟のいる言葉なのだそうです(佐川美代太郎先生)。

 

「何のために生まれて、何をしていきるのか」
本当の夢とは命よりも大切なものにであう事なのかもしれません。

 

酔ひもせず……お酒を飲んでいる場合ではないのです。
勿論これは通常のお酒ではありません。
「無明の酒」です。
人間を惑わす煩悩を、正常な心を失わせる酒にたとえていう語です。

 

無明とは、正しい智慧をくらます力。
私の中に根付く煩悩の親玉です。
「人間どうせ死ぬのだ。であいがあれば別れあり。あきらめよう」、
まことしやかに納得のいく道理。
正常にみえて、「あきらめよう」とはある意味、仏への道を閉ざす、正しい教えに耳をふさぐ心理です。

 

 

【白骨のご文章】

 

葬儀は続きます。
斎場で骨を拾い、お寺に「お礼参り(灰葬参り)」に。

 

そこで読経の後、蓮如上人の書かれた「白骨のご文章」を拝読します。

 

「それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら觀ずるに、
おおよそ儚きものは、
この世の始中終(しちゅうじゅう)、
まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。
……
されば、
朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて
夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身なり。
……」

 

こんな意味です。

 

「人の世のはかないようすをよくよく考えてみますと、
この世はまぼろしのような一生です。
一万年も生きた人がいるなどと聞いたことはありません。
人の一生はすぐに過ぎてしまうのです。
今、いったいだれが百年の命を保つことなどできるでしょうか。

 

私が先か、人が先か、今日とも知れず明日とも知れず、
人の命の尽きる後先は絶え間のないものです。
朝には元気な顔であっても、
夕べには白骨となってしまうような身です。

無常の風に吹かれると、
二つの眼はたちまちに閉じ、
一つの息はながく絶えて、
元気な顔もたちまち美しいすがたを失ってしまいます。
そうなってしまえば、
家族が集まって嘆き悲しんでも、
どうしようもありません。

 

そのままにしてはおけないので、
野辺のおくりをし、
荼毘にふして煙となってしまうと、
ただ白骨だけが残るのです。
それはもう言葉にもいい尽くせない悲しみです。」
(『御文章 ひらがな版 ―拝読のために―』(本願寺出版、1999年))

 

先ほど故人の白骨を拾い上げてきたばかり。
「無常の風」の厳しさは嫌という程わかります。

 

蓮如上人にはたくさんの子どもがおられました。
けれどもその多くが上人より先に亡くなりました。

 

「この子が自分の葬儀をしてくれると思っていた。
なぜ、自分がこの子の葬儀をしなければならないのか。」
何度も悩まれたことだと思います。

 

【後生の一大事】

 

けれどもそういう別れを悲しみのまま終わらせない、
そのことがこの『御文章』の最後の締めくくりの最も大切な言葉です。

 

されば、人間の儚き事は、老少不定(ろうしょうふじょう)のさかいなれば、
誰の人も早く後生の一大事を心にかけて、
阿弥陀仏を深く頼み参らせて、
念仏申すべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。

 

現代語に訳すと、

 

人の世のはかないことは、老若にかかわらないことですから、
だれもみな後世の浄土往生というもっとも大事なことをこころにかけて、
阿弥陀如来を深くたのみたてまつって、
念仏しなければなりません。

 

私の人生はいつか終わります。
けれども「いのち」は終わりではありません。
阿弥陀さまのお慈悲に抱かれたいのちは、
次の世でこれ以上ない尊い仕事が待っています。

 

今度は浄土で仏と生まれ変わらせていただき、
多くの方を私と同様、お浄土に往生させる如来さまのお手伝いをするのです。
それは具体的に、
この世に戻り、いろんな姿で教化いたします。
これを往相(おうそう、往生の相状)に対し、還相(げんそう、還来の相状)と言います。

 

猫かもしれません。
犬かもしれません。
草花かもしれません。
けれども単なる生き物ではありません。
それはやりがいのある仕事をもった境涯です。

 

【明らかに見る】

 

「無常感」と「無常観」は違います。
共に真実を眺めています。
けれども前者は「あきらめ」です。
「人間なのだから仕方ない、あきらめよう」と。
諦めてはいけません。
明らかに見るのです。
それは後者の「無常観」です。

 

後生の一大事、
未来に何の不安もなかった事をいただきます。
だからこそ、今、無常の厳しい渦中で胸をはって生きるのです。
どのような事が起ころうと、それを受けとめていける道理、
それが後生の一大事であり、
阿弥陀さまのお慈悲の道理です。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

無常カン(上)

 

【いろは歌】

 

ここは岩国の斎場(火葬場)。

 

今、火屋勤行が終わりました。
棺が釜に入れられます。
閑かに(中には手を合わせ念仏する人も)見守る親族。
釜の入り口には「ほ」の字が。
岩国の斎場の5つの釜には、「いろは」の番号がついています。
ふっと「いろは歌」が頭をよぎります。

 

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ  つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

 

「いろは歌」、誰が作ったのでしょう。
ひらがな47文字を全て、一回も重複することなくおさめて作っった格調の高い歌です。
あまりに勝れているので、これは天才・弘法大師(空海)のなせるわざと伝えられます。

 

そして仏教の最も大切なことを教えられます。

 

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず

 

香り立つ美しい色の花も、いずれは散ってしまう。
私たちの世界、誰が永遠でいられようか。
ではどうするか。
そんな現世、今こそ越えていこう。
悲しみの解決となる道を歩もう。
「美味しいものが食べたい」「旅行にいきたい」「長生きしたい」…みんな浅き夢、はかない夢だ。
それではいつまでたっても無常のことわり、苦悩の解決にはならない。
本当の夢、「これがあれば死んでも後悔しない」ものを見るのだ。
お酒でごまかしている場合ではないよ。

 

無常のことわりに真正面から向き合った歌です。

 

【無常カン】

 

無常感と無常観は違います。

 

前者は「この世ははかない、しかたない」という感覚。
後者は「はかない世を真剣に生きる道」を見据えます。

 

大切な人がなくなった時、がっくりきます。
「なんとつらい世か」と当然嘆きたくなります。

 

けれども、
「世の儚さ、よく分かった。だから今の内に人生を楽しまなければ」だけで良いのでしょうか?
将来の不安を忘れ、今を謳歌する。
それが本当の幸せなのでしょうか?

 

仏教は違うのです。
現世の苦しみの正体が分かったのです。
その苦しみを解決する。
それが本当の幸せだと考えるのです。
そしてそれが普段の生活の中で可能なことを教えてくださったのが親鸞聖人です。

 

(つづく)    ※冒頭へ

 

 

 

念仏の甘み

 

【甘いスイカ】

 

ラジオで聞いた話です。

 

禅宗の2人の僧侶、師匠と弟子が一緒に西瓜を食べていました。
「うまいのお。」
「おいしいですね。」
「甘いのお。」
「甘いですね。」
「ところで……この西瓜の甘さはどこから生じたものかのぉ」
「それは……」

 

突然の問答ですが、弟子はあわてません。
何を当たり前のことを。

 

目があって物があるから「サザンカだ。きれいだな」という認識があります。
同じように、
耳があって物があるから「ホトトギスだ。美しいな」という認識が。
つまり、
舌があって物があるから「スイカだ。甘いな」という認識があるのです。

 

「この甘さは、西瓜という対象と、私の舌が、むすびついた結果です。」
弟子はそんな風に答えました。
仏教の常識です。

 

すると師匠が言いました。
「それは理屈じゃな」

 

そこで弟子がたずねました。
「では師匠。一体、この西瓜の甘さはどこから生じたのですか?」
「西瓜の甘さはのぉ……その“どこから”という所から生じたんじゃ。」
「はあ?……はぁ。………………あっ!」
何気なく食していた自分に気づかされた弟子なのでした。

 

西瓜が自分の口に届くまで、
いろんな人の苦労が、それをとりまく生き物、植物、
そして何より西瓜自身の成長物語がありました。

 

かけがえのない事柄の結晶が自分の口に入っていました。
それが西瓜の甘さの正体。
「どこから」と、その由縁を問うて、初めてでてきたのです。

 

【「しない」と「知らない」】

 

「ご院家さん、浄土真宗って何もしなくても良い宗教なんですよね。」

 

こんな事をたずねられました。

 

ある意味そうです。
救いの場においては阿弥陀さまの一人ばたらき。
私たちは何もしません。
ただ念仏を喜ぶばかり。

 

けれども、「何も知らなくても良い」わけではありません。

 

お寺と神社の違いが言えない日本人が多いそうです。
神と仏の違いを知らない日本人。
お釈迦様と阿弥陀さまの違いを知らない真宗の門徒。
最大の問題は、それを伝えきれていない真宗僧侶の私。

 

知識を得て賢くならないと、救われるわけではありません。
けれども知らなければ、有り難みもわかりません。

 

浄土真宗はお念仏一つです。
そのお念仏の喜び、どこからきたのでしょうか。
「他に何の難しいこともしなくてよい。楽だ」から喜べるのでしょうか。
念仏の喜びの由縁を問う。
それが聴聞です。
浄土真宗が最も大切にすることです。

 

【生起と本末】

 

「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。
     (親鸞聖人)

 

浄土真宗は聴聞が何よりです。
お寺などで話を聞きます。
阿弥陀さまという仏さまの話、
阿弥陀さまの願いの話を聞くのです。

 

阿弥陀さまの大切な願いを「本願」といいます。
「どのような者も必ず救う」
以上終わりです。
けれども何故「どのような者も必ず救う」と言われたのでしょうか。

 

願いの生まれた起こり(生起。しょうき)があります。
そして願いを完成するための苦労と結果(本末。ほんまつ)があります。
それらを知って初めて、
「どのような者も必ず救う」が本当の喜び、“甘み”になるのではないでしょうか。

 

「浄土真宗って何もしなくてよい宗教ですよね。」
という言い方は、やっぱり他人事です。

 

ご門徒の皆さんが、実際にお聴聞してくださり、
後日、
  「ご院家、阿弥陀さまの一生懸命は勿体ないですね。」
  「ご院家、何もできずに一生終えようとする私です。日々、お念仏を喜んでおります。」
そんな言葉をやりとりできれば、
住職冥利につきます。

 

え、上の言葉の意味が分からない?
どうぞお聴聞ください。

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

 

 

ブドウ売り

 

【三者三様】

 

夕飯の後、時々お母さんがブドウを食卓に出してくれます。
わが家の3人の子どもはブドウが大好きです。
ブドウの皮むきは私の仕事。

 

小学生の息子は自分でブドウの皮をむくのが嫌いです。
「手がベトベトになるから」。
幼稚園の娘は待ちきれずにブドウをむきます。
2歳の子どもは私の膝にすわります。
むき終ったブドウを素早く口にほうりこめるからです。

 

三者三様。
ブドウを囲んでいろんな姿があります。

 

【50年前】

 

先日、同じ山口教区でお世話になっているH先生から法話の本をいただきました。
2年前の親鸞聖人750回忌大法要の年、布教使50年の表彰を受け、
記念に出版されたのでした。

 

内容は50年前に本願寺新報に連載していたものとか。
半世紀も前ですが興味深い話が多く、一気に読んでしまいました。

 

先生は昨年のはじめ病気で数日間意識不明でした。
去年の会議での第一声が「戻ってまいりました」。
戻られなければこの法話はなかったのだなと思うと、しみじみ。

 

その一話、「ブドウ売り」。

 

……

 

今年、二月はじめ、寒い日の夕方、山口市の教務所の窓口に、女の声で、

 

「ブドウは、いらんかねー」

 

と売り声があった。ストーブを囲む人々は、

 

「この寒い時期に、ブドウとは、まあ、見せてごらん…」

 

と呼び入れ、女性が開けた箱の中を見て、異口同音に、

 

「あれー、干しブドウか…」

 

と、だれもが驚いた。

 

あとで話して、分かったのですが、
各人の思い《ブドウは、夏から秋の果物で、この冬の最中に、あるはずがない》と言う思いから、

 

《温室作りの高価な、マスカット類だろう》と思い、一人は、
《最近流行の、ジュウスか、缶詰の様なものだろう》と思い、同席の私は、
《二月だから、ブドウの苗だろう》と頭を働かせました。もう一人は、
《今の時節に、どうしたのだろう。変なセールス?》と思ったという。

 

よく考えれば、季節はずれだから、駅の売店にある「干しブドウ」と思うのが、常識であろうに、
誰一人、それに思いつかなかった。
考えさせられる。

 

(中略)

 

一番素直な答えを、誰も考えなかった、それが問題です。
人間の知恵の先走り、偏見の恐ろしさを、つくづく思い知らされました。
《一事が万事》と言いますが、私どもの毎日が、このように、独り独りが、勝手に考え、勝手に行動し、立腹し、悩んでいるのではないでしょうか。

 

『無量寿経』には《邪まな考え方、網で覆われた状態を裂き、諸々(人々)の見方、意見を消して…くださる》と書いてあります。
私どもは、常に偏見で、物事を判断しています。
そして、他を傷つけます。
その偏見を除くには、他の声を聞く必要があります。
右の経のに、

 

 《常に、法音をもって、諸々の世間を覚らしむ》

 

とも書いてあります。
その法音は、どこに、だれが、いつ、発し、聞くことができるのでしょうか。
ともかく、色々な人に出会い、さまざまな経験を通して、少しずつ目覚めさせられます。
その中に、教えられるのでしょう。

 

『親鸞』という初作の小説で有名になった吉川英治さんの言葉の一つに、
「我れ以外、みな、我が師なり」と言う感銘する言葉があります。

 

これは、吉川さんの娘が、結婚される時、贈られた言葉です。
《娘よ、色々な人に出会うだろうが、皆、自己に教えてくださる先生の言葉として受け取りなさい。
たとえ自分への悪口であっても》と言う説明です。

 

自己の邪見・諸見を破り直してくださる、仏の力を感じておられたのでしょう。
(『法話三十三』波佐間正已)

 

(おわり)    ※冒頭へ

 

追記:
むかしブドウにまつわる法話を書きました。
あと岩国にはブドウ園があります。
ブドウ狩りが出きます。

 

 

 

赤色赤光

 

※これは某新報に掲載した法話です。

 

ひた走るわが道暗ししんしんと
怺(こら)へかねたるわが道暗し  (茂吉)

 

 人生は出遇いと別れの繰り返しです。親との出遇いに始まり、友人や恩師、様々な出遇いを経験します。それによって多くを学び成長していく私たちです。しかしそんな実り多き出遇いを重ねれば重ねる程、人生にはそれと同じ数のつらい別れが待っています。
 通夜は故人との最後の夜です。生前の様々な思い出がよぎります。そんな夜に思い出す詩があります。

 

  青いお空の底ふかく、
  海の小石のそのやうに、
  夜がくるまで沈んでる、
  昼のお星は眼にみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。

