山口県は岩国にある浄土真宗寺院のWebサイト

法座の言葉(1〜100)

目次

 

内容

No.100 蔀 晃尊師  平成4(1992)7/15,16

 

『西路を指授せしかども
自障障他せしほどに
広劫以来もいたずらに
空しくこそは過ぎにけれ』
(『高僧和讃』 註釈版聖典p.593)

 

大乗仏教の理想は自利利他である。
自利とは自分の功徳のために修行に努めること。
利他とは他者の救済のために尽くすこと。
大乗仏教は自利のみの人を小乗仏教(小さな乗り物)と批判した。
それ以上にひどい者を、自障障他という。
自らも損ない、他者をも損なう。
お念仏を疑う人のことを宗祖はそう嘆かれた。
「なぜ自己の浅い智慧を誇って、如来を疑う」
「なぜ素直になっていただかないのか」
かけがえのない人生を恵まれて、お念仏を疑う人生はムナシイと。 

 

 

 

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No. 99 福間 義朝師  平成4(1992)6/17


親鸞聖人ほど自分の人生を語られなかった人はいない。
「比叡山で何をしていたか」
「いつ結婚したか」
「子どもは何人でどんな暮らしであったか」一切語られない。
しかしよくよく宗祖の言葉をうかがってみれば、
『正信偈』の「帰命無量寿如来 南無不可思議光」の2句に
自分の人生の全てを語り尽くしておられる。

 

人生を語るとは、家、子、仕事などの細かい事を語る事ではない。
自分の命の依り所を語ってこそ本当に語ったと言う事である。
「み仏様に帰命し南無しました」と言えてこそ、
自分の人生の命の真実を語り得た事である。

 

 

 

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No. 98 田中 誠証師  平成4(1992)5/11~13


大分県中津市の長久寺は五百年の歴史をもつ浄土真宗の名刹です。
その長久寺が昨年の台風で浄土真宗寺院の中で
全国最大規模の被害を受けました。
5月22日お見舞いに行きました。
門徒一戸平均30万円、総額三億五千万円で修復する事が決まったと
六十歳過ぎの坊守さんが安堵の顔で応対されました。
「去年は私はこの寺の五百年の歴史で一番ふの悪い坊守になりました、
3年後は一番幸せな坊守になります。」
木札に志納金を書かれる総代さんの肩ごしに、
「写経のつもりで一字一字お念仏しながら書いて下さいよ。」
「如来様がわざわざここに風を持ってきて下さって、
本堂を綺麗にせえよと教えて下さったんですな、
わたしゃ皆とそう言いもってます。ナンマンダブツ」と。

 

 

 

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No. 97 稲田 静真師  平成4(1992)3/13,14


『ひそかにおもんみれば、
難思の弘誓は難度海を度する大船、
無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。』
(『教行信証』 註釈版聖典p.131)

 

よくお浄土が<ある>か<ない>かと問う人がいますが、
それは間違っています。
大事な事は、私を連れ行くという阿弥陀様を持つ事です。
例えば親戚に行く母親が幼児と一緒に行こうと連れます。
子は、親戚の家の方向も<ある><なし>も信じもしなければ疑いもしません。
ただ、間違いのない親と一緒だと安心してついて行くのです。
親様と一緒が先決なのです。

 

 

 

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No. 96 上原 泰教師  平成4(1992)1/27~28


『一つには真宗興行の徳を讃じ
 二つには本願相応の徳を嘆じ
 三つには滅後利益の徳を述す。』
(覚如上人『報恩講私記』 註釈版聖典p.1066) 

 

真宗とは広大な「真理」の意味です。
単に「浄土真宗」という宗派の事ではない。

 

だがいかに広大な宇宙であれ、
わが家の小さな庭もその広大な宇宙の中であるごとく、
いかに広大な真理であれ、
私を包まない真理の法はないのである。
「ナモアミダブ仏」とはその事実なのです。

 

そう知らされてみればもう迷う事はないでしょう。

 

 

 

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No. 95 深川倫雄和上  平成3(1991)9/20,21


『しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、
至徳の風静かに衆禍の波転ず』
(『教行信証』 註釈版聖典p.189)

 

私を楽に楽にお念仏生活をさせる為に
むこう様が命がけになって下さったんです。

 

「至徳の風静かに」とは、お念仏申しながらということです。
「願船に乗じて……」とは、まぁゆっくりとおやんなさいということです。

 

 

 

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No. 94 曽我 弘道師  平成3(1991)8/26,27


『たとえ法然上人にすかされまゐらせて、
 念仏して地獄におちたりとも、
 さらに後悔すべからず候ふ。』
  (『歎異抄』 註釈版聖典p.832)

 

私が二十年前父から住職を譲り渡されて、
ご門徒の法務を一手に引き受けてお参りし始めて驚きました。
浄土真宗でありながら浄土真宗が何なのかさっぱり理解されていないのです。
そこで門徒に訴えた事は、
「私にとって浄土真宗とは何なのか」をはっきりと自覚して頂きたいという事でした。
浄土真宗とは、「南無阿弥陀仏のお念仏を、如来のお呼び声」と頂く宗教です。
如来様から呼ばれる世界に、迷いも・不安も・孤独もありません。

 

 

 

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No. 93 若林 真人師  平成3(1991)7/11.12


『よく一念喜愛の心を発すれば、
 煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり…』
  (『正信偈』 註釈版聖典p.203)

 

『正信偈』の中の「能発一念喜愛心~是人名分陀利華」は、
親鸞聖人がお念仏に聞き触れていく私に恵まれる
広大な利益を歌いあげて下さったものです。
私達は阿弥陀さまの仰せに聞き触れていく身になって良かったですね。
阿弥陀さまのお話は世間の話しと違います。
勿論世間にも立派な話や頭の下がる話はあります。
けれどもこのご法義は如来さまのお誉めを頂くお話です。
如来さまが、わが身に届けて下さったお誉めは、
その人間境涯が人生の最高の出来事ではないぞ!
やがてお悟りという広大な境涯、阿弥陀と等しい大きな身にするとの仰せなのです。
分陀利華とはその意味です、

 

 

 

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No. 92 桑原 範雄師  平成3(1991)6.17


『遇いがたくして今遇うことを得たり。
 聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。』
(『教行信証』 註釈版聖典p.232)

 

人は今しか生きることが出来ない。
明日はまだ来ていないし、昨日はもう過ぎ去り、
どうにも取り戻すことも出来ない。
その意味では、未来の死は生きている限り今の問題ではない。
しかし人は、常に過去を背負った今を生き、
未来を目指した今しか生きることが出来ない。
その意味では、確実な未来の死の問題は何よりも大事な今の問題である。

 

「滅びの命を生き終わるのか、永遠の命を生き得るのか」
その別れ目こそ宗教の問題である。
お念仏に遇わせて頂いたとは、
「我いま永遠の命を賜われり」と、言い得る身にさせて頂いたということである。

 

 

 

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No. 91 藤沢 量正師  平成3(1991)5/22.23


『なみだのゆえに み仏は
 浄きみ国を 建てたまひけり』
  (仏教学者 白井成允師)

 

仏法は目覚めであり、浄土は現世を照らす光であります。
み仏は浄土を人のために建てなすったのではない。
生きる事に涙を貯めねばならない私のためにご建立なすったのである。
だから仏法は、苦悩が消えて安らぎが得られるとも、
悲しみが去って、幸せが頂けるとも説かない。
苦悩の真ん中に座しながらも、私を照らして下さる光があり、
私を呼んで下さるみ声があると目覚めさせられるのが仏法である。

 

 

 

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No. 90 天岸 浄円師  平成3(1991)3/12.13


『聞其名号 信心歓喜』 
  (『大無量寿経』本願成就文 註釈版聖典p.41)

 

本堂のお聴聞はこの成就文に指示されるごとく、
如来のみ名である南無阿弥陀仏のおいわれを聞くのです。
けれどもそのみ名は、私達人間の名前のように、
他人と自分を区別するための符丁ではありませんから、
単に南無阿弥陀仏の説明を聞く事ではありません。
「間違いなくお前を、願いのままに救いとる仏に、
すでになったから安心しなさい」と、聞く事なのです。

 

あなたには南無阿弥陀仏がすでにそう聞こえてますか。
良かったですね。

 

 

 

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No. 89 大峯 顕師  平成3(1991)2/27


『如来の作願をたずぬれば
 苦悩の有情を捨てずして』
  (『正像末和讃』 註釈版聖典p.606) 

 

人間は誰でも願いを持って生きています。
いや、願いや夢があるから生きていけると言ってもいいでしょう。
けれども私達のその願いは、身近な自己中心的な願いばかりです。
私達の眼が遠い向こうを見る事が出来ないように、
私達には早く本当に自分が願わなければならない事が願えないようです。
如来様は
「あなたが本当に願わなければならないのは、
お浄土に生まれたいと願う事だよ」
と教えて下さいました。
死を前にしてもなお崩れる事のない願い、
そんな願いは考えてもみませんでした。
けれども崩れる夢ばかりを見ていたのでは
家族、夫婦、親子、兄弟といっても、
ついにはお互い皆行く道が違ってしまいます。
私達の人生の空しさはここにありました。
如来の示された「浄土への道」を、同じく願ってこそ、
私の人生の完成も、愛しい者同士の絆も満たされるのです。

