山口県は岩国にある浄土真宗寺院のWebサイト

如来の称讃

【お西さんの常例布教】

 

6月28日から3日間、ご本山西本願寺の常例布教に出講しました。
お晨朝の最後に7分、お昼に1時間、法話を担当しました。

 

その内容は「お西さんの常例布教」というYouTubeチャンネルでライブ配信されました。
そして先日、その時の法話が視聴可能であることを知りました。

 

 

視聴してみた結果は……ショックでした。

 

「こんな恥ずかしい内容だったとは。」

 

内容もさることながら、気になる音、気になる仕草、間の取り方、余計な言葉。
間違いも多いし、話がなかなか前にすすまない。
「誘い笑い」が多い……とても最後まで一気に視聴できませんでした。

 

「現実を受けとめなければ……」

 

1週間かけて、どうにかお聴聞しました。
……しばらく落ち込む日々が続きそうです。

 

【鏡のごとし】

 

視聴しながら思い出すのが「経は教なり、また鏡なり」。

 

経も教も鏡も「キョウ」と読みます。
これは善導大師の次の言葉に由来します。

これ経教はこれを喩ふるに鏡のごとし。
しばしば読みしばしば尋ぬれば、智慧を開発す。
(善導大師『観経疏』序分義)

仏さまの説かれるお経。
漢字ばかりですが、それは呪文ではなくみ教えが説かれたものです。
そしてそれはたとえるなら「鏡」のようなものです。

 

鏡は自分を見るためのものです。
お経は仏さまの真実にであうと同時に、
私自身のありのままの姿にであいます。

 

極善最上の正道の法を説くのは、
極悪最下の非道の私のためでした。

 

迷いを迷いとも思わず、悪を悪とも感じない私。
そんな悪人目当ての救いが摂取不捨(せっしゅふしゃ)と喚ばれる法の対象です。

 

鏡があって、人は身だしなみを整えます。
録音・録画をみて、僧侶は説教を考え直します。
お経があって、私たちはこのいのちの問題に向き合うのです。

 

【如来の称讃】

 

自分の法話を視聴してすっかり落ち込む日々。
お正信偈の次の言葉が心にしみます。

 

一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、
仏、広大勝解のひととのたまへり。この人を分陀利華と名づく。
(正信偈)

 

阿弥陀さまのご本願、名号のおいわれを聞いて信心を得る者は、
その罪業の善し悪しにかかわらず、
「広大勝解の者(広大なすぐれた法をよく領解した智慧の人)よ」「白蓮華よ」と、
仏さまがおっしゃってくださるというのです。
または、

「法を聞きてよく忘れず、見て敬いて得て大きに慶ばば、
すなわちわが善き親友なり」(大経・下巻)

「善き友よ」と仏さまが親しく接してくださるのがお念仏者、
他力信心の行者です。

 

誰からも評価されず、平々凡々の人生、
けれども仏さまだけは認めてくださいます。
「よくぞ私の切なる思いに気づいてくれた」と、
私に語りかけてくださるお念仏なのです。

 

それにしても、なぜそれほど仏はほめるのか。
先ほどの正信偈の言葉はこう続きます。

弥陀仏の本願念仏は、邪見・驕慢の悪衆生、
信楽受持することはなはだもつて難し。難のなかの難これに過ぎたるはなし(正信偈)

邪見・驕慢がつきない私。
自力の心が中心の私です。
仏の「ほ」の字も正しく受けとれるはずなき私が、
このたび信心をいただく、
如来の大悲心を受けとることは、
到底不可能な道理でした。

 

そんな私だからこそ、お念仏をいただく姿をみて、
仏さまは「広大勝解者」「白蓮華」「わが善き親友」といわれるのです。

 

お念仏をしても、この人生は終生、失敗や苦労の連続です。
けれども落ち込みお念仏する時、
その悲しみを補って有り余るほどの如来の励ましを聞くことです。

 

「人生の苦しみはすべて、如来の激励である」(曽我量深)

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

本堂と入場

※10月3日の弘中隆兼470回忌を偲び

 

【本堂はいくらで】

 

今月の子供会、おつとめの後に質問コーナーをもうけました。

 

「何でもたずねて良いですよ。」

 

すると5年生のR君が、
「このお寺はいくらでできたんですかー?」

 

いつもお話する仏さまの話でよく分からない事が質問に出てくるかと思いきや、
全然違いました。

 

「……お寺でお金の話はしません。」

 

答えながら思い出したのが、以前お聴聞で聞いたお話でした。

 

どこかインターネットに出ていないかと思って調べると、
知り合いのOさんのfacebookの記事がヒット。
そしてそこにはこのHPにあった記事が掲載してありました(笑)

 

法座の言葉(101-200)

 

No.107 田中 誠証師  
平成6(1994)5/13~15
『遠慶宿縁 遠く宿縁を慶べ』
 (『教行信証』註釈版聖典p.132)

 

昭和63年、私は念願の本堂を建立いたしました。
その落慶法要にお越し下さった大阪の稲城和上、
お寺に着くやいなや早速私に問答をふっかけて、
「立派な本堂が出来たのう、いくらで出来たか」
と尋ねられたので、
平素のお育ての通り即座に指を六本突き出して、
「これで立ちました。」と答えました。
すると、「六千萬円か」と念を押されたので、
「いえ和上、お六字で立ちました」と答えると、
和上は嬉しそうに「田中君、これからはお六字で護持して行きなさい」
とおっしゃて下さいました。
今もこのことが忘れられません。(お六字=南無阿弥陀仏のこと)

 

今年のオリンピック開催地パリでは、
現在ものすごい勢いでノートルダム大聖堂が修復されています。

 

5年前の大規模な火災。
塔や屋根に大きな被害が出ました。

 

集まった金額もすごいですが(税金対策と批判される記事もありましたが)、
やはりそれは信仰の力です。

 

浄土真宗のお寺はいくらで建つのか。
「6」です。
六字の名号で建つのです。

 

子どもの何気ない質問のおかげで思い出しました。

 

【入場に思う】

 

今月、幼稚園の運動会がありました。
その一週間前から幼稚園は練習に大忙し。

 

年少さんに一つの問題が発生しました。
まだきちんと「自分は○○ちゃんの前」と理解し、並べないし、
何より入場がなっていません。

 

お遊戯の前の入場シーン。
子ども達だけではとても前の人にならって入場できません。
急遽、先生の数を増やして対応することになりました。
入場がおかしいと全体に響きます。
中身の「お遊戯」も大事ですが、入場も大切という事を知りました。

 

そして私も同様です。
法事の入場、葬儀の入場。
そこからもう儀式は始まっています。
緊張して入らないといけません。

 

そして法事・葬儀の前によく唱えられるのが「三奉請」です。

奉請 弥陀如来 入道場 散華楽
奉請 釈迦如来 入道場 散華楽
奉請 十方如来 入道場 散華楽

 

阿弥陀さま、お釈迦様、諸仏が入場されます。
厳粛にお迎えいたします。

 

そして思い出したのが、以前お聴聞で聞いたO先生のお話でした。

 

どこかインターネットに出ていないかと思って調べると、
見つけました。
2年前の山口別院での法座
そのお話は1時間45分頃からありました。
少し要約を掲載させていただきます。

 

私が学生時代、一回生の頃から四年間、在家報恩講のお勤めのお手伝いに行ったことがあります。
熊野の大きなお寺でした。
毎日ご院家さんと、若院(先輩)と、自分たち学生4人の6人で、
朝7時から晩の7時ぐらいまでお正信偈を読み続けました。

 

ある日、一つ山をこえた100件ぐらいの村に行きました。
「この電信柱からあの電信柱までが君、そっちはここまで。」
手分けして一日かけて勤めました。
その晩は当屋がたち、その家に村の人が集まりました。

 

仏間の隣の部屋にご院家さんが待機し、
自分たちは仏壇前に並びました。
時間になり、羽織袴の当屋のご主人が挨拶をしました。

 

「皆さん今日は朝からお疲れでございました。
今年は当屋はうちの番でございます。
あとお斎もありますのでごゆっくりしてくださいませ。
それではお正信偈のお勤めを始めさせていただきます。」

 

準備していた小さな鐘で喚鐘。「七・五・三」で鳴らします。
途中、隣の部屋からご院家が出てきて仏壇正面に座りました。

 

そしてまさしく鈴(リン)をたたくその時、
当屋の方がもう一度立ち上がって一口おっしゃいました。

 

「ただいま、親鸞聖人、お着きでございます。」

 

すかさず鈴が鳴って「帰命無量寿如来 南無不可思議光」と。

 

一回生の時はビックリしました。
「なんという芝居がかった事をするのか」と。
しかし2年、3年、4年……4回目の時は有難かったです。

 

気がついてみれば、涙を流して喜んでいる方もおられました。
「今年も報恩講にあえた。親鸞聖人にあえた」という思いです。

 

報恩講はご恩報謝するという法要の名前ですが、
また別名「ご影向(ようごう)の法要」ともいいます。
親鸞聖人にみ跡を慕う法要という意味合いです。
「帰命無量寿如来」とは何か。
私が唱えている正信偈は、そのまま、親鸞聖人が喚んでいてくださっておるという事。
親鸞聖人は今まさにこの目の前におられて、
そして「無量寿如来に帰命せよ。不可思議光に南無したてまつれ」と私たちに喚んでくださっている。
それが本当なのです。

 

法要はお勤めが始まる前から大切な味わいがあります。

 

子どもの何気ない質問のおかげで思い出しました。

 

【(おまけ) 選挙に思う】

 

間もなく衆議院選挙、そして浄土真宗も今年は大事な宗会議員選挙があります。

 

今年の7月7日に鹿児島県知事選挙がありました。

 

何とか選挙に来てもらうと鹿児島の選挙管理委員会は考案し、
ある広告を作成します。

 

「知事って、誰でもいい?」

 

動画では犬が知事になり、記者が「マニフェストについて教えてください」と質問しても
「ハッ ハッ クーン」と鳴くだけ。

 

「誰でもよくない県知事選。投票日は7月7日……」

 

面白い広告動画なのですが、
この「犬知事」の他に、3人の架空の立候補者が登場。
「おやじギャグ知事」「バーチャル知事」、そして「他力本願知事」です。

 

この知事は、七夕にあわせて「鹿児島県がもっとよくなりますように」と夜空に向ってお願いし、
それを短冊に書いて「これでバッチリでーす♪」と言います。

 

「こんな知事には鹿児島県を任せておけない」
そう思ってしまうような頼りない架空の知事キャラクターを表現する意図で作られました。

 

すべてを「他人任せする知事」という意味で作った「他力本願知事」。
しかしそのネーミングに、鹿児島の浄土真宗が抗議します。

 

浄土真宗では「他力本願」の意味は大きく異なります。

他力といふは如来の本願力なり。(親鸞聖人)

この場合の如来とは阿弥陀如来の事です。
阿弥陀如来が如来となる前の法蔵菩薩の時に誓った「本願」。
すべての者を救いたいという本願を完成すべく
兆載永劫の修行の末に「ナモアミダブツ」の如来になります。
願い通りの救いのはたらきをされる阿弥陀さまのはたらき、
それが「他力」です。

 

他力本願は室町時代の蓮如上人が多用されます。

ここに弥陀如来の他力本願といふは、
今の世において、
かかる時の衆生をむねとたすけすくはんがために、
五劫があひだこれを思惟し、永劫があひだこれを修行して、
「造悪不善の衆生をほとけになさずはわれも正覚ならじ」と、
ちかごとをたてましまして、
その願すでに成就して阿弥陀と成らせたまへるほとけなり。

浄土真宗が500年以上大切にしてきた「他力本願」です。
抗議の後、「他力本願知事」は「人まかせ知事」にネーミングが変更。
ニュースにも取り上げられました。

 

他力本願は「Aもっぱら他人の力をあてにすること。」と広辞苑にも出てきます。

 

今更消去はできませんが、
他力本願の本来の意味を知り、
今の子ども達の中で、それを大切にしていく子が少しでも増えることを願いつとめていきたいと思います。

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

浄土の印象

※10月3日の弘中隆兼470回忌を偲び

 

【千鳥ヶ淵】

 

先月9月18日、第44回千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要でした。
「全」とあるように、第2次世界大戦を始め、
歴史上起こった全ての戦争犠牲者を追悼する法要です。
私の14代前の先祖も今から469年前、
厳島の合戦で亡くなりました。

 

法要に先立ち、作文の朗読がありました。
中学生は竹村紗南(さな)さんの「一つだけの命」。
そして高校生は角谷美玖さんの「言葉の意味を変えてしまった戦争」でした。

 

「戦わなければ殺されたんだ。」
戦争の話をしたがらなかった曾祖父が、
母にたった一度だけ苦しそうに言った言葉。
開けてはいけない記憶の扉を開けてしまった罪悪感を母は今でも思い出すと言った。
戦争が終わり、何十年も経っているのに、
乗り越えることができないほどの苦しみを、
曾祖父は独りずっと抱えて生きてきたのだと思うと心が痛くなった。

 

戦争の辛さをいやという程味わったその方は、
太刀魚が大嫌いになったそうです。
武器を連想させ記憶がよみがえるからです。

 

その話を聞いて、ふと先日テレビでウクライナの今を取材した報道番組を思い出した。
テーマは「言葉」だ。
長引くロシアとの戦争が、ウクライナの人々の言葉を変えていっているという内容だった。

 

例えば、ある人はお風呂が以前はリラックスできる場所だったのに、
今は爆撃から身を守る場所となり、
ある人は、かつて恋人と聞いていた庭先に落ちるりんごの音が、
ミサイルの音を連想させるようになったそうだ。
大切な思い出や自分の中のイメージが、戦争と結びつき、その言葉の意味を、記憶を変化させてしまっていたのだ。

 

言葉の意味を変えてしまう戦争、
興味深くYoutubeで聞かせてもらいました。

 

朗読の後、平和の鐘をつきました。
多くの浄土真宗本願寺派のお寺で鐘が鳴ります。

 

「世の中安穏なれ 仏法ひろまれ」

 

平和への思い、仏法の興隆を願います。

 

【浄土の意味】

 

話は変わります。

 