 

 童謡詩人金子みすゞの「星とたんぽぽ」の一節です。明るい昼間には決して見えない星。けれども常に光り輝いています。見えないけれどもそこにあるのです。夜という暗闇は、そんな星の存在をはっきり教えてくれます。
 大切な人との別れ、悲しみはちょうど夜に似ています。暗く冷たい時間。けれどもそんな涙する夜だからこそ、普段忘れていた星の光が見えるのです。通夜とは、大切な故人が、今、いのちをかけて星の光、仏の教えを知らせてくださっているのです。
 仏の教え、それは人生そのものへの問いかけです。私は何のために生きているのか。何に向って生きていくのか。今までずっとぼやかしてきた問題でした。そんな生死(しようじ)の悩みを「阿弥陀さまとの出遇い」によって答えを見いだされたのが親鸞聖人です。

  本願力にあひぬれば
  むなしくすぐるひとぞなき
  功徳の宝海みちみちて
  煩悩の濁水(じよくすい)へだてなし

 この私を心底ご覧になった阿弥陀さまでした。煩悩にまみれ果てた私と見抜かれ、けれども見過ごせず、五劫という長い時間思案されました。果てしない苦労の末、南無阿弥陀仏という名の仏に。私の罪・煩悩の事は一切問わず、「あなたと共に歩む仏になる」と願われました。その願い通りの仏となって私と一緒に歩み、命終わると同時に、必ずお浄土に生まれさせます。
 今生の深い縁あった方との別れは、単に別れのまま終わらせてはなりません。この自分にも尊い仏縁があったことを改めて聞かさせていただく大事な機縁なのです。決して凡夫の智慧の眼では見えないけれども仏の光の中に生かされている今があります。この私の歩む未来の道は、浄土への道程なのです。
 歌人斎藤茂吉の処女歌集『赤光(しやつこう)』が今年刊行百年目を迎えます。当時大きな反響を巻き起こしました。その理由の一つが、『赤光』の中で最も悲傷に満ちた一つの連作にありました。「死に給ふ母」。生母の危篤から納骨までを詠み続けた連作の挽歌です。

  みちのくの母のいのちを一目見ん
  一目みんとぞただにいそげる

 茂吉は十五歳で故郷山形の守谷(もりや)家から東京の斉藤家にひきとられます。それから十五年。東大医学部を立派に卒業し、病院勤務していました。そんな折、突然の母の知らせ。急ぎ山形へ帰郷します。
 母親のいくは、ごく平凡な貧しい農婦でした。おとなしく慎ましく、黙々と農業にいそしむ毎日。東京はもとより近くの仙台の町並みさえ見る事なく、山形の田舎で生涯をすごしました。

  死に近き母に添寢のしんしんと
  遠田のかはづ天に聞ゆる

 最後の晩、二人で静かな時が流れます。

  のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて
  足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり

 母は今生の縁を終えました。それを一緒に見届けた赤色のツバメ。葬儀をし、亡き母を棺に納め、近くの稲田にあった凹処へ。薪と藁で蔽って火葬します。

  星のゐる夜ぞらのもとに赤赤と
  ははそはの母は燃えゆきにけり

 遺体となった母親が赤々と燃えています。野辺のけむりが夜空の星に達します。

  さ夜ふかく母を葬(はふ)りの火を見れば
  ただ赤くもぞ燃えにけるかも

 荼毘は一晩かかります。母は変わらず赤く輝いています。苦しみながらも自分をこの世に生んでくれた母。「あが母の吾(あ)を生ましけむうらわかきかなしき力おもはざらめや」。幼少時代をはじめ、様々な事が思い出された事でしょう。

  ひた心目守らんものかほの赤く
  のぼるけむりのその煙はや

 夜が明けました。小さい焔となった母。一晩中、この光を見つめ続けたのでした。
 『赤光』にはこんな歌があります。

  白き華(はな)しろくかがやき赤き華
  あかき光を放ちゐるところ

 「赤光」は『阿弥陀経』の「青色青光(しようしきしようこう)、黄(おう)色黄光(しきおうこう)、赤色赤光(しやくしきしやつこう)、白色白光(びやくしきびやつこう)」の言葉です。お浄土にある蓮華。青色の華は青い光を、赤色の華は赤い光をと、それぞれが独自の輝きを放っています。お浄土がおさとりの世界であり、真実の平等な世界であることを示しています。
 この世は画一化を求めます。窮屈な平等社会に、「みんなちがってみんないい」ことの大切さを『阿弥陀経』は伝えているのです。
 愛しい方を荼毘にする時、赤い光があらわれます。それはお浄土の光をみる時間かもしれません。今まで気にも留めなかった仏の真実の世界を、故人が命がけで体現してくださっているのではないでしょうか。「あなたも阿弥陀さまに出遇いなさいよ」と、故人の声なき声を聞き、お念仏申させていただきます。

 

(おわり)      ※冒頭へ

 

 

 

彼岸の同朋

 

先週のお彼岸の法要、多くの方がお参りくださいました。
なかでも遠方にお住まいの三人のお同行のお参りは嬉しいものでした。

 

※同行:一寺にとらわれず、
        様々な縁あるお寺にお聴聞される方。
        門信徒の鏡です。

 

【Hさん】

 

広島のHさん夫婦は今年の1月以来の来寺でした。
法座前に1時間お話しました。

 

夫婦でアメリカ旅行された話。
倶舍論の勉強会にいって、ちんぷんかんぷんだった話。
そしてビハーラの話。
Hさんはビハーラ活動の資格をとるため年4回、京都に研修に行かれているそうです。

 

ビハーラとはターミナルケア(終末期の医療・看護)時、
生老病死の苦を超えるために、
本人のみならず、家族を含めて仏教に学ぶという活動(またはその施設)のことです。
相手の悩みに真摯に向き合い、苦しみに共感して、共に苦悩の解決を探します。

 

実際に病気をされたHさんです。
病気で眠れない人の気持ちを少しでも和らげていきたい、そういう思いで研修を申し込まれたのでしょう。
頭がさがります。

 

帰りにアメリカ旅行のお土産、バーボンをいただきました。
深謝申しあげます。

 

【Iさん】

 

広島のIさんが約一年ぶりにお聴聞くださいました。
「求道」という言葉を大切にされている方です。

 

カバンに本や雑誌等をずっしり持ってこられました。
「ご院家(あなた)にみせたくて」
たくさんの本の紹介ありがとうございました。

 

そしてこんな言葉を紹介してくださいました。

 

  「読経は、故人と私が 聴聞の場に同座し 如来の御こころに 導かれる法縁である。」

 

ご門徒の家にお参りに行き、読経中、ふと思います。
「そういえば、〜年前まで、〜さんと一緒におつとめしたな。」
今は姿なき方。
けれども今でも一緒におつとめし、如来の説法に耳をすまします。

 

【Kさん】

 

実に何年ぶりでしょうか、Kさんがお参りくださいました。
このたびのご講師のお説教のご縁にあいたくて、車で2時間以上かけてこられました。

 

Kさんは深川和上の晩年をよくご存じでした。
深川和上は一昨年まで当山の彼岸会に毎年おいでくださっていました。
和上の晩酌の給仕・お相伴をされていました。

 

去年の夏頃、Kさんの施設に和上も入所されてからさらに懇意に。
「少しの焼酎と蜂蜜をお湯割りにして、最後までお酒をたしなまれていました。」
和上の面影を偲びつつ、お話を聞かせていただきました。
昨年12月7日、和上ご往生。
今日(10月1日)は299日目です。

 

「和上がよく晩酌で口にされた大好きなうたがあります。」
そう言ってKさんは大江和上の詩を紹介くださいました。

 

みな人の別れゆく日は異なれど
      再び会はむ弥陀の浄土で

 

「またお会いいたす日を楽しみに」
み教えを聞きあった者同士、死別を悲しむ時はそのまま再会を心待ちする時です。

 

【再び会う】

 

法要はたくさんの有縁の人、お念仏にご縁ができた人がこられます。
その方々は十人十色。
みなそれぞれ事情が異なります。
考え方も異なります。
お念仏の声だって違います。「ナモアミダブツ」「ナマンダブ」「ナンマンダーブツ」……。

 

けれどもみな如来さまにつかまれた同朋(教えを喜ぶ仲間)です。
共に如来の「必ず助ける」の喚び声を聞き受けた仲間です。

 

どんな病気になり、どんな死に様が待っているかわからない私です。
けれども空しくおわらない事を喜ばせていただきます。
一人であって、一人ではない。
「またお会いする日を楽しみに」。
お念仏もうさせていただきます。

 

(おわり)      ※冒頭へ

 

 

 

弥陀の日

【敬老の日】

 

今日16日は9月の第三月曜日、敬老の日でした。
お年寄りを敬う日です。

 

普段は恥ずかしいやら、忘れていたやら、
言い訳ばかりですが、
そんなお年寄りにお礼をする日です。
「老人問題」、「福祉問題」、そんなことは今日は脇においておきます。

 

  「長生きしてください」

 

そう言いたいものです。

 

【父の日】

 

ところで今年の父の日は6月の第三日曜日、16日でした。

 

朝から何となくそわそわしていました。
5月の母の日の時は、子ども達が前日からお母さんに手紙を書いていました。
朝起きると3人の子どもはすぐにそれを渡していました。
「お母さん、いつもありがとう!」

 

さて、朝の掃除がすんで朝食にすわりました。

 

「お父さん、スプーンとって」
「はい。」
「………」

 

「お父さん、醤油とって。」
「はい、どうぞ。」
「………」

 

食事がおわり、びわを剥きます。
剥くやいなや、奪い取る子ども達。
「はやく剥いて!」
次々と要求する、子ども達。

 

昼食までは我慢…と思いながらおもわず遊びにいく子ども達に、
「ねぇ、今日何の日か知ってる?」
「???」
誰も知りません。
妻が「今日は父の日よ。」
「あー!」
一年生の息子が思い出しました。
思い出しただけでしたが。

 

こちらが言っては何の値打ちもありません。

 

【母の日】

 

なぜ母の日と父の日はこう違うのか。

 

私もそれなりに「イクメン(育児をする男性)」しているのに。
一人目も、二人目の時も、そして……3人目で断念しました。
それはあることがきっかけでした。
父親と母親は違うなと。
下の世話の時です。

 

3人目がやらかしました。
臭いでわかります。
「Mくん、ウンチしたじゃろう!」
「してない。」
「うそよ!みせてみんさい……ほら!」
お風呂につれていきます。
「ほらしっかり立って!両手を前について………動いちゃいけんよ!」
何とか綺麗にします。
「(あー、臭かった。)」

 

……

 

ところが妻は違いました。
「Mくん、ごめんね、お母さんウンチしたの気づかなかったよ。」
お風呂につれていきます。
「じゃあ、今から綺麗にさせてね。両手を前についといてよ。」
そして綺麗にした後、
「はい、ありがとう。」

 

あのやりとりを見て思いました。
母親にはなれないな、と。
子どものやらかしたものなのに、
なんで親が謝って、お願いして、お礼までいうのか。
母親とはそういうものかもしれません。

 

  母の日の 常なるままの 夕げかな (小沢昭一)

 

母の日は母への感謝をあらわす日。
「お母さん、いつもありがとう!」
子ども達は言います。
けれどもそれだけ。
あとはいつもの調子です。

 

「お母さん、服がよごれた。」
「お母さん、お腹がすいた。」
「お母さん、……」

 

「あのねえ、今日は“母の日”なんだから、少しは自分でやりなさい!」
とは言いません。
いつもとかわらず子どもを育て、夕飯を作ります。

 

【弥陀の日】

 

 

阿弥陀さまも母親でしたと親鸞聖人は教えてくださいました。

 

  弥陀成仏のこのかたは
  今に十劫をへたまえり

 

私が願うはるか前から私のことを願ってくださり、
「どうか私に救われておくれ」と、
南無阿弥陀仏の声となって喚んでくださっています。

 

私が願ったから「救う」のではありません。
良い心を持ったから「助ける」のでもありません。

 

善悪関係なく、
その身そのままの私をいだきとってくださいます。
「必ずたすける」
その声にきづく時、煩悩まみれの私の申し訳なさ、そんなわが身を捨てないありがたさが身にしみます。

 

いつでも変わらないお慈悲、
常なるままのお救いでした。
感謝もうせずにはおれないお念仏。
私にとって宗教とは、仏教とは、ただお念仏一つでした。

 

毎日が「弥陀の日」かもしれません。
お念仏申しつつ、お礼もうさせていただく日暮らしです。

 

※毎月16日は、「ご命日」です。
 親鸞聖人のご命日(1月16日)です。
 「御開山の日」です。

 

(おわり)      ※冒頭へ

 

 

 

禅宗・羅宗・浄土真宗

 

【仙高ウん】

 

今から200年前、
博多に仙香iせんがい)という名の禅のお坊さんがおられました。

 

もともと岐阜県の生まれでしたが、40歳の時、
日本最初の禅寺といわれる「聖福寺(しょうふくじ)」の住職となりました。
(聖福寺は博多駅から歩いて15分のところにあります。)

 

風刺のきいた軽妙な墨絵を描くのが得意で、博多の人々には「仙高ウん」と愛されていました。

 

こんな話があります。
聖福寺は戒律が厳しいお寺でした。

 

「和尚さん、もし大変でございます!」
 お庭の掃除をしていた男が一大事とばかり仙高ウんの部屋へやって来た。
「ほほう、何ごとかいな一体。」
「それがその、今お庭の掃除ばしよりました所が、本堂の下から肴の骨の……ほら見てんなざっせー、こげん出て来たとですばい。誰かないしょでやりよりますやなあ。」
「ははぁ、どうしたなさけないことかいな。」
「ほんにですなァ和尚さんもし。」
「いやどうもどうも今の小僧共はぜいたくになった、私(わし)達の小僧の時にや骨ば残すなんてぜいたくな事ァせんじゃったばってんなー。」

魚のホネ

 

(参照 石村善右『仙黒S話』第十五話より)

 

男の人、あきれかえったことでしょう。
ユーモアにあふれた人だったようです。

 

歌も多く残しておられ、 「老人六歌仙」 は有名です。

 

【羅宗】

 

そんな仙高ウんにある方がたずねられました。

 

「和尚さん、(仏教にはいろんなご宗旨があるけれども、)一体、何宗が一番ありがたいお宗旨でございまっしょうかい。」
「あーそうじゃな、それは羅宗じゃ。」
「へー、羅宗と云うのはこの年まで聞いた事がございまっせんが。」
「そうかな−、親は親らしゅう、子は子らしゅう、坊主は坊主らしゅう、町人は町人らしゅう、男は……女は……、どうじゃまだ悟れんかな、よかお宗旨じゃろうが。」

 

仏教のカナメを面白く説かれました。
自らあるがままに生きることができる道、それが本当の仏道です。

 