 

 

 

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No. 88 福田 康正師  平成3(1991)1/23~26


『時機純熟の真教なりと 知るべしと』
  (『教行信証』 註釈版聖典p.138)

 

仏法はいつ聞いても分かるというものではないらしい。
教えは一つで勿論変わりはないけれども、
聞いている私の方に「聞く心」が育てられてこそ
「聞こえて」下さる。
その心を育てる機縁は、多くの場合、
逆縁に遭ったり、夢が壊れたり、人生に立ちすくんだ時である。
実は、仏法の機縁は暮らしの真ん中にあるのである。

 

仏法にあうまでは、広大な海の中の小さな油粒のように、
殻の中に私の人生を閉じこめているのだ。
自分の夢が打ち砕かれた逆縁こそ、
その油膜を破って私を広大な仏法海に溶入した仏縁であったのだ。
時機純熟−如来様、ままならない人生をありがとう。

 

 

 

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No. 87 深川倫雄和上  平成2(1990)9/20,21


『聞其名号 信心歓喜(その名号を聞きて、信心歓喜せん)』
  (『無量寿経』 註釈版聖典p.41)

 

三十代の若き宗祖は法然門下での勉学の中で、
特に「法界身」、つまり如来さまは一切世界にみちみちてまします事
を喜び学ばれた。
だが五十〜六十代でのご製作とみえる『本典』には
その事に触れておられない。
如来さまとは「名号」(声の仏さま)だと示される。
「法界身」の「身」の言葉を警戒なされたのである。
姿を拝むんじゃない。
今我に称えられてあるのが、実の仏なるぞ…。
との経意を歓喜せられたのである。

 

 

 

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No. 86 蔀 晃尊師  平成2(1990)8/21


およそ私どもは情をもって生きております。
その情をもって生きておる者にとって一番つらい事は何かといいますと、
死ぬるという事であります。
よく虚無感といいますが、
この言葉の根源は、いかに嫌でも死んでいかねばならんという事でしょう。
どれ程地位を手に入れても、
どれ程お金や名誉を手に入れても、
死に際して何もかも空無に帰していく。
それが虚無観の根源であります。
釈尊は言われました。
「仏法のない生活は、あした必らず焼けるという家を
今日一生懸命建てておるという事だ」と。

 

死にゆく私が永遠の生命の如来に会いました。
よかったですね。

 

 

 

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No. 85 橋本 明宣師  平成2(1990)7/13,14


『?蛄春秋を識らず、
 あに朱陽の節を知らんや』
  (曇鸞大師『往生論註』)

 

我々が?蛄(けいこ・蝉)が夏に鳴くと知っているのは、
四季を知っているので夏だとわかるのです。
蝉自身は、今が夏だと知る事もなしに命一杯鳴いているのです。
同じように、我々も命いっぱい「み名を称えて」いくのです。
そのお念仏の尊さを、凡夫の力量で学び尽くす事などできるはずもありません。
それは仏様が知っていて下さいます。
お念仏は「知った、わかった」の世界ではありません。

 

「知った、わかった」は如来さまにおまかせして、
夏蝉のごとく命一杯今日も「仏徳の讃嘆」を称えます。
「ナモアミダブツ ナモアミダブツ」と

 

 

 

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No. 84 藤内 遊修師  平成2(1990)6/15


『ひたすら聞法につとめ、
 慈光に照らされた日々を送ります』
  (仏教婦人会綱領)

 

ひたすら聞法につとめとは、何があってもお聴聞の座にすわることです。
お聴聞の座にすわると「仏さま」の声が聞こえてきます。
私の悩みが、結局人間相手であった事が知らされます。
あてにならん人間をあてにしてたから苦しんだんです。
やがて置いていく世間に念を入れようと思っているから悩んだんです。
苦悩はつきませんが、光の中の日々と知らされました。

 

 

 

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No. 83 上原 泰教師  平成2(1990)5/14,15


『広劫多少のあひだにも
 出離の強縁しらざりき
 本師源空いまさずは
 このたびむなしくすぎなまし』
  (『高僧和讃』 註釈版聖典p.596)

 

師と先生は少し意味合いが違います。
先生とは知識を与える人、
師とは智慧を授け、人生の道を示して下さる人のことでしょう。
現代は一億総先生といっていいくらいに先生は溢れていますが、
果たして師は…。
いや、師と呼び仰ぐ人を私が持っているでしょうか。
親鸞聖人あなたにお出会いできてよかった。
示された道を歩んでもう迷う事はありません。

 

 

 

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No. 82 豊島 学由師  平成2(1990)3/13,14


『慶ばしい哉心を弘誓の仏地に樹て
 念を難思の法海に流す』
  (『教行信証』 註釈版聖典p.473)

 

今度出す書物の題名を「喜び誠なれば悲しみもまた有難し」とつけました。
それは聖人の
「慶ばしい哉」「悲しき哉」「誠なる哉」の
三哉の言葉がヒントになっています。
聖人の心の中には、
この三つの心が追いかけっこの様にグルグル回っていたのでしょう。
それはまた、私の煩悩と如来さまのお慈悲との追いかけっことでも言えるでしょう。
「ナモアミダ仏の荒縄でしばりつけられて

 

身の不自由な幸せ者」(安岡シナ)
如来さまに指名手配された幸せ者です。

 

 

 

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No. 81 大内 察爾師  平成2(1990)2/25


『因縁生なるがゆえに有なり。
 無自性なるがゆえに、
 無なり空なり無常なり』

 

お釈迦さまはある時、
「なにもかも燃えている」とつぶやかれました。
お弟子が「何が燃えているのですか」と尋ねると、
「山も木も人も、何もかも燃えている」と答えられました。
成程この世にある全てのものは、
速度の違いこそあれみんな燃えていくのです。
燃えていくと見抜かれた真実の眼を通して告げられたのが、
お念仏の救いです。

 

 

 

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No. 80 中島 昭念師  平成2(1990)1/21~24


『心中をあらためんとまでは思ふ人はあれども
 信をとらんと思ふ人はなきなり』
  (『蓮如上人御一代聞書』 註釈版聖典p.1286)

 

昔も今も、宗教は道徳と同じように考えたり、
人間の欲望の道具のように思ったりする人が多いようです。
それは違います。
宗教とは信の問題なのです。
脳血栓で十年間病床にあって亡くなった
本呂尾の故・藤重一三さん、お寺に参る奥さんに
「お寺に参るのは話を聞きにいくんじゃないぞ、
抱かれちょることをお聞かせていただくんぞ」
と言い続けられたとか。
これは浄土真宗の全てを言いつくした言葉です。藤重さん、見事ですよ。

 

 

 

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No. 79 深川倫雄和上  平成1(1989)9/21,22


『かの名号は よく衆生一切の無明を破す
 よく衆生の一切の志願を満てたまふ』
  (曇鸞大師『往生論註』)

 

問題は間もなく私が死んでいくという事です。
お念仏を信じて死んでいくのです。
どんな調子のいい人生観を並べてもつまらん。
この人生をいきる、もうこの世にそんな用事はない。
どうしても大切なのは私自身でありまして、
ごまかさず弥陀を信じ、
お浄土を信じて死んでいくのです。
「阿弥陀さまは私をお助け下さってお浄土にお迎え下さる」
その何を信ずるかと言えば、ナモアミダ仏=名号を信ずるのです。
アミダ様はナモアミダ仏=名号となって私に到り届いてある。
私はナモアミダ仏=名号によってアミダ様と会うのです。

 

 

 

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No. 78 岡村 謙英師  平成1(1989)8/24,25


『人は去っても その人の言葉は去らない
 人は去っても その人のぬくもりは去らない
 人は去っても拝む手の中に帰ってくる』
  (相愛大学長 中西智海)

 

宗祖はその著書の中で、仏と浄土を論じられました。
けれどもそれは、単に仏教語の解説をされたのでは勿論ありません。
「阿弥陀仏は私の親さまです。お浄土は私の帰るふる里です」
と讃仰されたのです。
その如来さまの親心を通して、亡き肉親の心をまた偲びます。
それは、死別ではなく浄土へ帰られた方だと聞かされた事で初めて可能な心の交流です。

 

 

 

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No. 77 若林 真人師  平成1(1989)7/5,6


『「同縁去らん者早く相尋ねん。」
 問ふ「相尋ねて何の処にか去かん。」
 報へていわく、「弥陀浄土の中に。」
 問ふ「何に縁りてか彼に生ずることを得ん。」
 報へていわく、「念仏自から功を成ず。」』
  (慈愍和尚 依『般舟三昧経』)

 

浄土は私が帰らせて頂く世界であると同時に、
亡き人を尋ねていく世界である。
又、亡き人により私が尋ねられ導かれる世界である。
同縁−浄土を持つ事により、死者は亡き後も私と共にある。
今更どうしておられるか−お茶を飲みながら、フッと思う。
いや、口にお称名あればこそ偲ばれる。念仏有難し。