9月の下旬頃、
多くの浄土真宗本願寺派のお寺で
お彼岸の法要が営まれます。
法要でお説教を聞きます。
集まった方々とお浄土の話をご講師よりお聴聞します。

 

戦争とは逆の意味で、言葉の意味が変えなされる法座です。
すなわち、世間で聞く仏教の言葉。
お聴聞を通して、その本来の意味を知り、
その深い味わいにであい、印象が変わるのです。

 

たとえば「浄土」。
「お浄土? 死んだ先の話でしょう?
よく分からないけれど、あれば良いですね。でも本当にあるのかな?
信じれたら楽だろうけれど。」
世間はそんな印象でしょうか。

 

「浄土」は物理の言葉ではなく、仏理の言葉です。
私の人生の苦悩を救うべく、仏の道理にもとづき語られた言葉です。

 

そして浄土真宗の浄土は西方浄土の阿弥陀仏の世界を指します。
その仏の心を聞く時、
浄土は私の向かうべき目的となります。
私を浄土に向かわしめる仏の真心に気づくからです。

 

【代名詞】

 

甲子園は兵庫県西宮市の地名です。
そして高校野球が行われる甲子園球場の所在地です。
名前の由来は野球場が完成した大正13年(1924)が、
甲子(きのえね)の年であったことによるそうです。
今年は誕生100年。

 

毎年熱戦がくりひろげられる高校野球。
いつしか「甲子園」といえば「春の甲子園」「夏の甲子園」というように、
全国高校野球大会の総称となります。

 

そして「甲子園」は野球の枠をこえます。
商い甲子園、囲碁甲子園、吹奏楽甲子園、まんが甲子園……。
高校生のさまざまな大会、
何かを一生懸命めざすコンクールには「甲子園」がつくようになりました。
(一部、高校生でない場合もありますが)。

 

甲子園は地名です。
野球場があり、野球をする所です。
けれども現在は「高校生の青春の代名詞」といった印象です。

 

お浄土は「お彼岸」、迷いのこの世(此岸)をこえた場所です。
この世とは違うという意味では「あの世」かもしれません。
ただ同じ「あの世」でも、地獄や天国といった六道輪廻とは一線を画します。

 

そして浄土真宗にとって、
「お浄土」は「浄土真宗」の「浄土」、浄土門の浄土です。
阿弥陀仏の他力の法を指します。
言いかえれば、「如来の大悲の代名詞」です。
命終って到る世界ですが、
「むなしく命を終わらせない」と誓い、
今ここに到って私を抱え導く、阿弥陀という名の仏さまの活動領域です。

 

【易往而無人】

 

「浄土を甲子園にたとえるのはおかしい。
浄土はどんな者もいける場所。
甲子園は自力で勝った者しかいけない。」

 

ご意見ごもっともです。
甲子園に行く人はまれでしょう。
浄土もまれです。

 

お経には「易往而無人([浄土は]往き易くして人なし)とあります。
浄土は誰でも往けるけれど、生まれることが難しいのです。

 

親鸞聖人は次のようにお示しです。

「易往而無人」といふは、「易往」はゆきやすしとなり、
本願力に乗ずれば本願の実報土に生るること疑なければ、ゆきやすきなり。
「無人」といふはひとなしといふ、
人なしといふは真実信心の人はありがたきゆゑに実報土に生るる人まれなりとなり。
しかれば源信和尚は、
「報土に生るる人はおほからず、化土に生るる人はすくなからず」(往生要集・下意)
とのたまへり。
(『尊号真像銘文』。註釈版647頁)

自力修行の者、他力の信心、真実信心を得ていない人には到達できない世界が浄土です。

「無人」といふはひとなしといふ、

そんな参れる事が極めてまれな場所に参る得がたいご縁。
それがこの度のお念仏のご縁、阿弥陀さまと共に歩む人生です。

 

【すえとおった道】

 

現在、ロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻?から2年半過ぎました。
イスラエルとパレスチナの問題も泥沼になっています。
他にもたくさんの紛争がおこっています。
毎日が戦没者追悼の日ともいえる現在です。

 

しかし申し訳ありません。
毎日追悼法要はできません。
今地球上で苦しんでいる人々がおられると想像しつつ、
その事に思いを馳せる余裕jはありません。
ならばせめて、
お念仏の道は絶やすべきではない、
そんな事を思うこの頃です。

 

それに関連し、
最後に『歎異抄』の第4条を引用します。

 

(4)
一 慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。
聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。
しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。
浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもつて、おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。
今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。
しかれば、念仏申すのみぞ、すゑとほりたる大慈悲心にて候ふべきと[云々]。

 

(現代語訳)
(4)
慈悲について、聖道門と浄土門とでは違いがあります。
聖道門の慈悲とは、すべてのものをあわれみ、いとおしみ、はぐくむことですが、しかし思いのままに救いとげることは、きわめて難しいことです。
一方、浄土門の慈悲とは、念仏して速やかに仏となり、その大いなる慈悲の心で、思いのままにすべてのものを救うことをいうのです。
この世に生きている間は、どれほどかわいそうだ、気の毒だと思っても、思いのままに救うことはできないのだから、このような慈悲は完全なものではありません。ですから、ただ念仏することだけが本当に徹底した大いなる慈悲の心なのです。
このように聖人は仰せになりました。
(参照:山寺HP

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

西方への道

【聖人像】

 

多くの浄土真宗のお寺には親鸞聖人の像があります。
そしてその多くが本堂の側に安置されています。
本堂にお参りする人を出迎える位置です。

 

専徳寺の像は本堂の向かい側に位置しています。
そして不思議な事に正面を向いていないのです。
少し右を向いておられる親鸞聖人。

 

3年前の春のお彼岸の時期だったと思います。
何気なく親鸞聖人の像を見つめていました。
ちょっと斜めの親鸞聖人。
……ハッとしてスマホを取り出しました。

 

スマホは便利なアプリをダウンロードできます。
自分の音程をチェックできるアプリ、
あれから何日経過したかを計測できるアプリ、

 

取り出したのはコンパス(羅針盤)のアプリです。
調べると親鸞聖人が見つめている方向は真西でした。
西方浄土を一心に見つめる親鸞聖人でした。

 

【仏説】

 

秋のお彼岸の時期です。
太陽が真西に沈むこの時期、
『仏説阿弥陀経』の釈尊の第一声を思い起こします。

そのとき、仏、長老舎利弗に告げたまはく、
「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽といふ。
その土に仏まします、阿弥陀と号す。
いま現にましまして法を説きたまふ。」

まず「仏説」という言葉に注意しなければなりません。
お釈迦様の話は私たち人が話す内容とはことなります。

 

人は物理の話をします。
目に見える物やその現象を語り、数字化したりします。
「燃える」といえば火事や太陽といった話であり、
「(台風の)中心の気圧は980ヘクトパスカル」等、
その規模を数字で説明します。

 

人間の迷いや苦悩を解決せんとする大悲の仏さまのお話は、
私たち人間の行為や心の世界について語っておられます。
「燃える」といえば私たちの欲望・怒りが他を焼き尽くすことを意味します。

 

「国」も国家ではなく心の世界です。
十人十色というように、人が10人いれば、10の国(世界)があり、
その1人の中にも心の状態によって様々な国(世界)が存在します。
代表的なのが「六道」です。
「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天」です。

 

【ここ】

 

そんな仏説の言葉による「これより西方に…世界あり」です。

 

「ここ」とはインドの舎衛国の祇園(北緯27度30分・東経82度2分)の事ではありません。
他でもなく私の今ある「いのち」の場所です。
それは仏教において基本的に「業報の地」、
行為の場所であり、行為の結果があらわれ・もたらされた場所です。

 

お寺の法座に参っている人の「ここ」とは、
本堂ではなく、「聞く」という世界です。
家でテレビを観ている人の「ここ」とは、
リビングでも寝室でもなく「観る」という世界です。
仕事上、人と話し合いながら心で嫉み腹が立っている「ここ」とは、
会社でも現場でもなく「地獄」もしくは「阿修羅」の世界でしょう。

 

「ここ」とは私の今いる世界であり、
それは「地獄〜天」という迷いの世界、
六道輪廻の世界です。

 

【西方】

 

そして「西方」も単なる地理の話ではありません。
「丸い地球はずっと西にすすむといずれ元の場所に戻ってくる」という話ではありません。
苦悩の人生の羅針盤を意味します。

「一切の仏土みな厳浄なれども、
凡夫の乱想おそらくは生じがたければ、
如来(釈尊)別して西方の国を指したまふ。」(法事讃、『註釈版』七祖篇552頁)

迷いの凡夫の私を導く言い方なのです。

 

そして「極楽」という名の仏さまの世界、
「阿弥陀」という名の仏さまが登場します。
お釈迦様の私を救うための物語が始まります。

 

【お彼岸】

 

お彼岸は太陽が真西に沈む季節です。
コンパスのアプリを出さなくてもその方向を間違えることはありません。

 

人生もいずれ太陽のように沈みゆく日がきます。
しかしその沈む方向にあるのが阿弥陀の西方浄土です。

 

むなしく終わらせないという慈悲充満の阿弥陀さま、
誰もがみな待っているという倶会一処の西方浄土。

 

六道輪廻の「ここ」ですが、
今ここにあるわがいのちの輝き、
照らされ見守られているいのちの尊さにであえます。
それがお彼岸という季節なのです。

 

専徳寺の親鸞聖人像と同様、
まっすぐ西方を見つめ歩む私たちです。

 

(参照:『阿弥陀経ガイド』(探究社))

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

人生の伴走者

※台風直後の8月31日の「歓喜会法要」、9月1日の「ついたち礼拝」にお参りくださった方々へ

 

【お父さん】

 

「親父の葬儀をしてほしい。」

 

今年の春頃、同級生に言われました。
父親の実家は大分県の浄土真宗。
さすがにそちらのご住職に来てもらうのは難しいので引き受けました。

 

「親父はずっと病気で寝たきりだった。」
「○○な親父だったが……」

 

職人気質の多少ぶっきらぼうな同級生の説明を聞きながら、
葬儀について打ち合わせをしました。

 

同級生の家族と姉家族のみ出席の葬儀でした。
葬儀が終わり、出発して火葬場へ。
静かな火葬場でいよいよ点火という時、
同級生は叫びました。

 

「お父さん、ありがとう。ごめんなさい。」

 

彼のふるえるような声にさそわれて、こちらもつい涙が出ました。

 

どのような思いで言った言葉だったのか。
自分を見守り育ててくれた父親。
けれどもそれに逆らい喧嘩もしたかもしれません。
彼の家族の内情をうかがい知ることはできませんが、
言わずにはおれなかった言葉である事は確かです。

 

「別れて初めて、親父は何を願っているか考えるようになった。」

 

七日参りは生前聞く事のできなかった故人の願いを確かめる時間です。
それが仏法の縁になります。
故に仏事をつとめ、仏の話を聞きます。

 

聞く事によって見えるようになります。
同級生にはいつかわが身の一大事「後生の一大事」が見えるように、
ほとけの真実の願いに、
そして真実の仏さまに遇えるようになってもらいたいと願います。

 

【伴走者】

 

8月28日からフランスのパリでパラリンピックが始まりました。
9月8日までの12日間、全22競技が行われています。

 

オリンピックの最後をかざる種目はマラソンです。
その視覚障がい者の「マラソン」部門において重要な人が、
「ガイド」と呼ばれる伴走者です。

 

周りがほとんど見えない選手が安心して競技できるよう、
選手に状況を説明したり、安全確保します。
道の状況で「段差がある」「カーブが近くにある」「側溝がある」事を伝えたり、
枝や危険物はないか安全確認をします。
またタイムを管理をしたりもします。

 

50cm以下のガイドロープ(「きずな」と呼ばれる)をお互いが握り、一緒に走るのです。
フルマラソンなら同じく42.195キロ。
また当然ながら、選手よりも高い走力が必要です。
選手には触れません。
また選手よりも先にゴールはしません。
あくまで中心は選手ですが、
選手以上に選手の走る道や状況を知っているのが伴走者です。
ある意味、選手の命を預かっています。
選手は伴走者に命を預け、胸を張って走ります。

 

【闇路を歩む】

 

生死(しょうじ)の闇路を走る私です。
死んだ後、行き先も分からず、
まして今、死と表裏一体である状況も受けとめられない私です。
凡夫の知識も感情も、
実際の「わが死の問題」について認識や納得はできません。
限界があります。

 

亡き人の別れはその事を少しだけ「問題だ」「大切だ」と思える時です。
限界突破の時です。
その突破口が閉じる前に、
その問いの解決である仏法にであう縁が仏事であり法座のお経のご縁です。

 

父親の願いに耳を傾けるように、
如来の願いに耳を傾けます。

 

如来の願いは「南無阿弥陀仏」の名号として仕上がっている、
そうお経に説かれてある事を通して、
他ならぬ私を決して離さぬ仏は今ここにおられる、
私が願い行ずる前から、
私を願い行ずる“西方の仏”が今ここに共にいてくださる、
そう教えていただく浄土真宗です。

 

お念仏を申す時、
闇路の私と共に歩む「伴走者」のごとき仏、
南無阿弥陀仏の存在を知らされます。

 

先の見えない私が安心して歩めるよう、
常に私の周囲を見渡し、私を喚び続ける仏さま。
四苦八苦の状況、けれども摂取不捨の安全確保を伝えます。

 

この闇路の主人公は私です。
私がゴールをします。
しかし私以上にこの私の人生コースを注意深く見つめ、
その状況を把握し、伴走してくださる仏さまがおられました。
私のいのちを預かってくださる伴走者。
仏さまにこの度の人生コースを預けます。
真っ暗な闇路、けれども安心して足が前に出る伴走者との歩みです。

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

実際の大きさは

【小さな星】

 

突然ですが、「織り姫と彦星、どっちが大きいでしょう?」
質問の意味、分かりますか?

 

先日、ラジオ番組「子ども科学電話相談」で小学校1年生ぐらいの子がこんな質問をしていました。

 

「太陽より大きな星ってあるのですか?」

 

「それはあるだろう」とほほ笑ましてく聞いていると、
回答者の先生が説明を始めました。

 

まず太陽の大きさの説明がありました。
太陽は地球の何倍か?

