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如来の月

【如月とは】

 

英語では2月を「Feburary」といいます。
「Two month」ではありません。

 

日本も和製月名という特別な月の呼び名があります。
二月は「如月」です。
「あなたの誕生日は?」
「如月の朔日(Feburary first)。」
そんな風に答えたら相手は苦笑するかもしれませんが(苦笑)

 

如月は「きさらぎ」と読みます。
そう読む由来は、一般的に「衣更着(きさらぎ)」のようです。
まだまだ衣服を更に着こむ月。
けれどもそんな寒い月を指すのではなく、
冬が終わり草木が生える月で「生更木(きさらぎ)」、
春に向けて陽気が来たる月なので「気更来(きさらぎ)」、
そんな明るい諸説もあるようです。

 

では何故2月が「如月」なのか。
3千年前の中国の古い字書『爾雅(じが)』に、
「二月為如」(二月を如となす)とあるそうです。
さらに清の時代の『爾雅』注釈書によると、
「如」とは、ここでは「随従(つきしたがう)」の意味だとか。

 

「如者 随従之義。万物相随而出、如如然也」

 

万物が春のはたらきにさそわれて自然と次々に動き出す月、
よって2月を昔から「如月」というのだそうです。

 

【恕の心】

 

ところで如の下に「心」がつくと「恕」になります。
恕は「思いやり」の心。
ある人いわく、
「仁」よりもさらに深い「相手を許す思いやり」の心なのだそうです。

 

相手を許す「恕の心」。
しかし程度によっては相手を許すことは難しい。
一歩間違えば、「可愛さ余って憎さが百倍」、
恕は「怒の心」にかわります。

 

2014年2月20日のウクライナ戦争はまもなく3年になります。
米ロで戦争の終結に向けた協議が始まりました。
相手を憎む「怒」から、相手を許す「恕」へ。
そんな如月になってもらいたいものです。

 

【涅槃会】

 

ところで仏教において如月といえば涅槃会(2月15日)です。
お釈迦さま(釈迦如来)が涅槃に入られた日。
煩悩という執着心を離れた仏さまが最後、
肉体の執着からも解き放たれ、完全な仏さまと成られた日です。

 

願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃(西行)

 

仏教で「如」は真如、一如、如実など、
さとりの境地をあらわします。

 

ではなぜさとりの仏さまを「如来」というのか。

 

tathAは〈そのように〉〈如実に〉の意である。
gataは〈去った〉、Agataは〈来た〉の意。
そこで教理的解釈では、tathA+Agataと見て、
〈(過去の仏と)同じように来た〉〈真実から来た〉と解釈したり、
tathA+gataと見て、
〈同じように同じように行った〉〈真実へ赴いた〉などと解釈している。
(岩波仏教辞典「如来」の項目)

 

「真如の世界へ来(きた)る方、逆に来られた方」、
それが如来さまと呼ぶ意味です。

 

【如より来生】

 

さて親鸞聖人は「涅槃」について、

「涅槃」をば滅度といふ、無為といふ、安楽といふ、常楽といふ、
実相といふ、法身といふ、法性といふ、真如といふ、一如といふ、仏性といふ。
仏性すなはち如来なり。(『唯信鈔文意』、註釈版709頁)

と様々な意味があることを示され、
そして次のような事を説かれます。

「この如来、微塵世界にみちみちたまへり、すなはち一切群生海の心なり。
この心に誓願を信楽するがゆゑに、この信心すなはち仏性なり、仏性すなはち法性なり、法性すなはち法身なり。
法身はいろもなし、かたちもましまさず。
しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。
この一如よりかたちをあらはして、方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまひて、不可思議の大誓願をおこしてあらはれたまふ……
(現代語訳:
この(阿弥陀)如来は、数限りない世界のすみずみにまで満ちわたっておられる。
すなわちすべての命あるものの心なのである。
(念仏者は)この心に(弥陀如来[≒法蔵菩薩]の)誓願を信じるのであるから、
この信心はすなわち仏性であり、仏性はすなわち法性であり、法性はすなわち法身である。
法身は色もなく、形もない。
だから、心にも思うことができないし、言葉にも表すことができない。
この一如の世界から形をあらわして方便法身というおすがたを示し、法蔵菩薩と名乗られて、思いはかることのできない大いなる誓願をおこされ(阿弥陀如来となられ)たのである。)

