目次:
- 12月下旬
- 12月上旬
- 11月下旬
- 11月上旬
- 10月下旬
- 10月上旬
- 9月下旬
- 9月上旬
- 8月下旬
- 8月上旬
- 7月下旬
- 7月上旬
- 6月下旬
- 6月上旬
- 5月下旬
- 5月上旬
- 4月下旬
- 4月上旬
- 3月下旬
- 3月上旬「聞こえざるなし」
- 2月下旬「如来の月」
- 2月上旬「聞法具足の私」
- 1月下旬「死んだ後も」
- 1月上旬「おみのりに みみをすます」
蛇足のない教え
【蛇足】
今年はへび年です。
そして親鸞聖人もへび年生まれです。
へび年といえば思い出すのが「蛇足」というお話です。
「ある人が家来たちに、大杯に盛った酒をふるまった。
すると家来たちは、数人で飲んだら足りないが、一人で飲んだらありあまる。
ひとつ、地面に蛇の画をかいて、先にできたものが飲むとしよう、ということになり、
一人がまず画きおわり、酒を飲もうとして左手に杯をもち、
なお余裕をみせて、足だって画き足せるぞとばかり、足を画き添えた。
そのうちにもう一人が蛇を画きあげ、その杯を奪いとると、
もともと蛇には足はない、足を画き添えたら蛇ではない、
といって、その酒を飲んでしまったということです。」
(飯塚朗『中国故事』より(角川選書71)より)
このお話から「蛇足」とは「付け加える必要のないもの。無用な長物」という意味で、
たとえば会話の中で、「蛇足ですが……」と使われます。
「無用な長物」なら言わなければ良いのですが。
【自力の足】
浄土真宗は「南無阿弥陀仏」のお念仏一つのみ教えです。
言いかえると他力の教えです。
他に何もいりません。
ところがその教えに妙な「足」をつけたがるのが私たちです。
自力の足です。
具体的にいえば、念仏を称えながら
「(自分は)功徳を積むぞ」と行動したり、
「(自分は)功徳を積んだ」と喜んだり。
「一日一善」を否定するつもりはありません。
しかしそれとお念仏を混淆してはなりません。
【聞いてない】
その原因は結局、最初の「聴聞」にあります。
「南無阿弥陀仏」の教えを聞いているようで、
実は聞こえているだけで、聞いてないのです。
(布教使)「法蔵菩薩が世自在王仏という仏にであいました。」
「はいはい、法蔵菩薩ですね。」
(布教使)「そこであらゆる仏の国をみせてもらいました。」
「はいはい、みせてもらいましたか。」
(布教使)「この上ない願いをたてるために五劫という長い間思案されました。」
「はいはい、考えたのですか。」
(布教使)「そしてどのような者ももらさず救うご本願を建てられました。」
「はいはい、願いを建てたんですね。」
(布教使)「本願を成就するために果てしない功徳をつまれました。」
「はいはい、何かされたんですね。」
(布教使)「南無阿弥陀仏の名の仏となってどのような者も摂め救い、西方浄土に生まれさせる光の仏さまです。」
「はいはい、どんな者も救う仏さまなんですね。」
(布教使)「……聞いてます?」
「はいはい、聞いてますよ。」
たぶん聞いてません。
「阿弥陀さまといったって、浄土といったって、結局自力が大事なんでしょ」といった先入観か、
もしくは、
「阿弥陀さまといったって、浄土といったって、結局他力で死んだ後の話でしょ。
今の事は自分でしないと……」といった早合点です。
そういった自分勝手な思いが聴聞している耳をふさぎ、
その結果、「自力の足」、生活の中でお念仏に余計なものを補足させてしまうのです。
「お念仏一つ」とは、到底満足できません。
【スポット破り】
「その昔、自分たちの住む近所に公園ができました。
ところがしばらくするとそこで骨折や首つりといった事件・事故が多発。
それで占い師にたずねると、そこは“千人坂”といって、
かつて合戦で多くの人がなくなり、その人たちを葬った場所だったんです。」
法事の後、そんな話を熱心にされる方がおられました。
たぶん、何かの不幸がおきた時、迷わずお祈りやお札を購入される事でしょう。
その人を笑う事はできません。
私もかつて学生の頃、朝のテレビ番組の星占いを意識した時もありました。
私たち人間は「おやとかお(親と顔)」の話が好きです。
- お……美味しい話
- や……役に立つ話
- と……得な話
- か……勝つ話
- お……面白い話
それに加えて、
「パワースポット」といった話が好きです。
それは逆にいえば「心霊スポット」といった、
幽霊のたぐいを無視できない環境を自らつくっています。
「おやとかおの話」に比べて、仏教の話が苦手な私たち。
それは「本当の話・真実の話」だからです。
ですがこの話にであって初めて虚仮なるもの、
パワースポットや心霊スポットといった、
俗信・迷信の類いを打ち破ることができます。
占いや祈祷、心霊スポットといった話を聞かせてもらうたびに、
浄土真宗の有り難さを味わうことです。
すべて蛇足、無用な長話です。
俗信迷信に惑わされない教え、
お札祈祷に用事のないお念仏です。
(おわり) ※冒頭へ
真宗の誇り
【効き目】
2年前、S家のご法事にて。
勤行の後、一緒にお茶を飲みながら「どちらからこられましたか?」
とたずねると、
娘家族4人は関東から丸一日かけて車で来たとの事。
「すごいですね」と感心していると、
親戚の人が負けじと言いました。
「私も数年前、一晩で三重県までいったことがある。」
その年は娘の大学受験だったのだそうです。
仕事から戻り、思いたって伊勢神宮まで車を走らせました。
「1人で車を6時間くらいとばして、明け方に三重について、
そこでお守りを買って、また戻ってきました。
くたびれましたよ。」
「大変でしたね……ちょっと、おたずねしていいですか?