 

 

 

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No. 76 山下 義円師  平成1(1989)6/19


『法蔵菩薩因位時 法蔵菩薩の因位の時
 建立無常殊勝願 無上殊勝の願を建立』
  (『正信偈』 註釈版聖典p.203)

 

菩薩とは仏様になる前の御修行者の事。
だから全ての仏様には菩薩であった時期があるのです。
私達の阿弥陀様のその時の名前を法蔵菩薩といいます。
無量寿経に詳しく説かれます。
菩薩には全て願いと修行があります。
法蔵菩薩の願いとは四十八願、行とは「ナモアミダ仏」に成るという御修行でした。
ですから私が「ナンマンダ仏」と口に称える姿は、
法蔵菩薩の願い叶った姿であり、御修行成った証拠なのです。
だから私のお称名をこの世で一番喜んで下さるのが
「アミダ様」なのです。お称名致しましょう。

 

 

 

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No. 75 藤沢 量正師  平成1(1989)5/15~17


『選択不思議の本願、無常智慧の尊号をききて、
 一念も疑ふこころなきを真実信心とはいふなり、
 金剛心ともなづく。
 ……このゆえに信心やぶれず、かたぶかず、
 みだれぬこと金剛のごとくなるがゆえに、金剛の信心とは申すなり。』
  (『唯信鈔文意』 註釈版聖典p.702)

 

お経には「幸福」の言葉がない。
それは「幸福」とは条件次第で変わりつめるものだからである。
お経には「真実」が示される。
その真実=ナモアミダ仏とは、
この身の中に入りこんでこの私を変える力を持つものである。
泣いて当たりまえの人生を喜びに変え、
ゆれ動く私の心を確かな方向に歩ませる力、
それが真実=尊号=金剛の信心の世界である。

 

 

 

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No. 74 武内 洞達師  平成1(1989)3/13,14


『思い通りになった時は、
 おかげで今度までは思い通りになったけれども、
 この調子でいつまでも思い通りになるとは決まっとらんわい、ナンマンダ仏。
 思い通りにならん時は、
 だいたい思いよることがわがまま勝手な事しか思いよらんから
 思い通りにならんでも丁度計算はおうとるわい、ナンマンダ仏』
  (妙好人 堺の吉兵衛)

 

念仏者の用心に十種あり。
平生、参詣、聴聞、退席、帰家、病気、看護、順境、臨終の用心なり。
されど臨終の用心はいらぬなり。
順境、逆境の用心とは右の如し。

 

 

 

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No. 73 伯  教雄師  平成1(1989)2/19


『如是我聞………歓喜信受』
  (浄土三部経)

 

お経は「我聞けり」の言葉で始まります。
大事な言葉です。信仰の言葉とは、
他人事、評論家気分で聞いては意味がないという事です。
又お経は「歓喜信受」の言葉で終わります。
合掌し、心安らいで、身に歓びが溢れていく
…この世に一体そんなお話があったでしょうか。
人間の話しでは、どんなに上手に語られてもそんな心にはなりません。
仏様のお話しだからでしょう。
如是我聞、私が仏様のお話しを聞く身になったとは…。

 

 

 

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No. 72 上原 泰教師  平成1(1989)1/26~29


『爰に久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。
 至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を?うて
 恒常に不可思議の徳海を称念す。
 いよいよ斯を喜愛し、特に斯を頂戴するなり。』
  (『教行信証』 註釈版聖典p.413)

 

御恩は聞いてみないとわからないものです。
聞いてみて初めてわかるのが御恩というものでしょう。
聖人二十九歳の時、法然上人より御法話を聞いて胸にあふれたのは、
如来の至徳御恩ということでした。
そしてその後、命終九十歳までの人生の一日一日の歩みは、
称念…ただ「ナモアミダ仏 ナモアミダ仏」と
御恩報謝の歩みで有難い事でしたと示されます。

 

 

 

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No. 71 深川倫雄和上  昭和63(1988)9/18,19


『慈心をもって相向い、
 仏眼もって相看、菩提まで眷属として真の善知識となり、
 同じく浄国に帰して、ともに仏道を成ぜん。』
  (善導大師『観経四帖疏』)

 

千二百年前の唐の時代、
善導大師は心血を注いで『観経』の注釈書『観経疏』全四巻を完成された。
その最後の言葉が右のものです。
人間だけでなく、鳥も虫も獣も全て生きとし生けるものは、
お互い慈しみの眼をもって手を取り合い、
眷属=親戚、親、兄弟として共に念仏の道を歩み、
同じくお浄土に参りましょうと述べられる。
仏道を歩み始めると、虫も鳥も住めなくして、
人間だけが快適さを求める事が嫌いとなる、
虫も鳥もみんな念仏の仲間だ。
同じ生命の鎖で結ばれているのですと。

 

 

 

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No. 70 井上 啓一師  昭和63(1988)8/18,19


『一輪の花をかざして 今日もまた
 浄土へ帰る 旅をつづけん』
  (甲斐 和里子)

 

花のない部屋は淋しい。
花のある部屋はにぎやかである。
どんなに粗末な部屋でも、
一輪の花が生けてあれば、どれ程すがすがしい事だろう。
同じように、お念仏のない人生は淋しい。
お念仏のある人生はにぎやかである。
老境や病中の辛い人生の中でも、
そこに一声のお念仏の花が咲いたら、
その一日はどんなに明るく輝く事だろう。

 

お念仏のある人生においては、
今日は終わりではなく、今日ははじまりである。
終着でなく、出発である。
毎日がお浄土への出発日。いざ 行かん。

 

 

 

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No. 69 橋本 明宣師  昭和63(1988)7/11,12


『釈迦、世に出興して、道教を光闡して、
 群萌を拯ひ恵むに真実の利をもってせんと欲すなり』
  (『教行信証』 註釈版聖典p.135)

 

群萌とは雑草のこと。
言いかえれば、誰にも認められぬ存在のこと。
それは、しかし私自身の事です。
そうは思われませんか。
いえいえ何も自分を卑下して言っているのではありません。
群萌に安らげる身にして頂いたその上で、
群萌でしかなかったなーとうなずきつつ味わっているのです。
もう、あんまり背のびしないですみそうです。

 

 

 

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No. 68 大沼 信隆師  昭和63(1988)5/11,12


『他力というは如来の本願力なり』
  (『教行信証』 註釈版聖典p.190)

 

他力をとかく他人の力、
自分で何もしないで他人の力をあてにする事のごとく考えますが違います。
本願力なのです。
願いとは相手があっておきるものです。
また相手に合わせておきるものです。
そうでないと相手が迷惑します。
だから真実の願いとは相手を見抜く智慧があってこそ初めておこせるのです。
だから智慧の不完全な人間の願いは、
いつも空しく終ります。
如来は、人の善も雑毒の善に過ぎずと見抜き、
如来の極善の功徳をナモアミダ仏と仕上げて届けられました。
今この口に響きわたったみ名が、本願力そのものの姿なのです。

 

 

 

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No. 67 豊島 学由師  昭和63(1988)3/13,14


『一切道俗もろともに
 帰すべきところぞさらになし 
 安楽勧帰のこころざし
 鸞師ひとり定めたり』
  (『高僧和讃』 註釈版聖典p.582)

 

帰るといえるのは全世界でただ1ヶ所、わが家だけである。
そのわが家とは家・場所のことだけではない。
場所があるとは言葉のある事。「
お帰り」の言葉がなく冷たい視線を注がれたら、もうわが家とは呼べない。
「ナモアミダ仏」は声の仏さま。
浄土という場所が、また声として働き届いて下さった如来さま。

 

 

 

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No. 66 上原 泰教師  昭和63(1988)2/26,27


『しかればすなわち浄邦縁熟して、
 調達(ダイバダッタ)闍世(アジャセ)をして逆害を興ぜしむ。
 浄業機彰れて、釈迦、韋提(イダイケ夫人)をして安養を選ばしめたまへり』
  (『教行信証』 註釈版聖典p.131)

 

観経に説かれた王舎城の悲劇は、他人事ではない。
わが子阿闍世皇太子によって牢獄に幽閉された韋提希夫人。
その苦悩はそのままわが苦悩と受けとめられたのがご開山親鸞聖人でした。
いや、人の世の苦悩と救いを演じて私に示して下さった、
仏様方と受け取られたのがご開山聖人です。
ああ!如来さまに背を向け続けの私とやっと知れました。
『教行信証』はその懺悔録です。

 

 

 

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No. 65 福田 康正師  昭和63(1988)1/20~23


『弥陀たのむ 人は雨夜の月なれや
 雲晴れねども 西へこそ行く』
  (福田祥雲師)

 