【浄土と本願らしく】

 

浄土真宗は「浄土」という真実を聞く教えです。
浄土はお経に「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」の世界と示されます。
青い花が青く輝く世界。
赤く輝かなくてよいのです。

 

どういう意味か。
人がそれぞれの独自の輝きを放てる世界、それが浄土という真実の平等世界です。
それを蓮の花で示されます。

 

浄土真宗の本山は「本願寺」です。
本願とは阿弥陀という仏さまの願い。
そしてその内容は他の仏さまに比べて特別でした。
他力本願ともいいます。

 

「どのようなものも救う」と誓ったその内容に、条件はありませんでした。
「〜〜なことをしたら、どのような者でも救う」とか、
「〜〜はしなかったら、どのような者でも救う」とか。
無条件の救い。
型にはめない仏の慈悲がそこにはあります。

 

AさんはAさんらしく、
BさんはBさんらしく生きれる教え、それが浄土真宗です。

 

念仏者は念仏者らしゅう、弥陀一仏の妙味を味わいつくしたいものです。

 

(おわり)      ※冒頭へ

 

 

※【老人六歌仙】

 

1. 皺(しわ)がよる 黒子(ほくろ)ができる
   腰曲がる 頭はげる ひげ白くなる

 

2. 手は震う 足はよろつく 歯は抜ける
   耳は間こえず 目は疎(うと)くなる

 

3. 身に添うは 頭巾襟巻 杖眼鏡
   たんぽ温石(おんじゃく) 尿瓶(しびん)孫の手 ※たんぽ温石:湯たんぽ、カイロ

 

4. 聞きたがる 死にともながる 淋しがる
   心は曲がる 欲深くなる

 

5. くどくなる 気短くなる 愚痴になる
   出しゃばりたがる 世話焼きたがる

 

6. またしても 同じ話に 子を褒める
   達者自慢に 人は嫌がる

 

  仙高ヘ物書役でなけれども 人が頼めば しよう事もなし

 

(おわり)      ※冒頭へ

 

 

からしを甘くするコツ

 

【なぞなぞ】

 

今年、ある家にお盆参り行くと、
小学4年の男の子がいました。

 

おつとめが終った後、その子が「なぞなぞ」を出してくれました。

 

「からし」ってどうやったら、甘くなるでしょう?

 

大人になると柔軟な発想がでません。

 

「ええっと……砂糖をたっぷりかける?」

 

「はずれ!」

 

「……わからない。答えは?」

 

「答えはね………「ら」の字をとる。」

 

「からし」の真ん中の「ら」をとると、「かし(菓子)」になります。
なるほど甘い。
一本とられました。

 

【悲しみの解決】

 

私たちは煩悩をかかえていきています。

 

  邪見(じゃけん・  自分中心な誤った考え)、
  驕慢(きょうまん・ おごり、うぬぼれ心、相手の悪い所のあらさがし)、
  貪欲(とんよく・  貪りのこころ)、
  瞋恚(しんに・   いかり)

 

等々、これらの心によって、結局、自分が迷い、苦しみ、悲しみます。
愛しい人との別離に悲しみ、
「自分は駄目だな」と悲しみ、
「なんで思うようにならないのか」と悲しみます。

 

悲しみの辛さは「からし」の辛さのようなものです。
どうすれば甘くできるか?

 

砂糖をかければたしかに甘くはなります。
けれども辛子自体はからいまま。

 

楽しい旅行、美味しい料理、快適なエアコン……、
そういった「甘いもの」をもってくれば、悲しみは一端忘れられます。
けれども本質は何もかわりません。

 

「ら」抜きが必要なのです。
「からし」が「かし」にかわってこそ、
本当の意味で、悲しみの解決になるのではないでしょうか。

 

如来さまは私の心をごらんになり、
煩悩まみれの泥凡夫(どろぼんぶ)の私をあわれんで「お浄土」の世界をひらかれました。
“必ず仏となる世界”を準備くださり「安心せよ」とおっしゃいます。

 

建立しただけでは駄目です。
そんな世界に生まれるはずのない「煩悩まみれ」の私です。
だから今もって阿弥陀さまがはたらいてくださいます。
煩悩まみれの泥凡夫の私に入りみち、
今、一緒に歩んでいてくださいます。

 

お念仏の生活は、仏さまとの二人三脚の人生です。
一人きりの歩みから、共に歩むお浄土への道程へとかわっていきます。

 

「からし」は終わりまでもっている私です。
辛さ(からさ、つらさ)は一生涯あります。
けれども「かし」という如来さまのお慈悲の甘み最後まで一緒です。
辛いと同時に甘いのです。

 

あなたへ

 

「なんで、こんなに自分は不幸せなのか。
「これも運命なのか。仕方ないのか……」

 

 

そう思っているあなたへ。

 

お念仏をとなえてください。
仏さまの声なきお慈悲の声が聞こえてきますよ。

 

自分の中にある「煩悩」という原因は決してせめず、
「そのままのあなたで良いよ。
そんなあなたを必ず救うよ。」
とよんでくださっています。

 

だから、どうか元気を出して。

 

(おわり)      ※冒頭へ

 

 

 

3つの願い

 

【拝むとは】

 

あるテレビ番組で。

 

金の価値が高騰している頃、
姉妹がためしに、父の遺品のメダルを金買い取りのお店に持って行きました。
すると15万という高値が。
大喜びの姉妹は、その場ですぐ売りました。

 

その時言った姉妹の台詞、「お父さんを拝まんと」。
VTRを笑って見ていた芸能人のつっこみ、「お父さんを拝んでどうすんだ!」

 

全くで。
拝むというのはそういう時に使いません。

 

【創作:お盆の由来】

 

日本でお盆という行事は今から1400年前に始まったそうです。
推古天皇が606年に「孟蘭盆会」を行った記録があります。

 

お盆のルーツは、目連尊者の供養のお話にあります。
一部創作ですが、こんな風にきいたことがあります。

 

…………
今から2500年前、お釈迦さまのお弟子の中に、
目連という名のすぐれた方がおられました。

 

仏弟子の中でも神通力で秀でていた目連尊者。
ある日、“あの世”にいるお母さんを得意の神通力で探します。
するとみつけたお母さんが苦しんでいる様子。
理由をお釈迦さまにたずねると、原因は目連尊者に。

 

目連尊者の才能を見抜いたお母さん。
わが子かわいさに、目連尊者をひいきしてしまいました。
不平等なふるまいの罪をつぐなうため、お母さんは苦労しているというのです。

 

「為造悪業の恩」という言葉があります。
親は子供のためにと、
殺す必要もないものを殺したり、嘘をついたりしてしまいます。

 

原因は自分であったと知り、
「申し訳ありません」と自責の念にかられる目連。
そしてお釈迦さまにいわれた通り、
お盆の季節に、三宝に供養するようになりました。

 

三宝。3つの宝とは何でしょう。
  @ 仏:仏さま。
  A 法:仏さまの教え。
  B 僧:仏さまの教えを実践している人々、仲間。

です。

 

後日、神通力でお母さんをもう一度探す目連。
するとなんとお母さんが笑ってこちらを見ていて、
目連さんに言うのでした。

 

「ようこそ“正しい供養”をなさいました。
供養とは亡き人を拝んだりお供えしたりするのではありません。
三宝(仏・法・僧)を崇拝し感謝する心から行うものです。」

 

お母さんは目連さんに「お盆供養」を伝えるため、
一芝居うたれたのでした。

 

(完)

 

【3つの願い】

 

浄土真宗では孟蘭盆会(うらぼんえ お盆法要)とあまり言いません。
歓喜会(かんぎえ)といいます。
世間にひろまっている「盆」行事とけじめをたてるためです。

 

お盆は先祖を偲ぶ季節ではありますが、
先祖を供養する行事ではありません。

 

故人や先祖は拝んだり、供養したりするものではありません。
供養する相手は仏さまです。
お仏壇をきちんとして、お念仏しましょう。
その後、お墓を掃除して、お念仏しましょう。

 

そんなお盆の行事を通して、
3つの願いについてふり返りましょう。

 

3つの願いとは何でしょう。
  @ 先祖は私に何を願っているのか。
  A 仏さまは私に何を願っているのか。
  B 私は子孫に何を願っていくのか。

です。

 

それはつまりこういうことです。

 

私がこうして生きている土台を苦労してこしらえてくださった故人です。
そんな人達は、今、自分に何を願っているのか。
わかりません。
だから仏さまの教え、阿弥陀さまの願いに照らして考えます。

 

  十方微塵世界の
  念仏の衆生をみそなはし
  摂取してすてざれば
  阿弥陀となづけたてまつる(親鸞聖人)

 

阿弥陀さまは、お念仏となってどのような罪深いものも救うと誓われました。
そのことを聞きうけ、お念仏します。
お浄土へ往生された故人も、そのことをもっとも願っておられるに違いないのです。

 

そして今度は私が子孫に何を願うか。
「本当のしあわせとは、仏の願いにであう人生だよ」、
「お念仏を申せる人になってほしい」
と願っていきたいものです。

 

故人の願い、仏の願い、そして私の願い。
このことを少し深く味わいたいものです。

 

(おわり)

 

【追記:はなび】


冒頭VTRでコメントした芸能人。
今から15年くらい前、ある映画祭で賞をとった映画監督でもあります。
「HANA-BI」というタイトルでした。
妻の病気、同僚の死、事件、逃亡……ある一人の刑事お話です(くわしいあらすじはこちら)。

 

映画の最後のシーン。
主人公と夫婦の別れの時、
妻の台詞が印象的です。
「……ありがとう」。
映画中、初めての妻の台詞。
驚く夫。
そしてもう一言、「ごめんね」。

 

この台詞を火屋で実際口に出された方、今まで一人だけみました。

 

大切な人との別れの葬儀。
感謝の気持ちと自責の念がいったりきたりします。
たくさんお世話になりました。
そして、たくさん迷惑もかけました。

 

  「ありがとう、……ごめんね。」

 

様々な思いが交錯する葬儀でした。
今、お盆という季節をむかえ、
そのことを思い出しつつ、
あらためて故人は今何を願っているのか、
考えたいと思います。

 

(おわり)      ※冒頭へ

 

 

「HANA-BI」のあらすじ(ネタバレです):

 

その刑事の妻は不治の病に冒されていました。
子供はおらず、妻を見舞いながら静かに二人で暮らしていました。

 

ある時、妻の見舞い中、自分の代わりに犯人を張り込んでいた同僚が犯人に撃たれます。
同僚は一命を取り留めましたが、二度と歩くことのできない車いすの生活に。
その後、彼は犯人を追い詰めます。
そして捕らえようとする時、抵抗する犯人が発砲。
部下が一人亡くなります。
我を忘れた彼は、犯人を射殺し、くわえて何発も銃弾を犯人へ撃ち込みました。
異常な結末。
事件後、亡くなった部下の責任を問われ、彼は警察を辞職します。

 

数ヵ月して、罪滅ぼしのため、彼は死んだ部下の妻に生活費として大金を送ります。
車いすの同僚には画材道具を。
けれども、その大金はヤクザからの借金でこしらえたもの。
返済のために彼は妻と二人で銀行強盗をはたらきます。

 

借金は返しました。
けれどもまだ金の欲しいヤクザは夫婦を追いかけます。
車で逃げる夫婦。
やがてヤクザに追いつかれた彼でしたが、逆に彼ら全員を返り討ちに。

 

夫婦が最後についた場所は海岸。
彼を追ってきた同僚の刑事に、「少しだけ時間をくれないか」と言い、
二人で浜辺へ。
静かな時間が流れます。
突然、妻が口を開きます。
「ありがとう」。
映画中、初めての台詞。
驚く夫。
そしてもう一言。
「ごめんね」。
二人は拳銃で命を断ちます。

 

(おわり)      ※冒頭へ

 

 

 

真正面の仏さま

 

【お荘厳の注意点】

 

お盆参りが始まりました。
どのお家も、お仏壇のお荘厳、綺麗にされています。
仏華も様々。リンドウ、キキョウ、キク、百日草……美しい。

 

ところでお仏壇の仏具。
少々ややこしい事があります。
それは仏具には必ず表と裏があるのです。
よく間違うのが次の2点。

 


   ・一本足が前:蝋燭立てや、香炉台、香炉といった三本足のものは、一本足が正面。

 

   ・金箔側が表:華束(けそく)(お供え物をのせる台)は、金色が表(黒色は裏)。

 

また、御三尊前の欄干が表裏逆になっていることがあります。掃除をして戻す際、間違えたのでしょう。

 

【後ろ向きの獅子】

 

Aさん宅にお盆参りにいった時のことです。
仏間に入って、お仏壇でお礼し、お荘厳を拝見。
綺麗です。
仏華はいうまでもなく、三本足のものは一本足が前に。
黒い部分は……見あたりません。

 

気持ち良くお勤めを始めました。
ところでしばらくしてハッと気づきました。
目の前にある金香炉。
上部の「獅子」の像が後ろ向きに!