大学受験のお守りといえば、よく菅原道真ゆかりの太宰府ってききますが、
なぜそちらへ行かなかったのですか?
あそこなら半分の時間なのに。」
するとその方、「あっちは効き目がない。」
娘の大学受験以前、
上の兄弟の何かの試験の時、
太宰府でお守りを買いましたが落ちたのでした。
その後、どなたかの資格試験の話になり、
「○○の神社がよい」
「あそこの△△も祈っていたら大丈夫」
「帰りに立ち寄ろう」
散々神頼みの話でもりあがっていました。
【かなしきかな】
親鸞聖人には「悲嘆述懐和讃」という、
16首の「かなしみなげいて」と詠った和讃、七五調の歌があります。
その一首に、
かなしきかなや道俗の 良時・吉日えらばしめ
天神・地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす
(現代語訳)「何と悲しいことであろう。
出家のものも在家のものも、
日の良し悪しを選び、
天地の神々を崇めながら、
占いや祈とうを日々のつとめとしている。」
法事をしたり葬儀をしたり、
仏教に帰依し、その教えを信じるものとしてのふるまいをしながら、
実際には、それ以外の教えを信じている人がいる、
そう嘆かれています。
せっかく法事で阿弥陀様の話を聞くご縁があっても、
実際には聞いておらず、
占いに耳を傾け、祈とうに走り回る人。
念仏することもなく、
「今日は運が良い日」「今日はついてない日」と、
朝刊のテレビ欄の下にある星占いに一喜一憂する方。
「あそこの神はご利益がある」「あそこは効かなかった」と、
自らの願望という名の欲望の目で神社・仏閣を眺める人。
昔も今も変わらないようです。
【丙午】
今年の干支は「へび年」で「乙巳(きのとみ)」です。
そして来年は「午年」、「丙午(ひのえうま)」です。
「丙午」には女性に関する迷信があります。
丙午の女性は「気性が激しい」という迷信です。
そんな迷信が原因で、
60年前、120年前の丙午の出生率はとても低いものだったようです。
古来「西暦」をもたない日本人にとって、
十干十二支は暦の計算をする上で大変役に立ちました。
すなわち干支がわかれば、
60年前までなら「あれは○○年前の事」とすぐに分かるからです。
干支の文化を継承する事は悪いことではないと思います。
けれどもそこに「木・火・土・金・水」の性質、
12種類の動物のイメージが強くなり、
そこから生まれつきの人間の性格・人生を決めつける迷信、
それによる悲しい事件といった負の歴史は問題です。
なお120年前、1846年のひのえうまの年、
広島や富山、石川などは出生数が下がっていないというデータがあるそうです。
北陸門徒や安芸門徒という浄土真宗が盛んな地域です。
「浄土真宗は他の宗派よりも子殺しや堕胎を強く戒めていました。
浄土真宗の信仰があつい地域とそうでない所で、
ひのえうま生まれの男女比に違いがあることは研究で突き止めました。」
(大阪大大学院准教授 石瀬寛和
「迷信気にかけぬ空気が大切」(中国新聞3月12日)より)
殺生は仏教にとって最もつつしむ行為です。
けれども迷信の力はそれを超える恐ろしさがあります。
迷信に惑わされない気質が浄土真宗にはあることを、
歴史が物語っています。
(60年前はそれほど他の地域と差はでなかったようですが……)
【誇り】
アイヌ人にはアイヌ語やアイヌ文化といったアイヌの誇りがあります。
浄土真宗の誇りは何か。
「浄土真宗の教章(私の歩む道)」の「生活」という箇所には、
[生活]
親鸞聖人の教えにみちびかれ、阿弥陀如来のみ心を聞き、
念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、
慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などにたよることなく、ご恩報謝の生活を送る。
祈祷にたよらないのは浄土真宗の誇りです。
もっと現代の人に、そしてご門徒に、
浄土真宗のことを知ってもらいたいと思います。
神頼みに用事なき浄土真宗。
