浄土真宗の教え
- 浄土真宗は、親鸞聖人を宗祖と仰いでいます。専徳寺は、浄土真宗本願寺派に属します(本山は西本願寺)。
- 浄土真宗は、『浄土三部経』と親鸞聖人の主著『教行信証(正式名称:顕浄土真実教行証文類)』を根本聖典とし、インド・中国・日本の三国にわたる七高僧の論著をそれにつぐ重要な聖典としています。
- 浄土真宗の教えの肝要は、念仏成仏です。その念仏とは他力廻向の念仏です。他力と言っても、人間の思惟や能力を超えた大いなる仏の力の意味です。他力念仏とは、その他力の中でお念仏と共に生き抜きていくということを意味します。
- 一般的な考えだと、坊さんは葬式で供養する人で、お念仏は死んだ人の為に称え、手は死んだ人にあわせるものだという考えが強く定着しているようであります。しかし、親鸞聖人の説かれた浄土真宗のとはそうではなく、故人のご往生を御縁として、それを仏縁としつつ、今、自分が本当の意味で生きていくことであります。このような味わいの中で、お仏壇やお墓に対する考え方も、一般的(?)な仏教とはおのずと異なる部分があります。
用語解説
○御開山親鸞聖人
- 浄土真宗の開祖。
- 聖人は、日野有範の長子として承安3年(1173)に生まれました。日野氏は権勢を誇った藤原氏の流れを汲む一族でありましたが、位はそう高くなかったようであります。
- そんな中、聖人は9歳で出家し、9歳〜29歳までの20年間を比叡山で過ごされました。この間の記録が残ってないので聖人がどのような生活を送られておったのかはわかりません。
- 29歳の時に聖人は比叡山を下り、当時、専修念仏という教えを説かれていた、吉水の法然上人(浄土宗の開祖)のもとへといき、それ以来、深く法然上人の教えに帰依されました。しかし、革新的な法然教団は、比叡山や奈良の旧仏教勢力から攻撃をうけており、奈良の興福寺から朝廷に専修念仏停止の訴えがなされ、建永2年(1207)法然門下の安楽・住蓮という二名が処刑されたほか、法然上人は四国に、聖人は越後に流されるという弾圧(承元の法難)にまで発展しました。聖人は僧の身分を剥奪されて藤井善信という俗名を与えられましたが、以後、聖人は非僧非俗(僧侶でも俗人でもない)の立場を宣言し、自らを“愚禿”と称しました。
- 建暦元年(1212)流罪がゆるされましたが、聖人はそのまま越後にとどまり、健保2年(1214)に常陸(茨城県)に向かわれました。そして、筑波山のふもとに約20年間滞在して、積極的に教えを説き、『教行信証』を著して教義の整備に努められました。その間に教えをうけた弟子が、のちに二四輩また六老僧といわれる高弟たちで、彼らを核として門徒集団が形成されていきました。
- 聖人が京都に戻られたのは、60歳を過ぎた頃だと言われています。そして、以後の聖人は、『教行信証』の改訂、『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』などの和讃の作成のほか、『愚禿鈔』『一念多念文意』『唯信鈔文意』などの著述に努められました(聖人の著作のほとんどは晩年の著作であります)。また、門弟にあてた書簡を後に編集したものに、『親鸞聖人御消息集』『末灯鈔』などの書簡集があります。
- こうした精力的な日々を、聖人は娘の覚信尼とともに送られ、弘長2年(1262)11月に90歳におよぶ波瀾の生涯を閉じられました。
浄土真宗本願寺派
- 真宗十派の中の一つ。通称、お西。
- 京都に龍谷大学などの専属の大学を持ち、全国に多くの宗門校を持っています。
西本願寺
- 京都の七条堀川にある浄土真宗本願寺派の本山。
- 敷地の中に龍谷大学大宮学舎があります。
→西本願寺公式ホームページ
浄土三部経
- 浄土教の根本の拠り処(正依)となる三部の経典。『仏説大無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』の三部であります。
- 浄土真宗では、そのなかでも特に『大無量寿経』を「真実の教」とし、阿弥陀仏が法蔵菩薩の位にあってどのようにして48の本願を立て名号を完成したか、衆生がいかにしてこのこの名号を受けとめて救済されるか、を説き明かす根本の聖典としていただいております。