 

約110倍の大きさです。
地球よりはるかに大きな恒星です。

 

「へぇ〜、やっぱり大きいな」と思っていると、
先生は太陽より大きな星の例を紹介。

 

一つ目は彦星。
わし座のアルタイルです。
太陽の2倍です。

 

さらに大きな星が織り姫。
こと座のベガです。
太陽の3倍です。

 

そして冬の有名な星座「オリオン座」のベテルギウス。
なんと太陽の1,000倍なのだそうです。

 

調べると、もともと太陽の6倍ぐらいだったのですが、
ガスを不規則に噴き出しながらぶくぶく膨張して1,000倍に。

 

もしも地球が1センチサイズだとすれば、
太陽は約1ートル。
ベテルギウスはその1,000倍、1キロメートルになります。
(※専徳寺から龍門寺までの距離)

 

ベガ・アルタイル、そしてベテルギウス。
1等星は肉眼でもよく見えます。

 

小さな光ですが、
実際には想像を絶する大きさ、光を放っています。

 

その晩、夜空を見上げました。
デネブ、アルタイル、ベガ……夏の大三角形が見えます。
「小さな星……でもそんなに大きいとは知りませんでした。」
一年生に感謝です。

 

【六文字の仏】

 

浄土真宗のお仏壇の中心にいつでもご安置されている仏さまは、
阿弥陀如来です。
この仏さまはお経によると48の願いを建てられ、
その第18願には「どんなものも救う」と誓われました。
その願いの証拠が「ナモアミダブツ」という名号。
仏さまのお名前であり、喚び声です。

 

私が口から「ナモアミダブツ」と称えることを「お念仏」と言います。
何をしているかというと、私は何もしていません。
阿弥陀さまが「あなたの苦悩を除きたい」と喚んではたらいておられるすがたです。
その事にわが身をあずけているだけです。
如来に帰依し、そのお徳に感謝するばかりです。

 

ナモアミダブツの阿弥陀さま。
短い言葉ですが、
実際には想像もつかない大きさの「無量寿」の仏さま、
無量・無辺・無碍の光の仏さまです。
それはひとえに私のため、
わが苦悩を解決する、
わが煩悩を粉砕するためのご苦労の末のおすがた、
そう親鸞聖人はいただかれました。

 

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」(歎異抄)

 

お念仏を申す時、
いつでも称えやすいお念仏、
どこでも声に出せる仏さま、
そういただくと同時に、
「よくぞこれだけの仏さまになってくださった」、
そんな感慨にも時々はふける事です。

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

心頭滅却せずとも

【心の叫び】

 

「心頭滅却すれば火もまた涼し」

 

臨済宗の僧、快川紹喜の最後の言葉と伝えられています。
「心を整え無念無想となれば、煩悩の火も恐るるにたりない」
そんな意味でしょうか。

 

2024年は全国的に暑い夏です。
観測史上最も暑くなった昨年に匹敵する暑さだとか。
そんな中でのお盆参り。
ご門徒も気を遣ってくださり、
前もって仏間をしっかり冷房で冷やして待ってくださったり、
冷たいおしぼりを準備くださいます。
本当に嬉しいことです。

 

しかし仏間に冷房がない所もあります。
また忙しかったのでしょう、準備が間に合わない所も。
そうなると読経しながら汗が噴き出てきます。

 

「心頭滅却すれば猛暑もまた涼し」

 

そんな事は5分すれば吹き飛びます。
「暑いなあ」とぼーっとした心の中で叫びます。

 

またコロナの影響もあってか、室内犬が増えたように思います。

 

バイクで家の前に来るとほえる犬。
玄関を空けると大声でほえる犬。
お勤めの間、ずっと私に照準をあわせて吠え続ける犬。
お勤めがおわるやいなやワッと驚かしてくる犬。

 

「心頭滅却すれば騒音もまた静寂なり」

 

そんな事は5分すれば吹き飛びます。
「うるさいな」と心が煮え立ちます。

 

「お坊さん、修行が足りませんね。」
「お恥ずかしいです。」
そう一応は答えつつも、
「お恥ずかしい」とは思いません。
端っから煩悩を克服する事に用事がないからです。

 

【四諦】

 

今から2500年前に35歳のお釈迦さまはおさとりを開かれました。
そのおさとりの内容を縁起の道理と言います。

 

あらゆる物事は全て重々無尽に関わり合っています。
すなわち私の今という一瞬には、
自己の過去や人類の歴史、宇宙の誕生はもとより、
海の底に生きる生物・地球の反対側にある山河、
であったことのもない一切の事象が深く関わりあっています。

 

お互いに、
生かし生かされてある関係。
憎みあい嫉みあう必要のない存在です。
自身もそうです。
若い頃も老いの頃も、健康の頃も病気の頃も、生まれることも死ぬことも、
みな分け隔てのない関係であり、
それによって「老病死」に執着する理由もなくなります。
縁起の道理を体得する時、
生死という垣根をこえた自分にであいます。
そんなきよらかで静寂な心をもたれたのがお釈迦様です。

 

そんな素晴らしい「縁起の道理」ですが、
私たちにはとても理解できません。
そこでお釈迦様は四つの真理、
苦諦(くたい)・集諦(じったい)・滅諦(めったい)・道諦(どうたい)という、
「四諦の道理」を説法されました。

 

病や死等、どんな人生にも避けてはとおれない苦しみがあります(苦諦)。
それらの苦の原因は「愛」という執着心(煩悩)にあります(集諦)。
つまり煩悩さえ克服できれば苦しみは消えてなくなります(滅諦)。
仏教とはそんな苦悩の解決の道を歩むのです(道諦)。

 

どのように煩悩を克服したら良いか。
お釈迦様は病に応じて薬を与えるように、
様々な道を説かれました。
そこからたくさんのお経が生まれ、
そして宗派が誕生しました。

 

【他力の滅却】

 

「やっぱり煩悩を克服するのが仏道ではないのか?」
「浄土真宗は煩悩をほったらかしにしていて良いのか?」

 

煩悩をほったらかしにしているのではありません。
煩悩の問題は全て「われにまかせよ」という方におまかせしているのです。

 

煩悩の消えぬわが心を見つめながら、
何とか心頭滅却し、心をコントロールせねばと考えるのではなく、
この消え去ることのない煩悩・悪業の心を、
必ず滅却せんとされる阿弥陀さまの御恩に思いを寄せるのです。

 

「暑いなあ。しかし、ありがたいなあ。」
「うるさいなあ。しかし、ありがたいなあ。」

 

煩悩克服の修行や祈祷に専念するのではなく、
「ナモアミダブツとは何か」等という、
ナモアミダブツの六字のおいわれ、
阿弥陀さまという他力の話に専念します。

 

暑さは消えません。
騒音も終わりません。
けれども苦悩の解決というべき喜びがあります。
間違いなくお浄土へ参れる、
決して離すことのなかった方への感謝のお念仏、
それが浄土真宗なのです。

 

【信心獲得章】

 

最後に蓮如上人の『御文章』より第五帖第五通の「信心獲得章」を引用します。

 

信心獲得(ぎゃくとく)すといふは第十八の願をこころうるなり。
この願をここうるといふは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。

 

このゆゑに南無と帰命する一念の処に発願回向(ほつがんえこう)のこころあるべし。
これすなはち弥陀如来の凡夫に回向しましすこころなり。
これを「大経」には「令諸衆生功徳成就(りょうしょうしゅじょうくどくじょうじゅ)」と説けり。
されば無始以来つくりとつくる悪業煩悩を、のこるところもなく願力不思議をもって消滅するいわれあるがゆゑに、
正定聚不退の位に住すとなり。
これによりて「煩悩を断ぜずして涅槃をう」といへるはこのこころなり。

 

この義は当流一途の所談なるものなり。
他流の人に対してかくのごとく沙汰(さた)あるからざるところなり。
よくよくこころうべきものなり。あなかしこあなかしこ。

(大意)
信心を得るというのは、第十八願を心得るということであり、
それはとりもなおさず、南無阿弥陀仏のいわれを心得るということです。

 

私たちが、南無と阿弥陀仏に帰命(きみょう)する心は、
私たちをお救いくださる阿弥陀仏の本願のはたらきなのです。
これがすなわち、
如来が凡夫に如来の徳を回向(えこう)されるということです。

 

それを『大経(だいきょう)』には、「令諸衆生功徳成就」と説かれています。
はかりしれない昔からつくり続けてきた罪が、
本願のはたらきによって消滅するわけがあるので、
浄土に往生することに定まって決して退かない位につくというのです。
「煩悩を断ぜずして涅槃をう」というのはこのことです。

 

この教えは、浄土真宗だけが説くものですから、他の宗派の人に対して
いうべきことではありません。 十分心得るべきことです。
(『御文章 ひらがな版』より)

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

趣きはある

【趣きがある】

 

先日子ども向けのテレビ番組を観ていると、
男女の人形の漫才がありました。

 

(女)「この庭、趣きがあるね。」

 

(男)「ふーん、どこにあるの?」

 

(女)「どこにあるって、ほら、そうみえない?」

 

「みえる? どこに?
石の下、どけたらでてくるの?
池の水を全部のけたら、趣がいっぱいころがっているの?」

 

「……。」

 

 

「趣きがある」といっても、「これが趣きだ」というものはありません。

 

趣きは日本人の美意識です。
家庭や学校などで日本文化、
わび、さび、無常観といったものを習い、学び、教えられる事によって、
日本人独特の季節感や風情を感じられる人間には、
そこに「趣がある」と見ることができるのです。

 

「仏さまなんているのか? 見えないじゃないか?」

 

たしかに仏さまも目には見えません。
しかしお寺の法座に座り、
仏さまの教えを聞いて、習い学び育てられるうちに、
信心の眼をいただき、
無常観や罪悪観、お浄土の意味や仏恩を知り喜ぶ身となった人には、
その存在をかみしめ、
「今日も仏さまと一緒に過ごさせていただきます」とお念仏するのです。

 

【お救いがある】

 

今年もお盆参りが始まりました。
午後から35度をこえる猛暑の中、
時々意識がとびそうになりますが、
冷房や扇風機を準備してくださる家も多く、とても有難いです。

 

讃仏偈のお勤めをしながらきちんとお荘厳されたお仏壇を眺めます。
お仏飯、水物・菓子のお供物、そしてお花。

 

Iさんは90すぎておられます。
「今年が最後かもしれません。」
お仏飯から提灯まできちんと一人で準備されたとの事。
感動しました。

 

夜の松明、枯山水、歴史ある建造物に「趣きがある」とみる日本人がいます。
同様に、美しいお荘厳の如来のご絵像に「お救いがある」と味わう念仏者です。

 

何が起きてもおかしくない迷いの人生、
何をしでかすかわからない苦悩の人生です。
条件がそろえば何を言い出すか、何を心でやらかすか末恐ろしき罪業の私。
しかし、それを先刻見抜いた智慧の仏が願ったお慈悲の結晶がありました。

 

(仏)「南無阿弥陀仏となって必ず救う。」

 

お念仏もうせる人間の眼には、そのお荘厳に、
いやその仏間に、その仏間の向こうに広がる世界中に、
「お救いがある」と言える景色が映るのです。

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

Mさんの別れ

【こどもの日に】

 

Mさんが亡くなった日は子どもの日でした。

 

その一ヶ月半前に突然倒れたとの連絡を息子さんから受けた時はショックでした。
その2ヶ月前、当たり前のように寺報の発送作業を手伝いにきてくださってました。

 

急いで枕経へ行くと、お仏壇の側にMさんが。
眠っているかのような穏やかな姿でした。

 

Mさんの家族は粛々と葬儀をされました。
ご近所の方もずいぶん集まっておられました。

 

『親が子に残す最大の遺産は 死に行く姿を見せてくれることだ』
そんなHさんの言葉を思い出しました。

 

【法名】

 

七日参り中でこんなMさんの法名「釋住正」が話題に出ました。
30年以上前にご本山で帰敬式をされていただいた仏弟子の名前です。

 

けれども喪主の奥さまは否定します。

 

「釋住成ではないですか?自分のために作ってくれた箱に、主人は「釋住成」と書いています。」

 

確かに「釋住成」とありました。

 

けれども間違いでした。
実はMさんの息子さんの法名が「釋願成」。
その「成」と勘違いされたようでした。
両方とも「せい」と読めるので。
みんなで苦笑い。
悲しみの場で、少し笑顔がほころんだ時間でした。

 

【父の日に】

 

満中陰が父の日(6/16)でした。
(実際にはもっと後ですが日曜日で集まりやすく)

 

遠方より娘さんも集まり喪中最後のお勤めをしました。
全員でお正信偈を朗々とおつとめしました。

 

Mさんの一週間前にご往生された星野富弘さんのお話をさせていただきました。

 

「いのちが一番大切だと思っていたころ生きるのが苦しかった
いのちより大切なものがあると知った日生きているのが嬉しかった」(星野富弘)

 

ずっと夫婦で夜座にお参りくださっていました。
一緒に「いのちよりも大切なものがある」、
そううなずける世界、
苦悩を除く阿弥陀さまの法をきかせていただきました。

 

それから雨が続いて3週間後、七夕の日に納骨をしました。

 

【お陰様】

 

お盆参りが始まりました。
Mさんの近所をお参りすると出てくる言葉がMさんを名残惜しむ声。

 

「突然だった。まだそんなに年ではなかったが。町内が寂しくなった。」

 

町内自治会をもりあげるMさんでした。
几帳面な性格は、
お寺の大掃除の時にもよくみられ、
最後の掃除道具の片付けまで清掃していました。
手先が器用で、花まつりの甘茶かけの柄杓や花御堂の修復、
いろいろなものを作ってくださいました。

 

「寂しくなりました。
別れは辛いですが、
けれどもお陰様でお盆参りが、お経がいよいよ大切なものと思えるようになりました。
読経はあらためて「いのちを見つめる時間」だなと。
私はどこから来て、どこへ行くのか。
読経はそんな私の問いに応えてくれます。
お慈悲を味わうお勤めが楽しくなります。
お念仏が出やすくなりました。

 

毎日、世間の用事で煩しく忙しいお互いです。
でも出世間話、世間を超えた話を聞き今を喜ぶお念仏があって良かった」
Mさんに感謝する事です。

 

【法名】

 

Mさんの法名「釋 住正」。
この「住正」は「住正定聚」の略です。
正定聚に住む。
浄土真宗は他力の信心をいただいた時、
ただちにお浄土で仏となる身に定まります。
今生での一番の利益です。

 

その根拠が阿弥陀さまの「本願成就文」にあります。
Mさんの息子さんの法名「釋 願成」はこの「本願成就文」の略です。

 

阿弥陀さまが私に向けられた願い。
その願い通りの仏となられ、
いつでもどこでも離れず、さまざまな手段を行じて、
お浄土へ導くお慈悲の方となられました。
その最たるものが南無阿弥陀仏にあらわされています。
お念仏は私が仏の名を称えるものですが、
その内実は、
仏さまが私の名を喚び続けられています。

 

七夕は一般的に笹の葉に願い事を記します。
今、故人が私に願われた思いを、
今、仏さまが私に願われた思いを受けとめ、
お念仏申すことです。

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

麦とさくらんぼ

【仲間はずれ】

 

突然ですがクイズです。

 

気温も良く過ごしやすい秋は「○○の秋」と言われます。
スポーツの秋、芸術の秋、旅行の秋、紅葉の秋。

 

では次の中で仲間はずれはどれでしょう。

 

@食欲の秋、A実りの秋、B麦の秋。

 

「@だと思います。ABは植物の事だけど@は人間側の話だから。」
「Aだと思います。@Bは食物と関係、Aはそれ以外もあるかも。」

 

見方によっていろいろかもしれませんが、
正解はB。季節が違うのです。

 

日に輝く金色の穂が一面にひろがる麦畑は五月から六月頃。
ここでの「秋」は季節でなく“実り”を意味します。
麦が熟し、麦にとっての収穫の「秋」であることから「麦の秋」と名づけられたのです。

 

【17文字】

 

加倉井秋をかくらいあきをさんにこんな俳句があるそうです。

 

  すぐそことずっと遠くが麦の秋

 

この俳句を見て、どんなイメージが浮かびますか?