一昨年の一月二十二日、父は八十二歳で往生の素懐をとげました。
たった一日の煩いでした。
十年前に母が亡くなり、
父は七十歳からの老境を我々夫婦と四人の孫に囲まれて暮らしたのです。
私と時に意見の衝突した事もありました。
雨の日にじっと自室に籠もっていた時もありました。
その部屋に自作のこの和歌を色紙に書いて懸けておりました。
雲晴れねども…老いた父の胸にどんな雲霧がうごめいていたのでしょうか。
この一首を通して、今父を恋しく思い出します。
私の胸の雲晴れぬ時、特に父を恋しく思います。
その恋しさのままに、ナンマンダ仏。

 

 

 

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No. 64 深川倫雄和上  昭和62(1987)9/16,17


『五濁悪世の有情の
 選択本願信ずれば
 不可称不可説不可思議の
 功徳は行者の身にみてり』
  (『正像末和讃』 註釈版聖典p.605)

 

死ぬんじゃない、お浄土へ参るんです。
迷うんじゃない、悟りを開くんです。
消えるんじゃない。弥陀同体の身と成るのです。
それらも有難いが、
ただそれだけが真宗の喜びではない。
今この身に、仏の功徳の全てが宿ってて下さる事の喜び。
これを見失ってはもったいない。
今も臨終の後も「アミダ様がご一緒」なのです。
“死にたけりゃ死ね!この身体。わりゃ死んでもわしゃ死なん。
死なずに参るナンマンダ仏”(浅原才市)いつも御一緒なのです。

 

 

 

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No. 63 武内 洞達師  昭和62(1987)8/19,20


『煩悩具足の凡夫、
 火宅無常の世界は、
 よろずのこと、みなもって、そらごと、たわごと、
 まことあることなきに、
 ただ念仏のみぞまことにておわします』
  (『歎異抄』 註釈版聖典p.853)

 

「煩悩具足の凡夫」とは、
「よもや」という事を、
いつしでかすかも知れぬ我が身であるという事。
だから「絶対に自分だけは間違いない」という事は、
人間にはあり得ないという事。
「火宅無常の世界」とは、
「まさか」という事が、
いつやってくるかわからぬ世の中という事。
だから「絶対に自分には災難がふりかからぬ」という事は、
人生にはあり得ないという事。
…そしてその私が大悲の中、今、念仏を申して…。

 

 

 

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No. 62 清胤 徹昭師  昭和62(1987)7/6,7


『踏みはずした
 そこも
 また
 仏の道でありました』
  (念仏詩人 榎本栄一)

 

親鸞聖人はアミダ様を“尽十方無碍光如来”と仰がれました。
光が十方にみちみちていて下さる仏様、
私のいる所へ、
いつでもどこでも満ち満ちていて下さる如来様という事です。
私が喜べる時だけ、如来ましますにあらず。
立とうが転げようが、
起きようが寝ようが、
すべての場所が如来と共にあるのです。
わが口から申されるナムアミダ仏がその証拠です。

 

 

 

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No. 61 山田 行雄師  昭和62(1987)6/29,30


『譬えば千歳の闇室に光もし暫くいたらば
 すなわち明朗なるがごとし。
 闇あに室にあることと
 千歳にして去らじという事をえんや』
  (曇鸞大師『往生論註』)

 

他力は奇蹟ではない、ナムアミダ仏は手品師ではない。
因果は自然の道理、闇を破る力は光にしかない。
この自然の道理のままに、私を救う力として顕現して下さったのがナムアミダ仏。
その力を我等に知らしめるために無量光と示された、
光の力は大きい、
光の前に闇は歯が立たない。
たとえ千年の闇室も、
光の入った瞬間に明朗となる。
私の煩悩の暗闇に、ナムアミダ仏の光の襲来。
信心とはこの事、
救いとはこの事。

 

 

 

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No. 60 上原 泰教師  昭和62(1987)5/13~15


『ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、
 西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈に、
 遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、
 聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。
 真宗の教行証を敬信して、こと如来の恩徳の深きことを知んぬ。
 ここをもつて聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。』
  (『教行信証』 註釈版聖典p.132)

 

慶ばしき哉…

 

それも聞くところを慶び、獲るところを嘆ずる(讃えるの意味)なり、
これが浄土真宗の世界です。
あなたもそうなってますか。
どうぞ“聞所慶”“獲所嘆”の言葉を胸にたたんで、
これからも一緒にお聴聞いたしましょう。
(も一度、宗祖の言葉を読んで下さいませんか。も一度…)

 

 

 

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No. 59 西田 昭教師  昭和62(1987)3/16~18


『慈光はるかにかむらしめ
 光の到る所には
 法喜をうとぞのべたもう
 大安慰に帰命せよ』
  (『浄土和讃』 註釈版聖典p.558)

 

世の中が進歩し、便利になり、
生活環境の変化には目をみはるものがあります。
が、反面、物に囲まれて、
遠くを見る目を失っているとも言えるのではないでしょうか。
夜にテレビを楽しむ事で、
かえって夜空の美しさを見る目も心も失っていくように。
慈光はるかに 小さな地球が巨大な宇宙につつまれています。
小さな私の所に、はるかなる如来の救いが届いて下さいます。
この私の身に届いて下さる事が目的なのだと。私が光の到りつく目的地でした。

 

 

 

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No. 58 松尾 博仁師  昭和62(1987)2/22


『無明長夜の燈炬なり
 智眼暗しと悲しむな……』
  (『正像末和讃』 註釈版聖典p.606)

 

人生の明るさとは、幸せな、
思い通りに事が運ぶといったものではない。
むしろ私達のありのままの姿、

 

・無明(何が本当か、何が虚かわからない)
・無常(明日がどうなるかわからない)
・我執(にも拘わらず、身につけているものが、

 

人より良ければ、それだけで確実に幸せがくると信じて、
持ち物“地位や子供を含む”比べにやっきになっている)
…そんな、無明、無常、我執のわが身の悲しさを、
素直に受け入れて、そこに安らいだ時、
そこからさし込んでくるものであります。
親鸞聖人の、智眼暗しと……とはその事ではないでしょか。

 

 

 

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No. 57 中島 昭念師  昭和62(1987)1/27~30


『非常の言は 常人の耳に入らず』
  (曇鸞大師『往生論註』)

 

「無知とは、知識の詰まっていないガラン洞の状態をいうのではない。
むしろ間違った知識や信念でいっぱいになっているアタマのことである」
という言葉を聞いた事があります。
曇鸞大師もおっしゃいます。
世間の常識が一杯詰まり、それで満足している人は、
とかく「食わず嫌い」に終わって仏法が耳に入らないと。
それでは残念な事です。それで終わっては永遠に仏様不在です。
仏法は世間(常識)を超えた仏様の言葉ですよ……と。
だから人々は、真実の仏法におうた時、
カルチャーショック、驚きに見舞われるのです。仏法とは目が覚めるものです。

 

 

 

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No. 56 深川倫雄和上  昭和61(1986)9/19,20


『聞信如来弘誓願
 仏言広大勝解者
 是人名分陀利華』
  (『正信偈』 註釈版聖典p.204)

 

「分陀利華」(白い蓮の花)と阿弥陀様は私を誉めて下さいました。
人と比べて誉められるのではありません。
私の長い迷いの生命と比べて、この度は良かったぞ、
よく弥陀の願いを聞き開いてくれたと誉めて下さるのです。

 

結局、この阿弥陀様の宗教は、
一切の生き物に対して、
高々と生命の讃歌を告げて下さるのです。
あなたは仏様を宿した尊い生命なんですよ。
すばらしい生命の、今、ど真ん中にいるのですよと。

 

 

 

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No. 55 橋本 明宣師  昭和61(1986)8/19,20


『真宗の教行証を敬信して、こと如来の恩徳の深きことを知んぬ。
 ここをもつて聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなり』
  (『教行信証』 註釈版聖典p.132)

 

教えとは、こちらが手に入れるのではなく、
むこうが教えて下さるものです。
砂糖の甘さは砂糖が教えてくれ、塩の辛さは塩が教えてくれます。
如来を教えるのは如来自身です。
その如来さまをお経には、
真実明、平等覚、大応供、大安慰、無等等、不可思議光、
などとたくさんに表現されます。
一声の称名の中に、如来のたくさんの心を味わされます。
中でも大安慰、大きな安らぎを教わりました。
まさに慶所聞、嘆所獲です。

 

 

 

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No. 54 井上 啓一師  昭和61(1986)7/11,12


『いづれの行もおよびがたき身なれば、
 とても地獄は一定すみかぞかし。』
  (『歎異抄』 註釈版聖典p.833)

 

「自分を省みる」と、よく私達はいいます。
けれどもそこにあるのは、「反省することができる」
といううぬぼれであり、思いあがりでしかありません。
反省ができるくらいなら、如来の御本願はいらないのです。
言う事も思う事もやる事も罪業深重、
地獄は一定とは、まるで0点の私という事でした。
ただ恋しいのは浄土です。如来さまです。南無阿弥陀仏です。

 

 

 

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No. 53 桑羽 隆慈師  昭和61(1986)6/17,18


『「称」は御なをとなふるとなり、
 また称ははかりといふこころなり、
 はかりといふはもののほどを定むることなり。
 名号を称すること、十声・一声きくひと、
 疑ふこころ一念もなければ、
 実報土へ生ると申すこころなり』
  (『一念多念文意』 註釈版聖典p.694)