 

他はどこも間違っていません。
そうなると、妙にその後ろ向きの獅子が気になります。
ずっと背中を向けた獅子。
少し寂しい心持ちがします。
けれどもしばらくして、こんな言葉が浮かびました。
「無背相(むはいそう)」。

 

【無背相】

 

七高僧(しちこうそう)の一人、善導大師(ぜんどうだいし)がこういわれます。

 

  
  仏身円満(ぶつしんえんまん)にして背相(はいそう)なし

 

  十方(じつぽう)より来(きた)れる人みな面(おもて)に対(むか)ふ

 

衆生を救う功徳に満ちあふれた阿弥陀さま。
そんな仏さまは、この私に決して背中を見せません。
これを「無背相(むはいそう)」といいます。

 

いつでも私を見つづけておられる阿弥陀さまです。
私が思う前から私のことを心配しておられます。

 

私の方が「助けてください」と祈って、ようやく振り向かれる方ではありません。
「あなたを救うまで、わたくしは仏にはならない」と本願をおこした仏さま。
常に私の苦悩と真正面から向き合っておられます。

 

逆に背中をみせていたのは私でした。
良いことがおきると「それは私ががんばったから」という思いがすぐわき起こってきます。
手柄は自分のものにしたいのです。
仏を見向きもしていない私。
仏の教えに背きつづけてきた私。
無背相はそのことも知らせてくださいます。

 

【讃仏偈(さんぶつげ)】

 

お盆参りでお勤めする「讃仏偈(さんぶつげ)」にはこうあります。

 

 
  吾誓得佛(ごせいとくぶつ)  普行此願(ふぎようしがん) 

 

  一切恐懼(いつさいくく) 爲作大安(いさだいあん)

 

 「讃仏偈」は阿弥陀さま自身の言葉です。
阿弥陀さまが話をしています。
「わたくし法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)(のちの阿弥陀)は仏になることを誓います。
願いを必ず成就いたします。そして、あらゆる者の不安・苦しみを、この上ない安らぎにかえてみせます。」
そうだったなぁと、心の中でお礼します。
このたび阿弥陀さまに出あえてよかった。
後ろ向きの獅子を見つつお念仏しました。

 

(おわり)      ※冒頭へ

 

 

 

門徒の品格

 

【ないものはない】

 

朝の連続ドラマ「あまちゃん」は大人気のようです。

 

さて、島根県の隠岐(おき)諸島にある海士(あま)町のスローガンはずばり、

 

『ないものはない』

 

一見して少し意味不明ですが、十四回の会議を重ねて考えたのだそうです。

 

このスローガンには二重の意味があります。

 

  
  @「無くてもよい」

 

  A「大事なことはすべてここにある」

 

離島であるこの町は都会のように便利ではないし、モノも豊富ではありません。
しかし、
その一方で、自然や郷土の恵み(海の幸、隠岐牛、製塩)は潤沢です。
暮らすために必要なものは充分あり、今あるものの良さを上手に活かしています。
大事なことは全てここにあるのです。

 

人を受け入れ、地域の人どうしの繋がりを大切に、無駄なものを求めず、
シンプルでも満ち足りた暮らしを営みます。
それが島人の品格。
本当の豊かさがそこにはあります。

 

東日本大震災後、日本人の価値観が大きく変わりつつある今、
素直に『ないものはない』と言えてしまう幸せが、海士町にはあるのです。

 

【念仏一つ】

 

「そちらでは“車のおはらい”はやってないのですか?」
「このお寺には“お守り”は売ってないのですか?」

 

時々こんなことをたずねられます。

 

宗教・寺院といえば「お守り」「お祓い」は当然と思っている方が多いかもしれません。
けれども昔から浄土真宗(本願寺派)ではこの2つがないのです。

 

また祈願や「お祈り」といった行為もありません。
何故か。
阿弥陀さまの教えを、お守り・お祈り以上に大切にうけとめるからです。

 

阿弥陀仏は、私が「お助けください」と祈り願うはるか前に、
私の行く末を心配し、「そんなあなたを必ず救う仏となる」と誓われました。
仏の願いがいつでも先なのです。

 

私の願いより仏の願いを聞きます。
そこには自然と、私の願いの浅はかさ、愚かさがみえてきます。

 

「何のために私は生きているのか」。
苦悩の人生の問いの答えは、「南無阿弥陀仏」という、他力のお念仏の中に充分あります。
大事なことは全てここに届いています。

 

如来の声を聞き受け、全てのご縁を大切に、無駄なものを求めません。
「南無阿弥陀仏」とお念仏一つ。
シンプルでも不安なき暮らしを営みます。
真宗門徒の品格。
本当の豊かさがそこにはあります。

 

ナノテクノロジー、ips細胞といったすさまじい科学進歩の昨今、
すなおに「南無阿弥陀仏がありました」と言える仕合わせが、浄土真宗にはあるのです。

 

【祈願よりも奉告式を】

 

浄土真宗は、人生の節目、お寺へお参りいたします。
初産式、入学式、成人式、結婚式。
「尊いご縁をいただきました」と、有縁の人とお礼しましょう。

 

「お祓い」「お守り」の行為は必要ありません。
むしろ、誤解を恐れずいえば、
お祓い、お守りは如来の願いを邪魔するものです。

 

ではどうするか。
どんなにつらくても、
「ありがとうございました」と、お礼の行為ひとつを実践します。

 

ですから「お祓い」をたずねられたら、こう答えます。

 

「“車のお祓い”はありません。
でもおつとめはあります。納車奉告式にきてください。」

 

納車奉告式。大いにつとめてもらいたく存じます。

 

他にもあります。

 

・安産祈願 → 妊婦の時からの法座でのお聴聞は大切です。

 

・家内安全祈願 → 家族でお聴聞しましょう。

 

・社運隆昌・商売繁盛祈願 → 社員でお聴聞しましょう。

 

・病気平癒・身体健全・息災延命祈願 → 元気な間にお聴聞しましょう。

 

・お子様の海外留学を心配して、旅行安全祈願 → お仏壇を送ってあげてはどうでしょう。

 

・開運吉祥・厄除消除・災難消除祈願 → 日常の仏事をきちんとしましょう。

 

・学業増進・進学成就祈願 → 精いっぱい計画をたてて勉強。

 

以上です。

 

所願成就・心願成就祈願よりも、如来さまの本願成就を喜びお礼をするのが、
真宗のマナー、門徒の品格かと。

 

(おわり)      ※冒頭へ

 

 

 

白い光 赤い光 (後半)

 

【親(おや)という字】

 

親という字の成り立ちは、「見」と音符「立+木(ひっつくの意→至)」です。
目をひっつけて見る、自分で直接に見る、
そんなニュアンスから、「したしい」意をあらわすそうです。

 

また親という字を分解すると、「立」「木」「見」になります。
そこから誰が考えたのでしょう、
親とは、

  (1). 立つ木を見る
  (2). 木に立って見る
  (3). 木に立ってでも見る

 

なのだそうです。

 

(1)は成長していく子供を慈しむ目線。
親と子は1対1。
子供のしあわせは、親のしあわせです。

 

(2)は見守りの目線。
子供を上から見下ろします。
決して上から目線ではありません。
子供の周囲や、行く末を案じたすがたです。

 

そして(3)は別れの場面での目線です。
電車に乗って町から離れる場面。
友人たちは見送りが終わると解散。
けれど離れられない親がいます。
大都会を夢見て、もう振り返ることのない子供。
その電車を、見えなくなっても見つめる親。
木に登ってでも見ていたい心もちが親なのだそうです。

 

【死にたまふ母】

 

今年は斎藤茂吉の没後60年にあたります。
精神科医であり、日本を代表する歌人でした。

 

また大変文章のうまい方でした。
息子の北杜夫いわく、「茂吉のような文章を書ければ死んでもいいと言った人がある」とか。

 

60年前の葬儀は築地本願寺でありました。
院号は「赤光院(しゃっこういん)」。
「赤光」は茂吉の代表作の名前です。
そして今年はその処女歌集『赤光』(大正2年)が刊行されて、ちょうど100年目にあたります。

 

『赤光』は当時、大きな反響を巻き起こしました。
猫も杓子も『赤光』を読んだとか。
多くの方が『赤光』の魅力を語りました。

 

そんな『赤光』に「死にたまふ母」という連作があります。
生母の臨終・葬儀をうたったものです。

 

  みちのくの 母のいのちを 一目見ん 一目みんとぞ ただにいそげる 

 

15歳で、茂吉は山形県から東京・浅草の斉藤家(開業医)にひきとられます。
それから15年。
東大医学部を卒業し、病院に勤務。
そんな時、突然、母の臨終の連絡をうけます。
故郷へ。
15年前の別れ。
ずっと自分を心配してくれていた母に一目会いたい。
その時の心境をうたいました。

 

  死に近き 母に添寢の しんしんと 遠田のかはづ 天に聞ゆる 

 

最後の晩、静かな時が流れます。

 

  我が母よ 死にたまひゆく我が母よ 我を生(う)まし乳(ち)足(た)らひし母よ

 

臨終です。

 

  のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて 足乳根の母は 死にたまふなり 

 

母は今生の縁を終えました。
亡き母と、赤色のツバメ。

 

【赤い光】

 

そしてここから歌に「赤光」にちなんだ「赤」が多くひかれるようになります。
それは火葬です。

 

星のゐる 夜ぞらのもとに 赤赤と ははそはの母は 燃えゆきにけり(註)ははそは:枕詞。コナラのこと。

 

母を荼毘(火葬)にふします。昔は一晩中かかりました。
母が赤々と燃えています。
星の光と、赤色の母。

 

  さ夜ふかく 母を葬(はふ)りの火を見れば ただ赤くもぞ 燃えにけるかも

 

荼毘(火葬)はつづきます。
母は変わらず、赤く燃えています。
いろんな事を思い出します。

 

  ひた心 目守(まも)らんものか ほの赤く のぼるけむりの その煙(けむり)はや

 

明け方になりました。
小さく燃える母。もう消えます。
一晩中、この赤い光を見守り続けた茂吉でした。

 

【親の仏】

 

赤光を「しゃっこう」と読むのは、この語が『阿弥陀経』の言葉だからです。
お浄土には赤い蓮華が赤い光を放っている。
そのお浄土の姿は茂吉にとって、母の色であり、最後の母親との時間に重なったことでしょう。
母の別れは、今まで気にも留めなかったお浄土の世界をみつめさせてくれたのでした。

 

お浄土は「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」、いのちを認め合う平和で平等な世界です。
その事は現実の私たちの不平等な世界、
何より罪業の染みついたわが心の中身を見せてくれます。
そして同時に、「ここに親がおるぞ。心配するなよ」と、
南無阿弥陀仏の救いの声を聞かせてくださいます。

 

ひとり子の私をひとりきりにできない親の仏。
罪業深き私の行く末を案じる親の仏。
そして逃げる私から目を離せない親の仏。

 

わたしにむけて降り注ぐ、救いの光にであわせてくださいます。

 

  白き華 しろくかがやき 赤き華 赤き光を 放ちゐるところ(茂吉 地獄極楽図 明治39年)

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

追記:『赤光』は、松岡正剛氏の書評があります。

 

 

 

白い光 赤い光 (前半)

 

【法事のムカデ】

 

先日、法事で『阿弥陀経』をおつとめし、その後のお取り次ぎで「青色青光」の話をしました。
「青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光」、『阿弥陀経』の名所の一つです。
お浄土にある花。蓮華です。
青色の花は青い光を、赤色の花は赤い花をと、みなそれぞれの輝きを放ちます。
お浄土が全てのいのちを認め合う平和で平等な世界であることを示しています。

 

この世は画一化を求めます。
黒い鯉は黒い鯉になればいいのに、錦鯉になることを求める社会。
窮屈な平等社会に、「みんなちがってみんないい」(金子みすゞ)ことの大切さを伝えてくださいます。

 

その法事が終わって帰る時でした。
縁側から出ようとすると、扉の縁にいたのは、一匹のムカデ。
気にせず車へ向かいました。
後ろで皆さんの声がします。
「おい、ムカデだ!」
「殺せ!」
ひと騒動おこっています。
「失礼します。」
車にのりこんで一礼する私。
むこうも一礼。
手には鉄箸、そして先端には哀れなムカデが。
……お浄土は、いのちを認め合う平和で平等な世界です。

 

【わが家のムカデ】

 

数日後のことです。
夜遅く帰宅しました。
家族はみな寝ていました。
朝早く起きて本堂へ向かうと、廊下に瓶が。
中には巨大なムカデがいます。

 

坊守にたずねました。
夕方、長男が本堂を閉めにいく時、入り口の扉にひっついていたそうです。
真っ青になって戻ってきた息子。
坊守は気合いをいれて本堂へ行き、トングを使ってどうにかムカデを瓶に閉じ込めました。
「ほんとに、大変だったんだから」と武勇伝を語る坊守。

 

哀れなムカデ。
すぐに瓶から出して庭に放り投げ……ませんでした。
放置。

 

……お浄土は、いのちを認め合う平和で平等な世界です。

 

【ムカデは友だち】

 

私「(本堂へ、)朝のおつとめに行くよ。」
子「いやだ。」
「なんで?」
「ムカデがいるから。」
「大丈夫。瓶の中だから、怖くないよ。」
「いやだ。気持ち悪い。」
「見なければいいじゃないか。」
「いやだ。怖い。」
「……あのね。カブト虫とムカデって仲間なんだよ。」
「……ほんと?」
「そうだよ。カブト虫好きだろう? そう考えたら、ムカデも悪くないだろう?」
「じゃあ、バッタも?」
「そう、バッタも。みんな仲間、みんな友達なんだよ。ミミズだって、オケラだって。」
「……でもお父さん、カマキリはバッタを食べるよ?」
「………友達だって喧嘩するときはあるよ。」
苦しい言い訳でした。

 

【仏の眼】

 

お浄土に咲く花、蓮華。
その花びらは、その形から仏の目にたとえられます。

 

仏の目は私の中身を見ておられます。
すなわち私の本性。
人の悪事は「そこまでひどい事しなくても」と思うくせに、
わが悪事はノーコメント。
人の過ちは見過ごせず、わが過ちは余裕で通します。

 

そんな私の心模様を承知した上で、
仏さまがおこした願いは何か。
「そんなあなたをかならず救う」。
悪事を許したわけではありません。
罪の報いで落ちる私を見過ごせないのです。
それは子をどこまでも見放せない親の心持ちによく似ています。

 

(つづく)   ※冒頭へ

 

 

 

大悲の願船

 

※これは平成25年『宝章』第37号に寄稿したものです。

 

 

 親鸞聖人は二十年間、比叡山延暦寺で仏道修行されました。延暦寺は天台宗の総本山です。比叡山全体が延暦寺。山には三つのエリアがあり多くのお堂があります。その中心は東塔の根本中堂です。
 中堂内には伝教大師最澄よって灯されてから千二百年輝き続けている「不滅の法灯」があります。信長の叡山焼き討ちの際、一端、叡山の法灯は消えたのですが、山形県の立石寺に分灯していたため、断絶を免れました。
 この法灯には油を注ぐ係が決まっていません。担当があるとかえって隙ができるのです。全員が注意して油断なく法灯を守っているのです。
 ところで何と言っても根本中堂の特色は内陣です。内陣は本尊の薬師如来を除いて一段低い石畳になっています。その高低差は約三メートル。この内陣様式は天台宗独特の建築で「煩悩の海」と呼ばれています。何故だと思いますか。
 参拝者は外陣と内陣の間にある中陣に座って礼拝します。すると、通常見上げるはずの本尊が自分と同じ高さにおられる事に気づきます。それは「仏と私たち衆生に上下の隔てはない。全てのものは仏になれる」という天台の一乗思想を高さであらわしているのです。ただし誰もが仏になれるといっても、すぐに仏になれる訳ではありません。仏になるには私たちにまとわりつく煩悩という海を渡っていかないといけません。その煩悩の海を薄暗い内陣が距離であらわしているのです。煩悩の海を渡ることに逡巡し、あきらめて世間にとどまり、悩み苦しむ衆生。その人達に「どうか仏道を人生の道と定め、彼岸に渡る道を歩んでほしい」と願い励ましているのが根本中堂です。

 

 

 煩悩の海を渡るにはどんな仏道を歩めばよいのでしょうか。七高僧の龍樹菩薩には次のような仏の徳を讃嘆する言葉があります。

かの八道の船に乗じて、よく難度海を度す。みづから度し、またかれを度せん。 (註釈版一五三頁)