神頼みの話よりお寺参りの話でもりあがる浄土真宗のご門徒です。
(おわり) ※冒頭へ
聞こえざるなし
【記念誌】
Hさんとお会いしたのは今から14年前になります。
仏教・僧侶の基礎を一年間集中して学ぶ広島仏教学院に入学したHさん。
私も講師として初めて学院にやってきました。
その後、Hさんは東に西に、様々な場所に聴聞・勉強に足を運ばれます。
さらに得度をし僧侶にもなられます。
専徳寺によくお参りくださるようになりました。
今年一月の報恩講の時でした。
法座が始まるずいぶん前にこられたHさんご夫婦。
「実はご相談で……」と。
一冊の本をくださいました。
本のタイトルは、
『莫不聞焉(聞こえざるなし)』
戦後八十年の今年、
Hさんのご両親がそろって年忌(25回忌と33回忌)をむかえるのでした。
そこで考えられた末、
「お念仏聴聞のご縁を一人でも多くの方々に相続していただきたい」と、
大阪の行信教校の星野親行先生にお願いし、
法話集の記念誌を製作されたのでした。
星野先生もHさんご夫婦の願いに大変感銘を受け、
お忙しい中、
行信教校の雑誌『一味』や先生の寺報、
そしてみずから書きためていた恩師の珠玉の法語を、
『聞こえざるなし』に掲載されたのでした。
「この本をどうぞ縁ある方にあげてください。」
大変嬉しいご相談でした。
『聞こえざるなし』ご希望の方、
どうぞご連絡ください。
住所さえ教えてくだされば、郵送費も何もいりません。
お届けいたします。
【お念仏させてもらわな】
そんな法話集『聞こえざるなし』の一部をご紹介させてもらいます。
お念仏させてもらわな
「なぁ、みっちゃん、お母さんの作ってくれたお料理はおいしいなぁ。」
「うん、お母さんの作ってくれたお料理はおいしいなぁ、のりくん。」
夕食を呼ばれていまして、時々、ほんとうに時々ですが、上の二人の子供が、こんな事を言いながらごはんをよばれていることがあります。
そんなとき、母親は照れたような顔をしながらもやっぱりよろこんでニコニコしています。
自分が子供のためを思って作った料理を子供が喜んで食べてくれるというのは、
それはうれしいことだろうなと思います。
これはね、親の欲目と言えばそれまでですが、私は、母親の料理を作ったときの気持ちが料理を通して、
子供たちに届いておることであると思います。
言葉をかえますと、子供が母親の作ってくれた料理を食べることによって、
その料理を通して母親の気持ちを受けとっておるのではないかと思うのであります。
母親が、子供のためにと思って作った料理には、
その母親の気持ちがこもっておるのであります。
先にも申しましたように、子供たちはいつもいつも「おいしいなぁ」言うて食べている訳ではありません。
しかし、親の方からはいつも出来るだけの気持ちをこめて食事の準備をしておるのでしょう。
今、私たちが申すお念仏がその通りであると言えます。
「なもあみだぶつ」あるいは「なんまんだぶ」または「なんまんだ」とわれわれがご相続させていただく「お念仏」は、
阿弥陀様が「必ず私の浄土へ生まれて帰ってきてくれよ、そして、お願いだからお念仏申しながら日暮らししてくれよ。」という
阿弥陀様の願いの心がすべてこもったものであります。
子供が、母親の作ってくれた料理の味を通して母親の心を味わうように、
私は自ら申す「お念仏」を通して阿弥陀様の「必ず浄土へ帰ってこいよ、お念仏してくれよ」という願いをお聞かせいただくのであります。
食事といいますと、昨年の報恩講様で、利井明弘先生が、
「信というのは聞き受けることでね、そのことを善導大師は餐受(さんじゅ)とおっしゃっています。
これは食事、食べることです。
この言い方が有り難いんです。
なんやいうたらね、
食べる言うことはね、食べるだけでええねん。
覚えんでもええ言うことです。
皆さん十日前に食べたもん覚えてる?
覚えてないでしょ。
これ、ちゃぁんと覚えとかんと栄養にならん言われたらえらいことやでぇほんまに。
それからね、もう一つはためとかんでもええねん。
十日間トイレ行ってへん人おる?