 

注意してもらいたいのは、
「すぐそこずっと遠く」ではない事です。

 

  すぐそこずっと遠く麦の秋」

 

一面の麦畑とは違うのです。

 

手前と遠くに麦畑が広がっています。
つまり間に何かがあるのです。
道路か、別の畑か、川が流れているのかもしれません。

 

よく見ると近くは麦の穂の一本一本が見えます。
遠くは金色の輝きが見えます。
同じ麦でも見え方が違います。

 

たった17文字に多くの情報が入っている俳句の妙味です。

 

【船と私】

 

親鸞聖人には次の和讃があります。

生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける

あるご講師がお説教でおっしゃいました。
「『のったらかならずわたしける』ではありません。
『のせてかならずわたしける』です。」

 

イメージを間違えないようにしたいものです。

 

迷いの此岸から悟りの対岸へ渡るための手立てを考えていたら、
目の前に船が来た。
これしかないと船に乗ったので、
私は間違いなく対岸へ行けるはず……ではありません。

 

「のせてかならずわたしける」

 

つまり「まわりも見渡すかぎりの煩悩の海。
どこに対岸があるのだか。
あきらめ沈みこむ私。
そんな海の奥底の私を見つけた仏さまが、
願いの船をこしらえ来て、
私を救い上げ、船に乗せ、岸へ向かってくださっている。」

 

そんな絶望からの脱出、それがこの和讃で想像されます。

 

対岸はどこにいるあるのか分かりません。
いつたどり着くのかも分かりません。
けれどももう何も心配していません。
沈む心配がないからです。

 

救いは今です。
死んでから救われるのではないのです。
浄土真宗、他力信心の念仏行者の実りの秋は今です。

 

【さくらんぼ】

 

2年前の7/31、テレビ番組「NHK俳句」は、
「歳時記食堂〜おいしい俳句いただきます〜」と題して、
講師が俳人・星野高士さん、
そしてゲストはビビる大木さんと斎藤孝さん(明治大学教授)でした。

 

舞台は小料理屋。
ゲストには旬の食材を使った料理、そして俳句が振る舞われます。

 

食材は夏みかん、そして泥鰌汁。
美味しい料理、そして俳句を食レポするお二人。

 

「さすが斉藤さん!」
「私は日本語にはうるさいですから。」

 

そして三品目は「さくらんぼ」でした。

 

「あなたのは」とばかり訊く妻さくらんぼ(小山正見おやままさみ

 

「良いですね。夫婦の仲睦まじい様子が想像されますね」とほめるゲスト。

 

ところが実際は少し違ったのでした。

 

何度も「あなたのは」と訊く奥さんは認知症でした。
さっき言ったことを忘れてしまう認知症。

 

身代はりの風船数多あまた数多割る(小山正見)

 

認知症のある人との暮らしは想像できない苦労があります。

 

何度も何度も同じ事を繰り返し言うパートナーの言葉は、
時として我慢の限界をこえる時があるかもしれません。

 

つい怒鳴る虐待に違いなき暮(小山正見)

 

「この暑いのに、何遍も同じ事を言うなよ、さっき答えたじゃないか!
人の心配をする前に、自分の心配をしろ!」

 

けれどそんな事を言っても仕方がありません。
言われた本人は何のことだか分かりません。
苦笑いしながら、ぼんやりしてまた同じ事を繰り返す。

 

その日は食事中でした。
妻が何度も訊いてきます。

 

「あなたのはあるの?」
「ああ、あるよ。」
「あなたのはあるの?」
「あるよ。」
「あなたのはあるの?」
「あるよ!」
「……あなたのはあるの?」
「……。」

 

「一瞬「かわいいな」って思ったときに、ひょいとさくらんぼが浮かんだ」そうです。
二つのさくらんぼが房でつながるさくらんぼ。
そんな顔をよせあう仲睦まじい二人の様子がイメージされます。

 

同じ言葉の繰り返し。
それを「うるさいな」と思うか、
「(認知症になって)情けない」と思うか、
「かわいいな」と思うか。

 

また「ありがとう」と思うか。
一生涯、二人三脚、夫婦で共に歩んできたからこそ出てきた言葉かもしれません。
認知症になるほど自分の為に苦労してくれた人物の言葉。

 

「あなたのは」とばかり訊く妻さくらんぼ

 

認知症のパートナーと暮らす日常の一コマ。
重苦しい雰囲気から解放された俳味が味わえます。

 

【弥陀と共に】

 

お経は何度も私に繰り返し訊いてきます。

 

「あなたのはあるの?(あなたは大丈夫?)」

 

何度もたずねられ、
ようやく事の重大さに気づく私たちです。
諸行無常の広大な海のまっただ中。
どこに向っていけばよいのやら。
対岸もみえず、たよりにできるものは何一つなく、煩悩の海底に沈みゆくばかり。

 

けれどもそんなお経にはもう一つ、お念仏のおいわれが説かれてあります。

 

南無阿弥陀仏の冒頭の「南無」について、
親鸞聖人は「本願招喚の勅命」、
阿弥陀さまの私への絶え間なき喚び声と示されます。

 

「あなたのはあるよ」とばかり喚ぶ阿弥陀

 

「あなたのはあるよ。(救いの法は届いているよ)」

 

何度も私を喚び続ける声に、
最初は「何のことだか……」、
そして「何度同じ事を……」、
けれどもようやく合点します。

 

阿弥陀さまが私に渡した功徳の結晶たるお念仏。
弥陀の船に救い上げられ乗せられている私。

 

だんだんと、物を忘れていくわが老いの身の上です。
最後は南無阿弥陀仏も出てこないほど症状がすすむかもしれません。
そんな私を忘れぬのが阿弥陀さま。

 

ならば周りも同様です。
認知症になり、アルツハイマーになっていくその人ですが、
その方も阿弥陀という陽のあたる場所のまっただ中。
その人の姿を通して、あらためてお慈悲の光に出遇います。

 

「ねえねえ、朝ドラは何時から始まるの?」
「8時だよ。」
「分かりました。」
そして、8時がすぎて、
「ねえねえ、朝ドラは何時からだっけ?」
「…8時だよ。」
「そうか。じゃあ8時過ぎてるから、再放送って何時ですか?」
「昨日スマホでの調べ方教えたけど、覚えてる?」
「……ああ、また教えてくれる?」
「スマホの画面真ん中にあるボタンを押して話しかけたら何でも分かるよ。」
「真ん中のボタン?」
「何のボタンか覚えてる?」
「?」
「最初の文字は「マ」。……マンゴーじゃないよ。」
「……マーマレード?」
「マイク。」
「ああ、そうなの。」

 

まったく気にしていないその姿をみながら、
「今が救いの秋でした。」
お念仏をかみしめることです。

 

人生の暑さ厳しき今が念仏の秋。
今生での正定聚しょうじょうじゅ(※1)の功徳の味をかみしめることです。

 

※1
正定聚とは「必ずさとりにを開いて仏となることが正しく定まっているともがら」。
一般には菩薩の相当高い位の状況をいいます。
親鸞聖人は、
「いかにいはんや十方群生海、
この行信に帰命すれば摂取して捨てたまはず。
ゆゑに阿弥陀仏と名づけたてまつると。
ここをもって龍樹大士は即時入必定といへり。
曇鸞大師は入正定之聚といへり」等と述べられ、
正定聚は他力信心の行者が平生の信の一念に与えられる利益であるとし、
これを「現生正定聚げんしょうしょうじょうじゅといいます。
浄土真宗の特別な考え方です。
(参照:浄土真宗辞典「正定聚」)

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

 

聞こえずとも

【クリスチャンの49日】

 

先日の7日、あるクリスチャンの49日(喪中明け、満中陰)でした。
クリスチャンなので49日というのはおかしいのですが。
フジコ・ヘミングさん、ピアニストです。

 

1932年生まれ。高校生の時に右耳の聴力を失った天才少女ピアニストは、
世界デビュー目前に、左耳の聴力も失います
(詳しくはこちら)。
その後、少しは回復したものの「ため息ばかりの人生」だったと語るフジ子ヘミングさん。
彼女の弾くショパンの「ラ・カンパネラ」には、そんな波瀾万丈の人生の音色が聞こえてくるようです。

 

フジコさんは言います。

「間違えたっていいじゃない、機械じゃないんだから。」

感情、心情、激情……情にゆれ動き失敗する私たちです。
故に人生をみつめ、様々な仏縁が重なって、
ついには如来の温情、南無阿弥陀仏という慈悲の恩情にであえるのかもしれません。

「その時は不幸だと思っていたことが、後で考えてみると、
より大きな幸福のために必要だったということがよくあるの。」

 

「人生に無駄なことなんか、ひとつもない。」
(以上『音楽の名言』(檜山乃武、2019年、yamaha music media)より)

 

今年4月21日に亡くなったフジコ・ヘミングさん。今月7日が49日でした。

 

【ベートーヴェン先生】

 

今年の最初、TBS系「日曜劇場」で『さよならマエストロ』というドラマが放映されました。

 

俳優の西島秀俊さん演じる有名なマエストロ(指揮者)が、
家を出て行った妻のかわりに20年ぶりに帰国。
そこで地元の市民オーケストラ(晴見フィハーモニー)の練習に立ち寄ります。

 

有名なマエストロに見られていると、
全員緊張しながらベートーヴェンの交響曲第5番「運命」を演奏するオーケストラ。
演奏が終わり、アドバイスを求められたマエストロは言いました。

 

「皆さん、音が小さいですね。
大きな音で弾かないとベートーヴェン先生の情熱に負けてしまいます。
なぜ音が小さくなるのか?自信がないからです。
なぜ自信がないのか?何を表現するべきか、まだ見つかってないからです」

 

間違いを指摘されるかと思いきや、全く違うコメントでした。

 

「ダダダダーン」の解釈を宿題と言われ、
団員たちは話し合います。
そして番組の最後、見事な演奏をやってのけるのでした。
(詳しくはこちら

 

【なぜ音が小さいか】

 

仏法はただお念仏につきると、日々お念仏をかみしめる浄土真宗。
故に当然、ご法事でもお念仏が中心のおつとめなのですが、
最初の合掌、最後の礼拝、「しーん」とした家があります。
お経が始まると、お勤めする時の声は大きいのですが。

 

なぜお念仏の音が小さいのか。
自信がないからです。
なぜ自信がないのか?