 「八道」とは八聖道分のことで、八正道ともいいます。さとりに至るための八種の正しい行法です。第一番目の正見(真理を正しく見ること)を中心に、これらの修行を永年続けることによって渡りがたい煩悩の海を渡ったのが自利々他円満の仏さま。だから衆生もそれに見習って修行を積み重ね、いつか仏になろうというのが天台宗を代表とした聖道門の教えです。自らの日々のたゆまぬ努力のもと、自力の道を歩みます。比叡山には千日回峯行、十二年籠山行、七座の修法といった三大修行をはじめ様々な行があります。
 ところで親鸞聖人は先程の龍樹菩薩の讃嘆をよりどころに次の和讃をつくられました。

生死の苦海ほとりなし   ひさしくしづめるわれらをば

弥陀の悲願のふねのみぞ  のせてかならずわたしける (高僧和讃第七首・国宝本)


 煩悩によって生まれ変わり死に変わりを繰り返すのが私たちのいるまよいの世界です。もろもろの苦しみや悩みの種が海のように満ちあふれて、全く終わりがみえません。そんな苦悩の海に遠い過去より沈みこんでいるのが私たち凡夫の現実。阿弥陀如来の大悲の本願の船だけは、そんな私を必ず乗せて浄土に渡してくださるというのです。すなわち聖人は、煩悩の海を渡る手立ては弥陀他力の船であり、聖道自力の船ではないことを明言されました。

 

 

 曾祖父が亡くなって六十年近くたちます。私が生まれる二十年前に往生されました。髭をはやした貫禄のある方で、戦中・戦後の苦労多き時代、住職として法務をつとめました。
 また多趣味な方でした。音楽や科学が好きで、趣味は特許の研究。ドブロク造りも大事な日課だったとか。
 そして失敗の多い人でした。メロン栽培、トマト栽培に手を出しては失敗。ひよこの人工ふ化失敗、時計を解体してはそのままゴミ箱行きにしてしまい、家の裏には特許研究で失敗したガラクタの山があったとか。
 そんな曾祖父は学生時代、ボート部でした。あるとき昔を思い出したのか一念発起して、ボート作りをはじめました。汗を流して、一夏かけて、ついに完成。子供を連れて近くの海水浴場へ進水式にでかけました。近所の人も一緒に。
 ボートは海に浮かべると、あっという間に沈みました。どこかに穴があいていたのです。進水式ならぬ浸水式。またの名を「沈水式」。
 さびしくボートをさげて帰る曾祖父親子とご近所の方々。おいたわしい。

 

 

 まよいの世界(此岸)からさとりの世界(彼岸)へ。彼岸へ渡るため、私はどんな船にのったらよいのでしょうか。
 船は少しでも穴があいていたら沈みます。同じように自力の船は間違いなく沈みます。どんなに人が真面目に厳しく修行して、知識をつみ、経験をつみ、また心を清らかにしても、そこには悲しいかな、必ず船自体に煩悩という穴があいています。ましてや凡夫の私の作った船は穴だらけです。
 彼岸を渡るのに「私はこう思います」、「私はこんな良い事を心がけています」と自分勝手な船を作ろうとする私。曾祖父が笑っています。「それじゃあ、沈水式行きだ」と。自力船にのって、これまでどれ程まよいの海、苦しみの世界に沈んできたことか。
 現世は身心の病に薬をつける薬師如来が担当、来世は浄土を建立した弥陀如来が担当……ではないことを聖人は教えてくださいました。仏さまに係や担当はないのです。強いていうなら私の担当は阿弥陀さま。弥陀は未来を見据え、私より先に、今まさに活動してくだっています。私の罪深さを見抜き、煩悩の海を渡るどころか、すでに海に溺水していることを悲しまれました。長い思案と修行の結果、私に至り届いて、私をまるごと引き受け、浄土へ救う仏となられました。
 ようやく生まれた人間世界。勿体なくもここまで生かされてきました。弥陀の船、他力の船にのれよと聖人。南無阿弥陀仏の大悲の船、欠け目のない功徳の船。この度は乗船場を間違えないようにしたいものです。駄洒落ではありませんが、彼岸へは悲願なのです。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

衆生病むゆえにわれ病む

【リンカーンの愛】

 

『愛の反対は憎しみではなく、無関心です』(マザー・テレサ)

 

むかしある布教師さんからこんなたとえ話を聞きました。

 

アメリカのかつての大統領、リンカーン。
かれが若い頃・弁護士であったころ、
溝に落ちて鳴いている豚を見つけました。
彼は、泥の中に降りて豚を救出。
それが新聞に。
同僚が「よく豚を助けたね。すごいね」と褒めたとき、リンカーンは、
「いや、僕は豚なんて助けてないよ。」
「いや、新聞にのってるよ。君が泥だらけになって豚を助けたって。」
「あーあれか。……
あの豚を助けなかったら、自分は気になってしかたなかっただろう。
私は豚をたすけたのではなく、
気になって苦しんでいる自分の心を助けたんだ。自分のためなんだ。」
※この「リンカーンの愛」の話はインターネットではいろいろ相違があります。原文はどうなのやら…。

 

さて、今月は宗報2004年7月号、梯和上の法話を転載させていただきます。

 

【梯実円 衆生病むゆえにわれ病む】

 

インドに起こったさまざまな宗教のなかで、
仏教の最大の特徴は、
慈悲を強調することであったといわれています。

 

慈悲の慈とはマイトリの訳語で、
相手の幸せを心から願う純粋な友愛のことであり、
悲とはカルナの訳語で、
人々の悲しみを共に悲しみ、
相手の痛みを共に痛む心であるといわれています。

 

この痛みの共感こそ「いのち」の共感なのです。
決して対象的に捉えることのできない「いのち」はただ痛みの共感を通して響きあうものであり、
実感されるものなのです。

 

しかし痛みの共感といっても、
私どもにはせいぜい親子、夫婦、兄弟といった身近な者に限られた小慈小悲にすぎません。
それさえともすれば見失いがちなのが私どもの悲しい現実です。

 

それにひきかえ偉大な菩薩や仏の慈悲は生きとし生けるすべてのものにおよび、
衆生の悲しみと痛みを自らのこととして引き受けていかれますから大慈大悲といわれています。

 

『維摩経』問疾品(もんしつぼん)に、維摩居士が自らの病について、

「衆生病むをもって、このゆえに我も病む。たとえば長者に一子ありて、その子病を得ば、乳母もまた病み、その子の病癒ゆれば父母もまた、癒ゆるがごとし」
といわれた言葉こそ、

仏教の神髄を言い表していました。

 

まさに「仏心とは大慈悲これなり」と説かれたとおりです。
仏道とは人の痛みのわかるものになろうと勉め、
痛みを分かちあいながら生きようと努める道だったのです。
(梯実円)

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

3つの心得


「当たり前と思っていることが、当たり前ではなかったと気づかされるのが、仏教の教えだよ。」
(Y寺前住職の口癖)

 

【学校の式辞】

先日、息子が小学校に入学しました。
その入学式で校長先生がこんなお話をしてくださいました。
とてもわかりやすく良いお話でした。

 

式辞。39名の新入生の皆さん。入学おめでとうございます。

 

このT小学校では、児童の皆さん一人々々が光輝く子どもになるように頑張っています。新入生の皆さんも一人々々が光輝く子どもになってもらうよう、校長先生から次の3つのことをお願いします。よく聞いてくださいね。

 

一つ。いのちを大事にしてください。交通事故にあわないように、車に気をつけてください。それから怪我をしないように。お友達にも怪我をさせないようにお願いします。

 

2つ目。友達と仲良くしてください。みんなを好きになってたくさんのお友達をつくってください。そして仲良く遊んだりお勉強をしましょうね。

 

最後です。3つめです。これは後ろにいるみんなの目標にもなっています。
人のお話をよく聞きましょう。先生のお話もよく聞いてくださいね。そうするとお勉強がよく頭にはいってきます。

 

人の話を聞く。上手になるためには次の3つに気をつけてください。

 

1つ目。人が話しているときは自分は……話さないよね。

 

2つ目。目を使ってください。話している人の方をみて話を聞いてください。

 

そして3つめは難しいけれど、こころで聞いてほしい。これは「相手がどんなことが言いたいのかな」って、考えて聞くことです。

 

そういったことを3つお願いします。

 

「@いのちを大事に、Aみんなを好きに、B話を聞く」

 

当たり前かもしれませんが、
これらの三要素は私たち大人にも通じると思います。

 

【聴聞の心得】

 

  先祖のおかげで いのちがある.
  社会のおかげで くらしがある.
  念仏のおかげで よろこびがある
      (ある掲示板より)

 

過去にかけがえのない人間といういのちをいただきました。10代前には約1000人。20代前には約100万人。30代前には約10億人。

 

そのいのちが今みなさんに支えられています。家族・友人・ご近所の助け、福祉の恩恵、自然の恵み等々。今日食べる一杯の丼に、どれほどの方々のドラマがあったか。

 

いのちとくらし。目に見えない私の今の土台です。しかしもう一つ大切な土台があります。「法(おしえ)」です。私のすすむべき道を指す羅針盤です。
「何のために生きているのか」という悩みにこたえてくださいます。

 

羅針盤はなくても船は沈みません。しかし羅針盤がなくては船は正しく進みません。

 

法を聞かなくても生きていけます。しかし法を聞くことによって光り輝く人生にかわります。

 

お聴聞をしましょう。

 

しかし仏法は仏様の話です。人間の智慧を超えた方の話です。
ましてや浄土真宗は阿弥陀さまの願いの話。他力の話です。
最初から最後まで阿弥陀さまのひとり舞台。
そんなお聴聞の身になるには3つのポイントがあります。

 

1つ目。自分の話、人間の智恵の話はしません。「わたしはこう思う」「わたしは何をしなければならないのか」は余計です。

 

2つ目。目を使ってください。お仏壇に手を合わせる習慣をつけましょう。また耳を使うのもよいでしょう。お念仏をもうしましょう。
そして3つめが一番大切かもしれません。こころで聞きます。

 

  「聞といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。」(親鸞)

 

阿弥陀さまの願いはなぜたてられたのか。阿弥陀さまは何をされたのか。阿弥陀さまは今どうされているのか。想像してみましょう。それらは他ならぬ私のためと聞かしていただく事、それをこころで聞くと言います。

 

仏法は最初、ピンときません。
特に順風満帆な時は。
例話をされてわかったような気がしてもすぐ雲がかかってきます。
人間の智慧をこえた話ですし、生活に直接みえてこないのですから当然です。

 

しかし学校と同じ、なくてはならないものです。
私の心の深い闇を照らす月光。
念仏は、どのようないのちであろうとも、どのようなくらしであろうとも、空しくは終わらせない深い意味を与える仏心の結晶です。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

みあげる視点

【浮き出る絵】

 

スペイン三大画家の1人の絵は少しかわっていました。人物の絵がアニメ的というか、足が長くすらっとしていて、細長いのです。
非現実的なその人物像。それには理由がありました。
その絵は正面からみてはいけなかったのです。見上げないと。

 

もともと教会の正面祭壇の上に置かれた絵でした。
彼は訪れた信者にどのようにしてキリスト教のすばらしさを表現しようか苦心しました。
そして人物を細長く。
すると人が祭壇正面に立ってその絵を見上げたとき、細長かった女性像は通常の女性の姿に、加えて立体的になったのです。

 

エルグレコの宗教画は私たちを見上げさせようとしているのでした。

 

【3つの視点】

 

人間には三通りの視点があるそうです。
下を見る視点。真正面を見る視点。見上げる視点。

 

下を見る視点とは、四つ足の動物の視点です。
動物の本能のような、欲しい物ばかりさがしつづける視点。
弱肉強食の視点。
屈服させることをつねに考える視点。
自分が良ければそれでよい視点。

 

真正面を見る視点とは、人間の視点です。
人間の智慧を使った、比べあいをする視点です。
相手が自分よりもすぐれていれば妬み、
相手が自分よりもおとっていれば安心し、哀れんでは、少し誇ってしまう視点です。

 

見上げる視点とは、人間がもう一つもっている視点。
人間の智慧をこえたものをうやまう視点です。

 

エルグレコの絵は「見上げる視点」の大切さを教えてくれます。
比べあいばかりの人生でおわってはいけませんよと。
信仰に生きなさい。
仰ぐものをもちなさいと。
かわりなさいと。

 

【超世の願】

 

重誓偈の冒頭には「われ超世の願を建つ」とあります。
法蔵菩薩、後の阿弥陀仏はこの上ない誓願を完成させると宣言した文句です。

 

超世とは「世を超えた」。
三世諸仏という他の仏様の誰もが思いもよらなかった願という意味です。
次元の異る願いなのです。

 

ひょっとすると、
見上げる視点どころか見下げてばかりの心持ちが私の本性なのかもしれません。
普段は人間らしく振る舞い、また手を合わせてあおぐこともしますが、
状況がかわれば何をしでかすかわからない自分。

 

だからこそ法蔵菩薩は「そっちが見上げないのなら、こっちがおりよう。
目の前にも、下にも降りて、あなたと向き合える仏になろう。
決して見捨てない救いのはたらきのものになる」と誓ってくださいました。

 

どのような生き方の私もうけとめてくださる仏が阿弥陀仏。
念仏は私が「見上げる視点」をもったからつとめるのではありません。
見上げずにはおれないお念仏でした。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

かたの念仏

【ポーズの意味】

 

現在3月から放映されている特撮ヒーローは第37作目。
その名は「獣電戦隊キョウリュウジャー」。
幼稚園児に大人気。
本当によく続きます。

 

この日本のヒーロー戦隊、アメリカでも放映されているそうです。
なんでも「パワーレンジャー」というのだとか。
日本の特撮もたいしたものです。

 

そんな海外放映に関して、最初、こんなトラブルがあったそうです。

 

敵の前でヒーローに変身する場面。
ところが変身後、彼らは必ずポーズを決め、名告ります。
たとえば今は、「牙の勇者 キョウリュウレッド!」。

 

これが海外の人は理解できません。
なんでそんなことするのか?
そんな悠長なことをしていたら敵にやられてしまうじゃないか。
そこで海外ではその部分はカットされそうになりました。
しかし日本の会社が説得したのです。
あそこは大事なんだと。
日本の「型(かた)」という文化を象徴しているのだと。
現実的ではないが、そこには大きな意味があるのだと。

 

能も歌舞伎も型による表現が全てです。
日本人は型・かたちを大事にします。
頭で理屈を考える前に、かたちがあるのです。
そしてそのかたちが、徐々にその中身の深みを伝えていくのかもしれません。

 

【医者といのち】

 

これは職業にも時々いえます。

 

「……べつに困っている人を助けたいとか、正義感があるとか、
いのちの尊さとか考えていたわけじゃないんです。
将来なりたいものなんてありませんでした。
ただ高校の時、成績がよかったので、まわりが医大をすすめてくれました。
そしていつのまにやら医師免許をもち、すすめられた病院で勤務しはじめました。
病人とか病気とか、気持ち悪いなと思うときもありましたが、給料も悪くないし、
そのまま淡々と仕事をしていました。
結婚して家族ができました。
養わないといけないという気持ちもあり、だんだん仕事に専念するようになりました。
すると仕事がおもしろくなってきました。
そしていのちの重みというものも感じるようになってきました。
給料ではなく、今では自分が医者になっていることに感謝しています。」

 

職業という型もあとから人間を形成していきます。

 

【念仏の問いかけ】

 

日本人が古来より大切にしてきた文化「かた」。
それは正しい「かた」は私をかえて、育てていくことを知っているからです。
お念仏もそれに似ています。

 

最近お念仏の声が少なくなってきました。
念仏に抵抗があるのはよくわかります。
合理的精神を優先すれば、決して念仏はでてこないでしょう。
あと恥ずかしいでしょうし。

 

なぜ念仏をしなければいけないのか?
念仏をすると何が期待できるのか?