 

真如の世界は色も形もありません。
ですから仏とは本来、どのようにも表現できません。
それが「如」です。

 

しかし阿弥陀とは「従如来生(如より来生す)」、
つまり真如の世界、真実の世界からあらわれでた存在です。
凡夫を救うための「恕の心」ならぬ慈悲にもよおされて
「光」という色・形、
「名号」という音色・言葉となり、
本願・念仏・信心と、
その智慧のはたらきであらゆる者を導く存在、
それが阿弥陀如来です。

 

2月は「如月」、如の月です。
万物が次々と春の光にもよおされ、春に向かって動き出す月。
衣更着しても良いので、私たちも動き出したいものです。

 

そして涅槃会がある如月です。
お釈迦様の八十年のご苦労を偲びつつ、
残された阿弥陀さまの教え、
如より来生された阿弥陀さまのお徳をいただき、
念仏の道を歩みます。

 

今月も弥陀の光の徳にもおよされ、浄土にむかって動き出すお念仏の日々です。

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

聞法具足の私

【太鼓がなくなる】

 

落語の演目「火焔太鼓」。
商売が下手な古道具屋の甚兵衛さんが古びた太鼓を殿様に売りに行くという滑稽噺です。

 

「きっと殿様は実物をみて『こんな汚い太鼓!』って怒って、お前さんを庭の松の木に縛りつけるよ。」
そう奥さんに脅され、ドキドキしながら屋敷に行った甚兵衛さん。

 

そこで家来の人が、「殿様に見せる前にあらためる」として、
「おーなるほど、最前店で見た時から思うと、たいそう時代がついておるの。」

 

すると甚兵衛さんが少し興奮気味に言います。

 

「ええ、そりゃ時代とくればこの太鼓はぐうとはいわせません。
時代じゃ負けませんよ!
ここが時代でこっちが時代でない、
ここが時代でここが時代でない、なんというような、
そんな生やさしいもんじゃないんですから。
ここも時代ならここも時代、ここもここもここも、みんな時代なんですから!
だからこの太鼓から時代をとると、太鼓がなくなっちゃうんですよ。」
「なんだ。妙なことを申すやつだ。」

 

このやりとり、好きです。
(古今亭志ん朝の「火焔太鼓」より)

 

【煩悩具足】

 

若い時分、布教勉強会で布教実演をした際のことです。

 

えー、私たちは煩悩がそなわった凡夫です。
これを「煩悩具足の凡夫」といいます。

 

具足といえば、鎧具足。
甲冑ですね。

 

想像してください。
具足を身につけて戦う武士。矢などをはじきとばします。
同様に、煩悩も仏さまの正しい見方をはねつけてしまう心のありようです。
これを邪見(じゃけん)といいます。

 

また想像してください。
具足を身につけていばっている武士。
同様に、煩悩も自らをおごりほこって、相手をみくだす心のありようです。
これを驕慢(きょうまん)といいます……。

 

実演後、先輩布教使から種々アドバイスをいただきました。
その中にでO先生が、

 

「さっきの“具足”のたとえ、煩悩を鎧にみたてていたね。
一応確認するけれども、
ならば私たちの煩悩は鎧のように脱ぎ捨てることができるのですか?」
「いえ、違います。」
「その事をお示しの言葉……知ってるよね?」
「……ええと。」

 

O先生はやさしく「煩悩成就」を紹介してくれました。

 

【煩悩成就】

 

釈迦の教法おほけれど
天親菩薩はねんごろに
煩悩成就のわれらには
弥陀の弘誓をすすめしむ
(天親讃)

 

「煩悩成就」という言葉は、
七高祖の一人、曇鸞大師の『論註』(※1)の使用語句です。

 

この言葉を親鸞聖人は『教行信証』に引用され、
さらに様々な書物で使用されました(※2)。

 

私たちは罪悪深重の煩悩が成就された状態。
煩悩が見事に完成した状態です。

 