 

一つには何を受けとったらよいのか、まだ見つかっていのかもしれません。
如来の温情、南無阿弥陀仏という慈悲の恩情とは何か。

 

法事の前に、法座に参りましょう。
ご講師の話を手がかりに「南無阿弥陀仏」のいわれに遇い、
その仏の存在(仏の御恩)にであいます。

 

「お寺で法事をつとめたいのですが、何を準備したら良いですか?」

 

お寺での法事は結構ですが、
でも法事をつとめるよりも前に、
まずは法座に座ることが、
なんと言っても一番大切な法事の準備です。

 

【いさんで称える】

 

(52)一、「憶念称名いさみありて」(報恩講私記)とは、称名はいさみの念仏なり、
信のうへはうれしくいさみて申す念仏なり。
(『御一代聞書』より)

 

蓮如上人は、
「あの報恩講でいただく『報恩講私記』に「憶念称名精(いさ)みありて」とあるのは、
称名は喜びいさんでするものですよ、というお示しなのです。
信心をいただいた上は、うれしさのあまり張り切って称えましょう。」
そう教えられたそうです。

 

耳が聞こえないベートーヴェン先生も、フジコヘミングさんも、
その演奏、その作曲は自信に満ち満ちていました。

 

如来の「正覚の大音」を直接聞くことはできない私たちの耳。
けれどもお聴聞を通して、耳を養う中、
その如来の恩徳広大がわが人生に注ぎ込まれている事を知り、
自信をもって仏の名号「南無阿弥陀仏」を称えます。

 

「なんまんだぶつ」
「なーまんだーぶ」
「なまんだぶ・・・」
「なもあみだぶつ」

 

何でも良いのです。
自由に、どうどうと、アパッシオナート(情熱)で。

 

それが真宗の称名スタイルです。
(もちろん体調次第です。風邪の時や喉がおいたい時は……。)

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

矛盾とならないように

【当たり前に】

 

先月、次男の中学校入学式で校長先生が、
「当たり前のことを当たり前にできるような中学生になってください」と激励されました。

 

靴をそろえる、挨拶をする、宿題をする。
当たり前のことを当たり前にそつなくできるようになる事、
それは勉強ができる以上に重要な事です。

 

聞きながら、私自身、「住職として当たり前のことを当たり前にできているか」と内省。
お朝事から始まる一日の仏事。
あれこれ考える前に、まずはお聖教を読むこと、
そして法座を中心とした寺院活動……再点検させられることでした。

 

ところで、
ご門徒にとっての「当たり前のことを当たり前にする」とは何でしょう。
やはり「お聴聞」だと思います。
そうしないと、
いつまでたっても信心が分からないし、
聞き間違えてしまいます。

 

【矛盾】

 

「あの『住職だより(32号)』は矛盾してるのではないか?」

 

前回の住職だより(32号)を読んだ方がそんな意見を述べられました。

 

専徳寺の三門についての話をしました。
その名前の由来が「三解脱門」にあると説明しました。
そして三解脱はいわゆる自力聖道門の話。
対して浄土真宗は他力浄土門の話、
そんな話をしたのでした。

 

「浄土門なのに、三解脱門?」

 

疑問に思われたのかもしれません。
うまく説明ができませんでした。

 

浄土真宗は自力聖道門とは大きく異ります。
たとえば『般若心経』は読みません。
仏具やお荘厳も異ります。
でも本堂は本堂ですし、三門は三門なのです。

 

「浄土真宗なのだから三門という名はふさわしくないのでは。」
「せめて三門の名の由来は別にしたら。」

 

そうともいえますし、
あまりそこまで細かく分別はしなくても良いともいえます。
三解脱門を修行はしませんが、
三解脱門を完成された仏さまとはいつも一緒です。

 

【二種深信】

 

矛盾といえば、仏教は一見矛盾するような表現がよくあります。

 

そして浄土真宗でよく「矛盾している」と言われるのが、
二種深信です。

 

「二つには深心、深心といふは、すなはちこれ深信の心なり。また二種あり。
一つには、決定して〈自身は、現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねに没しつねに流転して、出離の縁あることなし〉と深信す。
二つには、決定して〈かの阿弥陀仏、四十八願をもつて衆生を摂受したまふ、疑なく慮りなく、かの願力に乗ずれば、さだんで往生を得〉と深信せよ」(同)となり。」
(愚禿鈔より)

 

前者は「機の深信」といって、自分は迷いの世界を離れる縁が全くないと言います。
後者は「法の深信」といって、阿弥陀仏は間違いなく救ってくださるといただきます。

 

「絶対に救われない」と「絶対に救われる」。
両者は矛盾しているように見えますが、そうではありません。
この二つの信心は別物ではありません。

 

救われようもない私(機の深信)が阿弥陀さまの本願のめあてであり、
その必ず救うという阿弥陀さまに不思議なご縁でであえたという喜びが、
二種深信です。

「いまこの深信は他力至極の金剛心、一乗無上の真実信海なり。」(親鸞聖人・愚禿鈔)

 

浄土真宗の信心を見事にあらわしています。

 

【皆うそ】

 

二種深信といえば、
先日、恩師N先生のご法事に出席しました。
『阿弥陀経』の読経後、
N先生の親友の先生がご法話くださいました。

 

その中に共通の恩師M先生の思い出話がありました。
法話集にありますので転載させていただきます。

 

「私の師匠はM先生です。
もう既にお浄土に往生されました。
皆様もご承知のように、M先生は、
昭和54年に脳血栓で倒れられまして、半身不随になられて、お言葉が出にくくなりました。
たまたま浄土真宗のご門徒であられたリハビリのお医者さんが、「帰命無量寿如来」とおっしゃるのを、
口まねして、「帰命無量寿如来」と言って、リハビリをされた。
龍谷大学の名誉教授ですから、「正信偈」の講義を何度もして来られたのです。
その先生が、ご門徒さんから「帰命無量寿如来」という言葉を聞いて、
「帰命無量寿如来」という言葉を言って、リハビリをされた。
そして、『病に生かされて』という本を書かれましたが、その中で
「病気はいやだったけど、つらかったけど、有難かった」と言われています。

 

そのN先生を囲んで、我々弟子が会を作っております。
年に一度集まって、先生をお招きして、いろいろお話をする、という一泊旅行を毎年しておりました。
もう七、八年前になると思いますが、その会が奈良でありました。
私は幹事をしておりまして、吉野にお泊まりいただきました。
一泊した翌朝に研究発表みたいなことを、ちょっとするもんですから、
当麻寺の「浄土変相図」の話をしようと思って、用意しておりましたら、
村上先生が、「ちょっと待ってください。今日は皆さんに言いたいことがある」とおっしゃいました。
そんなことは、めったにないことですので、
何をおっしゃるのかと皆緊張しておりましたら、訥々と話出されました。

 

まず、いきなり「私のして来たことは、皆うそです」と言われたんです。
びっくりしました。
さらに「家内が亡くなったあたりから、私には、何もないということが、よく味わえるようになりました」とおっしゃり、
続いて「これが浄土真宗の信心です(※)」と言われたんです。

 

私は今でもその言葉が、先生の声のままで耳に残っています。
「私のして来たことは皆うそです」というのは、虚仮(こけ)ということです。
龍谷大学の名誉教授で、すばらしい業績をたくさん残しておられます。
けれども「そんなことは仏さまになっていくのに、なんの役にも立たない。
私には何もなかった、あるのはただ南無阿弥陀仏のはたらきだけだ」。
だから「これが浄土真宗の信心です」とおっしゃったんです。
本体は阿弥陀さま・南無阿弥陀仏だから壊れないんです。
私がつくった信心ではないわけです。
これが浄土真宗の信心なのです。」

 

【究極の】

 

「私のして来たことは、皆うそです」とは機の深信です。
仏になる道どころか真逆の心が湧きおこる日々の暮らし。
その事実を正直にいただけられる背景には、
阿弥陀さまに何があっても見守られている安心した境涯があります。

 

極悪最下の人のために極善最上の法を説く(法然聖人)

 

五木寛之さんは著書『大河の一滴』の中で、
お釈迦さまとは、
「生老病死」という史上最大のマイナス思考から出発し、
プラス思考の極致に達した人物と語られます。
(https://www.gentosha.jp/article/16313/)

 

浄土真宗の信心、つまり二種深信は、ある意味、
「なにをやってもだめだ(仏道を歩めない)」という究極のマイナス思考から、
「なにがあっても大丈夫(仏道のまっただ中)」という究極のプラス思考に到達する、
究極の心の大転換です。

 

「矛盾してる」「分からない」という前に、
ご一緒にお聴聞いたしましょう。

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

情をもって

 

【記念事業】

 

親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗(りっきょうかいしゅう)800年。
浄土真宗は今、大きな慶びの時です。

 

さらに本年は、専徳寺ができて400年、
また再来年は、専徳寺本堂の阿弥陀如来ご本尊を迎えて300年となります。

 

この大きな節目をご縁に、これからの浄土真宗・専徳寺の法義繁昌(ほうぎはんじょう)を願って、記念事業に着手いたしたいと思います。

 

【三門】

 

記念事業の内容は三門(さんもん)(山門)修復を中心とした境内整備を考えています。

 

お寺の正門である三門(さんもん)。

 

専徳寺の三門は、両横に小門を配した本格的な城門造り。ケヤキ材が使われ、歴史的にも古く、本堂と同じ240年前の建立と推測されます。

 

【聖道門】

三門(さんもん)の名の由来は、一般的に、仏となるための三つの修行「三解脱門(さんげだつもん)」といわれます。

 

 @ 空(くう) 解脱…一切の存在は空である。
 A無相(むそう)解脱…一切が空であるが故に、差別すべき相(ありさま)はない。
 B無願(むがん)解脱…差別なき故に、願い求める(執着(しゅうじゃく)する)ことは何もない。

 

人生の苦悩の原因は煩悩にあります。

 

修行をつんで執着(しゅうじゃく)心の煩悩が消え、苦悩が解決された境涯を仏といいます。

 

自らの力で修行し煩悩を断って仏となる道、これを「聖道門(しょうどうもん)」といいます。

 

【浄土門】

 

親鸞聖人がおすすめくださった門は「浄土門(じょうどもん)」といいます。
それは自力修行と真逆の他力の道。
阿弥陀仏の救いの道であり、本願を聞法してお念仏する道、浄土で仏とならせていただく道です。

ただ浄土の一門ありて、情(じょう)をもってねがいて趣入(しゅにゅう)すべし。  (道綽(どうしゃく))

浄土門は、煩悩をおさえるどころか、情にもろく、情に流され涙をながす、そんな私たち凡夫が通っていける門です。

 

様々な事情をかかえながら、日々泣き、笑い、怒るという凡夫の心情をさえぎることなく、お浄土への道、仏の道に向かわせるという阿弥陀仏のこの上ない願い(ご本願)の上に成り立っています。

 

【門徒と共にある人生】

 

住職になって16年になります。その間、600人以上のご門徒の葬儀がありました(専徳寺以外でのお葬儀も加えて)。

 

初めて遇う故人もいれば、お茶をのみながら笑いあった人。議論で白熱した人、悩みを聞いて泣いた人。旅行にいった人、そして共にお念仏を喜んだ人。

 

 「すべては如来大悲の出来事なり。」

 

どの方々も浄土真宗・専徳寺の門をくぐった「ご門徒」であり、そして私の人生にとって、なくてはならない方々です。

 

 「またお浄土で会えるのですね。」

 

 そんな事を三門(さんもん)を眺めつつ思う今日このごろです。

 

(住職だより 第32号 より)

 

【追記】

 

その後、こんな事をご指摘くださるご門徒がいました。

 

「三門は三解脱門ならば、自力門であり私達には関係ないのではないでしょうか?」

 

自力にはげむ事はしない浄土門、
自力が廃る(すたる)浄土門ですが、
自力を知ることで他力の妙味が分かります。

 

ちなみに浄土真宗で「三門」といえば、辞書『浄土真宗聖典』に次の説明が出てきます。

 

・三門:要門(ようもん)真門(しんもん)弘願(ぐがん)のこと。

 

これは親鸞聖人の教えの特色の一つで、
浄土門を第十八願第十九願第二十願を根拠に三分割したものです。
第十八願が真実であり、第十九願第二十願は方便、
門という言い方でいけば、
弘願(門)は真実で、要門真門は方便です。
方便を捨てて真実に帰すべきことをすすめられるお示しです。

 

具体的に同じ辞書には次のようにあります。
よろしければご覧ください。

 

 

要門(ようもん):浄土に往生するための肝要な門の意。
善導は「玄義分」に「その要門とはすなはちこの『観経』の定散二門これなり」と述べ、
定散二門のこととする。
親鸞は、弘願に転じ入らせる法門のこととして用い、
第十九願、およびこれを開説した『観経』顕説にもとづく自力諸行往生の法門のこととし、
弘願に対する語とした。
「化身土巻」には
「これによりて方便の願(第十九願)を案ずるに、仮あり真あり、また行あり信あり。
願とはすなはちこれ臨終現前の願なり。行とはすなはちこれ修諸功徳の善なり。
信とはすなはちこれ至心・発願・欲生の心なり。
この願の行信によりて、浄土の要門、方便権仮を顕開す。」(註392)とある。

 

真門(しんもん):真実の法門のこと。
親鸞は第二十願、およびこれを開説した『小経』顕説にもとづく自力念仏によって浄土に往生しようとする法門のこととし、
弘願に対する語とした。
「化身土巻」には、
『小本』(小経)には、ただ真門を開きて方便の善なし。」(註392)、
「いま方便真門の誓願について、行あり信あり。また真実あり方便あり。願とはすなはち植諸徳本の願これなり。」(註397)などとある。

 

弘願(ぐがん):広弘の誓願の意。
一般には四弘誓願のこととされ、
『往生要集』には「一には縁事の四弘願なり」(七註903)とある。
浄土教では、もとは『安楽集』に「つぶさに弘願を発してもろもろの浄土を取りたまふ」(七註269)とあるように、
阿弥陀の四十八願を表す語であったが、
善導は「玄義分」に「安楽の能人は別意の弘願を顕彰す」(化身土巻引文・註383)と述べ、
四十八願のうち、特に第十八願を指す語とした。
親鸞も第十八願の意とし、第十九・二十願の教えである要門・真門に対して他力念仏の法門を顕す語として用いた。
「化身土巻」には「彰といふは、如来の弘願を彰し、利他通入の一心を演暢す。」(註381)、
『浄土和讃』には「一代諸教の信よりも
弘願の信楽なほかたし」(註568)等とある。

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

 

誤解ないまま

【信長の言葉】

 

先日、小学生の娘と話をしていました。

 

「4月8日って何の日か知ってる?」
「?」

 

そこでヒントとして、
右手で天井を指し、左手で地面を指すポーズをしました。

 

「しんらんさまの誕生日?」
「おしい、お釈迦さまだ。
4月8日はこの世でただ一人ほとけさまとなられて、
大切な事、
とくに阿弥陀さまの事を説かれたお釈迦さまのお生まれになった日、『花まつり』だよ。」
「へぇー」
「お釈迦さまは、生まれてすぐに七歩あるいて、
『天上天下唯我独尊』っておっしゃったんだよ。」
「知ってる。それって信長の言葉でしょ。」
「?」

 

信長の言葉?
「人生五十年」なら聞いた事がありましたが
お釈迦さまの言葉も言ってたのかと驚きました。

 

でも、よくよくたずねると織田信長ではありませんでした。
海南大付属1年生、清田信長の言葉、
バスケット漫画『スラムダンク』の登場人物の台詞でした。

 

【個人プレー】

SLAMDUNK

「わかってねえな… この意味を…………(誰も)」
「あの流川がパスしたんだぞ… あの流川が」
「あの… 天上天下唯我独尊男がパスを!!」

 

この「天上天下唯我独尊男」とは「個人プレーにはしる人」という意味でしょう。
自分の才能に自信があり、自分勝手な行動をとる人。
仏法にご縁がない世間の人の中には、
「天上天下唯我独尊」はそういう意味にとらえがちかもしれません。
何故なら文字通りよめばそうなるからです。

 