- 『仏説観無量寿経』は、韋提希夫人が息子阿闍世の悪逆に苦しめられたとき釈尊から阿弥陀仏とその浄土を目の当たりに示されるという劇的な物語で、現世の苦悩を除いて浄土往生する方法を説いたものであります。
- 『仏説阿弥陀経』は、浄土の荘厳(美しいありさま)を示し、六方の諸仏がこれを証明し、称名念仏を勧めるもので、短編でしかも経の響きが美しいため、古来より親しく読誦されることが多い経典であります。
七高僧
- 七祖ともいう。親鸞聖人が浄土教の祖師と定め尊崇された印度・中国・日本の七人の高僧。龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導和尚、源信和尚、法然上人の7人の方々のことであります。
- 龍樹菩薩:南印度の生まれ。大乗仏教の教学の基盤を確立した方です。仏教全体において大変な影響を与え、日本においても古来、八宗の祖とされます。著作に、『十住毘婆沙論』『中論』『十二門論』『大智度論』等があります。
- 天親菩薩:世親ともいいます。北印度のガンダーラに生まれ、はじめ部派仏教の説一切有部・経量部に学び、『倶舎論』を著しました。しかしその後、兄無着の勧めで大乗仏教に帰し、瑜伽行唯識学派の根底を築きました。多くの著作があり、千部の論師といわれています。
- 曇鸞大師:山西省の雁門の生まれ。神鸞とも尊称されました。天親菩薩の『浄土論』を註釈して『往生論註』を著し、五念門の実践を説いて、浄土教の教学と実践を確立しました。著作は他に『讃阿弥陀仏偈』一巻などがあります。
- 道綽禅師:山西省○州?水の人。その著作『安楽集』は、曇鸞大師の教学を受け、末法到来の時代の認識、聖浄二門判などの浄土教の主要な問題について述べたものであります。
- 善導和尚:中国仏教の大成者。道綽禅師に師事した後、長安の光明寺に移って念仏弘通に努めました。『観経四帖疏』を著し、曇鸞大師・道綽禅師の伝統をうけ、凡夫入報の宗旨を明らかにされました。著作は他に『観念法門』『法事讃』『往生礼讃』『般舟讃』があります。
- 源信和尚:大和の国の当麻の生まれ。9歳で比叡山に登り、天台教学を究めたが、名声を嫌い横川に隠棲されました。『往生要集』を著し、末代の凡夫のために穢土を厭離して阿弥陀仏の浄土を欣求すべきことを勧められました。
- 法然上人:浄土宗の開祖。43歳の時、善導大師の『観経四帖疏』の文により専修念仏に帰し、比叡山を下りて吉水に移り住み、念仏の教えをひろめられた。『黒谷上人語灯録』『西方指南抄』など上人の法語や事跡を伝えるものは多くあります。
※ちなみに、親鸞聖人の「親鸞」という字は、「天親菩薩」「曇鸞大師」の「親」と「鸞」からきているのではないかと言われております。
他力
- 他力とは、阿弥陀仏の本願(すべての人を救おうとする願い、誓い)のはたらき、阿弥陀仏が衆生を救済するはたらきのことであります。
- 迷いや欲望(煩悩)に生きる人間は自身の力(自力)によってはさとりに達せられず、仏の回向すなはち他力のはたらきによって信心を獲、そして、浄土往生の道をあゆむのであります。
- 「他力本願」という言葉がありますが、この言葉は現代的な意味だと、「棚からぼた餅」「自分ではなんにもしなくて、他人の力を頼みにする」という意味で用いられます。これは、「他力」を「他人の力」「他者の力」と理解して、「他者の力」を「本」として「願う」と読むからでありましょう。
- しかし、上で説明したように、浄土真宗におけるこの言葉の意味は全くこれとは異なります。浄土真宗では、「他力こそが本願」であるという意味なのです。絶対に、「他力」を「他人の力」という意味では用いません。
- 「他力」とは、仏のわれわれを救いたいという心、またはわれらを救わんとする力を言います。
- 浄土真宗的な理解をするためには、「本願」の下に「力」という言葉をつければ理解しやすいのではないでしょうか。つまり、「他力=本願力」「他力こそが本願力」と読むのです。つまり、仏が「願(本願)」をおこしてはたらきかける(力)のは、我々を救わんがため(他力)だということです。