おったらえらいことやでぇ、病気や。
信と言うのはねえ、覚えんでもええ、溜めんでもええんです。
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」というお念仏の中にね、
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」というお念仏のその時、
その時に「あぁ、間違いないねんなぁ、阿弥陀様一緒に居ってくださっとるんやなぁ」と聞き味わっていくんです。
これが信です。
ほんでねぇ、ここで一番大事なんは、
十日間ごはん食べてない人ないでしょう。
十日間食べへんかったらいのちないよ。
お念仏もこれと同じです。
お念仏ご相続させてもらわな。
僕はね、「十日間お念仏しなかったら心が死ぬと思え」と言うています。
心が死んだらどないなるかいうたらね、
「損や、得や、あいつが悪い、私が正しい」いうて言い出すんです。
お念仏御相続してね、
「ああ、阿弥陀様が見とってくださってるんやなぁ、
自分勝手なこと言うたらいかんねんなぁ」と、
お念仏の中に阿弥陀様のお心を聞かせていただくんです。
おねんぶつご相続させてもらわな。」
とおっしゃっておられたことを思い出します。
不思議にも阿弥陀様の御縁に遇い、「南无阿弥陀仏」というお念仏のおいわれをお聞かせいただく御縁に恵まれました私たち、
改めて、阿弥陀様の親心を味わわせていただきつつ、お念仏ご相続させていただきたいものであると思います。
(『聞こえざるなし』77~81頁より)
(おわり) ※冒頭へ
如来の月
【如月とは】
英語では2月を「Feburary」といいます。
「Two month」ではありません。
日本も和製月名という特別な月の呼び名があります。
二月は「如月」です。
「あなたの誕生日は?」
「如月の朔日(Feburary first)。」
そんな風に答えたら相手は苦笑するかもしれませんが(苦笑)
如月は「きさらぎ」と読みます。
そう読む由来は、一般的に「衣更着(きさらぎ)」のようです。
まだまだ衣服を更に着こむ月。
けれどもそんな寒い月を指すのではなく、
冬が終わり草木が生える月で「生更木(きさらぎ)」、
春に向けて陽気が来たる月なので「気更来(きさらぎ)」、
そんな明るい諸説もあるようです。
では何故2月が「如月」なのか。
3千年前の中国の古い字書『爾雅(じが)』に、
「二月為如」(二月を如となす)とあるそうです。
さらに清の時代の『爾雅』注釈書によると、
「如」とは、ここでは「随従(つきしたがう)」の意味だとか。
「如者 随従之義。万物相随而出、如如然也」
万物が春のはたらきにさそわれて自然と次々に動き出す月、
よって2月を昔から「如月」というのだそうです。
【恕の心】
ところで如の下に「心」がつくと「恕」になります。
恕は「思いやり」の心。
ある人いわく、
「仁」よりもさらに深い「相手を許す思いやり」の心なのだそうです。
相手を許す「恕の心」。
しかし程度によっては相手を許すことは難しい。
一歩間違えば、「可愛さ余って憎さが百倍」、
恕は「怒の心」にかわります。
2014年2月20日のウクライナ戦争はまもなく3年になります。
米ロで戦争の終結に向けた協議が始まりました。
相手を憎む「怒」から、相手を許す「恕」へ。
そんな如月になってもらいたいものです。
【涅槃会】
ところで仏教において如月といえば涅槃会(2月15日)です。
お釈迦さま(釈迦如来)が涅槃に入られた日。
煩悩という執着心を離れた仏さまが最後、
肉体の執着からも解き放たれ、完全な仏さまと成られた日です。
願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃(西行)
仏教で「如」は真如、一如、如実など、
さとりの境地をあらわします。
ではなぜさとりの仏さまを「如来」というのか。
tathAは〈そのように〉〈如実に〉の意である。
gataは〈去った〉、Agataは〈来た〉の意。
そこで教理的解釈では、tathA+Agataと見て、
〈(過去の仏と)同じように来た〉〈真実から来た〉と解釈したり、
tathA+gataと見て、
〈同じように同じように行った〉〈真実へ赴いた〉などと解釈している。
(岩波仏教辞典「如来」の項目)
「真如の世界へ来(きた)る方、逆に来られた方」、
それが如来さまと呼ぶ意味です。
【如より来生】
さて親鸞聖人は「涅槃」について、
「涅槃」をば滅度といふ、無為といふ、安楽といふ、常楽といふ、
実相といふ、法身といふ、法性といふ、真如といふ、一如といふ、仏性といふ。
仏性すなはち如来なり。(『唯信鈔文意』、註釈版709頁)