 

そういう前にお念仏しましょう。
日本人ならできるはずです。

 

そしてもう一つ。
浄土真宗の念仏は他力の念仏です。
如来さまの活動を意味します。
わたしを育て、救い、いつでも離れないという活動です。

 

ですから逆なのです。
念仏の方があなたに問いかけている(育てる)のです。
「念仏」は決して私の方から意味を問うべきではないのです。
もし問えば、たいがい凡夫の智慧では迷路にまよいこみますし、
少なくとも他力の念仏とはいえません。
私たちは問われている存在なのです。
 正しい道とは何か?
 苦しみの原因とは何か?
そして念仏は同時に答えを出しています(救う)。
「われ(阿弥陀仏)にまかせよ。かならず救う」と。

 

日常はかたの念仏のぬるま湯に浸り、
時々はお寺のお聴聞、「念仏の問いと答えのおいわれを味わう」という温泉に浸る。
常に自力の垢をおとし、他力のぬくもりに浸る。
それが真宗の宗教生活です。

 

(おわり)

 

【追記 意識するべき宗教観】

 


余談ですが、念仏に限らず仏事は継続が大切です。
なぜか?
忘れやすいからです。

 

こんなジョークを聞いたことがあります。

 

問 なぜみんな「正義は勝つ」というのでしょう?
答 「正義は勝つ」といっていないと悪が勝ってしまうからです。

 

半分あっているような気がします。
人間の本性を考えた場合、欲望と肩を組む「悪」は強いのです。
だから普段から正義の事を言っておかないと正義が忘れさられてしまい…。

 

正義と悪ではありませんが、宗教と科学もよく対比されます。
両方とも大切です。

 

アインシュタインは言いました。
「宗教のない科学は不完全であり、科学のない宗教は盲目である
(Science without religion is lame, religion without science is blind.)」

 

しかし合理性を重視し、人間の知的好奇心と肩を組む科学は、現代・日本では宗教よりも強いと思います。
そういう意味で宗教は科学よりも多く、各々の生活の中で意識した方がよいと思います。
(決して科学=悪という意味ではありません。)

 

どういうふうに意識するか?
毎日の朝事をこころがけたいものです。
読経が無理なら、いやそれが無理だからこそ声に出してお念仏しましょう。

 

意味がわからなくても良いのです。
朝事をつづけ、法座にお参りしましょう。
徐々にそのかたちが、本当に正しくて大切なものに気づく感覚を養ってくれると思います。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

他力船

 

【沈水式】

 

先月27日は、三代前の住職、曾祖父の祥月命日でした。
58回忌。
あったことはありませんが、逸話の多い方です。
髭をはやした貫禄のある方だったとご門徒さんからよくきかされます。
戦中戦後の苦労多い時代、法務をつとめ仏法をつたえられました。

 

また多趣味でした。
音楽や科学が好きで、趣味は特許の研究。
また、ドブロク造りも大事な日課だったとか。
興味のおもむくままに生きた人でもあったとか。

 

そして失敗の多い人でした。
メロン栽培、トマト栽培に手を出し失敗。
ひよこの人工ふ化失敗、
時計を解体してはそのままゴミ箱行きにしてしまい、
家の裏には特許研究で失敗したガラクタの山があったとか。

 

そんな曾祖父の逸話で、個人的に好きな話があります。

 

曾祖父はかつて学生時代、ボート部でした。
あるとき昔を思い出したのでしょう、一念発起、ボート作りをはじめました。
汗を流して、一夏かけてついに完成。
子供を連れて通津の海へ進水式にでかけました。
近所の人も一緒だったに違いありません。

 

ボートはあっという間に沈みました。
どこかに穴があいていたのでしょう。
進水式ならぬ浸水式。またの名を「沈水式」。

 

さびしくボートをさげて帰る曾祖父親子・ご近所の方々。

 

おいたわしい。

 

 

【進水式へ】

 

  生死の苦海ほとりなし
  ひさしくしづめるわれらをば
  弥陀弘誓のふねのみぞ
  のせてかならずわたしける
    (親鸞聖人 高僧和讃・龍樹讃)

 

お彼岸の季節がやってきます。
故人の思い出におもいをはせると同時に、
人生の目的を再確認します。
まよいの世界(此岸)からさとりの世界(彼岸)へ。
彼岸へ渡るため、私たちはどんな船にのったらよいか。

 

船は少しでも穴があいたら沈みます。
自力の船は沈みます。
どんなに人が厳しく苦労して智慧をみがき、心を清らかにしても、
そこには必ず煩悩という穴があいているのです。
ましてや凡夫である私の船。
自分の智慧、自分勝手につくりあげた智慧の船は穴だらけです。

 

彼岸を渡るのに「私はこう思います」、「私はこんなことを心がけています」と自力の船をこしらえる私。
曾祖父が笑っています。
「それじゃあ、沈水式行きだ」と。

 

自分がこしらえた船にのって海に乗り出し、何度となく海に沈んできました。
現在も沈水中です。長い間。

 

弥陀の船、他力の船にのれよと親鸞聖人はお示しです。
かけめのない功徳の船、一点の穴もなき仏の船。
この度は乗船場を間違えないようにしたいものです。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

ふるさとにかえる

 

ああ誰にも故郷がある 故郷がある
  (五木ひろし「ふるさと」より)

 

 

【啄木とふるさと】

 

石川啄木は明治19年、岩手県生まれ。曹洞宗のお寺の子息として誕生します。
中学校の頃に短歌に傾倒。15歳の時、初めて彼の短歌が『岩手日報』にのります。
24歳で『一握の砂』を出版。生活のまずしさやつらさを歌い、その人間味あふれる歌は多くの人の共感をよんびました。27歳の若さで短い生涯を閉じた方です。

 

  はたらけど
  はたらけどほわが生活くらし 楽にならざり
  ぢっと手を見る

 

なかには人間のはかなさや悲しさ、仏教でいう無常や罪業性を感じさせる歌もあります。

 

  青空に消えゆく煙
  さびしくも消えゆく煙
  われにし似るか

 

  人といふ人のこころに
  一人づつ囚人しゅうじんがゐて
  うめくかなしさ

 

そんな彼の歌に、「ふるさと」を歌った歌があります。
実は、啄木は文学者の成功を夢見て2度にわたり東京に出ています。。

 

  志を果たして いつの日にか帰らん
  (童謡「ふるさと」3番)

 

けれども志を果たすことがかなわず故郷へ戻ります。

 

  ふるさとの土をわが踏めば
  何がなしに足軽かろくなり
  心おもれり

 

  ふるさとに入りてまづ心傷むかな
  道広くなり
  橋もあたらし

 

そんな彼の目の前に岩手の山々が姿を現すのでした。

 

  ふるさとの 山に向ひて
  言ふことなし
  ふるさとの山は ありがたきかな

 

……「山にはなしたって山は何もいわない。
ムダなことだ」とむなしさを打ち明けているのではありません。

 

逆に「こんな美しい山があったのか!
しめた、これを観光に利用して一儲け!」も間違いです。

 

  ふるさとの 山に向ひて
  言ふことなし

 

ふるさとの山は何も遂げずに戻った彼を黙ってやさしく迎えてくれたのでした。
いろんな思いがこみあげてきます。言葉がでてきません。

 

  ふるさとの山は ありがたきかな

 

ふるさとの山は何も言わずに自分を支えてくれる。
こんな私のために。
ありがたい。

 

【弥陀と夕焼け】

 

ふるさとは「行く」とは言いません。「かえる」と言います。

 

親鸞聖人はお浄土へ往生することを「法性ほっしょうのみやこへかへる」(『唯信鈔文意ゆいしんしょうもんい』)と述べられました。
それはお浄土は「法性のみやこ」、真実の世界であり、
またたとえるなら「ふるさと」のような場所だからです。

 

お浄土をたてられた阿弥陀仏。
この仏さまは私の中の無常性・罪悪性、すなわちむなしさや悲しみをを見抜くと同時にあわれみ、
「必ず浄土に生まれさせる」と本願を誓われました。

 

どのようにして生まれさせるか。
試練をかすわけでもありません。
叱咤激励するわけでもありません。
「南無阿弥陀仏という名の仏となって救う。」
自らが全てうけおうと宣言されました。

 

人生に失敗し数多くの傷を負う私。
逆に成功したために数多くの犠牲をこしらえ続ける私かもしれません。
「その身そのまま帰っておいで」とお浄土はふるさとのように私の人生の行く末に存在します。

 

どこにあるのか。
一日の最後、太陽の沈む方向、西の空、夕焼けの雲の中といいます。
何も心配する必要はないのです。

 

  夕焼けの雲に向いて
  言うことなし
  夕焼けの雲は ありがたきかな

 

言いかえると、

 

  お浄土のみやこに向いて
  言うことなし
  浄土のみやこは ありがたきかな

 

……「お浄土なんてそんなそんなもの考えたってムダなことだ」。
逆に「へえ誰でも生まれる世界。
しめた、これを利用して更に自分勝手に生きてやろう!」
そう受け止められたら、阿弥陀さまの苦労が水の泡。
なぜなら浄土建立の目的は、
この私の中の無常性・罪悪性、すなわちむなしさや悲しみの解決なのですから。

 

こんな私を思ってくれる方がおられました。
その身そのままの私を受けいれ、いざなってくれる方が。
帰去来(いざいなん)。
共に念仏申しつつ、
ふるさとへ帰る旅路をいたしませんか。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

人生四季のごとし

 

【甘いみかんは】

 

この間、「ためしてガッテン」で、「甘いみかんを見分けるワザ」について紹介していました。
いろいろありましたが、興味深かったのは「ヘタの中心の軸の太さ」。

 

ヘタの真ん中にある軸が細いほうが甘いというのです。
なぜか。

 

実はミカンは木に下向きに(おしりを下に向けて)なっているものが甘いのです。
ピンと伸びた上向き(太陽におしりを向けている)はまだまだ。

 

枝が下がって下向きのミカンは甘みがでてきた証拠。
そしてそういうミカンは茎も細いのです。
だからヘタの軸も細い。

 

「これはおもしろい!」
さっそく家のミカンでためしてみました。
あきらかに軸が太いものと細いものを選んで、両者の食べ比べ。
するとなんと……軸が細いミカンの方が皮があつめで、食感が悪かったのでした。
ガッテンにはいたらず。

 

けれども番組を見ていてすぐに思ったことは「ミカンも米も同じ」ということ。
ミカンも稲穂と同じように下向きになっている時が美味しいのです。
秋になってみのる米、そしてミカン、ともに甘いのは頭が下がっているものなのです。

 

【みのりの秋】

 

法事で時々、「あなたの座右の銘は何ですか?」とたずねることがあります。
去年の秋でした。
「人生四季のごとし。今になってようやく親の恩がわかってきました」とおっしゃってくださった方がおられました。
(偶然ですが、その後すぐに雑誌「到知」で五木寛之さんも同じことを)

 

親の7回忌でした。
定年を過ぎ、いよいよその人の人生は秋の到来。
「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」。
ミカンや稲穂のように、頭が下ってきたのかもしれません。

 

言われて下げる頭だけなら、それはまだ子供です。
大人は頭を下げるだけでなく、頭が下がることをしる智恵をもった人です。
恩の意味をしる人です。
当たり前のことを重く受け止められる人です。
「育てられました」
「大切なことを教えられました」
甘みがでてくる秋が人にはかならずあるというのです。

 

【冬の桜】

 

しかし四季は秋で終わりではありません。
秋の次には、きびしい冬があります。

 

それは今度は私の問題です。
わたしが衰え、わたしが病み、私がいのちを終っていくという問題。

 

その問題に、間髪いれずに応えてくださる世界が親鸞聖人の教え、念仏の教えにはあります。

 

  葉を落とし 凛と冬待つ 桜かな 

 

念仏を通して、
「空しいいのちとはさせないぞ」という仏の願いを聞きつづけます。
いのちの行く末に真正面から向き合う世界がそこにはあります。
葉を落とすことにいっぺんの悔いもなし。
また春があるのです。
それも迷いの境涯の春ではなく、さとりの春。

 

無常の世の中をあるがままに生きます。
慈愛の中に生かされていることにどっぷりとひたった念仏者の特権かもしれません。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

 

本当の世界 本当の人生

 

【ガリレオとコペルニクス】

 

昔あるイタリア人がいました。
名前はガリレオ。

 

彼は哲学者であり物理学者であり、そして天文学者でした。
木星のにきび(クレーター)を発見し、天の川の正体を発見(恒星の集まり)した人でした。
そして研究の結果、こう主張しました。
「コペルニクス先生のおっしゃることの方が本当だ!」

 

地動説。
私たちの目には太陽や月が動いているようにみえるが、実際は地球が動いているのだと。
それもすごいスピードで。

 

地球の自転は赤道のところで時速1700km/h。秒速500mくらい。
ましてや公転となったら時速=10万km/h。秒速30km。
私たちの地面は動いていないつもりで、ものすごいスピードで動いています。

 

けれども当時、彼の主張はコテンパンに批判されました。
裁判もおこなわれ、彼の主張は間違いとされました。

 

晩年は娘を失い、視力を失った彼。
そんな中で言ったとされる言葉。「それでも地球は動いている」

 

【親鸞と法然】

 

昔ある日本人がいました。
名前は親鸞。

 

彼は9歳の時、比叡山にはいり20年間修行を重ねました。
けれどもどうしても納得できず、
29歳の時、法然上人に出遇い、念仏の教えに帰依しました。
そして彼は説きました。
「法然上人のおっしゃる通りの道以外、本当にわたしが仏となる道はありません。」

 

浄土宗。
念仏を申して浄土に参ることこそが最も大切な仏の教えであり、
それが最も速い成仏道。

 

けれども当時、浄土宗は他の多くの僧侶からは馬鹿にされていました。
念仏?浄土?それはみな仏教の本筋にみちびく入門手段にすぎないのだと。
最速?もっともはやいのは「即身成仏」を説く我々の教えだと。

 