 

ご開山は「名号を称えている姿は、名号を聞いている姿です」とおっしゃいます。
聞くとはききいれる、相手の心をききいれる事です。

 

知りませんでした。
ナモアミダ仏が仏さまとは。
それが知られて称える念仏は、
ただ仏心を聞きいれていくだけであります。
「捨てられん、放されん、忘れられん」と、
この私を一子(ひとり子)のごとく憐念して下さる親心を
ナマンダ仏ナマンダ仏と聞かせていただくばかりです。

 

 

 

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No. 52 藤沢 量正師  昭和61(1986)5/13,14


『もろたもろた いい智慧もろた
 愚痴が感謝に かわる智慧』
  (妙好人 六連島 お軽さん)

 

物知りもいいだろう、
口上手、もうけ上手、世渡り上手もいいだろう。
しかし肝心なことが抜けたら大臣だって智者とはいえまい。

 

宗祖は晩年、南無は智慧と示された。
私の人生には仏の心がかよい、
仏の光があふれていると知らされた人生こそ智者の暮らしである。
称名の人こそ最高の智者でさる。

 

 

 

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No. 51 大峯  顕師  昭和61(1986)5/11


『八万の法蔵を知るというとも
 後世を知らざる人を愚者とす』
  (蓮如上人『御文章』 註釈版聖典p.1189)

 

知るとは目ざめることです。
最高の目ざめとは「私の生きている意味」に目ざめることです。
宗教とはその最高の答であります。
「生老病死に閉じこめられている私の生存は一体何のためなのか。」
ただ食うだけ、寝るだけ、それだけではないはずです。
「救済知」=自分のすくいに目ざめる。
仏さまに救われていく生命なんだ。
人に勝つため、機械を信じるためにこの頭があるのではないのです。
念仏往生、お念仏で救われる。実は最高の目ざめなのです。

 

 

 

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No. 50 豊島 学由師  昭和61(1986)3/19,20


『末代無智の在家止住の男女たらんともがらは…』
  (『御文章』 註釈版聖典p.1189)

 

家庭は心のやすらぎ場所でもありますが、
問題や悩みが起こってくるのもまた家庭であります。

 

家を捨てて山にこもるのも修行なら、
家に止まって悩みをかかえて生きるのも大変な修行といえます。
家庭暮らしの苦楽に浮き沈む私達、
けれどもそこには在家止住が目あての如来さまがいらっしゃいました。
ナモアミダ仏、これあればこそ、家庭が仏法聴聞の檜舞台となりました。
如来さまありがとう。

 

 

 

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No. 49 上原 泰教師  昭和61(1986)1/20~23


『曠劫多生のあひだにも
 出離の強縁しらざりき
 本師源空いまさずは
 このたびむなしくすぎなまし』
  (『高僧和讃』 註釈版聖典p.596)

 

金子大栄師は宗祖親鸞聖人を讃えて、
「この人を忘れて我は迷い、この人を思うて我は生きるなり」、
と讃えられました。
その宗祖自身は、その師源空上人を右のように讃えておられます。
仕事の上や趣味の上ではなく、
宗教上の師を持つ事の素晴らしさを思います。
我々は、宗祖という良き師に会わせていただいてよかったですね。

 

 

 

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No. 48 深川倫雄和上  昭和60(1985)9/19,20


『この如来(阿弥陀如来)、
 微塵世界にみちみちたまへり、
 すなはち一切群生海の心なり。』
  (『唯信鈔文意』 註釈版聖典p.709)

 

阿弥陀さまは私の外におられるのではない。
私の所にいらっしゃるのが阿弥陀さま。
いや十方衆生、
生きとし生ける者の所に
行き満ちていて下さってあるのが阿弥陀さま。

 

生きとし生ける者は阿弥陀さまを宿しているのです。
どういう姿で。
称うれば声の響きとなる
「ナモアミダ仏」という姿で
私共の所に届いて下さってあるのが阿弥陀さま。
弥陀を宿したこの身は千萬の宝よりも大切な身なのです。

 

 

 

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No. 47 田中 英世師  昭和60(1985)8/19,20


『人の世のさまざまな苦しみや悲しみは、
 やがて時が癒してくれる。
 しかし、死別の悲しみだけは、
 いつまでも心に残して忘れたくないものだ。』
  (英文学者 エマーソン)

 

“人生はやり直せないが、見直すことはできる”
という言葉の通り、
亡き人をどう受けとめるかは、
残された者の生き方にかかっています。
単なる故人に終わらすか、
それとも、私に聞法の道を開いて下さった恩師として頂くか。
夫を、妻を、子を、親を教えの師と受けとめる世界があります。
念仏の世界に生きるときっとそうなります。
念仏不思議の世界です。

 

 

 

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No. 46 寺沢 忍師  昭和60(1985)7/2,3


『本願名号正定業』
  (『正信偈』 註釈版聖典p.203)

 

小さい時から身体が弱くて、
五十二年間の障害で健康だったのは九年間くらいです。
小児喘息、結核、糖尿病など
病気の見本市のような私です。
こんな私に、
人は病気の治し方を尋ねはしますが、
病気をかかえてどう生きるかを尋ねてはくれませんでした。
病気であることは悪条件ですが、
不幸ではありません。
むしろ病気によって私は御法義を聞く身へと育てられました。
本願名号正定業、私を救う以外に
この世の何の用事もないナモアミダ仏を知らせて頂きました。
病気によって如来さまに出遇わせて頂きました。

 

 

 

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No. 45 上原 泰教師  昭和60(1985)5/16~18


『帰去来、
 魔郷には停まるべからず
 広劫よりこのかた六道に流転して
 ことごとく皆へたり
 到る所余の楽なし、ただ愁歎の声を聞く
 この生平をおえて後、この涅槃の城に入らん』
  (善導大師『定善義』)

 

善導大師は、今から千二百年前の中国は唐の人。
浄土教を確立した大恩人です。

 

この言葉はいいですね。声に出して読んでみたい。
憶えて、いつも頭の中で反復したい言葉です。
(広劫=はるか昔から 生平=一生涯)

 

 

 

 

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No. 44 清胤 徹昭師  昭和60(1985)4/11,12


『ナモアミダ仏 音もせで散る 柿紅葉』
(元運輸大臣 永野 護「辞世の句」)

 

氏は、弟の故永野重雄氏(日商会頭)ともども
政財界において名をなした人でした。
そして晩年、東京の築地本願寺で聴聞に身を置いた人です。

 

その人が、「音もせで」と書かれる所に襟を正されます。
生前の肩書きなど空しく散るものだと示されるのでしょうか。
けれども、氏には念仏がありました。
「ナモアミダ仏」と書かれた所に、
空しさを超えた光りの世界を仰がれた。篤信の氏の姿を見るようです。

 

 

 

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No. 43 久堀 勝敏師  昭和60(1985)3/13~15


『聞いた聞いた
 いいこと聞いた
 凡夫が仏になること聞いた
 聞いても聞いても何ともない
 何ともないのが目当てと聞いた』

 

如来さまの働き場所は、
この私のところしかないのです。
だから、むこうにある如来さまを信じるのではないのです。
私のいる所にはどこでも、
南無阿弥陀仏と働き出でて下さってある如来さまに、
「こうまでつきまとわれたんじゃ降参です」と、
如来さまに根負けしたのが信心なんです。
それとも口にお称名しながら、まだ勝つ気ですか?
「ようこそようこそ」

 

 

 

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No. 42 大村 英昭師  昭和60(1985)2/17


『メタ・メッセージ(伝達のための伝道)』

 

人は言葉で心を伝える。
けれども「目は心の窓」で、
言葉以上にその人の身ぶり、そぶり、まなざしはその人の心を語っている。
言葉(メッセージ)に対して、それらをメタ・メッセージと総称する。
言葉で言いつくろっても、
本音はそこにもれてしまうのだ。

 

人の心はくるくる変わる。
変わる物に囲まれていつの世も人は不安をかかえて生きる。
仏法は変わることのない如来の心を教えて下さる。
如来のその変わることのないまなざしに支えられない限り、
人は本当に生きる事も死ぬ事もできない。
ナモアミダ仏は、
変わることのない如来のメッセージであり、
メタ・メッセージである。

 

 

 

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No. 41 中島 昭念師  昭和60(1985)1/21~24


『岩もあり 木の根もあれど
 さらさらと
 たださらさらと 水の流れる』
  (念仏者 甲斐和里子)

 

普通、不運は不幸である。
けれども御法義に育てられてみると、
不運は必ずしも不幸ではない。
世の中に幸運つづきの人はなく、
だれもが思いがけない不運に出あって、
とまどい、なげき悲しむのである。
けれども、それをわが身の不幸にとどめてしまうか、
それともおかげと戴いていくかは
その人の心の豊かさによる。“
念仏者は無碍の一道”。
不運をきびしい御さとしをいただいた幸せ者と転ずる世界をもつ。ナモアミダ仏。