煩悩じゃ負けません。
ここが煩悩でこっちが煩悩でない、
ここが煩悩でここが煩悩でない、なんというような、
そんな生やさしいもんじゃない。
ここも煩悩ならここも煩悩、ここもここもここも、みんな煩悩です。
だからこの私から煩悩をとると、わたしがなくなる。
それが「煩悩成就の凡夫」です。

 

【功徳成就】

 

そんな私のために、
お釈迦さまも、七高祖の一人、天親菩薩も、
阿弥陀さまのお浄土の世界、阿弥陀さまの誓いをすすめられます。

 

お浄土は「三厳二十九種」という諸々の功徳が成就された世界です。
その功徳の清らかさは、
凡夫が「煩悩を断ぜずしてさとりを得る」(曇鸞大師)というものです。

 

お経には「令諸衆生 功徳成就(もろもろの衆生をして功徳を成就せしむ)」とあります。

 

取り除きようのない煩悩まみれの私でも仏と同じ「功徳成就」なることかなう道、
それが本願成就の他力の教え、お浄土の道です。

 

時代だらけの古びた太鼓。
汚れにまみれたガラクタです。
しかし見た目ではなく、
その音を聞いて殿様は火焔太鼓とさとり、
その太鼓を買い求めたというのが落語「火焔太鼓」という物語です。

 

上から下まで煩悩だらけ、
邪見・驕慢にまみれた私です。
しかしそんな煩悩に目を背けず、
私の声なき声、救われようのない苦悩の声を聞いて、
仏さまは「火宅無常の世界の者こそ私の救いのめあて」と誓い、
この私を摂め取ったというのがお経「無量寿経」という物語です。

 

【聞法具足】

 

煩悩成就の私があゆむ浄土の道。
それは滝にうたれたり座禅をしたりする道ではありません。

 

では何をするか。
今していることです。

 

今何をしているか。
この文章を読んでいるはずです。
すなわち、「法を聞く」、聞法(もんぼう)です。

 

阿弥陀仏の物語を聞き、
「それは分からない」とか「そんな馬鹿な」と思う前に、
だまって聞いてみます。

 

この阿弥陀さまの話、
凡夫にはピッタリの話です。
ちょうど鎧はオーダーメイド、
その武士にピッタリしているように。

 

さとりにはほど遠い私。
煩悩具足の凡夫は一生涯続きますが、
聞法具足の凡夫として生涯、
お念仏相続していきます。

 

(※1)
「凡夫人ありて煩悩成就するもまたかの浄土に生ずることを得れば、
三界の繋業、畢竟じて牽かず。すなはちこれ煩悩を断ぜずして涅槃分を得、
いづくんぞ思議すべきや。」

 

(※2)
・煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相回向の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚の数に入るなり。(証巻)
・煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相の心行を獲ればすなはち大乗正定の聚に住す。(『浄土文類聚鈔』)
・煩悩成就の凡夫人、信心開発すればすなはち忍を獲、生死すなはち涅槃なりと証知す。(前掲書)
・煩悩成就せる凡夫人、煩悩を断ぜずして涅槃を得、すなはちこれ安楽自然の徳なり。(『入出二門偈』)
・煩悩成就のわれらには 弥陀の弘誓をすすめしむ(高僧和讃)
・煩悩成就のわれらが 他力の信とのべたまふ(前掲書)
・煩悩成就の凡夫、仏の心光に照らされまゐらせて信心歓喜す。信心歓喜するゆゑに正定聚の数に住す。(御消息)

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

死んだ後も

【ギョッとした】

 

先日、見知らぬ方からお手紙をもらいました。

 

初めてお便りします。

 

15年ぐらい前に新聞の折り込みチラシに専徳寺様の広告が入っていました。
「ご一緒に親鸞聖人の教えを学びませんか?」という内容だったと思います。
それから何度かご法話を聴くために
そちらのお寺にお参りした事があります。

 

実は、去年の10月に義父を亡くしました。
それから一月経った頃、休んでいますと頭の中に
恩徳讃 おんどくさん」のメロディーが流れるようになりました。

 

本で歌詞を調べて「ギョッ」としました。
「身を粉にしても」とか
「ほねをくだきても」とかありました。
「死んでから後もアミダ様に感謝しなさい。」という意味なのでしょうか?