- 自分だ他人だ、自分がやった他人にやられた、自分のおかげだ他人のおかげだ…等々。私たちはこのような世界、言うなれば、自分のモノサシの中で生きていると言えるでしょう(「棚ぼたでうまくいったぜよ!ラッキー、他力本願!!」なんて時に言いながら…」)。そして、この自己中心的なものさしこそが凡夫のものさしであります。そして、このような凡夫を救わずにはおれないという、阿弥陀仏の願い、そして、それによって今の自分が光りに包まれているという味わい。それが、「他力本願」という言葉が意味する本当の内容なのであります。
- 「他力本願」とは、仏のすくいのはたらき、そして、浄土真宗の宗教的なよろこびを現す言葉なのであります。
お念仏
お念仏とは、「南無阿弥陀仏」を称えることであります。浄土真宗では古来よりこの言葉を非常に大切にしてきました。
では、「南無阿弥陀仏」とは何でしょうか(真宗では「南無阿弥陀仏」を御名号と呼びます)。
南無阿弥陀仏とは梵語であり、南無と阿弥陀仏の二つの語が連結したものであります。
南無は「ナモー」という梵音を写した文字であります。そして、この南無とは、帰命という意味であります。帰命というのは、仏のおおせに帰順することであり、私たち衆生が、阿弥陀仏のおおせを深く信仰することであります。
阿弥陀とは、「無量」という意味であります。『仏説阿弥陀経』には、「舎利弗、なんぢが意においていかん。かの仏をなんがゆゑぞ阿弥陀と号する。舎利弗、かの仏の光明無量にして、十方の国を照らすに障礙するところなし。このゆゑに号して阿弥陀とす。また舎利弗、かの仏の寿命およびその人民(の寿命)も無量無辺阿僧祇劫なり。ゆゑに阿弥陀と名づく。」(『註釈版聖典 第二版』一二三頁)とあります。ゆえに、阿弥陀仏とは、光明無量寿命無量の二徳を完備した仏であると言えます。
つまり、「南無阿弥陀仏」とは、光明無量寿命無量の阿弥陀仏のおおせを深く信仰しますという意味なのであります。
さて、では、何故、阿弥陀仏は光明無量寿命無量の仏なのでしょうか。親鸞聖人は、この二徳はまさにわれわれ衆生を救わんがための徳であると味あわれました。
親鸞聖人のお書きになった『浄土和讃』には、
十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざあれば 阿弥陀となづけたてまつる(『註釈版聖典 第二版』571頁)
とありますが、まさにこの、摂取不捨(私たち凡夫を摂め取って捨てない)のはたらきこそが、阿弥陀仏の救済のはたらきであると言えます。
光明無量とは、空間的に、十方世界を照らして衆生を救うはたらきが無量であることを示し、寿命無量とは、時間的に永久であり、衆生を救済するはたらきが止まることのないことを示しますのであります。
つまり、「南無阿弥陀仏」とは、私たち凡夫を摂め取って捨てない(捨てずにはおれない)阿弥陀仏のおおせを深く信仰しますという意味なのであります。
では、私たちの口から南無阿弥陀仏が、お念仏としてこぼれるということはどういうことでしょうか。
『仏説大無量寿経』の中には、阿弥陀仏の四十八の誓願が説かれていますが、その中の第十七願に、「たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、わが名を称せずは、正覚を取らじ」(『註釈版聖典 第二版』十八頁)とあります。この中の「咨嗟」とは、讃嘆の意味で、ほめたたえるということです。そして、「称」とは、称揚の意味で、ここでは、南無阿弥陀仏をほめたたえることであります。
よって、この願文は、南無阿弥陀仏と呼ばれる仏になりたいという仏の誓いであり、ここには、南無阿弥陀仏の六字となって私たち衆生のところにいたりとどきたいという、阿弥陀仏の大悲があるのであります。ゆえに親鸞聖人はこの第十七願のことを、「大悲の願」とお呼びになられました。
すべての人を救いたいという願いが阿弥陀仏の大悲の願いであり、その為に、「南無阿弥陀仏」の六字となって、われわれのところに届いておって下さるのであります。つまり、私たちの口からお念仏がこぼれるということは、阿弥陀仏の救いが私たちに届いた姿なのであります。
だから、浄土真宗では、「念仏」を「お念仏」、「念仏をとなえる」を「お念仏をとなえさせていただく」「お念仏がでてくださる」と敬いをもって表現します。
「みほとけの み名を称えるわが声は わが声ながら尊かりけり」(甲斐和里子)