 

 

 

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No. 40 深川倫雄和上  昭和59(1984)9/19,20


『弥勒大士は等覚の金剛心を窮むるがゆゑに、
 龍華三会の曉、まさに無上覚を極むべし。
 念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、
 臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す。』
  (『教行信証』 註釈版聖典p.264)

 

もうすぐやってくる臨終のむこうには、
輝くさとりの世界が待っている。
それは横超の金剛心(如来のさとりのすべて)をいただいているから。
それと共に、
今から、
如来のみちみちているわが身を、
尊きものと大事にさせていただこう。
わが身にのりこんで下さってある如来の御名を称えつつ。

 

 

 

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No. 39 井上 啓一師  昭和59(1984)8/18,19


『悲しみの 涙の海に 
 隣して
 わが生まるべき 国のありけり』
  (暉峻康範師)

 

死んだらおしまいだという。
そんな人は、
死んだらおしまいになる程度の生き方しかできまい。

 

しかし我々は、
お浄土に生きれると聞かされた。
“この世だけではないぞ”と聞かされた。
この世限りでない生き方ゆえに、
この人生の喜びも悲しみも、底知れぬ味わいを持つ。
底が知れぬ  ナモアミダ仏

 

 

 

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No. 38 朝枝 思善師  昭和59(1984)7/10,11


『つつしんで浄土真宗を案ずるに、
 二種の回向あり。
 一つには往相、二つには還相なり。』
  (『教行信証』 註釈版聖典p.125)

 

如来さまは二つの計略をお持ちです。
一つには往相し往生浄土。
二つには還相し還来穢国。
しかし、結局浄土へ参らすのも、
またこの世に還って衆生を救う大活躍をさせるためだというのです。
人と見くらべて、
ねたんだり足を引っ張ったり、
そんな私を、
悩める人をすくう者にまでしようというのが如来の計略というのです。
還相まで計算されての如来の救い。
降参です。

 

 

 

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No. 37 那須 行英師  昭和59(1984)5/10~12


『はずかしや 仏を遠くに 眺めしに
 南無阿弥陀仏と 日々に体面』
  (稲垣 瑞剣)

 

自分を偉い奴だとたか上りしていると、
如来さまを小さく見下してしまう。
自分をつまらない奴だと見下すと、
如来さまを遠く私から離れたお方だと見誤ってしまう。

 

我を見るなかれ、自己を語るなかれ。
仏法は如来讃嘆ただひとつ。
“いつでも私を抱きとってある如来さま”
“南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏”

 

 

 

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No. 36 稲城 選恵師  昭和59(1984)4/17,18


『貴様!
お念仏のほかに何の不足があってワシのところに来たのか』
  (仙涯和尚)

 

お念仏の解説で私がたすかるのではない。
私を救うために仕上がったのがお念仏。

 

消えゆくものばかり、
別れ行ゆくものだらけの人の世に、
私の気づくよりも前に私の行く末に心を痛め、
その痛めた如来の心のままに仕上げて私に届いたのがナモアミダ仏。
「ナモアミダブツ」、もう充分です。

 

 

 

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No. 35 豊島 学由師  昭和59(1984)3/14,15


『生死の苦海ほとりなし
 ひさしくしづめるわれらをば
 弥陀弘誓のふねのみぞ
 のせてかならずわたしける』
  (『高僧和讃』 註釈版聖典p.579)

 

地球というたった一つの天体を除いて、
残りの全宇宙が死の世界だという科学者がいます。
だとしたら私達は、
暗い無限な海の中にかろうじて浮かぶ
たった一艘の船の中に生きている事になります。
ようこそ地球に生まれさせていただいたと思わずにはおれません。
この和讃をいただく時、
「ナモアミダ仏」は宇宙全体が私に
「良かったね」とささやく声に聞こえてくることです。

 

 

 

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No. 34 藤岡 道夫師  昭和59(1984)2/20,21


『芥子の地も捨身の処あらざることなし』
  (『教行信証』 註釈版聖典p.180)

 

浄土のおみのりには、
私の人格を磨いてこいというような注文は一切おこなわれていません。
他力のおみのりは、
私の生活態度心がけに、
負担のかかるようなものは一切もちかけないとの誓いで貫かれております。
そして、
それは私の生涯のどんな時にも「もうすんだ」と聞こえるまでの、
声の仏とおしあげ下さいました。

 

私の人生の芥子つぶのようなささいな時間も、
如来の捨身の慈悲のゆきわたっていない処はないのです。

 

 

 

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No. 33 福田 康正師  昭和59(1984)1/17~20


『この身は、いまは、としきはまりて候へば、
 さだめてさきだちて往生し候はんずれば、
 浄土にてかならずかならず
 まちまゐらせ候ふべし』
  (『親鸞聖人御消息』 註釈版聖典p.785)

 

よく人は「死んだらおしまい。死んだらつまらん」という。
そうではない。死ぬのはすばらしいのです。
生きていくのは、それが私の果たさねばならん業だから。
だからこそ力の限り果たさせていただくのです。
果たしとげた時が聖人の待たれる浄土へ参る時。
「死にたけりゃ死ねこの身体。
ワリャ死んでもワシャ死なん。
生きて参るナモアミダ仏」(才市翁)
念仏の中に生もよし死もよし。

 

 

 

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No. 32 深川倫雄和上  昭和58(1983)9/19,20


『それ真実の教を顕さば、大無量寿経これなり』
  (『教行信証』 註釈版聖典p.135)

 

弱肉強食が生命の歴史です。
「強者は栄え弱者は衰える。」
だから私達にもこの考えはしみついています。
しかし、大経の原理は違います。
それは愛の原理、
救済の原理です。
だから私達には長い間解りませんでした。
いや少々解っても、
救済は弱者の逃げ口上だと馬鹿にしました。

 

だが、違ってたんです。
人生は闘いではなかったのです。
どんな人も仏の愛の中でした。
念仏者は、一人一人の生命の尊厳に目覚めさせられます。

 

 

 

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No. 31 藤沢 量正師  昭和58(1983)8/19,20


『ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく』
  (『教行信証』 註釈版聖典p.132)

 

“ああ、如来の力強い本願は世々生々にも値いがたく”の意。

 

人生は出会いであり、
何に会い、どんな人に会うかは人の一生を左右する。
けれども人生は又別れであり、出会いは別離の序曲でしかない。
“サヨナラだけが人生ダ”と井伏鱒二も言う。

 

そうした中に生きながら、
宗祖は一生を貫いて離れる事のない背く事のない
“如来の心”に触れえしめられた事を驚喜された。
それが「ああ(噫)」の言葉となり、
あうを「値う」(価値あるものにあう)と呼ばしめたものだ。
出値う世界を持ってこそ、わが人生の価値に目覚めさせられる。

 

 

 

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No. 30 久堀 弘義師  昭和58(1983)7/7,8


『如来の本願を説きて経の宗致とす』
  (『教行信証』 註釈版聖典p.135)

 

経とは、浄土真宗の根本である無量寿経の事。略して大経と呼ぶ。
宗致とは、中心という事。
すなわち、浄土真宗とは“本願の心をいただく”のが中心なんだよ、
と御開山がおっしゃったのです。
その本願の心は深くて広くて、汲み尽くせません。
聞けども聞き尽くせません。
聞けば聞くほど、その深さに頭が下がります。
私の手に余ります。けれどもそれが、
私の口に、やすやすと、易すぎる程たやすく、
南無阿弥陀仏と到り届いて下さいます。
如来の心は、私へと動き通しの南無阿弥陀仏の姿をとっておられるのです。

 

 

 

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No. 29 久堀 勝敏師  昭和58(1983)5/10~12


『わが弥陀は名をもつて物を接したまふ。
 ここをもつて、耳に聞き口に誦するに…』
  (『教行信証』行巻・『阿弥陀経義疏』(元照)引文 註釈版聖典p.180)

 

耳に聞いたら口に出る。
噂さ話しがその良き例。
耳に聞いたら言わずにおれん。
その私の口から「お念仏」が出る。
今の今まで親が人が数々と、聞かせて下さったればこそである。
それも「そのまま救う」の親の御名。
言わずにゃおれん。称えずにゃおれん。
「出んなちゅうのに又出たか。
出るとこないが口に出た。
ナモアミダ仏と口に出た。」(浅原才市)

 

 

 

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No. 28 広兼 至道師  昭和58(1983)4/6,7


『有情を捨てず……と成就せり』

 

経典はインド語でした。
中国語に翻訳するのは大事業でした。
唐の時代、玄奘法師は経典を中国風でなくインド語に忠実に翻訳し直されました。
その時、今まで「衆生」と訳されてた私達の事を「有情」と訳されたのです。
「情をもつ身」いや「もて余す身」が私と。
宗祖はこの有情の訳を知ってより、衆生を全て有情と書き直されました。
仏語の中に私を見ます。
人も私もみな共に、情に揺られて、おぼつかなく生きているのですね。
その私こそ目あてと阿弥陀さま、あなたは名を表して下さったんですね。

 

 

 