お釈迦さまの誕生の物語から、
この言葉だけが一人歩きしてしまい、
「世界中で(天上天下)で、ただおれ独りだけが偉い(唯我独尊)」と。

 

「赤ん坊が右脇から生まれて、いきなり七歩あるいて、
しかも『天上天下唯我独尊』ってしゃべったなんて、うける(爆笑)!」
(某高校生の教室にて)

 

誤解をとくには、お寺でお釈迦さまの物語を最後まで聞いてもらうしかありません。

 

空を飛ぶ鳥から、地面の下の虫まで、
すべてのいのちはひとしく尊いとみるのが仏さまです。
すなわち、誰もがその境界、
迷いを転じて悟りを開く(≒仏になる)事ができると示されました。

 

王位を捨て、ただひたすら人々を救うために真実の道を説かれた人生です。
そんなお釈迦さまに救われた人たちが、
「たった一人で、生涯身を粉にして法を説きつづけてくださった」と、
お釈迦さまの生涯を讃えて、尊敬の思いをこめて、
その誕生に、七歩あるいたエピソード(六道輪廻をこえる、もしくは満数(誓願成就)という意味か)を、
「天上天下唯我独尊」とおっしゃったエピソードを加えたのでした。

 

「天の上にも天の下にも、ただわれ独り尊し」とは、
「天の上にも天の下にも、ただひたすら、われは独り、尊し(真実を歩み、真実を説かん)。」
と仏陀となることの決意表明です(※1)。
そしてお釈迦さまの壮大な八十年の物語が始まるのでした。

 

仏教語とはなかなか誤解されがちです。
今の時代、笑われながらでも、そのエピソードを知ってもらい、
そしていつかその真意にであってもらいたいものです。

 

【立教開宗】

 

さて、4月8日から一週間後の4月15日は「浄土真宗立教開宗記念日」です。

 

立教開宗とは、「独自の教義を立てて一宗を開く」という意味です。
浄土真宗ができたことを記念する日です。

 

大正12年、親鸞聖人の主著『教行信証』がひととおり完成した年を、
その著にある、「元仁元年(1224年)」(註釈版417頁)と定めました。
今年はその元仁元年から800年、立教開宗800年です。

 

ただ親鸞聖人に開宗の意志はありませんでした。
あくまで浄土真宗は「浄土へ生まれる宗要(かなめ)となる真実えの教え」を指します。

 

浄土真宗の教えは大きく三本柱です。
他力本願、往生浄土、悪人正機。
ですが「天上天下唯我独尊」同様、
800年間、誤解されがちです。
こちらも笑われながらでも、阿弥陀さまのお話を聴聞してもらい、
そしていつかその真意にであってもらいたいものです。

 

【正しく伝える】

 

ところで今から3年前、
次世代にご法義がわかりやすく伝わるようという願いをこめ、
浄土真宗のみ教え」というご文があらわされました。

私の煩悩と仏のさとりは 本来一つ

「自他一如」「煩悩即菩提」という仏さまの難解な教義を、
「わかりやすく伝える」という事に挑戦くださいました。

 

ただその後に続くのが、

私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ 「そのまま救う」が弥陀のよび声

言葉は生き物です。
間違って「唯我独尊」を解釈するような世間が、

 

「なるほど、おれの煩悩は、煩悩であって煩悩ではないのだ」
「浄土真宗とは何にもしなくてよい、気楽な宗教なのだな」

 

一僧侶として誤解がおこらないように努力したいものです。
「唯我独尊」同様、一人歩きしないことを願うばかりです。

 

「浄土真宗」は「真実の教え」です。
親鸞聖人の90年の生涯のご苦労を無駄にしないため、
後の世に正しくわかりやすく伝えていきたいと思います。

 

……とはいえ、この「浄土真宗のみ教え」は、
一部加筆され「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」という名目となり、
しかも「全員唱和」という話まで発展して、現在大きな問題となっています。

 

「領解文」という名がつくと、意味合いもかわります。
また内容も聖典に準ずるような、大変重い位置づけになります。
それなのに元総長の某氏の思想が多分に感じられます。
(元本願寺総長の某氏の思想が多分に含まれていることは、
木下明水氏、また勧学司教の会が指摘し、問題視されています。)

 

ただでさえ誤解されやすい浄土真宗です。
一僧侶の責任放棄をしているわけではないのですが、
「新しい領解文」は再検討として、
いったん取り下げていただけると大変たすかります。

 

(※1)
「天上天下唯我独尊」には続きがあります。
たとえば『修行本起経』では「天上天下唯我為尊 三界皆苦吾當安之」。
「天上天下、ただわれ尊となす。三界は皆苦なり。われまさにこれを安んず」、
この場合、「独尊」ではなく「為尊」ですが、
仏陀として人々を導くことが示されています。

 

また「唯我独尊」について、本来の意味をこえて、
「ただ我ら独りひとり尊し(すべての存在は尊く、かけがえのない命を与えられている)」と解釈される場合もあります(参照)。

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

青蓮華

【夫婦】

 

2月14日、岩国市市民会館にて前進座の公演『花こぶし』を観劇しました。

 

恵信尼さまを中心にした親鸞聖人のご生涯のお芝居でした。
歴史上、公けに僧侶で妻帯した親鸞聖人と、
初めて、僧侶の妻を名乗られた恵信尼様。
京都・越後・関東と、
人々が災害や罪業に苦しむ激動の時代を、
お念仏のみ教えを支えに共に歩まれるご夫婦を熱演くださいました。

 

親鸞聖人は29歳の時、六角堂で観音菩薩より夢告を受けました。

「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」
(御伝鈔 上巻 第三段)

「行者、宿報にてたとひ女犯すとも、われ玉女の身となりて犯せられん。
一生のあひだ、よく荘厳して、臨終に引導して極楽に生ぜしめん。」
(和訳 もし行者(のあなた)が過去からの因縁により女犯の罪を犯してしまうなら、
わたしが美しい女の身となりその相手となりましょう。
そして一生の間よく支え、 臨終には導いて極楽に往生させましょう。)

 

親鸞聖人にとって、妻は観音菩薩の化身、阿弥陀さまのお慈悲の象徴でした。
また恵信尼様もかつて夢で、

「あれは観音にてわたらせたまふぞかし。あれこそ善信の御房(親鸞)よ」
(恵信尼消息 第一通)

そうお告げを聞いたのでした。

 

夢告で相手を特別な存在と知らされ、
お互いを敬慕しあった恵信尼様と親鸞聖人です。

 

お念仏こぼれる家庭は、
単なる夫婦や家族関係で終わらない事を教えられました。

 

【インタビュー】

 

観劇の後に思い出したのがSさんご夫婦でした。

 

一昨年の12月3日、「コロナ禍の時だからこそ、ご門徒の声を残そう」というインタビュー企画があり、
担当したSさんのお宅をおとずれました。

 

海風対策らしく、ガラス張りの立派なお仏壇でした。
その仏間でのSさんとインタビューは、
当初20分のつもりが45分を超えてしまいました。

 

土徳の話、法座参りのご縁、お父さんの話……
そして奥様の話になりました。

 

「こう言ってはなんですが、うちの家内は少々抜けてるところが多い。
けれども私が『○○寺へお参りにいこう』と言うと、
一度として反発することなく『はい』と言って、ついてきてくれました。」

 

Sさんの奥さんがお寺参りできるようになったのは、Sさんのお父さんのお育てでした。
「自分はもう行けないからお寺へいってくれないか。」
たのまれた奥さんがお聴聞から帰ってくると、
「どんな話だった?」とお父さんからたずねられたそうです。
すぐには答えられず、しばらく家の周りを回った末に、
「たしか……阿弥陀さんいう仏さんが救う、って話でした」と答えると、
「おお!そうか、そうか」とお父さんは喜ばれたのでした。
いつの間にか、お寺参りが自然な事になったのでした。

「わが妻子ほど不便なることはなし。それを勧化せぬはあさましきことなり」
(蓮如上人御一代記聞書65)

家族ほど愛しいものはありません。
だからこそお念仏のみ教えを伝えるべきである、という意味です。
その言葉通り、
Sさんと奥さんは山口県のいろんなお寺の法座へ参り、一緒にお聴聞したのでした。
時には車中でさっき聞いた話を「ありがたかったね」と話しているうちに、
こらえきれず車を停めて二人で涙した思い出もあったそうです。

 

【青蓮華】

 

奥さんは現在は施設。
認知症になりもうお念仏はでません。
「一緒にお聴聞した頃が懐かしいです。」
Sさんは少し照れながら、
「家内とはこんな約束をしました。
『お浄土にはいろんな色の蓮の花がある。
でも自分は青い蓮の花がすきだから、
お互いどちらが先か分からないが、
お浄土では青い蓮華の上で再会しよう』と。」
奥さんは素直に「はい」と答えられたのでした。

 

インタビューの後、Sさんはこんな笑い話をしてくださいました。

 

かつて関西であった仏教壮年会の大会に参加して、
帰りは寝台列車に乗ったSさん。
ところが朝起きると、車内が騒がしく、どうやら泥棒がいたとの事。
調べてみるとなんと自分も腕時計が見当たりません。
仕方なく「紛失届」などの提出のため途中下車をして家に電話しました。
「……そういうわけで少し帰りが遅くなる。」
「あなた、大阪に何しにいったの。後生の一大事を聞いておいて、
腕時計がなくなったぐらいで何を狼狽しているのですか。」
一本とられたそうです。

 

……インタビューから1年後、
Sさんの奥様がご往生された事を風の便りで聞きました。

「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」

『阿弥陀経』を勤めると出てくる青蓮華。

「両目浄若青蓮華(りょうもくじょうにゃくしょうれんげ)」(阿弥陀さまの目は浄らかな青蓮華のようです)

『十二礼』にも出てきます。

 

読経しながらお浄土の青蓮華で待っているSさんの奥様を想像してしまいます。
コロナ禍のおかげで聞く事ができた貴重な仏縁でした。

 

【青蓮華】

「わが妻子ほど不便なることはなし。それを勧化せぬはあさましきことなり。」

Sさんから教えていただいた蓮如上人の言葉には続きがあります。

「宿善なくはちからなし。わが身をひとつ勧化せぬものがあるべきか。」

家族を勧化する事、一緒にお聴聞する事はすばらしいですが、
ご縁がととのわなければ残念ながらかないません。

 

けれどももっと大切なのは自分自身です。
自分自身が葬儀・法事・法座と「わが事」として仏法を聞いていきます。
わが身の勧化です。
その後ろ姿が、もしかしたら家族にも伝わるご縁になるかもしれません。
そして「倶会一処」、お浄土の蓮の花の上での再会につながるかもしれません。

 

新年度です。
お互い、新たな気持ちでお聴聞したいと思います。

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

2つの贈る言葉

【過去はかわる】

 

先週の金曜日、中学校を卒業する長女の卒業式に出席しました。

 

会場には「卒業証書授与式」の大きな横断幕がかかっていました。
先生・生徒・保護者・来賓あわせて200人をこえるであろう中、
厳粛に証書授与がとりおこなわれました。

 

授与式の後、校長先生がこんな言葉を生徒に贈っていました。

 

「過去は変えられる。未来は変えられない。」

 

一般的に「過去は変えられない。未来は変えられる」といいます。
(調べると、元は精神科医エリック・バーンの言葉で、
「過去と他人は変えられない。変えられるのは未来と自分自身だ」
(You cannot change others or the past. You can change yourself and the future.)
のようです。)

 

過去の出来事は終った事。くよくよしても仕方がありません。
未来に向かって歩もうといった励ましに使います。

 

では「過去は変えられる」とは何でしょうか。
この場合の「過去」は、「過去の出来事」ではなく「過去の解釈」といった意味合いです。

 

何気ない過去の出来事、
また思い出したくない辛い過去の思い出も、
今の自分の見方によって、「あの時のおかげで」と思えた時、
大切な思い出へと変わります。
過去を忘れるのか、過去を変えるのか、その人次第です。

 

卒業式はその後、在校生のお礼の言葉、卒業生のお礼の言葉と続きました。
「あの時、先輩にやさしく指導してもらった事、決して忘れません。」
「みんなで工夫しあって成し遂げた運動会。大切なものを教えてもらいました。」
激励やお礼の言葉を聞きながら、
「運動会・・・暑くていやだ・・・」と言っていた娘の言葉を思い出しながら、
何気ない過去が、とても意義深いものに変わっていっているなと感じました。

 

【法事の時間】

 

やり直しのきかぬ 人生であるが 見直すことはできる(金子大栄)

 

卒業式は単なる儀式ではありません。
卒業生本人も、保護者も、そして学校にとって大きな意味があります。

 

法事も同様です。

 

葬儀の辛い悲しみをご縁にみ教えにであう時、
その悲しい過去の出来事から、「あの流した涙のおかげで」と、
尊い意味が生まれます。

 

誰もが最初はお念仏を申す事に抵抗があります。
お経を読む事には不慣れです。
けれども仏さまの教えを聞き、
「南無阿弥陀仏」の中身を聞く中で、
徐々にできるようになっていきます。

 

そして、ちょうど落語を聞いていると、
そこにいないはずの熊さんや与太郎が見えてくるように、
美しいお荘厳のお仏壇、
厳粛なご法事の雰囲気の中で、
目の前で読経したり法話したりする僧侶の姿は透けて、
尊い姿が浮かび上がり、
尊い声が聞こえてくる、
そんな人もいるかもしれません。

 

わが身の無常の有様と、
仏さまの常住の存在。
この悲しみと喜びをかみしめられるのは、
他ならぬ“あのときの過去”なのです。
どの出来事一つとして漏れてしまえば成立しない、
そんな今、ここに、私の仏さまに抱かれた尊いいのちがあります。

 

世界中のどんな宝物にもまさり、私のいのちを捨てず、
煩悩まみれの私を離さぬというご本願。
そんな如来さまのお心、仏心の結晶が「南無阿弥陀仏」です。

 

【証書の中身】

 

中学校の卒業式から9日後、
小学校を卒業する次男の卒業式に出席しました。

 