そんな批判の渦にまきこまれつつも、
彼は晩年まで多くの書物をあらわし、念仏の教えを説明しました。

 

【コペルニクス的転回】

 

「念仏とは“他力”の念仏。
弥陀の他力本願にあいかなった行である。

 

すなわち、
念仏はこちらが称えたから、そのはたらき・功績によって往生できるのではない。
反対だ。
先にはたらいてくださっているものがある。
如来の智慧と慈悲。

 

「南無阿弥陀仏」と、
阿弥陀仏の名を称える「念仏」という修行。
しかし念仏は他の行とは本質がことなるのだ。
仏教一般でいう功徳を積むための行ではない。
積み終わった功徳が今この私のために届けられていることにであうもの。
仏の名を呼ぶのが先ではなく、“声の仏”が私に向かって「お前を救うぞ」と喚(よ)んでいることの方が先。
順序が逆である。」

 

即身成仏どころではありません。
条件がととのえば容易に鬼にでもなるわたしです。
相手の苦情に腹を立て、
相手の自慢を妬み、
逆に相手の恩を都合よく忘れてしまうわたし。
……忘れたことも忘れてしまっているかもしれません。
そのことを誰よりも存知し、わたし以上にわたしのことを心配されたのが如来様。
私がテコでも動きようのないものと知り、だったらこちらがすべて動きましょうと覚悟され努力されておられます。
その姿を「南無阿弥陀仏」からいただいた人、それが親鸞という人でした。

 

「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、
よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。」
  (歎異抄)

 

念仏一つ、他力一つ。
救われるとはこういうことだと、
本当の人生の歩み方の見本を示してくださった方でした。

 

(おわり)   ※冒頭へ

 

 

名の声

 

和上往生

 

深川和上は昭和52年3月のお彼岸法要からほぼ毎年専徳寺へ御出講くださっていました。昨年(平成24)は36回目の御縁を頂戴する予定でしたが体調すぐれず中止に。和上は平成24年12月7日、89歳にて往生の素懐を遂げられました。

 

「ここ(お寺)は御法義のお風呂です……」、毎年阿弥陀さまの仏力話を淡々とお話くださいました。

 

新しい年を迎えるにあたり、長いのですがかつての和上の言葉をまとめてみました。

 

専徳寺法座の言葉

 

  1. 『しかれば祖師上人は、弥陀如来の化身にてましますといふことあきらかなり。』(覚如上人『御伝鈔』)
    聖人は弥陀の再誕です。お浄土から来られた方です。
    「仏さまが死ぬのか?」ですって。我々の凡夫の人生にあわせて、臨終の姿をとってくださったのです。
    九十年の御生涯は、弥陀に救われる「見本」を演じられた御苦労でした。宗祖御降誕ありがとう。(昭55)

     

     

    『木像ものいはず経典口なければ、伝へきかしむるところの恩徳を耳にたくはへん行者は、謝徳のおもひをもつぱらにして、如来の代官と仰いであがむべきにてこそあれ。』(『改邪鈔』)

    法を「聞く」ことの大切さを思う。木像、経典はものを言わない。「聞法」なしに信心はない。
    法を「聞く」ことの難しさを思う。如来の代官である御講師の話にいいとか悪いとか点数をつけていないか。
    法を「聞く」ことの責任を思う。家族にとって私が唯一の如来の代官ではないか。
    法を「聞く」ことの有難さを思う。身近に知識あったればこそ「聞法」する身と育てられたのである。
    (昭55)

     

     

    『我至成仏道 名声超十方』(重誓偈)
    聞こえました。南無阿弥陀仏というあなたのお名前は、はるか東の国娑婆の片隅に生きております六尺に満たない私の体の中まで届いております。おろそかではありますが、御恩報謝の称名のたびごとに、あなたは声となって私の口から飛び出して私を呼んで下さいます。南無阿弥陀仏と。
    (昭56)

     

     

    『寒くとも たもとに入れよ 西の風 弥陀の国より 吹くと思えば』(蓮如上人)

    亡き人を偲ぶ。遺影の中に偲ぶ。墓前にて偲ぶ。思い出の中に偲ぶ。
    いやいや仏前にて偲ぼう。故人を西方浄土の聖者として偲ぼう。
    わが念仏の中にその人の声を聞こう。光り輝くアナタ。私を仏縁へ導いてくれた坊や。「又会える。又会える」。念仏の中にいつでも通って来てくれる。
    西方は懐かしい。西方は恋しい。西方は私にとって特別な方角
    (昭57)

     

     

    『それ真実の教を顕さば、大無量寿経これなり』(『教行信証』教巻)

    弱肉強食が生命の歴史です。「強者は栄え弱者は衰える」。だから私達にもこの考えはしみついています。
    しかし、『大無量寿経(大経)』の原理は違います。それは愛の原理、救済の原理です。だから私達には長い間解りませんでした。いや少々解っても、救済は弱者の逃げ口上だと馬鹿にしました。
    だが、違ってたんです。人生は闘いではなかったのです。どんな人も仏の愛の中でした。念仏者は、一人一人の生命の尊厳に目覚めさせられます。
    (昭58)

     

     

    『弥勒大士は等覚の金剛心を窮むるがゆゑに、龍華三会の曉、まさに無上覚を極むべし。念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す。』(『教行信証』信巻 註釈版聖典p.264)

    もうすぐやってくる臨終のむこうには、輝くさとりの世界が待っている。それは横超の金剛心(如来のさとりのすべて)をいただいているから。
    それと共に、今から、如来のみちみちているわが身を、尊きものと大事にさせていただこう。わが身にのりこんでくださってある如来の御名を称えつつ。
    (昭59)

     

     

    『この如来(阿弥陀如来)、微塵世界にみちみちたまへり、すなはち一切群生海の心なり。』(『唯信鈔文意』 註釈版聖典p.709)

    阿弥陀さまは私の外におられるのではない。私の所にいらっしゃるのが阿弥陀さま。いや十方衆生、生きとし生ける者の所に行き満ちていて下さってあるのが阿弥陀さま。
    生きとし生ける者は阿弥陀さまを宿しているのです。どういう姿で。称うれば声の響きとなる「ナモアミダ仏」という姿で私共の所に届いて下さってあるのが阿弥陀さま。弥陀を宿したこの身は千萬の宝よりも大切な身なのです。
    (昭60)

     

     

    『聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華』(『正信偈』 註釈版聖典p.204)

    「分陀利華」(白い蓮の花)と阿弥陀様は私を誉めて下さいました。人と比べて誉められるのではありません。私の長い迷いの生命と比べて、この度は良かったぞ、よく弥陀の願いを聞き開いてくれたと誉めて下さるのです。
    結局、この阿弥陀様の宗教は、一切の生き物に対して、高々と生命の讃歌を告げて下さるのです。あなたは仏様を宿した尊い生命なんですよ。すばらしい生命の、今、ど真ん中にいるのですよと。
    (昭61)

     

     

    『五濁悪世の有情の 選択本願信ずれば 不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり』(『正像末和讃』 註釈版聖典p.605)

    死ぬんじゃない、お浄土へ参るんです。迷うんじゃない、悟りを開くんです。消えるんじゃない。弥陀同体の身と成るのです。
    それらも有難いが、ただそれだけが真宗の喜びではない。今この身に、仏の功徳の全てが宿っててくださる事の喜び。これを見失ってはもったいない。今も臨終の後も「アミダ様がご一緒」なのです。“死にたけりゃ死ね!この身体。わりゃ死んでもわしゃ死なん。死なずに参るナンマンダ仏”(浅原才市)いつも御一緒なのです。
    (昭62)

     

     

    『慈心をもって相向い、仏眼もって相看、菩提まで眷属として真の善知識となり、同じく浄国に帰して、ともに仏道を成ぜん。』(善導大師『観経四帖疏』)

    千二百年前の唐の時代、善導大師は心血を注いで『観経』の注釈書『観経疏』全四巻を完成された。その最後の言葉が上のものです。人間だけでなく、鳥も虫も獣も全て生きとし生けるものは、お互い慈しみの眼をもって手を取り合い、眷属=親戚、親、兄弟として共に念仏の道を歩み、同じくお浄土に参りましょうと述べられる。仏道を歩み始めると、虫も鳥も住めなくして、人間だけが快適さを求める事が嫌いとなる、虫も鳥もみんな念仏の仲間だ。同じ生命の鎖で結ばれているのですと。
    (昭63)

     

     

    『かの名号は よく衆生一切の無明を破す よく衆生の一切の志願を満てたまふ』(曇鸞大師『往生論註』)

    問題は間もなく私が死んでいくという事です。お念仏を信じて死んでいくのです。どんな調子のいい人生観を並べてもつまらん。この人生をいきる、もうこの世にそんな用事はない。どうしても大切なのは私自身でありまして、ごまかさず弥陀を信じ、お浄土を信じて死んでいくのです。「阿弥陀さまは私をお助け下さってお浄土にお迎え下さる」と。その何を信ずるかと言えば、ナモアミダ仏=名号を信ずるのです。アミダ様はナモアミダ仏=名号となって私に到り届いてある。私はナモアミダ仏=名号によってアミダ様と会うのです。
    (H1)

     

     

    『聞其名号 信心歓喜(その名号を聞きて、信心歓喜せん)』(『無量寿経』 註釈版聖典p.41)

    三十代の若き宗祖は法然門下での勉学の中で、特に「法界身」、つまり如来さまは一切世界にみちみちてまします事を喜び学ばれた。
    だが五十〜六十代でのご製作とみえる『本典』にはその事に触れておられない。如来さまとは「名号」(声の仏さま)だと示される。「法界身」の「身」の言葉を警戒なされたのである。姿を拝むんじゃない。今我に称えられてあるのが、実の仏なるぞ…。との経意を歓喜せられたのである。
    (H2)

     

     

    『しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転ず』(『教行信証』行文類 註釈版聖典p.189)

    私を楽に楽にお念仏生活をさせる為にむこう様が命がけになって下さったんです。「至徳の風静かに」とは、お念仏申しながらということです。「願船に乗じて……」とは、まぁゆっくりとおやんなさいということです。
    (H3)

     

     

    『本願を信受するは前念命終なり 即得往生は後念即生なり』(『愚禿抄』 註釈版聖典p.509)

    ご法義は世間と少し違います。仏教の言葉で性(ショウ)と修(シュウ)と言いますが、性とは「なま」、修とは「手入れ済み」の意味です。

     

    性(ショウ)は不変、一生涯変わりません。欲や怒りです。如来さまは私の性を地獄行きと見抜いて胸を痛めて下さいました。だからもうそう聞いて、それ以上わが性を詮索いたしません。

     

    修(シュウ)はわが努力、それをご報謝といいます。お寺に参るのは修です。なまではありません。お寺の近くに住んでも参らない人がいます。それはなまのままの人です。

     

    お寺とは修、手入れの出来た人が参ります。如来さまから育まれ、如来さまの手入れが及ぶ人生、どこまで自分が変えられるのか、長生きしてみましょうか。
    (H4)

     

     

    『西岸上に人あって喚ぼうていわく。汝一心正念にして直に来たれ、我よく汝を 護らん』(善導大師『観経四帖疏』)

    南无阿弥陀仏を呼び声という。どなたが教えて下さったか。それは善導大師。
    お経には、阿弥陀様のお心として、願いとして、「わが名をとなえよ」としか書かれていない。
    なのになぜ呼び声とされたのか。それは、「私はお浄土で親様に待たれているのだ」という善導大師のお喜びからほとばしり出たご解釈なのです。
    宗教とは私の実践なのです。親様を聞き、お浄土を聞き、お念仏を実践者として聞いた大師ならばこそ、「となえよ」を「お呼び声」と示されたのです。
    お念仏をしてごらんなさい。あなたはもしかして親様抜きのお念仏をしてませんか。それではお念仏の温かさがわかりませんよ。ナンマンダブツ、親様がご一緒、ご一緒。
    (H6)

     

     

    (H7)
    『たきぎは火をつけつれば、はなるることなし。「たきぎ」は行者の心にたとふ、「火」は弥陀の摂取不捨の光明にたとふるなり。心光に照護せられたてまつりぬれば、わが心をはなれて仏心もなく、仏心をはなれてわが心もなきものなり。これを南無阿弥陀仏とはなづけたり。』(『安心決定抄』)

    朝、目が覚めて一番に何をするか。布団の中で、「南無阿弥陀仏」とお称名をする。一日の最初にお称名をしておくと、その日一日お称名が申しやすい。
    如来様はどこにいなさるか。称えてくれよ称えてくれよと、私にかかりっきり。…薪に火をつければ離るることがないように。
    今日も、称えさせたい称えさせたいの親のお慈悲に聞き負けて、お称名するばかりの1日。

     

     

    『弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて、むかへんとはからはせたまひたるによりて、行者のよからんともあしからんともおもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ。ちかひのやうは、「無上仏にならしめん」と誓ひたまへるなり。…これは仏智の不思議にてあるなり。』(『自然法爾章』)

    如来様の救いの極意は、私を如来自身と同じ無上仏とまで至らしめるとのお誓いです。無上仏とは、智恵を極め・慈悲自然とあふれ、衆生済度、自由自在の身のこと。老いゆく生身の中に、そんな広大なお誓いのお徳の名号をいただいています。南無阿弥陀仏
    (H8)

     

     

    『それ、南無阿弥陀仏と申す文字は、その数わづかに六字なれば、さのみ功能のあるべきともおぼえざるに、この六字の名号のうちには無上甚深の功徳利益の広大なること、さらにそのきはまりなきものなり。されば信心をとるといふも、この六字のうちにこもれりとしるべし。さらに別に信心とて六字のほかにはあるべからざるものなり。』(『御文章』 註釈版聖典p.1200)

    私たちは阿弥陀仏とどこで出会うのか。心に思うのか、目で見るのか。仏の願心をうかがえば、声で出会うと案じだしてくださったと知られる。そんな理屈がよくわからんと反論する前に、この声がみほとけ様と、自分を一生かかって育て抜くことの方が大切なのです。その自己を育てる努力こそ、何物にも代え難い私たちの信仰生活なのです。
    (H9)

     

     

    『 機法一体の南無阿弥陀仏といへるはこのこころなり…これすなはちわれらが往生の定まりたる他力の信心なりとは心得べきものなり』(蓮如上人『御文章』 註釈版聖典p.1182)

    蓮如上人は、信心というのは阿弥陀仏の願力がわたしの信心となるのであって、わたしのたのむの信心は阿弥陀仏のたすくる法(ハタラキ)のほかにないことを、たのむの信(機)とたすくる法とが、一つの南無阿弥陀仏に成就せられているという意味で、機法一体の南無阿弥陀仏と示されました。これによって、信心が他力回施の信心であるということをいよいよ明らかにされたのです。
    (H10)

     

     

    『親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。』(『歎異抄』 註釈版聖典p.832)