 

中学生にも解るようにやさしく
「恩徳讃」の意味を教えていただけませんか?

 

法話を聞いた人だからこその質問です。
とても有難いお手紙でした。

 

【自身の喜び】

 

 お手紙ありがとうございました。
 さて「恩徳讃」の歌詞について不審があるとの事、承知いたしました。ご質問は、

 

「身を粉にしても」とか「骨をくだきても」とかありました。「死んでから後もアミダ様に感謝しなさい。」という意味なのでしょうか?

 

 まず恩徳讃について少し述べます。
 恩徳讃は「歌わない法座はない」という程、浄土真宗で最も有名な仏教讃歌です。
 この歌詞は元々、親鸞聖人が作った 和讃 わさん の一首です。
 和讃は当時流行した「七五調の歌」です。およそ7文字と5文字の調子で作る歌で、例えば「春のうららの(7)隅田川(5)♪」(花)、「人生楽ありゃ(8)苦もあるさ(5)♪」(水戸黄門)、また「あおいお空の(7)そこふかく(5)」(星とたんぽぽ)といった金子みすゞの詩も七五調です。
 親鸞聖人は和讃をたくさん製作されました。お経の難しい教えを日本語の歌にすることで、すこしでも身近にしてもらおうという意図があったのかもしれません。
 けれどもそんな中、聖人ご自身の思い、お救いにであえた喜びを純粋にうたった和讃が、「恩徳讃」の歌詞です。

如来大悲の恩徳は♪(にょらいだいひのおんどくは)
身を粉にしても報ずべし♪(みをこにしてもほうずべし)
師主知識の恩徳も♪(ししゅちしきのおんどくも)
ほねをくだきても謝すべし♪(ほねをくだきてもしゃすべし)

「自身の喜びを表現した歌」、ここがポイントです。他人を教え導く内容ではありません。
 そんな親鸞聖人の心をくみとり、私たち各々が自身の喜びの表現として歌うためにできたのが仏教讃歌「恩徳讃」です。

 

 ではご質問にお答えします。
 「身を粉にしても」「骨をくだきても」とは非常に極端な言い方ですが、それは「阿弥陀さまのお救いにあずかった者はみな〈ハンバーグ〉になる」という話ではありません。「死ぬ気で」とか「死ぬまで」、ましてや「死んだ後も」という意味でもありません。
 たとえば、私の妻はよく美味しいものを食べたとき「もう死んでも良い!」と言います。本当に死んでも良いわけではありません。でも嘘ではないのです。この美味しさ、それを食べた自分の感激を最高に表現したいがために、このような言い方になるのです。
 ちなみに私の場合、大いに感動した時の口癖は「他になにもいらない!」ですが、本当に「他になにもいらない」のかとかれると、つらいものがあります。

 

 次に「報ずべし」「謝すべし」とは、詰まる所「お礼(感謝)をせずにはおれません」という意味です。このお礼(感謝)ですが、いろいろあっても、やはり「お念仏」が中心です。「南无阿弥陀仏なもあみだぶつ」と口にする行為をはずして「お礼」はありません。
 「報ずべし」「謝すべし」の「〜べし」は「(他人からの)命令」の意味ではありません。自分の気持ち・意志です。先ほど大切なポイントと言いましたが、この和讃は「自身の喜びを表現した歌」です。親鸞聖人が親鸞聖人に、私が私自身に言い聞かせる歌です。「自分は〜しないといけない」、もっといえば「〜せずにはおれない」というのが本当です。

如来大悲の恩徳は(阿弥陀さまのお救いは)
身を粉にしても報ずべし(これ以上ない喜びです)
師主知識の恩徳も(お釈迦さまや多くの有縁うえんの方々にも)
ほねをくだきても謝すべし(お礼を申さずにはおれません。)

 「師主」は仏教徒全員の師匠であり、教主きょうしゅであるお釈迦さまです。
 「知識」は善知識(ぜんちしき・ぜんじしき)といって、私をみ教えに導いてくださったご縁の方々の事。もし葬儀がご縁でみ教えにであえたなら、その亡き方も私にとって善知識といえるでしょう。