供養
供養って何でしょうか。私の布教の先生は、「浄土真宗の供養とは、故人への“有り難う”です」とおっしゃいました。
聖人の主著・『教行信証』の後序に、「前に生れんものは後を導き、後に生れんひとは前を訪へ」という言葉があります。
「前に生まれんもの」とは、お浄土に往生した人。「後に生まれんひと」とは、今この娑婆世界にいるわれわれを意味します。つまり、この言葉は、「お浄土に往生されたかたは、仏さまとなって、残られた方を仏縁となって導き、そして、これから、いつの日にかこの娑婆世界の命尽きて浄土に往生する方は、もう既に往生された方を仏縁とせよ。」というお言葉であります。
ここで注目してほしいのは、「後に生れんひとは前を訪へ」(波線)という言葉。この言葉の後半の「訪(とぶら)へ」という漢字。今ここでは、先に「訪(とぶら)へ」と表記してあるから、「訪(とぶら)へ」と簡単に理解できますが、もしこれを声(音)として聞いたら、どうでしょうか。実は、音として聞くと、みなさんは、「弔(とぶら)へ」と聞かれるようであります。
どうですか、「亡き人をトブライましょう」と言われたら、「弔」の字を想像されるのではないでしょうか。
親鸞聖人は、(積極的な意味においては)この「弔」という言葉を全く使われません。
この「弔」という字は、「死者の霊を慰める」という意味の漢字であります。辞書の解字を見ると、この字は、人と弓(または「蛇」)が合わさった姿を示しているようであります。つまり、人がなんらかの道具を持って、「死者の霊を慰める」のだそうであります。
では、何故、「死者の霊を慰める」のでしょうか。
日本人の霊魂観では、死後まもない魂は、ケガレが多くそのままにしておいては、祟りやすく恐ろしいと言う観念が濃厚に存在していたようであります。つまり、死者を示す新魂(あらみたま)を、同時に、荒魂(あらみたま)と考えるそうであります(新御魂・荒御魂とも書きます)。
故に、「慰める」のです。つまり、「慰める」背景には、「死者が荒ぶっている、さまよっている」という考えがあるのであります。
これはつまり「故人(死者)が迷わないために、なぐさめて、“道”をつくって」ということであります。亡くなった人に、あっちだよ、そっちに“道”があるよ、迷わんでくれと言って「慰める」のであり、そのことを示すのが、「弔」なのであります。
親鸞聖人は、この「弔」という字は使われなかった。「亡くなった人は、決して迷うことはないぞ」とお考えになられる。よって、浄土真宗では決して、亡くなった人が暗い迷いの世界に行くとは考えない。迷うから道をつくってあげて、慰めるのではない。迷わずお浄土へといかれた今は、その方は私に真実を教えてくれる存在となる。亡き故人から届けられた、真実の道。この道を味あわせていただく。これが浄土真宗の考え方であります。
少し難しいのですが、これってさっきの、「弔」と“道”の方向が異なるってお気づきになられましたでしょうか。
「弔」とは、「故人(死者)が迷わないために、なぐさめて、“道”をつくる」でありました。これは、自分から離れた所に“道”を、自分へと遠くへ続く“道”をつくることであります。「→ → → → → → → →」
でも、「訪」って逆なんです。故人の往生が、自分の仏縁となる。決して親しい人の死を別の場所には置かないし、自分から離れた“道”とは考えません。自分へと向かってくる“道”であります。「← ← ← ← ← ← ← ←」
仏教の四苦の一つ、愛別離苦。どれほど親しい人とも、いずれは別れていかなくてはならないという人間が持つ苦。その死に直面した時、手を合わせ、念仏が出る。念仏とは何でしたか?仏の救わずにはおれないという言葉、私たちの口から出る仏さまそのものです。普段の私からは出るはずのない念仏が出てくる。合わせるはずのない手が合わせる。浄土真宗では、決して亡くなった人に対して手を合わせません。亡くなった人のおかげで手が合わさるのであります。
「訪」ってのは、“道”があるから訪れることができるのでしょう。「今度うちに来て下さい。」「ああ、それでは、今度訪れます。で、家はどちらで?どの道を行けばいいんですか?」「家への道?さぁ、それは知らんなぁ」じゃだめでしょう。浄土真宗の“道”はいつも自分向きなのであります。これが、「前を訪へ」だと私は味わっております。