と様々な意味があることを示され、
そして次のような事を説かれます。
「この如来、微塵世界にみちみちたまへり、すなはち一切群生海の心なり。
この心に誓願を信楽するがゆゑに、この信心すなはち仏性なり、仏性すなはち法性なり、法性すなはち法身なり。
法身はいろもなし、かたちもましまさず。
しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。
この一如よりかたちをあらはして、方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまひて、不可思議の大誓願をおこしてあらはれたまふ……
(現代語訳:
この(阿弥陀)如来は、数限りない世界のすみずみにまで満ちわたっておられる。
すなわちすべての命あるものの心なのである。
(念仏者は)この心に(弥陀如来[≒法蔵菩薩]の)誓願を信じるのであるから、
この信心はすなわち仏性であり、仏性はすなわち法性であり、法性はすなわち法身である。
法身は色もなく、形もない。
だから、心にも思うことができないし、言葉にも表すことができない。
この一如の世界から形をあらわして方便法身というおすがたを示し、法蔵菩薩と名乗られて、思いはかることのできない大いなる誓願をおこされ(阿弥陀如来となられ)たのである。)
真如の世界は色も形もありません。
ですから仏とは本来、どのようにも表現できません。
それが「如」です。
しかし阿弥陀とは「従如来生(如より来生す)」、
つまり真如の世界、真実の世界からあらわれでた存在です。
凡夫を救うための「恕の心」ならぬ慈悲にもよおされて
「光」という色・形、
「名号」という音色・言葉となり、
本願・念仏・信心と、
その智慧のはたらきであらゆる者を導く存在、
それが阿弥陀如来です。
2月は「如月」、如の月です。
万物が次々と春の光にもよおされ、春に向かって動き出す月。
衣更着しても良いので、私たちも動き出したいものです。
そして涅槃会がある如月です。
お釈迦様の八十年のご苦労を偲びつつ、
残された阿弥陀さまの教え、
如より来生された阿弥陀さまのお徳をいただき、
念仏の道を歩みます。
今月も弥陀の光の徳にもおよされ、浄土にむかって動き出すお念仏の日々です。
(おわり) ※冒頭へ
聞法具足の私
【太鼓がなくなる】
落語の演目「火焔太鼓」。
商売が下手な古道具屋の甚兵衛さんが古びた太鼓を殿様に売りに行くという滑稽噺です。
「きっと殿様は実物をみて『こんな汚い太鼓!』って怒って、お前さんを庭の松の木に縛りつけるよ。」
そう奥さんに脅され、ドキドキしながら屋敷に行った甚兵衛さん。
そこで家来の人が、「殿様に見せる前にあらためる」として、
「おーなるほど、最前店で見た時から思うと、たいそう時代がついておるの。」
すると甚兵衛さんが少し興奮気味に言います。
「ええ、そりゃ時代とくればこの太鼓はぐうとはいわせません。
時代じゃ負けませんよ!
ここが時代でこっちが時代でない、
ここが時代でここが時代でない、なんというような、
そんな生やさしいもんじゃないんですから。
ここも時代ならここも時代、ここもここもここも、みんな時代なんですから!
だからこの太鼓から時代をとると、太鼓がなくなっちゃうんですよ。」
「なんだ。妙なことを申すやつだ。」
このやりとり、好きです。
(古今亭志ん朝の「火焔太鼓」より)
【煩悩具足】
若い時分、布教勉強会で布教実演をした際のことです。
えー、私たちは煩悩がそなわった凡夫です。
これを「煩悩具足の凡夫」といいます。
具足といえば、鎧具足。
甲冑ですね。
想像してください。
具足を身につけて戦う武士。矢などをはじきとばします。
同様に、煩悩も仏さまの正しい見方をはねつけてしまう心のありようです。
これを邪見(じゃけん)といいます。
また想像してください。
具足を身につけていばっている武士。
同様に、煩悩も自らをおごりほこって、相手をみくだす心のありようです。
これを驕慢(きょうまん)といいます……。
実演後、先輩布教使から種々アドバイスをいただきました。
その中にでO先生が、
「さっきの“具足”のたとえ、煩悩を鎧にみたてていたね。
一応確認するけれども、
ならば私たちの煩悩は鎧のように脱ぎ捨てることができるのですか?」
「いえ、違います。」
「その事をお示しの言葉……知ってるよね?」
「……ええと。」
O先生はやさしく「煩悩成就」を紹介してくれました。
【煩悩成就】
釈迦の教法おほけれど
天親菩薩はねんごろに
煩悩成就のわれらには
弥陀の弘誓をすすめしむ
(天親讃)
「煩悩成就」という言葉は、
七高祖の一人、曇鸞大師の『論註』(※1)の使用語句です。