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No. 27 田中 英世師  昭和58(1983)3/16~18


『如来の作願をたずぬれば
 苦悩の有情を捨てずして
 回向を首としたまひて
 大悲心をば成就せり』
  (『正像末和讃』 註釈版聖典p.606) 

 

どうすればいいんでしょう。
生命軽視の風潮は強まるばかり。
だが逆に、我々に仏教的生命観を説く事が求められているのでしょうか。
ギリシャの哲人も「植物と動物の差は感情の有無」といいましたが、
如来は有情(情ある者)と虫や魚の上にまで“捨てず”と心及ぶ方。
我々は同じみ親をいただく共存者でした。

 

世の人に言おう「無益な殺生」をすまい、すまいと。

 

 

 

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No. 26 御巡教  昭和58(1983)2/7


阿弥陀さまは、
私の人生を、
老病死という生命の根本問題を抱いた迷いの人生とお示し下さいました。
この問題をよけて
人生に幸福を求めても
それは真実の幸福になりえません。
その真実を見失った私に
いつも働き続けて下さっているのが如来の本願力です。
「往生成仏」はその解決です。
それに気づかされる時念仏申さずにはおれません。
念仏の真実にふれた時念仏申す身となるのです。
それは何ものにもおびやかされない
信心の喜びに生きる新しい人生の出発なのです。(即如上人御親教より)

 

 

 

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No. 25 杉形 卓浄師  昭和58(1983)1/30


『形だけの僧侶、名ばかりの門徒』
  (大谷光照前門主)

 

仏壮発表の記念講演は素晴らしかった。
しかし耳に痛い言葉もありました。それが右の言葉です。
でも良い言葉に出会ったのじゃないでしょうか。
一から出発する我々です。
厳しい課題をつきつけてこそ進歩も望めます。
「形だけの−、名ばかりの−」と自己点検しつつ、
「壮年よ!お寺へ参ろう」、聞法精進に出航−。

 

 

 

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No. 24 上原 泰教師  昭和58(1983)1/17~20


『ここに祖師の化導によりて、
 法蔵因位の本誓を聴く、
 歓喜胸に満ち渇仰肝に銘ず。
 しかればすなはち報じても報ずべきは大悲の仏恩、
 謝しても謝すべきは師長の遺徳なり』
  (『報恩講私記』 註釈版聖典p.1066)

 

このたびは高座での御縁。そしてたっぷりと
御開山の生涯を讃嘆、聴聞させていただきました。
「真宗興行のお徳」を涙と共に心に刻まれた四日間でした。
御開山の御苦労がもったいない。
その御開山のみもとへ行くかと思えば、臨終も願わしい。

 

 

 

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No. 23 深川倫雄和上  昭和57(1982)9/16,17


『寒くとも たもとに入れよ
 西の風
 弥陀の国より 吹くと思えば』
  (蓮如上人)

 

亡き人を偲ぶ。
遺影の中に偲ぶ。
墓前にて偲ぶ。
思い出の中に偲ぶ。
いやいや仏前にて偲ぼう。
故人を西方浄土の聖者として偲ぼう。
わが念仏の中にその人の声を聞こう。
光り輝くアナタ。私を仏縁へ導いてくれた坊や。
「又会える。又会える。」
念仏の中にいつでも通って来てくれる。

 

西方は懐かしい。
西方は恋しい。
西方は私にとって特別な方角。

 

 

 

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No. 22 井上 啓一師  昭和57(1982)8/19,20


『安かりし今日の一日を喜びて
 御親の前にぬかずきまつる』
  (大谷?子裏方)

 

「人生は遠くから見たら喜劇である。
が一人一人をクローズアップしてみると皆、
悲劇の主人公」とチャップリンは言った。
みんなドタバタ喜劇を演じている様に見えて
その実見えない涙を流しながら、
その日その日を溜息まじりで暮らしているのか。
それを「安かりし」と喜ぶ人あり。
浄土へ開かれた今日を生きる人のみ、
どんな中にも「安かりし」と受け取れるらしい。
念仏者とは、浄土往生人であり、
生活の達人でもある。

 

 

 

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No. 21 雑賀 正晃師  昭和57(1982)7/4,5


『別れ路をさのみなげくな法の友
 また会う国のありと思えば』
  (光顔院)

 

その人の葬儀には祭壇一つなかった。
写真もなかった。
ただ一枚の半紙に自身が書き残した右の言葉が額にいれて飾ってあった。
お仏壇と棺と額、これだけだった。
素晴らしい葬儀だった。
「残す言葉」の重さを思う。
「ハデに法事はすなよ。お前がお聴聞してくれよ。」

 

こう言い残すことに決めた大分県は豊前市のある町。
その寺の法座は人があふれんばかりの満堂である。

 

 

 

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No. 20 上原 泰教師  昭和57(1982)5/17~19


『真宗の教行証を敬信して、
 ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。』
  (『教行信証』 註釈版聖典p.132)

 

私の母は“用足し”の後、
必ずお称名と共に、「ありがとうございました」
とお礼を言いつつ手を洗っていました。
我々は、食事の時には合掌をします。
けれども排出の時には合掌など思いもよりません。
美しい物やら楽しい事にはお礼を言いますが、
汚い物やら苦しい事にはお礼が言えません。
念仏者とは、
お礼を申さんにゃならんものばっかしと目のあいた人の事。
生死盛衰みんな御恩の中でした。

 

 

 

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No. 19 清胤 徹昭師  昭和57(1982)4/19,20


『深く如来の本願を聞きひらき……』
  (仏婦綱領より)

 

他力本願が誤解されているという。
それは、本願という事が理解されていないせいであろう。
本願とは『無量寿経』の中心に説かれた、如来の四十八の願い事。
それも「忍終不侮」(忍んで終に悔いず)と貫ぬかれた仏の願い。
(人まかせ)(依存心)の代名詞ではない
。今、届いている南無阿弥陀仏の中味なんです。
私が生涯お聞かせにあずかり続けるものなんです。

 

 

 

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No. 18 豊島 学由師  昭和57(1982)3/19,20


『如来大悲の恩徳は
 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も
 ほねをくだきても謝すべし』
  (『正像末和讃』 註釈版聖典p.610)

 

宗祖八十六歳の和讃なのに、
若き日のものと思い誤る人が多いという。
生涯で一番苦難の頃の和讃なのに、
それが微塵も感じられないという。

 

信仰を老人の慰め物とか、不安逃れの麻酔薬とか、
弱者の逃げ口上という人がある。
そんな人への真宗からの解答がこれである。
この人生讃歌に出会えただけてうれしい。

 

 

 

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No. 17 桐渓順忍和上  昭和57(1982)2/22,23


『遠慶宿縁 遠く宿縁を慶ぶ』
  (『教行信証』 註釈版聖典p.132)

 

手間が掛かったんでうね。
私に仏縁が恵まれるまで。
夫じゃない、子供じゃない。
父や母じゃなかったんですね。
浄土の聖者が身を変えて、
夫や子や両親と身を変えて、
逆縁を作ってまで育てて下さったんですね。
今日はその人の御命日。
お内仏に座してほれぼれと、
お礼の称名高らかに、遠慶宿縁かみしめます。
頭が下がらずにおれません。
あなたは如来さまでした。
如来さまでした。

 

 

 

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No. 16 中島 昭念師  昭和57(1982)1/21~24


『慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、
 念を難思の法海に流す。』
  (『教行信証』 註釈版聖典p.473)

 

楽しみは、金と暇と物があれば買える。
喜びは、私自身を育てる事がなかったら出てくるものではない。
現代人は楽しみを追いかけて喜びを見失なってはいないだろうか。
法義聴聞の中に育てられるわが身。
いよいよ大切に油断なく、お聴聞にはげみたい。

 

 

 

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No. 15 深川倫雄和上  昭和56(1981)9/23~25


『我至成仏道 名声超十方』
  (重誓偈)

 

聞こえました。
南無阿弥陀仏というあなたのお名前は、
はるか東の国娑婆の片隅に生きております
六尺に満たない私の体の中まで届いております。
おろそかではありますが、
御恩報謝の称名のたびごとに、
あなたは声となって
私の口から飛び出して私を呼んで下さいます。南無阿弥陀仏と。

 

 

 

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No. 14 藤岡 道夫師  昭和56(1981)8/23,24


『大悲無倦常照我』
  (『正信偈』 註釈版聖典p.207)

 

弥陀の救いは名号法。
「ナモアミダ仏」と到り届いて救うとのみ親のはからい。
私の生命の現場に「ナモアミダ仏」と名号法ならいつでも届く。
どんな心境の時も、
若き時も老いたる解きも、
元気な時も病床の時もいつでも届く。
ああ、そのはからいにもう負けた負けた。
その慈悲の疲れを知らない事よ。

 

 

 

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No. 13 瀧淵 孝文師  昭和56(1981)7/13~15


『マイル ハカライヲ スルニアラズ
 マイラシテクダサルヲ
 マツバカリナリ』
  (足利義山和上)

 

足利和上の御長男義淵氏が、大学病院にて危篤に陥りたる時、
半紙一枚に大きく書かれて送られた文です。

 