ならば、前に戻って、浄土真宗における、供養とは何でしょうか。
浄土真宗では、決して亡くなった人が、どこか向こう側への“道”をスムーズに行けるためにする行為を供養とは考えません。そもそも“供養”という概念がないのです。しかし、逆に考えれば、浄土真宗の行為は全て供養と言える範疇に入るかもしれません。
葬式をするという行為、念仏を称える行為、手を合わせるという行為、親族で集まるという行為、坊さんの法話を聞くという行為、法事が終わって酒を飲むという行為、悲しむという行為、泣くという行為、笑うという行為、喜ぶという行為、これらの全ての全てを供養と言えます。
ただし、その際には一つ。供養を決してよそへの道とは考えないということ。亡き人の御縁を、今、自分に照らし出された真実の“道”だと味わえるということ。
しかしここまで言っておいてあれなんですけれども、実際には、真宗でも使うのです。「弔」っていう字。真宗寺院の中では、「追弔法要」という名で法要を行っているところもあります。
「弔」が「慰める」だと言いましたが、この字には二通りありまして、一つは、「死者を慰める」。この意味では、絶対に真宗では用いません。もう一つは、「人間」を慰める。私はこの意味では用いてもいいと思います。「有縁の方々と共に、故人のご往生を御縁として手を合わせていく」。しかし、それは単に「これが仏縁です」と堂々と言えるものでもない、「さびしい」という人に「さびしいね」と言い、「悲しい」という人に「悲しいね」と言っていく世界。そういう言葉でしか言えない。しかし、その奥には言葉を超えた世界がある。
浄土真宗のお坊さんだって、親しい人が亡くなれば、そのお官に向かって手を合わせる。教義云々を抜きにして、悲しい時には悲しい、手が合わさる時には手が合わさる。辛さって何でしょうか。親しい人間が今この世界にいないのが辛いのではない。これからの自分の人生の中で、あと何度、その人を思い出し、その度ごとに、「あの人は亡くなったのだ」と、自分で自分に言い聞かせなければならないのかと想像する。辛いっすね。ある方の話の中にありました。「浄土真宗では、故人のご往生を御縁とすると聞きましたが、私はあの子が生き返るのであれば、そんな仏縁はいりません」と。ですよね。答えはでません。
でも、私が私の大事な人間の往生を御縁として、今の私が一人の坊さんとして、このホームページを書いているのならば、「浄土真宗の供養とは、故人への“有り難う”です」と言えるのではないでしょうか。
とりとめない文章になってしまって、すみません。
合掌
基本的には、上で結構書いたので。そちらと照らし合わせて読んでいただければ幸いです。大事なことは、「亡き人へ手を合わせる」のではなく(だけではなく)、「亡き人のおかげ(御縁)で手が合わさる」ということです。
「亡き人へ手を合わせる」ということ。これは、人間としてとても自然で美しい姿でありましょう。斎場で、閉じゆく(火葬の)扉に対して遺族が皆目をつぶり、そして、ゆっくりと合掌し、そして、礼拝をする…。人間としての自然な感情でありましょう。
でも、浄土真宗って、そこからもう一つ、もう一歩あるのです。
それが、「亡き人のおかげで手を合わせる」。消えない悲しみを消えない悲しみとしながら、しかし、亡き人が自分にとってどれだけ大切な人であったか。それを、自らの手、自らの目の前で合わさった手、こぼれる念仏の中で、思い出させていただくのです。
私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ 冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝には鳥になって あなたを目覚めさせる 夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています
千の風に 千の風になって あの 大きな空を 吹きわたっています
あの 大きな空を 吹きわたっています
(“a thousand winds”作者不明の詩 邦訳「千の風になって」訳:新井満)
お仏壇