この言葉を親鸞聖人は『教行信証』に引用され、
さらに様々な書物で使用されました(※2)。
私たちは罪悪深重の煩悩が成就された状態。
煩悩が見事に完成した状態です。
煩悩じゃ負けません。
ここが煩悩でこっちが煩悩でない、
ここが煩悩でここが煩悩でない、なんというような、
そんな生やさしいもんじゃない。
ここも煩悩ならここも煩悩、ここもここもここも、みんな煩悩です。
だからこの私から煩悩をとると、わたしがなくなる。
それが「煩悩成就の凡夫」です。
【功徳成就】
そんな私のために、
お釈迦さまも、七高祖の一人、天親菩薩も、
阿弥陀さまのお浄土の世界、阿弥陀さまの誓いをすすめられます。
お浄土は「三厳二十九種」という諸々の功徳が成就された世界です。
その功徳の清らかさは、
凡夫が「煩悩を断ぜずしてさとりを得る」(曇鸞大師)というものです。
お経には「令諸衆生 功徳成就(もろもろの衆生をして功徳を成就せしむ)」とあります。
取り除きようのない煩悩まみれの私でも仏と同じ「功徳成就」なることかなう道、
それが本願成就の他力の教え、お浄土の道です。
時代だらけの古びた太鼓。
汚れにまみれたガラクタです。
しかし見た目ではなく、
その音を聞いて殿様は火焔太鼓とさとり、
その太鼓を買い求めたというのが落語「火焔太鼓」という物語です。
上から下まで煩悩だらけ、
邪見・驕慢にまみれた私です。
しかしそんな煩悩に目を背けず、
私の声なき声、救われようのない苦悩の声を聞いて、
仏さまは「火宅無常の世界の者こそ私の救いのめあて」と誓い、
この私を摂め取ったというのがお経「無量寿経」という物語です。
【聞法具足】
煩悩成就の私があゆむ浄土の道。
それは滝にうたれたり座禅をしたりする道ではありません。
では何をするか。
今していることです。
今何をしているか。
この文章を読んでいるはずです。
すなわち、「法を聞く」、聞法(もんぼう)です。
阿弥陀仏の物語を聞き、
「それは分からない」とか「そんな馬鹿な」と思う前に、
だまって聞いてみます。
この阿弥陀さまの話、
凡夫にはピッタリの話です。
ちょうど鎧はオーダーメイド、
その武士にピッタリしているように。
さとりにはほど遠い私。
煩悩具足の凡夫は一生涯続きますが、
聞法具足の凡夫として生涯、
お念仏相続していきます。
(※1)
「凡夫人ありて煩悩成就するもまたかの浄土に生ずることを得れば、
三界の繋業、畢竟じて牽かず。すなはちこれ煩悩を断ぜずして涅槃分を得、
いづくんぞ思議すべきや。」
(※2)
・煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相回向の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚の数に入るなり。(証巻)
・煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相の心行を獲ればすなはち大乗正定の聚に住す。(『浄土文類聚鈔』)
・煩悩成就の凡夫人、信心開発すればすなはち忍を獲、生死すなはち涅槃なりと証知す。(前掲書)
・煩悩成就せる凡夫人、煩悩を断ぜずして涅槃を得、すなはちこれ安楽自然の徳なり。(『入出二門偈』)
・煩悩成就のわれらには 弥陀の弘誓をすすめしむ(高僧和讃)
・煩悩成就のわれらが 他力の信とのべたまふ(前掲書)
・煩悩成就の凡夫、仏の心光に照らされまゐらせて信心歓喜す。信心歓喜するゆゑに正定聚の数に住す。(御消息)
(おわり) ※冒頭へ
死んだ後も
【ギョッとした】
先日、見知らぬ方からお手紙をもらいました。
初めてお便りします。
15年ぐらい前に新聞の折り込みチラシに専徳寺様の広告が入っていました。
「ご一緒に親鸞聖人の教えを学びませんか?」という内容だったと思います。
それから何度かご法話を聴くために
そちらのお寺にお参りした事があります。
実は、去年の10月に義父を亡くしました。
それから一月経った頃、休んでいますと頭の中に
「
本で歌詞を調べて「ギョッ」としました。
「身を粉にしても」とか
「ほねをくだきても」とかありました。
「死んでから後もアミダ様に感謝しなさい。」という意味なのでしょうか?
中学生にも解るようにやさしく
「恩徳讃」の意味を教えていただけませんか?
法話を聞いた人だからこその質問です。
とても有難いお手紙でした。
【自身の喜び】
お手紙ありがとうございました。
さて「恩徳讃」の歌詞について不審があるとの事、承知いたしました。ご質問は、
「身を粉にしても」とか「骨をくだきても」とかありました。「死んでから後もアミダ様に感謝しなさい。」という意味なのでしょうか?