 

 くり返すようですが、恩徳讃は亡くなった方にかける声かけではありません。私自身が私を決して一人にはしない「如来大悲の恩徳」という救いにであった喜びの表明です。
 朝、目が開いた時、智慧の眼のひらかれた仏さまと一緒です。
 一人痛む身体をさする時、共に心を痛めてくださる方が一緒です。
 自分の人生をふりかえり、なげき、涙する時、共に涙をこぼしてくださる方、「そのあなたの人生を絶望へと落とさないために私は仏になる」と誓われた方と一緒です。

 「死んでから後も感謝せよ」と受けとめるのではなく、「この煩悩まみれの凡夫の私は、今、死んでから後、たとえ百年後、千年後もかわらず感謝せずにはおれない程の大きなご恩をいただきました。お念仏もうさずにはおれませんでした。」そんな味わいが歌って楽しい恩徳讃です。

 

……ではいつでも阿弥陀さまに感謝しお念仏しているか。そんな事はありえません。煩悩まみれの私は、身体が痛い時、疲れた時、争っている時、感謝の思いなんて吹っ飛んでいます。でもそんな煩悩まみれの私と見抜いたのが阿弥陀さまであり、故の「お念仏の救い」「無条件の救い」です。ハッと我にかえった時、いよいよ頭が下がり、お念仏もうすことです。

 

 仏教、特に浄土真宗の「他力の教え」は誤解されがちです。原因はいろいろでしょうが、その一つに、人は良くも悪くも亡くなった方の事が気になって、み教えを「私ごと(私のためにある教え)」「今この瞬間の問題」とは受け止めにくいようです。
 どんな人も最初は、「お経といったって、教えといったって、仏壇だって、亡くなった人のためにあるのだ」という先入観・思い込みがあります(私の子ども達もそうです)。その思い込みがあるかぎり、どれだけ法話を聴聞ちょうもんしても浄土真宗の味わいは分かりません。けれどもその思い込みが打ち砕かれるのもやっぱり「お聴聞ちょうもん」です。
 故人をないがしろにしているわけではありません。お聴聞を通して私自身が「如来大悲の恩徳」にであう事こそが、結局、故人にとって何よりの喜びとなるのです。そのように私自身も「お聴聞」で教わっています。
 またいつでもご質問お待ちしております。
合掌

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

おみのりに みみをすます

【谷川俊太郎】

 

弘誓 ぐぜい のちからをかぶらずは
 いづれのときにか娑婆をいでん
 仏恩ふかくおもひつつ
 つねに弥陀を念ずべし

 

(阿弥陀仏の本願のはたらきを受けなければ、はたしていつ娑婆世界[現実世界]を出ることができるであろう。
仏のご恩を深く思い、常に阿弥陀仏の名号を称えるがよい。)

 

娑婆 永劫 ようごう の苦をすてて
 浄土 無為 むい を期すること
 本師釈迦のちからなり
  長時 じょうじ 慈恩 じおん を報ずべし
(『高僧和讃』善導讃より)

 

(娑婆世界での果てしなく長い間の苦を捨て、浄土でさとりを得ると期することができるのは、釈尊のお力によるのである。
いつもその大いなる慈悲の恩に報いるがよい。)

 

今年も少しずつ法話を掲載させていただきます。

 

【谷川俊太郎】

 

昨年11月13日、谷川俊太郎さんが亡くなられました。

 

日本を代表する、国民的詩人・谷川俊太郎。
在学中の衝撃的な処女詩集『二十億光年の孤独』。
それから70年間、世に出した詩集・詩選集は80冊以上、
書いた作品は2000ほどあるそうです。
「朝のリレー」等、多くの詩が教科書に掲載され、
混声合唱曲「クレーの絵本」(三善晃作曲)等、数多くの作詞があります。

 

子ども向けの作品も多く、
詩『すき』や、絵本『もこもこもこ』『これはのみのぴこ』など、
「子どもたちのことばを深く豊かに掘り起こす仕事」をされました。

 

  かっぱ

 

かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった
とってちってた

 