    二十九歳の時に法然聖人のお弟子になられた親鸞聖人。わずか六年間の師との交わりでありましたが、その年月の中で師の「念仏往生」の真意を完全に体得されました。それは、「わたしはいかにして如来さまに救われるか」の方向ではなく「如来さまはいかにして私を救いたもうか」の願力回向の方向のご法義でありました。

     

    すなわち、出来上がった阿弥陀さまに寸法を合わせるのではなく、私に寸法を合わせたご苦心が法蔵菩薩のご苦労の物語であったと聞き開くことであります。それが、この身に結実して南無阿弥陀仏と届いた姿です。
    (H11)

     

     

    『仏法には世間のひまを闕きてきくべし。世間の隙をあけて法を 聞くべきやうに思ふこと、あさましきことなり。仏法には明日といふことはあるまじきよしの仰せに候ふ。』(『蓮如上人御一代記聞書 第155条』 註釈版聖典p.1280)

    人は生きるに忙しい。悩みも苦労も多い。そんなせわしい境涯を離れて、安気に暮らせるようになったらお寺にでも参りましょうか。いえいえ、それは違います。むしろ仏法に心がけると、不思議と時間が空くものです。きっと、際限のない世間の用事に、何が必要であり何が不必要であるかの物差しを仏法示して下さるからでしょう。
    法の道 ただひとすじに 渡りなば 仮の浮き世も 住みよかるべし』(法如上人ご消息)
    (H12)

     

     

    『それ真実の教えを顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり』(『教行信証』 註釈版聖典p.135)

    親鸞聖人は正信偈に「如来如実の言を信ずべし」といわれるように、何よりも仏語・仏説に信順された。その聖人が、仏説中の仏説として、あえて大の字までつけて呼称されるお経が大無量寿経である。このお経が他のお経と異なるのは、凡夫の救いが説かれる点である。
    そのことを、このお経には、阿弥陀さま自身による、私のためゆえの御苦労が説かれると読みとられたのが親鸞聖人。その大いなる感動が、経名にない大の字をあえてつけさせたものとうかがわれる。
    (H13)

     

     

    『弥陀をたのめば南無阿弥陀仏の主に成るなり。南無阿弥陀仏の主に成るといふは信心をうることなりと云々。また、当流の真実の宝といふは南無阿弥陀仏、これ一念の信心なりと云々』(『蓮如上人御一代記聞書』237条 註釈版聖典p.1309)

    われわれは何でも外から学ぶと思う。だから、浄土真宗であなたにはもう阿弥陀さまが届いています、と言うとすぐに、どこからかと問う。そうではない。これからどこかからやってくると言う話ではない。もう届いている、他人事の話ではないということです。それも、…長い長い迷いの生死の始めから、あなたを仏にせずにはおかんと阿弥陀さまが届いていたのですという話。

     

    また話を聞くのに、いつも何をしろと言うのかと聞いていく癖がある。その、@外から学ぶA何を為すか…その人間の知恵をはずさずに聞くと真宗がわからない。

     

    真宗は仏様の話で何の要求もない。仏は人の力の程度を見抜いたゆえに何の要求もされない。要求されないのなら何をすればいいのか?…また問うた。もう、問うな!たのむ力もない私ゆえに、たのむ事も皆南無阿弥陀仏に仕上げたぞ、と仏は我をたのめとおっしゃる。…いまやわれにある南無阿弥陀仏が他人事じゃない私の事だと受け取れた、南無阿弥陀仏の主となる。それが、浄土真宗なのです。
    (H14)

     

     

    『ここをもつて知恩報徳のために宗師(曇鸞)の釈(論註)を披きたるにのたまはく、「それ菩薩は仏に帰す。孝子の父母に帰し、忠臣の君后に帰して、動静おのれにあらず、出没かならず由あるがごとし。恩を知りて徳を報ず、理よろしくまづ啓すべし。(中略)このゆゑに仰いで告ぐ」とのたまへり。以上
    しかれば大聖(釈尊)の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知して、「正信念仏偈」を作りていはく』(『教行信証』 註釈版聖典p.202)

    この人生最大の喜びは「恩を知ってその徳に報いたい!」という喜びではないでしょうか。ものを手に入れることが喜びではない、欲望が満たされることが嬉しさじゃない、報いても報いても報いきれないほどの御恩があったことに気づかされる喜び…。

     

    かって漂白の俳人山頭火は「いれものが ない 両手でうける」とあふれるほどの御恩に包まれて天地に生きる自身の姿を絶唱しましたが、お正信偈は親鸞さまの知恩報徳のあふれるほどの絶唱であり讃歌なのです。
    (H15)

     

     

    「信は仏智の大悲にすがり、報謝は行者の厚念に励むべし」

    【名号摂化(名で救う)】

     

    弥陀は一切の衆生に対して、「この弥陀がいるぞ!救いの仏がいるぞ!」と告げなければなりませんでした。そこで弥陀は、「どのようにして衆生に知らせたらよいか」と、衆生が外の世界を知る所をご覧になられました。すると私たちは、六根(感覚器官のこと。眼・耳・鼻・舌・身・意)で外の世界を知っていました。ではその六根に感知される仏として何仏が良いでしょうか。見える仏になるのが良いでしょうか。聞こえる仏になるのが良いでしょうか。においの良い仏、あるいは味の良い仏、はたまた触り仏になるのが良いのでしょうか。

     

    普通に私たちが考えた場合、見える仏が良さそうです。何故なら私たちは「見たがり」なのです。ことわざに「百聞は一見にしかず」とも言います。けれど仏さまは我々の見る能力を全く信用しませんでした

     

    そこで仏さまは聞こえる仏になったのです。「ナモアミダブツ」と称えられる仏になったのです。称えると十センチ隣りの耳に聞こえます。私に称えさせて私を救うのです。

     

    眼に見えるご本尊は何か。あれは“遊び”です。宗教生活という遊びなのです。本当の仏さまではありません。本当の仏とは、称えて聞こえてくる「ナモアミダブツ」です。

     

    ところで、「称える」という行為は私の仕事ですが、その称える私の仕事は「手柄」にはなりません。仏さまが私たちを称えさせる力をもっているのです。称えられる功徳をもっておられるのです。昔の和上さんはこう歌われました。「わが称へ わがきくなれど 南无阿弥陀 われを助くる弥陀の勅命」と。私が称え私が聞くのだけれど、全て仏様の功徳なのです。

     

    【目的は今】

     

    このようにして念仏を称え信心の者となることで、私の仏道は目的を達しました。「我々の宗教の目的は何か」ではなく、今が目的なのです。すでに目的の中だった、これが大切です。すぐ「何のために…」と問う人がいるけれど、それは下の下です。

     

    花見に行く時を考えてみてください。前日は花見の準備に大忙し。当日は良い席を取らなければと、これまた大急ぎで荷物を車に積め、四十キロ制限の道路を六十キロ出したり…。着いたら今度は陣取り合戦。ござを敷いて、ざぶとんを置いて、お酒を準備して…。
    さあいよいよ花見が始まります。そこまできて誰が‘急いで’お酒を呑もうとするでしょうか?道中は急ぎもしたけれど、目的地に着いたら悠然としているのが目的の中というものなのです。

     

    ご開山は、
      しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず。
      すなはち無明の闇を破し、すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵ふなり、知るべし。
      (『教行信証』行巻)
    とおっしゃいます。
    これは目的地の風光です。この娑婆で信心称名の人となったらもう目的を達しているのです。慌てることはないのです。これから先は、私にやどってくださった名号功徳が私の上に逐次あらわれていくのだからそれを歓んでおけばよいのです。

     

    今まさに私の五体の上に、名号功徳による合掌礼拝という姿があらわれ、称名という姿があらわれているのです。やがて息がとまったら西方極楽への往生という事実があらわれ、大般涅槃をさとるという事実があらわれ、還相の菩薩としてはたらく事があらわれます。そのことが「今」決まっているのです。
    (H18)

     


    『大無量寿経 真実の教 浄土真宗 つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。』(『教行信証』 註釈版聖典 pp. 134-135)

    私達は温泉が好きです。あのゆったりとした時間の流れが良いのです。温かい湯舟の中で、目をつむり、じっくり時の流れに身をまかせます。側にいた人とのんびり話をして帰ります。

     

    「折角だからここの温泉の成分と効能を覚えて帰らねば」は余計なこと。「ほほぅ、ここの温泉には○○が入っていて△△に効くのか」。聞いて忘れて帰ります。案じる前にじわりじわりと効果は身にしみこんでいます。

     

    お寺へ来た際、「折角の聴聞だから何か一つ得てやろう」と構える必要はありません。頭ではなく、身体を阿弥陀さまのお話に浸します。
    「……法蔵菩薩は五劫もの間この私一人のために心労され、「南無阿弥陀仏」、聞こえる仏になってくださいました。」
    「……私があれこれ思うはるか前より、如来さまの方が「南無阿弥陀仏」となって、私へ救いのはたらき(他力の回向)を届けていてくださいました。」
    聞いて忘れて帰ります。
    お慈悲のぬくもりに浸り、“法悦”という極上の湯煙を吸っての家路です
    (H19)

     

     

    『大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。ゆゑに大行と名づく。』(教行信証、註釈版聖典p.141)
    【名の声】
    仏さまはこうお誓いです。「われ仏道を成るに至りて、“名声”十方に超えん」(重誓偈)。

     

    「名声(めいせい)=評判」ではありません。「名の声」です。仏さまの名、それは“声”になるのです。

     

    お念仏というのは、私が「南無阿弥陀仏」という言葉(評判)を聞き知って、称えるのではありません。“私”の口から「南無阿弥陀仏」と“声”になりなさるのが仏さまです。もっと詳しく言えば、私に届けられた仏さまの功徳全体が、「南無阿弥陀仏(ナンマンダブ)」という仏の名前として声になるのです。

     

    「南無阿弥陀仏」の本になる仏さまの功徳は、既に全部、私に届いています。その功徳は私には分かりません。だから仏さまの方が、分かるように聞こえるように称えられる声になると、長いのでは大変だから短く「ナマンダブ」という声になると、そうお誓いになったのです。

     

    もう一度言いますが、「ナマンダブ」は“私”の口から出る時、初めて“声”になります。だから私の口から仏さまになる前に「ナマンダブ」が他のどこかに出来ておるのではないのです。仏さまのたくさんの功徳が私に届いてそれが一つになって「ナマンダブ」と出てくるのです。
    (H21)

     

     

    「法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓ふらくは、名声十方に聞えんと。」(『正信偈』 註釈版聖典p.203)

    【師】
    師の教えは絶対です。それが仏教の伝統です。私たちの師は宗祖親鸞聖人です。

     

    親鸞聖人は仰せになりました。「仏願の生起本末を聞く」。“阿弥陀様のお心を聞いた事が大切なんだ”と説かれました。その師の言をひたすら守るのが何より肝心です。

     

    【安心:お念仏の心】
    仏教の筋立ては普通、「教行証」の三法立てです。まず「教え」があり、その教えの通りに「行」じ、そうすると「証(しるし)」、すなわち悟りを得るのです。ところが宗祖は、「教行信証」と四法立てを示されました。何故そんなことをおっしゃったのか?

     

    私たちの「教え」が、「阿弥陀様の話」だからです。「私が〜する」という教えではありません。他人(ひと)の話なのです。「他人が力一杯〜した」ので、「他力」と言います。だから私は何もしてないし、これからもしない。

     

    雨が降って外に出ればどうなるか?濡れます。何もしなくても、濡れます。手を広げたり、傘を逆さにしたりせずとも、濡れます。びしょ濡れになり、水だらけになり、雨と一緒になります。何故か。余所から降ってくる雨だからです。

     

    他力とは、余所から降ってくる仏教。余所から降ってくる南無阿弥陀仏。それに、私が濡れていくのが「信」。雨の中で私が濡れるがごとく、弥陀の他力の雨にびしょ濡れになっていくのが「信」。何もしないのです。

     

    でも傘をさすと濡れません。他力の雨の中、自らの智慧を使うと濡れないのです。「だんだんと降る他力のお助けの雨に、びしょ濡れになれば他力と一緒になる」、というのに、〈自分は賢いと思っている人〉は、浅はかな智慧の傘をさすのです。宗祖は一生涯「自分の智慧を使うのが一番いけない」と言い続けられたのです。

     

    他力とは濡れること、それがそのまま信ずるということです。

     

    【ご恩報謝】
    真宗では「(私が)信じた」とは申しません。何故なら他力にならない。少しぶんどったことになります。純粋他力は、何もしないのです。

     

    では読経や御仏飯という行為は何か?あれは“後からやる”事です。「何もかもご用意くださった他力の親様に、私も食べずにはおられないご飯をあげましょう、お花をあげましょう、饅頭を……」というのは、他力に濡れた後のご恩報謝です。何をするのも、全て、先手をかけた阿弥陀様の力用(はたらき)に「勿体ないことです」「尊い有り難いことです」というのが私たちの仏教生活です。

     

    ですから真宗の仏教生活には、他宗がやるような難しいことはありません。できる位でやっておけば良いのです。けれど同時にご恩報謝だから、「(私は)やったぞ!」と威張ることはないのですご恩報謝をしながら、ご恩報謝を誇ってはならないというのが、このご法義であります。
    (H22)

     

     

    「「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。」(教行信証「信巻」 註釈版, p.251)

     

    【私の身の上】
    昔、大江和上がこうおっしゃっていた。「仏願(ぶつがん)の生起本末(しようきほんまつ)(阿弥陀様の一切の物語)を聴いては忘れ、聞いては忘れする。その内ふと『仏願の生起本末は、私の身の上と似ているぞ』と思うようになる。これが大切です。仏願の生起本末は私を含んだ事と思える身になったのをご信心という。……まもなくこの世をさらねばならぬ。何の憂いもない。ここは障害のある国だ。今度は、この世の理屈は一切通用しない、明るい智慧の国、悟りの世界に生まれる。何の心配もない」と。

     

    念仏が出る老境の身は仕合わせです。
    (H23)

     

老境の念仏

(和上)「私は今、86か7ですが、毎朝おつとめをしながら楽しいです。若い頃は朝のおつとめが面倒で(笑)。口では言われんですがそうでした。この歳になったら他に用事がないですから。皆さんもあんまり用事がないでしょ?

 

どうかすると若い者が「死ね」と言わんばかりのことを言う。死なれるか!この老境こそ味わい深いものなのだ。うんとうんと人生の味、お念仏の味がわき出てくるものなのだ。

 

これからお互いもっともっと身体に気をつけて、長生きをして、長生きするだけでなくて、その老境の中へ私の声となった「ナマンダブ」の味を楽しんでくれたら良いですね。宗教というものはそういうものです。理屈をいうものではありません……。」

 

長年のご教導まことにありがとうござました。(住職)

 

(おわり)   ※冒頭へ

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