まず恩徳讃について少し述べます。
恩徳讃は「歌わない法座はない」という程、浄土真宗で最も有名な仏教讃歌です。
この歌詞は元々、親鸞聖人が作った 和讃 の一首です。
和讃は当時流行した「七五調の歌」です。およそ7文字と5文字の調子で作る歌で、例えば「春のうららの(7)隅田川(5)♪」(花)、「人生楽ありゃ(8)苦もあるさ(5)♪」(水戸黄門)、また「あおいお空の(7)そこふかく(5)」(星とたんぽぽ)といった金子みすゞの詩も七五調です。
親鸞聖人は和讃をたくさん製作されました。お経の難しい教えを日本語の歌にすることで、すこしでも身近にしてもらおうという意図があったのかもしれません。
けれどもそんな中、聖人ご自身の思い、お救いにであえた喜びを純粋に詠った和讃が、「恩徳讃」の歌詞です。
如来大悲の恩徳は♪(にょらいだいひのおんどくは)
身を粉にしても報ずべし♪(みをこにしてもほうずべし)
師主知識の恩徳も♪(ししゅちしきのおんどくも)
ほねをくだきても謝すべし♪(ほねをくだきてもしゃすべし)
「自身の喜びを表現した歌」、ここがポイントです。他人を教え導く内容ではありません。
そんな親鸞聖人の心をくみとり、私たち各々が自身の喜びの表現として歌うためにできたのが仏教讃歌「恩徳讃」です。
ではご質問にお答えします。
「身を粉にしても」「骨をくだきても」とは非常に極端な言い方ですが、それは「阿弥陀さまのお救いにあずかった者はみな〈ハンバーグ〉になる」という話ではありません。「死ぬ気で」とか「死ぬまで」、ましてや「死んだ後も」という意味でもありません。
たとえば、私の妻はよく美味しいものを食べたとき「もう死んでも良い!」と言います。本当に死んでも良いわけではありません。でも嘘ではないのです。この美味しさ、それを食べた自分の感激を最高に表現したいがために、このような言い方になるのです。
ちなみに私の場合、大いに感動した時の口癖は「他になにもいらない!」ですが、本当に「他になにもいらない」のかと訊かれると、つらいものがあります。
次に「報ずべし」「謝すべし」とは、詰まる所「お礼(感謝)をせずにはおれません」という意味です。このお礼(感謝)ですが、いろいろあっても、やはり「お念仏」が中心です。「南无阿弥陀仏」と口にする行為をはずして「お礼」はありません。
「報ずべし」「謝すべし」の「~べし」は「(他人からの)命令」の意味ではありません。自分の気持ち・意志です。先ほど大切なポイントと言いましたが、この和讃は「自身の喜びを表現した歌」です。親鸞聖人が親鸞聖人に、私が私自身に言い聞かせる歌です。「自分は~しないといけない」、もっといえば「~せずにはおれない」というのが本当です。
如来大悲の恩徳は(阿弥陀さまのお救いは)
身を粉にしても報ずべし(これ以上ない喜びです)
師主知識の恩徳も(お釈迦さまや多くの有縁の方々にも)
ほねをくだきても謝すべし(お礼を申さずにはおれません。)
「師主」は仏教徒全員の師匠であり、教主であるお釈迦さまです。
「知識」は善知識(ぜんちしき・ぜんじしき)といって、私をみ教えに導いてくださったご縁の方々の事。もし葬儀がご縁でみ教えにであえたなら、その亡き方も私にとって善知識といえるでしょう。
くり返すようですが、恩徳讃は亡くなった方にかける声かけではありません。私自身が私を決して一人にはしない「如来大悲の恩徳」という救いにであった喜びの表明です。
朝、目が開いた時、智慧の眼のひらかれた仏さまと一緒です。
一人痛む身体をさする時、共に心を痛めてくださる方が一緒です。
自分の人生をふりかえり、なげき、涙する時、共に涙をこぼしてくださる方、「そのあなたの人生を絶望へと落とさないために私は仏になる」と誓われた方と一緒です。
「死んでから後も感謝せよ」と受けとめるのではなく、「この煩悩まみれの凡夫の私は、今、死んでから後、たとえ百年後、千年後もかわらず感謝せずにはおれない程の大きなご恩をいただきました。お念仏もうさずにはおれませんでした。」そんな味わいが歌って楽しい恩徳讃です。
……ではいつでも阿弥陀さまに感謝しお念仏しているか。そんな事はありえません。煩悩まみれの私は、身体が痛い時、疲れた時、争っている時、感謝の思いなんて吹っ飛んでいます。でもそんな煩悩まみれの私と見抜いたのが阿弥陀さまであり、故の「お念仏の救い」「無条件の救い」です。ハッと我にかえった時、いよいよ頭が下がり、お念仏もうすことです。
仏教、特に浄土真宗の「他力の教え」は誤解されがちです。原因はいろいろでしょうが、その一つに、人は良くも悪くも亡くなった方の事が気になって、み教えを「私ごと(私のためにある教え)」「今この瞬間の問題」とは受け止めにくいようです。
どんな人も最初は、「お経といったって、教えといったって、仏壇だって、亡くなった人のためにあるのだ」という先入観・思い込みがあります(私の子ども達もそうです)。その思い込みがあるかぎり、どれだけ法話を聴聞しても浄土真宗の味わいは分かりません。けれどもその思い込みが打ち砕かれるのもやっぱり「お聴聞」です。
故人をないがしろにしているわけではありません。お聴聞を通して私自身が「如来大悲の恩徳」にであう事こそが、結局、故人にとって何よりの喜びとなるのです。そのように私自身も「お聴聞」で教わっています。