かっぱなっぱかった
かっぱなっぱいっぱかった
かってきってくった

楽しいことばあそびの詩もたくさんあります。

 

スヌーピーの出る漫画『ピーナッツ』を翻訳し続けたのも谷川さん。
子どもの頃読んだ『マザー・グースのうた』や『スイミー』も谷川俊太郎訳でした。

 

【除夜会】

 

そんな谷川俊太郎さんの49日が今年の大晦日でした。
そこで除夜会の本堂で谷川俊太郎さんの動画を流しました。

 

今から26年前、平成10年6月25日、
専徳寺「夢殿座」でのコンサート「音楽と詩の朗読の夕べ 〜みみをすます〜」の映像です。
出演は谷川俊太郎さんと息子賢作さんの音楽グループ「DIVA」。
組内のS寺K先生さんが記録くださいました。

 

コンサートは谷川さんが詩の朗読を、
そしてDIVAが谷川さんの詩に曲をつけて演奏。

 

谷川さんは、冒頭に「そのひとがうたうとき」、
次に「ほっとけ」「いのち」(ことばあそびうた)といった楽しい詩を、
さらに「地球へのピクニック」「地球の客」、「詩を贈ろうとすることは」。
そして最後は壮大な詩「みみをすます」のおよそ5分間の朗読でした。

 

みみをすます
きのうの
あまだれに
みみをすます

 

みみをすます
いつから
つづいてきたともしれぬ
あしおとに
みみをすます
めをつむり
みみをすます

 

ハイヒールのこつこつ
ながぐつのどたどた
ぽっくりのぽくぽく
みみをすます
ほうばのからんころん
あみあげのざっくざっく
ぞうりのぺたぺた
みみをすます
……(続きはこちら

 

今思えば夢のような時間でした。

 

「ことばのある所ならどこにでも俊太郎さんがいる」(友人・高橋源一郎)

 

朗読の名手であり詩のボクシング世界ライト級王座2代目チャンピオン。
鉄腕アトムの主題歌の作詞家。
……切りがありません。
「ことば」と共に歩み、
「ことば」のそばにはいつもおられる、
そんな方でした。

 

【みみをすます】

 

コンサートの始まる前の挨拶で、
前住職は「みみをすますは、まるで大和言葉で書かれたお経です」と説明しました。

 

その理由はまず、お経の冒頭です。
お経は必ずといっていいほど「如是我聞(かくのごとくわれ聞く)」で始まります。
そして、そこから「八万四千の法門」といわれるように、
膨大なお釈迦さまの教えが説かれます。
私たちは自分勝手なはからいをすて、みみをすませるのです。

 

そんなお経の中に、
親鸞聖人がよりどころとされた根本経典『仏説無量寿経』があります。

 

人々の足音、地球の歴史の音、
自分の過去の音、様々な出来事、
楽しい音、悲しい音、辛い声、喜びの声、
ざわめきのそこの今の声、
未来の小川のせせらぎの声。
そんな一つ一つの音に、
等しく仏の喚び声がゆきわたっていると味わわれた親鸞聖人です。

 

道ばたの石ころから宇宙のとどろきまで、
私のいのちに関わる音や声に耳をすませながら、
そこにしみこんだ如来の願い、救いの声にみみをすませます。
「それがお経、お釈迦様がこの世にあらわれた目的でした」と、
親鸞聖人はお正信偈に説かれます。

 

そして私たちは何をするのか。
お聴聞です。
一切善悪凡夫人 いっさいぜんまくぼんぶにん   聞信如来弘誓願 もんしんにょらいぐぜいがん 」(正信偈)、
仏さまの声にみみをすませるばかりです。

 

 

新年が始まりました。

 

今年も一年間、
無常の人生を思いつつ、
聞法の人生を重ねつつ、
弥陀の名号を称えつつ。
一歩ずつお浄土の道を進んでいきます。
谷川俊太郎さんのような、
「ことば」のそばにいつもおられる仏さまと
ふれあっていきたいと思います。

 

※「みみをすます」は4年前の「住職だより」でも紹介させてもらいました。
※ コンサートの様子の一部の動画です。

 

(おわり) ※冒頭へ

 

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