授与の後、校長先生のお話がありました。
(……以前、「校長先生ってどんな人?」とたずねると「話が長いかな」という息子。
その事が気になりながらお話を聴いてしまいました。
すると、
(校長先生)「卒業の皆さんに2つの事をお話したいと思います。」
(私)「1つじゃないんだ……」
(校長先生)「1つ目は某研修会で山口大学の小川仁志先生がおっしゃられた言葉です。これからの子が必要な力に、5つあります。」
(私)「5つもあるのか……」
盛りだくさんの内容に、
だんだん目の前に座っている5年生数名が猫背になっていくのが印象的でしたが、
とても格調高い、ありがたい祝辞でした。)

 

その話の冒頭でした。
「先ほどみなさんが受け取った卒業証書。
そこにはここにおられる来賓の方々や先生、
地域の方々の愛情がすべてこめられていることを忘れないでください。」

 

卒業証書は子どもによっては単なる紙切れに見えるかもしれません。
なかなかその値打ちはわからないかもしれません。

 

大人になって見えないものが見えるようになった時、
その卒業証書にはたくさんの思い出や周りの思い・願いがこめられていると実感します。
「卒業証書」一枚に託された、言い尽くすことのできない心です。

 

【授与式】

 

南無阿弥陀仏。
葬儀で故人から託された唯一無二のものです。

 

それは単なる仏の名であって、
阿弥陀さまから授与された、
凡夫の私の往生浄土のための全ての功徳がこめられています。

 

南無阿弥陀仏という「卒業証書」。
法蔵菩薩が兆載永劫の修行を完成、卒業されました。
その証を南無阿弥陀仏という如来の名号に示されます。

 

その事に気づき「南無阿弥陀仏」と称える時、
初めて法事はその人にとって真の「法事」、
を大とする時間となります。

 

卒業式の中心は「卒業証書授与式」です。
単なる学校最後にやる行事ではなく、
証書を受けとる事が大事であるように、
自分がまさに南無阿弥陀仏のお慈悲の法を受けとり、
往生浄土が間違いない身と定まり、
その証としてお念仏申せる身となる事で、
真の意味で浄土真宗の法事は成立するのです。

 

法事に座り、念仏申す事で、
過去の悲しい事実がかけがえのない大事なご縁へと変わります。
そして、「未来は変えられない」です。
中学の校長先生のおっしゃった意味とは異りますが、
決して変えられる事のないお浄土への道。
「何があってもこの道が変えられることがない、むなしく終わる事がない」、
そのように‘後生の一大事’(生死の問題)が解決させられる事、
そのような法事が浄土真宗の厳粛なご法事の中にあるのです。

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

露と月と時計

【露】

 

コロナも落ち着き、
先日、久しぶりに布教団の懇親会に出席しました。

 

その乾杯の席で、先輩のN先生が次の歌を紹介されました。

 

「世の中は 何にたとえん 水鳥の はしふる露に やどる月影」(道元)

 

89歳のN先生。最近しみじみと感じるそうです。

 

寒中、川で休む水鳥がいます。冬は川が凍ります。
ですから水鳥は時折起きて凍った川をつつくのです。
その際にくちばしから飛び散る一瞬の水滴。
「そのぐらい世の中ははかない」と、
実際に寒中の川辺で水鳥と一緒に過ごしたであろう道元禅師ならではのたとえです。

 

【月影】

 

一瞬で消える露に映る月影。
見事な無常歌ですが、
単なる厳しい無常歌に見えないのがこの歌の魅力です。

 

ポイントは月です。
なぜ道元禅師は水滴が見えたのか。
その水滴に月の光が反射していたからでした。
月がなければ夜露はみえません。

 

仏教の定石として、露が無常をあらわすように、月は如来をあらわします。

 

こんな一瞬のようなわが生涯(世の中)にも、
仏の光、如来さまのお慈悲が宿ってくださるありがたさ。
また逆にいえば、
月の光のおかげで露がみえたように、
仏の光にであったおかげで、
この人生のかけがえのなさが見えてくるのです。

 

露と月、二つの語が登場する歌。
N先生のおかげでまた一つ、ありがたい歌にであえました。

 

禅宗は厳しくも禅の体得によって悟る聖者の教えです。
真宗は念仏のおいわれ(ご本願の話)を聴聞する事で仏の光に出遇う凡夫の教えです。

 

大切な人との別れの涙を経験し、
その事を縁として仏法を聴聞し、
信心・名号という拠り処にであいます。
そんな人生、光に照らされた露は、はかない露にはかわりませんが、
永遠(アムリタ)を意味する甘露のごとき、
無量寿の仏さまと共にあるいのちです。

 

今日もまた 露のいのちを 永らえて ほとけの法(のり)を 聞くぞうれしき(※1)

 

なめて知る無量寿の香や露の味(一次庵菊舍)

 

【時計】

 

さらにN先生は、歌に続いてこんな話をされました。

 

「現在自分の部屋には時計が3個ある。
どれも正確に時をつげる。
それを見て何を思うか。
『……少しは遅れたら良いのに』。」

 

時計は無常をしっかり教えてくれます。
一瞬として留まることなき世です。
どんどん経過します。
「もう少し長く娑婆にいたい。」
寿命が短くなっていく感覚。
その気持ちは凡夫であるかぎり脱ぎ去ることはかないません。

 

いずれ多くの人が経験する、病院のベッドにいる時間。
白い無菌の部屋で一人ぽつんといます。
周りは何も変化しなくても、
時間は刻々と流れていきます。

 

静かに経過する時間、無常の風吹く中にも、
静かに経典の教えが、至徳の風吹く念仏が、
「そのまま来い」という南無阿弥陀仏の喚び声が鳴り響きます。

 

弥陀の大悲の願船に乗せられて、
悲しくも凡夫の後悔ぬけないまま、
嬉しくも光明の広海を進んでいく、
それが阿弥陀さま、無量寿仏と共にある寿命観。
寿命そのものが、単なる器ではなく、「生きた寿命」となる生命観です。

 

(※1)
後日、神戸のあるお寺の坊守さまから電話をいただきました。
「『今日もまた 露のいのちを 永らえて ほとけの法(のり)を 聞くぞうれしき』、
亡き住職が机の上にかざっていた歌でした。どなたの歌でしょうか?」

実は誰の作か分かっていませんでした。
法話の作成中、「露」「月」の出てくる歌を探していた所で、たまたまみつけたので引用しました。

そこでこの歌(以下、X)についていろいろ調べてみました。

  1.  冒頭の「今日もまた〜」という表現は、鎌倉時代頃の歌にも登場する。
  2.  久坂玄瑞の遺詠に次の歌がある。

    「けふもまた知られぬ露の命もて 千年も照らす月を見るかな」

  3.  最後の句「ほとけの法を 聞くぞうれしき」は、一遍上人に似た歌がある。

    「ともはねよ かくてもおどれ こころこまみだのみのりと 聞くぞうれしき」

久坂玄瑞と一遍上人の歌を知る作者が、Xを作ったとも考えられます。

また広島にある原爆養護ホーム「やすらぎ園」の被爆体験記『紙碑』第二集(昭和60年(1985)5月25日発行)の中に、
川畑ユキヨさんという方が、自らの体験の後、次の歌を詠まれています(152頁)。
「今日の日も またつゆの命 ながらえて 御仏の声を きくぞ嬉しき」


川畑さんがどこかの法話でXを聞いて、それを真似して作られたとも考えられますが、
ひょっとすると、これがXの原作という可能性もなくはありません。

 

もしもご存じの方がおられたら、是非ご一報・ご教授ください!

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

蕎麦と苺

【同じ麺類だけど】

 

ご門徒のMさんは蕎麦打ちの達人です。
先日、例年の「節分そば」を打って持ってきてくださいました。
早速、お昼にざるそばでいただきました。
のどごしなめらか、実に美味でした。

 

息子が部活を終えて帰宅。

 

「Mさんの蕎麦だけど、食べる?」
「食べる。あとインスタントラーメンも食べる。」
「!?」

 

よほどお腹がすいていたのでしょう。
でも、あの手打ち蕎麦を食べた後に、インスタントラーメン?
なんだか蕎麦に失礼な気が。

 

確かにインスタントラーメンも美味しいです。
非常食としても便利です。
でも打ち立ての蕎麦の味が台無しです。

 

そういう私も、ネギやワサビで食べます。
蕎麦本来の香りを充分に味わっているかどうか。
けれどもインスタントラーメンは食べません。
Mさんに失礼です。

 

夕方にMさんとLINEのやりとりをしました。

 

「(蕎麦は)もう召し上がりましたか?」
「堪能いたしました! ごちそうさまでした!」
「そう言っていただけると、励みになります。」

 

今年の秋の新そば、楽しみです。

 

【二つの門】

 

蕎麦とインスタントラーメン。
同じ麺類ですが、蕎麦を打ってくださった思いを考えれば、
2つ同時に食べるものではありません。

 

さて仏教に二つの道があるとする浄土真宗です。
それは「聖道門」(しょうどうもん)と「浄土門」(じょうどもん)。
前者は比叡山・高野山・永平寺等、修行をして煩悩を断じ、仏となる道です。
後者は浄土真宗のように、阿弥陀仏に帰依をして、浄土往生する道です。

 

「聖道門」にもいろいろあるように「浄土門」にもいろいろあります。

 

その中、浄土真宗は「他力の信心」が肝要です。
煩悩を断じる事はしません。
阿弥陀仏に帰依しようとしない、わが身に巣くう疑惑心(仏智疑惑)を問題とします。
疑念をはらす方法はただ一つ、仏法の聴聞です。

 

お聴聞を通して、お経を伝えてくださった方の思いをいただきます。
わが身の愚痴・罪悪深重の性質と、
阿弥陀さまの仏智・摂取不捨の道理をうかがいます。

 

気づけば如来への疑い心、自力の過信は廃っていました。
阿弥陀さまへ安心して生死流転の問題(後生の一大事)をおまかせする心持ちから、
報恩感謝の意味でお念仏を称える人生です。

 

手打ち蕎麦とインスタントラーメンの同時食。
あまりおすすめできないように、
「聖道門」(しょうどうもん)と「浄土門」(じょうどもん)、この2つを混ぜると大変です。
もっといえば、(前住職の法話によく出ますが、)水と油です。
混ぜるとどちらも使い物になりません。
聖道門と浄土門、全く違うのです。

 

煩悩という「油」あるまま安心して歩める道。
ですが油はすぐ引火します。
だから火には近づきません。
わが心の煩悩を野放しにはしません。
他力の教えだからこそ、非常に倫理性が高い宗教といわれるのが浄土真宗です。

 

【2つの味】

 

ところで、たとえば、
インスタントラーメンには近づかず、蕎麦を堪能した後に、
食後に苺の「あまおう」とミスドのドーナツが出たとします。

 

苺とドーナツ、どちらから食べますか?
当然、苺からです。
ドーナツから食べたら、苺の本来の甘さは分からなくなります。
「この苺、甘くない」となりがちです。

 

「いのちの問題、死の問題」を語る仏教の話は苺、
「ワイドショー」的な世間の話はドーナツです。
あまおうという仏教の繊細な味は、
ドーナツという世間の濃い味と比較すれば負けます。

 

世間の話を無視して生きる事は、
現実問題、出家していない私たちには無理です。
だからこそ順番を大切にしましょう。

「仏法をあるじとし、世間を客人(まろうど)とせよ」(蓮如上人)

お寺参り、すなわち法話を聞き、法語をかみしめ、そして世間の事と関わります。

 

「聞いても仏教の事がちっともわからん。」
それは世間の味に少々マヒしているのかもしれません。
たまたまつけたテレビで、
義理でまいった法事で法話を聞いたぐらいでは、
なかなかその味はわかりません。

 

またお仏壇があるならば、一日の始まり、「お朝事」を大切にしましょう。
お仏壇の前でお勤め、お念仏、阿弥陀さまのお礼をして、
それから、学業・稼業・事業に専念したいものです。
(もしもないならば、起きたら「南無阿弥陀仏」とお念仏から始めてはどうでしょう?
誰にも邪魔されることはありません。)

 

仏教の味、お慈悲の甘みを忘れません。
諸行無常の逆風。
日々いろんな事がある人生ですが、
お慈悲の香り、仏智の光を知る時、
諸行無常は他力無上の風、
浄土という大いなる目的にいざなう順風と感じられることです。

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

青鬼の目に阿弥陀

【鬼体験】

 

毎年2月の第一週、にっしょう認定こども園には”ある”お客さんがやってきます。
太い棒を持ち、2本の角を生やした怖い人。
子ども達は新聞紙をまるめて「豆」を作り、豆まきの練習をします。

 

生まれて初めて「鬼」役をしました。
幼稚園の衣装は小さかったので青鬼の衣装を購入しました。

 

青鬼となって各クラスを訪問すると、
おびえる子ども、泣き叫ぶ子ども、喜ぶ子ども……反応は様々でした。
仮面でほとんど前は見えません。
「福は内 鬼は外」とずいぶん豆を投げつけられました。
面白い体験をさせてもらいました。

 

【鬼先生】

 

鬼で思い出すのが今から25年前の僧侶の教習。
約10日間、僧侶としての本格的な作法を学ぶ研修です。
いろいろな先生がおられた中、
「鬼の○○○」と異名をもつK先生がおられました。

 

教習初日だったと思います。
「スリッパがそろっていない! やりなおし!」とK先生の大音声。
大広間に集合した私たちの脱いだ上靴がバラバラでした。

 

「そんな事もできないのか。教習をうける資格はない!」

 

真に受けた私は本当に辞めようと思いましたが、
友人がなんとかとめてくれました。

 

その教習の後半、『御文章』拝読の試験の時です。
部屋に入ると、なんとK先生が。
「聖人一流章」を読み終った後、
どんな厳しい指導があるのかドキドキしてると、
K先生は言いました。

 

「ええっと、岩国組の専徳寺さんですね?
初めまして、同じ組の□□寺の○○○と言います。
お父さまにはいつも大変お世話になっております。」

 

低姿勢で大変親しく話しかけられビックリしました。

 

鬼のK先生。
僧侶としてのマナーの大切さを厳しく教えてくださいました。

 

【鬼神】

 

そして鬼で思い出すのは、
親鸞聖人の『浄土和讃』現世利益和讃です。
鬼、正確には「鬼神」という見えない超人的威力をもった存在が何度も出てきます。

 