またいつでもご質問お待ちしております。
合掌
(おわり) ※冒頭へ
おみのりに みみをすます
【谷川俊太郎】
いづれのときにか娑婆をいでん
仏恩ふかくおもひつつ
つねに弥陀を念ずべし
(阿弥陀仏の本願のはたらきを受けなければ、はたしていつ娑婆世界[現実世界]を出ることができるであろう。
仏のご恩を深く思い、常に阿弥陀仏の名号を称えるがよい。)
娑婆
浄土
本師釈迦のちからなり
(『高僧和讃』善導讃より)
(娑婆世界での果てしなく長い間の苦を捨て、浄土でさとりを得ると期することができるのは、釈尊のお力によるのである。
いつもその大いなる慈悲の恩に報いるがよい。)
今年も少しずつ法話を掲載させていただきます。
【谷川俊太郎】
昨年11月13日、谷川俊太郎さんが亡くなられました。
日本を代表する、国民的詩人・谷川俊太郎。
在学中の衝撃的な処女詩集『二十億光年の孤独』。
それから70年間、世に出した詩集・詩選集は80冊以上、
書いた作品は2000ほどあるそうです。
「朝のリレー」等、多くの詩が教科書に掲載され、
混声合唱曲「クレーの絵本」(三善晃作曲)等、数多くの作詞があります。
子ども向けの作品も多く、
詩『すき』や、絵本『もこもこもこ』『これはのみのぴこ』など、
「子どもたちのことばを深く豊かに掘り起こす仕事」をされました。
かっぱ
かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった
とってちってた
かっぱなっぱかった
かっぱなっぱいっぱかった
かってきってくった
楽しいことばあそびの詩もたくさんあります。
スヌーピーの出る漫画『ピーナッツ』を翻訳し続けたのも谷川さん。
子どもの頃読んだ『マザー・グースのうた』や『スイミー』も谷川俊太郎訳でした。
【除夜会】
そんな谷川俊太郎さんの49日が今年の大晦日でした。
そこで除夜会の本堂で谷川俊太郎さんの動画を流しました。
今から26年前、平成10年6月25日、
専徳寺「夢殿座」でのコンサート「音楽と詩の朗読の夕べ ~みみをすます~」の映像です。
出演は谷川俊太郎さんと息子賢作さんの音楽グループ「DIVA」。
組内のS寺K先生さんが記録くださいました。
コンサートは谷川さんが詩の朗読を、
そしてDIVAが谷川さんの詩に曲をつけて演奏。
谷川さんは、冒頭に「そのひとがうたうとき」、
次に「ほっとけ」「いのち」(ことばあそびうた)といった楽しい詩を、
さらに「地球へのピクニック」「地球の客」、「詩を贈ろうとすることは」。
そして最後は壮大な詩「みみをすます」のおよそ5分間の朗読でした。
みみをすます
きのうの
あまだれに
みみをすます
みみをすます
いつから
つづいてきたともしれぬ
あしおとに
みみをすます
めをつむり
みみをすます
ハイヒールのこつこつ
ながぐつのどたどた
ぽっくりのぽくぽく
みみをすます
ほうばのからんころん
あみあげのざっくざっく
ぞうりのぺたぺた
みみをすます
……(続きはこちら)
今思えば夢のような時間でした。
「ことばのある所ならどこにでも俊太郎さんがいる」(友人・高橋源一郎)
朗読の名手であり詩のボクシング世界ライト級王座2代目チャンピオン。
鉄腕アトムの主題歌の作詞家。
……切りがありません。
「ことば」と共に歩み、
「ことば」のそばにはいつもおられる、
そんな方でした。
【みみをすます】
コンサートの始まる前の挨拶で、
前住職は「みみをすますは、まるで大和言葉で書かれたお経です」と説明しました。
その理由はまず、お経の冒頭です。
お経は必ずといっていいほど「如是我聞(かくのごとくわれ聞く)」で始まります。
そして、そこから「八万四千の法門」といわれるように、
膨大なお釈迦さまの教えが説かれます。
私たちは自分勝手なはからいをすて、みみをすませるのです。
そんなお経の中に、
親鸞聖人がよりどころとされた根本経典『仏説無量寿経』があります。
人々の足音、地球の歴史の音、
自分の過去の音、様々な出来事、
楽しい音、悲しい音、辛い声、喜びの声、
ざわめきのそこの今の声、
未来の小川のせせらぎの声。
そんな一つ一つの音に、
等しく仏の喚び声がゆきわたっていると味わわれた親鸞聖人です。
道ばたの石ころから宇宙のとどろきまで、
私のいのちに関わる音や声に耳をすませながら、
そこにしみこんだ如来の願い、救いの声にみみをすませます。
「それがお経、お釈迦様がこの世にあらわれた目的でした」と、
親鸞聖人はお正信偈に説かれます。
そして私たちは何をするのか。
お聴聞です。
「
仏さまの声にみみをすませるばかりです。
新年が始まりました。
今年も一年間、
無常の人生を思いつつ、
聞法の人生を重ねつつ、
弥陀の名号を称えつつ。
一歩ずつお浄土の道を進んでいきます。
谷川俊太郎さんのような、
「ことば」のそばにいつもおられる仏さまと
ふれあっていきたいと思います。
※「みみをすます」は4年前の「住職だより」でも紹介させてもらいました。
※ コンサートの様子の一部の動画です。
(おわり) ※冒頭へ
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