往生極楽は如来の思い立ち。その救いの邪魔ばかりをしてきたのか。
南無阿弥陀仏に、邪魔する私の姿を知らされました。

 

 

 

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No. 12 福田 康正師  昭和56(1981)5/20~22


「私共凡夫の手許には大丈夫なものは何もない。
 必ず救うの如来さまのお手許だけが大丈夫です。
 凡夫の浅はかな料簡は捨てて
 『必ず救う』『そのまま我にまかせよ』
 との如来のおおせを素直に戴きましょう。
 命ある限り生かさせて頂きましょう。
 如来様がいいようにして下さいます。」

 

臨終間近な老門徒へ、こう見舞状を出しました。
わが“煩悩の大地”へ顕れ出でて下さった如来様がお念仏。
如来と二人連れ。安心して称名させていただきましょう。

 

 

 

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No. 11 藤沢 量正師  昭和56(1981)4/23,24


『私を見ていてくださる
 人があり
 私を照らしてくださる
 人があるので
 私はくじけずに
 今日を歩く』
  (榎本栄一)

 

榎本さんは大阪の一雑貨店の主人。
老夫婦で小さな商いをしながら、かろうじて生計をたてていられるとか。
そのつぶやきのような言葉が、
難波別院から詩集として発刊され大きな反響を呼んだ。
暮らしの中に感じられた念仏の法味は、
宗派を超えて多くの人の胸を打った。
如来を盲にし、
念仏を死に物にして、
宗教心などあり得なかったんだと。
やるせない親の大悲は、今ここに念仏として私に通い通しでありました。

 

 

 

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No. 10 田中 英世師  昭和56(1981)3/23~25


『願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず
 仏智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず』
  (『正像末和讃』 註釈版聖典p.606)

 

この人生に見事に一道を極める人もあるでしょう。
しかし、多くの人は散乱放逸の人生ではないでしょうか。
反面、そう腹が決まったらこの人生は随分楽な事です。
やりかけ、中途半端、思い残し、それが私の人生です。
そして「捨てられず」、
それでいいのですよとの呼びかけの何と安からな事でしょう。
放逸の中に揺るぎない一筋の道、
念仏一道だけは踏みはずさずに済みそうです。
「大いなるものにひかれゆく、わが足どりのおぼつかなさよ」(九条武子夫人)
もったいない もったいない。

 

 

 

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No. 9 広兼 至道師  昭和56(1981)2/21~24


『如来の作願をたずぬれば
 苦悩の有情を捨てずして』
  (『正像末和讃』 註釈版聖典p.606) 

 

「布目なす傷跡よ日々のわが思い、刻みて古し俎洗う。」
人は時に生きる事に涙ぐむ。
辛いやら、情けないやら、悔しいやら。
が、そんな時でも炊事からは手が抜けない。
わが思いは胸に埋めて料理を作る。
古い俎の傷跡は、そのままわが傷心の痕跡。
人の暮らしの現場は綺麗事ではない。

 

南無阿弥陀仏は、果てなき苦悩の現場を見尽くした如来の悲痛なお呼び声である。
「そのまま救う そのまま救う」と。

 

 

 

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No. 8 深川倫雄和上  昭和55(1980)10/24~26


『木像ものいはず経典口なければ、
 伝へきかしむるところの恩徳を耳にたくはへん行者は、
 謝徳のおもひをもつぱらにして、
 如来の代官と仰いであがむべきにてこそあれ。』
  (『改邪鈔』 註釈版聖典p.943)

 

法を「聞く」ことの大切さを思う。
木像、経典言わず口なしである。
「聞法」なしに信心はない。

 

法を「聞く」ことの難しさを思う。
如来の代官である御講師の話にいいとか悪いとか点数をつけていないか。

 

法を「聞く」ことの責任を思う。
家族にとって私が唯一の如来の代官ではないか。
法を「聞く」ことの有り難さを思う。
身近に知識あったればこそ「聞法」する身と育てられたのである。

 

 

 

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No. 7 田中 修恵師  昭和55(1980)9/17~19


『浄土真宗の行者は、
 まづ本願のおこりを存知すべきなり。』
  (『安心決定鈔』 註釈版聖典p.1383)

 

蓮如上人は座右に常に『安心決定鈔』を置いておかれた。
いつ読んでも黄金を掘り出すようだと喜ばれた。
その抄の冒頭が右の文である。抄全体が「御本願」の話である。
「念仏の行者名号を聞かば、ああ早わが往生は成就しにけり、
十方衆生往生せずば正覚取らじと誓ひたまひし
法蔵菩薩の正覚の果名なるが故に」と……等。
私が往生するためにしか用事のないのが「南無阿弥陀仏」の本願だったのです。

 

 

 

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No. 6 上原 泰教師  昭和55(1980)8/19~21


『今生ゆめのうちのちぎりをしるべとして、
 来世のさとりのまへの縁をむすばんとなり。
 われおくれば人にみちびかれ、
 われさきだたば人をみちびかん。』
  (聖覚法院『唯信鈔』 註釈版聖典p.1356)

 

故人を追慕する気持ちは尊い。
しかし、追慕のみ終わって故人は喜ばれるだろうか。
「子のために生きる命と思いしに 子に生かさるる わが命かな」

 

子に先立たれたある母親の歌である。
故人の死がわが命の支えとなる道、
それを見つけてこそ故人への最大の恩返し。
聞法の中に目ざめた念仏生活こそ、その答えである。

 

 

 

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No. 5 瀧淵 孝文師  昭和55(1980)7/7~9


『人間は弱い者です。
 ややもすると横道についついそれる心を持つんです。
 それを横にそれないように、
 ただ念仏一つに生きていくという事が、
 浄土真宗の厳しさだと思います。』
  (即如上人)

 

即如上人は、西本願寺第二十四世の現門主です。
昨年三十四歳の若さで法統を継承されました。
「生涯聞法」こそ真宗の生命であると我々にさとされ続けています。
御門主を仰ぎ、その教示を拝受させていただきます。

 

 

 

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No. 4 久堀 弘義師  昭和55(1980)6/12,13


『馥郁たる香りを漂わせる一輪の梅の花に、
 天下に春の来れるを知る。
 叢に集く一匹の蟋蟀の声に、
 天下に秋の来れるを知る。
 一人の人間の称えるお念仏に、
 如来すでに我に来れるを知る。』
  (勧学 大江淳誠和上)

 

私の一声のお称名のところに、如来のすべてが届けられている。
念仏者とは、私の一声のお称名の尊さを聞きひらいた者である。

 

 

 

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No. 3 深川 倫雄師  昭和55(1980)5/13,14


『しかれば祖師上人は、弥陀如来の化身
 にてましますといふことあきらかなり。』
  (覚如上人『御伝鈔』 註釈版聖典p.1046)

 

聖人は弥陀の再誕です。
お浄土から来られた方です。
「仏さま死ぬのか?」ですって。
我々の凡夫の人生にあわせて、臨終の姿をとって下さったのです。

 

九十年の御生涯は、弥陀に救われる「見本」を演じられた御苦労でした。
宗祖御降誕ありがとう。

 

 

 

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No. 2 豊島 学由師  昭和55(1980)3/13~15


『わが家とは油断の出来る場所である。』
  (金子大栄)

 

人生は旅といいますが、
旅は帰るわが家があるから楽しいのです。
帰るあてのない旅は漂泊(さまよい)に過ぎません。
人生もそうです。
帰るべき所をもって、人は一生がまっとう出来きます。
真宗念仏者にとって「浄土」とはわが家です。

 

  「かたつむり行く先にわが家あり」

 

という句がありますが、
南無阿弥陀仏はその浄土から「いつでもそのまま帰っておいで」
と呼びかけたもう如来の呼び声です。
それは私の気づく前から呼びつめでした。

 

 

 

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No. 1 藤沢 量正師  昭和55(1980)2/22


『人の世は、上見れば上で 下みれば下で 限りなし
 吾れ 半身不随なれど いまだ右手あり、耳あり、右足あり
 吾れ 脳腫瘍なれど いまだ味あり 色彩あり 音あり
 声あり 言葉あり 匂いあり
 それもやがて消えゆく身なれど 
 尚念仏あり み仏あり 大悲あり 浄土あり
 吾れ 尚 仕合わせなりき』
  (故 武内キヌエ  昭和40年1月7日往生)

 

その不自由な身で仕合わせと言わせたものは何か。
失ったものに目をむければ愚痴やなげきは止まるまい。
婦人は残されたものの価値にいつも目を向けた。
如来さまのお育ての中でこそ、目がむけられたのだ。

 

 

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法座の言葉(1〜100)関連ページ

法座の言葉(201〜300)
ようこそ専徳寺へお参りくださいました。 専徳寺は岩国市通津にある浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院です。 どうぞごゆっくりくつろいでください。
法座の言葉(101〜200)
ようこそ専徳寺へお参りくださいました。 専徳寺は岩国市通津にある浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院です。 どうぞごゆっくりくつろいでください。

 
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