(上記のそれぞれの項目を読まれた上で読んで頂けたら幸いです)
数年前、あるお宅にお勤めに参ると、ご家族の方に、「うちはお仏壇の真上に子供部屋があるのですが、これってバチがあたるんですか」と聞かれました。
このご家族は、お仏壇の真上に子供部屋があったら、子供達がお仏壇(仏さま、ご先祖)を踏んでいることになると考えられたのでしょう。
親鸞聖人のお書きになった『浄土和讃』には、
十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざあれば 阿弥陀となづけたてまつる(『註釈版聖典 第二版』571頁)
とあります。「十方微塵世界」、ありとあらゆるところに、救いの光りとして遍満されているのが阿弥陀仏なのだと。つまり、二階で子供達が遊ぶ、その子供達のところへ、そして、仏壇の位置を気にするご家族、そのご家族のところへ、救いの光りとしていたりとどく。そんな無辺の広がりをもった仏さまが阿弥陀仏なのであります。
そして、そんな無辺のはたらきを持つ仏さまの救いの世界を一つのカタチにしたもの。それが、お仏壇であります。
阿弥陀仏の救いのはたらきは、南無阿弥陀仏の名号として今まさに私たちのところへ至りとどいています。私たちが名号のいわれを疑いなく聞かせていただくとき、他力の信心が恵まれ、命が終わればかならず往生成仏する身に定まらせていただくのです。
浄土真宗で大切なことは、阿弥陀仏に手を合わせながら、この生涯を力強く生きていくことであります。阿弥陀仏の前で手を合わせていただく場所、それが浄土真宗のお仏壇なのです。
また、真宗では基本的には位牌を用いません。
位牌は、もともと中国の儒教において用いられてきました。故人の生存中の官位と姓名を書き記した牌が位牌で、そこには神霊が宿ると信じられてきました。それがやがて日本の仏教にも転用されるようになったのです。
現在の日本でも、位牌は「故人の宿るところ」であるという意識がなお色濃く残っているようですが、浄土真宗では、そうした「もの」に魂や何かが宿るとは考えません。
お墓
(上記のそれぞれの項目を読まれた上で読んで頂けたら幸いです)
上記で、浄土真宗では、「もの」に魂や何かが宿るとは考えないと申しましたが、浄土真宗では、やはりお墓についても「魂(故人)の宿るところ」であるとは考えません。それでは、浄土真宗でお墓を建てることにはどのような意義があるのかと申しますと、それは、故人を偲ぶことをご縁として、私自身が浄土真宗の教えを聞かせていただくというところにその意義があります。
浄土真宗では、お墓とは故人の霊を慰めたり、祀ったりするために建てるのではなく、阿弥陀如来の浄土に往生された亡きお方のお徳を敬い偲ぶために建立するということです。
故人を偲ぶことは、私自身の命や人生にも思いを巡らせるきっかけともなることでしょう。それが、教えを深く味わうまたとない機会ともなるのです。
ですから、浄土真宗でも、お墓が不要であるということは申しません。お墓にばかり気を取られることは避けるべきですが、お墓を通じて故人を偲ぶ気持ち自体は、浄土真宗でもたいへん大切にされております。
お墓を必要としているのは、故人ではなく、生きている私たちなのです。
人が亡くなれば悲しいでしょう。そして、その亡くなった人に何かをしたい、何かをせずにはおれないというのは、全く人間の自然な感情だと思います。
しかし、浄土真宗では(そのことを大事に受けとめながらも)もう一歩先があるわけです。それは、亡くなった人のために、手を合わせるのではなく、故人のおかげで手が合わさるということです。
悲しみを悲しみの中で受け取りつつ、しかし、時間の中で、一歩ずつその大事な人の往生を仏縁とさせていただく。
その人の存在が自分にとって大きければ大きいほど、その人に感謝していける世界がある。
それが浄土真宗のお念仏の世界であります。
※(文責 弘中照夫(現在、長明寺若住職))
参考文献
『浄土真宗聖典註釈版 第二版』
『浄土真宗必携』教学振興委員会編集 本願寺出版社
『仏事のイロハ』末本弘然著 本願寺出版社
『真宗小辞典』瓜生津隆真・細川行信編 法蔵館
『浄土真宗のキイ・ワード』天岸浄円著 探求社
『うちのお寺は浄土真宗』総監修/藤井正雄 双葉社