鬼にも良い鬼、悪い鬼の二種類あります。
仏法に帰依する梵天・帝釈天は善鬼神。
仏法に帰依なき夜叉・羅刹等は悪鬼神。

 

(101)南無阿弥陀仏をとなふれば
 四天大王もろともに
 よるひるつねにまもりつつ
 よろづの悪鬼をちかづけず

 

(106)天神・地祇はことごとく
 善鬼神となづけたり
 これらの善神みなともに
 念仏のひとをまもるなり

 

(107)願力不思議の信心は
 大菩提心なりければ
 天地にみてる悪鬼神
 みなことごとくおそるなり

 

お念仏を称える者は悪い鬼が近づいてきません。
それは阿弥陀さまと共にある者だからです。
仏法を邪魔する悪鬼神に決して邪魔されることなく、
仏法を守護する善鬼神に常に仏道を護られています。

 

【鬼の才市】

 

外部の悪鬼は豆をまかなくても近づかない念仏者ですが、
では悪鬼はいないかというと、
大変近くにいるようです。

 

浄土真宗の法話でよく登場する妙好人浅原才市さん。
その肖像画のお話は有名です。

 

ある時、妙好人で有名な浅原才市さんの肖像画を、
同じ町の日本画専門の画家が描きました。

 

それは小柄な才市さんが、肩ぎぬをつけてきちんと正座し、
珠数をもった両手を合わせ、合掌している真正面のポーズでした。
いかにも美しい念仏の信者という姿です。

 

ところが絵ができあがったので才市さんに見せると、
気に入るどころか才市さんは、

 

「この絵はわたしに似ていない、わたしの絵じゃない。」
「どこが似てないというのですか。」
「いい顔でありすぎる。」

 

才市さんは、
「わたしはこんな良い人間じゃない。
鬼のような恐ろしい心をもって、
人を憎んだり、ねたんたり、怨んだりする浅ましい私が、
少しも描かれていない」、
そんな心持ちだったのでしょう。
気に入らなかったのです。

 

「じゃ、どうすれば、あなたに似るのですか?」
画家がたずねると、
「頭に角を描いてください。
人の心をつきさし、
傷つける恐ろしい角を心のうちにもっている事を描いておくれ。」

 

「私はこんな美しい信者ではない。
もっともっとどろどろした浅ましい煩悩をかかえている凡夫。
私の心は如来さまに向かうどころか、
如来さまに背きづめのどうしようもない、
鬼のようなものだ。」
それが才市さんの本心です。

 

説明に納得して帰った画家は、
数日たって描き直してもってこられたそうです。
頭に二本の角の生えた才市さんの肖像画はこうしてできました。
(参考 梯実圓『妙好人のことば』149-151頁)

 

【青鬼の私】

 

先日、幼稚園の生活発表会プログラム用に、
先生が私の絵を描いてくれました。
やさしそうな笑顔です。

 

生活発表会1

 

でも中身は青鬼です。
愚痴の心、嫉みの心、被害妄想にとどまる様子がありません。
縁がととのえば、
いつでも体をつきやぶって角がでてきそうです。

 

でも、だからこそお念仏で救うと誓われた仏さまの理由がここにあります。

 

あさましや
さいち(才市) こころの火の中に
大悲のおやは 寝ずのばん
もえる機(き)を ひきとりなさる
おやのお慈悲で

 

「機」とは如来さまのお救いの対象になっているものという事です。

 

鬼の私が正真正銘の私であり、
そんな私を「私」と受け止められる大悲の親さまとの人生です。

 

「なんでこんな辛い目に」と悔やみ、同時にその原因の他を怨み……
業がつもりつもってできた青鬼。
その青鬼の目にも見えるのが阿弥陀の大悲です。
自業自得の悪業も、
仏さまとの邂逅のかけがえのないご縁とかわる時、
青鬼のまま、この身このまま、大切に前に歩んでいけるのです。

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

光る君と

【宿題】

 

年末に高2の長男が不平をこぼしていました。

 

「また百人一首を覚えなければならない!」

 

高校1年生の冬休みも同じ宿題があったそうです。
そして彼は言うのでした。

 

「百人一首なんて絶対つかわないし!」

 

そういう気持ちも分からなくもありません。
では、何故担任の先生は百人一首を覚える宿題を出したのか?
何も生徒を苦しめるためではないでしょう。

 

「百人一首の素晴らしさ、そして短歌の素晴らしさを知る人間になってほしい。」

 

そんな思いの宿題のはずです。
「テストで出るから」という理由で嫌がる生徒に無理矢理覚えさせるのです。
そんな先生を、私はありがたい先生だと思います。

 

日本人がはるか昔から大切にしてきた短歌という詩型。
大人になってから本格的に内容を味わうには、
今、十代で感動しなくてもある程度覚えてしまった方が、
今後の人生、はるかに楽しいものになります。

 

【夜半の月】

 

今年の大河ドラマ『光る君へ』の主役は紫式部。
彼女の詠んだ歌が百人一首57番目の作品です。

 

「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな」(新古今集より)

 

歌の意味は、
「めぐりあって、見たのはそれかどうかもわからないうちに、
雲にかくれてしまった、夜中の月のように、
ひさびさにめぐりあって、逢ったのは、
あなたかどうかもはっきりしないくらいに、
あわれただしく帰ってしまわれたあなたですよ。」
(三木幸信著『小倉百人一首』57頁)

 

あわただしく逢い別れた幼友達への名残惜しさを詠んだものです。

 

三木氏いわく、
「理知的な作者の才能に支えられて、余情のある一首」となっています。

 

全く「友」の事は出てきませんが、
内容がシンプルなだけに、
大切な「友」がおのずと見えてくる、
その人を大切に思う気持ちがうかがえる作品です。

 

【六字】

 

「お経なんて絶対つかわねーし!」
という声が法事に参列した若者から聞こえてきそうです。

 

そういう気持ちも分からなくもありません。
では何故僧侶や法事をつとめる施主は、法事で読経をすすめるのか?
何もその若者を苦しめるためではないのです。

 

「お経にこめられたお釈迦さまの思い、
そして故人の思いを知る人間になってほしい。」

 

誰もが故人同様、波瀾万丈の人生です。
その荒波を渡る船、
仏の光と声にであってほしいのです。

 

「あなたはお念仏に、
南無阿弥陀仏の六字に、
阿弥陀さまの喚び声が聞こえていますか?
あなたの煩悩の雲をつらぬいて、
一直線に届いている仏さまの光が見えていますか?」

 

平安時代よりはるか前から大切に伝えられてきた六字の念仏。
人生の苦難に遭い、いよいよもって、仏さまのお慈悲に出遇う前に、
若い内からお念仏の心にふれておく事をおすすめします。

 

法事が終われば、紫式部の詠んだ「夜半の月」のように、
煩悩の雲で世間の情報にのみこまれ、
故人の事も仏さまの事も見えなくなる私です。
けれども月は常に私の上にあるように、
阿弥陀さま、お浄土だけでなく、
旧交を温めた無数の懐かしい故人は、
常に見守ってくださっています。

 

お念仏申す時、その雲をさっとはらい、月を見ることです。
そこには「光る君(あなた)」ならぬ、光の仏さまがおられます。
光るあなたと共に歩む人生、それがお念仏の人生です。

 

【念仏浴】

 

現在、本願寺では一週間、御正忌報恩講、親鸞聖人の御命日法要が勤まっています。
来週、専徳寺でも3日間、報恩講が勤まります。
法事もさることながら、
やはり法座でお説教を聞く事が何よりもお念仏が身につきます。

 

日光浴、森林浴、そして博物館浴。
気分がリフレッシュし、
実際に体に良い影響をあたえてくれる「〜浴」。
同じ「よく」でも「欲」と「浴」では全然違います。

 

ならば法座浴というのはどうでしょうか。
法座に参り、
仏さまの光を浴び、
仏さまの香りを浴びます。

 

そして念仏浴。
いつでもどこでも一人でも実践できます。
いつでもどこでも「一人にさせない」という、
仏の深きみ法の遇う時間。
その効果はメーターがないので数値化できませんが、
僧侶の私は、そして親鸞聖人も、多くの方々も、
そしてきっと故人もおすすめの筈です。

 

(おわり) ※冒頭へ

 

 

 

阿弥陀さまが運転手

 

人生はいつだって今が最高のときなのです。(宇野千代)

 

【入校式】

 

昨年末、経営している幼稚園バスの運転のために、
地元の自動車学校に相談にいきました。

 

「どんな教習を受けたら良いのでしょうか?」
「ではこれをどうぞ。」

 

もらった入校案内の紙には「MT8t限定解除教習」とありました。

 

「……ミッションですか?」
「ええ。」

 

ミッションはクラッチを使ってギアチェンジをする車です。
28年前、ミッションで普通免許をとりました。
けれどもそれから一度も乗ったことがありません。

 

掲示板

一週間後に入校式、そして午後から教習が始まりました。
待っていると、「ガガガガ」っという音を立ててトラックが。
「え、こんなに大きいの?」と驚く私。

 

運転席に座ると想像していたよりはるかに高い位置です。
ミラーはサイドミラーの他にアンダーミラー、サイドアンダーミラーがあります。
それでも死角が多いので、目視は必須です。
曲がるときは後ろの車体(オーバーハング)がはみ出る事に注意。
また急いでハンドルを回すと車体が縁石に当たります。

 

28年ぶりのクラッチ操作、ギアチェンジでした。
しかも普通車と違ってセカンドからの発進。
その上その教習用トラックはバックギアがセカンドギアの左隣。
頭がこんがらがってしまいました。

 

トラック独特の感覚に全くスピードが出せません。
あまりにひどい運転にイライラする教官。
「もっと、飛ばしてください。」
「左によりすぎです、ミラーが当たります!」
「ギアがセカンドじゃなくてバックに入ってます!」
「後輪が縁石にあたります! ミラーを見てください!」
「もっとスピードを落とさないとギアチェンジできません!」
「クラッチを踏み続けないでください!」
「もうやめたい」と心底思いました。

 

そして一週間後の12月28日。
合計5人の教官から2時間オーバーの7時間の教習を終え、いよいよ卒検。
路端停止、S字コース、クランク、隘路、バック……何とかやりとげました。

 

終了後、卒検の教官(一番やさしい方でした)が、
「オートマの幼稚園バスは、トラックより運転が難しいです。
エンジンブレーキがほとんどききませんから。
未来ある子どものいのちをあずかる運転です。
とにかく安全運転にこころがけてください。」
懇々と諭され、ギリギリ合格することができました。

 

あれから一週間。
教官の言葉を思い出しながら安全運転にこころがけています。

 

【2種類の運転】

 

教習中、あらためて運転には2種類ある事を教わりました。

 

「かもしれない運転」と「だろう運転」。
運転時の心構えを言い表したものです。

 

「だろう運転」は希望的観測にもとづく運転です。
「たぶん縁石には当たらないだろう」
「たぶん(他の車は)いないだろう」
「たぶん(歩行者は)飛び出してこないだろう」
運転に慣れた人に多い、
自分に都合のいい解釈で運転してしまう運転です。

 

「かもしれない運転」は危険予測運転です。
「縁石に当たるかもしれない」
「他の車がいるかもしれない」
「歩行者が飛び出してくるかもしれない」

 

「かもしれないと思えない運転は絶対に事故る。見てないんだから。」
目視をしつこく言われた4番目のT教官の言葉です。

 

「免許なんかとらなければ良かった」と思うのが事故です。
そうならないようにしたいものです。

 

【本願力】

 

「かもしれない運転」と「だろう運転」。
これは普段の生活にも言えます。
「だろう」ではなく「かもしれない」と予測する事の大切さ。
「火を消し忘れているかもしれない。」
「雨が降るかもしれない。」
「……かもしれない。」
慎重しすぎるにこしたことはありません。

 

そして仏教の説く「諸行無常」とは、
人生の「かもしれない運転」です。

 

「まだ死なないだろう。」
ではなく、
「今日が私の人生最後かもしれない。」(関連法話 「毎朝の仏壇の前で」
だからこそ悔いなくつとめます。

 

ただもう一つ、浄土真宗は「本願他力(他力本願)」を説きます。
それは阿弥陀さまの「かもしれない運転」。
阿弥陀さまの予測、油断なき活動です。

 

「今日がお前の人生最後であっても、空しく終わらせない。」

 

本願力というお慈悲の活動がしあがった事。
私はその事を聞くばかり、
お慈悲をいただくばかり、
そしてお念仏申すばかりです。

 

今日も目を覚ましてから「かもしれない運転」にこころがけます。
車の運転中、曲がる時はきちんと目視。
生活でも要所要所はきちんと点検。
けれどももう一つ、
仏さまの「かもしれない運転」、
私には決して見えない死角を見通した仏さまの安全かつ円滑な運転の車に乗車します。
その車とは具体的には「南無阿弥陀仏」というお念仏となって現れています。

 

半分冗談ですが、「念」は「今の心」と分解できます。
今、私がどんな心境であっても、
「もうやめたい」と思っていても、
私は仏さまが運転する車中、
常に仏さまの安全運転の上です。
それをいただくお念仏です。

 

【今がありがたい】

 

年末のお参りをしながら、
ご門徒の皆さんに質問しました。

 

「コロナが五類になった今年です。
一年を振り返ってみて、
一番嬉しかったのはいつですか?」

 

小旅行と答える方が多く、また家族・親戚との再会との答えもありました。
中には「いや〜、嬉しかった事って……ないですね。」
「辛い事なら覚えてますけど。」
と苦笑いされる方も。

 

満点の答えがあります。

 

「一番嬉しかったのはいつか。今です。」(関連法話 「1番はいつ?」

 

生きている事、それ自体が嬉しいともいえます。
でもそれ以上に、如来さまと共に生きている事。

 

一年365日、今日も24時間、片時もはなれず、
まさに今、仏さまが共にあるいのち、
それが私です。

 

旅行している時も、親しい人と再会している時も、
何もない時も、辛い時も、
今とかわらず如来さまと一緒でした。
そしてこれからも如来さまと一緒です。

 

「いつが仕合わせ? 今が仕合わせ。」

 

そう合点させられたお念仏の人生は、
最後の最後まで最高です。

 

 

(おわり) ※冒頭へ

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